第5話『天の慟哭(どうこく)』

【ご注意】震度五強の地震の揺れの描写並びに、震度七の地震についての言及がありますので、苦手な方は閲覧をお控えくださいませ。


 

 __獅子ヶ鼻ししがはなの波打ち際にて__


 

「えーーーーっ? 何もない青空に、急に雨雲が現れるだってぇ?」

 と、お手本のような驚き方をする新川あらかわ

 

「うん」


「それも、何度も、同じような場所で、それが起こるだってぇ?」

 と、新川が演技を続ける。


「うん、だから気になってドローンで証拠映像を撮ろうとしたんだ」


「そんなの、よく気づいたねー。君は将来、気象学者にでもなれるんじゃないか? いや、なんとしても古野電気ふるのでんきに……今のうちに囲い込んでおきたいくらいだよ。あはは」

 と、あまりまともに受け応えをするつもりのない新川。リアクションが、やりすぎなくらいにオーバーだ。

 

「ドローンを毎日飛ばすんだから、天気くらいは毎日確認するよ」


「そうかぁ、最近の子は、気象庁や米軍の雨雲レーダーを、スマホのアプリひとつで見れてしまうんだもんな。すごい時代になったもんだよ」


「あのさ、僕の言ってること、信じてないよね?」

 と、アランは冷静に指摘する。


「うーん、まぁ、一旦、信じるかどうかは保留だな。で、その異常が本当に起きているという根拠は? ちょっと意地悪な質問かもしれないけど」


「聞かれると思った。これ見て。先々週、十二月二十一日のデータ。この日、このあたりは快晴。でも、沖へ四十キロ強行ったあたりは、とてつもない豪雨が短時間で降ったんだ」


「どれどれ?」


「ほんとだね、雨雲が固まってるのがわかるよ」


「で、今これは、三十秒ごとの雨雲レーダーなんだけど、」


 アランは画面に左右に指をにスライドさせる。


「大事なのはここだよ。この約二百平方キロメートルの海域で、たった三十秒の間に、降水量を示すカラーが、白色から赤色に変わったんだ。あ、白が一時間あたり降水量ゼロで、赤が八十ミリだよ」


 画面の上方には、降水量を示すグラデーションの帯が、白、水色、青、緑、黄、橙、赤、という具合に、光のスペクトルのようになっている。


「うーん……ここだけ、不自然に真っ赤だね」

 と、新川は、顔つきが、変わってきた。


「そう、急にだよ。真っ赤になったんだ」


「ちなみに具体的な座標は?」


「十二月二十一日の豪雨を降らせた雨雲のおおよその中心座標は……あ、ちょっとメモを開くね」


 と、アランはスマホのスプリット・ビュー機能で画面を二分割し、『メモアプリ』を開く。最終更新、の文字の横には、『パピルスの手帳』というタイトルが一瞬だけ見えた。


「これこれ。過去の妙な雨雲の記録は、全部座標で管理するようにしてる。こんなふうに、表にまとまってると見やすいでしょ?」

 と、アランは、ずらっと並んだ数字の羅列られつを新川に見せる。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 38.7589763, 138.3769086

 38.5412386, 138.0694722

 38.1165689, 138.1133549

 37.6722143, 138.0075893

 37.9984538, 137.8722507

 37.4463890, 138.2544866

 38.0668547, 137.5583194


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 目が、チカチカしそうである。


「へぇ、マメだね」

 と、感心する新川。


「それでね、十二月二十一日の、赤く表示された雨雲の塊を、平面図形として捉えて、計算して出した重心なんだけど、この数字。十進数で『38.2682100, 138.1537752』。いつも、決まっておおむねこのあたりの座標だね。雨雲の重心って言っても、雲の広がりは真円しんえんの形をしているわけじゃないから、わかりやすくコンパスの針を置くような中心にはならなくて、計算にちょっと苦労したけどね」

 と、アランは、呪文でも唱えるかのように言った。


「待ってくれ、話はれるんだが、僕の聞き間違いでなければ、今君は、『苦労した』って言ったよね?」


「うん」


 あっさりと即答。


「ええっと……どうやってこんな、こーんな複雑な図形の重心を計算したんだ? 高校生の君が」


 新川は、体を大きく使い、妙ちくりんなジェスチャーを用いて、複雑な図形を表現しようと努力している。


「計算って、普通にだけど。それに高校生なら、物理の教科書に、重心を求める公式くらいは書いてあるから知ってるよ」


「えっとつまり、計算ソフト使っていない?」


「うん」


「アナログ計算した?」


「うん」


「いやいやいやいや! 待ってくれ。それができるのは、あくまでそれこそわかりやすい長方形が合わさった図形とか、二次関数のグラフと直線が交わってできた図形の重心を出すのがせきの山だ。こんな、アメーバみたいな図形、僕でもできるか不安だよ」

 と、ラッパーのごとく、とてつもない早口でまくし立てる。


「まぁでも、重心の位置を把握しておいたら、物理現象を考察するのに何かと役立つって、父さんが言ってたし」


「それはそれは、教育意識の素晴らしいお父様だね。ぜひ全国の学校で教鞭きょうべんをとっていただきたい人だ。うん、そうだ、それがいい」


「父さん、大学の教授だよ」


「本当かい? ひょっとして、新潟大学の?」


「うん、そうだけど、なんでわかったの?」


「僕が新潟大学の、工学部出身だから、当てずっぽうで言ってみたまでさ。でね、素晴らしい先生がいたんだよ」


「へぇ、どんな人?」


「アラン・チューリングのような人だった。あ、チューリングはわかるかい? 第二次世界大戦期のナチス・ドイツに『エニグマ』っていう暗号機があったんだけど、イギリス人の彼は当時、初めてその解読に成功したんだ。つまりは、先生は暗号解読の専門家みたいな人だったってことさ」


「へぇ。あ、エニグマといえば、映画でアラン・チューリングを演じてたのは、ベネディクト・カンバーバッチだったよね?」


「ああ、そういえばそうだったね。映画、好きなんだ?」


「僕が、と言うよりは、お父さんが、かな。『エニグマ』も、お父さんが見てるのを、横で見てたんだ。彼の演じる役はどれもお気に入りみたい。特に、ドクター・ストレンジは」


「ほぉ、なるほど。いいよねぇ、マーベル作品は。僕は『ハルク』が好きだなぁ。主演がエドワード・ノートンの方が、どっちかと言えばお気に入りだけど。で、そうそう、お父さまが、新潟大学の教授で、アラン・チューリング役のカンバーバッチのファンときた……」

 と、新川は、何やらじっくり考え込む。


「どうしたの?」


「ひょっとしてなんだけど……君のお父さんの名前は、『スバル』だったりする?」


「え、なんでわかったの? 怖いよ?」

 と、気味悪がる演技をしてみせるアラン。


「あ! その、えーっと、変な質問をしてすまない。いやぁ、もしや、と思って聞いたんだ」

 と、新川は取り乱す。


「あはは。うそうそ、別に怖くないよ。何なら、なんとなーく僕も、そんな気がしてたよ」

 と、だいの大人をあざむいて笑う姿は、まさしく悪戯いたずら好きの神『ロキ』だ。


「はぁ、ならよかった。で、お父さんは前国スバル教授なんだね。君は前国先生の息子さんてことだね?」


「うん。あ、そう言えば、僕の方から名乗るのを忘れていたね、アランだよ。前国アラン」


「あぁ、改めてよろしく、アランくん。道理で賢いわけだ、先生の息子さんだもんな」


 ふたりは、握手を交わした。


 すると、海の方から、一羽の白い鳥がゆっくりと飛んできて、目の前の地面に止まった。


 鳥はその細い足で小粋こいきなステップを踏みながら、バサバサと翼を羽ばたかせ、まるでふたりの出会いを祝福しているかのようだった。


「ユリカモメだね」

 と、新川は自信を持ってはっきりと言った。


「鳥に詳しいの?」


「そうだとも。ユリカモメは、秋から初夏にかけて、若狭湾わかさわんでよく見られるんだ。こんな東の方までやって来るのは珍しいかもしれないね。こいつは、ズグロカモメっていうやつと似てるんだけど、そっちはもっと九州とか西の方に行く鳥で、くちばしの色ももっと黒いから、じっと観察すれば違いは一目瞭然いちもくりょうぜんさ」

 と、自慢げに説明する新川。


「そんな細かな違いで、よく見分けがつくね」

 と、ずいぶん年上の男を褒めるアラン。彼との壁は無くなってきたようだ。


「まぁね。僕は、間違い探しが得意なんだ」


「へぇ。鳥なんか、僕には全部同じように見えちゃうよ」


「普通はそうだと思う。まぁ、こんな知識、あっても役に立ったことはないんだけどね」

 と、新川はそっとユリカモメに近づくが、ユリカモメの方はお断りだったらしく、西の方へ羽ばたいて、逃げ去ってしまった。


 新川は、愛想笑いをして、お茶を濁す。

 

「あ、話は戻るけど、赤くなっている雨雲は、一応面積も出してるよ。これで、海の上のどこに、どれくらいの大きさの雨雲がかかったのかわかるでしょ?」

 と、アランは気まずい空気にメスを入れる。


「はぁ……面積も自分で出したんだ?」

 と、新川はため息をつく。


「うん、微分とか使って。重心が出せるなら面積だって別に……」


「だーかーら! そんな一言でサラッと言えるほど簡単な計算じゃ……。いや、疲れるからこれ以上はやめておこう。やはり君は古野電気に来るべき逸材いつざいだ、僕の審美眼しんびがんに狂いはなかった……」

 と、なぜかしょぼくれて、砂の上にしゃがみ込む新川。恐らく、突然の若き強者の出現に、腰を抜かし、プライドも傷ついたのだろう。


「この日以外のデータも見る? 同じような現象が起こってるんだ。あ、先週は僕、家族でヨーロッパ旅行に行ってて、先週のはあまり分析できてないから、今ついでに見てもいいし……」

 と、アランは容赦ようしゃなく追撃を図る。


「いや、大丈夫、僕は君の推察を支持するよ。その現象の異常性は一目瞭然だ。これは、明らかに単なるゲリラ豪雨なんかじゃない」


「やっぱりおじさんもそう思うよね! で、その真相が、今日のドローンの自動操縦で、映像に収められてるかもしれないってわけ」


「なるほどなぁ。よくそこまでしようと思ったね。本当に君、高校生かい?」


 アランは、さっき名刺交換の時に見せつけた金塊と同じものを、複数個、チャラチャラと真上に投げてはキャッチし、遊んでいる。

 

「そうか、最近の高校生はコンピュータ並みの複雑な計算もできるし、金塊も所持しているのか、手堅いな。僕も金の先物さきもの取引でも始めようかな……」


 新川は、妙な解釈を用いて高校生に感化される、変な男である。


「ドローンからの映像、うちで一緒に見る?」


 アランは、案外新川になついているようだ。


「えーっと、お邪魔する側が言うのもなんだけど、流石にいきなりはちょっとなぁ。警戒されちゃうだろうし。それに僕も仕事があるから。間瀬まぜ漁港で機材の点検と整備が終わったら、次はすぐ能登半島の和倉わくら温泉のあたりに用があるんだ」


「へぇ、石川県に用事ね。おじさん忙しいんだね」


「もちろん! これでも古野電気のエンジニアの代表だからね」


「あ、そういえばそうだったね」

 

「でも、どうしてもと言うなら、何らかの形で協力してあげないこともない……いや、正直に言おう。もとい、僕は個人的に、その謎がとっても気になる!」


「おじさん変だね。お父さんみたい」


「ははは! けなしたつもりかもしれないが、それは光栄なことだよ、アランくん! この日本海に、何かとんでもない謎があるなら、うちの製品と、僕の知見が役に立つかもしれないから、さっき渡した名刺の連絡先に、いつでも連絡してくれ」


「うーん、ちゃんと言ってくれないと、連絡しないよ?」

 と、あごをクイっと上げ、腕組みしながら、高圧的に、だがにこやかに、ベテランエンジニアをにらみつけるアラン。


「わかったよ………………。えー、国前先生、心からのお願いなんですが、撮れたとおっしゃっていた、動画のデータも送ってくれたりする?」


「送ってくれ?」


「……どうか送ってくださいまし」

 と、新川は深々と頭を下げる。


「いいよ!」


 アランは、体の前に拳を突き出して待つ。


「おう、アランくん! 待ってるよ!」


 ふたりは強く、こぶしを突き合わせた。


「じゃあ、僕はそろそろ、間瀬漁港に向かうよ。仕事しないと」


「うん、おじさん、頑張って治してあげてね」


「もちろん! じゃあね!」


「はぁい。ばいばーい」


 

 

 ***


 


 アランは家に戻ると、母に捕まった。


「ねぇアラン、今朝父さんがいる時には言い忘れてたけど、母さん今朝、初夢を見たのよ。で、何が出てきたと思う?


「へぇ…………何見たの?」

 と、アランは玄関の靴を手を使わずに横着して脱ぐと、歩きスマホしながら返事する。

 

一富士いちふじ二鷹にたか三茄子さんなすびよ!」


 パトリシアは、もはや日本人と変わりない気質を持っているが、外見はイギリス人そのものなので、新鮮である。


「へぇ、よかったね」

 と、アランはパトリシアの話にあまり興味がない。

 

「そう、もわっと光る山と、天高く昇る何か。それと、でっぷりまるまるとした紺色こんいろのボールのようなもの。たぶんお茄子なすじゃないかしら。それがたーくさん!」


「で、数は合ってたの?」

 

 アランは、グサリと、さっき新川に異常現象の根拠を尋ねられた時のように、単刀直入に質問のナイフをパトリシアに突き刺す。


「ああ、それは、どうだったかしら…………忘れちゃったわ。でも、まぁるいお茄子はたくさんあったかもだわ」


「じゃあダメじゃん」


 もひとつグサリ。


「いやでもね! 聞いてアラン? それはそれは、神々こうごうしい山が……」


 と、パトリシアは少しまるっとした腕を豪快に使って、綺麗な二等辺三角形を、四回ほど描く。


「それに、本当に富士山なの? その動きだと、すごい角張ってるように見えるけど」

 

 さらにグサリ。


「あぁ……言われてみれば、富士の山マウント・フジでは、なかったように見えた、かも」

 と、自信の喪失そうしつが、言語の組み合わせの不安定に表れているパトリシア。


「じゃあダメだね」


 泣きっ面にはちのグサリ。

 

 少し冷たいが、アランに特に悪気はないだろう。


「なーんだ、ぬか喜びプレジャーだったわ」


 意気消沈いきしょうちんして、ただでさえ肉付きの良いパトリシアの背中は、まるっとする。


「だね、来年にうご期待」

 と、母親の前を逃げるように横切るアラン。


「それとね、アラン、その夢の中で『3749513727』っていうよくわからない数字が思い浮かんだのよ、何だかわか……」


「ごめん僕ちょっと、忙しいからまた後でね」

 と、アランは自室のドアを、バタンと音を立てて閉めた。


 そう、アランは、早くあの映像を見たくてたまらないのだ。


 デスクにつき、ドローンからリモコンに転送された映像と音声のデータを、さらにパソコンに移し替える。


 カチ、カチカチ、カチカチカチカチと、マウスの左クリックを、不用意に連打する。


 画面上の、某ドーナツショップの定番商品のような形をした、円が連なってさらに円を描くようなにくらしい記号は、ぐるぐると動き回ってアランを挑発する。


 待つこと数十秒。

 

 やっと動画が、再生された。


 海上約五十メートルからの高みの見物。


 波はそう激しくない。


 そう思った刹那せつな


 ボコボコと、沸騰ふっとうするかのような海水。


 そして。

 

 水面から。


 何かが細長いものが。


 にょきっと。


 その姿を表す。


 煙突みたいな。


 ネズミ色の。


 金属かい


 のように見えるが。


 大きさの比較対象が。


 ないので。


 それが何か。


 断定できない。


 否。


 違う。


 そうではない。


 断定したくないのだ。


 それが。


 あまりに。


 恐ろしいものだったから……。



 ***

 


 アランは、目をバキバキにさせながら、冷や汗を垂らして、何度も何度も、映像をループさせる。


 疑いようもなく、その煙突のような何かは、ロケットなのである。

 

 不気味なほどに、まっすぐと天を昇るロケット。


 が、突如としてバランスを崩して姿勢を傾ける。


 そしてそれは、ドローンの目線よりも高いところで、炸裂さくれつした。


 汚い太陽のような橙色だいだいいろと、廃墟の床の畳から出るような煙。


 わずかかに遅れて、耳をつんざく音。


 落ちていく屑鉄くずてつ


 飛散した破片が、ドローンのまなこを刺す。


 映像は、そこで終わっている。


 何度も再生するうちに、爆発音ではない、妙な音が鳴っているのに気づく。


 が、それが何なのか、アランにはわからない。


 アランは、疲れたのか、わざわざ電源プラグを抜いて、パソコンを切る。


 一旦全て忘れよう、何も見なかったことにしよう、そう叫んでいるようだった。


 アランは、気分転換に、スマホの電源をける。


 ホーム画面の天気アプリには、雨マークのアイコン。


 天が、彼の気晴きばらしをはばまんとしているのだ。

 

 気づけばやはり、あのことが気になって、雨雲レーダーのアイコンをタップする。


 今日の日本海海上の雨雲の変化を、最小単位の三十秒間隔で確認する。


 右に、左に、スライドバーを動かす。


 画面上の白い雨雲の塊が、毎度急な豪雨が発生する地点に差し掛かる。


 うに、いつもの地点を過ぎた。


 その代わり、数分おきにじわじわと、雨雲は、白、水色、青、緑、そして黄色まで変化した。


 真紅しんくに染まった雨雲は、今日は現れなかった。

 

 それが果たして何を意味するか、考えを巡らせる。


 しかし、アランの頭脳を持ってしても、これだ、という解答をすぐには得られなかった。



 ***



 この異常事態と対峙たいじしてから、何時間経ったことだろうか。


 アランは、この巨大過ぎる問題を、一人で抱えておく許容量は持ち合わせていない。


 誰かに報告するべきか、その誰かは警察なのか、海上保安庁なのか、連絡をくれとせがんできた新川か、父スバルか、はたまた最寄りの保護者であるパトリシアか。


 その誰か、を決める判断が、様々なものの将来を変えかねない、という危惧が、今、賢いアランの頭の中をみっちりと、占有していることだろう。


 彼は、何か名案を思いついたのか、パソコンの電源プラグを元に戻し、起動する。


 ウィンドウには、例の映像と音声データのファイル。


 アランは、キーボードをカタカタ打ち始める。


「watchthisrightnow.mp4」と「listentothisrightnow.mp3」という二つのファイルを作成し、メールに添付する。


 宛先には、「arubuseniguma」のみ。


 アランの父親、前国スバルは、電波学者、つまりは、「波」のプロである。


 電磁波ひかりも、音も、波の性質を持つ。


 ここは、その道のプロに送るという、至極しごく当然の方法を、アランは取ることにした。


 メールの中には、新川に会ったことも書かれている。


 アランは、何とか、この予想だにしなかった衝撃を、身近な強い味方に共有することに成功した。


 

 ***



 十六時頃。


「ねぇ、アラン、聞きたいことあるんだけど」

 と、アランの部屋にずけずけと入って来るパトリシア。


「なぁに?」

 と、アランは椅子に座り、振り向かずに生返事なまへんじする。


「今、この間の旅行の出費を集計してるんだけど、このレシート、値段と個数だけでしか書かれてないのよね。何のレシートだったか、さっぱりなの。お母さんじゃ思い出せそうにないんだけど、覚えてなぁい?」

 と、パトリシアは一枚のレシートを、チェキのフィルムを扱うがごとく、ヒラヒラさせている。


「いくらのやつ?」


 背は向けたまま、手が伸びる。


「これよ、はい」


 リレーのバトンをパスするようにして、レシートは受け渡される。


「お母さん、これ日本円じゃないか。三七四九五円と、一三七二七円。行きの手荷物が多すぎて、スーツケースを二つ買って、詰め直したでしょ」


「ああ、そうだったわ。すっかりヨーロッパのどこかの通貨だと思って、単位がなくてわからなかっ……」


 ザーザーという音。窓をしたたる水滴。


「やだわ、雨ね」


 窓の外の砂浜は、それなりの量の雨に降られ、無数のクレーターが出来上がっていく。


「あ! いけない、洗濯物干しっぱなしだわ!」


 慌ててペンを放り投げるパトリシア。


「僕も手伝うよ!」


「ありがとう、濡れて風邪ひかないように急ぎましょ」


 ふたりはベランダの方へ駆ける。


 洗濯物を素早く回収し、室内へ避難させた。


 

 ——そしてついに、ダイニングの壁掛け時計の針は、十六時十分を指した——


 

 低い地鳴り。


 揺れ。


 そこそこ強い揺れ。


 チク

 タク

 チク

 タク

 

 ふたりは、姿勢を低くし、近くの壁に張り付く。


 チク

 タク

 チク

 タク

 チク

 タク

 チク

 タク

 チク

 タク

 チク

 タク

 チク

 タク

 チク

 タク


 揺れはようやくおさまった。

 

 

「アラン、大丈夫? 怪我はない?」


「うん、お母さんは?」


「大丈夫よ」


「強い揺れだったね」


「はぁ……。母さん、心臓が止まるかと思ったわ」


「家も家具も無事そうで、本当に良かった。震源は、どこだろう? かなり近くかな」


 ピコン、と、スマホの画面に通知の表示。


「最大震度七。マグニチュード七・六。震源、能登半島の地下十六キロメートル」



 ***



 アランがスバルに送ったメールの返事は、送信所の仕事が忙しかったのか、しばらくこなかった。

 

 メール送信から一週間後、アランのスマホのベルが鳴った。


 アランは瞬時にポケットのスマホを取り出し、ワンコールで応答ボタンをプッシュする。


「おいアラン! これはとんでもなく胡散臭うさんくさいな」


「父さん、やっと連絡くれたね」


「ああ、遅くなってすまなかった。で、あの飛翔体の爆発……金の漂流と、電波不調も関係してそうだな」


「映像、見てくれたんだね。でも、爆発一回あるくらいで、こんなにずーっと異常が続くことってあるかな?」


「そうだな……ひょっとすると、あの辺に、他の何かが存在して、そこなのか、そこなのかはわからないが、飛翔体が度々たびたび発射されているのかもしれない」


「もし、あの飛翔体が撮れたあたりに、他にも何かあるなら、船とかが通って確認してそうだけどなぁ」


「まぁ、そうだが、海の中だとか、実は見えないだとか、あらゆる可能性が考えられるから……」


「そんなオカルトじみたこと、父さんが言うなんて、珍しいね」


「でもアラン、考えてみろ。電波の異常はまだしも、大量の黄金の漂流があって、今度は謎の飛翔体だぞ? そういう非科学的な可能性も捨て切れないじゃないか。いや、人間が未到達の科学があるだけかもしれないが」


「父さんがそう言うなら、そうかもしれないかぁ」


「そうだ、送ってくれた音声データに、謎のノイズがあったよな?」


「あったね。取るに足りない雑音だとは思ったけど、念の為ね、送ったんだ」


「実はだな、父さんは、そっちの方がむしろ気になるくらいなんだ」


「えーっと、どういうこと?」

 

「これは、かつてもとのアラン・チューリングと呼ばれた父さんの勘なんだがな、あれは……何かの信号の類な気がするんだ」


「どうしてそう思うの?」


「なぜかって、あのノイズが、妙に耳障りがいいリズムをきざんでいるような気がしたからさ」


「僕にはそんなふうに聞こえなかったなぁ。あ、もしかして、大人には聞こえなくて子供には聞こえるモスキートーンがあるように、その逆のがあるのかな? 例えば、低めの音だから……エレファントーン、とか?」


「ははは、それは面白いな。まぁとにかく、音の正体を探るために、送信所そうしんじょの設備をちょっくら拝借はいしゃくして、細かく調べてみようと思う」


「え、それって職権乱用ってやつじゃない?」


「いやいや、これはだな、山の中に缶詰にされている分の補填ほてんか、福利厚生か、何かとでも言ってやろうじゃないか。誰も文句言わんよ、父さんは職場の誰よりも、一生懸命に仕事してるんだからな」


「そっか、それはお疲れ様だね」

 

「そりゃどうも。あ、母さんには見てもらったのか?」


「いや、まだだけど」


「そうか。まぁ、何も考えずに母さんに言ってしまったら、またたく間に変な噂になって広まってしまうかもだからな」


「僕もそう思う」

 

「で、そっちは、二人とも元気か?」


「うん元気。父さんに心配されるようなことないよ。というか、そっちこそ心配だよ、送信所に引きこもり生活でしょ?」


「ああ、そうだが、地震もあったことだしな。また強い揺れがあるかもしれないし」


 家族を心配する、一家の大黒柱だいこくばしらスバル。


「そういえば、アランがメールにも書いてくれてたが、まさかまさか、あの新川が来たんだってな。父さんの元教え子の」


「そうそう。面白い人だね、ちょっと変だったけど。なんか、これから和倉温泉の方に向かう用事もあるから忙しいって言ってたけど、大丈夫かな」


「和倉温泉? あっちはもろに震源の近くだぞ、そもそも道がふさがっていて、通れないんじゃないか?」


「確かに、どうするんだろう」


「まぁ、彼は自分でなんとかするだろう、優秀な人間だからな」


「だね。あ、あと、母さんが妙な夢見たって、一富士二鷹三茄子みたいな」


「ああ、正月だからか? でも母さんは、『元』とは言えど生粋きっすいの英国貴族だぞ? 父さんでもそんな夢、正月に見たことないのに。外国のことで得意なのは言語だけにしておいてくれよなあ。そんな文化にまで適性があるなんて、ずるいぜ」


「本当言えてるよ」


「ちょっと待て、アラン。その一富士二鷹三茄子で思い出したことがある」


「何? まさか父さんまで仲良く同じ夢を見たとか」


「いや、そのまさかに、近いかもしれない」


「ちょっと、冗談ならやめてね?」


「いや、父さんは真剣だ。母さんは、具体的にはどんな夢だったと言っていた?」


「そっかごめん。えーっと確か、光る山が一つ……天高く昇るものも一つで……紺色のボールがたくさん、だったかな?」


「父さんにも、何か宝石のような、藍玉らんぎょくのようなものが見えたかもしれない。なんというか、美しくて、尊いものだったような……」


「藍玉? よくわからないけど」


「それに、天高く昇るもの……だろう?」


「あ、ひょっとして……。え、そういうこと?」


「……現段階で、断定的なことは、父さんの口からは、言えぬ!」


「そんなぁ。でもやっぱり何か、おかしいよね? 最近」


「ああ、おかしすぎる。目を背けがちだったが、確実にな。それと……」


「それと?」


「あの手帳に触れてから、ますますおかしくなってきたようにも思える」


 〈第六話につづく〉


***

 

令和六年能登半島地震によりお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族の皆様にお悔やみを申し上げます。

また、被災された全ての方々とそのご家族に心よりお見舞い申し上げます。

そして、皆様の安全と健康を強く願い、いち早い復旧・復興と明るい未来が来ることをお祈り申し上げます。

 

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