第14話『真珠の耳飾りの女性』

__二〇二四年一月二十二日月曜日、新潟県新潟市西蒲にしかん間瀬まぜ獅子ヶ鼻ししがはな__


 昼過ぎ。


 冷たい風が、獅子ヶ鼻に敷設されたテントをぼうぼうとあおっている。


 前国スバルは、急遽得た休みを利用して、新川とアランに敷設させた機器類の片付けをしている。


 隣には、作業に駆り出された、新川の姿もあった。


「「せーのっ!」」

 と、息の合った掛け声。


 スバルと新川は、獅子ヶ鼻の灯台前の浅瀬で、用済みになった送受派装置を引き揚げている最中だ。


「ふぅ……全く、こんな重いもの運んだら、腰が砕けてしまうわ!」

 と、スバルは腰を両手でさすりがら、大樽のような金属塊に文句を言う。


「先生の指示で組み立てて、先生の指示で海に放り込んだんですからね。僕がいなかったら誰が回収してたんでしょうね」

 と、小生意気な弟子の新川。


「うるさい! どうせ今は毎晩間瀬まぜ漁港の漁師さんらと飲み会だろう? 黙って手伝ってくれればいんだ」


「あはは、間違いじゃないですけど、それも、営業的な意味合いがあるので、半分仕事みたいなもんですよ」


「嘘つけ! 酔っ払いながらする仕事があるか!」


「でも先生も、テストの監督をしてる時は居眠りしてましたよ?」


「くっ……ならおあいこだ!」


「はいはい、そうですね。じゃあ休憩終わりです! 先生の部屋まで運びますよ」


「くーっ! スパルタな教え子だこと! わかったわかった」


「「せーのっせっ!」」


 広大な水平線を背景に、かつての師匠と弟子の共同作業。


 二人の阿吽の呼吸により、片付けは着々と進む。

 


***

 


 スバルと新川は、送受波装置の片付けを終え、前国家のダイニングで一休みしている。


「ねえ、スバル。あなたの部屋に、フェルメールの贋作がんさく、あるわよね」

 と、パトリシアは、スバルに話しかける。


「えっ? あっ、そそそ……それはだな、何もあの絵の少女がパトリシアに似て……」

 と、疲れているところに意外な質問を食らい、狼狽ろうばいするスバル。


「うふふ、何をそんなに慌てちゃって。『真珠の耳飾りの少女』、ダイニングの壁にがざりましょう? アランが開けた画鋲の穴を隠すのに使えそうよ」

 と、パトリシアは、まんざらでもなさそうな笑顔で、そう提案した。


 新川も、隣でニヤニヤしている。


「あぁ、そうだな、えーっと……」

 

 あまり頭が働いていないのか、考えあぐねるスバル。


 パトリシアが、いつもの青いエプロンを外し、雑巾絞りの要領でそれをネジネジする。


「えーっと……何してるんだ?」


 パトリシアは、ねじり鉢巻のようになった青いエプロンを、頭に巻いてみせた。


 頭のてっぺんからは、長い金髪が背中に垂れる。


「ほら見て、どうかしら?」


 パトリシアは、画鋲の穴が隠れるように、壁に肉付きの良い右腕をそわせて横向きに立つ。


 そして首を九十度左に回し、スバルを横目で見つめた。


 新川は、無言で、両手で拳を握り親指を立てて、パトリシアに高評価を伝える。


「い、良いんじゃないか? 今すぐ絵を移動させよう」

 

 スバルは、恥ずかしいのを誤魔化すかのように、小走りで『真珠の耳飾りの少女』の贋作を自室に取りに行った。


 パトリシアは、思わずこぼれる笑みを、手で口元をおおって隠す。


「あはははは! いやぁ、大学の恩師が奥さんにタジタジしてるところを見るのは非常に面白い! あはははは、あぁ、腹がよじれそうだ」

 と、新川は笑いが止まらない。


「あらあら、調子がいいこと。そういう新川さんも、早く誰か素敵な人と一緒になって、落ち着けばいいのに」

 と、パトリシアは、笑みを喜びのそれから邪悪なそれに変えて、新川の痛いところをつく。


「ちょっとパトリシアさん、そのカードはずるいですよ! それに、そんな女性がいれば、とっくに結婚してます」

 一転して、弱々しく防御側にまわる新川。


「へぇ、そうなの? にしても男の人って、おじさんになっても、案外可愛いものよねぇ……」



***

 


 絵を持って戻ってきたスバルが、ダイニングの壁に釘を打ちつけ、『真珠の耳飾りの少女』の贋作を設置する。


 青いねじり鉢巻きをしたままのパトリシアは、横に立って作業を見守る。


「よし、これでいいんじゃないか? 新川、そっちの椅子から見て傾いてないか?」


 スバルは、妻の写し鏡のようなその絵の配置に、細心の注意を払っているようだ。


「はい、バッチリですよ、完璧です。じゃあ、無事絵の設置も見届けたことですし、僕はこの辺で。先生、奥様と休暇をお楽しみくだ……」



〈コン、コン、コン〉


 と、上品なノックが三回。



「あら、最近この家にはアポなしの訪問が多いわねぇ。電波のセールスマンの方の次は、どなたかしら?」


 パトリシアは、立て続けの異邦人の訪問に警戒しながら、玄関に移動する。


「Who's there?」

 と、ドア越しに、筋金入りの容認発音クイーンズ・イングリッシュで撃退しようとするパトリシア。


「あ、イギリスの方ですか? それもロンドンあたりの、由緒正しき英語……」


 質問通りに名乗りはしない。


 が、鋭い指摘。

 

 声の持ち主は、女性のよう。


「あなた、よくわかったわねぇ。出てあげる気になったわ」


 一気に警戒心を解いたパトリシアが、ドアスコープから来訪者の姿を確認する。


 上下は白い制服、頭はブロンドのミディアムヘアが青いカチューシャで飾られ、黒めの肌をしていて、整った目鼻立ちが印象的な、異国情緒あふれる雰囲気の壮年女性。


「誰だ?」

 と、スバル。


「知らない人よ」


 パトリシアは、ダイニングの壁にかけたばかりのフェルメールの贋作をチラリと確認すると、訪問者の名前も聞かずに、そっとドアを開いた。


「こんにちはどちら様かしら……」


「あ、こんにちは! 海上保安庁の、アザレス・雨寺あまてらです」


 元気な声と明るい笑顔。


 ドアの隙間から見える外国人と思しき女性の顔を、スバルと新川は、不思議そうに凝視している。


「はぁ、海上保安庁、の雨寺さん……? 私、存じ上げませんわ」

 と、応対してみたものの、困惑するパトリシア。


「あ、一応これを」


 アザレスは、身分証を提示した。


「第九管区、海上保安本部、海洋情報部、海洋調査課、課長……なんだか凄そうな肩書きね」


 パトリシアは、長い固有名詞を、噛まずにスラスラと読み上げた。


「ええ。あ、一応今は、上のものの不在で、第九管区海上保安本部の次長の代理をしてます」

 と、アザレス。


「……」

 返事に困るパトリシアは、ダイニングテーブルのところにいるスバルと新川に目線を送る。


「急にすみません、驚かれますよね。そこの間瀬漁港の漁師さんから、金の漂流の報告を受けたので、その確認と、聞き取り調査でやってきたんです」

 と、ようやく要件を伝えるアザレス。


「ああ、きんね、金。なぁんだ、そんなこと。あ、電波の障害もちらほらありますけど、それも関係してます?」


 パトリシアは、いくらか安心した様子。


「あ、それは知りませんでした。電波障害も有り、と。教えてくださってありがとうございます」


 アザレスは、風変わりな紙にメモをとり、早速聞き取り調査とやらに勤しみ始める。


 そこで、スバルがようやく立ち上がり、玄関のパトリシアの横につく。


「えーっと、アクリルさんと言いましたっけ? 間瀬漁港の方面のほうがたくさん民家があるだろうに、わざわざこんな辺鄙な場所の家まで?」


 スバルの方は、まだ警戒態勢の様子。


「あ、アザレス・雨寺です。エジプト人の父と日本人の母から生まれました。で、近くに漁港があるんですね。あいにく私、方向音痴なもので、一番最初に見つけた民家がここだったので、ついピンポン押しちゃいました。それで、その金の漂流っていうのはいつ頃から……」


 アザレスが出自を明かした途端、真剣な面持ちに変わるパトリシア。


 パトリシアは、アザレスから、得体の知れない何かを、感じ取った。


「そう、それはご苦労。どうぞ中へ上がって?」

 と、パトリシアはアザレスの手を取り、家の中に引き入れる。


「おい、いいのか?」

 と、依然慎重な姿勢のスバル。


「いいの。ほら入って。寒かったでしょう」


 パトリシアは、アザレスをあたたかく迎え入れる。


 そして、次の瞬間。


 なぜか。


 二人は抱きしめ合った。


 まるで、久しぶりに会う竹馬の友のように、である。


 玄関で抱擁を交わす二人の異邦人。


 それをただ見ることしかできないスバルと新川は、仲良く目が点になり、口をポカンと開けている。

 

 パトリシアとアザレスの二人は、半分には妙な違和感を、もう半分にはこの上ない達成感を覚えながら、ダイニングに移動する。


「どうぞ、そちらにお掛けになって」

 

 パトリシアは、ダイニングの、いつもはアランが座っている椅子を引いて、アザレスに座るよう促す。


「これは、どうも」


 アザレスは、言われるがままに着席し、背筋をピンと張る。


 パトリシアも、その左隣に座る。


「「「「……」」」」


 しばしの気まずい沈黙。


 スバルと新川の座っている側から見えるのは、左から順に、パトリシア、壁に住み着いた真珠の耳飾りの少女、アザレス。


 頭部の青い輪、頭頂部から垂れる金色。


 瓜二つ、いや瓜三つの、珍しい光景。


「えっと……そういやパトリシア、いつまで青い鉢巻きをつけてるんだ?」

 と、スバル。


「本当だ。似合っていて、僕も気づきませんでしたよ」

 と、新川。


「あらやだ、恥ずかしいわ。もぉ、もっと早くいいなさいよ!」

 と、パトリシアはブーブーと文句を垂れながら、青い鉢巻きをエプロンに仕立て直し、再び肩から下げる。


「えっと、温かい飲み物でも入れるわね、紅茶でいいかしら」

 と、パトリシアは、お茶を濁すようにそう言って、立ち上がり、すぐ横のキッチンで紅茶の用意を始める。


「で、アカシアさん、だったかね? こちらとしても色々聞きたいことはあるが……」

 と、パトリシアからのパスを、どうにか繋げようとするスバル。


「あ、アザレス・雨寺あまてらです」

 と、冷静に訂正するアザレス。


「あぁ、そうだ、さん、海上保安庁の方らしいが、あなたはどういう立場でどういう仕事をされているのかな?」


 スバルは、念には念を入れて、尋問するようにしてアザレスの素性を探る。


「はい。アザレス・。肩書は、第九管区海上保安本部海洋情報部海洋調査課課長、兼第九管区海上保安本部次長代理。階級、三等海上保安監。船艇せんてい職員でなく、陸上職員です。海洋情報部海洋調査課では、日本国の領海や排他的経済数域等の海洋権益の確保を主に。私の担当は、延長大陸棚です」

 

 アザレスは、そう、早口言葉のように、スラスラと言い放った。


 圧倒される、他三人。


 アザレスのまとう、白く眩しい制服は、近くでよく見ると、かなりの細部までこだわった代物だった。紺色生地に黄色の縦縞三本と星一つの肩章けんしょうに、同じく紺色生地の真ん中に星があり左右にそれぞれ橙色の縦縞三本が入った胸章、そして、そで章にはこれまた紺色生地に山吹色の横縞三本の上に星が浮かぶ。


「海上保安庁の方って帽子を被っているイメージがありますけど……」

 と、新川はアザレスの青いカチューシャをジロジロ見ながら、スバルに援護射撃を添える。


「これは着崩しというか……ファッションです。昔からこれは外せないんです」

 と、アザレスはさも当然のことのように言い、にっこり笑顔である。


「勤めてから、だいぶ長くなるのか?」

 と、スバルも再度、すかさず攻撃を仕掛ける。


「はい。二〇一〇年四月一日に入庁して以来、ずっと海上保安庁に勤めています。これまで、北陸、東北、九州南部、北海道、北陸、と各地の管区を転々としてきました。北陸には、去年の四月に戻ってきました」


「「……」」


 あっさりと攻撃を打ち返されてばかりのスバルと新川は、何も返すことができない。


 アザレスの言葉には、嘘偽りない様子。


「えーっと、警察の取り調べみたいなことはやめて、お茶にしましょ、お茶。今日のはティーよ」

 と、ティーポット、ティーカップとソーサーを載せた盆を持ったパトリシアが、キリリと張り詰めた緊張をほぐす。


 四つの席に、カップがセットされていく。


 そして、パトリシアの持つ白地に青い模様のボーンチャイナのポットから、各人のカップに、飴色のセイロンティーが注がれる。


「お砂糖とミルクは、お好みでどうぞ」

 

 パトリシアの手で、テーブルの中心に、角砂糖の入った青い小瓶と、湯気立つミルクの入った陶製のポットが置かれる。


 四人は静かに、自分好みの紅茶を調合する。


 そして、一斉に、すする。


「で、海上保安庁では……」


 スバルがしつこく職務質問を仕掛けようとしたところに。


「ちょっとスバル」


 パトリシアが待ったをかける。


「雨寺さんも、聞きたいことがあっていらしたんだから、質問攻めはやめましょう」

 と、パトリシアは正論を振りかざす。


「わかった」

 と、スバルはアツアツのセイロンティーを静かに飲み干した。


「ご協力ありがとうございます。で、金の漂流の件なのですが、最初に海で金を見かけたのは、いつ頃でしょうか?」

 

 アザレスは、黄味がかった、手のひらサイズの小さな紙の束と、鉛筆を取り出してメモの準備をする。


「アラン……息子が、ちょうどお正月か大晦日だったわね、海で拾ったって言って、見せてくれたのよ。それも、純金ジェニュイン・ゴールドよ」


「そうだったんですね。息子さんは……」


 アザレスは、視線をパトリシアから新川に移し、まじまじと見つめる。


 それに気づいた新川はすぐさま、全力のパーをした両手を振って、あらぬ誤解を解こうとする。


「今は学校ですか?」


 と、アザレスは軌道修正に成功する。


「ええ。今高校生なの」


 パトリシアは、掛け時計を確認し、アランの迎えの時間を気にする。


「そうだ、僕も、アランくんから、金のインゴットをもらいましたよ。その日は元日でした」


 新川はおもむろに、ポケットから金の板を一枚取り出す。


「ほら、これです」

 と、新川は自慢げに見せびらかす。


 金の板に、ダイニングテーブルの真上に位置するライトからの光が反射して眩しい。


「何それ、新川さん、聞いてないわ」

 と、パトリシアは少し不満そうに訴える。


「あ、名刺交換で、自分には名刺がないからこれで、と言ってアラン君がくれたんです。ちなみに贈与税は……かかるのなら脱税しちゃってますね、はい。オフレコで頼みます……」

 と、正直に白状する新川。


「あら、そう。聞かなかったことにするわ」

 と、パトリシアは共犯になることを選ぶ。


「なるほど……息子さんは、人にプレゼントできるほどの量の金を見つけた、ということですね」


 アザレスは、メモを取りながら分析を進める。


「そうなの、あの子絶対、自分の部屋のどこかに、豪華絢爛なへそくりを隠し持ってるのよ。ちゃんとお小遣いも渡してるのに、将来は守銭奴しゅせんどにならないように祈るわ、まったく……」


 パトリシアがぶつぶつと垂れる小言に、誰も触れようとはしない。


 が、アザレスはその小言までしっかりと、紙に書き付ける。


「では、質問を変えましょう。息子さんが金の発見を報告するよりも前に、どなたか、金の漂流のことについてご存知でしたか?」


 アザレスは、パトリシアが話を脱線させそうなことを察知し、三人全員に対して質問を投げかけるが……


「ええ。金が流れてきたって噂自体は間瀬漁港の漁師さんから、それよりも少し前から聞いていましたけど……」


 やはりパトリシアが真っ先に回答し。


 左隣に座るアザレスのメモに顔を近づけて。


 許可無しにそれに触れ。


 指先で紙質を確かめる。


「ねぇ、この紙ってひょっとして……パピルスってやつ?」

 と、目の色を変えて尋ねるパトリシア。


「ええ、そうですが……」


 アザレスは、きょとん、としている。


「ちょっと待ってね!」


 パトリシアは、急に椅子の上に登る。


「おい、パトリシア、何をしてるんだ? 一応、客の前だぞ?」

 と、沈黙していたスバルが、今度はパトリシアをたしなめる側になる。


「いいからちょっと見てて。あれよ、あれ」


 椅子の上のパトリシアは、両手を天井めがけて伸ばす。


 そして、彼女の肩幅以上の直径がありそうな、シーリングライトの白いカバーを外す。


 小さな羽虫はむしの死骸がパラパラと舞う。


 パトリシアの肉厚の手は、器のようになったカバーの中から。


 例のあの手帳を取り出した。


「雨寺さんのその紙、これに似た材質よね。パピルス」


 パトリシアが、胸の辺りで、パピルスの手帳を掲げる。


「なんでそこに? 前は戸棚に置いてあっただろう?」

 と、スバル。


「泥棒に取られると良くないから」

 と、パトリシアは高所から返す。


「こんな辺鄙なところに泥棒が来るわけ……」

 

 スバルはそう言って、すぐに隣の新川とアイコンタクトを取ってから……


 師弟揃って、アザレスの方をチラリと見た。


 アザレスは二人の男の視線などには目もくれず、パトリシアの持つ手帳を見て、元々大きなその両目を、カッと開いている。


「そうですそうです! パピルスです!」


 アザレスは、立ち上がってそう叫ぶが、パトリシアとは、まだ椅子の高さ分の高低差がある。


「でも、肝心なのはその中身。ロゼッタストーンの双子石、雨寺さん知ってます?」

 と、パトリシアはようやく椅子から降り、アザレスと目線の高さを合わせる。


「ああ、知ってますよ。先祖がロゼッタのあたりに住んでいたので、噂は聞いたことがあります」


「あら本当? 雨寺さんは、双子石の存在、信じます?」


「どうでしょう、間違いなく面白い話ではありますし、どちらかといえば信じたいですね」


「それなら、そんな雨寺さんがすっかり百パーセント信じ切るように、私が助言してあげましょう。あ、イギリス人の私がエジプトの方に古代の遺物の話をするのもなんですが……」


「いえ、とんでもないです。そんなのは過ぎた話ですから、対等にお話しましょう。で、どんなお話です?」


「実は、先日夫のスバルと息子のアランが協力して、海の彼方から傍受した、妙な暗号を解読してたんです」


「あ、ちょっと? 僕も一役買いましたよ? お忘れなきよう……」


 新川が自分の手柄をアピールするが……


「「静かに!!」」


 新川は意気投合し、興奮気味な異邦人コンビに、一蹴されてしまう。


「で、暗号ですよね? どんな暗号ですか?」


「あの紙、まだあったかしら? スバル、取ってきてくれる?」


「わかった」

 と、スバルは、もはや男二人ではそのかしましさを制するとこはできぬと悟り、自室へそそくさと向かう。


「あ、特別に、新川さんにも見せてあげるわよ? この手帳」


「あ、いいですか? ではちょっと拝借……」


——スバルが戻るの間、新川はパピルスの手帳に触らせてもらう——


 スバルが、怪文書の束を持って、光の速さで帰って来る。


「はい、ご苦労様」

 

 パトリシアは新川とスバルの両方から紙を奪って。


「これこれ。エジプトの方なら、多分わかるわよね?」


 全てをアザレスに譲渡する。


「ヒエログリフ、デモティック、ギリシャ文字、まるでロゼッタストーンですね。妙な改行の仕方をしているし……」


 興味津々で、怪文書に次々と目を通すアザレス。


「で、ここに丸をつけてあるのが、『瑠璃色』って意味のところよ。文章から推察するに、瑠璃、イコール、ラピスラズリ。ラピスラズリ、イコール、ロゼッタストーンの双子石、になると私は読んだんだけど……」


「ふむふむ、なるほど……面白い考察です」


「雨寺さんは、どう思います? 妥当な推測に思います?」


 アザレスは、しばらく考え込み。


「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないです、としか、今は言えません」


 曖昧な返事をした。


「まぁ、そうよね。あーもう! このところ謎が多すぎるのよ! 雨と雪も少ない気がするし、電波の不調もあるし、金は流れてくるわで、もう、ひっちゃかめっちゃかよ」


 パトリシアのお喋りは、しばらく続く。 



***



__小一時間のち__


 四人の話は思いの外はずみ、今度は新川とアザレスが騒ぎの中心になっていた。


「アザレスさん、『超人ハルクは、普段は頭脳明晰な電波物理学者なのに、変身するとたちまちパワーお化けになるところにギャップ萌えだ』、その点は大いに理解できます。だがしかし、あのままハルク役には、エドワード・ノートンが続投するべきだったんです!」


「いやいや元気もときさん、絶対にマーク・ラファロです。この間の金獅子賞を取った映画の演技も良かったですし」


「金獅子賞は今は関係ないでしょう? 今は誰が『ハルク』に相応しいかの議論です! 論点をずらしちゃあいけませんよ」


「好きなものを語るのに、細かい論理なんてどうだっていいでしょう? 元気さんは、堅苦しすぎるんです!」


 ダイニングの椅子は無秩序に配置され、立ち歩きながら言い合いをする新川とアザレス。


「あらあら、若いわねぇ。二人は仲が良いこと」

 と、パトリシアは、二人を温かく見守りつつも、からかう。


「「良くないですっ!!」」


 同時の返事。


「にしても、こんなにここの家が賑やかになったのは、初めてだなぁ」

 と、隅に追いやられたスバルは、せっかくの休みにも関わらず、声に覇気がない。


「そうね。だって、五人もいるもの。あ、狭いから早く帰れって意味じゃないわよ? むしろもっとお話したいわ」


 パトリシアは、まだまだ喋り足りない様子。


「五人? 四人だが……」

 と、スバルが訂正する。


「あぁ、うっかりアランを頭数に入れてたわ……」


 パトリシアはそう言って、壁掛け時計を確認する。


「っていっけない! もう十五時! そろそろアランを迎えに行かないと!」


 パトリシアは、一目散に玄関を飛び出ていく。


「じゃあ元気さん、今度一緒に『インクレディブル・ハルク』と『アベンジャーズ』を続けて見ましょう? どっちが真のハルクか改めて確認です!」


 アザレスは、パトリシアの外出に一切気づかず、新川に挑戦状を叩きつける。


「いいでしょうアザレスさん。望むところです! なんならこのすぐ後でもいいですよ? 前国先生、お宅のテレビ、魔法のスティックが接続されているようですけど、お借りしてもいいですか?」

 と、新川は、酷く強い口調で、スバルに問いかける。

 

「もう勝手にしてくれ……」


 お手上げ状態のスバル。


「その魔法のスティックとやらで、目当ての作品は見れるんでしょうね?」


 アザレスまで、なぜかスバルにきつく当たる。


「はぁ……なんちゃらプラス、に入ってるから、見れるよ」


 スバルは、ボソリ、とそう残すと、自室に避難する。


「「それはどうも!!」」


 混沌、である。



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__約三十分後__


 パトリシアの愛車、アストンマーチンの車内にて。


 パトリシアは、自宅と新潟県立まき高等学校の三十分弱の復路で、当然家を訪ねてきたアザレス・雨寺のことを、アランに話している。


「……で、嬉しくなって、ロゼッタストーンの双子石のこととか、ついたくさん話し込んじゃったのよ」


「へぇ。あ、ひょっとして、その海上保安庁の女の人、金髪だった?」


「ええ、そうよ? …………え! どうしてわかったの?」


「いや、別にぃ」


「別にとは何よ」


「で、青い球がついたペンダントをしていた?」


「いいえ。かっちりとした制服だったから、首周りにはアクセサリーはつけてなかったわ」


「そっか……」


 アランは、去年の夏、獅子ヶ鼻の灯台前で会った、黒ずくめの女性を思い出した。


〈第十五話『黒い影』に続く〉

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