第27話『或る手記③モロッコの青い町』

【編者のことば】

 ここから原文の言語は、ヒエログリフではなく、ヌミディア語となっております。


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 紀元前一八四年某日——(注1)


 私は、ケープの中に、に包まれた赤子を隠し、ただがむしゃらに、呪われしエジプトから、この子を少しでも遠くへと、離してやらねばならないと思って、西を目指した。


 そうしてやっと、ここ、モロッコはカサブランカの港に降り立った。


 双子の兄妹、ジアス、ソテイラの真実を、あの産婆さんば漏洩ろうえいしてしまわないか、少々心配である。


 銀貨は、三〇枚で足りただろうか。


 いずれにせよ、私はきさきの望み通り、この子を平和の中で育て上げると誓おう。——(注2)


 私は、ふと、妃から預かった耳飾りのことを思い出し、それをふところから取り出して、まだ体に傷の一つもない赤子の両耳に、つけてやった。



【注記】


(注1)時系列の把握の一助となるよう「紀元前一八四年某日」を付け加えた。

(注2)「妃」とは、クレオパトラ一世のことである。また、「この子」とは、ジアスのことである。



 加筆にあたっては、言語学者パトリシア・バイロンが監修を務めた。



 第二十一代バイロン男爵(女男爵) パトリシア

 二〇二四年 六月九日 更新


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 印刷された紙のページが一枚、めくられる。



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 紀元前一七八年某日——(注1)


 シャウエンに落ち着いて、本当に良かったと思う。


 町は、私のせいなのか、日に日に青さを増している。


 青。


 それは王の子の暮らす町に相応しい、高貴な色である。——(注2)


 アフガニスタンのバダクシャン州の宝石商との伝手つてが、大いに役立っている。——(注3)


 ラピスラズリの青い顔料は……法外に高いが、必要な出費だ。


 家の外壁を青く塗ったのは、正解だった。


 ジアスも、弟のソルベイも、とても喜んでいる。


 ご近所が次々と、我が家の真似をして家を青く塗るものだから、今では町の半分ほどが、青に染まっている。



【注記】


(注1)時系列の把握の一助となるよう「紀元前一七八年某日」を付け加えた。

(注2)「王の子」とは、ジアスのことである。

(注3)「アフガニスタンのバダクシャン州」を表す語として、原文では「北東の大陸方面」に値するものが使われている。



 翻訳・加筆にあたっては、言語学者パトリシア・バイロンが監修を務めた。



 第二十一代バイロン男爵(女男爵) パトリシア

 二〇二四年 六月九日 更新


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「ここ、本当はもうちょっと、脚色が欲しいところだけど……」


 パトリシアは、頭の中で想像を膨らませる。



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 デザトは、手記の前の方のページをパラパラめくる。


デザト「ロゼッタの双子石ふたごいし、懐かしい。結局双子石とは、なんだったんだ? 王(プトレマイオス五世エピファネス)はかたくなに教えてくださらなかったが……」

ソルベイ「おとうさん、なにみてるの?」


 デザトの次男であり実子のソルベイは、手記を指差している。


デザト「あっ、これは、東の方にある国の品で、パピルスというんだ」

ソルベイ「ひがしのくに! たのしそう!」

デザト「お前はきっと、そこに行くよ、将来」

ソルベイ「どうして?」

デザト「どうしてって……なんとなく、そう思っただけだ」


 そこにもう一人。

 長男ジアスだ。


ジアス「何してるのー?」


 デザトは、パピルスの手記をコソッと隠そうとする。


デザト「いや、何にもないよ」


 手記で使われている言語はヒエログリフであるため、二人の子には当然読めはしないのだが、そこには確かに、ジアスの出自について記されている。デザトは真実をジアスには伝えておらず、ジアスとソルベイは、自分たちは本当の兄弟である、と思っている。


ジアス「あ! お父さん何かかくした! ソルベイだけずるいぞ!」


 ジアスが、デザトの握る手記を、無理に引っ張る。

 ページの一枚が、ビリリっと、綺麗に千切れた。


デザト「あっ……」

ジアス「何これ? へんなの! 葉っぱ!?」

デザト「えっと、それはとても貴重な、パピルスという——」

ジアス「んー、あんまりきょうみないかも。ソルベイ、むこうので、おえかきしようぜ! ついでにも、おしえてやるよ!」


 ジアスとソルベイは、父親の前から、風のように走り去った。


 デザトは、

 ほっと胸をで下ろす。


 ジアスは、

 パピルスの手記のページの一枚を……


 ひらと、落とし捨てた。


 地に張り付いた、何も書かれていないパピルス。

 そこに、妙な、砂時計のような形をした大陸の地図が、現れた。


 その晩、デザトはなべして、破れたページを、手記の本体と引っ付けてやった。


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「うん、脚色賞間違いなし! 映画化できちゃうかも!?」



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 紀元前一六六年某日——(注1)


 ジアスはモロッコに残った。

 シャウエンの町は、そのほとんどがすっかり青く染まっている。

 この町には、緑は少なかった。

 だが少し前から、ジアスは町に、草木を植え始めた。

 今では、リフのいただきから、七割の青と、三割の緑が見下ろせるほどになった。——(注2)



 は、パピルスの手記を握りしめ、エジプトを訪れた。——(注3)

 父の過ごした世界を知ろうと、あちこちを見て回っている。

 王家の谷の神殿の壁に、こんな刻印があった。

   

 畏怖 聖櫃 慰労 翡翠 憂 冥府 

 血 遺留 白亜 瀬戸 熱風 仔猫 

 音 暗鬼 眠り 欠乏 返納 寝返り

 双 大麦酒 念 葛藤 

(尚、原文ではヒエログリフが使用されている)


 俺にはエジプトの文字は読めないので、丸写しするだけだ。

 


【注記】


(注1)時系列の把握の一助となるよう「紀元前一六六年某日」を付け加えた。

(注2)「リフ」とは、リフ山脈のことである。

(注3)「俺」とは、デザトの実子ソルベイのことである。つまりここからは、手記の持ち主が、デザトからソルベイへと代わったということである。



 翻訳・加筆にあたっては、言語学者パトリシア・バイロンが監修を務めた。



 第二十一代バイロン男爵(女男爵) パトリシア

 二〇二四年 六月九日 更新


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 二〇二四年六月九日日曜日……


「締め切りギリギリぃ! 間に合ったわ!」


 獅子ヶ鼻ししがはなに、女男爵の、叫びが響き渡った。


 パタン、とパソコンが閉じられる。

 パトリシアの目は、パソコンの画面からの電磁波ブルーライトで、充血している。


 壁にかかった『真珠の耳飾りの少女』の贋作がんさくは、どこか微笑んでいるように見えた。


〈第28話『未来の帝王たちへ』に続く〉

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