第2話『ロゼッタストーンの双子石(ふたごいし)』
__時は経て、二十一世紀__
ここは、新潟県新潟市
国道四百二号線、別名
間瀬漁港の漁師たちは日本海で、重い
「おいおい、また砂金がかかってるぞ?」
と、若い男性乗組員。
「ほぉ、またか……これじゃあ間瀬は、ゴールドラッシュだな、魚を獲るより、金を取った方が早いってことよ!」
と、船団長らしき男性。
「あはは! ですねぇ。全く、ここの海底で、一体何が起こってるんだか……」
「魚群探知機の調子もずっとおかしいんもんなぁ」
「はい。古野電気さんに、来てもらった方が、いいんじゃないですかねぇ?」
「ああ、そうだな。そうしよう、この後電話してみるわ」
「前に来たエンジニアの方、なんていう名前でしたっけ?」
「確か……古川だか
「あぁ、そうだ新川さんだ! おめぇ、古野電気さんの社名に引っ張られてやんの!」
「あはは、そうですね」
ここ間瀬漁港では、突如として、網に異常な量の砂金がかかるようになった。それに、魚群探知機、ソナー、通信機器の調子もおかしい。
***
ここは、
西に日本海、東に
高校生のアランが、ダイニングのテーブルにつき、足温器で暖をとる。
無地の
一番大きな椅子に座り、灰色の背景に英語が敷き詰められた新聞を読む、父スバル。
赤い題字が大きく書かれたその新聞は、月刊発行部数百二十万部を誇るイギリスの日刊タブロイド紙、『ザ・サン』(The Sun)。通称レッドトップスだ。
スバルは今、英語の勉強中だ。それも、イギリス英語、という部分に
なぜならスバルの妻パトリシアは、イギリス人。しかも元
食卓には、粗く割られた硬めのパンがバスケットに盛られており、パトリシアがトングで
側の窓から射してくる太陽の光が、パンの陰影を強調する。
光のやって来る方向は山側。
海とは逆側の弥彦山の背後に、ついさっき顔を出した朝日が、光の柱となって天高く登っている。
パンを三枚の皿に取り分けるパトリシアは、黄色のブラウスに、深い青色のエプロンをしている。
エプロンにはシミがあるし、かなり年季が入っているが、彼女の青い瞳に似合っている。
それからパトリシアは、陶器の容器を、両手を使って傾けて、アランのマグカップに温かい牛乳をゆっくりと注いでやる。
静かなダイニングに、牛乳を注ぐ音が響く。
牛乳を注ぐパトリシアの腕は、袖が
手の甲は、やや日焼けしているが、捲った腕の手首から肘にかけての肌は、兎の毛のように白い。
その白さは、彼女がかつて若かりし頃、女男爵としてエレガントな衣装を
これが、前国一家の朝である。
昨晩、ヨーロッパ旅行から帰国した彼らは、朝の冷え込みの中、朝食をとりながら談笑をし始めた。
「はぁ、今年は新潟大学の創立七十五周年だというのに、明日からは弥彦山の送信所に引き
と、ぼそっと愚痴をこぼすスバル。
実は、新潟大学工学部工学科電子情報通信プログラムの教授で、副学長であるスバルは、電波工学のスペシャリストとして、総務省の下部組織である、
「総務省からの直々の要請なんでしょう? それなら仕方ないし、名誉なことじゃないの」
「おまけに電波の調子も悪い。これから電波の利用状況の調査をするってのに、この調子じゃあなぁ。残業が酷そうだ」
と、やはりアランは、
「残業は大学教授の得意分野でしょう? 二十四時間研究に明け暮れてるような人が、たくさんいるじゃないの、あなたみたいに」
「俺は休むぞ、メリハリをつけてな!」
「へぇ、そうかしら。ならたまには休みも取れて、この
「いやぁ、その質問には断定的な回答ができなくてだな……」
「ほら、やっぱりそういうことじゃない」
「まぁ。それはすまないと思ってるよ。そう言えば、
「妙な噂? なになに? 聞きたいわ」
「これはまだ、
スバルは、パトリシアの耳元で、何やら
「えっ! 網に大量の
驚きのあまり、つい、美しい発音のブリティッシュ・イングリッシュが漏れるパトリシア。
「おいお前、アランに聞こえるじゃないか!」
「お前とは何よ、謝って」
「す、すまない、パトリシア……」
「そう、それでいいの。にしても、砂金が取れるなんて、おかしいわね。ってあれ? アランはどうして驚かないわけ?
スマホをいじっている、アラン。
「だって僕、知ってるよ。毎日砂浜からドローンを飛ばしてたら、金色の石が流れてきたもん。あれ、金だったんだね。まぁ、僕はスマホの電波のほうがよっぽど気がかりだけど」
と、アランは
「これ、金じゃないの! どこで取れたのよ、母さんにも教えな……」
パトリシアはつい、元女男爵の血が騒ぐ。
「だから、そこの、
と、ブレないアラン。
「そ、そうだったわね。でも、その金はあれよ、底引き網漁で取ったんでしょう?
「どうして? 何か都合が悪いのか?」
「時は、かのイングランド王エドワード三世の治世に
「それこそどうして?」
「スバル、そのゴシップとスキャンダルにまみれた日刊紙を閉じなさい。本当の教養ってやつを教えてあげる」
「はい」
と、背筋をピンと張り、新聞を閉じるスバル。
「底引き網漁をすると、海底の有機物の
と、パトリシアは、非日本語ネイティブとは思えない、
「ねぇねぇそれよりさ、大英博物館、すごかったね。ロゼッタストーンなんかは特に。ロゼッタストーンは、
と、話をそらそうとするアラン。
「あ、知ってるわよねぇ? 実は父さんはね、あの博物館に
と、さすがの切り替えの速さで、息子の話に乗るパトリシア。
「そうなの? 父さん、一昨日は初めて来たようなそぶりだったじゃないか」
アランは、騙された、という表情。
「ち、違うって! ビートルズの聖地巡礼をしに、リヴァプールのウールトンに行くために、ちょっくらロンドンで観光がてら……」
スバルは反論する。
「あら、ロンドンからウールトンまでは、鉄道で三時間もかかるわよ? 私みたいに旅行慣れしていないあなたが、そんなことするわけないじゃない」
「いいや、それだけビートルズへの愛が深いんだ、俺は」
「でも、父さんは、母さんの気を引くために、ビートルズを聴き始めたんじゃないの? 前に言ってたよね?」
「そうだったの? あらあら、三十一年越しの真実ね。この策士めっ!」
スバルを小突き、からかいながらも、嬉しそうなパトリシア。
「おいおい……それは言わない約束だろうよ。降参、降参だ」
参った、と手を挙げるスバル。
「父さん、母さんにベタ惚れだったんだね」
「うふふ、そうなのよ」
パトリシアの顔からは、思わず笑みが
「そういえば、母さんと父さんの馴れ初め、気になってたんだよね。この際、教えてよ!」
「いいわよ。ね、あなた?」
既に彼女の顔つきは、三十一年前に戻っている。
「まぁ……いいだろう」
パトリシアから視線を逸らすも、まんざらでもない様子のスバル。
「じゃあ、どこから話そうかしら……」
__今から三十一年前__
一九九三年、
スバルは、仕事でヨーロッパに滞在中だった。
その年の十一月にスイス・ジュネーヴで行われた、世界無線通信会議に、当時新潟大学工学部の准教授だった彼は、出席したのである。
そしてちょうどその頃、パトリシアは、海外旅行や異文化、異言語が好きなことから、ヨーロッパ中を飛び回っていた。
パトリシアは父バイロン卿の一人娘だったが、各地を自由に飛び回りたいがために、
なんでも小さい頃は、言語学者になるのが夢だったらしい。
「あ! そうそう、ロゼッタストーンの話に戻るけど、爵位を捨てる当日、私のお父さんから、バイロン男爵家は途絶えてもいいけど、これだけは受け継いで欲しいって渡されたものがあったのよ」
と、パトリシア。興味の対象が移ろいがちである。
「へぇ。その話と、ロゼッタストーンにどんな関係があるの?」
アランは、
「ちょっと待ってて、今持ってくるから」
と、パトリシアはダイニングの棚を漁り始めた。
「え、そんなところに、何か隠してたの?」
と、アラン。
「この方が他人に知れにくいでしょ……よっと! これこれ」
パトリシアは、箱の中から小さな手帳を取り出して、二人に見せた。
「何これ、ひょっとしてパピルス?」
「そうよ」
「へぇ。不思議な文字が書かれてるね。なんて書いてあるの?」
と、アランは目を輝かせて、手帳を見つめる。
「聞いて驚くわよ……『ロゼッタストーンには、対になる石、
その朝は結局、ロゼッタストーンの話題で持ち切りで、アランは二人の
〈第三話へ続く〉
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