第4話 馬先生の淹れてくれた烏龍茶

稽古が始まるまでの時間、馬先生に烏龍茶をご馳走していただく事になった。

「馬先生、すみません…妻が行方不明になってから私がエレナの送り迎えをしているのに、道場に挨拶に来れなくて。元来の自閉症で人見知りが激しくて、初対面の人に会う時は必ず妻に付き添ってもらってたんです」

と私は包み隠さず、自分の病気を馬先生に伝えた。

「初対面の私に勇気を持ってそこまで言ってくださってありがとうございます」

と馬先生は深々と頭を下げた。

なんて礼儀正しく温かい人なんだと私は思った。

「エレナちゃんから聞いていますよ、奥様が一年前から行方不明で本当にお辛いでしょうね」

「はい、もうどうしていいのやら」

としか答えられなかった。

馬先生の淹れてくれた烏龍茶は上品な渋みとコクが喉に潤いを与え、鼻に上がり芳醇な香りを醸し出す。

エレナは道場のバーに足をかけて柔軟体操をしている。

「お父様はどんなお仕事をなさってるんですか?」

とさりげなく馬先生が問いかけた。

「売れない小説家です」

「すごいですね、小説家って。私いつも思うんですよ、作家さんの頭の中ってどんな構造になってるんだろうなって。だってすごいじゃないですか、伏線をどんどん回収していく技法なんて。私には到底無理ですわ」

と馬先生はキラキラした瞳で私に言う。

「いやいや、私の小説は伏線なんてなくて、漫然と流れてる日常の羅列ですよ」

と言って照れ隠しで烏龍茶を飲んだ。

お仕事とエレナちゃんのお世話で大変でしょう…と馬先生は気をつかってくれる。

二杯目の烏龍茶を注ぎながら、「奥様はきっとどこかで元気にしてらっしゃいますよ」

とにっこり笑った。

「私もそう信じています」

と言うとなんだか少し心が軽くなった。

「エレナちゃんの稽古をご覧になったら、びっくりすると思いますよ」

「えっ、どうしてですか?」

「エレナちゃんの成⾧にです」

と言葉を交わしたあと、馬先生と二人で応接室の扉を開けて道場に入った。

一年前に比べて門下生が20人ぐらい、増えたそうだ。

熱心に門下生が体をほぐしていた。

「お父さん、しっかり見てあげてくださいね」

「はい」

と私は答えて道場の片隅のパイプ椅子に腰掛けた。

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