024. 祈癒の聖女の過去〜ネル〜

 ネルが前世の記憶を取り戻して数年経ったある日。立派な僧衣を着た神官が村を訪れた。

 ネルの噂を聞きつけて会いに来たのだ。

 彼は数人のお供を連れていたが、そのうちの一人が大きな怪我を負っていた。付近で魔獣に遭遇し、負傷したという。

 協会の偉い人を相手に緊張して俯きつつも、請われるままにお供の怪我を治した。

 神官は瞠目して認めた。これは本物だと。

 そして改めてネルの顔を真正面から眺めると、今度は愕然とした。

 改めて遣いを寄越すと言い残し、神官たちはそそくさと帰っていってしまった。


 一月後。今度は王都から立派な馬車が大勢の騎士を連れ立ってやってきた。

 お供の一人が来訪者の身分を告げると、見物に来ていた村中の大人たちが一斉に膝をついた。

 馬車から降りてきた人物を見て、幼いネルも察した。

 どうやら大事らしい、と。

 だって、その人物を見て母が泣いているのだから。

 きらびやかな服を着たその男はネルの前に屈み込み、顔を覗き込んでじっと見つめた。

 そしてネルの母親と話をした後、ネルだけ馬車に乗せられて、どこかへ連れて行かれた。


「お母さんは?」

「心配せずとも後から来る」


 馬車の向かいに座る男は、優しく微笑んでそう告げた。


 三日ほどかけて辿り着いたのは、王都の中央にあるお城だった。

 やっぱり、とネルは想った。

 イリーナの知識と従者たちの対応から何となく予想はしていた。

 男は『陛下』と呼ばれていた。つまり、王様だ。

 詳しい話はされず、その日は王宮内にある一室に寝かされた。

 夢のようだ、と想った。着替えも入浴も侍女が甲斐甲斐しく世話をしてくれて、美味しい食事が食べられる。天蓋付きのベッドなんて、イリーナであった頃でさえ使ったことがなかったから。


 翌日。ネルの母が王城に連れてこられた。

 ネル達母子には王城の敷地内にある小振りな家が与えられた。

 その日の夜。母は娘に真実を打ち明けた。


 その昔、母は王城内で侍女をしていた。たいそう美しかった母は王に見初められ、関係を持ってしまった。やがて王の子を身籠ってしまったことを悟った母は愕然とした。

 母は平民である身分から、国王の側室になることが難しい。しかしお腹の子が王の血を引いているのは間違いない。

 露見すればいずれ王宮内の派閥争いに巻き込まれるか、最悪、命を狙われる。

 怪しまれないように、侍女の仕事を辞め、王を含め誰にも行き先を告げずに王都を出た。

 故郷に戻った時にはすでに母の両親は亡くなっていたが、親類縁者が面倒を見てくれたので生活していけたらしい。

 

 王はネルの母となる女性が行方をくらましたあと、ずっと彼女のことが気がかりだった。

 だが、表立って行方を捜索する訳にはいかなかった。

 数年後。顔見知りの神官が王の謁見を願い出た。話を聞くと、【祈癒】の聖女が出現したという。そしてその少女の瞳の色は紫だったとも。

 紫の瞳は王家の血筋に現れるのだ。

 使者を出すという側近の意見を跳ね除け、信用のおける騎士団を従え、王自らが出向いた。

 自分で確認したかったし、もしその子供が自分の血を引く子だったとすれば、その存在が邪魔だと考えるものがいるだろう。それはとても危険だ。


 果たしてその娘は間違いなく王の血を引いていると感じた。王の面影がある。

 何よりその子の母は、昔愛し合った女性なのだから。

 王も人の子であり、親である。

 知ったからには自分が保護したくなるのが人情だろう。


 そして現在に至る。

 それから王は、ネルを可愛がった。

 王には王女と王子が二人ずついるが、誰も王には懐かなかったからだ。王自身、親である先王に対してはそうだったし、王家の子弟とはそういうものだと諦めていた。

 唯一第二王女は打算から父に甘えてくることもあるが、少し我が儘に育ってしまって頭を悩ませている。

 その点ネルは素直で心優しく、母親譲りで美しく育つだろうという器量だ。

 聖女ともなればミラール教がその身柄を欲しがるだろう。

 現に、王家に遠慮してはいるが、本山への訪問を望むという要望が届いている。

 頑として断りたいところだが、ミラール教を敵に回すのはまずい。

 ひとまず「まだ幼いから」との理由をつけて訪問後すぐ王都に戻すという条件で本山への訪問を許した。


 ミラール教の本山の神殿を初めて訪れたネルは、静謐な空気の中に神への感謝と人々への愛を感じた。ネルは、自分の居場所はここだと悟ったのだ。

 王城へ戻ったネルは王に申し出た。教会で修行したいと。

 王は渋ったが、本人が望むのならと不承不承許可した。

 ただし、もう少し成長してからという条件付きで。


 十二歳になったネルは、修行のため本山での生活を始めた。

 その時、改めて誓った。

 何があっても人を傷つけず、人を癒やすことのみに生きようと。

 ネルは ”イリーナ” を封印した。


 それ以来、規則正しく清貧に、日々の礼拝と人々への奉仕を欠かさず行い、ネルは聖女見習いとして過ごしていた。

 その中で他の聖女とも出会った。

 フィールエル・スティンピア。【聖戦】の聖女。

 三歳ほど年上の彼女の第一印象は、物静かで理知的。それに、途轍もなく美しかった。

 最初はむっつりと黙っていたので怖い人かと思ったが、話してみると気さくなお姉さんという印象だった。

 こんな人が民兵を率いて魔族と戦っているとは信じられなかった。しかも自ら先陣を切って。

 そんなフィールエルが黒魔女に討たれたと聞き、とても悲しかった。

 他の聖女もどうやら襲われたらしいということで、ネルの巡礼は目立たぬよう少数精鋭の人員になった。


 ゼスト達との旅では、ネルは補助的な役割に徹した。たとえ、自分に戦う力が有ったとしても。

 もちろん、自分は誰も傷つけないという信念のためだ。

 しかし彼らが誰かを傷つけるのは看過していたし、仲間が傷ついても自分が治せば良いと、危機にあっても自ら手を汚すことはなかった。

 しかし、いまは忸怩たる思いだ。どんな綺麗事をいっても、それはただの独善でしか無かった。

 その証拠に、いま目の前で仲間に命の危険が迫っている。

 自分がエゴを捨て、積極的に戦っていれば結果は違っていたかも知れない。

 自分が命を差し出して事が収まるならばそうしよう。

 だがあの魔女と怪物は、おそらくそれでは止まらない。

 いま止めなければ。

 どんな手を使っても。

 ネルはもう一人の自分に呼びかけた。



 ―――お願い、イリーナ。救けて。

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