017. 聖女とは
ただでさえ時間に余裕が無かったうえに盗賊たちにかかずらっていたため、町への到着が遅れることを覚悟した一行は、関所を越えて町を急ぐことにした。
関所に近づいた時、ユーゴは気付いた。
「そういえば、通行するとき俺はどうするんだ? 通行手形なんてもってないぞ」
だいたいどこの世界に行っても、ある程度文明が発達した国同士の越境には、手形や証明書などが必要だ。もちろん身分や目的を明らかにするために。
むろん、急に一向に加わったユーゴに、そんなものが用意されている筈はなく、ユーゴの疑問は尤もなものだった。
韋駄天は使い切ってしまったので、最悪の場合は関所を飛び越えるかと考えていたユーゴに、ゼストではなくスウィンが告げる。
「心配ないわ。たぶん大丈夫よ」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「おいお前たち。ちょっと待て。この通門証には男が一人、女が三人とあるが、男が一人増えているな。どういうことだ?」
通門証を確認した門番が、一行に問い質した。
それに対してゼストがスポークスマンとして告げる。
「申し訳ない。実はボクたちは聖女巡礼の一行で、これから本山ミロンドへ聖女様をお連れする最中なのです」
「これが聖璽です」
ネルがそう言って首元から聖璽を引っ張り出した。それを見た門番の目がぎょっと剥かれた。
「貴女が、聖女様⁉︎」
その声に、周囲にいた他の番兵や旅人たちの視線がネルに集まり、その視線に耐えかねたようにネルは赤面して俯いてしまった。
「し、しかしいくらミラール教の聖女様と言っても、これは国の法で決まっておりまして……」
「彼は―――」
そう言ってスウィンはユーゴを見て、
「―――グリーニア家が聖女様の護衛として道中で雇った者です。彼の身許は国王陛下の名の元に当家が保証します。申し遅れました、私はスウィン・グリーニアと申します」
淑女らしくスカートの端を
「グリーニア? あの公爵家の⁉︎」
泡を食った様子でグリーニア家のものらしい紋章が刻まれたスウィンの槍と彼女の顔、そして通門証に印されている名前を交互に見た門番。
「畏まりました。では問題ありません。お通り下さい」
スウィンの予告通り、ユーゴは無事に出国できたのだった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
関所から少し歩いたところに目的の町を見つけた。
街の門が閉まりかけていたので慌てて駆け込み、空いている宿を探し、食事のできる酒場へ移動。注文した飲み物を全員が口にしたところでようやく一行は一息つけた。
「そういえば、スウィン。ひょっとしてお前ってお嬢?」
「お前って言わないで。ひょっとしなくてもお嬢様よ。
「スカートの中を除いていいならな」
バッとスカートの裾を両手で抑えるスウィン。
「最低。冗談に決まってるでしょう!」
「俺もお前みたいな子供に興味ないから安心してくれ」
「子供って、あんまり年齢は変わらないでしょう⁉︎」
はぁ、もういいわ、とスウィンはため息をついた。
「別に隠すつもりは無かったけれど、私はグリーニア家の次女よ」
「グリーニア家は古くから王国軍の要職を務める名家なんだ」
ゼストがスウィンの家柄について補足した。
「丁度いいから、改めて今回の旅のことをユーゴに説明したいと思う」
「私から説明するわ。本来、聖女であるネルさんの護衛は王国の騎士団の一つを任されている私のお兄様の役目だったの。でも、ちょうどその頃にこの国とは別の隣国、ガマスタ連邦国との戦争が始まる気配があったから、当然、お兄様達当家の男子たちは戦に備えなければならない。そこで私に白羽の矢が立ったのよ……って、ちょっとユーゴ、貴方聞いてるの?」
「聞いてる聞いてる……痛ぇっ⁉︎」
聞いてはいたが、ユーゴの眼は酒場の人妻風のグラマラスなウェイトレスを追っていた。しかしそんなユーゴに制裁を加えたのは、スウィンではなかった。
「何すんだよ、ネル。蹴ることはないだろ⁉︎ 戒律に忠実な聖女っていっても、そんな怒らなくてもいいじゃねぇか」
机の下でネルに蹴られた脛を擦りながら、ユーゴは愚痴った。偶然だろうが、かなり正確に弁慶の泣き所を直撃したのだ。
「別に怒っていません。さ、スウィンさん。続きを」
「え、ええ。それで、私だけでは心許無いからって、国王陛下が王国に滞在していたゼストさんを補佐に付けて下さったの。まぁ実際のところ、私がゼストさんにおんぶに抱っこなんだけど。ともかく、その時すでにゼストさんは英雄として数多の活躍をしていて、陛下から絶大な信頼を得ていたから納得よね。そこから、私とゼストさんとピアでネルさんを護衛しながら巡礼の旅を始めたの。ちなみにゼストさんにはまだたくさんの仲間の女性たちがいたのだけれど、殆どは私の実家でお留守番してもらっているわ」
スウィンは一旦話を切り、果実水を一口飲んだ。そのタイミングでユーゴが質問を挟む。
「なぁ。そもそも聖女とか巡礼とかってなんなんだ?」
「え、そこから? 世間知らずにも程があるわよ」
目を丸くしたスウィン。よほど意外だったようだ。
ユーゴが記憶喪失だったという嘘はすでにばらしているが、ばらすのが少々早すぎたのかもしれないと、ユーゴは悔やんだ。
「そこからはボクが説明しよう。どうやらユーゴは遠い地方の人のようだから、ミラール教には詳しくないようだ。ミラール教は主神ミラールを拝する教団で、いくつかの国で信仰されている。教主を頂点としてその下に教団幹部たち、そしてそれらを支える信徒たちのピラミッド構造になっている。だが、その階層の枠から外れた者たちがいる。それが聖女と呼ばれる女性たちだ」
「女性……たち?」
「そう。聖女は教義では五人存在するとされている。【聖戦】、【祈癒】、【神託】、【天恵】、【慈愛】。これらの奇跡を起こし、人々から崇拝される人たちだ。ネルは【祈癒】の聖女にあたる」
「祈癒ってなんだ? 奇跡って言ってたが、どういうことなんだ?」
「ユーゴさんはご存知ないようですので、神聖術のことから説明します。私たちミラール教徒は日々の信仰と祈りを欠かさず、祝詞を唱えることによって主の御力をお借りし、様々な現場を引き起こすことが出来ます」
そういえばゼストもネルもスウィンもなにか唱えていたなとユーゴは思い出した。
ピアは獣人だから神聖術が使えないと言っていたことも。
「その中で、どうやら私だけが生物の傷を治癒できる神聖術を使えるようです」
更にユーゴは今日、戦闘で負傷したスウィンをネルが神聖術で治療している場面を記憶の棚から引き出した。
「なるほどね。アレはネルだけのスペシャルだったのか。そりゃ確かに奇跡だな。話の腰を折って悪かった。続けてくれ」
ユーゴは麦酒をもう一杯注文した。温くて雑味が合って個性が強い。
ベルギーのランビックや南ドイツのヴァイツェンなどと同じような上面発酵なのかもしれない。どことなく癖になる味だった。
「えっと。あ、話を戻します。巡礼とは私のような聖女と呼ばれる者が、教主様の元から旅立ち、幾つもの巡礼地で試練を経て、その証を聖璽に刻んで再び教主様の元へ戻ることを言います」
「じゃあ他の四人の聖女は、全員その旅をし終わってるってことだな」
ユーゴが何気なく呟くと、ピアを除く三人は微妙に困った顔をした。
「どうした?」
「実は…他の四人の聖女は既に亡くなっています」
「そりゃ大変だ。病気か? それとも老衰か?」
ユーゴの疑問にゼストが答える。
「契約の魔女に殺されたのさ」
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