第15話

 土曜日の朝。

 自転車を駐輪場に停めた俺は、待ち合わせ場所である駅前の広場へ向かった。


「時間には、まだ余裕がある筈だが……」


 広場の中心に立つ時計を見て呟く。

 集合は午前十時の予定だが、俺は念のため二十分前の九時四十分に来ていた。時刻表通りに進む電車と違って俺は自転車だ。道路が工事で通行止めにされている場合などを考慮して、少し早めに待ち合わせ場所へ到着するよう計算していた。

 二十分くらいなら、適当に辺りを散歩して時間を潰せる……と思ったが、


「和花さん」


 広場には、既に待ち合わせている相手の姿があった。


「あ、悠弥君!」


 こちらに振り返った和花さんは、満面の笑みを浮かながら近づいてきた。


「あの……まだ二十分前なんですけど、来るの早くないですか?」


「私は先輩なんだから、先に来るのは当然だよ!」


「いや、逆だと思いますけど……」


 普通は後輩が気遣うものだ。

 困惑しながら、俺は改めて和花さんの姿を見る。和花さんの私服は白を基調とした清楚なものだった。純真無垢な性格だが、見た目はどちらかと言えば大人っぽい。学校では感じなかった、和花さんの大人らしい雰囲気に俺は思わず見惚れた。


「えっと、悠弥君。どうかした?」


「いえ、その……学校の制服とは違う印象がして、驚いたというか……」


 咄嗟に思ったことを口にしてしまった俺は、もう引き返せないことを悟る。

 不思議そうにする和花さんへ、正直な感想を告げた。


「……似合ってます」


 そう言うと、和花さんは嬉しそうに微笑んだ。


「え、えへへ。誰かと一緒に出かけるのは久しぶりだったから、ちょっと頑張ってお洒落してみたんだけど……そう言ってくれると嬉しいな」


 髪を弄りながら和花さんは言う。

 照れ隠しに髪を弄るのは、凛音と共通の癖らしい。


「ちなみに、今日は先輩として悠弥君をしっかり案内するために、大人っぽい感じを意識してみたんだけど……どうかな?」


「その……大人っぽいです。いいと思います」


「ふふふ、そうでしょ~。今日の予定は、お姉さんに任せてちょうだい!」


 態度は子供っぽい。が、本人が楽しそうならそれでいいか。


「そろそろ出発しようと思うんだけど、その前に……お姉さんから悠弥君に、プレゼントがあります!」


 和花さんが肩に掛けた鞄から、何かを取り出す。

 それは、小さなデジタルカメラだった。


「……カメラ、ですか?」


「うん。私のお古なんだけど、よかったら使ってちょうだい」


「でも俺、まだ入部しているわけでもないのに……」


「いいの、いいの。埃を被るくらいなら、誰かに譲りたいなってずっと思ってたから。悠弥君が受け取ってくれたら嬉しいな」


 微笑を浮かべて和花さんは言う。恐らく本心からの言葉だった。


「ありがとうございます。大切に使います」


 深々と礼をする。感謝と同時に――ちくりと、罪悪感が胸を刺した。

 俺は神事会の仕事で写真部の活動を見学しているのだ。ハナコさんの指示がなかったら、きっと和花さんと接することもなかっただろう。

 この仕事が終わったら、俺と和花さんの関係はどうなる?

 折角、譲ってもらったカメラだが……いつか返さなくちゃいけないかもしれない。


「今日は何処に行くんですか?」

 罪悪感を押し殺して、和花さんに尋ねる。

 すると和花さんはスマホを操作して、画面を俺に見せた。


「今日はね……ここ!」


 画面に映る店を見て、俺は首を傾げる。


「……鳥カフェ?」


 ◆


 猫カフェという言葉は聞いたことあるが、鳥カフェという言葉は初めて聞いた。

 犬、猫と同じように、小鳥もペットとして飼育されている例が多い。セキセイインコなどは特に有名で、ペットを飼ったことがない俺でも名前くらいは知っている。あまり考えたこともなかったが、確かに猫カフェがあるなら鳥カフェがあってもおかしくない。


「うわーっ!」


 和花さんは早速、別途料金を支払って触れ合いコーナーを訪れた。俺が知っているセキセイインコだけでなく、様々な種類の鳥が自由に動き回っている。

 和花さんの肩に橙色の小鳥が乗った。コガネメキシコインコと言うらしい。キーキーと甲高い鳴き声を発しながら、インコは和花さんの頬を嘴で突く。

 小さな身体なのに、随分と人懐っこい。

 和花さんは嬉しそうに、インコに餌をやっていた。


「可愛いね!」


 そうですね。


「可愛いねぇ!」


 和花さんの方が可愛いですよ――とは言えないので、心の中だけで抑えておく。


「タイハクオウムだって。……へー、こんな大きな鳥もいるんだね」


 店にはインコだけでなく、オウムやフクロウもいた。和花さんが気になっているタイハクオウムは、白い羽毛に黒色の嘴をした全長五十センチ弱の鳥であり、のんびりした動きで客の後を追っている。まるで人間の赤ちゃんだ。見ていると心が癒やされる。


「和花さんは鳥が好きなんですか?」


「うーん……動物は大体好きなんだけど、今日ここに来た理由はちょっと違うかな」


 タイハクオウムと握手しながら、和花さんは言った。


「実はね、学校の生徒会から依頼があったの」


「依頼?」


「捨てられた小鳥の里親を、学校で探しているらしいんだけど、中々いい人が見つからないみたいでね。だからまずは、生徒たちに鳥の魅力を知ってもらうために、写真部に鳥の可愛らしい写真を撮って欲しいって依頼してきたの」


「成る程……」


 どうやら適当な思いつきで鳥カフェを選んだわけではないらしい。


「こういうところに一人で来るのは怖かったから、悠弥君がいてくれて助かったよ。今日は一緒に来てくれてありがとう」


「そう言っていただけると、俺もついて来た甲斐があります」


「午前中はここで鳥を撮影して、午後はこの辺りを軽くお散歩しようと思ってるの。……悠弥君の家って門限はある?」


「いえ、今日は大丈夫です」


 妹の夕飯は作り置きしているので問題ない。


「じゃあ、今日はのんびり楽しもっか! この近くに大きな展望台があるんだけど、そこから見える景色がとても綺麗なんだって」


「いいですね。明るいうちに行きます?」


「うん! お昼ご飯を食べたら早速行ってみよっか!」


 予定はすんなりと決まった。

 いつの間にか、和花さんの掌の上には小さなインコが乗っている。

 インコは和花さんの掌の上で、仰向けに寝ていた。


「これ、ニギコロって言うんだって!」


「ニギコロ、ですか」


「握ったインコがコロンと仰向けになるから、ニギコロって言うらしいよ。インコに信頼されている証なんだって」


 その鳥はシロハラインコと言うらしい。文字通り、白い腹のインコだ。掌の上で仰向けに転がったインコは、小さな両足で和花さんの指を握り締めていた。


「可愛いですね。……写真、撮りましょうか」


「あ、うん。お願い」


 こうも楽しそうな和花さんを見ると、俺も何か撮影したい気持ちになってくる。

 しかし――。


「あっ」


 写真を撮ろうとすると、インコが素早く羽を動かし、俺の肩に飛んできた。


「えーっと……すみません」


「ふふ、悠弥君のことが気に入ったのかな」


「それなら嬉しいんですが……このままでは撮影できませんし、一度、和花さんの方に移動させましょう」


 肩に乗ったインコに手を伸ばし、和花さんの方へと移動させようとする。

 しかし、インコは俺の指先にかじりついて抵抗した。


「いたっ!?」


 インコは興奮してしまったのか、その後も俺の首をひたすらかみ続ける。


「いたたたっ!? く、首が!? 噛まれてるっ!?」


「だ、大丈夫? お姉さんに任せて! 今、私の腕に移動させるから!」


 暢気に「キュイ」と鳴くインコに、和花さんはゆっくりと手を伸ばした。

 インコは首の後ろ側に回ったらしい。そのため和花さんも、両手で俺の首を囲むように手を伸ばし――気がつけばその胸元が、目と鼻の先まで近づいていた。


「和花さん、あの……」


「も、もうちょっとだけ待ってね。そのまま、そっとしてくれたら……」


「いえ、その……体勢が」


「……体勢?」


 小首を傾げた和花さんは、そこで漸く状況を理解した。

 いつの間にか俺は、和花さんに抱き寄せられているような体勢になっていた。


「……あ」


 小さく声を漏らして、和花さんが俺と距離を取る。

 肩に乗っていたインコが、何処かへ飛んでいった。


「え、えっと、その、ごめんなさい。不注意だったね……」


「いえ……」


 気まずくなってしまった俺たちは互いに顔を逸らす。

 そんな俺たちの様子を見た店員は「あらあら」と人の悪い笑みを浮かべていた。


「こ、今度こそ撮ります!」


「そ、そうだね! お願いしよっかな!」


 インコの写真と……和花さんの写真を、それぞれ数枚ほど撮っておいた。


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