第25話

 学校を出て、すぐに凛音を探し始めた。

 ハナコさんは凛音の代わりに屋上へ向かい、歪みの修復にあたっている。その間に、俺は一刻も早く凛音を見つけ、ハナコさんのもとまで送り届けなければならない。

 しかし、一時間後。


「駄目だ……見つからない……っ」


 街中を自転車で走り回った俺は、ハンドルに腕を置いて体力の回復に努めた。

 我武者羅に捜しても見つからない。俺はスマホを取り出し、ハナコさんに発信した。


『用件は?』


 開口一番に、世間話を否定する問いかけが繰り出された。

 しかしこちらも世間話に興じるつもりで連絡したわけではないため、すぐに回答する。


「凛音の家を教えてください」


『……住所を送る。だが多分、家にはいないぞ。静真和花も縁解きを受けた直後は、あてもなくフラフラと彷徨っていた。家族という縁を絶たれた今の凛音に、帰る場所はない』


 そう言ってハナコさんは電話を切った。

 家にはいないかもしれないが、無謀に走り回るよりずっといい。

 ハナコさんからのメールを受信し、凛音の家の住所を確認する。幸い、凛音の家も学校から徒歩圏内にあった。これならすぐに辿り着く。

 三十分後。俺の前には、巨大な和風の屋敷が鎮座していた。


「これ……家、だよな?」


 そう言えば雅人が、凛音は育ちがいいと言っていた。

 木製の荘厳な門の横にはチャイムがあった。これを押せば、いいのだろうか……?

 恐る恐るチャイムを鳴らす。すると門が開いて、和服を纏った一人の女性が現れた。


「はい」


 黒い髪の、上品で見目麗しい女性だった。

 凛音の家族構成について俺はあまり知らないが、和花さん以外にも姉がいたのだろうか。家が大きいため親戚や従兄弟という線もある。

 インターホン越しにやり取りをすると思っていた俺は、唐突に現れたその女性に驚いた。


「どうかなさいましたか?」


「あ、いえ……直接、出るとは思っていなかったので」


「丁度、庭の手入れをしていましたから」


 女性は、上品に微笑む。


「主人に何か用でしょうか?」


「ええと、そういうわけではないんですが……」


 考えを整理しないまま呼び出してしまった。必死に言葉を選ぶ。

 しかし今、この女性……主人と言ったか。ということはまさか、この女性は凛音の母親なんだろうか。とてもそうは見えないほどの若々しい姿だが。


「あら、その校章……」


 凛音の母と思しきその女性は、俺の制服の襟についた校章を見て声を漏らした。


「これが、何か?」


「いえ、さっきね、貴方と同じ学校の女の子が、訪ねて来たのだけれど……どうもその子の様子がおかしくてね。自分でもどうしてこの家に来たのか分からないとか、変なことを呟いていて……混乱していたのよ」


 その話を聞いて俺は確信した。

 凛音だ。――絶対に凛音だ。


「その女の子は今、何処にいますか?」


「それは分からないけれど……調子が悪いようだったから、念のため病院へ行くことを勧めたわ。車で送ろうとしたんだけれど、あの子は頑なに遠慮してね。……もし向かっているのだとしたら、まだ近くを歩いていると思うけれど」


「ありがとうございます!」


 自転車に跨がり、急いで移動する。

 ここから徒歩で行ける病院となれば、恐らく街の中央にある市立病院だろう。

 市立病院へ向かっていると――その道中で、凛音の姿を見つけた。


「凛音!」


 名を呼ぶと、その少女はこちらに振り返いた。


「誰ですか?」


 口調は同じ。声音も同じ。しかし、その瞳はいつもよりずっと冷たく感じた。

 動揺を押し殺す。これは、思ったよりも……胸にくる。


「俺は、御嵩悠弥。天原高校の二年生だ」


「知りませんね」


 短くそう告げた凛音は、踵を返してこの場から去ろうとした。


「待ってくれ! そっちは俺のことを知らなくても、俺は凛音のことを知っているんだ。だからせめて、話だけは聞いて欲しい」


 必死に頭を下げて頼んだことが功を奏したのか、凛音は足を止めて振り返った。

 凛音と俺の関係は、良い悪いで簡単には評価できないものだが、こうして記憶が消えている以上、少なくとも縁は生まれていたのだろう。


「……何ですか?」


 鬱陶しそうに、凛音が訊く。


「いきなりのことで混乱するだろうが……これから凛音に、会って欲しい人がいる」


「会って欲しい人……ですか」


 そっくりそのまま口にする凛音の声音は、あまり好ましいものではなかった。

 不信感を抱かせてしまったか。


「その……変な相手ではないんだ。その人は女性だし、今は学校にいる」


「学校ですか?」


「ああ。俺たちが通う、天原高校だ」


 今の凛音にとっては俺だけでなくハナコさんも赤の他人だ。見知らぬ人に会って欲しいと頼むより、見知った場所まで一緒に来て欲しいと頼んだ方が、まだ信頼されやすい。

 そう思った俺だが……凛音は、訝しむような目を向けてくる。


「夜の学校に、私を連れ込むことが先輩の目的ですか?」


「い、いや、そういうわけでは――」


「申し訳ございませんが、ここで貴方を信じるほど、私は世間知らずではありません」


 警戒心を露わにして凛音が言った。……その態度は本来なら正しい。同じ学校の制服を着ているとしても、こんな暗い夜道で見知らぬ人に話しかけられ、更に人のいない学校へ案内されようとしているのだ。普通は警戒する。

 しかし今だけは――俺も引くわけにはいかない。


「……帰る場所はあるのか?」


 その問いに、凛音は目を見開いた。


「どういう、意味でしょうか」


「そのままの意味だ。この後、何処に行くつもりだ」


「それは……」


 長い間、凛音は沈黙した。


「……それは、先輩には関係ありません」


 やがて凛音が告げたのは、力任せの拒絶……明らかな強がりだった。


「上手く説明できないが……俺は凛音の、帰るべき場所を知っているつもりだ。だから、俺と一緒に来てくれないか?」


「……お断りします。先輩が私を知っていても、私にとって先輩は他人です。流石にこの状況で、赤の他人の言葉を信用することはできません」


 今のお前にとっては、全てが赤の他人なんだよ――。

 そう言いたい気持ちをぐっと堪える。

 口論の勢いが増してしまったせいか、凛音の警戒心も増したようだった。


「もし、先輩が純粋な善意で私を心配しているようでしたら……その必要はありません。本日は友人の家にでも泊めてもらうことにします」


「……その友人の名前を言ってみろ」


 そう訊くと、凛音は目を丸くした。


「……私の交友関係について、詳しいようですね」


 険しい顔で、凛音は俺を睨む。


「友人のことを、何も思い出せないだろ」


「……語弊があります。正確には最初からいないだけですよ」


 そうかもしれないが、そうじゃないかもしれない。

 仮にいたとしても、凛音は忘れている。


「家族のことも、思い出せないだろ」


「そちらも最初からいません。私は天涯孤独の身です」


 そうであるに違いないと言わんばかりに、凛音は自信満々に告げる。

 凛音の頭では、それが真実であるかのように記憶の辻褄合わせが行われているのだろう。


「あまりしつこいようでしたら、通報しますよ?」


 いつか告げられると思っていたその台詞は、ついに訪れた。

 ここで警察沙汰は勘弁して欲しい。過剰に焦ると一層怪しまれるため、敢えて冷静なフリをしているが、服の内側では冷や汗が大量に流れていた。


 ――どうすればいい。


 俺と凛音の間には不可視の頑丈な壁がある。

 多分、俺では凛音を説得できない。

 己の力不足を痛感し、歯がゆく思った次の瞬間――ふと、気づいた。


「……天涯孤独?」


 先程の、凛音の言葉を思い出す。


「凛音。もう一度だけ訊かせてくれ。家族のことは……思い出せないんだよな?」


「二度も言わせないでください。私は物心つく頃から一人です」


「静真和花という名前に聞き覚えは?」


 その問いに、凛音は答える。


「ありません」


 想像通りの回答だった。

 凛音が今回、縁解きの対象になった理由は二つある。ひとつは直前まで俺と行動していたこと。もうひとつは、凛音と和花さんが無意識に互いのことを考えてしまったことだ。

 家族という縁が引き金になって、凛音は祟りを受けた。

 それはつまり――凛音と和花さんの縁は、戻りかけていたということ。

 凛音は記憶を失う直前、和花さんのことを他人とは思えなくなったのだ。

 そこに、一縷の望みが見えたような気がした。


「凛音!」


 立ち去ろうとする凛音を呼び止め、俺はスマホの画面に一枚の画像を表示した。

 それは先々週、学校の放課後に撮影した、和花さんだった。


「この人に、見覚えはないか?」


 ハナコさんは言っていた。今の凛音は、一過性とは言え和花さんと同じ状態であると。

 しかし和花さんは、縁解きの祟りを受けているにも拘わらず、過去の写真に郷愁のようなものを感じていた。

 なら、凛音もこの写真を見て、何かを感じ取るかもしれない。

 俺が凛音を説得できなくても――和花さんならできるかもしれない。


「……ありませんね」


 画面に映る和花さんを見て、凛音はポツリと呟いた。


「ですが……なんだか、とても……懐かしい気持ちになります……」


 先程まで警戒心を露わにしていた凛音は、胸の前で軽く拳を作り、無防備に和花さんの写真を見つめていた。大切そうに、そして焦がれるように。


 ――それが凛音の本心だった。


 祟りを受ける前の凛音は、和花さんを拒絶していた。しかし本心では、和花さんを家族として想っていた。記憶を失った今だからこそ、嘘偽りのない本当の気持ちが発露する。


「この人が、凛音に会いたがっているんだ。……だから頼む。俺と一緒に来てくれ」


 頭を下げて頼み込む。

 嘘は言っていない。いずれ――縁解きの祟りが解消できた時、凛音と和花さんは本当の意味で再会できる。それこそが、凛音にとっての帰るべき場所だ。


「……分かりました」


 凛音は、小さく頷いた。

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