第8話

 昼休みになると、俺は鞄の中から弁当を取り出して立ち上がった。


「悠弥、何処に行くんだ?」


「ちょっと用事があってな。今日は他のとこで食べる」


 弁当片手に教室を出て、廊下を歩く。

 階段の踊り場に着いた辺りで、ふと足を止めた。


「用務員室って、どこだ……?」


 なにせ今まで全く縁がなかった場所であるため、記憶にない。

 今朝ハナコさんと別れる際、あの人は階段を下りていた。

 ということは教室よりも下の階。……一階だろうか。


「ひゃっ」


「……っと」


 廊下の角を曲がった直後、誰かと軽くぶつかってしまう。

 幸いどちらも転ぶことはなかった。すぐにぶつかってしまった相手の様子を確かめる。


「すみません……あ」


「あっ」


 お互い驚愕の声を漏らした。

 目の前にいたのは、先日、同じようにぶつかってしまった写真部の先輩だった。


「前にも、似たようなことがあったね」


「そうですね」


 珍しい偶然もあるものだ。二度も続くと少し笑える。


「えっと、二年生だよね? 購買はあっちだよ?」


「ああ、いえ。用務員室に用があるので」


「用務員室? それなら保健室の先にある角を……」


 先輩そこで言葉を止め、何かを考え出した。


「うーん……ややこしい場所にあるし、案内してあげようか?」


「え、でもそれは流石に迷惑では……」


「これも何かの縁だよ。大丈夫、お姉さんに任せなさいっ!」


 先輩は胸を張って言う。目の前で、豊かな二つの膨らみが揺れた。

 お姉さんって……一歳しか変わらない筈だが、正直その親切はありがたい。


「じゃあ、お願いします」


 断る理由もないので、案内してもらうことにした。

 不思議な女性だった。ふわふわしているというか……形容し難い緩さを持っている。


「ここだよ」


「ありがとうございます、わざわざ案内までしていただいて」


「可愛い後輩のためなら、このくらいお安いご用だよ! でも次はお互い、ぶつからないよう注意しようね。ちゃんと前を見て歩くんだよ?」


 まるで子供を諭すようにそう言った先輩は、踵を返して去って行く。


「……これは、雅人でなくても惚れるな」


 距離感が近いというか、パーソナルスペースが狭いというか。

 案内された用務員室の扉をノックして開く。


「失礼しま――うわっ」


 部屋に入った直後、俺は眼前の光景に顔を顰めた。

 一瞬、間違えてオカルト研究部の部室に入ってしまったのかと思った。壁際には神棚や位牌らしきものが並べられており、テーブルの上には小さな鳥居や陶器製の花立て、よく分からないお札や杖などが置かれている。天井には注連縄が飾られており、クリスマスパーティでよく見るモールのようだった。


「……魔改造の極みですね」


「趣味で風水をやっていると話したら、模様替えが許されたんだ。折角だから色々と仕事が捗る内装に整えてみた」


 部屋の奥にいるハナコさんが説明する。多少どころではないように見えるが……。


「先輩、遅いですよ」


「悪い。ちょっと道に迷ってた」


 凛音の隣に腰を下ろし、一息つく。


「その仕事というのは、用務員のではなく、神事会のですよね?」


「無論だ。作戦を練るにしても、いちいち神社庁の事務所まで向かうのは面倒だろう。だから今後はこの部屋を我々の拠点とする。……拠点は現場に近い方が楽だからな」


 ハナコさんが言う。


「まあ食べながら話そう。まずは、神痕についてだ」


 カロリーメイトを水で流し込むように食したハナコさんが、言う。

 俺は隣の凛音と同じように、テーブルの上に弁当を広げた。


「神痕とは、読んで字の如く神の痕跡だ。つまり、神との繋がりを示すものだな。……悠弥、聖痕スティグマという言葉に聞き覚えはないか?」


「聞いたことはありますけど……詳しい意味は分かりません」


「イエス・キリストは磔刑に処された際、背中や顔、脇腹などに傷を受けた。……極稀に、それと全く同じ傷が信者の身体に現れることがある。それが聖痕だ」


 ハナコさんの説明に俺は頷く。


「要は特殊な力を持った傷だ。神痕もそれに近い。この世には、神との繋がりを持つ人間がいる。そういう人間は身体のどこかに、その証明となる痕……神痕を刻んでいるんだ」


 神との繋がりを持つ証。それが、神痕であるとハナコさんは語った。


「……それって、良いことではないんですか? 神との繋がりがある証ってことは、神のお気に入りみたいな意味ですよね?」


「その繋がりが良好なら、な」


 ハナコさんは深刻な表情で言う。


「神痕は神との繋がりを表わすものだが、その繋がりが必ずしも良いものとは限らない。神との関係が良好なら、神痕は力強い武器になるし、逆に険悪ならその者を苦しめる祟りとなる」


 成る程。つまり神痕は――神との関係によって効果が異なる。

 神に気に入られていれば加護となるし、逆に嫌われていれば呪いとなる。


「通常の祟りは対象が漠然としているため、効果もシンプルで、精々事故や災害が起きるだけだ。しかし、神痕による祟りは驚くほど複雑に発展する。なにせ祟りの基点が人間だ。その人間の動向によって被害が広まることもあるし、更なる祟りを誘発することもある」


「……だから、最も複雑な祟りですか」


「そうだ」


 首肯したハナコさんは、カロリーメイトの外袋をゴミ箱に捨ててから続ける。


「元を辿れば、一人の人間と一柱の神の問題となる。しかしその問題が広く発展してしまうようなら、対処しなくてはならない。それが我々の使命だ」


「……要するに、人を苦しめている悪い神を、どうにかするのが俺たちの仕事ですか?」


「存在そのものが悪である神は少ないがな。原因の有無に関わらず、神も偶に悪さをするということだ。……お前も神事会の一員になった以上、無闇矢鱈に神を敬うのは止せ。表向きは平身低頭、裏では余裕綽々。それが神と対峙する際の鉄則だ」


 首を縦に振る。世間一般で、神は様付けされて呼ばれる方が多い。その無意識に引っ張られないよう注意する必要があるようだ。


「あの。神痕が神との繋がりを示すものなら、俺もそれを持っているんでしょうか?」


「持っていない。神痕は特定の神との永続的な繋がりを示すものだ。お前の場合、偶々傍にいた八百万の神から一時的に力を借りるだけに過ぎないため、神痕はない」


「天照大御神との繋がりはないんですか? 俺の体質って、天照大御神に哀れまれたことが起因なんですよね?」


「はっ」


 ハナコさんが失笑した。


「あれはこの国の最高神だ。色んな意味でスケールが違う。素の影響力も高い。……天照大御神の神痕なんて持っていたら、森羅万象が思いのままだぞ」


 そうなのか。……まあ、日頃風呂に入っている時も身体に痣らしきものは見ていないし、ハナコさんが言う通り俺は神痕を持っていないのだろう。


「お前が自分の特異性を自覚するのは、もう少し時間が経ってからだな」


 ハナコさんが俺を見ながら呟いた。ハナコさんのもとで働き続け、この界隈に詳しくなることで、俺は漸く自分自身の境遇を理解できるようになるのかもしれない。


「さて。では本題だが――悠弥。お前、神痕持ちを探してみろ」


「……はい?」


 唐突な無茶振りに、俺は目を点にする。

 しかしそれは俺だけではなかったようで、凛音も驚いた様子を見せる。


「ハナコさん、それは流石に――」


「物は試しというやつだ」


 凛音の言葉を遮ったハナコさんは、続けて言う。


「正直、悠弥の力は私でもまだ全容が計り知れん。ある程度の予想はできているが……実際に目で見たもので判断するのが確実だろう。だからまず、テストさせてもらう」


「そう言われても……どうすればいいのか全然分からないんですが」


「普通に過ごせばいい」


 ハナコさんは笑みを浮かべて言った。


「天照大御神に哀れまれたお前には、神を寄せ付ける引力がある」


「そうなんですか?」


「ああ。……なにせお前の哀れっぷりは、天照大御神のお墨付きなんだぞ? いわば高天原公認のペットだ。ありとあらゆる神が、お前を見ると庇護欲に駆られる」


「ペットって……」


 酷い言いようだ。


「神痕を持つ人間は、神と性質が近くなる。つまり神痕持ちもお前に引き寄せられるんだ」


 俺の複雑な感情を他所に、ハナコさんは説明した。


「……仮に、そういう力が俺にあったとしても、やっぱり難しいですよ。神痕を持っている人が、そもそもこの街にいるかどうかすら分からないのに――」


「――場所はこの学校だ」


 ハナコさんは断言する。


「初めて会った日のことを思い出せ。そもそも何故、私と凛音がこの学校にいたと思う?」


 その問いかけに、俺は目を見開く。


「いるん、ですか……? この学校に、神痕を持つ人間が……?」


 ハナコさんは不敵な笑みを浮かべて頷いた。


「早速、今日の放課後から探してみろ。お前なら十日もあれば見つけられる筈だ」


 ◆


「……いや、やっぱり無茶だって」


 放課後を迎えた学校で、俺は一人、ポツリと呟いた。

 犬も歩けば棒に当たるではあるまいし、そう簡単に神痕なんて見つかる筈もない。


「大体、放課後だから生徒の数も限られているし……」


 加えて俺は、あまり友達が多くない。なにせ今までは放課後どころか休日もバイト漬けだったため、学校の生徒たちとは殆ど遊んだことがないのだ。

 十日以内に見つければいいわけだし、今日は諦めるか……?

 我武者羅に挑んでも見つかりそうにない。一度、家に帰って作戦を練ってみるか。


「……って、ちょっと待てよ」


 ふと、ある事実に思い至る。

 これって――責任重大じゃないか?

 今、俺が探している神痕持ちの人間は、祟りを起こしている。なら、俺がこうして頭を悩ませている間にも、その祟りで苦しんでいる人がいるんじゃないか? だからこそハナコさんと凛音は、あんな夜中に学校の屋上で作業をしていたわけだし。

 冷や汗が垂れる。一度帰って作戦を練るなんて考え、悠長だったかもしれない。


「というか……」


 自分の状況を冷静に分析すると、背筋が凍る。

 怖い……。なにせ、この学校では今、まさに祟りが生じているのだ。俺はその真相に単身で近づこうとしている。ミイラ取りがミイラになる場合も想定しなくてはならない。


 そもそも、祟りってなんだよ。

 今、この学校では何かが起きているのか?


「――先輩」


「はいっ!?」


「ひゃうっ!?」


 急に背後から声を掛けられて思わず悲鳴を上げたら、声を掛けた方も驚いてしまった。


「な、なんですか急に。吃驚させないでくださいよ……」


「……凛音か」


 こちらを睨む見知った少女に、俺は安堵した。


「随分と可愛い声が聞こえた気がするが……」


「気のせいです」


 微かに頬を紅潮させた凛音は、態とらしく咳払いした。


「先輩がサボってないか様子見に来ましたが……一応、ちゃんと働いているみたいですね」


「まあな。でも正直、行き詰まっている」


 がっくりと肩を落とす。凛音の言う通り、今まさに俺は行き詰まっていた。


「訊きたいことがあるんだが……これ、タイムリミットはないのか?」


「タイムリミット、ですか?」


「俺が神痕を見つけないと、祟りは続くんだろ?」


「……見つけたくらいでは何も解決しませんよ。ですが、まあ、そうですね。早めに見つけていただければ、話も早く先へ進むと思います」


 俺と違って凛音に焦った様子はない。どこか余裕のあるその素振りに、俺は確信する。


「凛音は知ってるんだな? 神痕を持っている人が誰なのか」


「はい。これはあくまで先輩のテストですから」


 神痕の持ち主は別に俺でなくても見つけることができるのだ。

 なら……俺が今していることは、そこまで重要ではないんじゃないか? その気になったら俺でなくても可能なことだ。


「神痕は、本来なら探そうとしても滅多に見つからないものなんです」


 俺の考えを見透かしたかのように、凛音は言った。


「……そうなのか?」


 凛音は頷いて、語り出す。


「祟り自体は目に見える現象でも、その原因である神痕の持ち主は普通の人間の姿をしています。神痕の持ち主を探すには、現場にいる全ての人を対象に虱潰しで調査するしかないんです。場合によっては、この調査は数年にも及ぶことがあります」


「……それは長いな」


 元凶である神痕の持ち主を探す。ただそれだけのことに、膨大な時間を要するらしい。


「だからこそ、もし先輩が自力で神痕を見つけてくれたら……神事会にとっては、ちょっとした革命が起きます」


 凛音が真っ直ぐこちらを見て言った。


「神痕の持ち主を早く発見できるということは、それだけ被害も軽微に留められるということです。先輩の体質なら、それができる可能性があります」


「……そうか」


 少し思い違いをしていたようだ。

 このテストは、単に俺が使い物になるかどうかの確認だけではなく……俺の体質が、神事会の常識を覆せる可能性も調べられている。

 その気になれば、神事会の人間なら誰にでも達成できるテストだと思っていたが、そうではないらしい。


 ハナコさんは俺に、十日もあれば神痕の持ち主を見つけられると言っていた。

 その言葉の裏に秘められた信頼を感じた今……やる気が漲ってきた。


「あの……これ、よければどうぞ」


 凛音が両手で何かを差し出す。

 それは、ラップに包まれた三つのおにぎりだった。


「おにぎり?」


「ハ、ハナコさんに、数日分の食糧を用務員室に置いておけと言われたんです。急な話だったので、お米はパックのものを使っていますが……その、余りでよければどうぞ。別に先輩のために作ったわけじゃありませんが……」


 もじもじと、視線を逸らしながら凛音は言う。

 その様子に俺は、つい本音を口にした。


「凛音って……本当にツンデレなんだな」


「――っ!? か、返してください!」


「待て! 嘘だから! 今のは冗談だから!」


 顔を真っ赤にして怒る凛音へ、誠心誠意、謝罪する。


「その、ありがとう。丁度、腹も減ってたんだ」


「……初めからそう言っておけばいいんです」


「凛音だって、紛らわしい言い方していただろ。余りものとか、俺のためじゃないとか」


「事実ですから」


 淡々と告げる凛音に、俺は顔を顰める。


「あのな。ツンデレと呼ばれるのが嫌なら、せめてツンかデレ、どちらかに統一してくれ」


「私は最初からツンです。デレの要素はありません」


「そうか? 凛音は最初から結構、優しかったぞ?」


 スマホの操作を教えてくれたり、今だっておにぎりを渡してくれたり。


「……せ、先輩だけです、私にそんなことを言うのは」


「なら、これから増えると思うぞ。凛音は根が優しいから、もう暫くすれば皆も仲良くなりたがるんじゃないか」


 どうか凛音に友達ができますように。

 心の片隅でそう願っていると、凛音が頬を紅潮させたまま呆けていることに気づいた。


「どうかしたか?」


「な、何でもありませんっ!!」


 凛音が顔を逸らす。


「で、では、私はもう行きますので」


 踵を返した凛音は、最後にもう一度だけこちらに振り向いた。


「その……頑張ってください」


 恥ずかしそうに小さく告げる凛音に、俺は笑みを浮かべて返す。


「おう」


 離れていく凛音の背中を見届けながら、俺はやる気を漲らせた。

 年下の女の子から、おにぎりまで貰ったのだ。期待に応えたいと思うのは当然だが――。


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