第13話

 放課後。クラスメイトたちが次々と教室を出て行く中、雅人は立ち上がった。


「じゃあな、悠弥!」


「おう、玉砕してこい」


「しねぇよ! でもまあ、当たって砕けろの精神で行ってくるぜ!」


 どのみち砕けてるじゃねーか。


 ……このやり取り、前もしたような気がする。


 慌ただしく去った雅人を無言で見届けた後、俺は溜息を零した。


「……雅人のためにも、少し時間をズラしてやるか」


 本当は放課後、すぐに写真部の部室に集合することになっているが、雅人のためを思って少しだけ遅れることにする。

 雅人は俺が、和花さんと接点を持ったことを知らない。

 教えてやった方がいいかと思ったが、告白を決意した直後にこんなことを話すのも間が悪いような気がして、結局言わなかった。

 和花さんは告白を受け入れるだろうか。

 だとすると、放課後の俺との活動はなくなってしまう可能性が高い。和花さんも、流石に付き合った直後に他の男子と出かけるような真似はしないだろう。

 写真部の活動は今日でなくてもいい。雅人の告白が成功したなら、今日は予定を譲ろう。


「……そろそろ行くか」


 二十分ほど教室で時間を潰した俺は、写真部の部室へ向かった。


「すみません、遅くなりました」


 部室に入ると、椅子に腰を下ろした和花さんと目が合った。

 雅人はいない。どうやら告白は済んだ後らしい。


「ううん、私も今、来たところだよ」


 そう言って、和花さんはクスリと笑った。


「今の、なんだかデートみたいなやり取りだね」


「ここは部室ですが」


「でも、これから外に行くでしょう?」


 そんなこと言ってしまうと、この後の活動がデートみたいに聞こえてしまうんだが……。

 自分の発言の危うさに今更気づいたのか、和花さんは頬を赤らめた。


「あー……そう言えば、和花さん」


「は、はい」


 気まずい空気を誤魔化すように、俺は質問した。


「今日、俺と同じ二年生の男子に話しかけられませんでした?」


「え? うーん……特にそんなことはなかったと思うけど」


 人差し指で顎に触れながら、和花さんは言った。


 ――雅人の奴、怖じ気ついたな。


 折角、待ってやったというのに。……流石にこれ以上、気を遣うつもりはない。


「それじゃあ、出発しよっか!」


「はい」


 和花さんは椅子から立ち上がって、準備を始める。

 まだ仮入部という立場だが、生まれて初めての部活に、内心わくわくした。学生らしさとは無縁の日々を覚悟していた俺にとって、今の状況は僥倖というべきだ。

 二人で廊下に出た後、和花さんは部室の鍵を閉める。


「それが今回の撮影で使うカメラですか?」


「うん、そうだよ」


 和花さんは首から大きなカメラをぶら下げていた。

 家電量販店でバイトをしていた時に見たことがある。一眼レフカメラというやつだ。


「ちなみに悠弥君は、こういうカメラを持ってる?」


「いえ……すみません。実は今まで写真を撮ったことがなくて」


「撮ったことがない……?」


 珍しい言い回しだったのか、和花さんは首を傾げた。


「その……俺の家、あんまりお金に余裕がないので、カメラを買ったことがないんです。ついこの間、スマホデビューしたくらいですし」


「……そうだったんだね」


 和花さんが同情する。それ以上、詮索しないのは彼女の優しさだろう。


「じゃあ、スマートフォンのカメラ機能も使ったことがないのかな?」


「そうですね。そういう機能があるのは知っているんですが、まだ操作に慣れてなくて」


「ふふっ、だったら写真を撮るのは、今日が初めてになるんだね」


「はい。楽しみです」


 本心からそう答える。


「でも、写真を撮ったことないなら、どうして写真部に入部希望したの?」


 繰り出されたその問いに、俺は口を噤んだ。

 無論、正直に事情を告白することはできないので、でっち上げるしかない。しかし残念なことに俺はそういう咄嗟の嘘が下手だった。不器用な自分を恨めしく思う。


「些細なことなので、拍子抜けするかもしれませんが……」


 ぐるぐると思考が回転する中、俺の口から零れ出たのは、本音に近い感情だった。


「先週、俺の教室に和花さんが来たじゃないですか」


「うん。初めてぶつかった時だね」


 和花さんが苦笑する。今となってはいい思い出だ。


「あの時、和花さんが真面目に先生と話しているのを見て、何をやっているのか興味が湧いたんです。それで後から先生に話を聞いたら、和花さんが写真部の部長だと教わりました。俺は今まで先生に話しかけるとしたら、精々、授業で分からなかったことを訊きに行くくらいでしたから……ああいう風に、自分のやりたいことのために積極的に活動している人を見るのは新鮮で、ちょっと格好良いと思ったんです。それで……写真部に」


 半分以上は本当のことだった。あの時、俺は間違いなく和花さんのことを意識した。神事会や神痕のことなんて関係なく、俺は和花さんの後ろ姿を目で追っていた。

 部活への憧れ。上級生への興味。きっと色んなものが自分の中で綯い交ぜになって、和花さんのことが気になったのだろう。


「すみません。大した理由じゃなくて」


「ううん。凄く嬉しいよ。だって、それって……私の頑張っている姿が、悠弥君の生き方を変えたってことだよね?」


 和花さんの笑みは、とても眩しかった。

 気恥ずかしさを覚えた俺は視線を逸らす。


「まあ、そうなりますね……」


「ありがとう。ふふっ、お姉さん今、とっても光栄な気分だよ!」


 和花さんは胸を張り、嬉しそうに言った。


「先にスマートフォンで写真を撮る方法を教えよっか。ちょっと貸してもらっていい?」


 俺は頷き、和花さんにスマホを渡した。


「ここを押して、この画面を開いて、後は中央のボタンを……」


 和花さんが手慣れた動作で俺のスマホを操作する。

 カシャリ、とシャッター音が響き、一枚の写真が俺のスマホに保存された。


「……おお」


「ね? 簡単でしょ?」


 画面に映る中庭の風景を、俺はまじまじと見つめた。今時の道具は便利なものだ。スマホさえあれば何でもできると良く耳にしていたが、本当にその通りかもしれない。

 下足箱でそれぞれ靴を履き替え、外に出る。


「良かった。予報通りのいい天気だね」


 校舎の外に出た和花さんは、雲一つない空を仰ぎ見ながら言った。


「今日はどんな写真を撮るんですか?」


「学校の周りにある建物を撮ろうと思ってるの。毎日、教室の窓から見える風景も、違う角度から見たら新鮮に感じるんじゃないかと思って」


「成る程……面白そうですね」


 伊達に唯一の写真部部員ではない。和花さんの斬新な着眼点に俺は感心した。


「まずはあの建物からかな。……もっと近づいてみよっか!」


 楽しそうに和花さんは歩き出した。

 通学路から少し外れるだけで、見慣れない景色を幾つも発見する。

 和花さんはその光景を丁寧に撮影していた。


「楽しそうですね」


 ふと、思ったことをそのまま呟いてしまう。


「ご、ごめんね! 私だけ楽しくしちゃって……」


「いえ、今日の俺は見学ですし……それに俺も楽しいですよ」


 楽しそうな人が傍にいると、こちらも楽しい気分になる。

 束の間の青春だった。両親が蒸発していなければ、こんな毎日もあったかもしれない。


「実はね、私もあんまりカメラには詳しくないの」


「そうなんですか?」


「うん。このカメラも卒業生が寄付してくれた物だし。……正直、悠弥君が本格的な活動を期待していたら申し訳ないなぁって思ってたから、ちょっとだけ安心しちゃった」


 頼りない先輩でごめんね? と和花さんは苦笑する。


「和花さんは、あんまりカメラには拘りがないんですか?」


「そうだね……私はカメラが好きというより、写真が好きだから写真部に入ったの」


 首を傾げる俺に、和花さんは続けて言う。


「昔から、写真を撮ることと言うより、色んな写真を見ることが好きだったの。その気持ちが先行して写真部に入った感じかな。……まあ、写真部に入ってからは、撮ること自体も好きになったんだけどね」


 だからこうして放課後になると、学校の外へ写真を撮影しに行っているのだろう。


「本格的に活動するなら、俺もカメラを買った方がいいでしょうか」


「うーん……無理して買う必要はないと思うよ」


 和花さんは首にぶら下げている一眼レフカメラを持ち上げて言う。


「こういう大きなカメラも、確かに機能は凄いんだけど……スマートフォンのカメラだって、色んな魅力があるんだよ? 小型だから何処にでも持ち運べるし、咄嗟の日常的な風景を撮りたいならスマートフォンの方が向いてるんじゃないかな」


「成る程……」


 咄嗟の日常的な風景とは、例えばこんな風景のことを指すのだろうか。

 そんな風に思いながら、俺はスマホで楽しそうに語る和花さんの写真を撮った。

 パシャリ、とシャッター音がする。


「あっ!?」


「確かに、こういうのはスマホのカメラでしか撮れないかもしれませんね」


「い、今のは駄目だよ! その、私、変な顔してるかもしれないしっ!」


「そういうのが撮れるからいいんじゃないんですか?」


「そ、それはそうなんだけど……」


 和花さんは「むぅ」と不満気に頬を膨らませた。


「……悠弥君って、思ったよりも意地悪な人?」


「いや、意地悪をしたつもりはありませんが……」


「後輩にからかわれるなんて、お姉さん傷ついちゃったなー」


「えっと、その……すみません」


 冗談のつもりだったが、機嫌を悪くしてしまったかもしれない。

 微かな罪悪感を覚えていると、パシャリとシャッター音が聞こえる。


「おかえし」


「あっ」


 悪戯っぽい笑みを浮かべた和花さんの手には、スマホがあった。

 どうやら先程の態度は演技だったらしい。

 どちらからともなく笑う。


「そう言えば、写真部って休日は活動しないんですか?」


「ううん、休日も活動するよ。学校帰りだと行けない場所も多いし。……最近だと自然公園に行ったかな。あと植物園とか」


「色んなところで写真を撮ってるんですね」


 そう言えば部室には、水族館や博物館で撮った写真も飾られていた。


「えっと、悠弥君は次のお休み、空いてる? 私はいつも通り、写真部の活動をする予定なんだけど……け、見学だけでもいいから、どうかな!?」


 勇気を振り絞ったように和花さんが提案する。

 健気というか、無邪気というか……和花さんの独特な雰囲気に、俺は笑みを浮かべた。


「ご一緒させていただきます」


 和花さんは嬉しそうに目を輝かせた。

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