第12話

 写真部に訪問した、次の日。


「順調に距離を詰めているようだな」


 昼休み。いつも通り用務員室を訪れて途中経過を報告した俺に、ハナコさんは言った。


「順調なら、いいんですけど……」


 自分ではあまり手応えを感じていないため、中途半端に頷いた。


「ところで、和花さんは具体的にどんな祟りを――」


「それは秘密だ」


「またそれですか……」


「前にも言ったが、お前は被害者でなくてはならない。祟りの詳細を知った上で、それに突っ込むのは被害者とは言えないだろう。それはただの自傷行為だ」


 自傷行為では、俺の力は発動しない。その予測はきっと正しいだろう。

 例えば、俺が自殺するためにビルから飛び降りれば、恐らくこの力は発動しない。何故ならその死は俺自身が望んだことであるため、死そのものが可哀想とは言えないからだ。


「じれったい気持ちは分かる。だがお前は今まで、神事のことなんて何も知らないただの一般人……つまり部外者だったんだ。私たちと同じ舞台に上がり、当事者になるには、正当な儀式をしなければな」


「儀式……?」


「そう、儀式だ」


 胡散臭いことを言わないでほしいなと思いながら訊き返したが、ハナコさんは妙に深く頷いた。その言葉がとても大事であるかのように。


「神々は礼儀を重んじる。ゆえに儀式は着実にこなしていかなければならない。……再三言うが、そう焦るな。相手は神だぞ? 虎の尾を踏むことがないよう、細心の注意を払わねばな」


 ハナコさんが大事にしているものがよく分かった。

 多分、手順だ。そこから逸脱することは、神を相手にするには分が悪いのだろう。


「もし祟りを実感したら、その内容を私か凛音に報告しろ」


「分かりました」


 残念ながら、今のところ祟りに関して俺から報告できるものは何もない。


「それで、この後はどうする予定だ?」


「……放課後、和花さんと一緒に街へ出る予定です」


「ほう、デートか。随分と手が早いな」


「部活ですよ。写真を撮りに行くんです」


 人聞きの悪いことを言うハナコさんに、俺は冷静に指摘する。


「そろそろ予鈴だな……二人とも教室に戻れ」


 時計を見ながらハナコさんが言う。俺は凛音と共に、用務員室を出た。


「先輩。放課後の部活動はいつ終わるんですか?」


 廊下を歩きながら、凛音が訊いてくる。


「……いつ終わるかは聞いてないな。学校の外に出るわけだし、暗くなったらじゃないか?」


「分かりました。では夜八時に学校へ集合しましょう。その時に成果を報告してください」


 あっさりとそう言ってのける凛音に、俺は目を丸くした。


「凛音はそんな遅い時間まで、学校にいるのか?」


「初めて会った時のことを思い出してください。私は深夜まで学校にいますよ」


「ああ……そう言えば、そうだったな」


 屋上で凛音と会った時のことを思い出す。あの時は、そろそろ日を跨ぐ時刻だった筈だ。


「大丈夫なのか? その、夜遅くまで活動するなんて……」


「昔から続けていることなので、とっくに慣れています」


 凛音は見た目が小さいため、ハナコさんがいるとはいえ深夜に外出するのは少し危険に思えた。しかし凛音は淡々としている。


「凛音はいつから神事会で働いているんだ?」


「八歳の頃です。先輩と同じように、ハナコさんから勧誘されました」


「……そんなに早くから働いていたのか」


「はい。最初は色々と大変でしたが……ハナコさんのおかげで無事にやってこれました」


 過去を懐かしむように凛音は言った。


「ああ見えて、ハナコさんは凄腕の神職なんですよ?」


「……まあ、なんとなくそんな気はしていた」


 凛音はああ見えてと言ったが、ハナコさんには明らかにただ者ではないオーラがある。


「神職には階位という、階級を示す概念があります。ハナコさんはその中でも浄階という一番高い地位にいるんです」


「そうなのか。……しかし、そのわりには悪目立ちしていた気もするが」


 神事会の事務所を訪れた時のことを思い出す。

 ハナコさんはどちらかと言えば、尊敬できる人というより問題児のように扱われていた。


「えっと、ですね。神職の中には三つの階級があるんです」


「三つのって、さっきの階位とは別ってことか?」


「はい。……ヒエラルキーを表すピラミッドが三つあると考えてください。階位というピラミッドの頂点に浄階があります。他のピラミッドは身分、職階と言います。階位は学識を示すものです。身分は功績を、職階は神社内での役割を示します。ですが神事会の神職は、特定の神社に務めることが少ないため、職階があまり重視されません。私たちの評価は階位と身分で表されます。……通常の神職と神事会の神職では、色々と異なる点があるんです」


 扱っているものが似ているようで異なるため、仕組みに差が生まれるのも仕方ない。


「成る程。……じゃあハナコさんは、学識に関しては最高位ってことか。確かに、なんでも知っていそうな雰囲気があるもんな」


「実際、殆どのことは知っています。先輩と初めて会った日も、ハナコさんじゃなかったら先輩の正体に気づかなかったと思いますよ。……他の方だと最悪、祟りと間違われて処理されていたかもしれません」


 どうやら俺は九死に一生を得ていたようだ。


「じゃあ、ハナコさんの身分は何なんだ?」


「……四級。最も低い身分です」


「え」


 驚く俺に、凛音は非常に複雑そうな顔で告げる。


「ハナコさんは浄階・四級の……最高と最低を同時に持つ、非常に極端な人なんです」


「……そんなこと、あるのか?」


「普通はありません。ハナコさんだけです」


 前々から思っていたが、ハナコさんだけってケース、かなり多くないか……?

 破天荒にも程があるぞ、あの人。


「……身分が最低ってことは、功績が全然ないってことだよな」


「いえ、その、功績も上げているには上げているんですが……自由奔放な方なので、功績と同じくらい問題も起こしているというか……それで相殺されているというか……」


「……大体、理解できた」


 神事会でハナコさんが怒鳴られていたことを思い出す。


「ちなみに私は正階・三級です。まあ平均的なレベルですね」


 階位と身分、どちらのピラミッドにおいても中間くらいということか。


「……あ」


 教室へ向かう途中、俺は見慣れた人物を発見した。


「和花さん」


「……? あ、悠弥君!」


 物凄く明るい笑みを浮かべて、和花さんがこちらに近づいてきた。


「……随分と仲良くなっていますね」


「まあな。……なんで睨むんだよ」


「いえ、ハナコさんが言っていた通り、手が早い人だと感心しているだけです」


 明らかに軽蔑されている。俺はただ真面目に仕事をしているだけなのに。

 目の前にやって来た和花さんは、俺と、俺の隣に佇む凛音を見た。


「昨日ぶりだね、悠弥君。……今日は一年生と一緒なんだね」


「ええ、まあ一年生というか……」


 貴女の妹なんですけど――。

 態々、そこまで言葉にしなくてもいいだろうと思い、口を閉じる。

 しかし、どういうわけか、凛音と和花さんの間に会話が生まれることはなかった。

 二人は互いの顔を見つめる。しかし凛音の表情には感情が込められておらず、和花さんもまるで初対面の相手を記憶するかのように一瞥するだけだった。


「……先輩、そろそろ教室に戻らないと遅刻しますよ」


「あ、ああ。そうだな」


 凛音は和花さんには何も言わず、俺に声を掛けた。


「それでは和花さん、また放課後」


「うん。またね、悠弥君」


 軽く挨拶をして和花さんと別れる。

 結局、和花さんと凛音は何も言葉を交わさなかった。


「凛音は……和花さんと、姉妹なんだよな?」


「はい。私はあの人の妹です」


 あの人、か。……妙に他人行儀だな。

 もしかしたら姉妹仲が悪いのかもしれない。


「では先輩、私はこちらなので」


「ああ。また後で……と言っても、随分と後になるが」


「夜八時。学校でお待ちしています」


 礼儀正しくお辞儀して、凛音は踵を返した。

 頭を下げるのは俺の方だ。そんな遅い時間まで、いつも働いてくれて……。


「……祟り、か」


 教室に戻った俺は、小さく呟いた。

 今となっては受け入れつつあるが、まさか夜な夜な学校の屋上で、超常現象と戦っている組織があるなんて思いもしなかった。しかも構成員の一人は年下の少女である。


「悠弥、今日は何処に行ってたんだよ」


 席に着いてぼーっとしていると、雅人に声を掛けられる。


「別に。ただの用事だ」


「ふーん。……なんか最近、付き合い悪くなってねぇか?」


 雅人が面白くなさそうに言う。


「ところで悠弥、ちょっと聞いてくれ。真面目な話があるんだよ」


「なんだよ、改まって」


「実はな、写真部にすんげぇ可愛い先輩がいるんだよ」


 前にも聞いたような話だ。


「お淑やかで優しいお姉さんみたいな感じでさ。ちょっと浮世離れしているような、マイペースそうな雰囲気とかも最高なんだよ!」


「へぇ」


「今までは偶然を装って何度か話しかけてきたけど……そろそろ告白しようと思ってるんだ」


 真剣な表情で告げる雅人に、俺は眉間に皺を寄せた。


「そろそろも何も……お前それ、前も言ってなかったか?」


「何言ってんだ。俺にとっては一世一代の決心なんだぞ? そう何度もするわけねぇだろ」


 訳が分からないとでも言いたげに、雅人は驚いた。

 訳が分からないのは俺の方だが――まさか、自分の発言を忘れているのか?

 堂々と溜息を吐く。雅人の告白は失敗していたと思っていたが、どうやら、そもそも告白自体まだしていなかったらしい。


「まあ、頑張れ」


「……おい。お前、絶対フラれると思ってんだろ」


「そんなことはない」


「じゃあなんでそんな、生暖かい目で俺を見るんだよ」


「気のせいだ」


 勘が鋭い奴だ。


「で、いつ告白するんだ?」


「今日の放課後、する予定だ。……ほら、三年ってそろそろ受験勉強が始まるだろ? 本格的に勉強が始まるとチャンスがなくなってしまうから、今が丁度良い。俺は先輩の受験勉強を健気に応援する後輩で――」


「――おっとチャイムだ。席に着け」


 真面目な話してたのに! と雅人は憤りながら自分の席に戻った。


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