第9話
翌朝。学校の下足箱に着いた俺は、靴を履き替えながら溜息を零した。
「……ちくしょう」
結局、昨日は駄目だった。学校から帰った後も、何か見落としている点はないか必死に考えてみたが、手掛かりになりそうな情報はひとつも見つかっていない。
夜通し考えていたため、お陰で寝不足である。
「眠たそうだな」
口元を手で隠しながら欠伸していると、横合いからハナコさんに声を掛けられた。
「……おかげさまで」
「昨日は見つけられなかったようだな。何人に声を掛けた?」
「三十人くらいだと思います」
「なら十日で三百人調べられるな」
ハナコさんを睨むと軽く笑われた。流石に今のは冗談らしい。
「あの、ヒントって貰えたりしませんか……? 痣があること以外に、見分ける方法とかはないんでしょうか?」
「出会い頭に片っ端から脱がせてみればどうだ。数日もあれば見つかると思うぞ」
「一日で通報されるわ」
寝不足の頭でもそのくらいは分かる。
「まあお前はこの世界を知ったばかりだし、流石にノーヒントは難しいか。仕方ない、ひとつヒントをやろう」
ハナコさんは顎を指で撫でながら言う。
「お前、自分の力についてどう思う?」
「どうって言われても……正直まだよく分かりませんよ。色々説明してもらったことはありがたいですが、まだ俺にとっては不思議というか、ファンタジーというか……」
「そう、ファンタジーだ」
その回答を待っていたとでも言いたげに、ハナコさんは笑んだ。
「神痕を持つ者がお前に引き寄せられるとしたら、それはファンタジーな力によるものだ。つまり――不自然な動きになる」
真剣な表情でハナコさんは言った。
「違和感を探せ。普通でないものを見つけろ」
そう言ってハナコさんは俺の前から去る。
違和感って、言われてもな……。
「っと、一時間目は体育か」
一時間目が体育の場合は、教室に寄らずそのまま更衣室へ直行だ。
男子更衣室に入ると、既に多くの生徒が運動着に着替えていた。
「あー。一時間目から体育はだりーな、マジで」
そうぼやく雅人の隣に鞄を置き、俺も着替え始める。
鞄を開けようとしたその時、俺は今、雅人が脱ごうとしている制服に注目した。
「雅人。肩のそれ、どうしたんだ?」
「肩? ……げっ!? 鳥の糞ついてる!?」
更衣室にいた男子たちが大笑いした。
しかし俺は、その馬鹿馬鹿しい光景を真剣に見ていた。
ハナコさんのヒントを思い出す。
鳥の糞……違和感と言えば、違和感か?
「なあ雅人。お前、身体のどこかに痣がないか?」
「は? 痣? いきなり何言ってんだ?」
「ちょっと脱いでみろ」
「はあ!?」
雅人は制服の下に運動着を着ていたらしいが、その内側にある身体を確認したい。
「お、お前、スマホデビューが嬉しすぎて、頭おかしくなったんじゃねぇか!?」
「俺は正常だ。いいから脱げ」
「やめろ! LGBTは引きずり込むものじゃねぇ!!」
全力で嫌がる雅人を、じりじりと追い詰める。
その時、更衣室の扉が開いて体育の先生がやって来た。
「おい、お前ら騒がしいぞ」
「先生! 御嵩君が目覚めました!」
◆
雅人に神痕はなかった。
学校が昼休みを迎えると同時に、俺は立ち上がってまた用務員室に向かう。
昼休みは凛音と共に用務員室に集合し、経過報告をする予定だ。
何も進展がなかったことを報告するのは、気が重い。
できれば今日中に突破口を見つけたいところだが――。
「ひゃっ」
廊下の角を曲がったところで誰かとぶつかる。
一歩後退して、俺はぶつかった相手を見た。
「すみませ…………また、ですか」
「えーっと、そう、みたいだね……」
目の前にいる三年生の女子は、苦笑いした。
先日もこうしてぶつかった相手だ。流石に向こうも俺のことを覚えているらしい。
「もう、駄目だよ? ちゃんと前を見て歩かないと?」
「一応見ていたつもりなんですが……というか先輩も同罪じゃないですか?」
「私はちゃんと見てたよ」
心外な、とでも言いたげに先輩は告げるが、それは俺も同じである。
「今日も用務員室に行くの?」
「はい。ちょっと所用が……」
「昨日も思ったけど、用務員室に用事があるなんて珍しいね。また案内してあげよっか?」
「いえ、もう場所は何処か分かりましたので……」
好意はありがたいが、遠慮しておくことにした。
「それじゃあ、今度こそお互いに気をつけようね」
「はい。すみませんでした」
頭を下げ、先輩と別れようとする。
その時――今朝、ハナコさんから貰ったヒントが、脳裏を過ぎった。
「……え?」
先輩が驚きの声を漏らす。
俺は無意識のうちに、去ろうとする先輩の腕を掴んで引き留めていた。
もし、神痕を持つ者が、俺に引き寄せられているとしたら――不自然な動きになる。
ハナコさんは、そう言っていた。
「えっと、何かな?」
「……先輩は、どうしてここにいるんですか?」
「どうしてって、言われても……」
「三年生の校舎は反対側ですよ?」
先輩の腕を掴みながら、俺は訊いた。
「あれ……? そう言えば、そうだね」
先輩はまるでその事実に今、気づいたかのように困惑する。
先輩は購買に向かっているわけでもなければ、他の所に用事がある素振りもない。三年生の校舎は反対側だ。どうして一、二年生の校舎に一人でいるのだろうか。
先輩の腕は白くて細かった。――その肘の辺りに、不思議な模様が見える。
「あ、ちょ、ちょっと……」
先輩の腕を引き寄せ、袖を捲った。
「……見つけた」
肘の辺りに薄らと赤い痣がある。
樹の枝を象ったようなその痣を見た直後、俺は確信を抱いた。
――神痕だ。
神との繋がりを示す証が、先輩の身体に刻まれている。
「先輩、名前を教えてもらってもいいですか?」
「な、名前?
小さく告げられたその名前を聞いて、俺は疑問を抱いた。
――静真?
凛音と同じ名字だ。偶然とは思えない。何か関係があるのだろうか。
思考していると……ふと、周囲が騒がしいことに気づく。
「え、何? 修羅場?」
「きゃっ、大胆」
多くの視線を注がれて、俺は我に返った。
第三者から見れば、今の俺は鼻息荒く先輩の腕を鷲掴みにする変態だ。
「す、すみません! またあとで!」
先輩の腕を放し、その場を去った俺は、用務員室へと駆け込んだ。
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