第19話

 午後八時。和花さんと別れた俺は、再び学校の用務員室を訪れた。


「朝帰りでも良かったんだがな」


「そういう関係じゃありませんって」


 茶化してくるハナコさんに、俺は適当に返事をする。


「先輩。祟りの正体は分かりましたか?」


 部屋の片隅で勉強していた凛音が、俺の方を見て訊いた。

 今日一日で何か違和感がなかったか考える。野良猫と遭遇したこと、ガムを踏んでしまったこと――駄目だ、祟りと関係のありそうな出来事はない。


「思い当たる点はないな」


「……そうですか」


 正直に答えると、ハナコさんが口を開いた。


「悠弥、今後の予定はどうなっている? デートか?」


「デートってわけじゃないですけど、次の土曜日、和花さんと外出するつもりです」


 そう答えると、ハナコさんはニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべながら凛音を見た。


「凛音。同世代の異性として、これからデートへ臨む悠弥にアドバイスでもしてやれ」


「なっ!?」


 凛音が目を見開いて、ハナコさんを睨んだ。


「ハ、ハナコさん! だから私は、その、デートしたことが……っ」


「おっと、失礼。凛音はデートしたことがなかったな」


 態とらしくハナコさんが言う。


「そう、なのか……?」


「――悪いんですかッ!?」


 驚きながら尋ねると、凛音は眦鋭く俺を睨んだ。


「どうせ私は灰色の青春街道を歩んでいますが、それが何か? 先輩以下の幼稚で色気のない人生しか歩んでいませんが、それが何か!?」


「な、なんでそんなに怒ってるんだ……?」


「二度も言われれば誰だって怒ります!」


 二度も言った記憶はない。

 凛音のデート事情なんて今、初めて知った。


「どうせ私は可愛くないです。恋愛に縁がないことくらい、私自身が良く理解しています」


「いや……凛音は普通に、可愛い方だろ」


 そう言うと、凛音は途端に怒りを霧散させた。


「か、可愛いって…………」


 頬を赤く染めながら凛音は照れる。


「そ、そんな嘘で機嫌が良くなるほど、私は――」


「そのくだりは、もうしなくていいぞ」


「ハナコさん!?」


 ◆


 土曜日の朝。自転車を駐輪場に停めた俺は、駅前の広場へ向かった。


「時間には、まだ余裕がある筈だが……」


 集合は午前十時の予定だが、俺は念のため二十分前の九時四十分に来ていた。

 広場に到着した俺は、辺りを見回して、和花さんの姿を見つける。


「和花さん」


「あ、悠弥君!」


「まだ二十分前ですけど、来るの早くないですか?」


「その、誰かと一緒に出かけるのが久しぶりだったから……つい、早く来すぎちゃって」


 髪を弄りながら和花さんは言う。


「今日は何処に行くんですか?」


「今日はね……ここ!」


 和花さんはスマホの画面を、俺に見せた。


「……鳥カフェ?」


「うん! 前に悠弥君が、小鳥の写真を撮ったことがあるって話してくれたでしょう? あれを聞いてからずっと気になってたの!」


「俺、そんなこと話しましたっけ?」


「ええっ!? してたよ!」


 和花さんが驚く。俺にとっては大袈裟な反応に見えたが、どうやら和花さんは本気で驚いているらしい。その様を見て、なんとなく俺も思い出す。


「言われてみれば、したような……」


 そもそも鳥の写真を撮影した覚えすらないが、言われてみれば、したことがあるような気もしてきた。鳥カフェという言葉にも聞き覚えがある。

 首を傾げる俺に、和花さんもまた首を傾げた。


 ◆


 二時間後。


「ふぅ……沢山撮れたね!」


 鳥カフェを満喫した俺たちは、店を出て休憩することにした。


「でも、あの店員さん。不思議なことを言ってたね?」


「そうですね。俺たちが先週も来た、みたいな」


 最終的には勘違いだと納得してくれたが、確かに不思議なことだった。

 次の目的地である展望台は、この先にあるらしい。しかし歩いて向かうにはまだ時間がかかるため、すぐに展望台へは向かわず、途上にある休憩所で一休みすることにした。


「昼ご飯はどうします? 適当に店を探してみるのもいいですが」


「あ、それなんだけど……実はお弁当を作ってきました!」


 隣に座った和花さんは、鞄の中からバスケットを取り出した。

 バスケットの中には、色取り取りのサンドウィッチが入っている。


「おぉ……これ、全部自分で作ったんですか?」


「うん! どうぞ召し上がれっ!」


 その辺のカフェで出てくるサンドウィッチより、色も形も整っている。中の具材もバリエーション豊かで、食欲がそそられた。


「美味いです」


「そう? お口に合って良かった」


 嬉しそうに微笑んで、和花さんもサンドウィッチを食べる。


「あ……ちょっと動かないでね」


 のんびりと昼食をとっていると、不意に和花さんがポケットからハンカチを取り出して、俺の顔を見つめた。言われた通り動かずにいると、和花さんがハンカチで俺の口元を拭く。


「はい、もう大丈夫だよ」


 どうやら食べることに夢中で、口元が汚れていたらしい。

 何をされたのか理解した俺は……苦虫を噛み潰したような顔で、和花さんを見た。


「あの、和花さん」


「なに?」


「あんまりそういうの、男子にはしない方がいいですよ。変な誤解をされます」


「他の男子にはしないよ」


 あっさりとそう告げる和花さんに、俺は目を見開いた。


「悠弥君は、何て言うのかな、ほら……」


 もじもじと和花さんは言い淀む。その態度に、俺はつい期待してしまった。

 まさか和花さんは、俺のことを――。


「その……放っておけない、弟みたいな感じというか……」


 えへへ、と恥ずかしそうに言う和花さん。


「弟、ですか……」


 俺はサンドウィッチを食べながら項垂れた。どうせそんなことだと思った。


「……?」


 ふと、違和感を覚える。


「和花さん」


「なに?」


 どうしても違和感が拭えなかった俺は、思わず問いを繰り出した。




「俺たち――――――前にも、こんなことしませんでした?」




 既視感があるのは話の内容だけではない。

 この休憩所から見える風景も、和花さんが作ってくれたサンドウィッチの味も、俺の頭の中に眠る何かを揺さぶっている。

 しかし和花さんは、そんな俺の問いかけに対し、


「えっと、してないと、思うけど……?」


 目を丸くした和花さんが、小さな声で答える。


「……ですよね。すみません、変なことを言って」


 苦笑を浮かべて謝罪した。

 全て、気のせいか。

 いやしかし、気のせいにしては、違和感があまりにも強いというか……。


「悠弥君。もしかして体調、悪い?」


 いつの間にか、和花さんは俺の顔を心配そうに覗き込んでいた。

 しまった。つい考え込んでしまった。

 伏せていた顔を慌てて上げた俺は、笑みを浮かべて対応する。


「すみません。その、少し考え事をしていただけです」


「本当に? 私に気を遣う必要はないよ?」


「本当です」


 自戒を込めて、はっきりと告げる。

 折角、二人で楽しんでいるのに、その空気を壊してしまった。

 何をしているんだ俺は。こんな優しい人を不安にさせて。


「……よしっ! じゃあちょっと予定を変更しよっか!」


「変更、ですか?」


「うん! 展望台とは真逆の方向だけど、この先に大きなショッピングモールがあるの! そこの映画館で今、話題になっている映画が上映されているから、一緒に観に行こうよ!」


 曇りのない笑みを浮かべて和花さんは言う。

 本来ならこの後、展望台に向かう予定だったが……和花さんは俺のことを気遣って、体力を使わないプランに変えてくれたのだろう。


「……いいですね。観に行きましょう」


 その優しさに心打たれながら、俺は頷いた。

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