第5話


 旧神事奉儀会。聞き慣れない単語を聞いて、俺は取り敢えず思ったことを口にした。


「旧があるっていうことは、新もあるということですか?」


「あってないようなものだな」


 ハナコさんは溜息交じりに告げた。


「本物の神事を取り扱う組織ということで、真とか誠みたいな名前をつけてしまうと、まるで現行の神事が偽物みたいに感じるだろう? だが実際は現行の神事も意義ある行為だ。だから真偽ではなく、他の言葉で区別する必要があって……」


「ああ、そういう……」


 そういう気遣いから生まれたネーミングなわけか。

 適当なわけではないのだろう。さっきハナコさんは、科学が普及したことで本物の神事は形骸化したと言っていたし、古い時代の神事を取り扱う組織という意味では正しいはずだ。


「元々は各地方の神社庁が、先程説明した本物の神事を管理するために、専門の組織を用意したことが切っ掛けだ。やがて各地に分散した専門組織を統轄する必要が生じたため、それらの中央機関として神事会が発足したんだ」


 ハナコさんの説明に、俺は相槌を打つ。

 目当てのビルへ到着する。ビルの入り口は神社などでよく見る注連縄で装飾されていた。


「中は……思ったより、普通のビルですね」


 外見は遠目から見るとオフィスビルだが、内装は小綺麗な旅館に近かった。壁紙や調度品が和風であり、綺麗に整えられている。


「ファンタジーと言っても、ゲームに出てくる魔法や超能力みたいなものではない。神事会の仕事は、神々とのネゴシエーションと、それに纏わる雑事が大部分を占める」


「……超常現象を専門に取り扱う、何でも屋みたいな感じですか?」


「ほぅ、的を射ている表現だな。その認識で正しい」


 俺も一応、超常現象を身近に感じている非日常側の人間だ。

 だからハナコさんの説明は、思ったよりも簡単に噛み砕いて、消化できた。


「神事会の事務所は、一般人用のスペースとは隔離されている。……こっちだ」


 ハナコさんはエレベーターの脇にある扉を開け、非常用階段を上り始める。

 三階に着くと、細長い廊下が真っ直ぐ続いていた。床には赤色の絨毯が敷かれており、格式張った空気を感じる。一階のフロントとは雰囲気がまるで違った。

 廊下の先には黒服の男が両脇に佇んでいる。警備員……というより、要人のボディガードのように見えた。体格も筋骨隆々で威圧感のある男たちだ。

 ハナコさんは、そんな二人の男を完全に無視して先へ進もうとした。


「入場証のご提示を――」


「――お前、私の顔を知らないのか?」


 眉を吊り上げて、ハナコさんは言う。

 黒服の男はハナコさんの顔を見て――顔面蒼白となった。


「し、失礼いたしました!」


 男は大声で謝罪して、廊下の端に寄る。

 入場証を確認しようとした男は、俺たちが廊下の角を曲がって見えなくなるまで、ずっと頭を下げていた。


「え、何、今の?」


「……気にしない方がいいですよ」


 凛音が溜息混じりに言う。


「入るぞ」


 両開きの扉を、ハナコさんはノックすることなく開く。

 そこは広々とした事務所だった。通路の両脇には沢山のデスクや本棚、ロッカーが並べられており、窓際には休憩用と思しきソファやドリンクサーバーが置いてある。廊下は畏まった雰囲気に包まれていたが、この部屋の雰囲気は砕けていた。


「ここが神事会の拠点だ。もっとも、各地に点在する拠点のひとつに過ぎないがな」


 特徴的なのは、至るところに置かれた神具だった。小型の祭壇……この場合は神棚と言うのだろうか、そういった祭祀に使われるような道具がそこかしこに置かれている。

 入り口付近で立っていると、窓際の席から二十代前半くらいの女性がやって来る。


「お久しぶりです、ハナコさん。貴方がここに顔を出すのは珍しいですね」


「うちで使いたい人材がいる。登録の手続きをしてくれ」


「……へ?」


 女性が目を見開いた。


「わ、わかり、ました。その、暫くお待ちくだしゃい……」


 ふらふらと覚束無い足取りで女性が席へ戻る。

 大人の女性が噛む姿を初めて見た。


「ハナコぉぉぉ――ッ!!」


 その時、耳を劈く大声が聞こえた。

 通路の先から、スラックスにポロシャツ一枚というラフな格好をした、大きながたいの男が近づいてくる。


「お前、また余計な仕事増やしやがって!」


「何のことだ」


「とぼけんな! 神痕の対処はいいが、その後始末を何もせずに帰っただろ! おかげでうちの区域は今、瘴気の吹き溜りになってんだぞ!」


「仕方ないだろう。私のチームは万年人手不足なんだ」


「だったら人手を増やせって、いつも言ってんだろぉぉぉぉぉぉ!?」


 男は両手で頭を抱え、天を仰いだ。


「ああ、だからここへ来たんだ」


 極めて平静に言うハナコさんに、男は硬直する。


「……なんだと?」


「お前の言う通り人手を増やす。……紹介しよう、うちの新入りの御嵩悠弥だ」


 瞬間、この場にいる全員が俺に注目した。

 だがそれは決して、好意的な視線ではない。人々の顔は何故か不安気だった。


「おい、ハナコさんが新入りを取るって言ってるぞ……」


「嘘だろ? ハナコさんって、じょうかいの?」


「あの人について行ける奴なんて、そういないだろ」


「一人目の凛音ちゃんは良い子だったけど、今度こそ問題児なんじゃ……」


 いつ爆発するか分からない爆弾を見るような目で、彼らは俺に視線を注いでいた。

 何か言った方がいいだろうか――そんな風に考えていると、先程ハナコさんに突っかかっていた男が、ずいと顔を俺に近づける。


「見ねぇ顔だな。……おいおい、ハナコ。人手を追加するのは構わねぇが、流石に何も知らない素人を巻き込むのはマズいだろ。特にお前の仕事は特殊なんだし……」


「人選に問題はない。この男は、天照大御神に哀れまれた人間だ」


 その言葉と同時に、俺は再び多くの視線に曝された。

 だが、その視線は先程のものとはまるで異なる。周囲にいる者たちは、信じられないものを見るような目で俺を見ていた。


「嘘だろ?」


 男が絞り出したような声で言った。


「じ、実在、したのか……? あれは、都市伝説だったんじゃ…………?」


「どうやら実在したようだ。私も見つけた時は大層驚いたぞ」


 ハナコさんが笑いながら言う。


「あ、あの、ハナコさん。こちら、申請書一式ですが……」


 最初に声を交わした女性が、ハナコさんに書類を渡す。


「ご苦労。……二人とも、移動するぞ」


 書類を受け取ったハナコさんは、俺たちに一言告げて移動した。

 事務所の奥にある個室の扉を開き、ハナコさんは中に入る。


「まあ座れ」


 上座に腰を下ろしたハナコさんは、女性から受け取った書類に目を通す。

 凛音がハナコさんの隣に座ったので、俺はハナコさんの正面に座った。


「あの、天照大御神に哀れまれた人間って、何のことですか?」


「それがお前の力だ」


 簡潔に、ハナコさんは言う。


「お前、伊勢神宮に行ったことはないか?」


「……中学三年生の時に、修学旅行で行きました」


「その時、皇大神宮に寄っただろう。伊勢神宮に二つある正宮のうちのひとつ。天照大御神という日本の最高神が祀られている場所だ」


 皇大神宮。普段は馴染みのないその単語だが、俺の頭はよく覚えていた。

 忘れられる筈がない。俺が、賽銭箱に誤って百円玉を入れてしまった場所である。


「お前はそこで、何かをやらかした筈だ」


「やらかした……?」


「ああ。そしてその結果、天照大御神に哀れまれた」


 天照大御神に、哀れまれた。

 哀れまれた――その言葉を脳内で反芻するうちに、俺はある可能性に思い至る。


「ま、まさか……」


「心当たりがあるようだな。何をしたんだ?」


「い、いや、その、別に大したことでは……」


「言ってみろ」


 淡々とした物言いだが、そう告げるハナコさんは有無を言わせない眼光を放っていた。

 確かに、俺はやらしかした。しかし、まさか……それが原因なのか?


「その、話すと長くなるんですけど――」


 半ば自棄になった俺は全てを話すことにした。

 両親が蒸発したことによって、我が家はとんでもなく貧乏になってしまったこと。

 しかしそんな状況下でも、せめて妹だけは幸せにしたいと思っていたこと。

 その結果、俺は血眼になって賽銭箱の中から百円玉を取り出そうとしたこと――。


「ふむ」


 全てを話し終えた時、ハナコさんは何故か俺から目を逸らしていた。


「要約すると……お前は間違えて賽銭箱に入れてしまった百円玉を、わざわざトイレに行くふりをしてまで回収しに向かい、木の枝片手に、周囲の目を憚ることなく、血眼になって賽銭箱の中に手を伸ばし……結局、何も得られずに恥だけ曝して帰ったということか」


「……そうなります」


「そうか、そうか。成る程、成る程……………………くっ」


 変な声が聞こえた。


「す、少し待て。今、心を落ち着ける。……くっ、くくくっ」


「……笑いたきゃ笑ってもいいですよ」


「くっはははははははははははははははははははははははッ!!」


「アンタむかつくなぁ!!」


 人が恥を忍んで全てを語ったというのに、とんでもなく失礼だ。


「いやぁ……色々と予想はしていたが、予想の斜め上を行く惨めさとみみっちさだ」


「みみっちいは余計でしょう」


 俺にとっては大きな問題だったのだ。


「……というか、凛音は笑わないんだな」


「いえ、その……前半の話が、わりと重たかったので……」


 その反応が正常であると信じたい。

 凛音が気にしているのは、御嵩家の家計事情についてだろう。俺だって好きで百円玉のために汗水垂らしていたわけではないのだ。凛音はそれを分かってくれている。


「先程も言ったが、天照大御神は日本の最高神だ。高天原の主宰神にして、日本神話の主神でもある。……そんな偉い神様が、たった一人の人間に対して哀れみを感じたんだ。その影響は計り知れない。……八百万の神は思った。あの天照大御神に哀れまれた人間とは、一体どれほど哀れな存在なのか。さぞや可哀想に違いない。だから――助けてやろう」


 その説明を聞いて、俺は「あっ」と小さく声を漏らしてしまった。

 俺の身の回りで超常現象が起きる時、俺はいつも不思議な声を聞く。

 その不思議な声は、よく「助けてやろう」と言っていた。


「要するにお前は、最高神お墨付きの哀れな人間なんだ。それ故に、お前が困難に直面すると八百万の神はつい手助けする。それがお前の力……神々に助けられやすい体質だ」


 超常現象が起きる際に、聞こえる不思議な声。

 あれは俺を助けてくれる神様の声だったのか……。


「なんか……凄い、複雑なんですけど」


「我々からすると貴重な力だ」


 我々というのは神事会のことだろう。


「天照大御神に哀れまれた人間がいることは、他の神々から何度か伝えられていた。しかし実際にその人間がいる証拠はどこにもなかったため、神々が戯れに噂しているだけの都市伝説のようなものだと考えていたが、まさか実在するとはな。……というわけで書類に記入しろ。その力、これからは私のために使え」


 そう言ってハナコさんは、手元の書類を俺に渡した。

 無言で書面に目を通す。その書類は、神事会の一員になるための申請書だった。


「あの、ハナコさん。俺の力について色々と教えてくれたのは助かります。でも……貴女の勧誘を受けるかどうかは、また別の話です」


 ハナコさんが僅かに目を見張る。

 俺の体質について色々と教えてくれたのは助かった。しかし正直なところ、俺は神事会の仕事というものに、あまり乗り気ではない。

 十六歳の男子がファンタジーを引き合いに出されるだけで、ホイホイと食いつくと思ったら大間違いだ。特に俺はもう一年以上、ファンタジーと向き合っている。神々だの神事だの言われても、やはりピンと来ないし、超常現象はもうお腹いっぱいだった。


 ――俺には大事な家族がいる。


 妹を養うためには毎日休むことなく金を稼がなくてはならないし、妹を心配させないためにも怪しい仕事に手を出すことはできない。


「ふむ。……勧誘なんて半端な言葉を使ったから、回りくどい話になったのかもしれんな。少し言い直そう。私はお前を雇いたいと思っている」


「雇う、ですか」


「そうだ」


 報酬があるということだろうか。だが、無駄である。

 どんなに苦しい時でも、怪しい仕事にだけは手を出さない。俺は妹とそう約束したのだ。

 何を言われても、怪しい仕事には手を出さない。

 残念ながら俺たちの縁はここまでのようだ。


「ちなみに月収は二十万だ」


「末永くお願いいたします」


 深々と頭を下げた。額をテーブルに押しつける。

 凛音から同情の眼差しが注がれているような気がする。


「交渉成立だな。では、さっさと書類に必要事項を記入しろ」


「仰せの通りに、ハナコ様」


「……一周回って鬱陶しいな。口調は戻せ」


 上司の命令だ。従わないわけにはいかない。

 ボールペンで必要事項を記入する。


「書きました」


「よし、すぐに提出しよう」


 俺から書類を受け取って、ハナコさんは素早く立ち上がった。


「私はこれから手続きをしてくる。凛音、その間に我々の仕事について教えてやれ」


「はい」


 立ち上がった凛音が首を縦に振る。

 真面目な面持ちをする彼女に、俺は訊いた。


「まだあんまり分からないんだが、俺たちはパートナーみたいなものになるのか?」


「ええ、不本意ですが」


 凛音は冷たく言い放つ。

 これは少し、やりづらいかもしれない。そんな風に不安を感じていると、ハナコさんがニヤニヤとして笑みを浮かべていることに気づいた。


「気にするな。凛音は少々、ツンデレの気があるんだ」


「あ、ありませんっ!」


 ハナコさんの言葉に、凛音は顔を真っ赤にして怒った。


「ずっと同じ場所にいても窮屈だろう。これをやるから、外で昼食でも食べながら話せ」


 そう言ってハナコさんは俺に、五千円の紙幣を渡してきた。


「ご、五千円……っ!?」


「歓迎会代わりだ。今日くらいは奢ってやる。なんなら全部使い切ってもいいぞ」


「いやいや! 五千円って、俺の一ヶ月の食費より高いですよ!」


「……天照大御神が哀れむだけあるな。凛音、ちょっと高めのファミレスにでも連れ

て行ってやれ」


 そう言ってハナコさんは先に部屋を退出した。

 時計を見る。時刻は十一時半だった。


「た、高めのファミレスか……ちょっと楽しみだな」


「はぁ……先輩は食い意地が張っていますね。もう少し我慢できないんですか」


 溜息混じりに凛音が呟く。

 その時……ぐぅぅ、と。凛音の腹が鳴った。

 沈黙が訪れる。凛音は視線を逸らし、耳の端まで真っ赤に染めていた。


「……食べに行くか?」


 凛音は無言で小さく頷く。

 この子、多分、わりと残念なタイプだ。


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