第16話
「ふぅ……沢山撮れたね」
「そうですね」
鳥カフェを満喫した俺たちは、店を出て休憩することにした。
カフェでも昼食を取ることは可能だったが、折角の休日だ、色んなところを回りたい。
次の目的地は展望台であるため、俺たちは展望台へと続く緩やかな坂を上っていた。その途中で休憩所を見つけたので、一端ベンチに腰を下ろす。
「昼ご飯はどうします? 適当に店を探してみるのもいいですが」
「あ、それなんだけど……実はお弁当を作ってきました!」
隣に座った和花さんは、鞄の中からバスケットを取り出した。
バスケットの中には、色取り取りのサンドウィッチが入っている。
「おぉ……これ、全部自分で作ったんですか?」
「うん! どうぞ召し上がれっ!」
その辺のカフェで出てくるサンドウィッチより、色も形も整っている。中の具材もバリエーション豊かで、食欲がそそられた。
「いただきます」
手前にあるものから順に食べていく。
同情されそうなので言わないが……久々にちゃんとした野菜を食べた。瑞々しいレタスとトマトが美味い。ベーコンの味も薄すぎず、濃すぎず、好みの味付けだった。
「美味いです」
「そう? お口に合って良かった」
嬉しそうに微笑んで、和花さんもサンドウィッチを食べる。
「あ……ちょっと動かないでね」
のんびりと昼食をとっていると、不意に和花さんがポケットからハンカチを取り出して、俺の顔を見つめた。言われた通り動かずにいると、和花さんがハンカチで俺の口元を拭く。
「はい、もう大丈夫だよ」
どうやら食べることに夢中で、口元が汚れていたらしい。
何をされたのか理解した俺は……苦虫を噛み潰したような顔で、和花さんを見た。
「あの、和花さん」
「なに?」
「あんまりそういうの、男子にはしない方がいいですよ。変な誤解をされます」
「他の男子にはしないよ」
あっさりとそう告げる和花さんに、俺は目を見開いた。
「悠弥君は、何て言うのかな、ほら……」
もじもじと和花さんは言い淀む。その態度に、俺はつい期待してしまった。
まさか和花さんは、俺のことを――。
「その……放っておけない、弟みたいな感じというか……」
えへへ、と恥ずかしそうに言う和花さん。
「弟、ですか……」
俺はサンドウィッチを食べながら項垂れた。どうせそんなことだと思った。
「和花さんって、世話好きですよね」
「そうかな? このくらい普通だと思うけど」
普通……なんだろうか。
幼い頃に両親が蒸発してしまった俺にとって、人に世話をされるという経験はそこまで多くない。俺が気にしすぎているだけなのだろうか。
「ご馳走様でした。本当に美味しかったです」
「お粗末様でした。そう言ってくれると私も嬉しいよ」
用意された弁当を全て平らげた俺は、和花さんに礼を言った。
「和花さんは料理も好きなんですか?」
「うーん……料理は別に、趣味ってほどじゃないかな。まあ、一人暮らしをずっとやっていると、料理の腕は勝手に上がるからね」
その返答を聞いて、俺は目を丸くする。
「和花さんは、一人暮らしなんですか?」
「そうだよ。言ってなかったっけ?」
頷くと、和花さんは少しだけ詳しく説明してくれた。
「私、物心つく頃から施設で育ったの。だから元から親はいなくて、高校生になると同時に一人暮らしを始めたの」
その話を聞いて、俺は眉間に皺を寄せた。
――親がいない?
和花さんは凛音の姉だ。だとすると凛音も施設で育ったのだろうか。
そう言えば、俺は凛音のことを何も知らない。八歳の頃からハナコさんの元で働き始めたと言っていたが、それ以前は何処でどのように過ごしていたのだろうか。
「……悠弥君は、あんまり驚かないんだね」
考え事をしていると、和花さんに横から顔を覗き込まれた。
驚かなかったのは、それ以上の疑問が湧いたためだが……咄嗟に言い訳を思いつく。
「その……俺も親がいなくて、妹と二人で暮らしているので」
「え、そう、なの……?」
「はい。だから和花さんの境遇には、少し親近感が湧きます」
驚く和花さんに、俺は続けて言った。
「俺は最初から親がいなかったわけじゃありませんから、住む家がありましたけど……和花さんは施設にいたんですから、一人暮らしはまだしなくても良かったんじゃないですか? 学業と家事って、両立するのは大変ですし……」
「大変だけど、それが施設のルールだからね。私が預けられていた施設では、定期的に試験が行われて、そこで一定以上の点数を取ることができたら院を出て自立しなくちゃいけない決まりなの。試験の内容もペーパーテストじゃなくて複雑なものだから、意図的に点数を低くするのは難しいし、私よりもっと年下なのに院を卒業した人もいるんだよ?」
面白い場所でしょう? とでも言いたげに、和花さんは笑みを浮かべた。
だが俺は、背筋が凍るような感触を覚えた。
――違う。
話を聞いて察した。
恐らくそれは、ただの施設ではない。……神事会の施設だ。
ハナコさんが言っていたことを思い出す。『症状が安定しない場合は神事会の施設へ預けられることになる』――多分、和花さんが育った施設はこれだ。
和花さんは自覚していない。自分がどうしてその施設に預けられていたのかを。
和花さんは何も知らない。自分がどうしてその施設を卒業したのかを。
――どんな祟りなんだ?
この人が振りまいている災厄とは……。
毎晩、ハナコさんと凛音が対策している祟りの正体は、何なんだ。
「悠弥君?」
声を掛けられて、複雑に絡み合った思考が霧散した。
振り向くと同時に、和花さんは自らの額を俺の額に重ね合わせる。
「な、何を――っ!?」
「もしかして体調、悪い?」
目と鼻の先にある和花さんの円らな瞳は、心配そうに俺を見ていた。
「いえ……別に、そういうわけでは」
「でも、元気なさそうだよ? ……私に気を遣っているなら無理しなくてもいいからね?」
いつの間にか、先程までの楽しそうな空気が一転している。
自分が空気を壊してしまったことを自覚した。目の前に和花さんがいるのに、俺は自分一人の世界に入り込んでしまったのだ。
「……すみません。少し考え事をしていただけです」
「本当に? もう一度言うけど、私に気を遣う必要は――」
「本当です。折角、二人で楽しんでいる時に、辛気くさい顔してすみませんでした」
自戒を込めて、はっきりと告げる。
そんな俺に、和花さんは目を丸くした後、
「よし! じゃあちょっと、予定を変更しよっか!」
バスケットを鞄の中に片付けながら、和花さんは意気揚々と言った。
急な提案に俺は首を傾げる。
「変更、ですか?」
「うん! 展望台とは真逆の方向だけど、この先に大きなショッピングモールがあるの!」
和花さんが、休憩所に隣接した道を指さして言う。
俺たちが上って来た道とは別の道だ。その先には都会の街並みが広がっている。
「そこの映画館で今、話題になっている映画が上映されているから、一緒に観に行こうよ!」
曇りのない笑みを浮かべて和花さんは言う。
そんな彼女の優しさに、俺は心を打たれた。
――本来ならこの後、展望台に行くつもりだったのに。
映画なら、別に夜でも見ることができるのに。
展望台に寄ってからでも上映時間には十分間に合う。だが和花さんは、敢えて展望台には寄らず、今から映画館の方へ向かおうと提案していた。
――俺の体調を心配して、体力を使わないプランに変えてくれたんだ。
それを悟られないよう、笑って誤魔化しながら。
俺が申し訳ない気分にならないよう、注意を払いながら。
和花さんは、いつも通りの明るい笑顔を見せてくれる。
「……いいですね。観に行きましょう」
答えると、和花さんは楽しそうに立ち上がって歩き出した。
そんな彼女を見て、俺は決意する。
――もう、祟りのことばかり考えるのは止めよう。
和花さんは誠実だ。優しくて、明るくて、俺に一切の疑念を抱いていない。
なら俺も、この人の前では誠実でありたい。
どんなものかも分からない祟りを恐れたまま、この人と親しくなるのは無理だ。
今の俺は神事会の仕事で和花さんと仲良くしている。だから和花さんの祟りがどんなものであるかは考え続けなければならない。
だが、同時に一人の人間として、彼女に好感を抱いているのも事実だ。
きっと両立できる。
仕事なんて関係なくても、一人の友人として。或いは写真部の後輩として。
――俺は、この人と仲良くなりたい。
俺はもっと、和花さんと仲良くなりたい。
「映画、面白かったですね」
「そうだね」
予定通り映画を鑑賞した後、俺たちはのんびり駅へ向かっていた。
夕食を終えて、映画も観て、帰路についた頃。
「あ、もうこんな時間……」
駅前の広場にある時計を見て、和花さんが言う。
時刻は午後十時を示していた。
「悠弥君、今日は付き合ってくれてありがとう」
こちらに振り向いた和花さんは、明るい笑みを浮かべて言った。
「……お礼を言うのはこっちですよ」
穏やかな気分になりながら、俺は伝える。
「俺もこうやって誰かと一緒に遊ぶのは久々でしたから。……今日は楽しかったです。本当にありがとうございました」
いつもは家事やバイトで忙しいため、こうして一日中、自由に遊び回ったのはかなり久しぶりのことだ。最初は仕事のつもりだったが、気がつけば存分に羽を伸ばしていた。
「わ、私も! すっごく楽しかったよ!」
和花さんは嬉しさと驚きを綯い交ぜにした様子で言う。
「だから、その……もしよければ、これからもお願いしたいというか……」
緊張しながら言う和花さんに、俺は本日の目的を思い出した。
元々、今日は写真部の活動を見学するために、俺と和花さんは歩き回ったのだ。これからというのはつまり、写真部の部員としてという意味だろう。
「和花さん」
広場の中央で、俺は和花さんを呼び止めた。
「このタイミングで渡すのも、迷惑かもしれませんが……なるべく早めに渡したいと思っていましたので……」
鞄から一枚の用紙を取り出して、和花さんに渡す。
「月曜日から、よろしくお願いします」
入部届と書かれたその用紙を見て、和花さんは目を見開いた。
記入は金曜日のうちに済ませていたが、今までそれを提出することはできなかった。
この仕事が終われば――和花さんの祟りを解消できれば、もう俺たちの間に接点はないんじゃないかと思ったからだ。
しかし、今はそんなことないと断言できる。
和花さんと出会ったことに後悔はない。切っ掛けは神事会の仕事だが、俺は今後も和花さんと共に過ごすことができれば良いと思っていた。
一人の友人として、或いは一人の後輩として。
俺はこれからも、和花さんと良い仲でありたいと思う。
「……う、受け取ります」
感極まった様子で、和花さんは入部届を受け取った。
そして満面の笑みが、花開く。
「悠弥君……これからよろしくねっ!」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
部活動の後輩として、部長である和花さんに頭を下げる。
それから俺たちは解散した。和花さんは電車に乗り、俺は自転車に乗り、家に帰る。
家に着いたのは午後十時半頃だった。妹には神事会の件を伝えていないため、玄関の扉を開けると同時に「バイトお疲れ」と労りの言葉を受ける。
風呂に入った時も、歯ブラシをした時も、頭の中では今日の思い出が反芻された。
「……楽しかったな」
今日のことを思い出しながら、布団の中に潜り込む。
こんなに充実した日を過ごしたのは、いつぶりだろうか。
「月曜日が、楽しみだ……」
これからのことを考えながら、俺はゆっくりと瞼を閉じた。
◆
月曜日の朝。
愛用の自転車を駐輪場に停め、俺はいつも通り登校した。
時刻は午前八時半。まだ授業まで余裕のある時間帯だ。
「おっす、悠弥」
席に着く俺に、雅人が声を掛けてくる。
「今年の新入生は、やっぱり豊作みたいだぜ。昨日、野球部に一年の女子マネが入ったみたいなんだけどよ、早速、争奪戦が始まったらしい」
「野球やれよ」
ある意味、平和な部活かもしれないが。
「一年生のことばかり話しているが、雅人は年上の方が好きじゃなかったか?」
「お、流石。よく覚えてるじゃねぇか」
そりゃあ毎日こんな話題を出されたら、覚えたくない情報でも覚えてしまう。
「実はな、写真部にすんげぇ可愛い先輩がいるんだよ」
雅人が真剣な顔で言う。
「お淑やかで優しいお姉さんみたいな感じでさ。ちょっと浮世離れしているような、マイペースそうな雰囲気とかも最高なんだよ!」
「へぇ」
熱弁する雅人に、俺は適当な相槌を打った。
「――そんな人いるんだな」
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