終章

第28話

「くそぉおぉおぉぉぉぉおぉぉ~~っ!!」


 事件の収集から一週間が過ぎた頃。

 昼休み。教室の中心で、雅人が叫んだ。


「なんで俺がフラれるんだよぉおぉおぉおぉおぉお!!」


 写真部の先輩に告白し、見事に玉砕したらしい雅人は今、恥の上塗りをしていた。


「悠弥ぁ……慰めてくれぇ」


「一人で立ち直れよ。予想通りの結果だろ」


「なんだとぉ!?」


 ベタベタと鬱陶しく近づいてくる雅人に、俺は突き放すように言った。

 雅人がタフな性格であることを俺は知っている。今は意気消沈としているが、時間が経てば元通りになるだろう。


 ショックを受けている雅人を傍目に、俺は用務員室へ向かった。

 歩きながら、ここ数日のことを思い出す。

 和花さんの祟りが解けてからの数日間は、凄まじいほど忙しかった。なにせ今まで解かれていた縁が急に復活したのだ。縁解きの被害者は広範囲に伝染しており、改竄された記憶が元に戻ることで、彼らの日常生活には様々な影響が生じた。


 ハナコさんは神事会の仲間と共に、この後始末を早急に行った。結果、今では縁解きの被害者たちの全員が、記憶の修正に気づくことなく、本来の日常を謳歌している。……その分、俺と凛音は後始末の手伝いで暫く徹夜が続いたが。


 一週間が経ち、全ての騒動が落ち着いた頃。

 俺と凛音の寝不足はスッキリ解消され、体調不良を原因にしばらく学校を休んでいた和花さんも登校を再開した。


 用務員室の扉を開く。

 部屋の中には、既に二人の少女がいた。


「悠弥君!」


 和花さんが元気よく俺の名を口にした。


「お待たせしました」


「ううん、気にしないで。私たちも今来たところだから」


 そう告げる和花さんの隣には、凛音が座っていた。


「ハナコさんはまだ後始末に時間がかかるようなので、顔は出せないようです」


「そうか。……何か手伝えたらいいんだけどな」


 とはいえ後始末はもう大詰めに入っている。ハナコさん曰く、あとは神事会の上層部で何度か打ち合わせをすれば終わる見通しらしい。ここから先は人手がいらないため、俺と凛音は先に業務から解放された。


「そう言えば和花さん、雅人の告白を断ったんですね」


「えっ!? な、なんで悠弥君がそれを……っ!?」


「俺と雅人、クラスメイトなんですよ」


「そうなの!?」


 和花さんが驚く。


「うぅ……私、まだあの人のことを全然知らないから、断ったんだけど……大丈夫かな。傷ついてなければいいんだけど……」


「大丈夫だと思いますよ」


 俺は和花さんの正面に座りながら言う。

 同時に俺は、本当に事件が収集したのだという実感を抱いた。


 ――一ヶ月かかった。


 雅人が告白を決意したのは先月のこと。それが今、遂に精算されたのだ。

 この些細な会話をするために、一ヶ月の月日を要した。

 誰かが傷ついたとしても、誰かが悲しんだとしても、受け入れて先へ進まねばならない。

 これが在るべき現実だ。


「二人とも、同じ弁当なんだな」


 ふと俺は、和花さんと凛音の弁当の中身が同じであることに気づいた。


「同じ家に住んでいるんですから、当たり前です」


 凛音が淡々と答える。

 家族の記憶を取り戻した和花さんは、一人暮らしをやめて、今は凛音と共にあの大きな家で過ごしていた。家が大きいため部屋は沢山余っているらしいが、二人は同じ部屋で過ごすことにしたらしい。失った家族としての時間を少しでも取り戻したいからだそうだ。


 実は今朝、俺は二人が一緒に登校する姿を目撃している。

 以前は「姉さんを許せない」なんて言っていた凛音も、今や和花さんにベッタベタだ。


「和花さんは、まだ現人神のままなんですよね?」


「うん。えっとね、神事会の人の話だと、私が身体に取り込んだ五十鈴っていう神器を取り出せばまた人間に戻れるみたい。でもそれには色々と手間が掛かるみたいだから、現時点では人間に戻すことが難しいんだって」


「……すみません。俺たちの都合で勝手なことを」


「全然平気だよ。だって、そのお陰でこうして三人で話せるようになったんだし」


 いざという時は現人神になることも辞さない……菊理媛神ククリヒメノカミと会う前、和花さんはそう言って覚悟を示していた。だから和花さんは何の抵抗もなく、今の自分を受け入れている。


 今まで以上の重大人物となってしまった和花さんだが、祟りと違って今回はその力を制御していた。少なくとも今は何も困っていない。……なら、それでいいのかもしれない。


 ……よかった。


 和花さんは、平気なようだ。

 ズキリ、と胸に小さな痛みが走る。

 俺はこの痛みの原因を知っていた。


 ――もう、人前で着替えはできないな。


 俺の胸にできた赤黒い亀裂は、回復しなかった。

 今回の件で、和花さんは人間であり神でもある存在になった。その一方で、俺は人間でも神でもない存在に近づいてしまった。


 ハナコさんが治療法を模索すると言っていたので、もしかするとそのうち治るかもしれないが……なんとなく、俺はこの身体と生涯付き合っていく気がした。


 後悔はない。ただ、姉妹の仲に水を差したくないので、二人には黙っておこうと思う。


「そんなことより悠弥君。寝癖がついたままだよ」


「あ、すみません。今朝は少しバタバタしていて」


「もう……ちょっとしゃがんで、お姉さんが直してあげるから」


 言われた通り身を屈めると、和花さんが俺の髪を指でといた。

 真正面に和花さんの胸元があったため、思わず視線を逸らす。その先では、凛音が軽蔑するような目で俺を見ていた。


「悠弥君、お昼ご飯はそれだけ?」


 和花さんは、俺がテーブルに出したおにぎりを見て言う。


「はい。神事会の給料はありますけど、まだ節約したいですから」


 妹を大学に通わせるためには、まだまだ貯金が足りない。

 当分はおにぎり一つで我慢だ。


「なんとなく予想していたから……はい、これ」


 そう言って和花さんは、鞄から新たに弁当を一つ取り出し、俺に渡した。


「これは……?」


「悠弥君のお弁当。……悠弥君は育ち盛りなんだから、ご飯はもっと食べた方がいいよ。というわけで、これから毎日作ってあげるね!」


 輝く笑みと共に、和花さんは言った。


「あの……非常にありがたいんですけど、俺のためにそこまでしなくてもいいですよ。和花さんの暮らしもまだ落ち着いてないでしょうし……」


「いいの、いいの! 悠弥君には色々助けてもらったんだから!」


 和花さんは明るく笑いながら言う。


「それに、悠弥君の家庭事情を考えると、いてもたってもいられなくて。……ほ、他に欲しいものはない? お姉さん、悠弥君のためなら何でもしてあげるからね? お昼ご飯だけじゃなくて、朝ご飯と晩ご飯も作ってあげるし。……妹さんと一緒に暮らしているなら少しはマシだと思うけれど、寂しくなったらいつでも呼んでね? その……悠弥君さえよければ、私がいつでもご両親の代わりになってあげるから。何でもお世話するよ?」


「い、いや、その……」


 発想が突飛過ぎる。

 友人、恋人を飛び越して、親の代わりときたか。

 複雑な思いをしながら、俺は事件が終息した後に、ハナコさんとした会話を思い出した。




『静真和花が現人神となった以上、悠弥の体質が影響を及ぼすかもしれない』


 ハナコさんは冷静に、そんなことを言っていた。


『天照大御神に哀れまれたお前は、神々から同情されやすい体質だ。現人神になった静真和花も、今後他の神々と同じく、お前を本能的に哀れむようになるだろう』


『えっ』




 あの時はイマイチ意味が分からなかったが、成る程、こういうことか。


「どう、悠弥君? お味は……」


「美味しいです」


 以前、和花さんのサンドウィッチを食べた時も思ったが、料理が得意なのだろう。

 春巻きも、豚肉の生姜焼きも、ポテトサラダも美味い。


「あ、これ美味いです。一番好みかも……」


 卵焼きを食べて、感想を述べる。

 すると……何故か、凛音の顔が赤く染まる。


「悠弥君。それ、凛音が作ったの」


「えっ」


 和花さん言葉を聞いて、俺は恥ずかしそうに俯く凛音を見る。


「ね、姉さんの手伝いがしたかっただけです。他意はありません」


「そう? でも昨日の夜から、悠弥君の好みをすっごく念入りに訊いてきたよね?」


「姉さん!!」


 それは言ってほしくなかったのだろう。

 凛音は真っ赤な顔で怒る。


「青春しているな、若人たち」


 その時――唐突に部屋の扉が開き、赤髪の女性が入ってきた。


「ハナコ、さん?」


 後始末でまだ忙しい筈のハナコさんが、何故か俺たちの前に姿を現した。


「ハナコさん、もう用事は済んだんですか?」


「いや、寧ろ長引きそうになってきた。少し面倒なことが起きてな」


 少し疲れた様子でハナコさんは言う。


「現人神となった静真和花の扱いを巡って、神事会で内部分裂が起きた。これを解決するために、各派閥の代表者たちで対抗戦を行う予定だ」


 内部分裂――まさかそんなことが起きているとは。

 事態は思ったより複雑化しているらしい。


「ご、ごめんなさい。私のせいで……」


「気にするな。これは神事会の都合だ。お前のせいではない」


 申し訳なさそうに謝罪する和花さんに、ハナコさんは淡々と返す。

 そもそもの元凶は和花さんではなく、菊理媛神ククリヒメノカミだ。俺と凛音も同意見である。


「というわけで、悠弥」


 ハナコさんが俺を見て言う。


「お前、対抗戦に出ろ」


「……はい?」

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青春は神事に似ている サケ/坂石遊作 @sakashu

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