第24話 トモリさんの長い夜

「ミミル、ミミル……!」

 トモリさんは泣きそうな顔で何度も呼びかけました。でも、ミミルは一向に目を覚ます気配はありませんでした。

「ああ……!いったいどうしたって言うんだろう」


 今はミミルはレインボウ・ベーカリーの二階で、ベッドに寝かされていました。

 あの後、トモリさんに負ぶわれて早々に戻ってきたのでした。みんなも一緒でした。


「どこか調子が悪かったのかねえ」

 とスースの奥さんが言いました。

「そんなことはありませんよ。ミミルは誰よりも今日の祭りを楽しみにしていたんです」

 と、トモリさんは頭を抱えました。


「ひどい熱だわ」

 と、ミミルの額に当てていたおしぼりを取り替えて、フィーナが言いました。

「元気そうに見えたけどなあ」

 とビゼが言いました。ユリヤも心配そうにミミルを見ていました。


 外はすっかり真っ暗になっていました。そろそろお祭りも終わる時間でした。

「すみません、皆さん。せっかくのお祭りだったのに」

 とトモリさんは悪そうにしました。

「それどころじゃないですよ」とビゼは言いました。「ミミルの方が心配です」


 誰か階段を登ってくる足音が聞こえて、部屋の扉が開きました。背の高い男の人が顔を出しました。


「医者を連れて来ましたよ」

 と言ったのは、髪をくちゃくちゃに乱したバゲット先生でした。その後に続いて、お医者さんが入って来ました。


 その顔を見てトモリさんはホッと一安心しましたが、しばらくして医者が帰るときには、まるで窓の外に広がった闇のような気分になりました。


 原因は分からない。それがお医者さんの診断でした。

 とにかくしばらく安静にして様子を見るように、とのことでした。


「くそっ」と感情的になったのはビゼでした。「ヘボ医者め。何の意味もないじゃないか」

「およしなさいよ。あんたが怒ったってしょうがないじゃないの」

 とスースの奥さんがたしなめました。


「一度、冷静になって振り返ってみましょう」とバゲット先生が言いました。「今朝からのことを順番に振り返ってみるんです」


「今朝からというと」と、トモリさんは泡立つ気持ちを抑えて思い出してみました。「朝はいつもの朝食のほかにドールクッキーを食べて、それから……」

 トモリさんは、おや、という顔をしました。


「お昼にケーキを、王様のケーキを食べたんですが、食べにくそうにしていたんです。ああ、あのときに僕がもっと注意していれば……!」と、トモリさんは頭を抱え込みました。「あの子は優しいから、調子が悪かったのを、僕に悟らせまいとしていたのかもしれない」


「トモリさん、冷静に」と、フィーナはトモリさんの背中に手を当てました。「他にどんな様子でしたか?」


 トモリさんは少し落ち着きを取り戻して言いました。

「そういえば、おかしなことを言っていましたね。このケーキは食べたことはあるけど、お祭りの日だったかどうか覚えていないって」


「うーむ、普通はお祭りの日にしか食べませんねえ」とバゲット先生。「それからほかには?」

「それ以外は普通だったと思いますが……」


「倒れたときはどうしてました?」

「僕はベールを取るために女神像のところに行っていたので。前から探したんですけど、大人の人たちに隠れて見えなくて。お二人の近くにいたと思うんですが」


「私もずっと隣にいたとばかり」とフィーナが言いました。「そこにいると思って話しかけたら、倒れていたんですの。あの騒々しい中で、倒れる音とかは聞こえませんでしたわ」

「それはいつのことだった?」とバゲット先生は訊きました。


「ちょうどトモリさんがベールを外されたときだったのだけど……」とフィーナは沈鬱な表情になりました。「もしかして女神像を見てショックを受けてしまったのかしら。あんなデザインにしなければ良かったかも」


 フィーナの視線の先には、以前彼女がミミルにプレゼントした絵がありました。

「いえ、そんなことはありませんよ」とトモリさんは、はっきりと言いました。「ミミルはこの絵をすごく気に入っていたんです」


「いずれにせよ」とバゲット先生は言いました。「今夜は安静にして、朝になったら元気になっているのを祈りましょう」



 その後、みんなはそれぞれの家に帰っていきました。

 トモリさんはときどきおしぼりを取り替えながら、ずっとミミルのそばについていました。


 それは長い夜でした。トモリさんが今まで過ごした中で、一番長い夜でした。

 ミミルが目を覚ましたとき、すぐに食べられるようにと、彼女の好きな食パンと、いつでもミルクを温められるように用意しておきました。


 夜も更けたころ、看病の甲斐あってか、ようやくミミルの熱は下がりました。

 トモリさんはホッと一安心しましたが、今度はミミルはうなされるようになりました。何か悪い夢でも見ているみたいでした。


「ミミル、ミミル……!」

 トモリさんは何度も呼びかけましたが、ミミルは目を覚ましませんでした。


 夢の中で、ミミルはある日のことを思い出していました。思い出して、苦しんでいました。


 それは一年前、長きに渡った戦争が終結した日。

 ミミルの誕生日。

 ミミルの家が跡形もなく燃えてしまった日。

 ミミルが記憶の一部を失った日。

 ミミルのママが、亡くなった日のことでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る