第23話 女神像のお目見え

 夕方近くになって、ミミルはトモリさんと一緒にお祭りに出かけました。

 音の出るものは悩んだ末に、ミミルは小さなミルクパンを持っていくことにしました。トモリさんはお鍋の蓋です。


 カンカン鳴らして歩いていきました。道はもうすっかり歩きやすくなっていて、少し前まで穴ぼこだらけだったのが嘘みたいです。


 お祭りは噴水の女神像があるところを中心として、広場の外にまで広がっています。

 通りの真ん中にある公園を広場に向かって歩いていくにつれ、屋台や飾りつけが多くなっていきました。


 楽しそうな顔をして足早に歩いていく大勢の人たちがいました。

 それを見るとトモリさんは、思わず目頭が熱くなりました。


「ここまで来たんだなあ」

 戦争が終わって約一年。今年のトイデル祭りは、街の復興を強く印象づけるものでした。


 一年前は、道は穴ぼこだらけで、家も壊れているか燃えているかでした。人も少なくて、あちこち怪我を抱えた人が、虚ろな目をして通りに佇んでいたのです。


 それがたった一年で、街は様変わりしました。

 フィーナやソンボのように、外から新しい人がやって来ました。

 スースの奥さんやビゼのように、元々住んでいた人が戻ってきました。


 街はもう一年前と同じ街ではありません。見事に復興し、新しく生まれ変わったのです。


「花をいかがですか?」

 と、声をかけられました。

 見ると、きれいな民族衣装に身を包んだ娘さんが、花の入った籠を下げています。二人に花を差し出していました。


「こりゃ、どうもありがとう」

 とトモリさんは花を二輪受け取りました。

(ああ、日常が戻って来たんだな)

 と、トモリさんはその花を見てしみじみと感じ入りました。


「ほら、君のだよ」

 と、トモリさんがミミルに花を一輪渡すと、ミミルは髪にそれを差しました。

「良く似合うね」

 とトモリさんが言うと、ミミルはにっこり笑いました。



 広場に入ると、すでにたくさん人がいました。

 ソンボが中心になって、子どもたちのかわいい楽団が、手作りの音楽を演奏しています。

 カンカン、ジャンジャラ、ポコンポコン。

 お鍋やらバケツやらで楽しそう。

 ちゃんとした楽器なんかなくたって、立派な音楽です。

 その周りを陽気に踊っている人たちもいました。


 ボロロン、ボロロン。

 ヒューデロ、ヒューデロ。

 住人の中には、ギターを持ってきている人もいました。笛を吹いている人もいます。音楽が好きな人たちが、この街にもたくさんいたようです。


 ベンチに座ってギターを弾いている人のそばには、松葉杖が立てかけてありました。ビゼでした。その隣で笛を吹いているのはユリヤです。二人は息ぴったりに演奏していました。


 ミミルと目が合うと、ビゼはにっかりと笑いました。

「ビゼさん」

 とミミルは言いました。

「壁は持ってきたかい?」

 とビゼは冗談を言いました。


「これよ」とミミルはミルクパンをカンカン鳴らしました。「ギターが弾けるなんて知らなかったわ」

「器用貧乏でね」

 とビゼは自嘲的に言いましたが、なかなかの腕前をしていました。


 広場に植わっている街路樹には、色とりどりの短冊が吊るされてありました。

「さあ、ミミル。僕たちも短冊を吊るそう」

 と、トモリさんが言って、ミミルはポケットから短冊を取り出しました。

「何て書いたんだい?」

「トモリさんこそ、何て書きなすったの?」


「僕は、この街の人がみんないつまでも平和に暮らせますようにって。君は?」

「内緒よ」

 と言って、ミミルは街路樹の奥の方に短冊を結びました。


 実はミミルの短冊にはこう書いてあったのです。「ママに会いたい」

 でもミミルは恥ずかしくて、トモリさんにも言えませんでした。


 女神像の周りに人だかりが出来ていました。

「やあ、お二人さん」とトモリさんは、その中にフィーナとバゲット先生の姿を見つけて声をかけました。「ごきげんよう」


「ごきげんようですわ」

「ごきげんようです」

 二人はもういつも一緒で、分かち難く結ばれていました。


「とうとうこの日が来ましたね」

 とトモリさんは感慨深げに言いました。

「皆さんのおかげですわ」

 とフィーナは、少しはにかんで笑いました。


 フィーナがデザインした新しい女神像は、今日がお目見えです。まだ上からシートが被せてありましたので、どんな顔をしているのか見えません。


「トモリさん、お待ちしていましたよ」

 と声をかけてきたのは、スースの奥さんでした。

「やあ、奥さん。とうとう新しい女神像のお目見えですね」


「やあ奥さん、じゃありませんよ。トモリさんがシートを取る役ですよ」

「え、そうなんですか?」


 トモリさんは知らなかったようです。スースの奥さんを始め自治会の人たちに押されるようにして、前に出ていきました。

 司会をするのは本屋のパンセさんでした。


「えー、本日お集まりの皆さん。この度は、このように盛大な祭りを開催できたことを嬉しく思います」

 パチパチパチと、みんなから拍手が起こりました。


「思い起こせば約一年前、この街は悲しみに打ちひしがれていました。街は壊れ、道は穴ぼこだらけ、人は少なくなっていました」

 パンセさんがそう言うと、みんな静かに彼の話に聴き入りました。


「皆さんは今日がどのような日かご存知でしょうか?今日はあの悪夢のような戦争の、最後の戦闘があった日から、ちょうど一年になります」

 おおー、と、ため息ともどよめきともつかない声がみんなから漏れました。


「一年前、この街であった戦闘を最後に、戦争は終結しました。あのとき多くの不幸があり、多くの血が流され、多くの尊い人命が失われました」

 そう言われて、みんなそれぞれに悲しいことを思い出してしんみりしました。


(そうか、あれから一年なんだわ)と、ミミルも感慨に耽りました。(あれから一年経った、一年……)

 当時のことを思い出そうとします。一年前というと、まだトモリさんに会う前です。


 その頃ミミルはママと二人で、小さなまじない屋で暮らしていました。

 ですが、うまく思い出せませんでした。無理に思い出そうとすると、頭の中に霞がかかったようになります。そのうちにまた、あの頭痛がしてきました。


「ですが、この一年、我々は希望の灯火を消すことなく、絶え間ない復興への歩みを進めてきたのです」と、パンセさんはみんなを鼓舞するように、力強く言いました。「今日この日をもって、終戦記念日としたいと思います。同時にこの日は、トイデル大通りの新しい歴史が始まった日でもあります。今日を境に、この街は王様の街から女神の街へと生まれ変わりました。希望の女神ナディアの見守る希望の街。これをトイデル大通りの新しい呼び名にしたいと思います。王様の祭りと呼ばれたトイデル祭りも、女神の祭りに生まれ変わって、本来の姿を取り戻すのです」


 そう宣言すると、パチパチパチパチと、大きな拍手が起こりました。でも、その音はミミルの頭にひどく痛く響きました。


「それでは、この新しい日を迎えるにあたって、今回のトイデル祭りの開催に大きな貢献をされた方に、女神像のベールを取ってもらいたいと思います。皆さんご存知、この街の老舗ベーカリー、レインボウ・ベーカリーのトモリさんです」


 トモリさんがはにかみながらみんなの前に出て、深々とお辞儀をしました。

 パチパチパチパチと、また一際大きな拍手が起こります。ですがミミルの頭の痛みは、ますますひどくなっていきました。


(いた……、痛い!)

 ミミルは思わず持っていたミルクパンを落としてしまいました。でも、誰もそれに気づいた人はいません。


「えー、僭越ながら、少し話をさせていただきます。大役をおおせつかったトモリです」とトモリさんが話し始めました。「ちょうど一年前、僕は絶望に打ちひしがれていました」

 みんな静かにトモリさんの話に聞き入りました。


「幸いなことに、今はこうして先祖から受け継いだパン屋を続けていられますけど、本当はもう店をやめようかと思ったんです。この街にあまりにも希望がなかったからです。ですが、ある人のおかげで、僕はどんなときでも希望を捨てないでいられました」


 トモリさんはみんなの中にミミルを探しました。ですが、小さなミミルは人混みの中に隠れてしまって見えませんでした。そのまま話を続けました。


「その人はいつでも女神様の方を向いていました。僕の一番大切なその人に捧げます。希望の女神ナディアです」

 パサッと、トモリさんは女神像に被せられていたベールを取り外しました。


 ワアアと完成が沸き起こりました。ついに新しく生まれ変わった女神像が、人々の前にお目見えしました。


 そしてミミルは女神像の顔を見て、ハッと息を飲んだのです。

(ママ……!)

 それはフィーナが、ミミルが大きくなったときを想像してデザインしたのです。その顔は、まったくミミルのママにそっくりでした。


(ママ……!ママ、ママ!どうして死んじゃったの!?)

 ミミルの小さな胸に、名状しがたい感情が怒涛のように押し寄せて来ました。

 そのときです。

 ミミルは思い出してしまいました。


 どうしてママは死んでしまったのかということ。

 どうしてミミルは自分の歳も誕生日も覚えていないのか。

 そして、今日がミミルの誕生日だったのだということを。


「あの顔はね、ミミルちゃんが大人になったらって想像して作ったのよ」と、フィーナは隣にいるはずのミミルに語りかけました。が、フィーナがそこにあると思ったところにミミルの頭はありませんでした。


「ミミルちゃん!?」

 そのときまでに頭痛は耐えがたいほどになっており、ミミルはとうとう気を失って倒れてしまったのです。

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