第13話 トモリさんのおまじない

 それからというもの、トモリさんはミミルの先生探しに奔走していました。

 それは誰でもいいというわけにはいきませんでした。


 知識と教養が十分であるのはもちろんのこと、人柄も良くなくてはいけません。思想的に偏った人ではいけないし、伝統を大事にしながらも、新しい社会に目が開かれている人でなくてはいけません。


 何より、これからミミルと二人でしばらく時を過ごすのですから、子どもにいい影響を与える人であるのは第一でした。


 トモリさんは職人です。何をやるにもこだわりというものがあり、つい中途半端には出来ないのでした。


 でも、はたしてそんなに優秀な人が簡単に見つかるのでしょうか?ミミル一人に勉強を教えるために時間を割いてくれるものでしょうか?そのような人であれば、もうどこかの学校で教鞭を取っているに違いありません。


 それに一番の問題は、そんなに月謝を払う余裕はない、ということでした。

 トモリさんは特別に優秀な先生ばかりを探していましたが、優秀な先生であればあるほど、高い授業料が必要になるのは当然でした。


 トモリさんはふと考えたりします。

(僕はフィーナさんに来てほしくて、わざと無理な条件を作っているのかなあ)

 でも、考えてもすっきりした答えは出て来ませんでした。


 ある日のこと、トモリさんはいつものようにミミルと街にお散歩に出ていました。

 ちょうど噴水の女神像のところを通りがかったときでした。


 トモリさんは、何ともなしにミミルに話しかけました。

「女神像にお願いして行こうか?君の先生が見つかりますようにって」


 ミミルはあまり乗り気でなさそうでした。

「うーん、どっちでもいいわ」


「女神像がまだ壊れているからかい?」

「そうじゃないわ。壊れてたって、女神様は女神様よ」


「そういうことなら、お願いして行こう。まだ水はないけど、効果は一緒だよね」

 噴水にはまだ水は入っていませんでした。噴水の底には、何枚かの錆びついたコインが落ちていました。


 トモリさんは、ポケットからコインを一枚出して、空の噴水に投げ込みました。カリン、カリンと、乾いた音が空気に吸い込まれていきました。


「どうか、ミミルにいい先生が見つかりますように」

「そんなことしたって、意味ないわよ」


 ミミルから意外な言葉が出たので、トモリさんはちょっとびっくりしました。

「こうすると女神様の思し召しがあるって言ったの、君じゃないか」


「私はそんなこと言ってないわ。おまじないをすると思し召しがあるって言ったのよ」

 トモリさんは肩をすくめました。


「外国では、こういう風習もあるって聞いたから」

 この国にだってそれはあります。こういう風にお願いする人だって多いし、トモリさんも以前、にっちもさっちも行かなくなったとき、今みたいにコインを投げ込んだのでした。


 でも、どうやらトモリさんが考えていた思し召しと、ミミルのそれとは違うようです。


「おまじないの女神様はそういうんじゃないわ。だってそれだと、この像の前まで来なきゃ思し召しがないってことじゃない。ここまで来れなくても、おまじないが必要なときがあるもの」


「それもそうだ」

 二人はまたぶらぶら歩き出しました。頭のすぐ上を、カモメがひゅーんと飛んで行きました。


「僕はまだ、おまじないを勉強しなきゃいけないね」

「私もよ」

「君もかい?」

「そうよ」


「じゃあ、誰が僕の先生になってくれるの、おまじないの?」

「私よ」

「君の先生は誰がなってくれるの?」

「トモリさんだわ」

「僕が君に教えるのかい?」

「そうよ」


 ミミルは時にすごく大人びて見えることもあれば、子どもっぽいときもあります。トモリさんは時々こうやって、ミミルとの辻褄の合わない会話を楽しんでいました。それはエリーゼが小さかったときのことを思い出させました。


「僕はまだ、勉強が必要だよ」

「私もよ」

「勉強が必要?」

「そう、勉強が必要」


「じゃあ、やっぱりいい先生が必要だ」

「ダメよ、そういうの嫌いだわ」

 大人っぽいミミルが顔を出しました。


「ごめん、悪かった。そんなつもりはなかったんだ。ただ、話の流れってやつさ。悪気はない」

「悪気はない」


「そう、悪気はない。許してくれる?」

「どっちでもいいわ」

「許してくれないの?」

「どっちでもいいわよ」


 ミミルはまた子どもっぽい遊びをしているようでした。

「意地悪は嫌だよ」

「ウフフ、意地悪じゃないもん。どっちでもいい」


「ミミル」

「分かった、許してあげる」


 またぶらぶら歩いて行きました。港まで行くと、今度は来た道を戻り始めました。


「どっちでもいい、どっちでもいい、どっちでもいいわ」

 と、ミミルはさっきの言葉に、適当に節を付けて歌っていきました。


「今日はそれがお気に入りだね」

「お気に入りかもしれない。お気に入りじゃないかもしれない。どっちでもいいのよ、どっちでもいい」


「おまじないなのかな、それは」

「うーん、どうかしら?おまじないにしては変だわね。でも、どっちでもいいって言っていると、本当になんだかどっちでもいいような気になってくるわ」


「じゃあ、おまじないだ。それもノートに書いておこうよ」

「どっちでもいいわよ」


 ミミルはもう、遊んでいるのか本気なのか良く分かりませんでした。

 そこでトモリさんは、一つ思い付いたことがありました。


「ねえ、ミミル。どっちでもいいんだったら、こういうのがあるよ」

「何かしら?」

「もっといい言葉さ。ケセラセラ」

「何それ、どこの言葉?」


「僕も良く分からないけど、外国の言葉だよ」

「どういう意味?」

「どっちでもいいさ、っていうか、それよりは、なるようになるさ、っていう感じかな」

「なるようになる」


「うん、なるようになる。どうだい、おまじないっぽくないかな?」

「うーん、なるようになる、っていうのは、ちょっとおまじないっぽくないわね。ケセラセラの方がいいわ」


 なるようになる、だと、ミミルは何だか投げやりな気がしたのです。でも、ケセラセラは気に入りました。


「ケセラセラ、ケセラセラ」

 と、今覚えたばかりの言葉にまた適当な節をつけて歌いながら、ミミルは踊るように歩いて行きました。トモリさんは後を付いて行きます。


「ケセラセラ、いいおまじないだろ?」

「ケセラセラ、いいおまじない。どこで覚えなすったの?」


「覚えてないさ。ケセラセラだよ」

「ケセラセラ、どこの言葉なの?」


「どこかの言葉さ、ケセラセラ」

「ウフフ、歌みたいね」


 それからひとしきり、ミミルとトモリさんは、ケセラセラ、ケセラセラと歌って歩きました。


 レインボウ・ベーカリーまで来る頃には、女神像のところでしていたような心配など、トモリさんからはもうすっかりなくなっていました。


「素敵なおまじない、ケセラセラ、だ。なるようになるもんだ」

 とトモリさんが空を仰いで呟くと、先を行っていたミミルは、店の扉の前でクルッと振り返って言いました。

「ほら、言ったじゃない。トモリさんが先生よ」

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