第16話 お祭りについて話し合う
時の流れというのは、確かに存在しているようです。この街の人々にとって、戦争の最中というのは悪夢のような時間でした。この日々が永遠に続くのではないかと、誰しもそんな絶望的な気分になっていたものです。
ですが、どんなに長い夜も決して明けないことはありません。まるで待ち侘びた春がやってきたように、戦争の終結とともに人々の心には希望の明かりが灯り始めました。
それでもなお深いところにはまだ傷痕が残っていますが、街も人も着実に復興へと歩みを進めています。
壊れてしまって穴ぼこだらけだったトイデル大通りも、徐々に元の姿を取り戻しつつありました。
「ええ、ですから今度のお祭りは、トイデル大通りの復興を象徴するものにしたいんですよ」
と、トモリさんは発言しました。
今日は街の自治会の寄合でした。来るべきトイデル祭りをどうするかというのが、今日の議題の中心でした。
トモリさんやスースの奥さん、本屋のパンセさんなど、元々この街の住人だった人たちに加えて、フィーナや音楽屋のソンボなど、戦争が終わった後に新たに住み着いた人たちも加えての、大規模な話し合いでした。なんと本屋を半日お休みにして、バゲット先生まで参加していました。
「今まで、と言うのは戦争が始まる前までということですけど、ここトイデル大通りは王様の通りと呼ばれていました。ですが皆さんご存知のように、もうこの国には王様はいません」トモリさんは改めて出席者の顔を見回しました。「トイデル祭りも、これまでは王様の祭りと呼ばれていましたけど、王様がいなくなってしまった以上、もうそういう呼び方は出来ないと思います」
「そうそう」と本屋のパンセさんは、腕を組んでウンウン頷きました。「こうしていなくなってみると寂しいもんだね。最後の王様には、そりゃあ複雑な思いもあるけど、何かこう心に穴の空いた感じがするね」
みんな同じように思いました。
「本当ですね。なんだかんだで王様の存在って大きかったのだわ。特にこの街の住人にとってはね」
とスースの奥さんがしみじみと言いました。
トモリさんは一度大きく頷くと、次を続けました。
「そこで僕たちには、王様に変わるものが必要です。何か新しく心の拠り所になるものが」
それは何だろう、と思う人はいませんでした。もうこれまでに、細かい話し合いを重ねていたのです。
「それはなるべく古いものがいいと思います。この街の起源というか、僕たちがここに住み着くようになる以前からずっとあったものがいいと思います。僕らは未来へと進んでいます。ですが、大木が根っこによって支えられているからこそ、大空に向かって枝葉を伸ばせるように、僕らにも何かそのようなものが必要なんです」
と、トモリさんは一度そこで間を置いて、出席者一同を眺めました。みんな神妙に彼の話を聞いているようでした。
「そこで思うんですが、僕は公園の女神像、これを新たな街のシンボルにしたらどうかと。つまり希望の女神ナディアです」
このトモリさんの発言に反対の人はいませんでした。
「ですが、今女神像は壊れています。そこで、絵描きのフィーナさんにデザインしてもらって、新しい女神像を建て直したいと思います」
とトモリさんはフィーナの方に目をやりました。フィーナは少し恥ずかしそうに、みんなに向けて軽く会釈をしました。
「大役を仰せつかりました、私は絵描きのフィーナです。皆さんのご期待に沿えますよう精一杯努力しますわ」
とフィーナが言うと、みんなはパチパチパチと拍手をしました。
「そして今度のお祭りは、新しい女神像のお目見え式ということで、盛大にお祝いしたいと思います」
とトモリさんは言いました。また出席者から、パチパチパチパチと、今度は盛大な拍手が起こりました。
「いい案ですわ」とスースの奥さんが言いました。「今まで何か足らないような、そんな気がしていたんですのよ」
戦争に行ったまま未だ帰らない、スースの奥さんの息子のビゼのことが、そのときトモリさんの頭の中にチラッとよぎりました。
「やっぱり、拠り所になるものが必要なんだよな。街にも、この街に住む私たちにも」
と本屋のパンセさんが納得したように言いました。
「そうですね」とトモリさんは受けました。「そもそもあの女神像は、この街を今の形に作ったかつての王様が、女神の御加護を受けたことをきっかけとして、今の場所に建てられたと言われています。このことは皆さんよくご存知だと思います。ですが、一般に伝えられていることとは別の説もあるそうなんです。そのことについて、今日はバゲット先生から説明してもらおうと思います」
「あー、エヘン」とバゲット先生が一つ咳払いをして話し始めました。「古い文献を紐解きますと、今トモリさんが言われたのとは違う記述が見られます」
バゲット先生がそう言うと、みんなは彼の方に身を乗り出しました。
「すでにご存知の方もおられるかもしれませんが、あの女神像はこの街、トイデル大通りが今の形になる前からあそこにあったようなんです」
と、ズズズとお茶を一口すすって、バゲット先生は口の中を湿らせました。
トモリさんは、以前ミミルが言っていたことを思い出しました。ミミルも今バゲット先生が言ったのと同じことを言っていたのです。
「土着の宗教と言いますか、宗教と言うのとは違うのですが、あの像はずっと以前からあそこにあって、住民の手によって大事にされてきたようなのです。素朴な信仰というやつです」
とバゲット先生は言いました。
「それじゃあ、王様と女神像とは関係ないのかい?」
とスースの奥さんが訊きました。
「全く関係ないということはありません。あの像が今の像として作られた年代は、はっきりしています。この街を作った王様の在世中です。今の像を建てたのは、その人で間違いありません。今の像、つまり先の戦争で壊れてしまったあの像ということですけど、像自体は王様が作ったものです。周りに噴水を作って公園を整備したのもその王様です。ですが、それ以前にはおそらくそれ以前の古い女神像が、あの場所にあったと考えられます」
とバゲット先生は説明しました。
「ということは」とトモリさんは言いました。少し言いにくそうに後を続けました。「その、あそこの噴水にコインを投げ込んで願をかけるというのがありましたけど」
「噴水にコインを投げ入れるというのは後付けですね。元々噴水などなかったのですから。ですが、女神像に願いをかけるというか、祈りを捧げるということは昔からあったようです。嘘か誠かは存じませぬが、文献によれば、なんらかの方法で女神が人々の願いを聞き届けたとあります。憶測ですが、かつての王様は、女神像に何かしら願いを叶えてもらったことがあったのかもしれません。それで像を建て直したと」
バゲット先生はまたお茶を一口啜りました。
「女神像が願いを叶える、ねえ」とスースの奥さんが言いました。「本当だったら私もお願いしたいさね。てっきりあれは観光客が面白がってコインを投げ入るのだとばかり思ってたけど」
奥さんは、何か思うところがあるような様子でした。
トモリさんは、かつて自分がコインを投げ込んだことを思い出しました。この中の誰かに見られてやしなかっただろうかと、ちょっぴり恥ずかしくなりました。
「バゲット先生」と、それまでじっと話を聞いていた音楽屋のソンボが発言しました。「その、なんらかの方法というのは、何か分かっているのでしょうか?」
「残念ながら、そこまでは文献には書いてありません」
とバゲット先生は首を振りました。
「もしかしてそれは」とトモリさんが言いました。「おまじないみたいなものじゃないですかね?」
「そこまでは何とも。文献にないことは私にも答えられませんが」
「あるいは、お祭りをすることで願いが通じやすくなるとか」トモリさんは、以前ミミルがママに聞いたということを確かめてみたかったのです。「そう言う人たちもいたようなんですけど」
「昔は昔でお祭りがあったのかもしれません。ですが残念ながら、あの女神像に関する資料はほとんど失われてしまっているのです。ただ分かっているのは、あれが希望の女神ナディアと呼ばれているということだけです」
とバゲット先生は言いました。
「全部失われた後に希望が残ったと」とパンセさんが言いました。「何かあったね、こういうの」
「パンドラの箱ですよ、お父さん」
とバゲット先生は答えました。
「希望、ねえ」とスースの奥さんはしみじみと言いました。「希望だけは残った、か」
トモリさんはそろそろこの議題を切り上げることにしました。
「ということです、皆さん。王様がいてもいなくても、あの女神像はこの街にとって特別なものだということです。この街のシンボルだということです。今後トイデル祭りは、女神様の祭りとして行いたいと思います」
出席者のみんなから拍手が起こりました。
「そして冒頭の話題に戻りますが」
とトモリさんは続けました。
「冒頭の話題?」とパンセさんが言いました。「何でしたっけ?」
「この街が今まで王様の街と呼ばれていたけど、もうそういうふうには言えないだろうということです」
「ああ、そうか」
「ええ、ですので、王様の祭りは女神の祭りに」
「ということは、女神の街かい?」
「いえ、それもいいんですけど、今話してきたように、あれは希望の女神ナディアと言います。であれば、こんなのはどうかなと。希望の街というのは」
みんなトモリさんの提案を気に入ったようでした。
「希望の街か」とパンセさん。「戦後の復興を目指しているこの街にはピッタリかもしれないね」
ここでいったん休憩にすることにしました。新しいお茶が注がれて、トモリさんが持ってきたクッキーをみんなでつまみました。
トモリさんが少し一服していると、ソンボが話しかけてきました。
「トモリさん、あれは希望の女神ナディアと言うのですか。僕は名前は初めて知りました」
「ええ、そうですよ」
とトモリさんは答えました。
「そういえば僕とトモリさんたちが初めて会ったとき、そんな話をしていました。不思議とこの街には希望があると。ミミルちゃんは、それは女神様のおかげだと言っていましたね」
「ああ、そうでしたね」
トモリさんは穴ぼこの縁を叩いていたソンボの姿を思い出しました。
「ミミルちゃんは、あの女神像についてもっと何か知っていることがあるんでしょうか?」
「うーん、ミミルはママから少し聞いていただけのようですけど」とトモリさんは天井を見上げました。「僕があれは王様を讃えるための祭りだって言ったら、そうじゃない、女神様の祭りだと。お祭りの日には女神様が降臨されて、願いが通じやすくなるのだと」
「面白いですね、それは。もっと詳しく教えてもらえませんか?」
「いやそれ以上は分かりませんよ。ミミルのママなら知っていたのかもしれませんけど」
まじない屋をやっていたミミルのママは、街の人たちとは、あまり交流がありませんでした。数少ないミミルのママのことをよく知っている人も、今は残っていませんでした。
「それも戦争で失われてしまったものの一つです」
とトモリさんは言いました。
「残念だなあ」とソンボは言いました。「希望の女神が人々の願いを叶える。だとしたら面白いです」
「そうあって欲しいもんですよ」とスースの奥さんが横から会話に入ってきました。「女神様でも、何でも。願いを叶えてくれるってんなら、本当にね」
その様子は、何か切実な願いがあるかのようでした。
「そういうことにしたらどうでしょうか?」とソンボの頭に、何か考えが浮かんだようでした。「今度のトイデル祭りは、みんなの願いが叶うように祈るというか祝うというか。ねえ、バゲット先生?」
「ふむ」とバゲット先生はあいづちを打ちました。「昔の祭りがどうだったのかはわかりませんが、世界の各地にはそういったものもあります。例えば豊作を祈ったり雨乞いをしたりという目的で祭りをするというのがありますね」
するとソンボの目が子どものように輝きました。
「それは面白い。是非ともそういうふうにしましょうよ」
「ウフフ、楽しそうね」ひょいとフィーナが会話に入ってきて、バゲット先生の隣に腰掛けました。「何かみんなで願いを持ち寄る方法があればいいですわ」
フィーナとバゲット先生の肩と肩とが触れ合って、先生はちょっと落ち着かない様子でした。トモリさんはそれを見て、あまり良くは思いませんでした。
「じゃあ、後半はそういう話にしましょうか」
と、トモリさんは話を切り上げるようにそう言いました。
「いいですね、みんなの願いを叶える祭りか」
と、ソンボは目をキラキラさせて言いました。
「ソンボさんも頼みますよ。音楽はあなたの担当なんだから」
「それは任せてください。人の願いを叶える音楽だ。ワクワクしちゃうなあ」
とソンボは、いつも持っているスティックでテーブルの縁をコンコン叩きました。
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