第15話 バゲット先生の授業

 それから程なくして、バゲットさんがミミルの家庭教師としてレインボウ・ベーカリーにやって来ることになりました。


 これからミミルが使う教科書などは、バゲットさんが独自の判断で決めてくれました。それは学校で使っているのと同じものもありましたし、ミミルの学力を考慮して、学校とは違うものもありました。


 初めての授業は、先生のこんな一言から始まりました。

「まず君に一番大切なことから教える」

 何だろう、とミミルは思わず身を乗り出しました。


「勉強するにあたって一番大切なこと。それは、分かったと思わないことだ」と先生は言いました。「分かったと思ってしまうと、頭は働きを止める。それ以上のことが頭の中に入ってこない。そればかりでなく、それまで学習したことも無駄になってしまう。学問が有用なものにならず、かえって恐ろしい怪物となってしまう。これは人に真実を見誤らせる、偏見という怪物だ。学問の道を歩むものは、この怪物と戦わねばならない」


「分かったわ」

 と、ミミルは言いました。

 でも、分かってはいけないのね、とは言いませんでした。


 もし、昔の児童文学に良く登場するような子どもであれば、分かったの、分かっちゃダメなの、どっちなの、というような屁理屈が始まるかもしれません。


 ですが、ミミルは今話されていることの本質をちゃんと分かっていましたので、そういった屁理屈に陥ることはなく、静かに先生の次の言葉を待っていました。言葉というものは、それを受け取る側が正確に理解することが肝心なのです。


 次に、先生はこう言いました。

「君は、勉強する目的とは何だと思うかね?」


 ミミルには答えられませんでした。38×21の答えとか、不規則動詞の活用だったら答えられるけど、勉強する目的だなんて、まさかそんなことを聞かれるとは思っていませんでした。考えたこともありませんでした。


「まず実際的なことを言うと、勉強の目的とは、正しく文章が読めるようになることと、正しく文章が書けるようになること。この二つに尽きる」とバゲット先生は言いました。「なぜなら我々は近代社会に住んでいる。近代社会というのは、すべて文書に基づいて動いているのであり、文書に書かれてあるもの、それはすなわち文章だからだ」


 続けてこうも言いました。

「38×21というのも、それは数字で書かれた文章だ。不規則動詞の活用を覚えるのも、それが文章を読んだり書いたりするのに必要だからだ。書かれた文章を正しく読み、内容を理解し、また正しく文章を書いて自分の考えを相手に伝える、このやりとりを繰り返すことで、近代社会というのは成立しているのだ」


 それはミミルが初めて聞く話でした。ミミルにとっての社会とは、ママのまじない屋と、トモリさんのパン屋、それと少しだけ行った学校生活だけでした。


 社会は文書ではなく、ママの不思議な能力とトモリさんのパン作りの腕で動いているように思えました。でも先生は子どものミミルにもわかるように、社会の仕組みを良く教えてくれました。


「こういった店でも、パンの材料を仕入れるときには伝票を使う。伝票とは文書であり、それがなければ仕入れることはできない。またパンを売るときには領収書を作成する。これもまた文書である。もしここに文書がなかったら、それは泥棒と言う」


 それでミミルには、この社会がいかに文書で動いているか、いかに文章の読み書きが大事なのかを理解しました。


「もし、文書がいらないとすると、どんな社会になるかわかるかい?」

 と先生は訊きました。

「分かんないわ」

 とミミルは首を横に振りました。


「それは、一人の王様が他人のことを考えないで好き勝手にやるとき。それと、戦争のときだ」

 と先生は言いました。


「じゃあ、文書って、他人のことを考えるためにあるのね」

 とミミルは言いました。

「するどいね。公平性のため。それと平和のためだ」


 さらに先生はこう言います。

「最初に言ったように、学徒たる我々は、偏見と戦い、真実を見出さねばならない。勉強する真の目的は、それだとも言える。客観的な知識を身につけることが大事だ」


「キャッカンテキ?」

「どこから見ても、誰から見ても、そうである、ということだ。これがないと、人は自分の考えや意見を持つことができない。人に洗脳されてしまうだろう」


「センノウ?」

「洗脳とは、偏見の一種である。それは、人に言われたことを鵜呑みにするしかなくなってしまう、ということだ。例えば、王様が言ったから正しい、とか、先生が言ったから正しい、あるいは誰であるとを問わず、影響力のある人物が言ったから正しい、とか、書物に書いてあったから正しい、となってしまう。本当に学問を身に付け、客観性を身に付けたものは、どんな些細なことであっても自分で確かめ、正しさを判断する。そういう人は、人に洗脳されることはない。偏見を持つこともない。だが、最初に言ったように、分かったと思ってしまうと、偏見は拡大して力を持つ。恐ろしい怪物となって、人を飲み込んでしまう」


「ヘンケン……」

「左様。汝、偏見に陥ることなかれ」


 まだいくつか難しいところがあったので、ミミルはバゲット先生にいろいろと質問をしました。先生は一つ一つ丁寧に答えてくれたので、一応は理解することができました。

 でも一つだけ、先生にも答えられなかった質問がありました。


「良くわかったわ。それで私たちは勉強しなきゃいけないのね。でも先生、人間って不便ね。どうして私たちはテレパシーが使えないのかしら。文章なんか読んだり書いたりしなくても、ピピピッて理解し合えれば簡単なのに」


 とは言え、二人はすでに良き友人になっていましたので、授業はスムーズに進んで行きました。ミミルは元々聡明な子でしたし、勉強の大切さを理解していました。




 なにより、バゲット先生を見ていると、勉強をしないで遊んでいるより、まだ知らないことを勉強した方が楽しいのではないかと、自然と思えてくるのでした。


 それはバゲット先生が中途半端な学問をした人ではなく、命をかけて真剣に学問に取り組み、学問を通じてその人格を磨いてきた人だったからでした。


 だからこそ不思議になって、ミミルは先生にこんな質問をしました。

「ねえ、先生。どうして先生は学校で教えないの」

 バゲット先生はこう答えました。

「学校はな、窮屈でたまらん」


 何かを思い出したように、ふう、とため息をつきました。過去に一度、学校で教鞭を取っていたことがあったのです。


「あそこでは私が理想とするような教育をすることが出来ないのだ。私はこうしたいと思っても、学校側はこうしてくれと言う。生徒に学問を授けたいのに、生活を指導せねばならない。些細なことにこだわり、教師にも生徒にもそれを求める」


 ミミルは、パンを抱いたまま眠ってしまっていたバゲット先生の姿を思い出しました。

「それじゃあ、先生も同じね」

「うん?何が」

「先生も私も、学校が合わないのだわ」

 ミミルは嬉しくなりました。バゲット先生はなんだか複雑そうでしたが。


 授業の内容は大方こんな感じです。一つの書物を時間をかけてじっくりと読んでいきます。


 まずは先生が読んで、次にミミルに読ませます。うまく読めないところがあれば、先生が教えます。ミミルがまだ知らない単語だったり文法だったりを、バゲット先生が詳しく解説します。


 勉強の目的が、テキストを正確に読めるようになり、それを受けて自分の考えをまとめて、的確に相手に伝わる文章を書くことにあるのですから、本を読むことが何より大事なのです。


 ある程度まとまった部分まで読み進んだら、先生は内容についてミミルに言わせます。そこでミミルが間違った解釈をしていれば、それを直します。


 バゲット先生が重視したのは、テキストの正確な読解でした。それは当たり前のように見えて、当たり前にできないことでした。というのは、人は誰しも自分が期待するように物事を見てしまうという癖を持っているからです。それを偏見と言うのだと、ミミルは学びました。


 バゲット先生がミミルに求めなかったことは、自由な意見を言って討論をすることでした。これは一見して生徒の自発性を伸ばすように思えますが、偏見を大きくしてしまう恐れがあります。特に偏見を持ったままの子ども同士でそれを行うと、討論に勝った方の意見が正しいという、新たな偏見を生むことになります。


 バゲット先生は生徒に雄弁家になって欲しいのではなく、科学者になって欲しいのでした。例え自分の意見が間違っていようとそれを人に受け入れさせる技術ではなく、公平性と客観性を身に付けて欲しいのでした。


 また、先生はミミルに正しく計算をすることを徹底させましたが、決してただ計算の練習だけをさせることはありませんでした。正確な知識を求めましたが、ただ覚えているかどうかを試したりはしませんでした。


 その甲斐あって、ミミルはじっくりと本物の学力を伸ばしていくことができました。ちゃんとした読み書きが出来るようになり、数字を使って物事を考え、それを人に伝えることも出来るようになりました。


 具体的なものと抽象的なものとの区別がつくようになり、それらの間の関係性も理解出来るようになりました。決してある一つの具体的な観念を、間違った抽象的な観念に結び付けたり、その逆をしたりはしませんでした。


 もしそれをしてしまったら、それは詭弁と呼ばれるものになってしまいます。それはバゲット先生が最も嫌うものでした。


 ただ、これはずっと先の話。バゲット先生の授業は、ミミルが大人になってからもまだしばらく続いたのでした。


 今はただ、それがトモリさんが満足するものであったということ。

 つまり伝統を重んじながらも、新しい知識と考え方を得ることが出来るものであったということです。

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