第18話 ビゼの帰還

 スースの奥さんが言うのをためらっていたことは、すぐにトモリさんたちにも分かりました。


 後で店に挨拶に来てくれたビゼは、以前の彼とは違ったところがありました。

 ビゼは右手にだけ松葉杖をついていました。そちらの足が義足になっていました。


「ビゼ君!よくぞ無事で……」

 と喜びを表そうとしたトモリさんは、一瞬、言葉を失いました。


 ビゼは苦笑いしたように見えました。諦めと希望が入り混じったような、そんな複雑な表情でした。その姿は、トモリさんに戦争の傷跡をまざまざと思い出させました。


「いや、でも、帰ってきてくれて何よりだよ。生きていてくれて良かった。それで、そちらの方は?」

 とトモリさんは、ビゼに寄り添っている背の高い女の人に目を移しました。レインボウ・ベーカリーに入ってきたのは、一人ではなかったのです。


「僕の妻です」

 とビゼは少し恥ずかしそうにして言いました。女の人はトモリさんに軽く会釈をして、微笑みました。


「ほう、これはこれは。こいつは驚いた。奇跡的に帰ってきたかと思ったら、こんな綺麗な奥さんまで連れてきたんだね」

 とトモリさんは、驚きを隠せませんでした。でも自分のことのように喜びました。


「もっと早く帰ってくるつもりだったんですけど」とビゼは言いにくそうに言いました。「しばらく国境を越えることも出来なかったものですから」


「すると、君はずっと外国にいたのかい?」

 とトモリさんは心配そうに言いました。

「ええ」


 外国というと、戦争の際には敵方でありました。先の戦争は、王党派と共和派との争いでした。ビゼのように進歩的な若者は、共和派について戦いました。


 一方で王党派を支援していたのが隣国です。最初は王様を助けて治安を維持するという名目でしたが、そのうちに野望が明らかになりました。


 本当の目的は、この国を支配することでした。そのことが明らかになって以降、戦争は激化し、共和派も王党派も多くの若者が命を落としました。


 最終的にはこの国の実権を握った共和派と隣国との争いになり、激しい戦闘の末に外国勢力を追い出した、共和派が勝利したのです。


「もう大丈夫なのかい?」

「ええ、彼女が看病してくれて」


 良く話を聞いてみると、こういうことのようでした。

 戦争の終盤、国境付近の前線地帯で戦っていたビゼの部隊は、敵の攻撃に晒されて壊滅状態に陥りました。


 辛くも生き残ったビゼでしたが、重傷を負い、生死の境をさまよっていたところを現地の村の人に助けられたのです。それが、今彼に付き添っている女性、ビゼの奥さんでした。


「ユリヤと言います。どうぞよろしく」

 とビゼは奥さんを紹介しました。

「ヨロシクオネガイシマス」

 とユリヤは片言で挨拶をしました。


 隣国の人は、見た目にはこの国の人とほとんど変わりませんが、言葉は違っています。


「いや、これはよろしくこちらこそ。ウチはごらんの通りのパン屋です。ユリヤさん、これからご贔屓にお願いしますよ」

「オイシカッタデス」

 とユリヤは微笑んでくれました。


「良さそうな人じゃないか」とトモリさんはユリヤを気に入りました。「怪我をしたのはお気の毒だったけど、いい人と出会えて良かったね」


「え、ええ」

 とビゼは言い淀みました。


 どうしてだか、あまり嬉しそうではありませんでした。それは、足を失ったせいばかりだとも思えませんでした。そう思って彼を見ると、歳の割には少しやつれているように見えました。

 あまりほじくるのも悪いと思って、トモリさんは話を変えました。


「いや、何にせよ君が帰って来てくれて嬉しいよ。時の流れさ、元に戻るものは戻るし、変わるものは変わるってね。そうそう、変わったと言えば、ウチにも変わったことがあるんだよ。お母さんから聞いているかもしれないけど、僕にも新しい家族が出来たんだ。ほらミミル、こちらにおいで。君も挨拶をおしよ。お隣の息子さんのビゼ君だよ。そしてお嫁さんのユリヤさん。今聞いていただろうけど」


「もちろんだわよ」とミミルが来て言いました。「私、ミミルよ。二階に住んでるの。よろしく」

 ミミルはペコリと頭を下げました。


「ヨロシクオネガイシマス、ミミル」

 とユリヤが言いました。


 ビゼも一応挨拶しましたが、困惑したような表情でした。

「こちらは、トモリさんの娘さん?確かエリーゼ、でも彼女は…」


「そういや君はその頃から寄宿学校に入っていたね」とトモリさんは少し表情が暗くなりましたが、すぐに明るさを取り戻して言いました。「エリーゼは君もおそらく知っていると思う。戦争の前に死んでしまったよ。病気だったんだ」


 ビゼはいつも青白い顔をしていたエリーゼを思い出しました。続けて言おうかどうか迷ったことは、トモリさんが察してくれました。


「いや、いいんだ気を使ってくれなくて。もう済んだこと、過去のことなんだ。大丈夫だよ。妻は実家に帰っていったよ」

「すみません。辛いことを思い出させてしまって」


「だいじょうぶ、だいじょうぶ。辛いことなんてお互い様さ。戦争だったのだから、みんな辛いことだらけだよ」

「すみません」

 とビゼは繰り返しました。その原因が自分にもあるように思えて、辛くなりました。


「ミミルは戦争孤児なんだ。ひょんなことから一緒に暮らすことになった。君は知らないかな、噴水の近くにあった、まじないのお店」

「ああ」

 その店のことはビゼもぼんやりと覚えていました。


「あの辺は酷く焼けてしまってね。詳しいことは省くけど、だいたい分かるだろ?」とトモリさんは、隣にいるミミルを気遣いました。辛い記憶を思い出すには、まだ誰しも時間が足らないのです。


「申し訳なかったね」

 とビゼは何とも言えない寂しい表情でミミルを見下ろしました。


「何、君のせいじゃない」とトモリさんはビゼの肩を叩きました。「もう終わったんだ、戦争は。新しい時間が始まったんだ。街は一歩一歩、復興へと歩みを進めているんだよ」


「そういえば、店の名前が変わっていました。一歩一歩」

「ああ、そうだよ。君も気に入ってくれたかい?いい名前だろう、靴屋にふさわしいね。スースの奥さんが戻ってきたときに新しくしたんだ。ここにいるミミルが付けたんだよ」


「え、この子が」

 とビゼは少し驚いて、ミミルを見ました。ちょっぴり誇らしげな少女がそこにいました。


「ミミルのおまじないなんだ。おまじない屋なんだよ、ミミルは。ウチの二階がおまじない屋になったんだ。表に看板かけてあっただろう?」

 とトモリさんはいたずらっぽく笑いました。


「おまじない屋ですか…」

 とビゼは珍しいものでも見るようにミミルを見つめました。

 あんまりじっと見るものですから、ミミルはくすぐったくなって、トモリさんの後ろに隠れてしまいました。


「そうだ、ミミル。一つビゼ君にも、おまじないを教えてあげようよ。君のお気に入りのいつものやつ、頼むよ」

 と言って、トモリさんはミミルの背中をポンと叩きました。


「じゃあ、教えてあげるわ」とミミルはくすぐったそうに笑って一歩前に出ました。「だいじょうぶ、だいじょうぶ」


「だいじょうぶ、だいじょうぶ?」とビゼは不思議そうに繰り返しました。「それがおまじないかい?」


「そうよ」とミミルは言いました。「もっと繰り返してみて」

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

 と、ビゼは何度か繰り返してみました。


「ユリヤさんも言ってみてくださいよ」

 とトモリさんが言いました。


「ダイジョウブ?ダイジョウブ、ダイジョウブ」とユリヤも繰り返しました。「オモシロイ、デスネ」

 と、気に入ってくれたようでした。


「ずっと言っていると、何だか本当に大丈夫のような気がしてくるでしょう。僕も最初にミミルと会ったときにね…」

 トモリさんとユリヤは、しばらく身の上話のようなものをしていました。


 ビゼは、これは子ども騙しだ、と思いました。大人がこの少女に付き合ってやっているのだ、と思いました。トモリさんとユリヤが面白がっていなければ、自分はとっととこんなところから出て行ってしまっているのだ、とも思いました。そうだ、もう挨拶は済んだのだから、僕はもう帰るべきなんだ。


 でも、足に根が生えたようにじっとその場に立っていたのは、怪我をしているせいではありませんでした。


 歩くだけなら、ビゼは松葉杖の助けを借りて一人で歩いていけました。ユリヤに支えてもらう必要はありませんでした。


 そうだ、お隣さんなんだから、ユリヤにはトモリさんとの話が済んでからゆっくり帰ってもらえばいいんだ。僕は先に帰ると言って帰ってしまおう。


 そんなことも考えましたが、やっぱり動けませんでした。それはミミルに対して罪悪感を感じていたからでした。


 大義を掲げて戦争を戦った結果、不幸な者を生み出してしまった罪悪感でした。帰ってくるまでに、ビゼはそういったものを嫌というほど見てきていました。


 自分がミミルの遊びに付き合ってあげることで、少しでも償いになるのなら、と思いました。トモリさんやユリヤもそうしてあげているのだから、と。


「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

 と、ビゼは口の中で繰り返しました。

 でも、それだけではないな、と彼は思いました。ビゼの中に、新たな別の感情が芽生えていました。


「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

 と何度も呟きました。まるで心の中に新たな部屋ができたみたいに感じました。


 ビゼは最初それをおまじないの効果だろうかと思いました。言霊がある、ということも聞いたことがあります。言っている言葉が実際の効力を持つことがあるのだろうかと思いました。


 それもありましたが、この場合はもっと別の力が働いていました。読者の方なら既にご存知でしょうが、誰でもミミルの前に出ると、心の奥深くにしまってあるような秘密も、包み隠さずに話したくなってしまうのでした。


 でも、まだそれは早すぎました。そうするには、ビゼは傷付きすぎていたのです。


「じゃあ、この辺で」

 とビゼは、トモリさんたちの話がひと段落したところで言いました。


「ああ、またおいで」とトモリさんは言いました。「後で街を見てまわるといい。終戦直後に比べるとだいぶ立ち直ったものだよ」

「分かりました」


「君はいいタイミングで帰って来たよ。もうじきお祭りの日だ。ユリヤさんも一緒に参加するといい。今年から新しいお祭りが始まるんだ」


「ありがとうございます」

 とビゼは言いました。

「サヨウナラ」

 とユリヤが言って、二人は帰っていきました。

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