夜の部 三杯目

       夜の部 三杯目

   

   

 今夜はすっかり憔悴した様子のエドが一人で来店した。見るからに肩も表情も落ち込んでいる。

 カウンター席に座ると、そのふわふわな髪の毛を掻きむしって今の感情を表現していた。

 

「ああ──……。ご注文は」

 

駆がカウンターに立ちエドにそう聞くと、エドは顔を上げて恨めしそうに駆を見つめた。

 

「話が違うじゃないですか」

 

「悪かったよ。俺の思うワイルドだと、エドはヤンキー小僧になっちまうみたいだな」

 

 苦笑いで再度「ご注文は?」と聞くとエドはトマトジュース濃いめのホットで注文した。

 そんなメニューはどこにもないが、やはり申し訳なさもあるので駆はあいよ、と了承した。

 

 

 駆と入れ替わりに翼がホールで提供を終えてカウンターに戻ってくる。

 

「ああ、良かった。エドくん無事なんだね」

 

「無事じゃないですよ」

 

「え、マジ。怪我?」

 

「けがっていうか、心の怪我です」

 

エドがオリーブ色の瞳を悲壮感に曇らせると、翼は心のどこか繊細な部分を刺激され、とんでもなくこの可愛らしい少年を助けたくなってしまった。なるほど、美玲が過保護な理由が分かる。

 いかんいかん、と気を取り直し、翼は昨晩の「夜の部」での出来事をエドに聞かせた。

 

 ──。




 エドはため息をついて頭を抱える。

 

「退魔師、ですか。イギリス帰りの」

 

「そうそう、坊主頭でムキムキのデカい奴ね」

 

 翼が例の退魔師、ジョン一空の名刺をエドの前へ差し出した。それを見てエドは合点がいったらしい。その男を知っていたからだ。

 

「──その男は多分、僕らの家族をイギリスにいる時から追ってるんです。まさかこの街にまで来てるなんて」

 

「うそ、マジでやばいじゃん」

 

 

 

 元々エドの家族、ストーカー家が日本に越してきたのは退魔師たちに追われていたからというのが主な理由だった。

 美玲の父は海外出張が多く、その先のイギリスでエドの父、ストーカー二世と出会い意気投合した。そして吸血鬼だという秘密を知ってもなお、友人関係を続けたのだ。

 

 ストーカー家は常にひっそりと暮らしていた。

 有名な吸血鬼一家を退治すれば退魔師業界でも一気にスターダムにのし上がれる。そうやって野心に囚われた過激派の退魔師たちのせいで常に生活を脅かされていたからだ。それを見兼ねた美玲の父は、子供たちがまだ幼いうちに一家を比較的安全な日本へ招待したのだった。

 

「日本の法律では外国吸血鬼の引き渡しは無いですから、都合が良かったらしいです」

 

「吸血鬼をイギリスに引き渡す状況ってなに」

 

翼がいよいよ話についていけなくなると、いつの間にか横に現れた宇蘭が「とにかく」と話を切り出した。

 

「エドさん、あなたが狙われていることは間違いないわ」

 

 見た目や雰囲気はともかくとして、一空は実力に関してはやり手の退魔師に感じられた。きっと名を上げるために躍起になっているに違いない。まだこの街をうろついているだろう。

 

「もしカチ会ったらお前、闘えるのか?」

 

駆が言いながら「濃いめのホットトマトジュース」をエドの前に差し出した。

 エドはそれを一口美味そうに啜ると、小さく答える。

 

「闘うのは、好きじゃないです」

 

「まあ、チビだしなあ」

 

 駆はううむ、と唸った。

 宇蘭はまた両手の人差し指をこめかみに当てて目を閉じた。インターネットにアクセスするためだ。

 

『吸血鬼 能力 強さ』──。


 検索を終えて宇蘭は目を開けた。

 

「怪力無双、変幻自在、神出鬼没。あなた本気ならいろいろ出来るじゃない。あらゆる動植物に化けたり、怪力だったり、影に潜んだり塵になって飛んだり、しかも吸血による治癒能力や不死性も備えてるなんて、設定モリモリだわ」

 

 宇蘭は驚いて声がうわずった。こんな見るからに守ってあげたくなるような少年が超常的な能力を大量に備えているとは。

 しかし、エドはやる気がなさそうに目線を宙にやった。

 

「それは調子が良い時だけですよ。それに“夜”限定の能力です。練習はもちろんしていますが、実戦で使ったことはありません。僕は人の生き血なんか吸いたくない」

 

 それを聞き、宇蘭は何とも言えない顔をした。そうかも知れない、と納得したからだ。

 

 エドは「人間」の白鳥美玲が好きなのだ。その同族である他の人間を襲ったり、ましては生き血を吸って体力を奪うなど好んでするわけがなかった。元々エドは心優しい少年だ。

 

「でも、現実問題として狙われているのは間違いなさそうだろ」

 

「その件も不思議なんです」

 

 

駆が聞くと、エドはすぐに答えた。

 

「お父様は日本に来る前に追ってくる退魔師たちをみんなやっつけて、次は命は無いぞ、と脅してから来ているんです。だから僕は日本に来てからの十年間、平和に暮らせていたのです」

 

 おお、既に倒してから来ていたとは。翼は感心した。やはり吸血鬼恐るべし。

 ということは、一空は命知らずのお馬鹿退魔師か、相当の実力者ということかも知れない。

 

 宇蘭は「純喫茶URAN」の名刺をエドの前に置いた。

 

「これは?」

 

「うちの店のよ。この店は『中立地帯』なの。人間と非人間の揉め事をしないルールになってる。ローカルだけどね、そうやって昔から営業しているんだから」

 

宇蘭は自分の二の腕をぱんぱん、と二回叩く。

 

「襲われたりイチャモン付けられたりしたら『宇蘭が黙ってないぞ』って言ってやりなさい」

 

エドは「はあ」と気のない返事をした。こんな名刺が何の役に立つのだろうと疑っているに違いない。

 宇蘭はウインクしているが、エドは苦笑いだった。

 

 話がまとまったところで、翼はごほんと咳払いを一つした。

 

「ともかく、エドくんは狙われているから気をつけてね。一番の問題は美玲ちゃんと上手くいく事なんだから、あんなに邪魔されちゃダメだよ」

 

 翼が言うと、宇蘭は黙って「マナー違反罰金貯金箱」を発動し、カウンターに音を立てて置いた。翼は渋々五百円玉をそこへ入れる。

 

「言葉使い、失礼しました。

 ──で、話戻すけど。まずは誤解を解く方が先だと思うな。昼間の小ヤンキーみたいなのは本心じゃないよって」

 

 翼に言われ、その通りだと思いつつ、エドはまた昼間を思い出して恥ずかしくなってきた。あんなチンピラのような振る舞いで無駄に美玲を傷つけてしまった可能性がある。

 

 

「やっぱり、自然体が一番ってことだよなあ。真似事をしても、それはお前じゃないってこった」

 

 駆が染み染みと言うと、全員の視線が痛いほど刺さる。流石に観念して、「悪かった」と素直に謝ることになった。

 宇蘭はそんな駆に舌打ちしてから話を切り出す。

 

「退魔師のことはとりあえず私たちに任せてくれるかしら。エドさんは美玲さんとの仲に集中するべきだわ。お詫びにご飯でも奢れば良いのよ」

 

「そう、ですよね。頑張ってみます」

 

 励まされたエドは、また天使のような顔で微笑んだ。

 

 

 


────夜の部 四杯目に続く。

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