昼の部 六杯目
昼の部 六杯目
午後二時ごろ、昨日とは打って変わり太一はまた浮かれたように純喫茶URANに来店してきた。
今日も「昼の部」の午後一番は閑古鳥が鳴いているようだ。この頃は毎日勉強しに来ていたトビオも今日はいないらしい。それどころか客が一人もいない。
しかし、そんなことは最早気にせず、太一はいつものカウンター席に座るなり「裏メニュー・恋愛相談」を注文した。
「今日はブレンドコーヒーお願いしますよ。あ、ガムシロップいっぱいください」
「あいよ」
カウンターに出ていた駆は、注文を受けるとグラスにミネラルウォーターを注いで太一に出し、後はのそのそと背中を丸めてキッチンに入って行った。
それを見届けると、宇蘭は太一とカウンターを挟んで向き合った。今日も宇蘭は台に乗る。その「オーナーのお立ち台」はお客様から見えない位置でしっかり仕事を果たしていた。
「いらっしゃい、太一さん。昨日は例のサキコさんとお話できたのかしら?」
宇蘭がカウンターに頬杖を突きながら聞くと、太一は待ってましたと、嬉々として話し出す。
「もちろんっす。つうか、めっちゃ上手くいったんすよ」
「あら、それは良かったわねえ」
「いやホントに良かったっす」
太一はそう言うと、ぐっとグラスのミネラルウォーターを飲み干した。
「昨日ここ出てすぐに電話かけてみたんです。で、サキコさんにいろんな話を聞かせてもらって、なんかめっちゃ盛り上がっちゃって。そしたら会いてえなあってなって、会えないか誘ったんすよ。で、オーケーもらってすぐ駅前で会ったんす」
「展開が早くて良いわね。行動力があるのは良いことよ」
宇蘭は言いながら、クッキーがたくさん入れてある小さめなバスケットを太一の前に出した。太一はそこから一つクッキーをひったくると話を再開した。
「いやいや、全然! で、とにかく直接会って話したらもっと良い雰囲気になっちゃって。ディナーって言うのかな。とにかく夜飯行かないか誘ったんすよ」
「それでどうなったんだ?」
太一がそこまで話したところで、キッチンから駆が戻ってきた。淹れられたブレンドコーヒーは太一の前に行儀良く置かれた。
「あ、どうも」
「どういたしまして」
太一はブレンドコーヒーに少し口をつけてみた。そして「あちにがっ」と呟くと、持ち上げたカップをすぐに元の位置に戻した。慌てて梱包されたガムシロップを三つ開けてコーヒーに投入する。
「だから、どうなったんだよ」
もたもたしたその動作に駆が焦れて聞き直すと、太一はコーヒーをかき混ぜる作業を中断して顔を上げた。
「あ、そうそう! そしたらなんと、オーケーされたんす。しかも“明日でも良いわよ”って言って、実は今日このあと駅前のお洒落めなレストランで夕飯食べることになったんすよ」
太一はいかにも得意気にそう語った。その話を聞き、駆も宇蘭も内心そっと胸を撫で下ろした。
「そうかそうか、そりゃあ良かったな」
駆は表情を緩め、腕を組んで太一を見下ろした。実際、本当に安心したのだ。宇蘭も同じ気持ちだろう。
太一は早くも全てが上手くいったような雰囲気すら醸し出していた。
「出会って七日目のスピードデートです。おれマジに今夜、告っちゃおうと思ってるんす」
少し声を落とし、真剣そうな口調の太一に、宇蘭はふふ、と笑みをこぼした。
「ええ、それは良いことね。時間は関係ないわ、ビビッと感じたなら突き進むべきよ。当たって砕けろ、成せば成る。成さねば成らん何事も」
「いや待て、しっかり準備して行けよ。手土産くらいは用意しろな。その方が上手くいく確率が上がる」
宇蘭と駆は性格の出るそれぞれ正反対なアドバイスをすることで太一を翻弄した。そして丁度、そんな話をしている時だった。午後からの出勤になっていた翼が店内に入ってきた。
「こんちゃーす」
カランカランと呼び鈴を鳴らしながら、独特の挨拶と共に翼も機嫌が良さそうにカウンター裏に周る。オフだったので仕事中のいつものエプロン姿ではなく、パーカーの上にダウンジャケットというラフな格好だった。
「太一さん、昨日どうでした? ほら、サキコさんの件」
上着を脱ぎながら翼が聞くと、太一は宇蘭と駆に聞かせたように、かいつまみながら上手くいきそうだと経緯を語った。翼はそれを聞いている間、楽しそうに「ほうほう」とうなづいているのだった。
「とても良いですねえ、このあとはおデートか。何かプレゼント用意したの?」
翼がそう聞くと、太一は真横の席に置いてある自らのリュックサックから白い小さな手さげ袋を取り出した。ブランド物のアクセサリーのようだというのは少し疎い宇蘭にもすぐに分かった。
「初手からアクセサリーかよ」
駆がそう言いながら抵抗感を示したことで、太一の表情が少し曇る。これはいかん、と翼は強めの手刀を駆の頭に落とした、そして意見は肯定的に訂正されるのだった。
「でもまあ、気持ちが大事だからな」
「そういうこと」
翼がうなづくと、太一も安心したように「ですよねえ」と笑うのだった。
これらのやりとりを見届けた宇蘭は話をまとめる事にした。
「とにかくこの後が勝負だわ。太一さん、私たちは応援してるから。きっと良いコトがあるに違いないんだから」
太一はその言葉に励まされる。
そういえば、彼女だなんていつ以来だったか。中学生の時に一度きりだったかもしれない。女の子は好きだが、今まであまり機会もなく、上手くいかなかったのだ。なんだか緊張してきてしまう。
「ですよね、そうそう。ほぼオーケーみたいなもんだし、楽にいきますよ」
しかし、翼は「いや」と太一の言葉を遮った。
「最後は情熱だよ太一さん。楽に? 逆だよ逆、気張っていかないと。男見せてやれ」
「お、おっす!」
翼は胸を張ってカウンターから出ると席の方へ周り、太一の背中をバシバシと叩いた。
そうやって物理的、そして心でも背中を押された太一は、意気揚々と純喫茶URANをあとにするのだった。
◯
待ち合わせ場所は初めてサキコと出会った住宅街の十字路だった。駅からは遠いが、サキコのいる場所から近いらしく太一はそこを提案した。とても運命的だし、出会いの場所で待ち合わせはドラマチックにも感じるからだ。
太一は住宅街を目指し、のんびりと歩いていた。今は待ち合わせよりかなり早い時間だ。しかし、落ち着かないので心の準備のためにも早いくらいが良いかもしれない。太一はそんなことを考えながら出会いの十字路を目指していた。
その途中、住宅街の中にある公園を通りかかった。その公園では子供たちのグループがボール遊びをしていた。
「なつかしいなあ」
心の中でそう呟く。
そういえば、昔は公園でのボール遊びを一日中だって続けられた。今はどうか、好きなテレビゲームすら集中力が続かない。これは成長なのか老化なのか。
太一はぼうっと、子供たちを眺めながらその公園を通り過ぎようとした。
──その時だった。
不意に、子供たちが蹴り上げたボールが跳ねて公園を飛び出したのだ。太一の目の前を通り過ぎる。よしきた、と太一はボールを取ってやることにした。彼らに手を振り、そして車道に出てボールを拾う。ここは少し大きい通りなので車も多く通るはず。太一は素早くボールを持ち上げた。
それを手に持って見れば、ぼろぼろのサッカーボールだった。また懐かしさに包まれる。
そして、そのせいで動きが一拍遅れたのだった。
「太一さん!」
サキコの悲鳴に近い叫び声が聞こえた時、太一はやっと顔を上げた。
「車だ」
そう思ったとき、太一の視界は空へ。そしてくるくると回ったかと思うと、また空に固定された。なんだか、身体が痛い。
遠くでサキコがこちらの名前を呼んでいる気がする。
分からない、なんだろう。
────昼の部 六杯目 完
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