昼の部 四杯目

       昼の部 四杯目

    


 前回、太一が店に来てから三日ほど経っていた。その間、太一は一度も店に顔を見せていない。

 今の客は一人だけ、また少年がカウンター席の端っこで何やら参考書を広げて勉強していた。その手元には小さなクマのぬいぐるみ型ストラップが置かれている。まるでそのクマに勉強を見張られているかのようだ。

 

 店番の翼はとても暇だったので、カウンターを挟んでその向かい側の少年に対して雑誌を眺めるフリをしながら話しかけた。

 

「ねえトビオ。この前の夜ね、口裂け女がお店に来たんだよ」

 

「へえ、それはとても素敵なことだね」

 

「絶対聞いてないでしょ」

 

その少年、トビオが気のない返事をするので翼は面白くない。持っていた雑誌を丸めてトビオの頭に落とした。しかし、トビオは何の反応も見せず黙々とペンを走らせている。翼は目を細めた。

 

「トビオ、あんた何年生になったの」

 

「僕は小学五年生になったよ」

 

「私が五年生のころはもっと可愛かったと思う。うん、間違いない」

 

トビオはここで目線を上げ、翼と合わせた。


「翼ちゃん、僕の邪魔をしないでほしい。いま勉強中なんだ」

 

「うわあ、生意気」

 

「よく言われるよ、それよりホットミルクが飲みたいな」

 

翼は悪戯っぽく笑いかけ、トビオも同じように片方の眉毛だけ上げた。これが二人の挨拶代わりのようなものだった。

 

 トビオは駆、翼の甥っ子にあたる少年だ。実に小学生らしくない態度と頭の良さを翼は大変評価していた。変わっているくらいが面白いのだ。何やらいつも謎のテーマを勉強しているがそれも好感を持てた。きっとトビオは未来のエジソンなのだろう、いつか養ってくれと翼は常々そう思っていた。

 

「カケル──! トビオ坊ちゃんがホットミルクだってさ」


「大きい声出すなよ、そう言うと思ってもう淹れてきた」

 

駆はのそのそと眠そうな動きでキッチンから出てくると、トビオの前にを置いた。

 

「半分正解」

 

テキトーに用意したのでもちろんホットミルクがご所望だと分かるはずがない。駆は苦笑いだった。翼は口を尖らせる。

 

「これはハズレでしょ。トビオ、クレーム入れていいからね。カケルおじさんをクビにしちゃお」

 

「そうだね」

 

「そうだね、じゃねえよ」

 

 

 実に平和な昼下がりだった。

 今日はお客もほとんど来ていない。この寒さのせいだろう。外に出歩くのも面倒なのが駆にもよく分かる。

 だが、そんな静寂なひとときは破られた。午後三時過ぎ、久しぶりに太一が来店したのだ。

 

 カランカランと扉が来店者を告げる呼び鈴を鳴らした。

 

「いらっしゃいませぇ」

 

翼が居酒屋のように出迎えると、太一はうっす、と軽く会釈で返してきた。そして、いつものとおりカウンター席の真ん中に座る。トビオの三つ隣だった。

 

「久しぶりっすねえ」

 

「そうだな、カフェオレで良いか」

 

駆が聞くと、太一はチッチッチッと舌を鳴らした。

 

「いえ、今日も恋愛相談裏メニューお願いします。ワンドリンクは“ブラックコーヒー”で」

 

太一が得意気で鼻を鳴らすので翼はおお、と感嘆の声を上げた。

 

「へえ、太一さんブラック飲めるようになったんだ」

 

「まあ、俺もいつまでもお子様じゃいられないっすからね」


 なんか腹立つな。駆は思ったが言わないでおいた。やけに「スカしている」。明らかに何か聞いてほしそうな雰囲気だ。毎日来てたのが三日空いたのだから何かあったのだろう。因みに、駆と翼には概ね予想がついていた。

 

「あら太一さん、いらっしゃいませ」

 

 その時、また宇蘭がカウンターに突然現れたが、太一は慣れたものなので、またうっすと会釈した。

 

「どうも宇蘭さん」

 

「どうも。今日は機嫌が良さそうね」

 

宇蘭にも太一の身に何が起こったのか大体の予想はついている。だが、あえて知らないフリで聞いてみることにした。

 

「何か、良いことでもあったのかしら」

 

 太一は宇蘭の質問に待ってましたとばかり、胸を張った。

 

「実はこの前、とても素敵な人に会ったんです」

 

 

 ──。




 裏メニューの「恋愛相談」を三杯目まで終えた太一はその夜またコンビニバイトで深夜まで働いていた。

 その帰り道、初めて「口裂け女」らしき女性を見た通りに差し掛かる。

 

「ああ、そういやこの辺りだったなあ」

 

目の前にはジージーと音を出す街灯に照らされた十字路がある。この角の電信柱に彼女は潜んでいた。しかしまた会えないものか。宇蘭は知り合いだと言うが、なかなか会わせてくれない。何か隠し事でもあるんじゃないか。太一でも薄々勘づいていた。

 だが、大学の帰りにお店に寄って少しの時間、駆や翼や宇蘭、他の客と過ごすのは楽しいのであまり深くは考えていなかった。「口裂け女」にしても、ハッキリとその姿を見たわけではない。暗かったし、一瞬だった。太一から声をかけると顔を隠してしまったので余計に見えなかった。彼女は本当に実在したのか? そもそも口裂け女なんて単なる都市伝説、作り話だ。もし本当にいたら怖い。

 

 でも、どうでも良いのかもしれない。

 最近の太一はそう思うようになっていた。純喫茶URANでのやりとりは口実みたいなものだ。実際に口裂け女がいようがいなかろうが、お店に通うのが今は楽しい。噂に聞いていたとおりの奇妙なお店だ。太一はとても気に入っていた。

 

 


 ──太一がそんなことを考えながら十字路に差し掛かったところだった。突然、電信柱の裏手、道の角を曲がってきた女性とぶつかってしまった。太一は慌てて「すみません」と言い、よろけた女性の両肩を掴んで支える。

 

「マジですみません、ぼうっとしてて、ほんと、怪我はないですか」

 

 太一はそう言って、どきりとした。

 その女性は俯き、口元を巻いたマフラーで覆っていたので顔の半分しか見えなかった。一瞬、脳裏にはあの夜に出会った「口裂け女」が浮かんだ。こんな顔だっただろうか? そういえばあまり覚えていない。

 


「いえ、こちらこそ。見ていなかったので」

 

その女性は微笑みながらゆっくりと顔を上げた。

 その口は──。裂けているはずもなく、なにやら妖艶で惹きつけるような魅力的な唇があるだけだった。



 ──。




 太一はその出会いを語り終え、しみじみとうなづいている。

 

「サキコさんって人で、俺、あんまり美人なんで声出なくなっちゃったんすよ。そしたら向こうから誘ってくれたんです」

 

 ”お詫びにお茶でも如何ですか”。

 

「そのあとすぐに駅前のファミレスに一緒に入って一時間くらい話したんですよ」

 

なんだか浮かれている太一をよそに、宇蘭、駆、翼は顔を互いに見合わせた。

 

「ちょっと、聞いてます?」

 

三人とも嬉しいような気まずいような不思議な表情でお互いの顔を見合っている。太一はせっかく話したのに、と抗議した。

 

「“口裂け女さん”には会えなかったけど、俺、良い人に出会えたんすよ」

 

太一がまた言うと、宇蘭は視線を向け直して優しく言葉を返した。

 

「ええ、そうね。出会いとは縁。素敵なことよ。その彼女とはどうなったの?」

 

「連絡先を交換しました。なんか電話番号とメールアドレスをくれたんです。いま三日連続でメールやりとりしたり夜に電話したりしてるんすよ。おやすみー、みたいな感じで」

 

 太一の興味は「口裂け女」からその謎の女性「サキコ」に向かっているらしい。これは良いことなのか、宇蘭としては経過を見守るしかない。

 良かったね、と宇蘭が言ったところで太一は三席空いた隣に座るトビオに気がついた。

 

「あ、ごめんね、君。俺うるさかったっしょ。この前もここで勉強してたよね。偉いねえ」

 

ご機嫌な太一が今度はトビオに絡んでいったので、翼が助け舟を出した。

 

「太一さん、この子はトビオ。私たちの甥っ子なの。お子様のくせにいつも喫茶店で勉強してるんだよ」

 

翼が紹介すると、トビオは「どーも」と慣れない挨拶をして会釈をした。太一も同じように返す。

 

「へえ、翼さんたちの甥っ子なんだ。俺は太一、よろしくトビオくん。この話はトビオくんにはちょっと早かったかな」

 

「いえ、僕にも恋愛のことは何となく分かります。太一さんはそのサキコさんが好きなんですね」

 

トビオがさらりと言うと、一瞬全員黙り、次の瞬間には太一が照れたように頭をかいた。

 

「いやあ、参ったな。トビオくんは頭が良いや」

 

「よく言われます」

 

太一とトビオの奇妙なやりとりに思わず笑いそうになった駆は、いかんいかんとそれを堪え、大事なことを聞いておくことにした。これはハッキリさせないといけない。

 

「なあ、太一さんよ。お前はそのサキコさんのこと気になっているのか」

 

駆が聞くと、太一は即答する。

 

「ええ、まあ。どこにいるか分からない口裂け女モドキより、目の前のサキコさんの方が大事ですから」

 

やはりまた浮かれ気味でそう答えたのだった。

 

「あ、宇蘭さん。そういうわけなので。その知り合いの口裂け女さんにはよろしく伝えておいてください」

 

宇蘭は目を細めてうなづく。太一はそれを確認して、いつの間にか駆が持ってきたブラックコーヒーを啜るのだった。

 

「う、にが」

 

「太一さん」

 

 今度は翼が太一に聞く。

 

「太一さんは、そのサキコさんのどこが気に入ったの?」

 

真剣な表情の翼に、太一は同じように真顔で答えた。

 

「まあ、出会いも運命っぽいし、話も合うし、とにかく美人だし。顔がタイプです。ああ、あと──」


太一はいかにも真剣な表情ではっきりと言った。

 

「なんていうか、その、彼女……。“巨乳”だったんですよね」

 

「なるほど」

 

 ──だと思ったよ。

質問した翼は苦笑いだった。駆も宇蘭も遠い目をして話を聞いている。先日せっかく見直したところだったのに、やはり太一は馬鹿なのかも、と翼は思った。






──昼の部 五杯目に続く

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