昼の部 三杯目

       昼の部 三杯目

  

 

 太一は今日もまたいつものカウンター席に腰掛ける。

 今、店内には太一から四席離れて壁際のカウンター席に男の子が一人、宿題を広げ勉強しているのと、店入り口近くの窓際の席、そこでマスク姿の女性が一人で本を読んでいるだけだ。他にお客らしき人はいない。相変わらず、この店はいつも空いていてBGMとして流される洋楽が遠くの方から聴こえてくる。果たして経営は大丈夫なのか、と太一には関係のないことを考えてしまった。

 

「おう、また来たのか」

 

 駆が再度来店した太一に声をかけ、ミネラルウォーターを出した。

 

「今日はオレンジジュースで良いか」

 

「ああ、いや。カフェオレのガムシロップ三つのやつでお願いします。あ、あとチーズケーキも」

 

「甘党だな」

 

駆はふっと息を吐くと、背中を丸めて厨房へ入っていった。それと入れ替わりに翼がカウンター裏からのそのそやって来る。コーヒー豆の袋詰めをたくさん入れた重たい段ボール箱を抱えていた。

 

「あ、どうも」

 

「おお、太一くんじゃん。いらっしゃい」

 

翼は「ちょっと待ってね」と言うと、段ボール箱をカウンター裏足元に置いて、手を洗いに行った。太一はそれを目で追っていた。

 

「太一さん、いらっしゃい」

 

「おお、宇蘭さん。どうも」

 

気がつくと、また宇蘭がいつの間にか目の前に現れていた。カウンターを挟んだ位置の太一からは見えないが、カウンター裏には台座が置かれ、宇蘭はその上にしっかり乗っている。

 

「今日も相談なのね」

 

「もちろんっすよ、今日バイト代いっぱい入りましたからね」

 

「あら、バイトしているんだったわね。コンビニ?」

 

「いや、違うかな。今日のはバイトっつうか」

 

 太一は頭を掻いた。

 

「ボランティアですね。江ヶ島の海岸沿いのゴミ拾いです。学校近いんで参加してきました」

 

 宇蘭は「待ってね」と答えると、両手の人差し指をこめかみにあてて目を閉じた。「アクセス」すると情報たちが頭に流れ込んでくる。

 

 ──。



 江ヶ島は、神奈川県藤沢市にある陸繋島であり、また同島全体を指した町名。片瀬地区(旧片瀬町地域)に属する。江ヶ島一丁目および江ヶ島二丁目があり全域で住居表示が実施されている。

 有名な観光名所であり、連日国内外から多くの観光客が足を運ぶ──……。


 ──。



 宇蘭は両手を下ろして目を開けた。

 

「不法投棄が多くて海が汚されているのね。そのゴミ拾いなんて偉いじゃない」

 

「ええ、まあ──。それより宇蘭さん。この前もやってたけどその“一休さん”みたいなポーズなんすか」


「“wiki”を見たの」

 

「ええ、頭の中にウィキペディアがあるってことすか? インテル入ってるみたいな」

 

 太一はまさか、と笑っている。宇蘭も愛想笑いをしておいた。

 

「ジョークの勉強をなさい」

 

「お、おっす」

 

太一は苦笑いでミネラルウォーターの入ったグラスに口をつけた。

 宇蘭はこれぞ好機と、この際いろいろ引き出すことにした。太一の口からボランティアが飛び出すとは意外だ。店内の「窓際の席の女性」も聞き耳を立てているのが宇蘭には分かった。

 

「ボランティアなのにお給料が出るの?」

 

グラスを置くと、太一は困ったように笑いながら答える。

 

「給料出たらボランティアって言えないんすけど、団体の人がいつも頑張ってるからって手渡しで二万円くれたんすよ。受け取れないって言ったのに押し付けられちゃいました」

 

 太一は民間の有志清掃団体の、特に海岸線のゴミ拾いにはほぼ毎回参加していた。今日はその団体側から感謝の気持ちとして「おこづかい」を贈ってくれたのだという。太一のように二十代前半の若い参加者は本当に稀だ。きっと彼らは後に続く太一のような存在を心強く感じているに違いない。

 

 しかし、これでは太一の印象が変わってくる気がした。宇蘭の勝手なイメージだが、むしろ太一は積極的な不法投棄をしていそうな雰囲気だった。それがどうか、実際には不法投棄とは対極のボランティアに熱心な好青年ではないか。

 

「ふうん、太一さんって意外と偉いのね」

 

「俺のこと何だと思ってたんすか」

 

太一が宇蘭に対して口を尖らせていると、ちょうど駆がキッチンからカフェオレを用意してきたところだった。太一の前にカップが出され、その側にはパッケージされたガムシロップが三つ置かれた。

 

「甘党で巨乳好きの馬鹿学生だろ」


「心外だなあ」

 

太一は笑いながらガムシロップを嬉しそうにカフェオレに注いでいる。

 なんだか印象が変わってしまったわ、宇蘭は思った。太一は臆せず冗談を言ったり角の立たない相槌を上手く打ったり、大人と話し慣れているなとは思っていた。なるほど、ボランティアを通して人生の先輩方とたくさん地域貢献に準じているのだから当然か。

 

 チーズケーキが太一に出されたところで宇蘭はまた聞いてみる事にした。

 

「どうしてボランティアを? あなたくらいの歳だと珍しいんじゃない」

 

 宇蘭がそう聞くと、じゃあ君は歳いくつなの。と太一は聞き返しかけ、何とかそれを堪えた。ケーキを一口してから答える。

 

「俺のお爺ちゃんがね、片瀬に住んでいたんですよ。ほんと海の目の前っす」

 

『片瀬』とは片瀬江ヶ島地区のことだろう。大体は島付近の海沿いのことを指す。太一は言葉を続けた。

 

「婆ちゃんはとっくに亡くなってて、爺ちゃんは一人で民宿をやってたんです。海の見える、ボロいけどいい雰囲気の。小さい頃は毎年夏にそこへ家族で遊びに行ってたんですよ。爺ちゃんの趣味は海岸のゴミ拾い。で、俺も中学くらいから爺ちゃんと一緒に海のゴミ拾いをするようになりまして」

 

「立派なもんじゃないか」

 

駆は腕を組んで感心したように繰り返しうなづいている。しかし太一は何か思い出して寂しいような苦笑いだった。

 

「でもある時、俺が高校上がったくらいかな。爺ちゃん、倒れたんすよ」

 

 あっという間だった。

 太一の祖父はそのまま即入院となり、ほんの短い間だけ意識を取り戻し、駆けつけた家族と別れの挨拶を済ませると、次の日には帰らぬ人となってしまった。一人で守ってきた民宿も今はそのままになっているらしい。

 

「今も親父は爺ちゃんの民宿を金払って守ってるんです。だから俺、大学出たらマジで民宿継ごうと思ってるんすよ。海のゴミ拾いも、あの民宿も、俺は続けていきたいなって思ってます」

 

 夜道で綺麗な女を見た! 可愛い! と騒ぐ大学生の太一。

 どこか浮世離れした彼は、その頭の中では実に立派で地に足をついた夢と考えを持っていた。宇蘭は自らの中にある迷いを感じてしまう。

 

「太一と口裂け女を引き合わせて良いのか」

 

太一はきっと、いつか本当に民宿を引き継ぐのだろう。その時、側にいる女性は妖怪ではない。

 妖怪であったらいけないのかもしれない。

 

 太一と口裂け女という出会いは「幻」の方が良いのかもしれない。

 

 宇蘭と駆は、窓際の席に座る一人の女性客に視線を送った。彼女はただ静かに本のページをめくるだけだった。

 

 




────昼の部 四杯目に続く

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