昼の部 10:00〜17:00
昼の部 二杯目
昼の部 二杯目
太一はまた昨日と同じように午後二時ごろに来店し、昨日と同じカウンターの席に座った。今度はミルクティーを注文している。もちろん相談のためだ。
「最近はわざと夜散歩に出掛けてウロウロしてるんですが、全然現れないんですよお」
話を聞く翼はさらりと言葉を返す。
「口裂け女みたいな人に自分から会いに行くなんて聞いたことないですよ。“ムー”の記者とかだけじゃないの」
翼は太一が会った女性、サキコが「本物の口裂け女」だということを、宇蘭と話し合った末に伏せておくことにしていた。
「なんすか、その“ムー”って」
「ああ、私の弟がね、ほら昨日会ったでしょ。背がでっかい目つき悪い男の人。あれ弟なんだけど、その雑誌の愛読者なの」
翼は声をひそめて太一に悪戯っぽく伝えた。すると、翼の背後、厨房から鋭い声が飛ぶ。
「ツバサぁ、余計な話をするな! “ムー”の記者はそんなことしない!」
やや怒気を含んだ駆の声に、翼も振り返り力を込めて言い返す。双子とはいえ、姉に逆らう弟がこの世に存在してなるものか。
「こっちの勝手でしょ、さっさとミルクティー作れば!」
普段からこんなやり取りしてるのかな、と太一は不安になる。客商売として如何なものか。そんな心配をさせてしまったところで、翼の隣にいた宇蘭がトントンとカウンターを二回叩いて音を出した。彼女は、その身長に対してカウンターの位置がやや高いので台に乗っていた。そこまでやっているので無視されると少しの不満くらい覚えるというものである。
口を尖らせて太一に聞いた。
「良いかしら、レディを無視するなんて失礼じゃなくて? 私もいるんだけど。マナー違反よ、みんなして私を無視して」
「あ、宇蘭さん。いたんすか」
太一は本当にいま気がついたように目を丸くした。宇蘭の笑顔は引きつっていく。
「いたわ、ずっとね」
「勘弁してくださいよお、店長二人が身長高くて目立つから。ほら、宇蘭さん、小ちゃいでしょ。だからつい、見落としちゃうっていうか」
「罰金払え!」
宇蘭がコンプレックスを刺激されマナー違反者用の貯金箱を力強く太一の前に置いたところだった。
片手に紅茶入りのコーヒーサーバーを持ってきた駆が宇蘭の頭に軽く手刀を落とした。
「客をカツアゲするな」
「だってカケル、太一さんが私を小さいって、豆粒みたいだって、踏んづけそうになったって、そう言うんだもん!」
「いや、あの。そこまでは言ってないっていうか」
急に見た目通り幼い少女のように駄々をこね出した宇蘭に対し、太一は驚いて言葉が無かった。ほんと何歳なんだこのオーナーは。もはや中学生どころか小学生に見えてきた。
駆は溜息をつくと一度コーヒーサーバーをカウンターに置き、目を潤ませて駄々をこね出した宇蘭を両手で猫のように持ち上げ、台から降ろした。
「客の前だ、静かにしろ」
駆が少し語気を強めて叱ると、宇蘭は口をへの字に曲げて黙った。そして、思い立ったように駆の背後で状況を見守っていた翼に駆け寄って泣きつくのだった。翼の方も慣れているので両手を広げ、宇蘭が来るのを待ち構えていた。泣きつく宇蘭を「ヨシヨシ」している。
「だって、カケルが、太一さんが!」
「おお、ヨシヨシ、怖かったねえ」
太一は意味が分からず呆然とした。
「なんすか、これ」
駆は苦笑いで太一の前に出されたティーカップに紅茶を注ぐ。既にミルクは淹れられていたのでこれで「ミルクティー」の完成だ。
「うちのオーナーは普段は格好つけてるが本当はすごく打たれ弱いんだ。優しくしてやってくれ、身長のことは言うな。気にしてるからな」
「ははあ、なるほど」
分かったような、分からないような。
◯
充分にぐずり終えた宇蘭が何事も無かったかのように太一に向き直った。太一も怖くなったのでそれに関しては突っ込まないようにしていた。
「あなたの求める女性、私の知り合いかもしれないのよ」
「え、本当っすか!」
「企業秘密だけどね。うちにはいろんなお客さんが来るから」
本当は昨晩、本人が現れたのだが「夜の部」は普通の人間には感知できない営業時間だ。それに、口裂け女サキコから頼まれたこともある。宇蘭はそれとなく聞いてみる事にした。
「で、あなたはその彼女のどこが好きになったのよ」
すると、太一はミルクティーにガムシロップを三つも入れながら答えた。
「どこって、そうだなあ、見た目?」
「見た目ってお前。もし本物の口裂け女だったらどうすんだ。分かってんのか、口が裂けてるんだぞ」
都市伝説に恋をする変態、太一青年は間の抜けた返事をした。駆はたまらなくなり、つい口を挟んでしまったが、その返事も間が抜けていた。
「実は暗くて顔がよく見えなかったんすよねえ。一瞬だったし。ああ、美人じゃんって思ったんです。というか、本当にいるわけないじゃないすか、口裂け女なんて!」
宇蘭は納得した。なるほど、肝心の「顔見せ」にサキコは失敗していたのだ。裂けた口を見せなければ確かにただのOLにしか見えないだろう。それどころか突然若い男に声をかけただけ、むしろサキコからナンパしている。太一の警戒心がないはずだ。
宇蘭が少し呆れていると、今度は翼が真剣な表情で太一に問いかける。
「よく分かりやした。でも太一くん、あなたはその彼女を幸せにする覚悟ある? ちょっと見た目がタイプだからって、いい加減なお付き合いするつもりなら私は認めたくない」
翼が声を落として威圧的に詰め寄るので、駆は嗜めようとした。
「おいおい、大袈裟じゃないか。まだ一目見ただけなんだから覚悟も何もないだろ」
「カケルは黙ってて」
「そうよ、お皿洗いでもしてなさい」
むしろ、嗜められてしまった。
翼と宇蘭の連続攻撃だ。駆はもう口を挟まないことにした。
口裂け女のサキコは引っ込み思案で恥ずかしがり屋。もし、太一と万が一お付き合いするとしたら──。
太一がこんな調子でテキトーな事をする度にサキコは傷つけられることになるだろう。都市伝説を目指す真っ当な一人の女性なのだ。彼女の気持ちを踏み躙られたくなかった。翼はまた必要以上に感情移入してしまう。
「お、おれは」
太一はそのあまりに真剣な雰囲気に乗せられた。ゆっくりと口を開く。
「女の子に対しては、マジですよ」
「ふうん、本当かしら」
宇蘭が目を細め、やや見下すようにそう言った。身長のことをまだ気にしているらしい。
「なら、一番ビビッときた部分はどこなのか教えてよ」
翼が聞くと、太一は「いやあ」とお茶を濁すような言い方で頭を掻いた。
「なんだ、言い難いことか」
「カケル」
「良いじゃないか、聞いてみただけだろ」
翼が横目に視線を送ってきたので駆は反論した。一生、口をきくなとでも言うつもりか。
駆が聞くと、太一は意を決したように、どこか照れた言い方で「ビビッときた」部分を語るのだった。
「なんというか、その、恥ずかしいっていうか、下品かもなんですが……。口裂け女の彼女、“巨乳”だったんですよね」
「──へえ」
駆は呟いた。
顔は見逃したのに“それ”は見えたのか。
翼と宇蘭は遠い目をして黙ってしまう。
やはり、馬鹿に効く珈琲はないのか。いや、一刻も早い開発が求められているだろうと駆には思われた。
────昼の部 三杯目に続く
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