夜の部 一杯目
夜の部 一杯目
ここは「純喫茶URAN」
ある街の商店街の外れにひっそりと営業している場末の喫茶店。
その街に住む者なら、皆一度は店を見かけた事があるだろう。だが知っていてもなかなか足が向かない。実際に行ったことのある者は少ないのだ。
必然的に店に通う者は少ない新規客と常連たちだけとなる。
そんな夜の部の営業は、秘密の営業。
その街に住む、「あやかし」者共が密かに足を運び、それぞれが交流を楽しむ憩いの場になっていた。
彼らは人間社会に潜み、こっそりと生きている。ここは、そんな異形の怪物たちが集う不思議な喫茶店だ。
この時間、店外からの表示は「本日終了」になっているが、これは常連にとって「夜の部開始」の合図である。普通の人間には感知できない状態になっているからだ。
──そして、そんな常連たちの間ではある噂があった。
「オーナーの宇蘭に相談すれば、どんな恋も必ず成就する」
今日もオーナーの宇蘭は店に立ち、変わった街の変わったお客を待っているのだった。
◯
夜の部は大体が盛況なので店内はいつも混んでいる。異形の怪物たちは夜行性の者が多いので、昼間は寝ていて、夜に動き出すのだ。
今夜も純喫茶URANはテーブル席がほぼ満席だった。身体の大きい者、毛むくじゃらのモノ、人間よりずっと小さいモノ、およそ人間とはかけ離れた姿のモノ。とにかくたくさんのお客さんが来店していた。
「宇蘭ちゃん、ちょっと休憩しようよ」
「ええ、そうね」
カウンターの裏であくびをしながら翼は言った。宇蘭も同意する。今夜は駆が休みなのだ。なんでも夜釣りに行くらしい。店を放って遊びに行くなんていい度胸だわ、と宇蘭は思っていた。
二人がそろそろ休憩しようかしらん、と話がまとまった頃だった。
カランカラン、と入り口の呼び鈴が鳴って扉が開かれた。真っ赤なコート姿の女性が来店してきたようだ。
「らっしゃっせえ、お好きな席にどおぞぉ」
翼は居酒屋のように元気よく挨拶した。これが彼女の思う理想の接客である。弟の駆は声がでけえよ、と文句を言うがこの良さが分かってないようだ。
さらに翼は来店した女性をそれとなく観察してみる。これも癖だった。迷惑客なら武力を持って追い出さねば……。
来店した女性の、艶やかなストレートの黒髪は肩まで伸び、前髪は眉毛の辺りで綺麗に切り揃えられている。ひと昔前に流行った「姫カット」というやつなのかも、翼は思った。彼女はマスクをして顔の全ては明らかでないが、目元は美人特有のそれであり、メイクも目元を強調するように施されていた。
学生時代をバレーボールに打ち込んだ翼も背が高く、スタイルにはある程度の自信を持っていた。しかし彼女も同じくらい身長がありそうだ。さらには自分より足が長そうである。
「彼女、ツバサより足が長いわね」
「言わなくて良いから、そういうのは!」
宇蘭がまた思った事を直接口に出して翼を撹乱してきた。
そうこうしているうちに、来店した女性は店内男性客の視線を一定数集めながら、宇蘭と翼のいるカウンター席、その目の前に座った。
そしてコートを脱ぎ、しっかり畳んでからショルダーバッグと共に空いている隣の席にそっと置いた。ぴっと背筋は伸びていて育ちが良さそうだ。翼は何だか緊張してきた。
「あ、あっす、ご注文は」
「ちょっとツバサ、居酒屋じゃないのよ」
「わあ、ごめん。ええと、いらっしゃいませ、ご注文は」
翼は宇蘭に嗜められながらメニュー表を女性の前に出した。すると、その女性は会釈したあとで、その細い指をメニュー表にそっと置いた。
「今日は、その、裏メニューの方を──」
女性は申し訳なさそうに綺麗な声でそう告げる。宇蘭にも翼にも何を言っているのかすぐに理解できた。合点がいったように、宇蘭はカウンター下から黒い革張りのメニュー表を出すのだった。
そこには「相談一回につきドリンク一杯注文」とある。
「あ、噂は本当なんですね」
「まあね、良ければご注文どうぞ」
「じゃあ、ブレンドをブラックで」
彼女は店長オリジナルブレンドコーヒーをブラックで注文した。何故か、翼が得意気に応えるのだった。
──。
彼女の名は、“サキコ”という。いわゆる「口裂け女」だった。日本に残存する怪異や伝承の中では比較的に若手に位置するので力はそれほど強くない、らしい。しかもサキコは先日、「口裂け女デビュー」したばかりなのだ。
「そ、それで私は、この前がデビュー戦だったんです」
その夜は偉大な先輩たちの威光に傷をつけないよう、彼女も立派な都市伝説になるべく気合を入れていた。初代は日本中を恐怖のどん底へ突き落とし、正しく伝説となった。自分もそうなりたいな、と一応は思っていた。しかし、サキコは引っ込み思案で恥ずかしがり屋、あまり人と話すのが得意ではなかった。むしろ、私綺麗? などと恐れ多くて聞くことすら憚られていたのだ。
そして、何より自分の裂けた口がコンプレックスであった。
「その夜、電柱の陰で隠れて脅かす人を待ってたんです。でもあんまり人通りがなくて、来ても声をかけられなくて、警察とか呼ばれて走って逃げたり、もう帰ろうかと思ってた時だったんです」
「センス無いんじゃない?」
宇蘭がそう言いかけたのを察し、翼は先手を打って「ダメだよ」と言っておいた。
サキコはそのやり取りの意味が分からず、キョトンとしてしまう。
「あ、ごめんなさい。どうぞサキコさん、続けて」
「はい──……。そんな時、現れたのです。彼が」
デビュー戦の今夜はまるで上手くいかなかった。やっぱり私なんか、と落ち込んで俯いている時だった。一人の青年が通りかかった。茶色い髪の軽薄そうな青年だ。
サキコは「今だ!」と思った。その青年が横に並んだところで顔を上げ、そして言った。
「私、綺麗?」
「え、ええ。まあ、綺麗なんじゃないっすか?」
きた! 青年が答えたことでやっと「口裂け女」としての本領を発揮できる。サキコはマスクを取り去ってその顔を見せつけた。口の両端は耳の下の辺りまで引き裂かれている。
青年は驚いたように、目を丸くした。
さあ、叫び声を上げて。そして私を認めて! 本当は怖がられるんじゃなくて、愛されたいのだけど。
しかしサキコはそんな思いは捨て去り、自らの存在意義のため、これでもかと口元を見せ、思い切って舌まで出して恐怖を演出した。
──。
「やった、やるじゃないですかサキコさん」
ここまで話を聞いた翼が褒めると、サキコはマスクの下で照れたようにはにかんでいた。
しかしすぐに表情は戻り、話を続けた。
「ありがとうございます。でも、その、それで終わりじゃないんです」
──。
青年はじっとサキコを見つめている。あれ? 妙だなとは思った。そして、次の瞬間に、何を思ったのか青年は近づいてきた。
「びっくりした。お姉さんめっちゃ綺麗ですね! あのさ、このあと空いてますか?」
「あ、わ、え、え、あの」
青年が早口で捲し立てるのでサキコはしどろもどろだった。何を言ってるのか、怖くないのか。まさかとは思うが、私を「ナンパ」してる?
──。
「私、なんだか怖くなっちゃって。走って逃げたんです」
「逃げたのね」
宇蘭は確認するように呟いた。
その青年はおそらく、昼間にここへ来た太一青年だろう。あの能天気な若者ならやりかねない。昼間聞いたところだと、サキコが「本物の」口裂け女だと理解していない。普通のナンパをしているつもりだったのだろう。
「ああ、その人。昼間にこの店へ来たっぽいですよ。駆が言ってました。茶色の馬鹿っぽい奴が来たって。名前は太一さん」
「え、ほんとですか。その茶色い馬鹿っぽい人が私が会った方かもしれません」
翼の一言で確認された。
「茶色い馬鹿っぽい奴」こと太一を、やはりサキコは気にしているらしい。経緯は分かった。宇蘭は本題を促す。
「それでサキコさんは何を相談に来たの。太一さんに近づかないでほしければ警察に行くべきだわ」
「ええ、まあ、そうなのですが」
どうやら警察は違うらしい。
宇蘭は気のないふりをしているが、本当は早く相談してほしかった。このあと一体、どうなってしまうのか。
宇蘭にはあまりに長く感じたが、ほんの数秒間だけ焦ったくもじもじすると、サキコはついに話の続きを始めた。
「彼に聞きたい事があって、その、何で私なんかナンパしたのかなって、それが気になるんです」
伏し目がちなサキコに対し、翼は何を当たり前のことを、と言わんばかりに食い気味で答える。
「何でって、サキコさんは魅力的ですよ。自信持って!」
「ああ、はい」
「声が小さいですよ。もっと腹から声出して、さあ一緒に、はい!」
「は、はい」
翼が勝手に感情移入して暴走し始めたので、宇蘭は話をまとめることにした。
「分かったわ」
翼もサキコも宇蘭に注目した。
「太一さんは“昼の部”にまた来ると思う。だから私がそれとなく探ってあげるわ。サキコさん、ひとまずはそれで良い?」
宇蘭が優しく微笑むと、サキコは安心したようだ。小さくうなづくのだった。
「じゃあ、明日もまた来てね。次はフードメニューもセットで頼んでくれると助かるのだけど」
商売根性の逞しい宇蘭は忘れずに営業をかけておいた。久しぶりの新規常連獲得かもしれない。
しかし、直接会ってみたい太一と、まずは話を聞いてみたいサキコ。二人は相反するのではないか。
そして、二人の間には表と裏、「世界」という壁がある。今回は口裂け女からの接触で偶然に二人の世界は繋がった。果たして、上手くいくのか。
いや、上手くいくかは分からない。純喫茶URANはその責任を取れない。あくまで「相談」に乗るだけだ。喫茶店のマスターらしく話を聞く。あとは彼女らが勝手に話して勝手に上手くいくだけ、宇蘭にできるのはアドバイスと少しの手助け。
──これこそが、宇蘭の専門だ。
────夜の部 一杯目 完
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