第一話 「あなたは綺麗」

昼の部 一杯目


 ここは「純喫茶URAN」

 

 ある街の商店街の外れにひっそりと営業している場末の喫茶店。

 その街に住む者なら、皆一度は店を見かけた事があるだろう。だが知っていてもなかなか足が向かない。実際に行ったことのある者は少ないのだ。

 

 必然的に店に通う者は常連たちと少ない新規客だけとなる。

 昼の部の営業は、その街に住む物好きな人々が密かに足を運び、それぞれが交流を楽しむ憩いの場になっていた。

       

 ──そして、そんなお客たちの間ではある噂があった。

      

「オーナーの宇蘭に相談すれば、どんな恋も必ず成就する」


 今日もオーナーの宇蘭は店に立ち、変わった街の変わったお客を待っているのだった。

 

 

 

 

 

    

     第一話 「あなた綺麗よ」

 

       昼の部 一杯目

 

 

 カランカラン、と店のチャイムが鳴った。来客のようだ。店長の天馬駆てんまかけるは「らっしゃい」と気の抜けた返事をした。

 

 時刻は午後二時ごろ。

 駆はたった今、来店したばかりのお客に視線をやった。パーカーにデニムパンツ。髪の毛は染めているのか茶色かった。見たところ普通の大学生のようだ。

 

「お好きな席にどうぞ」

 

ぶっきらぼうに駆が言うと、その学生は会釈した後でちんたらと店内を歩き、最終的にカウンターの席へ腰掛けた。背負っていたリュックサックは自分の座った席の隣にどかっと置いている。

 まあ、それは良い。駆は思った。問題なのは俺がグラスを拭く目の前の位置に座ったことだ。

 

 

 

 我が純喫茶URANの店内はそれなりに広い。カウンターは七席あり、テーブル席は向かい合う三人掛けソファのものが四つもある。加えて、カウンターの裏には、それなりに本格的なキッチンスペースまで確保している贅沢ぶりだ。

 今の店内のお客は目の前の学生を入れても三人。一人は窓際のソファ席で何か書き物をしている。もう一人は店内中央のソファ席で雑誌を読んでいた。

 

 そして、最後の一人である学生は、この広い店内でわざわざ駆の目の前を選んだのだ。

 

 

「あのう」

 

 学生は駆に声をかけた。

 ほらきた。駆は水道水でも飲ませて追い出そうかとも思った。だが、止めておいた。後が怖いからだ。

 

「ご注文は」

 

「え? 注文とかしなきゃダメすか。俺、用があって来たんすけど」

 

「え、って、喫茶店に来て何も頼まないのはどういう了見だ」

 

 駆はとりあえずミネラルウォーターをグラスに注いで学生に出しておいた。

 すると、学生は思い切ったように、静かに口を開く。

 

「態度悪いなあ、おれ、相談に乗ってほしいんすよ」

 

聞いた駆は面倒そうに、すぐ言葉を返す。

 

「市役所にでも行け」

 

「そうじゃなくて、分かんないかなあ、恋の悩みなんすよ」

 

 やっぱり。

 そういう雰囲気がしたんだよ、駆は頭の中でぼやく。何が恋の悩みだ。学生が色気付きやがって。

 

「で、ご注文は?」

 

「お願いしますよお!」

 

駆が無視しても学生は頭の上で手を合わせ、お祈りしながら動こうとしない。かなり太々しい奴のようだ。

 

 もう、いよいよ追い出してやろうかと思った時。キッチンの方からこの喫茶店の「オーナー」がやってきた。

 

 

「何を騒いでいるのよ、カケル」

 

駆はぎくりとして振り返る。そして視線を落とした。

 ──そこには、中学生くらいの少女がいた。エプロン姿で片手にカップケーキを持っている。

 学生も誰か来たのかと、カウンターから身を乗り出し、駆の後ろを覗き込む。彼にもその「少女」の姿が見えた。

 

 少女の顔はよく整っていて、まるで「人形」のように作り物めいた雰囲気すら漂わせていた。後ろで艶の良い栗色の髪の毛を結って止めていて、まん丸の瞳と白い肌はつん、とした彼女の性格と見た目の可愛らしさをよく現していた。

 

「またお客さんにキツくあたったのかしら」

 

「違えよ、何も頼まない迷惑客に忽然と対応してたんだよ」

 

 その少女、オーナー・宇蘭うらんは駆を片手で退かすと、カウンター裏に隠してある台に乗り、ぽかんと間抜けな顔をしている大学生と向き合った。

 

「はじめまして、私はここのオーナー・宇蘭うらんです」

 

「あ、どうも。ていうか、君、いくつ」

 

 小学生まではいかないが、小柄なうえ、童顔なのでどう背伸びしても中学生くらいにしか見えない。とても喫茶店のオーナーをしているとは信じ難い。

 そんな宇蘭は年齢を聞かれたことで明らかに嫌そうな顔をした。

 

「レディに年齢を聞くなんてマナー違反だわ」

 

宇蘭がふん、と鼻を鳴らす。すると、横にいた駆が缶の貯金箱を取り出して学生の前に置いた。その貯金箱には付箋がセロハンテープで止めてあり、「マナー違反は罰金500円ナリ」と記載されていた。

 

「悪いな学生さん、ウチのルールなんだよ」

 

「え、ええ──……」


学生は駆に言われたとおり、財布から五百円玉を取り出して渋々と貯金箱に入れた。

 

「まいどあり」

 

「五百円払ったんだから俺の話を聞いてくださいよ!」

 

 学生が悲鳴をあげ始めたので、宇蘭はやっと話を聞いてあげる事にした。どうしたの、と興味もなさそうに声をかける。ついでに持ってきたカップケーキを学生の前に置いた。

 

「だから、相談ですよ、恋愛相談!」




「恋愛相談」──。

 それを聞き、宇蘭の興味は一気に惹かれた。すぐにカウンター下から黒い革張りのメニュー表を取り出して学生に差し出す。駆は眉間に皺を寄せた。

 

「私の恋愛相談は有料なのよ。そこのところ分かってる?」

 

「もちろんっす。いくらか持ってるんで」

 

「結構だわ、あなた。名前は?」

 

「おれ、太一って言います」

 

「よろしく、太一さん。メニュー見てくださる?」


 その大学生、太一がメニューを開くと、そこには──。

 

 「恋愛相談…… 一回につき一杯のドリンクを頼むこと」

 

 ──と、あった。

 太一は慌ててカウンター上に吊り下げてあるブラックボード記載の適当な飲み物を注文した。

 

「あ、おれ、“カフェオレ”で。 めちゃ甘くしてください!」

 

「わかったわ太一さん。ほら、カケル。早く作って、カフェオレの注文よ」

 

宇蘭は太一に対し天使のように可愛らしく微笑んだかと思えば、駆に対してはその辺の羽虫を見るかのような視線で指示を出した。

 

「はあ、マジかよ」

 

ご機嫌な宇蘭とは対照的に、駆はいかにも面倒くさそうに顎髭を掻きながらキッチンへ向かって行った。駆は背が高いので、その背中を丸めると悲壮感がより増して伝わった。

 

 

 

 

 

          ◯

 

 ある夜、太一はコンビニでのバイト帰りに一人で夜道を歩いていた。駅から少し離れた閑静な住宅街だ。

 彼は普段からぼうっと歩いているのだが、その日はいつもと違い、やけに辺りの雰囲気が気になった。何だか視線を感じたのだ。後ろを振り向く、いや誰もいない。

 

「気のせいか」

 

太一はそう判断し、前を向き直した。

 ──その時だった。


 ほんの数メートル先、電信柱の陰に隠れるように、髪の長い赤いコートの女性が立っていた。彼女は街灯に照らされて浮かび上がるように、俯いて佇んでいる。

 

 太一は当然、その女性が気になった。なんだろう、なぜこんな夜更けに女性が一人で?

 

 そして、歩いていた太一は彼女の真横の位置にたどり着いた。その時だった。

 彼女はついに顔を上げ、血走った目を太一と合わせる。

 

「ねえ、あなた」

 

太一は無視しようかとも思ったが、せっかく話しかけてくれたので返事をすることにした。

 

「あ、はい、どうも」

 

彼女の、眉毛の位置で綺麗に切り揃えられた黒い前髪が揺れる。

 

「私、綺麗?」

 

「え? ええ、綺麗、って」

 

太一はその女性を頭の先から爪先まで舐めるように観察してみた。

 長い黒髪の艶は良いし、マスクをしているので顔の半分は分からないが、少なくても目元は美人特有の雰囲気を感じた。コートを着ているので分かりにくくはあるが、上はセーター、下にはデニムパンツを履いていて、スタイルもよく、すらりと足も長い。まあ、綺麗なんじゃないの? それが太一の感想だった。

 

「ああ、はい。まあ綺麗なんじゃないすか」

 

太一が思った事をそのまま答えると、その女性は満足そうに笑っていた。

 

「へえ、なら、これでも綺麗かしらぁ!」

 

女性は勢いよくマスクを取った──。



 ──。




 太一は語り終えた。腕を組みながらその話を聞いていた駆は、眉間に皺を寄せて答える。

 

「いやそれ、“口裂け女”じゃねえの」

 

「口裂け女?」

 

宇蘭はきょとん、として呟いた。どうやら知らないらしい。駆は言ってやることにした。

 

「そうか始めてか。宇蘭、“検索”してみな」

 

「そうね」

 

宇蘭は目を閉じ、両手の人差し指で自らのこめかみを突いた。そしてそのまま固まってしまう。

 太一には、わけが分からなかった。

 

「え、宇蘭さんどうしたんすか? “一休さん”みたいになってますよ」

 

「慌てない、慌てない」

 

駆は言いながら、出来上がった「甘々カフェオレ」を太一の前に出した。

 

 

 

 宇蘭の頭の中に文章と数々の写真が流れ込んでくる。


 『口裂け女は、1979年の春から夏にかけて日本で流布され、社会問題にまで発展した都市伝説。2004年には韓国でも流行した。中華圏でも有名。

 口元を完全に隠すほどのマスクをした若い女性が、学校帰りの子供に 「私、綺麗?」と訊ねてくる。「きれい」と答えると、「……これでも……?」と言いながらマスクを外す。するとその口は耳元まで大きく裂けていた、というもの。「きれいじゃない」と答えると包丁や鋏で斬り殺される──』

 

その他、全ての情報を知り終えた宇蘭は手を下ろし、目を開いた。

 

「分かったわ」

 

「どこで検索した?」

 

「“wiki”よ」

 

「まあ、それならほぼ正確だろ」

 

駆と宇蘭のやりとりはさっぱり意味が分からなかった。なので、太一はさっさと話を進めることにした。

 

「とにかくですね、俺は会ったんですよ。その女性に」

 

「生きて帰れて良かったじゃねえか。なんか、会うと殺されちゃうんだろ」

 

駆が興味もなさそうに答えると、宇蘭も同意した。

 

「ええ、そうね。“口裂け女”には様々なバリエーションやオチがあるけれど、大体の結末で、その姿を見た者は死んでるわ」

 

 だが、太一が言わんとしてることは違った。一気にカフェオレを飲み干すと、カウンターを拳で叩いた。

 

「そうじゃないんです、冗談やめてくださいよ。俺、多分」

 

「多分?」

 

駆が聞くと、太一ははっきりとした口調で答えた。

 

「気になるようになっちゃったんす」

 

「はあ?」

 

どうやら、この大学生は『口裂け女みたいな怪しい女が気になる』らしい。

 駆と宇蘭が目を丸くして何も言えないのにお構いなく、太一は喋り続けている。

 

「たしかに変っつうか、怪しいけど。とにかく美人っつーか、スタイル抜群で、ほら、俺って歳上好きじゃないですか?」

 

「知らねえよ」

 

「で、とにかく綺麗でなんのって、あ、そうそう、声もね、すごく綺麗なんですよ、ほら、声優さんのなんて言ったかな、あの人に似てるんですよねえ、ええと何だったかな」

 

「──太一さん、相談に乗ってほしいって、その内容は?」

 

息継ぎなしで喋りまくる太一を見兼ね、宇蘭は本題を切り出した。

 やっと黙った太一は楽しそうに答えてくれた。

 

「あの女性にまた会いたいなあって、綺麗ってちゃんと伝えたい」

 

「そんな怪しい女に会ってそれ伝えてどうするんだよ」

 

駆が呆れたように言うと、太一はなんてことない、というふうに答えるのだった。

 

「さあ、結婚とかですかね」

 

 太一は冗談らしく笑った。

 

 さて、馬鹿につける珈琲はないのか。

 駆は宇蘭に視線を送った。どうやら、彼女はこの「相談」に乗るらしい。それは、目がキラキラ輝いているからだ。駆にはすぐに分かった。

 

 というか、「口裂け女」なんて実在するのか。






────昼の部 一杯目 完

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る