夜の部 18:00〜24:00

夜の部 二杯目 

(時間は昼の部二杯目の夜まで遡る)


     

       夜の部 二杯目

   


 今夜は駆がエドを連れ出して街に繰り出したので、宇蘭と翼の二人で店を営業することになった。全く、何をやっているのやら。宇蘭は呆れたが、エドが美玲の中で「弟」から「男」に変わるためには何かしらの策を講じる必要があるのも事実なので、この際ならと駆に一旦任せようとも思っていた。

 


「じゃあ、今日は暇だねえ」

 

翼は気の抜けた顔でそう呟いた。最も「夜の部」はいつも混んでいるので暇ということはない。

 今日は駆がいないので揉め事があったら実に大変だろうというのは想像に難くなかった。

 

 

 

 今夜はもう何も起こらないだろう、翼がそうタカを括った頃だった。

 ──カランカラン、と来店を告げる呼び鈴が鳴った。

 

 

 店に入ってきたのは背の高い男。身長は駆と同じくらいで百八十センチ以上ありそうだ。しかしその体格は駆よりさらに屈強だった。

 その男はいわゆる僧侶らしく、僧衣に身を包み、頭を丸め、ぼろぼろの傘を頭に被っていた。翼の印象だとまさに「旅の僧侶」と言った風貌だ。

 僧侶はシャン、と錫杖を鳴らして店内を進む。すると、あれだけ騒いでいた妖者たちがしん、と静まり返った。さらにはテーブルの下に隠れる者までいた。

 

 その光景を見るに宇蘭にも正体が分かった。あの界隈が来店するのは久しぶりだが、僧侶はおそらく「退魔師(エクソシスト)」だろう。

 

 悪さをする異形の者たちを殲滅する人類の味方。しかし、彼らからしたら迷惑な通り魔でもある。そんな退魔師が異形の怪物たちの溜まり場に来るのは珍しいことだ。もちろん、入店を断っているわけではない。しかし珍しいに違いなかった。何せお客様が怖がって近寄らなくなってしまう。

 宇蘭は眉間に皺を寄せた。

 

「存在が営業妨害だわ」

 

 ぽつりと呟くと、翼に手刀を落とされた。うっかり口から思ったことが出てしまったらしい。

 

 

 

  

          ◯

       

 その僧侶はカウンター席、宇蘭の目の前にどかっと豪快に座ると、傘を脱いで隣の空いてる席に置いた。そして、大きな身体を揺らしてカッカッカッと笑いながら頭をかいた。

 

「げにまっこと、スマンぜよ。せっかくのお客様がわしのせいでおらんくなってしもうた」

 

 僧侶は宇蘭が思ったより若いようだ。丸刈り頭に濃い眉毛、四角い顔、ごつい骨格。そしてやけに肌は綺麗だった。さらに、おそらく性格も豪快なのだろうと容易に想像できるほど漲るエネルギーを放っている。そしてかなりキツイ訛りだった。

 

 その豪快な僧侶を覗き込みつつ、店内の他の客は様子を伺っていた。静かになった店内に男の大きな声だけが響く。宇蘭は目を細めた。

 

「ご注文は?」

 

「いや、注文より──」


僧侶は太く引き締まった腕をカウンターにどん、と乗せて宇蘭と目を合わせる。

 

「わしは今、吸血鬼を探しゆう。で、この街におるということは分かっちょる。でも見つからん。嬢ちゃん、何か知らんか?」

 


 ──吸血鬼。

 それがもしエドとその家族のことだったなら。この退魔師は何をしでかすつもりなのか。想像するに彼らにとってろくなことではない。

 宇蘭が答える前に翼が言った。

 

「知らないよ。てか、あなた誰ですか。人にモノ尋ねるなら身分を名乗ってください」



 言われた僧侶はじろり、と大きな目玉を動かして翼を観察するように見た。妙な緊張感だ。だが、翼は目を逸らさない。

 しばらく視線が交差した後、ぱっと僧侶が笑って懐から名刺を一枚取り出した。

 

「いやはや、大したものじゃのう、失礼した。よろしゅうお願いします」

 

ふん、と鼻を鳴らして翼が名刺を受け取る。宇蘭もそれを覗き込んだ。

 

 

『あなたの安全パートナー

 退魔師 ジョン一空』

 

 

 翼は舌を出し、「うえ」という顔をした。

 

「うわあ、ジョン一空? なにこれ芸名ですか」

 

「わしはエゲレスに退魔師修行へ行っちょったからのう。これはエクソシスト・ネームぜよジョン万次郎の“ジョン”と一休さんと空海から一字ずつもらい“一空”ってな」

 

意味が分からん。

 だが翼は口には出さないでおいた。

 しかし、この男がどこで修行していようとどんな名前だろうと、吸血鬼を狙っているのなら話は別だ。宇蘭は少し敵意を込めて聞いてみた。

 

「うちには、いろんなお客さんが来るわ。でもどうして吸血鬼を狙っているの?」

 

 その僧侶、一空は、また宇蘭と目を合わせる。しかし今度は笑顔が消えた。これは獲物を狙う狩人の目だ。

 

「因縁みたいなもんぜよ。わしが追うちゅうのは吸血鬼の名門、ストーカー卿の子孫たちや。知らんか、お嬢ちゃん」

 

 答えるつもりは無いらしい。

 しかも、狙いはやはりエドとその家族たちだ。いよいよ話すわけにはいかない。宇蘭は忽然とした態度で言うのだった。

 

「知らないし守秘義務があるわ。それにこの店は『中立地帯』よ。人間と化物の揉め事は禁止。あなたみたいに殺気立って入ってきて注文もしないようなのは特にお断りよ」

 

「ほう、じゃあどうする」

 

「武力を行使するわ」

 

「お嬢ちゃんが、わしにか?」

 

「ええ、そうよ。私が誰か知らないの? 捻り潰されたくなければ出て行きなさい」

 

 

 ──二人の数秒の睨み合い。そして、先に視線を外したのは一空の方だった。

 

「まっこと、大したお嬢さん方ぜよ。もちろん知っちゅうがよ。“宇蘭”と言えば裏の世界で知らんものはない」

 

そう言うと、傘を被り直して席を立った。

 

「ええのう、こん街は。楽しいことばかりで」

 

 一空はまたシャンシャン、と錫杖を鳴らしながら店を出て行った。

 

 

 

 ──。

 

 一空が店の外へ出たのを見届けると、翼は息を吐いた。

 

「はあ、ありがと宇蘭ちゃん。てか、あいつ何なの。ぜよぜよ言っちゃってさ。エドくんのこと狙ってるっぽいし」

 

「さあ、でもある程度の強さは持ち合わせていそうね」

 

 エドを狙う謎の退魔師。

 これはややこしくなってきた。しかも、宇蘭の見立てではあの一空という男は相当の手練れだ。

 

 しかも今夜のお客様まで空気が悪くなってしまった。

 宇蘭はため息をつく。今日は赤字だが仕方ない。店の評判のためだ。宇蘭は店内中に聞こえるように声を張った。

 

「今のはごめんなさいね、みんなシラケちゃったでしょ。お詫びに今夜の二杯目まで奢るわ!」

 

 すると、店内にわっと歓声が上がる。全く大赤字である。

 

 

 そして、困ったことになったのは事実だ。エドとその家族はおそらく危機に晒されている。

 

 

 

 

──── 夜の部 三杯目に続く。

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