昼の部 六杯目

       昼の服 六杯目

   

   

 今日も竜二が来店し、コーヒー一杯で二時間だらつくと、先程やっと帰ったところだった。それが昼の部で最後の客だった。

 久しぶりに閑古鳥の鳴く日のようだ。

 

 時刻は午後四時半。あと三十分もすれば「昼の部」は営業終了だ。翼は誰もいないホール内に早めのモップがけを始めていた。宇蘭もカウンター席を背伸びしながら頑張って拭いている。

 

「なあ宇蘭、エドと美玲さんは上手くいくかな」

 

「いくわよ、諦めなければね。好き同士なんだもん。何か障害があったら私が抹殺するわ」

 

駆がグラスを拭きながら聞くと、宇蘭はやけに物騒なことを言い出した。おそらく例の退魔師、ジョン一空のことを言っているのだろう。

 

「あいつ、私のこと見下ろしたのよ。許せないわ」

 

 私怨混じりじゃねえか。駆は言いかけてやめておいた。宇蘭に身長の話題はタブーだ。

 

 

 

 翼もモップがけが終わり、そろそろ店の外を掃き掃除でもしようかと思い立った。このあとは来客もなさそうだ。

 

「美玲さん、素直になれるかなあ」

 

翼がそんなことを考えながら入り口に向かった時だった。

 店の外に美玲がいた。なんという偶然だ。しかもこのURANに向かってくる。その後にはエドも慌ててついて来ているようだ。翼は入り口を開けてあげた。そして向かってくる二人に手を振る。

 

「おうい、美玲ちゃん、エドくん。いらっしゃい、滑り込みだねえ」

 

 しかし、向かってくる二人は翼に応えず無視して、まるで突撃するかのように店に入り込んできた。翼は慌てて扉の横に避けて二人を通してあげた。

 

「うわっ、どうしたの」

 


 いきなり店内に入ってきた美玲とエドの二人に対し、駆も宇蘭もぽかんと口を開けていた。何が起こったのか。

 

 美玲は店の真ん中で立ち止まると振り返ってエドを指した。

 

「ついて来ないでよ。私、別に怒ってないから」

 

エドも慌てて立ち止まると、美玲と向かい合った。

 

「怒っているじゃないか。いつもそんな言い方しないだろ」

 

「なによ、いつもって。私の何を知ってるわけ」

 

エドは美玲のちくりとした口撃に一瞬怯んだ。

 だが、その時。美玲の後ろ、カウンターにいる駆が目で合図を送ってきた。

 

「逃げんなよ」

 

 エドにはそう言われた気がした。そうだ、大切なら言葉にして伝えなければ。いま、伝えないと二度とチャンスは来ないかもしれないのだ。あの夜に会った不思議な僧侶もそう言っていた。

 エドは息を吸い込むと一歩踏み出した。勇気が湧いた気がする。

 

「知ってるよ、美玲のことなら何でも」

 

「へえ、あっそう、何を」

 

「真面目で勉強も運動も僕よりできる。でも、誰より努力してる頑張り屋だ。誰も知らないと思ってるだろうけど僕は知ってるよ、美玲は優しい、人よりずっと。だって僕を救ってくれたから」

 

 突然、早口で歯の浮くような台詞を言い出したエドに、美玲は顔を真っ赤にした。

 

「はあ、ちょっと、やめてよ。そんなの、知らないから」

 

「故郷にいたころ、僕は寂しかった。孤独だと思ってた。昼間は家の中、友達は人形と本だけ。夜も同じだ。でも日本に来て美玲が、君が手を引いてくれたから、僕は外の世界に一歩踏み出せたんだよ。君が僕を救ってくれたんだ」

 

美玲は顔を真っ赤にしたまま黙って話を聞いている。と、いうより言葉が出ないらしい。口をぱくぱくさせていた。

 だが、もうエドの溢れた気持ちは止まらない。言葉は止めどなく流れ出ていく。

 

「天文学者、宇宙飛行士、プラレネタリウム。いろんな夢を君は聞かせてくれた。宇宙が好きだって、だから僕も好きになった。前に月が綺麗だって言ったのは嘘じゃないよ。夏目漱石だって僕も知ってる」

 

「僕、頑張るから。早く立派になって美玲に心配させない強い男になるから」

 

「わあわあ、待って待って! やめて、死んじゃう!」

 

美玲は半狂乱になって悲鳴を上げ出した。このあとエドが何を言うかもう分かっているのだ。

 エドは構わず言葉を続けた。

 

「僕が、君を月に連れていくよ。だから聞いて。僕が好きなのは“誰か”じゃないよ、片想いの相手は“君”だ。美玲が好きなんだ、ずっと前から。本当はもっと早く言うべきだった。それがやっと分かったんだよ」

 

 何やらよく状況が分からないが、告白できたというのは分かる。翼は小さな声で「やった」と呟いてガッツポーズを作った。

 

 告白された美玲は、黙って下を向いてしまう。耳が真っ赤になっていた。

 そして何も言わないのでエドは不安になってきた。やっぱり、嫌だったのだろうか。

 

「あ、美玲、その。本当はこの前のみなとみらいの時に言おうと思ってたんだよ。えっと、ごめん。嫌だったら」

 

「謝らないで」

 

美玲は目線を下に固定したまま右手だけエドに向かって差し出した。

 

「謝る必要ない、嫌じゃないから。嬉しい、から」


「え、じゃあそれって」

 

エドが聞き返すと、美玲が黙って小さくうなづく。

 

「好きってこと、私も」

 

「美玲!」

 

 その瞬間にエドは美玲を抱きしめていた。美玲は目を見開いて固まっている。身体に電流が走ったような感覚に痺れていたのだ。

 

「良かった、本当に良かった。好きだよ美玲、何度だって言えるんだ」

 


 最初、駆も宇蘭もその光景に微笑ましく笑っていた。しかし、エドは一向に美玲を離さず、美玲の顔はどんどん赤くなる。翼と宇蘭は慌ててエドを引き離しにかかった。

 

「ストップ、エドくん。美玲ちゃん本当に死んじゃうから、『キュン死に』しちゃうから」

 

「いきなり攻めすぎだわ、エドさん、一回離れなさい」

 

「しょうがねえな」

 

 さらに駆も参戦し、エドを強引に引き剥がした。やっと解放された美玲は、はあはあと荒い息を吐いている。突然抱きしめられ、嬉しいがどうして良いか分からず、美玲は息を止めていたらしい。

 

「節度を持てよエド。男に一番必要なのは余裕だぞ」

 

「ですよね……。ごめん美玲」

 

 エドは我に帰ったように照れ笑いをしていた。いけるとなると意外と積極的な奴だな、と駆は呆れてしまった。

 

 

 

    

          ◯

       

 美玲は今日一日の間、自分の本当の気持ちに戸惑って混乱していたらしい。

 

「私もエドが好き」

 

 その気持ちには気づいていた。しかし、認めたくない気持ちとエドには他に想い人がいると思い込んでいたので応援したい気持ちとが重なり、必死に溢れそうになる想いに蓋をして押さえつけていたのだった。

 そんな中、放課後にエドから呼び出されてしまい、美玲はパニックになった。さらに聞かされた話の内容が「僕の片想いの相手なんだけど」というものだったので、いよいよどうしたら良いか分からず、逃げ出してしまったという経緯だった。

 

 そして、とにかく話を聞いてもらおうと純喫茶URANに飛び込んだ、ということらしかった。

 

 ──。




 時刻は既に「昼の部」営業終了の十七時を過ぎていたが、宇蘭は構わず二人を祝福した。

 

「今日は一杯奢りよ」

 

宇蘭が笑いかけると、礼を言ってから二人ともカフェオレを注文した。

 


「いやあ、本当に良かった。二人は相性良いって思ってたんだよ」

 

 翼が染み染みとそう言ったが、エドと美玲は話半分なようで、お互いにカウンターテーブルの下で手を握りあっていた。

 翼もとても幸せな気持ちになった。しかし何だか羨ましくもある。

 

「良いなあ、私も恋したいよ」


「出来ない奴のセリフだぜそれ」

 

 駆がぼそりと言うと、かなり強めの拳が飛んできた。これだよ、これ。駆は「うっ」とうめき声をあげた。

 

 

 宇蘭は頬杖をついて二人を眺めた。今回も上手くいったようだ。

 

「そろそろお会計かしらね」

 

 エドも美玲も幸せに包まれた表情をしている。これを見たいからこの仕事をしているようなものだ。宇蘭もその幸せのお裾分けに微笑んだ。

 

 




────昼の部 お会計に続く。

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