昼の部 五杯目

       昼の部 五杯目

  

  

 夕方、店内にも夕焼けが差し込み始めていた。今のお客はカウンター席に一人の青年がいるだけだ。彼は金髪を逆立てたようにセットしている爆発頭でアロハシャツ姿。身体も大きいためその姿は周囲に威圧感を与えそうだ。そのくせ顔はベビーフェイスなのだから始末におえない。彼は駆の高校時代の後輩だった。

 

「駆クン、最近はどうすか。恋愛相談? っていうのは」

 

その金髪の青年は頬杖をついて目を細めた。どうやら面白がっているらしいというのはカウンターに立ち、向かい合う駆に十分に伝わった。

 

「うるせえよ、ガラじゃないって言いたいのか竜二」

 

 駆の後輩であるその青年、竜二はいやいやと笑って誤魔化し出した。

 

「だって高校のときの駆クンはめちゃ怖かったんですもん。それがまさかカフェの店長で恋愛相談なんて、想像つかないっしょ」

 

 高校時代、かなりエキサイティングだった過ぎ去った思い出を一瞬のうちに振り返ると、駆は遠い目をして答えるのだった。

 

「昔の話だろ」

 

「うえ、その言い方し始めたらおっさんの仲間入りですよ」

 

「そりゃ偏見だ」

 

駆は笑って聞き流すとグラスを拭き始めた。その姿に竜二はやっぱり、と目を丸くする。「現役時代」のころの駆なら、今ので自分を半殺しにするはずだろう。

 

「すっかり角が取れちゃって、まん丸のツルツルじゃんか」

 

竜二はぼそりと呟いてからコーヒーを啜った。その大人になった尊敬する先輩の姿は、何故だか竜二を安心させた。

 

 

 

   

     

          ◯

 

 いつの間にか宇蘭も加わり、竜二と駆の昔のヤンチャ話に花を咲かせていると、突然勢いよく店の入り口扉が開かれた。来店を告げる呼び鈴がいつもより激しくカランカラン、と音を鳴らす。

 店に入ってきたのは美玲だった。彼女はいかにも苛ついた様子でずんずん歩き、そしてカウンター席の真ん中にどかっと座った。今日は制服姿ではなく、グリーンのカーディガンを羽織った私服姿だ。そういえば、今日は土曜日らしいと駆はやっと思い出す。美玲も学校は休みのはずだ。この仕事をしていると曜日感覚がたまに抜け落ちるので考えものである。

 美玲は少し語調荒く注文をした。

 

「裏メニュー、恋愛相談! 今日はサイダー系をください。スカッとするやつ!」

 

 宇蘭も駆も、先にカウンター席に座っていた竜二も、目を丸くした。

 

 


 

 美玲はぐいっと立派な飲みっぷりを披露した。勢いよくカウンターに着地したグラスはゴト、と低音を響かせる。

 

「ぷはっ、何これ、美味しいけど不思議な味ですね。コーヒー?」

 

美玲のグラスの中には半分だけ気泡を浮かばせる黒い液体が入っていた。駆は得意気に腕を組んだ。

 

「“コーヒーソーダ”だ。作るの難しいんだぞ」

 

「駆クンは料理だけは得意だからね」

 

せっかく格好つけたのに、カウンター席の端っこで面白そうな顔をした竜二が茶化してきた。今日の昼間は翼が休みだ。しかし、どうやら安息はないらしい。駆は諦めると、「そうだな」と小さく呟いた。少し元気がない。

 宇蘭はそんなめそめそした駆には付き合う気がないのでさっさと話を進めることにした。

 

「──それで美玲さん。今日はどうしたのかしら」


宇蘭が優しく微笑みかけると、美玲は少し頭が冷えたらしい。ふう、と息を吐いてからいつものように背筋を伸ばした。

 

「はい、今日はエドと朝から二人で横浜まで出かけに行ったんです。ショッピングとランチ」

 

「ええ、先日言っていたエドくんからの『お詫び』の件ね」

 

宇蘭が聞くと、美玲はうなづき返した。

 

「でも何か、よく分からなくなってしまって」

 

「よく分からない?」

 

 美玲はそうです、と答えると経緯を語り出した。

 

 

 

 ──。





 美玲は朝からエドと共に横浜のみなとみらいへ出かけた。電車には一時間も乗らないのであっという間に到着してしまう。

 

 まず二人で映画を二時間ほど鑑賞した。映画といってもストーリーものの定番な作品ではなく、天体の歴史や星の物語を綴ったドキュメンタリー作品だった。美玲は「宇宙」が大好きなので、これには感動した。なんとエドの提案だったからだ。

 

「美玲、観たいかなって思ったから」

 

しかも映画館に着いた時点で既にチケットはエドが二枚確保していて、購入の手間すらかからなかった。さらに映画はとても美しく、美玲は大変満足した。

 

 

 

 二人で映画の中の銀河へ旅立ち、帰還したころにはお昼ご飯にちょうど良い時間になっていた。美玲は少し空腹感があったのでエドに聞いてみることにした。私はお姉さんなんだから、ぼう、としてるエドをサポートしなければ。

 

「ねえ、エド。お昼はどうしようか。何か食べたいものとか」


「実は予約してあるんだよ」

 

「え?」

 

またしても、なんと、昼食はエドが駅から少し歩いたところにあるイタリアンレストランを予約していた。その店は、こじんまりした個人店舗だが異国情緒が溢れ、お洒落な内装と雰囲気、店員もよく教育が行き届いた素敵な店だった。美玲はさりげなくエドに誘導され、窓際の外の景色が見えやすい席に座った。ソファがふかふかだ。

 

 一番人気のピザを一枚と、それぞれがパスタを注文した。美玲はピザもパスタも好物だ。

 

「ピザは二人でシェアして食べようよ」

 

ピザが提供されるとエドは手際良く偶数に切り分けていく。実にストレスがない。美玲は快適だった。

 パスタも美味しく、全く非の打ち所がない昼食だ。

 

「お詫びだからね、ここは僕が出したよ」

 

 さらに、エドは美玲が席を立っている間に会計を済ませていたのだった。

 

 

 ──。




 ここまで話を聞き、宇蘭は腕を組んでううむ、と唸る。横の駆は満足気だった。

 

「特に問題ないように感じるけど?」

 

「ああ、エドの奴は立派にやったんじゃないか」

 

駆がやけにエドに対して肩入れしているように感じたが、特に指摘しなかった。美玲はそんなの分かってます、とばかりに言い返す。

 

「ええ、そうなんです。それは本当に良いんです。楽しかったですし」

 

 でも、と美玲は言葉を続ける。

 

「私、いらついてしまって」

 

美玲は一口だけコーヒーソーダを口に含んでから話を再開した。

 

 

 ──。




 昼食も終えたあとは軽く駅ビルでウインドショッピングを楽しみ、その後でみなとみらい周辺を軽く散歩した。最初、エドはお詫びにと出かける約束を提案してくれたが、やけに本格的だ。「デートっぽい」と美玲は素直に感じていた。

 さらに、今日の締めくくりとしてコスモワールドの有名な観覧車に乗ろうとエドが提案したのだった。夜にはライトアップされ、大きなデジタル時計が目を引く、ドラマにもよく登場するような「みなとみらい」のシンボル的場所の一つだ。

 

 エドと美玲はコスモワールドに行く前に停泊している日本丸の前でベンチに座り一時休憩することにした。美玲はとても気分が良かったので、何やらスマートフォンを気にしているエドの肩を優しく撫でた。

 

「ねえ、どうしたのエド。今日は何だか違うね」

 

これは本当にそう思ったから言っただけであった。エドが男らしく感じられるのだ。初めての感情だ。頼りになりそう、そんな気持ちを抱いていた。

 エドはスマートフォンを慌ててデニムパンツのポケットにしまうと、また無邪気な笑顔を返した。

 

「まあ、ね。本番に向けて頑張っているんだ」

 

「ふうん」

 

 美玲は喉を鳴らして返事をする。

『本番』というのはおそらく、エドの言う片思いの相手の事だろう。美玲は合点がいった。

 そして同時に、エドがその影も形も知らぬ同世代の女の子と今日のような、まるでデートのような、そんな時間を過ごすことを想像すると何故だか胸に嫌な気持ちが広がった。

 

 気分が途端に悪くなってきた気がする。なら今日の私は? ただの練習でその子の代わりなのだろうか?

 

「美玲?」

 

「あ、ああ。うん、大丈夫だよ」

 

エドは俯いた美玲の顔を覗きこんだ。それを横目で確認すると、オリーブ色の瞳と重なる。本当に心配そうな眼差しだ。

 エドは優しい。いつでも私を気にかけているし、本当は昼間活動するのは苦手なくせに今日も無理して一緒に出掛けてくれたこともよく理解している。美玲には全て伝わっていた。そして、だからこそ嫌な気持ちになった。

 

 いつか他の知らない誰かに向けられてしまう。

 

 この二人の時間も、エドの優しさも、自分に向けられるこのオリーブ色の瞳も、全てがいつかどこかに行ってしまうのか。

 

「ねえ美玲、大丈夫。観覧車やめとく?」

 

エドがまた優しく声をかけてくれた時、美玲はとても頭に血が登った。何故か、その理由は分からない。

 

「いいよ、別に」

 

「え、それってどういう」

 

「行かなくていい」

 

美玲は少し強い語調でエドを突き放すとベンチから立ち上がった。

 

「本番にとっておけば良いんじゃない? 私なんかと乗らないでさ」

 

美玲は怒ってる、長い付き合いだ。エドにはすぐに分かった。しかし理由が分からない。

 

「待って、どうして怒っているの。僕が何かしたなら謝るよ。ごめん美玲」

 

「謝らないで」

 

「だって、怒っているだろ。美玲には怒ってほしくないんだ。今日は楽しくなかった? じゃあ、またいっぱい考えるよ。美玲が楽しめるように。だから」

 

「私に構わないで!」

 

 美玲はついに声を荒げた。エドは目を丸くして黙ってしまう。

 

 今日のこの時間が楽しくないわけがない、美玲も同じ気持ちだ。エドは幼馴染で親友、笑っていてほしいと美玲だって心から思っていた。だから小さい頃から姉のように世話を焼いた。エドが笑った顔が見たいから、その顔が好きだから。

 

 

 

「あ、美玲、ごめん、僕は」

 

「いいよ、こっちこそごめん。エド、帰ろう。私、少し疲れちゃった。いっぱい歩いたからかな」

 

何とかエドが声をかけたが、美玲はあっさりと突き放した。作り笑いを浮かべながら。

 なぜ腹が立ったのか。ほんの数分前まで楽しかったというのに。しかし、とにかく美玲はいらついた。どこの誰とも知らぬ、そのエドが片想いしている相手の顔をとても見たくて、同時に見たくない。不思議な気持ちに支配されつつあった。

 

 

 ──。



美玲は宙を眺める。


「なんかエドの態度にイライラしちゃって。駄目ですね、私。エドとその子のこと応援したいのに」

 

そして怒ったままエドと駅前で別れ、その足でURANまで来たらしかった。

 

 

 

 


          ◯

      

 美玲は語り終えるとスッキリしました! と言って会計を済ませ、さっさと帰ってしまった。宇蘭も薄々に感じていたがかなりパワフルな性格なようだ。

 

 もう「昼の部」も終わりの時間なので店内にお客は竜二しか残っていない。さりげなく一緒になって美玲の相談を聞いていた竜二はふむ、と呟くとまた頬杖をついて目を細めた。その中性的で長いまつ毛が揺れる。


「美玲チャンはさあ、多分そのエドくんのこと大好きなんだねえ。架空の女の子に嫉妬しちゃうくらいだしさ」

 

そんなこと分かってるよ、と駆は答えた。宇蘭も続く。

 

「問題なのはそれに気がついていないことだわ。あんなに嫉妬するくらいなら素直になれば良いのにね」


 

「違うよ宇蘭ちゃん、それが複雑な女心ってやつ。弟だったのがいきなり男になったらビックリしちゃうよ。だけど、他の奴には盗られたくない、だって私のものだから……!」

 

 丁度いま、出勤してきた翼は入り口で芝居めいた大袈裟な動きで宇蘭に答えるのだった。駆は呆れたように顔をしかめた。

 

「どっから聞いてた」

 

「聞いてなくても分かるよ」

 

翼は竜二くんいらっしゃい、といつもの調子だ。

 今の今まで地域の「ママさんバレー大会」に助っ人参戦していたはずだ。一日動き回ったのに元気な奴、と駆は言いかけた言葉を何とか飲み込んだ。

 

「ともかく、ここからが私たちの出番じゃん」

 

 翼が言うと、宇蘭もそうねと答える。今回は普段よりやけに結束力がありそうだ。

 

 

 



──── 昼の部 六杯目に続く。

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