夜の部 五杯目 

       夜の部 五杯目

   


 来店してきたエドはいつものカウンター席で頭を抱えていた。注文したホットトマトジュースはもう冷めてしまっている。

 駆は宇蘭が焼いた無料のクッキーをエドの前に差し出した。

 

「まあ、食えよ。お前はよくやった」

 

「まだ終わってないわよ」

 

いつの間にか駆の横に現れた宇蘭が拳を脇腹にくらわせた。それは思いのほか強い力だったので駆はうっ、と呻めき声をあげた。

 

「ばか、痛えよ。加減しろこのゴリ」

 

宇蘭に向かって“ゴリラ”と言いかけ、寸前で駆は踏みとどまった。そんなことを口走った日には本当にゴリラを相手にするようなものだ。潰れたリンゴみたいになるのは御免だ。

 

「なに?」

 

「ゴリゴリに恋愛相談しようぜ」

 

駆は苦笑いでそう言うと、慌てて五百円玉を取り出して「マナー違反罰金貯金箱」へ一枚入れた。チャリンと小気味良い音が聞こえる。

 

「良い心がけね、期待しているわ」

 

宇蘭は駆に笑いかけると、すぐにエドに向き直った。どうやら命拾いしたようだ。

 丁度、翼も他のお客への提供が終わり、カウンターに戻ってくる。

 

「話は聞いたよエドくん。エドくんは頑張ったよ。けどね、あともう一押しなんだよね」

 

「知ったような口を効くじゃねえの」

 

「お子様、顎髭剃りなよ」

 

駆は茶化してみたが、すぐに翼にやり返された。姉ってやつはどうしてこう、もう駆は諦めた。しかし、そんなにこの顎髭は似合ってないだろうか。駆は指先で髭を撫でてみた。

 そんなやりとりをしている間に、エドは一拍おいて、やっと顔を上げた。

 

「あともう一押し、ですか」

 


 今日の昼間、エドは美玲に体調不良で迷惑をかけたお詫び、という体のデートをしていた。

 デートプランは前回の「夜の部」で入念に構築し、当日のリードも完璧だった。駆と翼の意見を取り入れ、それらはスマートフォンのメモ帳にしっかりと記録して準備し、デートの合間にもチェックしながら行動した。特に大きなミスもなく、美玲も楽しそうだとエドは安心しながら計画通りに進めていた。

 

 計画通りなら最後に観覧車に乗り、そこで美玲に告白するはずだったのだ。十年近く抱えたその胸の内を全て。

 

 

「一押しって言っても、これ以上どうしたらいいんでしょう。あれはもう、えっと、そうです。拒絶です。僕は拒絶されたんです」

 

エドは白い顔を青くして俯いた。相当なショックを受けたらしい。駆にも似たような経験があるので想像に難くない。入念に準備したデートプランが打ち砕かれれば、男なら誰でも落ち込むものだ。

 

「やっぱり僕が子供っぽいからいけないんでしょうか、もう駄目でしょうか」

 

 ふわふわなカーリーヘアに指を食い込ませてエドは唸った。翼はいやいや、とフォローに入る。

 

「そんなことないよ、エドくんは可愛いよ」

 

しかしそのフォローはかえってエドを追い込んだ。「可愛い」では駄目なのだ。「カッコイイ」でなければ。エドはうわあと中性的な甲高い悲鳴をあげる。

 

 宇蘭は見兼ねた。確かに気の毒だが、これでは話が進まない。

 

「まあ、エドさん。そう落ち込んでばかりじゃ」

 

 ──そう言いかけた時だった。

 いつの間にかカウンターを出てエドの方へまわっていた駆は「立て」と言い、力づくでエドの腕を引っ張り上げて立たせた。

 

「しっかりしろ、お前の気持ちはそんなもんかよ」

 

「あ、う、僕は」

 

 駆はエドのオリーブ色の瞳と自分のとを合わせた。一寸も逸らさない。

 

「分からないか、美玲さんは照れてんだよ。お前を嫌ったり拒絶したりなんかしてない。お前がビビってるだけだろうが。一回駄目なら諦めるってお前本気で言ってんのか」

 

「カケル、お客様に暴力は駄目よ」

 

宇蘭は明らかに怒気を込めた声をかけた。すると、駆は悔しそうに手を離す。仕事なのだから当然だ。しかし、やるせない。

 

「悪かった。でも、エド。お前がやめたら本当に終わっちゃうぞ。吸血鬼ってのは長生きなんだろ? お前の時間軸でもたもたしてると美玲さんはどっかの男と結婚して、あっという間に死んじまうぞ」

 

 エドが同世代と比べて幼い姿なのは長寿故の成長の遅さも理由のひとつだった。彼の時間は人間よりも遥かにゆっくりと流れていく。そして、気がつけば人間たちは死に、次の世代に生を引き継いでいるだろう。

 

「人間相手には短期決戦しかねえんだ。よく覚えとけ、後悔したくねえならな。今回のは失敗のうちにも入らねえぞ」

 

駆はそれだけ言うとそそくさとカウンターに戻っていく。

 残されたエドは突っ立ったまま呆然としていた。

 

「まあ、座りなよエドくん」

 

翼は優しく声をかけて座るように促した。エドは言われたとおりにゆっくりと腰を下ろす。

 宇蘭はそれを確認すると、エドと目を合わせた。

 

「エドさん、ごめんね。駆は後で厳重注意しておきます。お客様に手をあげるなんて論外だわ。でも、一理はあったと思う」

 

 宇蘭は言葉を続けた。

 

「結局、エドさんも美玲さんも二人とも素直じゃないのよ」

 

「じゃあどうすれば」

 

「何度でも気持ちを伝える。勝てるまで繰り返せばいいのよ。通報されない程度にね」

 

 迷っている必要はないわ。

 宇蘭にそう言われたとき、先日会ったあの不思議な僧侶を思い出した。

 

 “大切なら、迷う必要はない”

 

いま自分は何に迷っている? たしかに決まっていることを迷う必要などないのだ。エドの心は少し前向きな心持ちになっていく。

 

「たしかに、そうかも知れないです。僕はまだフラれたわけじゃないですよね」

 

「そうだよエドくん! 頑張って美玲ちゃん振り向かせようよ」

 

 “最後に大事なのはハートぜよ”

 

 頭の中の僧侶もエドを応援してくれた。そうだ、まだ終わってないんだった。告白してすらいない。一度出来たはずだ。それをもう一度するだけ。月が綺麗だと、あなたが好きだと、そう伝えるだけだ。

 

「僕、やってみます」

 

 エドが静かにそう言うと、翼は安心したように笑い、駆は満足げに腕を組んだ。

 

「おう、やってみろ」

 

 

 

 

          ◯

 

 エドが退店する時、宇蘭は声をかけた。例の退魔師、ジョン一空に釘を刺した件を伝えねば。奴がまだ諦めていなければ危険だ。

 宇蘭はエドの側に駆け寄ると、そっと耳打ちした。

 

「あなたを狙う退魔師、脅かしておいたわ。でも念には念を入れたいの。エドさんもバレないように気をつけて」

 

 声を落として心配そうにする宇蘭に、エドはまた優しく笑顔を返した。

 

「大丈夫ですよ、普段の僕らは力を完全に隠して人間に擬態しています。こちらから力を使わないとバレることはありませんよ」

 

「なら良いんだけど」

 

 宇蘭の心配など他所に、エドはまるで憑き物が取れたような顔で店を出て行った。

 

 だが確かに、エドにとっては最早その退魔師よりもずっと、美玲との対話の方が重要なのだろう。

 

 

 


──── 夜の部 六杯目に続く

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る