昼の部 10:00〜17:00
昼の部 二杯目
昼の部 二杯目
午後四時前、昨日と違い美玲だけが一人で来店した。カランカランと呼び鈴が鳴る。ブレザー姿でスクールバッグを背負っているので時間帯的にも学校帰りに寄ってくれたのだろう。
「いらっしゃい」
駆は美玲をカウンター席に誘導した。因みに今日は最初から宇蘭がスタンバイしている。よほど美玲のことが気になっていたのだろう。
美玲はカウンター席に座って駆、宇蘭と向き合った。
「昨日はすみませんでした。お騒がせしてしまって」
美玲が申し訳なさそうに頭を下げると、翼はキッチンから戻ってくるや駆を強引に押し退けて前に出た。
「いいのいいの、気にしてないから。美玲ちゃん、いらっしゃい。今日はエドくんのこと?」
翼は駆に向かって「チッ」と舌を鳴らすと、ニコニコしながら美玲に向き直る。どうやら昨晩の「夜の部」から機嫌が悪いらしい。駆は心の中でため息をついた。
「相談乗るわ、ドリンクはどうする?」
宇蘭もやけに美玲には優しい。美玲がホットココアを注文すると、宇蘭は「ん」と喉を鳴らして駆に顎で指示を出した。やはり機嫌が悪い。
駆は肩身の狭い思いをしながら背中を丸めてキッキンへ入って行く。それを見届けると、宇蘭は再び美玲と向き直った。
「さて、エドさんのお話よね」
「はい、今日はそのことです」
美玲は言葉を続ける。
「エドの“恋”を応援してあげたくて──」
話を聞く宇蘭も翼も目を丸くした。なるほど、そうきたか。
そのエドの恋の相手は他でもない美玲だ。本人はそう語っていた。まさか気づいていないとは。どうやら、美玲にとってエドは本当に弟のようなものなのかも知れない。
「あの子、普段あまり主張とかしないし、何でも私についてきて自分の意見とか言わないし。だけど、その“恋”だけは自分から話してくれたんです」
──。
エドと美玲はたった二人だけの天文部だった。元々運動部の盛んな高校で、その中の文化部はひっそりと活動している。去年に先輩たちが引退すると、天文部の部員は美玲たった一人になってしまった。そこでエドが入れ替わりに入部してきたのだ。
二人は幼馴染で、美玲が昔から星座や宇宙といったものがとても好きなのをエドはよく知っている。部員は二人だけだが特に問題なく部活動は進められた。何せ普段の日常と変わらないのだ。
美玲が星の物語を聞かせたり、望遠鏡を代わりばんこに覗き込み星の解説を熱弁するたびにエドは微笑んでその話を聞く。これはもう昔から二人の交流として当たり前に行われていた。
その日も部活動の一環で顧問指導のもと夜の学校を借り、校舎屋上から望遠鏡を二人で順番に見ていた。
「ねえ、美玲」
不意に、エドはぽつりと言った。それに対して美玲は望遠鏡で目当ての星を探すのに忙しく、空返事で「んー」と適当な返事をする。エドは構わず続けた。
「今日はさ、その──」
エドは深呼吸した。意を決したのだ。ただし美玲には何か「フーフー」やってるな程度の認識しかない。
「月が、綺麗だね」
エドは言ってから鐘のように鳴る鼓動を聞いていた。そして待つ、美玲の返事を。
美玲は一拍おいて、答えてくれた。
「そうねえ、綺麗ねえ」
──そう言って、美玲は望遠鏡を「月」に向けるのだった。まん丸で明るく光っている。
「わあ、本当だ。エドありがとう。クレーターまでくっきり見えるよ。やっぱりアナタって目が良いのね」
美玲のその返事には、エドは落胆した。うん、と短く返事をするだけだ。
しかし、そこで美玲はピンときた。
“月が綺麗だね”
それは夏目漱石の逸話由来の愛の告白じゃないか。
なんだか美玲は笑えてきてしまった。望遠鏡から視線を外し、振り向いてエドと目を合わせた。
「ちょっと嫌だエド。それって愛の告白の意味があるんだよ。日本式のね。奥ゆかしいでしょ」
美玲が笑いながらそう言うと、エドは何とも複雑な表情で笑い返した。
「あ、うん。そうなんだね」
「そしたら、相手はこう言うの、“死んでもいいわ”ってね。ロマンチックだよね。女の子を勘違いさせちゃうから、覚えておいた方が良いよ」
「……うん。いや、良いんだ。今のは練習みたいなものだから。本番に取っておくよ」
エドは迂闊にも、小声ではあったがそんな事を口走った。それを聞き逃す美玲ではない。何せ、幼馴染の引っ込み思案な少年の一大事だ。
美玲は望遠鏡から手を離し、エドにぐいっと近づいて両肩を掴んだ。美玲の方が背が少し高いのでエドはそのオリーブ色の美しい瞳で美玲を驚いたように見上げている。
「え、待って。練習って何? 本番って言った? エド、もしかして好きな子ができたの?」
「あ、いや、僕はその」
エドが目を泳がせて曖昧な返事をするので、美玲はいつもの調子でぴしゃり、と問い詰める。
「はっきりしなさい。そんなんじゃ上手くいかないよ」
どうやら逃げられないらしい。
エドは観念した。
「うん、そうなんだ。好きな子がいるんだよ──」
──。
美玲は語り終え、駆が用意したホットココアを一口。味わってから言葉を続けた。
「私、もう心配になってしまって。あの子は少し変わった体質というか、身体が弱いんです。昔からそうなんです、だから余計に心配で」
美玲の説明に宇蘭も少し驚いた。そうか、まさか美玲はエドの正体を知っているのかも知れない。
父同士が友人関係、その紹介で日本へ移住。幼いころから一緒に過ごしている。吸血鬼であることも、その体質も知っていておかしくはない。
カマをかけてみることにした。
「エドくん、身体が弱いのね。たしかに、昨日も何だか元気なかったわ」
「はい、昼間はいつもあんな感じです。長時間外にも出られないんです。日光はあの子にはキツイみたいでして」
これだけ聞けば、単なる引きこもりに聞こえなくもないが宇蘭たちは正体を既に知っているので間違いないと思われた。
「へえ、まるで吸血鬼ね」
「え? あ、はい。そうですね」
美玲の目が泳ぎ、鼓動が早まったのを宇蘭は見逃さないし聞き逃さない。これは確実に知っている。
エドの正体が吸血鬼と知ったうえで、秘密を口外しないように守ってあげているのだろう。歳も美玲が一つ上。本当に自分が姉のような感覚なのかも知れなかった。
「分かったわ」
宇蘭は優しく美玲に微笑みかける。
「そしたら、エドくんのこと色々と話してくださるかしら。話せる範囲で良いから、私も協力したいと思っているの」
美玲は自分が告白されたのだとは夢にも思っていないらしい。これは骨が折れそうだ。宇蘭としては、まず美玲に脈があるのか確かめねばならない。
「因みにだけど、エドくんのこと。正直に言って現時点で女としてどう思う?」
宇蘭の質問に対し、翼はほう、という顔をした。相談に乗っている風でエドの今の好感度を確かめたのだ。
美玲は笑って答えてくれた。
「私がですか? そうですねえ、なんか弟みたいな感じです。守ってあげないと何にも出来ない子ですから」
美玲のその純粋なる笑顔は、女のものではなく姉のもの。道のりの険しさを物語っていた。
────三杯目に続く。
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