各部 お会計
昼の部 お会計
昼の部 お会計
交通事故によって、太一は二週間ほど入院していた。奇跡的に大きな怪我はなく、頭を打ったことによる軽い脳しんとうと右足の捻挫だけで済んだのだった。病院へ運ばれるのが早かったのも幸いしたらしい。
しかし、怪我の事はどうでもいいほどに太一は落ち着かなかった。あの事故に遭った日の夜、デートするはずだったのに。あんなに綺麗な人、もう二度と出会えないかも知れない。太一は落ち込んだ。
彼女は多分、「口裂け女」だった。彼女が自分でそう言ったのだ。その血に染まった顔、口は裂けていた。
そして抱えられ、空を飛んだかと思えば、気がつくと病院のベッドで眠っていた。
全て夢だったのだろうか。
サキコとはあの日を境に一切の連絡が取れなくなってしまった。
「デート、すっぽかしたもんな」
助けてくれたのはサキコか、口裂け女か、混乱してしまって、太一には分からなくなっていた。
◯
駆はオレンジジュースを太一に出した。
「サービスだ、飲め」
「あ、どうも」
太一は二週間ぶりに『昼の部』に来店したかと思えば、いつものカウンター席を陣取り、無料のクッキーを食べるだけで黙ってしばらく座っていた。痺れを切らした駆が強引に話の口実を作ったのだ。
「で、なんだよお前は」
「え、何って、なんすか」
「サキコさんとは、どうなった」
駆が聞くと、太一は俯いてしまう。
「いや、もう無理っつうか、諦めたっつうか」
「いいのかよ」
「良くないっすよ、でも連絡つかねえし。どうにもできないし」
「じゃあ、もう好きじゃないのか」
駆にそう言われると、どきりとして太一は黙った。
分からない、というのが正直なところだ。勢いもあったのかも、と自信が無くなる。「サキコさん」は実在していたのか。でも、あの時、あの瞬間は確実に好きだったと言えるかもしれない。しかし、どうしたらいいのか。
本当に口裂け女、かもしれないのだ。
化け物だ、都市伝説に出てくる妖怪。そして、朦朧とした意識の中で見た、あの口が裂けた顔を思い出す。
「分かんないっす」
太一が自信なさげにそう呟くと、駆はそうか、と答え少し声を荒げた。
「お前は結局、その、サキコさんの見た目が好きだっただけか」
「ち、違いますよ」
「なら、どうしてそんな簡単に諦められるんだ」
「俺は元々そういうドライな人間で」
太一が言いかけると、駆は遮った。
「お前、それ本気で言ってんのか」
見透かされてしまった。
そう、言い訳しているだけだ。きっと自分はフラれたと思い込むことで楽になろうとしている。それも分かっていた。
「顔が可愛いから、巨乳だから、最初はそうだったかも知れない。けど違うだろ太一、なあ、お前、サキコさんの事をよく思い出せ、彼女の目を見ろ、お前はどこを見てた」
駆に言われ、太一は目を見開いた。
しかし、また俯くと黙ってしまうのだった。駆は、もうそれ以上は何も言わなかった。
──。
どれだけそうしていただろうか。もう店の外は暗くなり、時刻は十七時。『昼の部』終了の時間になっていた。もう店内には太一の他に客はいない。
宇蘭と駆はカウンター席でじっとして動かない太一の前で先程から待っている。そして、動いた。
太一は突然、席を立った。
「おれ、決めたっすよ」
「何を」
太一は宇蘭と駆、それぞれに視線を送ってから力のこもった声で答える。
「俺はサキコさんのことが好きだ──!」
声を張り上げる、駆と宇蘭は驚いて目を見開いた。
「声がデケェよ」
「今の声量は五十から六十デシベルくらい出ていたわ」
宇蘭の冗談なのか本当なのか分からない返事など無視して太一は話を続けていく。
「まだフラれてもいないんすよ、俺は口で言われるまで諦めない、そうそう、それでいいんすよ。サキコさんのこと、探します。また連絡してみます」
彼女の正体が何だって良いじゃないか。もし本当に口が裂けていたってなんだというのか。太一の心は燃えた。盲目的に、情熱的に、宙ぶらりんだった心はまた正しい位置に収まるのだった。
俺はサキコさんの「ハート」に惚れたのだ。口がなんだ、姿がどうだというのか、関係ないはずだ、好きなのだから。
「会って話さないと、分からないこともありますよね」
太一は、今度こそ落ち着いたように視線を宇蘭にやった。
宇蘭も微笑みを返す。
「ええ、そのとおりよ。私は、そっちの方が好き。太一さん、あなたの“相談”に乗るわ、覚悟はある?」
覚悟、それは何を指すのか太一にはピンと来なかったが、サキコに対してということだろうか? ならば答えは決まっていた。
「もちろんっす」
太一が力強く言葉を返すと、宇蘭も満足したようにうなづき返した。
「じゃあ、一回お会計ね。『昼の部』はもう終わりですもの」
宇蘭は人差し指を振って、悪戯っぽく笑った。
────昼の部 お会計 完了
夜の部 お会計に続く
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