夜の部 三杯目と四杯目の間

  

 

    夜の部 三杯目と四杯目の間

 

 

 エドが恋愛相談を終えて純喫茶URANを出た時には、時刻は夜二十一時を回っていた。父と母はやっと起き出したくらいの時間だろう。吸血鬼は基本的に夜行性だ。自らの能力が弱まる昼間に活動するメリットがない。よって、同族はみんな昼間は寝ているはずだ。

 

 だが、エドは違った。

 頑張って昼間起きていれば美玲に会える。そして同じように夜に眠り、次の日の朝に目覚めるのだ。それがエドの理想だった。

 

 

 ──。

 人間と吸血鬼では住む世界が違う。吸血鬼からしたら、人間のことを下等生物だと、餌だと言う者もいる。だがエドは人間が好きだった。何より美玲が好きだった。幼いころ、まだ何も知らない自分を暗闇の世界から引っ張り出してくれたのが彼女だ。

 

 イギリスに住んでいた頃は昼間はいつも屋敷に閉じ籠り、窓の外を見ていた。そして近所の子供たちが遊んでいるのを見かける度に出かけて良いか、一緒に遊んで良いか、それを両親に聞いた。すると必ず言われることがあった。

 

「外は危険だ、人間と関わるな」

 

 そんな閉鎖的な考えだから人間界の吸血鬼は年々に数を減らしているのだ。それをエドは幼いながら感じていた。

 

 しかし、転機が訪れる。

 エドの父であるストーカー二世は、美玲の父と酒場で出会い意気投合したことで考え方が変わった。人間を友としたのだ。家族がかつてのストーカー一世の教えを再び取り戻したことで、エドの鬱屈とした生活は終わりを告げる。

 そして、美玲の父の計らいでストーカー家は日本の田舎街に引っ越した。この街は昔から自分達と同じような異形の怪物たちが多く隠れ住んでいる街らしく、思いのほか快適だった。

 

 

 自分達への刺客がいない、平和な日本でエドはついに自由に外を走り回れるようになった。そして、共に走り回れるような、一番欲しかった“友達”。その最初の一人目にして唯一が美玲だったのだ。

 

「はじめまして、エドワードくん。私は美玲だよ。私のほうが一つお姉さんだから、いつでも助けてあげる」

 

 そうやって小さな手を差し伸べてくれた。エドは暗闇の世界から光のある、美玲の世界へ招待された。あの時に見たこちらに差し伸べられた手の光、外の世界。あの輝きに勝るものは今をもって他にない。

 

 美玲は星が好きだ。特に月が好きらしい。

 エドにとっての月は、間違いなく“美玲”だった。

 

 

    

    

          ◯

       

 夜更けとはいえ、駅前はまだ人が大勢いた。エドはそんな駅前交差点でふと立ち止まる。人が倒れていたからだ。

 

「大丈夫ですか」

 

 駅舎脇の公園スペースで壁にもたれるように倒れる大男。彼は僧侶のような服を着ていて、見るからに怪しい風貌であった。しかしエドはそんなこと全く気にせずに声をかけていた。むしろ、これだけ人がいてどうして助けないのかと無関心な人々に腹を立てていたほどだ。

 

「どこか怪我をしたんですか?」

 

エドはその僧侶の顔を覗き込んで様子を伺ってみた。

 僧侶は丸刈り頭で妙に濃い顔をしていて、エドが軽くその肩を揺すると「ううむ」と唸りだす。まだ生きてはいるようだ。

 

「少し待っててくださいね」

 

エドは駅の自動販売機まで走った。

 ──。




 僧侶はエドの買ってきた五百ミリリットルのミネラルウォーターをほんの数秒でゴクゴクと飲み干し、はああっと息を吐いた。

 

「良かったら、これもいりますか?」

 

美玲に対する「ワイルドな男演出作戦」に失敗したエドは食欲が無くなり、菓子パンを一つ残していたのだ。それを試しに僧侶に差し出してみると、僧侶は「すまんのう」と受け取るのだった。そしてその菓子パンを一口で食べてしまう。なんて大きい口なのか。拳が入ってしまいそうだ。

 

 

「はあ、生き返ったぜよ。すまんのう少年」


僧侶の男はカッカッカッと豪快に笑っていた。エドも何だか愉快な気持ちになってくる。

 

「いえ、元気になって良かったです。お腹空いてたんですか」

 

「まあの、修行中やき断食しょったがやけんど、ちょいとドンパチもあってのう。ついに限界がきよって目を回してしもた。わしもまだまだじゃのう」

 

 何かと戦っていたのだろうか。しかし現代のお坊さんが喧嘩などするのだろうか。エドにはまだ日本文化で知らないところも多くあるので、いまいちピンと来なかった。

 だが少なくてもこの行き倒れの僧侶は助けられたようだ。

 

「少年、げにまっことすまんぜよ。何かお礼をせんとわしの気が済まん。何でも言うちょくれ」

 

 エドは良いですよお、と愛想笑いで誤魔化そうとした。だが僧侶はその濃い顔を近づけて物凄い圧で詰め寄ってくる。

 

「さあ、言ってみい」

 

「え? ええ、あ、じゃあ」

 

エドはとりあえず、ぱっと浮かんだ事を話してみた。美玲のことだ。

 

「僕には、幼馴染で好きな子がいます。でも、その子は僕の事を多分、弟みたいに思っていて──」


 エドは不思議な気持ちだった。

 今日初めてあったばかりの、こんな怪しげな僧侶に身の上話をしている。しかし、僧侶はただ黙って話を聞いてくれるのだから止まらなかった。

 

 

 

 駅舎裏の公園を眺めながら、二人並んで壁にもたれていた。そしてエドの話を最後まで黙って聞いた僧侶は、不意にその太い両腕を組むと夜空を眺めた。

 

「わしには姉がおった。そりゃ立派な姉でのう。早く家業を継いでいて、わしをいつも半人前の子供扱いしよる」

 

「え?」

 

「わしは憧れちょった。強くて格好ええ姉に。早う追いつきたくて、がむしゃらに修行に打ち込んだぜよ。で、わしがついに一人前になったころじゃ。これでようやく姉と並び、共に戦える。そう思っとった」

 

 僧侶はここで夜空から目線を外し、心配そうに自分を見つめるエドのオリーブ色の瞳と目を合わせた。

 

「姉は死んだ。外国で、“仕事”やった。精一杯やった結果ぜよ。それはしゃあないと割り切っちゅう。けんど──」


 今度、僧侶は目線を目の前の公園の方へやった。エドから見たその横顔は、何か大きな悲しみを感じさせた。

 

「姉を死に追いやった奴は許せん。必ずわしが仇を取る。そう決めちゅう。でも、それをやっても姉は帰ってこん。別の話ぜよ」

 

「僧侶さん」

 

 エドは僧侶のその大きな悲しみを感じ、自分まで心が痛くなった。だが同時に感動してしまう。

 そうだ、エドは思った。これこそが人間の美しさだ。儚く弱いからこそ、その一瞬の輝きに抗い難い魅力を感じる。悠久の時を生きる吸血鬼にはない、感じられない感覚。それこそが美玲にも惹かれる理由かも知れなかった。

 

 

 語り終えた僧侶はまたエドを見つめると、肩に手を置いた。とても優しい力と眼差しだった。

 

「何事も一生は続かん。別れは必ずくる。だから話すぜよ。後悔せんように、誰も傷付かんように。わしには間に合わんかった。永遠やと思っちょった。そりゃ間違いぜよ。いいか、少年──」


「大切な人なら、迷う必要はない」

 

 僧侶はそう言って微笑んだ。とても優しい顔だ。本当に本心から相談に乗ってくれたに違いない。

 エドは暖かくなった心を抱いて、お礼を言おうとした。しかし僧侶は再びカッカッカッと笑ってエドの背中を叩くのだった。

 

「そがなところや、少年。ともかく後悔すんな。思いは伝えるもんぜよ。ハートやき。そん子と上手くいくとえいねや」

 

 ばしばしとさらに二回背中を叩き、僧侶は去って行った。エドはぽつんと一人で僧侶の背中を見送る。

 

「良い人、だったな」

 

 心が暖かくなっていた。

 少なくても、エドは励まされていたのだった。

 

 

 


──── 夜の部 三杯目と四杯目の間 完

四杯目に続く。

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