各部 お会計

夜の部 お会計

       夜の部 お会計

   

   

 帰ってきた姉は氷のように冷たく、しかし穏やかだった。そこには何の苦しみもなく、姉はとても美しい顔をしていた。

 

 弟はその日、大切なものを失ったのだと、やっと理解した。

 

 

 

 

          ◯

         

 一空は力任せにエドを掴み上げて放り投げた。エドはふわりと放物線を描いて宙を舞う。その横殴りにぶつかってくる重力に抵抗したが間に合わなかった。そのまま民家の屋根に激突してしまう。

 

 頭から屋根に突っ込み、受け身も取らなかったが、エドは少し転んでしまったな、程度の感覚ですぐに起き上がるのだった。そして鬱陶しそうに頭を撫でた。

 

「タンコブができたじゃないか」


 エドがそう言うや、一空はどこからか取り出した槍を地上から投げてくる。続けざまに四本も飛んできた。それをエドは直撃寸前のところで宙に浮いて回避した。

 先程から防戦一方である。一空は本気でエドの命を狙うが、エドの方は戦闘不能にできればいい。しかし、殺す気の相手に対して手加減してそれを制圧できるほどエドは腕っ節に自信がなかった。現状、殺されないようにするのが精一杯だ。

 

「逃げ回っても無駄ぜよ、観念しいや!」

       

 その叫び声と共に目にも止まらぬ速さで一空は跳躍し、民家の屋根と屋根とを飛び越えながらエドに向かってくる。エドは何とか距離をとろうと、練習中の技を威嚇のつもりで使うことにした。

 ぐっと力を入れ腹に空気を溜めて吐き出す、エドの口から火炎が吹き出した。

 

 一瞬、一空はその向かってくる炎の壁に怯んだように見えたが、回避行動は取らなかった。あくまでエドを打倒するつもりらしい。炎の中に突っ込み、さらに飛び抜けてきた。

 そしてその勢いのまま、エドの頭を鷲掴みすると急降下した。二人はほんの数秒でその民家の庭へ、地面に叩きつけられた。

 

 

 抵抗するエドの肩を押さえ、再び一空は馬乗りの体勢となった。やはりこの程度では吸血鬼は死なないようだ。燃え上がる真っ赤なエドの瞳と一空の燻んだ目は重なった。

 

「どうして僕を殺したいんですか」

 

エドが絞り出すように言うと、一空は鼻を鳴らす。

 

「お前らが人間を殺すから。姉の仇、ケジメつけてもらうぜよ」

 

「あなたの、お姉さんなんて、知らない」

 

「そうやろうねや、殺したのはお前の同胞やストーカー家。だからまずはお前らを殺して吸血鬼一派に宣戦布告ぜよ」

 

「あなたは負ける。いくら強くても一族、いや吸血鬼全員と戦って無事なわけがない。死ぬことになりますよ。それに、最初に手を出したのは人間たちだ。僕らはただ静かに暮らしたいだけなんだ」

 

 その瞬間、一空は叫んだ。

 

「ここは人間の世界や、観光感覚で頼んでものうてこちらにやって来て、勝手に住み着いたがはおんしらの方ぜよ! 静かに暮らしたい? おんしらがいたら人間はおめおめ夜道も歩けんぜよ! この侵略者め!」

 

 エドの祖父、初代であるストーカー一世は人間を知りたくて魔界からこちらの世界へやってきた。それは知的好奇心と、自らの胸のどこかに隠していた上流意識によるところもあっただろう。

 勝手に住み着いて、勝手に悪さをする。エドには否定できなかった。全ての吸血鬼が人間にとって安全とは言えないからだ。

 

「でも、それでも、僕らが命を狙われる筋合いはない」

 

 そして、エドはいま死ぬわけにいかない。やっとだ、やっと美玲と心を真に通わせることができたのだ。二人の世界はこれから始まる。それなのに、こんなところで終わらせてなるものか。エドはまた頬を膨らませ、次の瞬間には火を吹いた。

 しかし一空はその動きを読んでいたのか、エドを離して後方に跳躍し、それを回避した。そして仰向けに倒れているエドを見下ろす。

 

「無駄なこと。わしの方が強い、諦めや」

 

 

しかしエドの方は、ゆっくりと身体を起こすところだった。再び立ち上がるためだ。不思議な事にまだまだ力が湧いてくる。

 夜に寝て、朝に目覚める。そしたら美玲にまた会える。そう思えば、痛くないし怖くもない。

 

「強さの問題じゃ、ないんだ。僕は死にたくないし、それに、もうとっくに寝る時間なんです。邪魔しないでください」

 

起き上がったエドの瞳の炎はまだ消えていない。今夜中に全て終わらせなければ一生追ってくるだろう。覚悟を決めねばならない。例え、命を奪うことになったとしても。

 

「はっ、吸血鬼が早寝早起きとはお笑いぜよ」

 

 一空は敵ながらエドの男らしさと根性を認め始め、不敵に微笑んだ。相手にとって不足なし、そして一歩踏み出す。姉の仇、その打倒のためだ。


 ──だが一歩踏み出したその時だった。

 ぴくりと感じ取る気配がある。一空にはすぐに分かった。美玲が逃げてから閉じたはずの結界をぶち破って何かがこちらへ“入り込んできた”。

 

「そがなんを出来る奴は」

 

 一空は呟いた。この街でそんな芸当が出来る者は一人しかいない。

 

 

     


          ◯


 エドの視界の端、空に何かが見えた。最初、その「影」は鳥か何かだと解釈した。しかし、ジョン一空が発生させ、完全に閉じられたこの結界内は簡単に出入りなどできないはずだった。

 だが尚もその影は近づいてくる。そして、影はまるで隕石のように光を放ちながら向かい合うエドと一空の間へ一直線に落下した。

 

 

 その落下物体は火を吹いて庭の土を抉り飛ばす。エドも一空もそれに釘付けになるのだった。

 土煙から現れたあのエプロン姿には見覚えがあった。彼女は宇蘭だ。たった今、空から降って来た。

 

「え、宇蘭さん、なんで、どうやって」

 

エドが呆然としていると、宇蘭は腰に手をあて、やれやれといったふうに肩をすくめた。

 

「私が誰か知らないの? この街でジェットエンジン搭載の空飛ぶ女の子は私くらいよ」

 

やはり来たか。一空は宇蘭を睨みつけ、手を祈るように前に出し体勢を低く構えた。

 

「邪魔せんでくれ、これはわしの戦いぜよ。殺し合いは“恋愛相談”の範疇じゃないろ?」

 

「バッカじゃないの、容赦しないってそう言ったはず。それに恋は命賭けなのよ。二人とも喧嘩をやめないなら……。どっちも私がぶっ潰すから!」

     

「え、僕もですか」    

             

「黙りなさい、喧嘩両成敗よ。大体エドさんも何よ、格好つけちゃって。置いていかれる美玲さんの気持ちを考えたら? 罰として覚悟なさい、本物の“鉄拳”制裁をしてやる!」        

 

 エドと一空、二人だけでもややこしく因縁めいた戦いだが、そこに宇蘭までもが参戦し、さらに混沌を極めんとした。   

 

「全くもう、まだお会計もらってないんだからね」

 

 宇蘭は両足のジェットに火を点けた。

              

        

                    

    

          ◯

       

 美玲はカウンター席に座りつつ、震えながらコーヒーの入ったマグカップを両手で握っていた。エドが心配で仕方ないようだ。無理もない、最も大切な存在がまさに命の危機に瀕しているのだ。

 駆は横目に壁掛け時計を確認した。時刻は二十二時。夜の部も営業終了間際だ。たった今、翼が会計したお客で美玲以外の全ての客が帰路についた。今日は早めに店を閉められそうだ。

 しかし、美玲はどうするか。

 宇蘭がジョン一空とエドの戦いを止めに飛び出してからしばらく経つ。まだ帰ってこないということは何か手こずっているのだろう。

 

 そろそろ高校生は補導されてしまう時間になる。駆は、送っていくから今日は帰れと美玲に伝えんとした。しかし、それより先に会計処理を終えた翼がやってくると、美玲の震える両肩に優しく手を置いた。

 

「行こっか、美玲ちゃん」

     

「え」

 

駆と美玲の声が重なった。美玲は振り向いて翼に視線を送る。

 

「だから行くんだよ、エドくんのとこにさ」


「待てよ」

 

 翼ならそう言うと分かっていた。故に駆はあくまで冷静に対処する。

 

「俺たちが行って何になる。それに美玲さんが巻き込まれてケガでもしたらどうすんだ。マジに命の奪り合いしてんだろ」

 

「だからこそだよ」

 

翼は変わらない調子で言葉を返した。

 

「過去の因縁に囚われる影を背負った吸血鬼の彼氏。良いね、“黄昏”って感じでさ。ここで何もせずにエドくんが死ぬか、死ぬにしても看取れるか、どっちが良いと思う? 私は何もしないで放っておくなんて嫌だ」

 

 ぎくりとした。

 翼の言葉はまさに、美玲の気持ちを代弁していたからだ。これが今生の別れなんて耐えられないことだ。美玲は勢いよく席立つ。

 

「私、戻ります。戻って、エドを助けます。放っておけない、私が守られてばかりなんて変です」

  

「変、てお前らなあ」

 

そう呆れたように言いながら、駆はカウンター下から防犯用の「さすまた」を一本取り出した。

 夜の部は本来、美玲のような普通の人間には感知できないはずなのだ。当然来店もできるはずがなかった。エドと長く過ごしたためか、それとも想いの強さか、とにかく美玲は今ここに助けを求めてきた。駆はこれに答えたくなったのだった。

 

「やばくなったらマジに逃げろよ。約束守れるか?」

 

「カケルさん!」

 

「答えろ」

 

美玲は、はいと元気よく返事をして頭を下げた。やれやれと駆は苦笑いである。後で宇蘭にコテンパンにやられるかもしれない。

 翼の方は能天気なもので、既にダウンジャケットに袖を通していた。

 

「多分だけど宇蘭ちゃん、めっちゃ怒ってるから早く行かないと勢い余ってエドくんもボコボコになっちゃうかもよ」

 

「え、宇蘭さんってそんなに強いんですか? あのお坊さん怪物みたいな動きしてましたけど」

 

一空のエドに対する体当たりを回想し、美玲は身震いした。人間離れした動きの男を難なく倒し、勢い余ってエドまでボコボコとは何者なのか。

 駆と翼は子供のころに宇蘭と手の出る喧嘩を何度かしたことがあるのでよくわかる。身体のいたるところから痛みが蘇ってきた。

 

「まあ、ほぼゴリラだ」

 

「これは内緒だけど、ゴリラだね」


駆、翼、二人の意見は完全に一致していた。美玲は顔を青くして飲みかけのコーヒーを一気に飲み干す。宇蘭の少女のような見た目のどこかに未知の力でも秘められているのか。一刻も早く駆け付けなければエドが潰れたリンゴのようになってしまうかも知れない。

 

「じ、じゃあ早く行きましょう。エドを助けなきゃ」

  

美玲は二重の意味でエドを救うため席を立ち上がって拳を振り上げた。

 しかし、駆も翼も先程と変わってやる気が無さそうに視線を宙に浮かせている。かつて宇蘭に喧嘩で負けたことが思い出され気分を落ち込ませていた。

 

「もう、早く行きますよ! 時間ないんですから」

 

美玲が翼の腕を引くと、そうだねと少し元気のない返事をした。

 

「じゃあ、先に夜の部の“お会計”しちゃおっか」

 

 美玲はその態度に地団駄を踏み、急ぎ財布を鞄から取り出すのだった。

 




────夜の部 お会計 完

(昼の部 お会計に続く)

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