昼の部 お会計
昼の部 お会計
一空は膝をついた。
エドは防戦一方だったが宇蘭は違う。確実に拳で語りかけてきた。投げる槍は全て腕力で弾かれ、体格差をものともせずに力付くでねじ伏せてくる。そして、ついにその平手打ちを思い切り受けてしまい一空はダウンを取られていた。さらに、そのあまりの威力に一撃で動けなくなってしまった。
上がった息で絞り出すように一空は言った。
「お前の身体は鋼か何かなんか。まるで戦車ぜよ」
「失礼ね、私は合金製の十万馬力よ」
宇蘭は両手を腰にあて、道路の真ん中で膝をつく一空を見下ろしていた。
「──あなたのことを調べたわ。お姉さんは残念だった。でも奪われたからって奪っていいことにはならないのよ。ましてやエドくんは関係ない」
「分かっちゅう」
「なら、どうして」
「どいたらえいか分からん」
宇蘭に倒された一空は先程までの燃えるような闘志はどこかに行ってしまったかのように大人しくなっていた。
“どうしたら良いか分からない”。
その言葉は本心のように感じられた。宇蘭はふうと息を吐いた。
「守ればいいのよ」
宇蘭がそこまで言ったころ、どたばたと「さすまた」を持った駆を先頭に翼、美玲と続いて三人が走って来た。結界に気がついたはいいが、宇蘭が破って侵入した位置を見つけるのに時間がかがり、遅くなってしまったのだ。
「なんだ、どうなった」
さすまたを構えて宇蘭と一空に向け、駆は警戒するようにそう言った。宇蘭は思わず吹き出してしまう。
「来るにしても遅すぎるわ。もう終わったから、ほら」
宇蘭は言いながら道の端、電信柱にもたれて休むエドを指差した。服はぼろぼろ、フワフワの髪の毛は土埃で燻んでしまっている。
駆の背中に隠れていた美玲はエドを見つけると、すぐに走り寄った。エド以外のものは見えていない。そして側でしゃがみ込むと、何も言わず強く抱きしめるのだった。
「エド、もう会えないかもって思った」
「平気だよ、僕は長生きだから」
エドは微笑みを浮かべた。
その様子を宇蘭は満足げに眺めている。
「そうそう、これこれ。キュンキュンすると思わない?」
宇蘭に言われ、一空は視線をエドと美玲の元へ。
二人は恋仲なのか、しかしどこか兄弟のようにも見える。一瞬だけ、その脳裏にはかつての自分と姉の姿が浮かんだ。
「──復讐なんて、わしが間違うちょることなんて、先刻承知ぜよ。でも止められんかった。恨み、やるせなさ、心の中の黒いもんを」
宇蘭は寂しそうに自嘲する一空に向かい、一つため息をついた。
「じゃあ、その黒いものってやつを抑えきれなくなったらいつでもかかってらっしゃい。エドくんを狙うなら私が相手になるわ」
「──まっこと大した嬢ちゃんぜよ」
「わたし、多分あなたより歳上よ」
宇蘭は座り込む一空の坊主頭をほんの軽くぺしりと叩き、エドと美玲の元へ向かった。
一空は叩かれた頭を掻き、天を仰ぐ。
「どうでも、ようなってしもうたなあ」
全力で、殺す気でエドと戦った。それは寸前のところで宇蘭に阻止されてしまう。だが不思議なことに、たったそれだけで数年間燃え続けた復讐の炎は簡単に真っ白な灰となって爽やかな風に飛ばされてしまった。
視界の先にはエドと美玲がいる。とても命を奪おうとは思えない光景だ。それほどまでに二人の世界は深く、真実のものだと、少なくても一空には感じられた。
「わしは結局、悪人にはなれんようやのう」
姉は全力で戦った末に命を落とした。使命に殉じて、それを後悔しただろうか。
いや、姉に限って後悔はない。一空はやはり確信した。最後の時まで誇りを失わなかったに違いないのだ。後悔などあるはずがない。奪われたことで不幸だった自分を忘れていた。エドの命を奪えば美玲はどうなる。次は美玲が自分を殺しにくるのか? ではそれはいつまで続くのか。
これは姉が望んだことなのか。
◯
宇蘭は寄り添うように座り込むエドと美玲の前に立った。その表情は穏やかで、まるで何事も無かったかのような平然とした雰囲気すら放っていた。
「あのお坊さんは私がやっつけたから平気よ。次なにかしてきたら潰れたリンゴみたいにするわ、って脅しておいたから」
宇蘭は少し離れた位置、道の真ん中で項垂れて座る一空を指差しながら言った。すると美玲は何度も頭を下げて感謝を表した。
「本当にこの度はありがとうございました。もうエドが迷惑ばかりかけて──」
「良いのよ、好きでやっているのだから」
照れたように宇蘭は左手で頭をかいている。
エドも美玲に続いて感謝を述べることにした。宇蘭が来なければ今頃死んでいたかも知れないのだ。
「あの、宇蘭さん。僕も本当に助かりました。ありが」
──そして、そこまで言いかけたときだった。
ごとん、という音をたてて宇蘭の「左腕」が地面に落ちた。肩からその細い指先まで、ごっそりと抜け落ちてエドと美玲の足元に転がる。
「あらやだ」
エドと美玲は一瞬だけ固まった後、同時に悲鳴を上げた。その光景に少しだけ宇蘭はショックを受けてしまう。そんなに怖がらなくてもいいのに。
「待って待って、大丈夫よ、取れちゃっただけだから。ちょっと無理しちゃったみたい」
「普通腕は取れねえんだよ。この前メンテをサボったろ」
駆は慣れたように素早く宇蘭の「左腕」を拾い上げ、それで宇蘭の背中を叩いた。
「痛いわ」
「だろうな、俺もいつも痛いと思ってた」
駆が拾い上げた宇蘭の左腕の肩接合部には未知の機構があり、その内側から青白い光を鈍く放っていた。どう見ても機械だ。
では宇蘭の腕は機械なのか、美玲はある疑問と一つの考えを思いついた。荒唐無稽だが、この世には吸血鬼と退魔師が火を吹きながら戦うこともあるのだから有り得ないことは何も無い。
この仮説が正しいなら、「大人の女性」を自称する宇蘭が子供のような見た目をしているのも納得がいく。美玲は聞いてみた。
「あの、もしかして宇蘭さんってロボッ──」
「内緒にしてね。持ってる秘密の数は魅力になるの」
しかし、宇蘭は美玲の質問を遮って言葉をかぶせた。無事なままの右腕の人差し指を立てて口元に寄せている。そして宇蘭がウインクをすると美玲は黙った。宇蘭の正体が何であれ恩人なのは変わらない。
「──あ、いいえ、ですね。やっぱり何でもありません」
美玲は微笑んで返すことにした。
◯
一息ついたところで、宇蘭の背後に大きな影が現れる。美玲が見上げると、そこにはジョン一空が佇んでいた。何も言わずじっと立っている。翼は駆の背中に隠れながら手刀を構えた。
「何よあんた、まだやる気なわけ」
翼が威嚇すると一空は途端に緊張を解いて穏やかに笑うのだった。カッカッカッと笑い声が辺りにこだました。
その妙な光景に、駆もさすまたと宇蘭の左腕を前に突き出して構えた。
「宇蘭に殴られて壊れちまったのか」
「そうかも、脳にダメージが入ったんだよきっと」
「ちょっと失礼だわ。私、そんなに力強くないから」
宇蘭が口を尖らせて抗議すると、一空は笑うのを辞め、いいやと言い切った。
「よう効いたぜよ。いや、それよりも」
「それよりもじゃないわ、どういう意味よ」
一空は宇蘭を無視して視線をエドの方へ、そして美玲へ動かした。少しだけ緊張した趣きの美玲と目を合わせると、一空は笑いかけた。
「もう辞めじゃ、わしの心の黒いもんはスッカラカンぜよ。わしはまた旅に出る。今回はすまんかったのう」
それだけ言い、一空はその場で深く頭を下げた。反省した演技や油断させるための罠ではない。美玲にはそう見えた。エドも同じなのか、二人は目を合わせてうなづき合う。
「良いですよ、エドのことは許します。あなたのアドバイスもあってエドと付き合えることになった部分もありますから。エドもいい?」
美玲が聞くと、エドも続いた。
「僕も同じ気持ちです。殺されかけたけど、あなたは憎めない。多分理由があって、本当は良い人なんだと思うから」
「まっこと、何ちゅう……」
思わず一空は涙ぐみかけた。
何て純粋なのだろうか。彼らから奪っていたなら、きっと後悔していたに違いない。
一空は大きく息を吸い込み、背筋を伸ばした。
「わしはまた各地を周り、この国を悪き汚れから洗濯せんといかん。その道中、また会うこともあるやもしれん。それまでは、しばしの別れぜよ」
そう言うと一空はぱんと両手を合わせた。次の瞬間には、一空の作り出した結界は消え去り、もとの夜空が戻ってきたのだった。
「これで元通りぜよ。そいじゃ」
カッカッカッと高笑いをしながら退魔師ジョン一空は去っていく。宇蘭はその背中に向かって、まだ繋がっている右手を振って見送っていた。だが翼としては苦笑いである。
「人騒がせな奴だったね」
「全くだな。勝手に喧嘩売って勝手に解決して勝手に帰りやがった」
駆もため息をついてしまう。
しかし、ようやくこれでエドと美玲を止める者はない。宇蘭が再び視線を二人に向けると、二人は笑い合っていた。
「まあ、いろいろあったけど。これで恋愛相談完了かしらね」
宇蘭は腕の無くなっている左肩の辺りを撫でて笑った。
◯
エドと美玲が交際を始めたあの夜から一カ月経過した。
昼下がり、未だ片腕の宇蘭は不便ながらも、あまり気にせずに営業を行っていた。
「宇蘭、いい加減に腕くっつけろよ。もう一ヶ月だぞ」
「案外みんな気がつかないものねえ」
駆が宇蘭の抜け落ちた左腕の分まで働いているために、駆からすると仕事はいつもより忙しくなっている。宇蘭はカウンターから出ようとしないのだ。
「でもお客さまがびっくりしちゃうでしょ」
これを言い訳に「恋愛相談」だけ受け、面倒ごとを押し付ける算段だと駆はみていた。
ちなみに、宇蘭の左腕はカウンター席の端にオブジェ代わりに飾られていた。店なら紛失の恐れは少ないし、気味悪がって誰も持ち去らないからだ。
その新たなオブジェの側には退魔師ジョン一空から送られてきた絵葉書が一緒になって飾られている。
「私たちはもう慣れっこだもんね」
精算を終え、カウンターに通りかかった翼はさらりと言った。ちなみに翼はあまり手伝ってくれていない。
「お前らなあ」
駆は呆れて宙を仰ぐ。
今は「昼の部」の混む時間を終えてやっと落ち着いてきたところだ。店内にはちょうどお客が一人もいなくなった。
──お客さまがいないなら、と駆がまた文句を言おうとした時だった。
入り口扉は勢いよく開き、まず美玲が、続いてエドが入ってきた。カランカランと呼び鈴がいつもより激しめに音を鳴らす。
「わあ、いらっしゃいませぇ」
翼が来店の挨拶するや、美玲は店の真ん中で立ち止まり、悲鳴にも近い抗議を始めた。
「聞いてください、もう信じられないんですよ」
エドも美玲にぶつからないように急停止し、すぐに言い返した。
「違うんだよ、話聞いてよ、皆さん、誤解を解くのを手伝ってください」
「どこか誤解なの、言い訳は辞めてよ」
宇蘭はやれやれ、とカウンター裏に隠した台から降りて店のホールに出てきた。
「どうしたのかしら。まあ落ち着いて、コーヒー一杯いかが」
「あ、宇蘭さん。こんにちは。まだ腕くっついてないんですね」
「そうなのよお」
「──で、今日はどうした」
宇蘭と美玲の意識が腕にいきかけたので駆が修正することにした。話が逸れて結果的に長引いたら大変だ。騒いでいると他の客の来店の妨げになってしまう。
美玲は思い出したようにはっとしてまた声を少し大きくした。
「エドが忘れてたんですよ、“一ヶ月記念日”! ありえなくないですか? 私たちがお付き合いを始めた大事な日なのに!」
「だから聞いてよ、僕も忘れてたわけじゃないよ。ただ一ヶ月記念で何かするって考えがなくて」
ああ──……。と翼も宇蘭も、さすがに駆にも合点がいった。付き合いたてのカップルにはよく聞く話だ。記念日の重要性についての擦り合わせが二人の間で行われていなかったのだ。
「それが忘れてたってことでしょ。もう信じられないんだけど、何も言ってこないから何かサプライズでもあるのかな、って思ってたのに!」
「あ、僕は、えっと」
エドの防戦一方である。
サプライズ、翼はエドに視線を送った。そして、駆もうなづいて合図する。
“今すぐ何かやれ!” と伝えたのだ。エドも気がついたようで慌てて両手をぱん、と叩いて合わせた。
美玲は手を合わせるエドの奇妙な行動に熱が冷めたように黙った。
「なにそれ」
「待って、見てて」
次にエドが合わせた手を離すと、いつの間にかその右手には一輪の薔薇があった。エドの持つ吸血鬼の数ある“技”の中から応用し、必死にいま用意したのだ。
「こ、これを」
エドがその薔薇を恐る恐るに美玲に差し出すと、突然、宇蘭が声を張り上げた。
「おめでとう、一ヶ月記念なんて素敵だわ!」
続いて駆も翼も口々におめでとうと繰り返して拍手した。
その光景に美玲は驚いて目を丸くしたあと、両手で口を塞いだ。先程までの怒りはなく、喜びが浮かんでいた。
「え、うそ、本当にサプライズってこと」
美玲の言葉には、宇蘭が人間ではあり得ないほどの反応速度で答えた。
「そうよ、エドさんに頼まれてたの。怒らせてしまったから上手くいくか心配したわ」
「そんな、怒るなんて」
美玲は薔薇を持ったまま静止するエドを優しく抱きしめた。
「ありがとう、エド。サプライズなんてずるい」
「あ、うん。だ、だよね。良いんだよ。喜んでもらえて」
「“二ヶ月記念日”も楽しみになっちゃった!」
「に、二ヶ月記念日」
エドは思わず復唱した。
長寿である吸血鬼のエドにとって一ヶ月刻みにお祝いする感覚はかなり難しく思えたからだ。
だが、人間と吸血鬼。異なる時間を生きる二人にとってはその違いこそ尊重し、楽しむべきところだ。
しかしながら駆は一ヶ月刻みの記念日は少し大袈裟だと思う人間だ。心の中でエドにエールを送り、翼の方は駆と反対に一ヶ月刻みのお祝いは大いに賛成だったので二人を祝福した。
エドも美玲も何だかんだと言うが楽しそうにしているようだ。宇蘭は右手を腰にあて、ふう、と息を吐いた。
「今回も何とかなったわね」
私も早く左腕直さないと、小さく呟いてからエドと美玲に向き直った。
「せっかく来たのだからサービスするわ。ご注文は?」
宇蘭に聞かれ、二人は揃って同じものを注文するのだった。
────昼の部 お会計 完
第二話 「私の月」完
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