第8話

 知って頂きたいのは、今日が7月7日であるということ。


 つまり、ジョニー・バレット来日当日……というわけである。

 帝國日本の中心である帝京都(現実の日本でいうところの東京都)は、さながらオリンピックでも開催されるのではないかと思うほどの浮かれ振りであった。

 街はすっかりお祭りムードになっており、至る所にジョニー来日を記念するイベントが開催され、歌舞伎の見得かと見間違うほど帝都から眺める空には紙吹雪が舞っている。


 色とりどりの紙吹雪は空港のみならず、街という街を包み込んでいた。これも帝國政府の一つの演出であるが、それ以上に都民はアメリカのスター来日に興奮していた。


 無理もない、鎖国宣言をしてからというものの極端なほどに帝國外の情報は一般国民レベルに降りてこず、教科書に載っている情報が正しいのかどうかすらも分からずに国民はこれまで暮らしてきた。

 しかも外国人の来日を公に許す機会も著しく少なかったため、ジョニーが来日するだけのことなのに関わらず、一大ムーブメントになったのだ。


 空港の滑走路の一角に設けられた特設ステージには、許可された50名ほどのマスコミとそれの前で花束を抱えるエンジ達3人の姿があった。


 それぞれが緊張した面持ちで飛行機の到着を待つ。緊張しているのはマスコミや各関係者共々そうなのだが、護衛という極秘任務を持つ3人のそれは他とは異質なものだと言っておこう。


 トレードマークのうさ耳はそのまま、それ以外はメガネに黒のカラーコンタクトをし、短かったスカートを普通の丈にしたまことと、髪型などはそのままだが制服をきちりと着こなしている諒、そして髪を下し姿勢を正したエンジ。

 3人が3人とも互いを見て散々吹き出し、笑い終えた後だったために各自の真剣な表情に誰も不審さを覚える者はいなかった。


 マスコミ関係者に紛れて学苑関係者もいたが、エンジ達には秘匿性を優先し明かされていないため、誰が学苑関係者なのかエンジ達にも分からなかった。

「っちゅうか到着予定は13:00じゃろう? なにも1時間も前からここで待ち構えなくともええじゃなかろうか」


 諒が隣のエンジに聞こえるように言った。

 

「知らねーよ」


 やや不愛想にエンジは答えた。普段ならばこの態度に苦言のひとつでも言う諒だったが、エンジの目の下のクマを見て何も言わなかった。

 エンジはイメージ訓練を空港に到着するほんの2時間ほど前まで不眠不休で行っていたからである。


 特訓の内容こそ知りはしないが、どれほどの試練だったかをその様子から窺い知ったまことと諒は、あえてなにも聞きはしなかった。

 エンジのことは確かに気にはなるが、そんなことよりも自分の課せられた任務を全うすることがなによりも重要であると理解していたからに他ならない。


「おい! 見えたぞ!」


 カメラを片手に空を見ていた一人の記者が叫んだ。

 それにつられて一斉に記者の目線を追い、誰もが空を見上げた。


「おおっ! あれだあれに乗ってるぞ!」

「間違いない、あれだあれ!」

「撮り逃すんじゃねーぞ!」


 マスコミ関係者の誰もが思い思いの言葉を口にし、青い空に銀色に光を放つまだ豆粒ほどの大きさの飛行機に向けてレンズを向け、シャッター音を機関銃のように鳴らす。

 そのシャッター音の機関銃に、エンジ達の喉を生唾が通り抜ける音が殺された。


「来た……!」


 まことが微かに呟いた声を奇跡的に聞き拾うことが出来た諒は、ここから先あまり自由に会話できないと悟ったのか、エンジの耳元で初めてそれを聞いた。

「帆村、お前さんきっちり仕上げたんじゃろうな!? わしらはほとんど訓練に合流しとらんからお前の仕上がりが分からん。信用していいんか?」


「……」


 エンジはその問いに関してあえて無言を貫いた。それは自信によるものでもなければ不安によるものでもない。

 自分の手にした未知の力が、どのように役に立つのか想像もつかなかったためだ。


 ただひとつだけはっきりしているのは、確実に【何か】を手にしたということのみであった。


「ならいい。宛てにしとるぜよ」


 エンジの無言をポジティブに捉えた諒は、真っ直ぐ見つめるだけのエンジに倣って同じ方向を見詰めた。


「喉……カラッカラなんだけど」


 まことが喉を擦って言った。


「わしもじゃ」


 諒がそれに同意する。


 アラームが解除された3本の伝承が共鳴するように、近付く飛行機の轟音に振動した。

 士道会館、デモンストレーションルーム。


 空港から凡そ30キロほど離れたその場所には、公式仕合を控えた神雷が競技戯刀のメンテナンスをしていた。その出入口の外には黒いスーツの外国人が二人、南大門の仁王像のように棒立ちしている。


「……おい、神雷」


「みなまで言うな。お前の想像通りだ」


 競技用の防具に右腕を通し、同じ士道の士がメンテナンス中の神雷に話しかけ、神雷は彼を見ることもなく答える。

 3日後のエキシビジョンマッチのことを知っている者で、プロ士道に関わる者はみんな神雷にその間監視がつくことを知っていた。だからこそのこの問いであった。


「でもよ、本当にジョニーに護衛つけなくていいのか」


 エンジ達の任務を知るはずもない男は、誰もが感じている不安を神雷に向けた。神雷は相変わらず彼を見ることはなかったが、その問いに対しては少しの間動きを止め、次のように答えた。


「2253戦 624勝……」


「は?」


「お前ならこの数字をどう思う」


「どう思うって……勝率3割程度ってとこか。プロ士道なら咬ませ犬レベルだな」


「では691戦624勝ならばどうだ」


「そりゃすごいだろ! 士道ならとっくにスター選手だろ、それこそお前と同じレベルにな」


「そうか」


 神雷は戯刀のメンテナンスを終えると、男にスパーリングを申し出た。


「お前もそう思うか」


 神雷の立ち振る舞いでそれを悟った男の表情が変わる。恐怖と興奮の入り混じった震えを感じると、着ている途中だった防具を急いで着込んだ。


「これは光栄だな。神雷とスパーできるなんて」


 神雷は防具を付けず、しかも本来仕合でも二刀流であるのにも関わらず戯刀を一本のみ構えた。


「悪いけど、俺は防具つけさせてもらうぜ。いくらスパーだって言っても、お前相手じゃ怪我するからな」


「かまわんさ。かかってこい」


「がぁあああ!」


 神雷に向かってまっすぐ突っ込み、神雷の肩を目がけて大きく太刀を振るう。神雷は最小限の動きだけでそれを掠めるほどギリギリで避け、踵で男の足を払った。

 男は体勢を崩し、転倒しそうになった体を持ち直し、2の太刀を脇腹に向けて振るった。


(……仮に、この男と夜通しこの条件下で戦った場合、奴と同じ戦績を残すことが出来るだろうか。これを脅威と取るのならばやはり奴にケツイを指南したのは……)


 3の太刀を待たずに神雷は男の防具に強烈な一撃を見舞った。防具越しにも関わらず男の体はくの字にへし曲り、地に伏した。


『それではみなさんお待たせいたしました! GUNMANのスター選手、“死神バレット”の愛称を持つ最強のガンマン、ジョニー・バレットの登場です!』


 カメラの前で仰々しく紹介され、飛行機の扉に据えられた昇降階段をゆっくりと手を振りながら、白いテンガロンハットのツバを押さえてジョニーが現れた。


 稲光のようなフラッシュに目を細めてジョニーは「グレイト」と言い放ち笑う。


 横に並び共に階段を降りるシェリーがジョニーに耳打ちすると、ジョニーはエンジ達3人を見た。

 3人1人1人と目を合わせて降りるジョニーは、カメラを構えるマスコミ陣に笑いかけ、シャッターチャンスを平等に与えている。


『ついにこの帝國国家日本にジョニー・バレットが降り立ったのです! まもなく、階段を降りこの我が国の大地にその足を降ろします!

 これが歴史的な瞬間と言わずしてなんと言いましょう!』


 エンジ達はやりたくもない演技訓練の賜物で、会得したスマイルをジョニーに浴びせかける。


 ジョニーは「ヘーイ!」とオーバーに両手を広げて花束を持つエンジ達に歩み寄った。


『そして、我が国の文化である“士道”の士を育成する【士道学苑】を代表して3人の生徒が来日を記念した花束をジョニー・バレットに進呈します! この国を超えた素晴らしいシーンに感動が沸き上がります!』


 シェリーがジョニーの前に立ち、エンジ達それぞれの顔をじっと見つめ、次に花束を覗き込む。その様子にジョニーが「ヘイ、シェリー」と声を掛けると渋々といった様子でジョニーの後ろに下がった。


「ソーリー、プリティガール」


 そう言ってジョニーはまことの花束を受け取った。

 そして、次にエンジと諒から受け取り「サンキュー」と笑う。


「ね、ねぇ! 今私に処女をくれって言わなかった!?」


「もうお前にかける言葉なんてないぜよ」


「お前にかける……な、なにを!? なにを私の顔にかけるつもりなの!」


 緊張しているのかそれともいつも通りなのか、とにかくまことのピンク脳はいつもよりも活発に活動しているようだ。


 しかし今日という日には、まことのこのピンク脳のおかげでほんの少し、諒は救われた気持ちになった。


「~~~~~」


 シェリーがジョニーに耳打ちで何かを話し、それを聞き終えたジョニーは「オー!」とまた大きい身振りで3人におどけて見せた。


「それにしてもでっかいのう」


「俺の3倍はあるんじゃねえか」


「あっちもおっきいのかな」


 笑顔を崩すことなく「さんきゅー」と訛った英語でジョニーに答え、日本人とは根本的に体格の違うその姿に感嘆の言葉を零す。


「ハイ、マイネームィズ ジョニー」


「さんきゅー」


 私達の住む日本とは違い、帝國では英語というものはそもそも学ばない。なので全く免疫のない英語に戸惑いながらまことは苦笑いでジョニーの握手に応えた。


「アー、私の名前はジョニーだと自己紹介していマス」


 シェリーがところどころ片言ながら日本語でまことに説明する。

 急な日本語に驚いたまことは目を真ん丸にしてシェリーを見詰めるばかりで固まってしまった。


「自己紹介されたら自己紹介で返ス……。帝國人とは礼儀に厳しいと聞きマシたが、そうではないのでショウか?」


 シェリーを見詰めるばかりのまことはその言葉にハッとすると慌ててジョニーを見上げて言った。


「えっと、私の名前は……じゃない、まいねーむずむまこと あいらぶせっくす!」


 ジョニーが驚いた顔で「オー! アィワス サープライスド!」と反応し、テンガロンを片手で押さえ顔を隠した。


「……マコト。英語で話さなくテいいデス。日本語で話してください。私が通訳しマス」


「あ、はい! すいませんなんか! 私なんかマズイこと言いました?!」


「…………イエ」


 呆れた様子でフゥ、とため息を吐くとシェリーはジョニーにまことを紹介した。


「Best regards I'm named Makoto!」


「いえす! いえーす! せっくす、せっくす!」


 ジョニーは明らかに頭の上に『?』を浮かせながらも人懐っこい笑顔で花束を受け取り、ハグで返した。

「わしも人のこと言えるほど英語っちゅうもんは分からんが……しっかし、赤目の言うちょることが、違うちゅうことくらいはわかるぜよ」


「ああ」


 若干戦慄の色を浮かべた諒とエンジは、ジョニーにハグをされてアヘ顔になっているまことを視界に入れないように努めた。


「hi!」


「あ、わしゃあ……じゃなかった、僕は竜巳 諒っていいます」


 字で読めば普通だが、実際に聞くと訛りに訛ったイントネーションの標準語で諒が自己紹介をした。その妙なイントネーションにさすがのシェリーも一瞬、眉をしかめたがすぐに翻訳し、ジョニーに伝える。


 ジョニーは「オーライ! リョウ!」と力強い握手をし、まことからもらった花束をシェリーに渡すと、諒からの花束を受け取った。


「わ、わたくしは帆村 エンジといいましてその……」


「oh! Amazing!!」


「はっ!?」


 エンジが2人に続いて変な自己紹介を始めたところでジョニーがなにかに強く反応した。

 ジョニーはエンジの抱える花束を無視して、背中に背負った炎灯齊を指差しなにやら興奮している様子だ。


「Great size! Is this a sword perhaps?」


「は??」

 全く分からない異国の言葉に戸惑うだけのエンジにシェリーが「すごく大きい、もしかしてこれは刀なのか? と聞いていマス」と通訳する。


「そ、そうだ。これは炎灯齊、俺の紋刀だ」


「It’s cool!」


 ジョニーは物珍しげにじろじろと炎灯齊を見る。どうしたらいいのか分からずにエンジはただジョニーに見られるがままだった。


「ジョニー」


 夢中で炎灯齊を見詰めるジョニーにシェリーが声をかける。ジョニーは「オッケー」と渋々エンジから離れると花束を受け取り、マスコミの構えるカメラに手を振り笑顔を振りまいた。


「エンジ、マコト、リョウ。これから3日間ホテル以外の行動を私タチと共にすると聞いていマス。……士道学苑スクールのレポートも兼ねていると聞いてイマスが、カメラは持っていないデスネ?」


 シェリーが無表情のまま3人に尋ねた。なにか疑っているわけではなさそうだが、エンジ達に対して冷たい目を向けている。


 エンジ達はというと、すっかり取材の体でということ失念しており、情けないことにシェリーの質問で初めて自分たちがカメラを持ってきていないことに気付いた。

 神雷のスマイル訓練のおかげでなんとか表情には出なかったものの、3人がそれぞれ『しまった!』と心で叫んだことは言うまでもない。


「カ、カメラは2日目から持参しようと思っておるんです! 初日は自分ら以外のカメラも焚かれるじゃろうしな、2日目からじゃとリラックスした素の顔を撮れると踏んだんじゃ……あ、踏んだんですじゃ!」


 シェリーは「フム……」と納得した様子で頷くと「分かりマシタ」とだけ答えた。

 空港内へはエンジ達が先に入り、先導をする振りをしてジョニーを通した。


 ジョニーはあちこちから焚かれるフラッシュに「Hi!」と手を振ったり、指で銃を見立てて「BUM!」などとおどけたりして見せていた。

 ジョニーの隣ではシェリーが手帳を広げこれからのスケジュールを確認し、一定の距離には黒服が立っている。


「ジョニー、あまりはしゃがないでくださいよ」


 シェリーが英語で話しかけ、「分かってるさハニー」とジョニーは答えた。


「それがはしゃいでいると言っているんです」


 2人の会話の内容など知るはずもないエンジと諒は、それには全く気に掛けず神経を集中させていた。


「気配に気を配りつつも笑顔でおらんといけんちゅうのは大変じゃのう」


 諒は割に合わないと言った様子で下手な笑顔を振りまき、その裏では神経を張り巡らしている。

 

 いくら諒が3年生だからといって、学苑の3年生レベルがここまでの芸当をこなせる訳ではない。諒だからこその芸当である。


「しっかし、仕方ないこととは言え……お粗末なコントロールじゃのう」


 眉をぐにゃりと歪ませて諒はエンジを見た。


 エンジはというとぎこちなく笑うカチカチの笑顔に、拳に力を入れて気配を探る。


「ちょっエンジ先輩! 不自然ですってその顔とか立ち振る舞いとか!」


 エンジを憐れむような目で見ている諒を見て、まことはエンジの今のみっともない姿に慌てて注意した。

「ん……。どうかシましたか?」


 シェリーがそんな慌てたまことに問う。


「え、あ、いや、チャックからフランクフルトがはみ出てたので注意しただけです~」


「……」


 まことは真面目に嘘を吐いたつもりだったが、フランクフルトがなにを意味するのかを察したのか、シェリーは少し頬を赤らめて黙ってしまった。


「お前さんな、もうそれは隠語じゃのうて直球ぜよ」


 まことは諒が自分になにを言っているのか理解出来ていなかったが、とりあえず「すいません」と謝っておいた。その完全に気持ちの入っていない謝罪に、エンジ達は少し腹が立ったものの、張り詰めていた自分の中の緊張感が少し和らいだのを感じて、胸の内で小さくまことに礼を言った。


「なにごともリラックスぜよ。常に構えとったらいざっちゅうときに身体が動かんからのう」


 諒の意見を聞き、ガチガチだったエンジも心なしか少し身体の緊張がほぐれる。


「誰の受け売りだ? 神雷かよ」


「違うわい、わしのじいさんじゃ」


 話している内に空港出口のロータリーに着いた。やけに面長の高級車が目の前につけており、ジョニーの姿を確認するいなやすぐに中から運転手が降りてくると、後部座席のドアを開けた。


「ウェルカム トゥ テイコク!」

 漫画や映画でしか見たことの無かったこの大きな黒いダックスフントのような車の名が【ロールスロイス】ということを知り、エンジは少し興奮していた。

 ジョニーたちと一緒に乗り込み、走り出すと更にエンジの心は躍る。


「エンジ先輩、もしかして車好きなんですかぁ?」


「え、ああいや……うるせえ!」


「え、なんで今まことキレられたのっ!?」


 子供のようにはしゃぎたい胸の内側を押さえ、訓練で疲労していたはずの目はキラキラと光っている。実はエンジ、これまでの人生で車に乗ったことがあるのはほんの数回であったために人よりも強い憧れがあったのだ。

 しかしこれは、千代にも話したことがないため元々交友関係の乏しいエンジ本人の他にその事実を知る者はいない。


「はしゃぐんはええが……このルートが最初の危険ポイントぜよ」


 ジョニーとシェリーに聞こえないように諒がエンジに耳打ちをする。


「な……なに……」


「なにってお前、今更なにを言うとんじゃ」


 目を見開いて言葉を宙に漂わせるエンジの姿に、神雷に言われた【最初に気を付けるポイント】を忘れたのではないかと呆れる諒。

 だがそれも無理はなかった。


 このポイントとは、空港から帝國庁に向かうパレードの道。大観衆が見守る中、ジョニーを乗せた車が堂々とゆくのだ、狙うのは容易いが、迎撃するのにホシを特定するのは不可能に近い。

「こ、ここ……開く……のか……」


「はあ!?」


 諒の心配事が聞こえていない様子のエンジはゆっくりと走る車内の天井をぺたぺたと触っている。よく見ればエンジの触っている部分はサンルーフのようだった。


 パレードの道中、ジョニーがここから姿を現して観衆にサービスをすることを考え、この自動で開くサンルーフがついたロールスロイスが用意されていたのだ。


「そ、そんなあ! まことの足はそんなに簡単に開きませんよ! でも……ちょっとなら」


「ジョニーそろそろ姿を見せてあげてください」


 まことが猥談を炸裂させようとしたのを、シェリーがジョニーを呼び掛ける形で阻止する。


「オーライ、長旅の疲れを癒すのは後にしよう。じゃあ、開けてくれ。……ああ、それとこの【ビッグ・ボーイ】に危ないからどいてくれるようにも言ってくれ」


 ジョニーがパフォーマンスをするためのサンルーフにへばりついているエンジをアゴで指し、シェリーは「yes」とだけ答え、運転手にサンルーフオープンを指示した。


「お、おおっ!? お、おお!!」


 遠くで鳴っているように聞こえる静かな電気音と一緒にサンルーフが開く。散々へばりついていたおかげでエンジはそれを回避するのに間に合わず、ジョニーよりも先に上半身を外に乗り出してしまった。


「お、おおっ?!」


 エンジがそこから見た景色は圧巻の一言でしか言い表せないほどのものだった。

『わああああああああっっっ!!』


 熱狂的な歓迎は鬨の声となし、地鳴りかと間違えるほど世界が揺れる。

 群衆たちを監視しているかのように巨大な影を落とすビルでさえその轟音でガラスが細かく振動しているようだった。


 エンジはその歓声が自分のものではないと知っているはずであったが、観衆はみなエンジに注目したままで沸いているため、その優越感にも似た快感を楽しんでみることにした。


「ソーリービッグボーイ」


 余韻に浸るエンジの横脇からジョニーがにょっきりと顔を出した。


「ううううわっぁあああああああああああああああ!!」


 先ほどの轟音以上の音は、人類がいくら結集し叫んだところで足元にも及ばない。

 そんな風にさえ思っていたエンジの思考は、さきほどの轟音がまるで雨の差す音のように大きな大きな波に呑まれた。

 あまりにも巨大で強大な波は、呑まれてしまったものに呑まれた瞬間を消し去ってしまうほどの熱狂のバケモノと化しこの世界を埋め尽くすようだ。


「ハロー! ハロー! Oh……exciting!」


 決壊したダムから放出される超常的な水のような歓声に、さすがのジョニーも興奮した。隣で呆けているエンジの肩を組むと「サンキュー」と何度も何度も叫んだ。

 そんなジョニーのようすを3台のヘリが追跡し、我さきにとカメラを構えた男が命綱を頼りに身を乗り出して真上からのジョニーを押さえようと必死だ。


「ちょうどいいぜよ、帆村がジョニーとはしゃいでいる隙にわしらは右左に分かれて不審な奴おらんか観察するぜよ!」


「左右だったら、どっちのおっぱいが大きいかな」


「死ぬがいいぜよ」


 ジョニーを乗せた車の外は至る所から歓声が沸き、ラッパやトランペットなどの生演奏、空からは紙吹雪が盛大にパレードを盛り上げていた。


 しかし、そんなはしゃぎまわる外とは対照的に、車内の窓からは諒とまことが真剣な眼差しで外を観察していた。


「貴方たちはジョニーの実力を見くびっているのではないデスカ」


 諒たちを見かねたのかシェリーが静かに口を開いた。

 彼らの挙動は何が目的なのか、シェリーには手に取るように分かっていた。


 ジョニーを取り巻く環境に長く身をおいてきたせいで、若いながらもそれなりの修羅場を潜り、人に対する観察力は舌を巻く。

 そんなことは露知らず、諒とまことは同時にシェリーを向くと、「なななにが?」とにっこりと笑ったが、当然それは通用しなかった。


「隠さなくていいデスよ。ジョニーには言いません。大方帝國庁が送ったボディーガードというところでしょう。

 ジョニーには困ったものです。自分の身は自分で守ると言って聞かない。

 苦労は察しますよ、みなさん」


 シェリーは伏し目がちに二人を交互に、ゆっくりと繰り返して話した。


「い、いやぁそんな……ボディガードじゃなんて……なぁ」


「いえす! せっくす!」


 まことの言葉に更に目を細め、不快な表情を示したがすぐに元の表情に戻す。なるほど、どうやら彼女はパートナーとしても非常に優秀なようだ。

「……まぁ、この点に於いては貴方方の事情も分かりますので、ジョニーには伏せておきましょう。まだ未熟な学苑生徒を派遣したあたり、帝國庁の困り具合もよく分かりマス」


 『まだ未熟な学苑生徒』というあたりで諒はカチンと虫が鳴いたが、腹に力を込めてそれに耐えた。まことに目配せをすると、まことは気付いてもいないようでほうほうと首を振ってシェリーの話を聞いていた。


「ですが、もう少しジョニーの実力を信用してもらいたいデスネ」


 パンツのポケットからビスケットを出し、サクリと乾いた音を立てて食べるシェリー。

 

「ジョニーの……実力……」


 確か神雷にも同じことを言われたと思い、諒はじっとシェリーの様子を伺った。


「貴方方はご存じないと思いまスガ、ジョニーのアメリカでの通り名は『死神バレット』。地元アメリカではジョニーという愛称よりもこちらのほうが、耳馴染みがあります」


「死神……ですか?」


 まことが社内の天井から上半身を出し、尻から下しか見えないジョニーを見上げた。

 どうしてもこの楽観的で友好的な男と、【死神】という恐ろしい単語が結びつかなかったからだ。


「ジョニーとマッチングしたこれまでのプロGUNMANは256人、勝ち数はその内192」


 その数字を聞いた諒とまことは正直そこまで対して優秀な成績を収めているのではないと思い、若干拍子抜けな表情を出してしまう。


「意外と少ない、と思われましたか」


 諒に目をやるシェリーを前に慌てて諒は笑った。

(なんで勘のいいガキじゃ!)

 心の内で諒はシェリーの非凡な才能に愚痴を漏らした。

「我が国でジョニーに求められているのはドラマティックな勝利ではありません。あくまでエンターテイメントにあります。

 時には逆転負けされ、試合時間ギリギリまで粘り判定で負け、さらには無名のルーキーにセンセーショナルな勝利をさせたりもしました。

 確かにGUNMANのランキングではトップランカーではありますが、決して全戦全勝というわけではないのデス」


「それじゃあ……」


「ですカラ、彼はエンターテイナーですノデ」


 まことがなにか言おうとしたとき、“そのくらいわかるでしょ”とでも言わんばかりにかぶした。


「全部【わざと】負けているんです。敗北ですら彼の演出なんですヨ。

 彼は元々はアマチュアで、GUNパフォーマンスで州を旅していました。その時の戦績を参考までに教えておきましょう」


 シェリーは左の一指し指と中指をピンと上げるとそれを二人に見せ、「答えを当ててみて」と言っているようなアクションを見せる。


「至る所で戦いを申し込まれたらしいから、何戦やったのかは分からないそうデス。……ただ最低でも2000戦はやったらしい」


「じゃあ2000として、勝率は」


 諒が興味深そうにシェリーに聞くと特に勿体ぶることもせずに「100%です」とあっさりと言った。

 真実としては疑わしい話だが、シェリーの無表情さが信憑性を強く高めていた。

 そんな諒の想いを知ってか知らずか、彼女はリスのようにビスケットをかじるばかり。


「彼がアマチュアだった頃を知る者の中では有名な話です。“挑めば必ず負ける死神のような奴だ。“ それで死神バレット」


 諒たち3人の中心でエンジと共に上半身を屋根から出してサンキューサンキューとおどけるこの男が?

 

 それが諒の正直な感想だ。


「そういう訳で、バレット自身が言った通り、彼にはボディガードなど必要ではないくらいの実力があるというのは信用シテもらいたい。しかし、貴方たち帝國側にもメンツがあるでしょうから、貴方達がシークレットサービスとして同行することは目を瞑りまショウ。

 ただし、ジョニー本人には今まで通り素性を隠してください」


「……それはお優しいことで」


 諒は笑ったがその目は面白くない、といった様子だった。

 まことはというと、聞いてはいけない話を聞いたような気持ちで居心地が悪く、出来るだけ無表情を務め窓の外を観察していた。



 帝國庁に着いたことを運転手が知らせたのはそれから20分ほど経った頃だった。

 あれだけ騒がしかった歓声が帝國庁の敷地に入った途端、唐突に静まったので諒たちもすぐにそれに気付いた。


 フゥ、と大きく声のついた息を吐くとさすがのジョニーも笑顔を振りまき疲れたのかまぶたを押さえている。


『シェリー、次は帝國総裁だっけっか』


『ええ、一国の最高権力者です。くれぐれも無礼がないようお願いしますよ』

 シェリーがジョニーに釘を刺した傍らでは、諒とまことが集中し過ぎた頭を休ませていた。


「いっやー! すげぇ人だったなぁ! 疲れが吹っ飛んだぜ!」


 アドレナリンが溢れ出ているのか、エンジはただ一人興奮気味に話した。寝ていないせいもあってテンションが高いのかも知れない。そんなエンジをやや恨めしそうにまことが睨む。


「……まぁともかく、なにも起こらないで良かったです。あのパレードが第一関門だって言われてましたからね」


「しっかし、あれだけ大規模なパレードと観衆の前で事を起こすっちゅうのは、刀狩じゃいうても中々出来るもんじゃないんぜよ」


「If you do not ease even terrorists seem to strike, then the I because you'll own head」


「もしもテロリストが襲ってきても俺が返り討ちにしてやるから安心しろ、とのことでス」


「頼もしいのう。さすが無敗のチャンピオンはいうことが違うぜよ」


 言葉の嫌味さとは対照的な、素直に感心した表情で諒は言った。


「でもほんとになにもしないで事が済むならそれ以上のことはないですけどねー。事を済ますのになにもしないわけにはいかないけど……いくら初めてだからってねぇ」


「千代ーもう限界だーこの変態痴女と一緒の空間に居たくねー」


 運転手が車の外に出て後部座席のドアに回り込みドアを開け、外の様子を伺ながらまず最初に諒が降り、次にエンジが降りた。

3番目に降り立ったジョニーは「thank you」と運転手に礼を言い、続いてシェリー、まことと続く。

 長い赤じゅうたんの廊下を端まで歩き、突き当りのエレベーターで80階の最上階まで上がると、これまた突き当りまで行ったところに帝國国家日本・現総裁の部屋があった。


 ビルの最上階とは思えないほどに高い天井のおかげで、総裁室の扉はとてつもなく大きく、見る者に威厳を強いる迫力があった。

 漆黒の闇色に染め上げられた扉は、真っ黒なはずなのに日差し窓から漏れる光を光沢のある塗料が跳ね返し、光と闇を混在させた。

 しかしその扉からは光沢から飛ばされた陽の光とは種類の違う光も放っている。

 

 黒の光沢が光を跳ね返しているのならば、その種類の違う光はさながらそこから光を放射しているかのような激しい光であった。

 その正体を確かめようと目を細めたエンジが見たものは、総裁室の巨大な扉の至る所に装飾された金。なるほど光を放つと錯覚させるほどの光はこの金から発せられていたのだ。


 その扉は開かれるのを待たずに無言でこう言う。


『この場所こそが帝國の中心。それは即ち世界の中心である』、と。


 エンジ達学苑3人組は、ただそれに圧倒されるのみで意図もせず無言を貫くばかりであった。


「帝國総裁閣下! 米国よりジョニー・バレット氏がお見えになられました! 3個の伺い後、開放致します!」


 玄関から案内してくれた帝國庁のスーツ男が緊張した面持ちをしながらも、声を上ずらせることなくよく通る声で宣言する。


『うむ、許可する』


 分厚そうな扉の向こうから返事が返り、それを確認すると案内の男は扉に重くぶら下がる金の尋ね鉄を予告通り3回叩いた。

 叩く度に高い天井に甲高いノックが吸い込まれ、3個目のノックの音が天井に食われた頃合いに扉は重々しく開いた。

「Welcome to the Empire!」


 英語でジョニーを迎え入れたのは、テレビのニュースで毎日のように見る見慣れた姿だった。

 その男は帝國60代総裁・瀬戸 十三(せと じゅうぞう)。

 歳のほどは50代半ばのはずだが、肌もハリがあり背丈もスラリとスマートだ。

 やや高い身長と、締まった胸板、清潔感のある黒髪の短髪、年の割には少ない皺で甘いマスク。

 

 ここまで紹介すればもうお分かりかと思うが、女性からの人気も爆発的な帝國国家総裁である。


「President Hey! Pleased to meet you」


 ジョニーは先ほどまでパレードの観衆に向けていた笑顔を総裁に向け、総裁の歓迎に答えた。


「なあシェリーどん、ジョニーは今なんて言ったんじゃ」


 総裁が英語を喋れると分かり、しばらく通訳は必要ないと高を括っていたシェリーは、諒のその問いに短く舌を鳴らした。


「そんな怒んなくていいじゃない、生理?」


「The vulgar woman helplessly! ……“やあ総裁会えてうれしい”って言ったんでス」


 明らかに怒った様子シェリーは一言英語で愚痴り、ジョニーの言った言葉を訳してくれた。


 ジョニーらが総裁室に入室すると、カメラを持った3人ほどの男がすこぶる静かなシャッター音で、その様子を逃すものかと撮影している。


 そんな連中に動ずることなく、ジョニーは総裁に向かって手を伸ばし握手を求めた。

「よく来てくれたね、我が親愛なる隣人であるアメリカのスター、ジョニー・バレット」


 ジョニーの伸ばした手を力強く握り、さらにその手を覆うようにもう片方の手でも強く握った。結果両手で堅く握手した総裁は、ジョニーに劣らないほどの満面の笑みでジョニーの来日を喜んだ。


「……マスコミ、少なくないか?」


 合宿でマスターしたニセスマイルを振りまく3人は、その感動的な握手を前に拍手をしつつそのわずかな隙にエンジは諒に疑問を投げかけた。


「そりゃあまあ、こうなるじゃろう。なんてったって一国の長じゃからのう」


「どういうことだ?」


 伊達メガネの奥の瞳を【?】にしてエンジは諒に聞いた。【?】の眼差しを出来るだけ無視しながら諒はため息まじりで話す。


「アメリカのスターが初来日で、帝國の最高責任者と会談するんじゃ。そんなもんどっちかになんかあっても国際問題じゃし、公で出来るほど和やかにも出来んじゃろう。

 わざわざ高層ビルの帝國庁最上階の総裁室でこれだけの少人数でやるんじゃ、信用できる少数の人間にしか報道を許さんっちゅうわけじゃ」


「ってことは、一応この連中も新聞屋ってことか」


「馬鹿かおんしは。新聞屋どころか出版社ですらないぜよ。……おそらくは帝國庁内広報の人間ってところかのう」


「あぁ? なんだ身内かよ。それじゃあ好きなように書かれるだけじゃねーか」


「それが魂胆じゃけ、願ったりじゃろうのう」


 カメラのファインダーから目を離し、連中の内1人がジロリと二人を見た。どうやら無駄話をしていると思われたらしい。……その通りではあるが。

「キミたちは……士道学苑の生徒、だったね」


 出し抜けに総裁がエンジ達に話しかけられると、全くの無警戒だった3人は反射的に肩を鳴らし反応した。


「そんなにかしこまらなくてもいい。……どうだい? 生のGUNMANは」


「いやぁ……やっぱり大きさが違いますね! 色々な意味で」


 “色々な意味で”という部分に一瞬「?」という顔を見せたが総裁はすぐに答えたまことに笑いかけた。


「そうかね。なにか感じるものがあればそれでいい。帝國国民として友好国アメリカの著名人と会える機会など一生のうちに一度あるかどうか怪しいくらいだからね」


 総裁は三人を見渡すと、小さく「なるほど」とつぶやいた。


(なんじゃこのおっさん、俺らのことくらい聞いとるやろ……。俺らの任務も、それから俺らが士道学苑の生徒であっても、“なんの紋刀を持っているか”も)


 諒の薄い懐疑的な感情が混じった瞳に気付いているのかいないのか、総裁はエンジと目を合わすと


「キミは確か……三代目炎灯齊……だね」


「あ、はい。そうっすけど」


 諒が総裁の挙動を注意深く監視していることなど知りもしないエンジは、総裁の問いかけに呆気に答えた。


「初代炎灯齊には我が瀬戸一族もお世話になってね。今はキミで三代目ということは……」

「……」


 直感的に次になんの質問がくるのかを悟ったエンジは、無意識に眼つきが尖る。

 エンジの眼差しを見て、総裁はその続きを呑み込み、言い回しを変えた上で続けた。


「なるほど。ということは、彼はまだ不明なんだね。才覚のある士だったが……残念だ」


 総裁はそう言うと三人に軽く一瞥するとジョニーに振り返り、また歓迎の言葉を英語で話し、しばし談笑が続いた。






―――――――




「っくぁあああ~~~~!! 終わったぁぁああ!」


 ジョニー来日・初日はなにごともなく全行程が終了した。

 危惧されていたパレードも、帝國庁の訪問も滞りなく進み、有名な和食レストランで食事を取った後、ホテルへと帰った。


 ホテルの玄関で、ジョニーと別れの挨拶を交わし、少し時間を空けジョニーの泊まる部屋の真下の部屋へとやってきたところだ。


「ちょ、エンジ先輩! 声が大きいって! ジョニーに気付かれるよ」


 安堵から大声を上げたエンジにまことが焦った様子で諌める。

 諒はというと、キョロキョロと部屋内を見渡し時折「ほぉ、ほぉ~」と感心している。


「それにしても、すっごい部屋ですね。ちょっとこの任務に抜擢されてラッキーな気がしてきましよ~」


 諒の様子に同調したまことも後ろから話しかける。諒も「ほんまじゃのう、学苑に通うとる間にゃあこんなすごい部屋には泊まれんぜよ」と細かいところまで部屋を観察した。


「うっわー! お風呂もすごい大きいですよ! 見て見てエンジ先輩! あ、でもお風呂はさすがに別々でお願いしますよ……。

 ていっても盛りのついた男2人の中で兎が一匹……お風呂を覗くだけに飽き足らず、まことが入っているところに侵入してきて、今日の疲れをまことでスカッとしちゃう気なんすね? そうなんすね? せめて身体を洗った後にしてくださいね!」


 鼻息をふーふーさせながら、まことはお得意の妄想モードに入る。

 

「あ、安心するぜよ。わしゃあ下の浴場にいくからのう」


「そんな! ジョ、ジョニーに鉢合わせしたらどうするんですかっ!」


「シェリーに確認済みぜよ。ジョニーは旅先では一度ホテルの部屋に入ると朝まで外出しない性分なんじゃと。もしも出るようなら部屋に連絡入るぜよ」


「な……なん、……だと」


 まことはエンジの元に駆け寄ると「エンジ先輩! 一緒にお風呂入りましょう! そしてまことを……」となりふりかまわずにドストレートな言葉をエンジにかけた。が、


「って寝てるーーーー!」


 エンジはいびきをかいて眠っていた。


「うう、この任務で死んじゃうかもしれないから処女だけは捨てようって決めていたのに……」


「なぜ生きようとせんがじゃ」


 呆れた諒はタオルだけ持ち浴場へと向かった。

 ――二日目。


 10:00からエンジ達の通う士道学苑へジョニーが訪問し、GUNMANの礎になった士道を学ぶ生の姿を視察することになっている。


 ジョニーと同じホテルに泊まっていたエンジ達三人はこの士道学苑でジョニーと合流し、その後の行動を共にするスケジュールになっていた。

 同じホテルに泊まっているがそれを悟られるわけにはいかないので、エンジ達はジョニーの乗る車のすぐ近くに別の車で移動し、ジョニーに見つからないように学苑に入った。


「おおっ! 帆村だ!」


 今回の訪問は士道の視察が主であるため、実践訓練に入っていない一年校舎を飛ばし、抜刀訓練に入っている2年、そして刃通力を学んでいる3年校舎へと赴くのだ。

 最初に訪問する予定の2年校舎に、2年生であるエンジはジョニーの先を行くため全速力で校舎へと走った。


 1か月以上ぶりのエンジを見つけた生徒達はそれぞれがエンジを指差して久しぶりのその顔に声を上げる。


「えんとーさいさま!」


 そう、そんなエンジを千代が見逃すはずはなかった。


「おっす千代。元気してたか」


「勿体のうお言葉でございますえんとーさいさま! この一月間、お変わりありませんでしたか?」


「ああ、けどそこら辺の話は嫌でも明後日にゃ出来るから今は勘弁しろ。じゃあな!」


「あ、え、えんとーさいさまぁあ!!」


 急いでいるエンジは自分のクラスへと走り去った。

 なんとかわいそうな千代だろう。これまでエンジの身を案じ気が気でない日々を過ごしてきた彼女にあまりにもあまりな仕打ちではないか!

 そんな怒りを覚える方もいるかもしれないので私が代弁しておいたが、ともかく残された千代を少し観察してみよう。


 千代は去ってゆくエンジの背中に手を伸ばしつつ、姿が見えなくなるまで見守った。

 その後、千代は制服のポケットからハンカチを出す。おそらく涙を拭くのだろう。なんと甲斐甲斐しいのだろうか。


 ギリリッ!


 はて、なんの音だろう。


「おのれぇぇ…………赤目まことめぇえ……私のえんとーさいさまに一体どのような色仕掛けを仕掛けたのかあ~~……」


 般若の形相で千代はハンカチを噛みしめていた。女性とはなぜにこんなにも恐ろしいのか。




 勢いよくドアが開けられる音で誰もがその主に注目し、予想通りの姿に歓喜した。


「おお~! 帆村だ! 帆村が来たぞ!!」

「久しぶりだなぁ! なんだそのメガネ!」

「いつみても大きい紋刀だねー」


 エンジは久しぶりのクラスメイト達の歓迎に少し戸惑いながらも「おう」「さんきゅ」「またな」などと答え自らの席につく。


「……エンジ」


 隣から聞き慣れた声がエンジを呼んだ。

 その人物を誰かを確かめることもせずに、エンジはにやりと笑い「おう」と返事した。


「なんだいそのメガネは、もしかして……今日のジョニー来苑となにか関係があるのかな?」


「相変わらず勘と頭がいいな、ハーレイ。その質問はとりあえずノーコメントってことで」


「ははは、相変わらずだね。それじゃ言ってるのと変わんないじゃないか」


「そうか?」


 核心を突かれているというのにエンジは相も変わらず笑ったままだった。


「まーあと2日だけ待っててくれよ。そしたら全部終わるからよ」


「心配はしてないよ。友達だろ」


「……まあな」




『うわああああああああああ~~~~~!!!!』




「……来た!」


 外から聞こえる大歓声でジョニーが到着したことを悟った。

「悪ぃな、あと二日で終わるからよ。それまで口チャックって言われてんだ」


「ああ、邪魔しないよ」


 エンジがハーレイに返事をしジョニーを迎える準備をしようと席を立った時、その背中に「エンジ」と呼びかけられた。


「怪我しないようにね」


「馬鹿野郎、怪我してきたくらいが仕事してきた感じすんだろう」


 エンジが振り返り目を合わすをほんの一瞬、二人ともニカッと笑いそれを合図にするようにエンジは駆けだしていった。


「……エンジ」


 そしてその背中を見詰めるハーレイはもう一度エンジの名を口にする。

 しかし今回はエンジを呼ぶためではなく、ハーレイの中でなにかを確認しているように一言一言を噛み締めていた。


「なんで……エンジばっかり……」


 ハーレイを包む闇に誰も気付かずにジョニーの来苑にクラス中が沸く中、その闇はすぐに姿を消しハーレイを正気に戻した。


「僕は……なにを考えていたんだ」


 慌ててハーレイは沸く生徒達の後に続くのだった。

「うっわぁああ! すっげぇえええええ」


「ジョニーだ! GUNMAN最強の死神ジョニーだ!」


「きゃああー! かっこいいー!」


「背高-い! あ、あ、笑ったぁ~!」


 どこに行ってもジョニーの人気は凄まじいものだ。まさか学苑に於いてもそれが多聞に漏れずとは思っていなかったエンジは、如何にこの学苑の連中がミーハーなのかを知り人知れず溜息をついた。


「オーライ! センキュー! アイラブユー!」


 ジョニーはパレードの時と同じく笑顔を振りまき、あたりに手を振る。


「アイラブユー!? そ、それって確か『愛してる』ってことよね?? ぐっぎゃぁぁあああ! それは絶対あたしに言ったのよォォオオオオ!」


「何言ってやがんだこのメスブタ! コォォォオオオ!」


 ジョニーの辺りを注意深く観察しながらその人気ぶりを見て段々とイラつきを覚えてくるエンジ。だがそんなことを知るはずもないジョニーはエンジを見つけてしまった。


「ハイ! ビッグブレード!」


「誰だよそれ、俺のことか!?」


「イエァ!」


 ジョニーが「ヘーイ」と手のひらを高く上げたので、エンジはその手目がけてハイタッチで答える。


「グゥッド!」


 陽気に笑いサムズアップするジョニーがエンジは嫌いでなかった。

 言葉は通じないが、気さくで自分の立場を傘にしない。


 小太郎たちのように異国人に対して偏見のないエンジではあったが、誰もが思う外国人のイメージとは随分と温度差があるのではないか?


 エンジがそう辿り着くのには時間はかからなかった。その答えを手助けしたのは、誰であろうハーレイの存在も大きいのは言うまでもない。


「ねえジョニー! 銃(ガン)を見せて!」


 ジョニーを囲む生徒の一人がジョニーに対し興奮気味に言った。

 ジョニーは側にいるシェリーに「He was she saying now?」と尋ねるが、シェリーはジョニーに生徒が言った言葉を訳すことを渋っている。


「Johnny, please wait a moment」


 シェリーはジョニーの代わりにその生徒の前へ立つ。そして、ジャケットの内に忍ばせたホルスターからシルバーの銃口までが長い銃を取り出した。


「お、おい! シェリー! なにするつもりだ!」


 それに焦りエンジはシェリーに駆け寄ろうとするが、生徒達の波に邪魔されて進めないでいた。


「ホムラ、ご心配なく。ジョニーの銃をまだ見せるわけにはいかないのでネ。代わりに私ので我慢してもらおうってだけですカラ」


 そういうとシェリーはポケットからマガジンを取り出し、周りの生徒達の注目の中、力強く次の言葉を言った。

『Say yes……』


 シェリーの手に握られた銃の撃鉄がガキンと鳴り、グリップのエンブレムから微かに湯気のような蒸気が上がった。


 それを確認するとシェリーは弾の入っていないマガジンを装填し、ロックを外した。


「弾の入ってない銃でなにすんだ……?」


 その光景を見ていた生徒達は理解不能のシェリーの行動にざわつき始めた。

 しかし、そんなざわつきをキレ長のまぶたが律するように眼光で周りの空気を凍らせる。


「いいですか、これはただのデモンストレーションですカラ」


 シェリーは空に飛ぶ鳥に目がけて発砲した。


「きゃー!」


 その予想外の行動に女子生徒が悲鳴を上げる。発砲したシェリーの銃は銃声を轟かすことはなく、ノイズのような音が一瞬鳴ったのみであった。


「怖がらないデ、よく見てください」


 シェリーがそう言うと、周りを囲んでいた生徒たちは一斉に彼女に注目した。


 シェリーの手元にはたった今彼女が撃った鳥が抱きかかえられていた。


「……えええええ~~~~!!」


 シェリーは生徒達の歓声に驚いた鳥を空に放すと、銃をホルスターに納め言った。

「帝國の紋刀には特殊能力が標準的に実装されていないと聞いていマス。十二本の伝承を除いては……ネ」


 チラリとエンジを見て、すぐに瞳を誰を見るでもなく戻すシェリーは一拍置いて話を続ける。


「帝國の紋刀をベースに、銃文化をより安全に精巧に進化させたのが我が国の『GUNMAN』プログラムでス。我々の持つ銃(ガン)にはスピリットと呼ばれる、紋刀で言うところの紋句と同じスイッチとなる言葉を発し、特殊能力を宿した弾をマガジンやリボルバーに装填することで射撃が可能となりマス。

 『GUNMAN』は帝國士道とは違い、よりスポーツに特化した競技となっており、紋刀にはない特殊能力を標準装備としています。

 プレイヤーによってライフルやハンドガン、マシンガンにグレネードランチャーなど豊富な種類の銃をセレクトし、プレイヤーの色に合った弾数や能力を発言し、ポイントを奪い合って勝敗を分かつというわけです。

 よって私のガン能力は、撃ったものに触れる、触れたものを移動させる能力を持つバレルが12弾。リロードはコーラ100ml飲む。……と、こんなところですか。

 私はガン所持者ですが、GUNMANのプレイヤーではないので自分の能力のことをペラペラと人に話しますが、ジョニーはそういう訳にはいかない。

 ……とこちらの都合を配慮して頂けたら有難く思いマス」


 シェリーの長い論議に誰も口を挟むことはなかった。むしろシェリーの見せたデモンストレーションと、その日本語に魅了されているようであった。


「……単純なもんだぜ」


 当然、エンジのそんなつぶやきすら誰も耳を貸すことはないというわけだ。



 ジョニーの学苑訪問も散々生徒達にもてはやされ、終了しようとしていたが、ジョニー達が学苑を去る頃にはシェリーとジョニーで人気が二分していた。

 混乱を予想して先に車に乗り込んで彼らを待っていたエンジ・諒・まことの三人だったが、飛び交う黄色い悲鳴と調子に乗るジョニーに完全にギャラリーを無視するシェリーを見ていると少し安心すらしていた。

 当然、その訳は……


「心配しちょったが、このままじゃと取りこし苦労で済みそうじゃ」


 メガネを拭きながら諒は二人に話しかけた。


「まだ二日目だって言えばそうだけど、実質的に明日の夕方まで耐えればなんとかなるってことだからね」


 そう、一向に襲ってくる気配のない刀狩に徐々に安心していたのだ。


「まさかもう気ぃ抜いてんのかお前ら」


 そんな二人に対して不満があるのか、ぶっきらぼうにエンジが言葉を投げる。


「なにを言うちょるんじゃ帆村。刀狩なんぞ襲ってこんに越したことはなかかろうが」


「エンジ先輩、刀狩が襲撃に来たほうがいいんですか?」


「そうじゃねぇけどよ……」


 そう言うエンジの不機嫌には他にも理由があった。

 確かに、現状に安心しそうになっている二人に対して向けている部分が無い、と言えば嘘になる。しかしエンジは妙な胸騒ぎを覚えていたのだ。

 その胸騒ぎの根拠などはない。だが、エンジに勘が伝えている。【何かが起きる】と。


 だがそのことをこの二人に話したところで、根拠も証拠もないこの話に同調するとも考えにくい。当の本人であるエンジですら自らの感覚を手放しに信じられないでいたのだから無理もなかった。


 エンジの不安を余所に2日目のスケジュールは順調に進んで行った。


 学苑を出たジョニーは帝國もう一つの国技である相撲観戦。そしてテレビや雑誌のインタビュー、アイドルグループTKK12とのスペシャル対談と滞りなく進み、同行しているエンジらの出番はほとんどないと言ってもよかった。


「You guys, Is not that boring? Do not come over here together」


 スケジュールの合間、暇そうにしている3人にジョニーが話しかけてきた。

 2日目の終盤になり、至極平和に進行している為3人には少し緊張感が緩み始めていたからだ。


「ああ、気にせんでいいぜよ。こっちも学苑の代表としてついてるんじゃ、お前さんは好きにしてくれればいいんじゃ」


 諒が気を使わせまいとジョニーに答えた。ジョニーは、日本語は分からないが諒の話す様子で「気を使うな」と言いたいのだと感覚で悟り、「alllight、thank you」と答えいつもの爽やかなスマイルを置いていった。


「あれ、竜巳先輩って……」


 まことがなにかに気付いたのか諒になにか話しかけた時、コーディネーターと話していたシェリーが戻った。


「なにかありましたか?」


「なにもない、拍子抜けなくらいだ。……この後は?」


 度の入っていないメガネのレンズに息を吹きかけて、レンズが曇るのを楽しんでいるエンジが次の予定をシェリーに尋ねる。

 その投げやりにもとれるエンジの問いに対し、シェリーは眉に苛立ちを寄せ、瞳を閉じると「私は貴方のコーディネーターでも、上司ではないのデ言葉遣いには注意ください」と不機嫌に言い放った。


「それに私タチは貴方方にとってゲストにあたるはずです。ジョニーが言うように護衛の任については必要ありませんが、帝國日本人が持つという【もてなし】の精神に乗っ取った対応をお願いしたいものデスね」


「あほなこと言うちょる。わしらは士(サムライ)じゃあ。もてなしをわしらに求めとるっちゅうんじゃったら、悪いが他に期待するこっちゃ」


 シェリーが続けた話に反応したのはエンジではなく諒の方だった。

 帝國日本人、ひいては士道の士として余りにも正論なその言葉にエンジは深く頷いていた。


「士……。古来の武士が持つ剣を技術的にも精神的にもアスリートの方面に昇華させたのが士道と思っていましたが、それはどうやら私の認識違いであったようですね。

 オーケイ。よくわかりました。

 つまり帝國の士道に準じている貴方方を含めた士というものは、その古い精神論すらも現代に持ち込んだ謂わば【古代人】のようなもの……という認識に改めたほうがよいということデスね」


「なんじゃと?」


 シェリーの斜めに回り道をしたような皮肉の言葉が諒の癇に触れる。


「お気を悪くされたなら失礼。しかし覚えておいたほうがいいデスよ。

 私の認識は、世界での一般認識。

 今後帝國日本が国を開き、他国から人が出入りした場合……。

 貴方方のその認識は諸外国からは【危険思想】としてマークされる。そうなれば友好国の同盟を結んでいる我が国においてもリスクを負うのです。

 ……もっとも、士というものがみんな貴方方のような思想をお持ちであると仮定した話ですガ」


 諒はなにか言おうとしたが、不機嫌を手で掴み背負い直すとそれ以上は何も反論しなかった。

「……シェリーさんは、いつかこの国が開国する日が来るとお思いですか?」


 代わりに口を開いたのはまことであった。

 その表情には不安のようなものも取れたが、どちらかと言えば自分たちの国以外の人間が我が国をどんな風に捉えているのか? という好奇心の方が勝っているのは隠しきれないでいた。


「その質問にはあえてこう答えまショウ。

 “それは貴方達次第ですよ、まこと”」


「……え?」


「民主主義であるこの国では、国を動かすのはいつでも国民の力であるはず。自分は無関係で、帝國庁の決めた事項には速やかに従う……という思想を持っているのなら、本当の開国はあり得ないでしょう。

 “自分たちのものは自分たちだけのもの”という思想を打ち破ることが国民一人一人のレベルで可能になったら、文字通り国際的に受け入れられる開国をするべきですが……。

 現状のデータだけを見るのなら、現時点でその決定権を持つのは帝國総裁のみと言ったところでしょうか」


 まことは無表情でシェリーを見詰めるばかりでなにも言葉を発しない。


「どうしましたか?」


「……難しくてわかんないです」


「そうですか。言葉にすれば難しいですが、理解してしまえばシンプルなものですよ。まこと」


「頑張ってかしこくなります」


 まことが無表情のままそう言うと、シェリーは初めて少し笑った。

「Hey」


 奥でコーヒーにキャラメルを入れ、香りを楽しんでいたジョニーがシェリーを呼んだ。


「……失敬。私としたことが少し喋り過ぎたようです。ホムラ、次の予定は国立競技場でGANMANのデモンストレーションですよ。もしもジョニーがテロリストに襲撃されるとすれば、その可能性が最も高いのはここでしょう」


 シェリーは表情を戻すとエンジにそう言い残し、ジョニーの元へ駆け寄った。


「……やっぱり悪い人じゃないね。シェリーさん」


「悪い人間やなかろうが、あのガキの外見にあの鉄板みたいなカチカチの性格のギャップに胸焼けしそうぜよ」


 諒は本質的にシェリーが善人だとは認めているようだが、本人が述べているように外見の幼さとのギャップが素直にそれを受け入れさせないのだろう。

 龍伐齊を顎置きにしてくたびれた様子でそう話すのが精いっぱいだった。


「エンジ先輩はどうなんですか」


 まことが先ほどから口を開かないエンジを気にして話を振ったが、当のエンジはというとニヤニヤと笑いながら屈伸をしている。


「な、なにをやってんですか」


 たまらずまことがそんなエンジに尋ねた。


「ん? いやぁ、次はGUNMANのデモンストレーションだろ?

 ってことはあのジョニーの銃さばきを目の当たりに出来るってことじゃねえか。

 こんなワクワクすることなくね?」


 そう言ってその場でストレッチを始めるエンジに、諒とまことは同時に溜息を吐いた。



【士道ノ九へとつづく】

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