第4話(後)

 赤い刃の細身刀……炎灯齊を無心で眺めていたエンジは、足元にあたる感触に我に返った。足元には自らが斬り捨てた小太郎が伏していたのだ。


「だ、大丈夫か!? 生きてるかよ?!」


 炎灯齊を鞘に納めたエンジは前のめりに倒れた小太郎に向きを変え、抱きかかえた。

 動揺しつつも自らがつけた傷口の様子を確かめる。


「……これは……」


 傷口はそこそこ深いものだったが、斬ったはずの切り口からはほとんど血が流れておらず、それどころかそれはところどころ塞がりかけている。


「……炎で斬ったと同時に焼いたのか……」


 物理的に無理があると思しき現象だが、そう考えるしか納得の行く結論がありそうになかった。首筋に手を当てて脈を確かめる。


 その手は震えていた。殺してしまったかも知れないという恐怖と……


「うわああああ! 小太郎さんが死んじまったぁあああ!」


「小太郎さぁあああああん!!」


 小太郎の元に駆け寄り、エンジを押しのける子分たち。

 その顔は不安と絶望に染まったかのように真っ青であった。

「小太郎さん! 食事券返しますんで起きてください!」


「小太郎さん! 俺、小太郎さんの性格は嫌いだったけど、強さには本当に憧れてたんです!」


「小太郎さん! さっき殴られたのは根に持たないでおきますから、どうか死なないでください!!」


 それぞれが涙と鼻水でごちゃまぜにした顔で小太郎に声をかける。若干便乗して一言二言文句が入っているのは聞かなかったことにしておこうではないか。


「先生……いや、救急車呼べよ! この人殺し! なにが抜刀できない、だ!


 そんなハッタリで油断させて小太郎さんを斬ったな!


 許さねえぞちくしょー!!」


「いや……俺は、そんな……」


「早く呼べよ!」


 両手の震えを無理矢理抑え、エンジは無言で校舎に走ろうと身体の向きを変えた。


「エンジ! 先生呼んだよ!」


 向こう側から角田教師と共にハーレイが走ってきていた。それを見つけ、エンジはその場に立ち尽くしてしまう。


「えんとーさいさま……」


 言葉を発することはできるようにはなったが、相変わらず体は縛られたままの千代はエンジの元に駆け寄りたくとも身体の自由が効かないため動けない。


「……俺が斬った……?」



 エンジは自らの両手の平を見詰め、呟いた。


 小太郎を殺してしまったかも知れない恐怖と、人を斬った感触。

 エンジの見つめる手は震えていた。


 いつか千代が買っていたハムスターがふるふると震えながら自分の手のひらに乗ったことがある。

 ハムスターは少しも動くこともせずにただ震えてエンジを見詰めていた。


 無意識にその時の記憶が蘇る。震える自分の手の平に、震える自分が乗っているような錯覚さえ覚えた。


「ゴルァ!」


 背後で怒声がエンジの後頭部を叩く。

 反射的にその声に振り向くと、角田教師に抱きかかえられた小太郎がエンジを睨んでいた。


「小太郎!」


「小太郎さん!」


「小太郎さあーん!」


「佐々木くん!」


「燕塾八代目!」


「佐々木!」

「……うっせェな、呼び方統一しろよ……」


 エンジは小太郎に近づこうと足を踏み出そうとすると「近寄んな!」と小太郎本人に制止された。


「汚ェヤツだぜ……」


 エンジを睨み、苦しそうにしながらも小太郎は言った。


「そうだ! この卑怯者があ!」


「てめぇは政治家かよ!」


 ゴン、という音を2つ響かせて小太郎は傷ついた体を推してエンジを罵倒した子分2人の頭を殴った。綺麗に「痛い!」という2つの声がハモる。


「あの極限の状況で紋句を言い当てるなんて、てめェどんな強運を持ってやがんだ……。そりゃズリぃだろ。


 仏様がいるならそんな汚ェ運命仕組んでじゃねェよ……って言いたかっただけだ」


「小太郎……」


「呼び捨てにしてン……がはっ」


 痛みに身を捩じらせて言葉を詰まらせた小太郎は、心配する角田教師や子分、ハーレイたちを制止して更に話をつづけた。


「だがこれで俺とお前は対等だァ……。抜刀できるんならお前を追放する必要は無くなった。


 勘違いすんな……。これでお前と真剣【死合】が出来るようになったってことだ。この胸の傷の借りは必ず万倍にして返してやンよ」


 小太郎は睨みを利かせてそこまで話すと、糸が途切れたように意識を失った。

 その様子に再び子分たちは焦ったが、気を失っただけだと知ると分かりやすく安堵に胸を撫で下ろす。


「お見事でございました。えんとーさいさま」


 ハーレイに縄を解いてもらった千代がようやく主であるエンジの元へと近寄ってきた。


「……えんとーさいさま、どうかご自分を責めないでください。あの場合、やむを得ないことだったと存じます。


 燕塾八代目が仰った通り、偶然運よくあのタイミングで紋句を言い当てただけです。


 えんとーさいさまが人を斬ろうとした訳ではないと千代は分かっております」


「……千代」


 どこか目の焦点が合っていない様子のエンジはうわ言のように一言、呼んだ。


「なんでございましょう」


「俺は……」


 エンジはそれ以上言葉を続けなかった。何かを言おうとしたが次の言葉が詰まりなにも得なかったのだ。


「はい?」


「いや、なんでもない。どうせ今から教師どもに絞られるんだろ。校舎に戻ろう」


 エンジは炎灯齊を担ぎ、ガリガリと音を立てて歩く。


「えんとーさいさま!」


 少し進んだところで千代が歩むエンジを呼び止めた。


「あ?」


 顔だけを後ろに振り向かせ、千代を見ると千代は大きく深いお辞儀をしていた。


「なんだよ」


 その仰々しい感じにエンジはいつもの面倒臭そうな顔になる。


「この度は、千代を助けて頂き誠にありがとうございます! この命、三代目炎灯齊様に捧げてきたつもりでありましたが、まさか捨てた命を救って頂けるとは思っておりませんでした。


 私が未熟であったが為の今回の件、生涯忘れることはありません!


 えんとーさいさまのお隣で改めてこの一生を尽くさせて頂くことを決意致しました!


 つまり、なにが申したいかと言いますと……」


 エンジは頭を掻きながらいつもの展開に、またいつもと同じように口を挟もうとしたが、顔を上げた千代に思わず言葉を失った。



「まもってくれてありがとうえんとーさいさまぁあ~! でも、えんとーさいさまが死んじゃうかと思って……こわかったですぅ~~!!」


 千代は小太郎を心配する子分たちと同じ顔になっていた。涙と鼻水でくしゃくしゃにして、桜色の頬が赤く染まっていた。気丈に振る舞っていたが、よほど心配だったのだろう。

 いつもの千代からは考えられないほど言葉を崩した言葉だった。


「……おう」

 エンジは一言いうと、再び校舎を向きガリガリと歩き始めた。

 校舎に近づくと、保健室に小太郎を運び終えたハーレイがエンジに駆け寄ってきた。


「エンジ!」


「おー、ハーレイ。……悪かったな、巻き込んじまって」


「……友達だろ? 気にしないでよ」


 傷だらけの顔で、ハーレイは照れ臭そうに笑った。


「小太郎は?」


「ああ、佐々木くんは今保健室のベッドで寝ているよ。傷も見た目よりも浅いからすぐ治るだろうって。


 まぁそれでも復学するまで1週間くらいはいるだろうけどね」


 その話にエンジは表情には出さないが、ホッと安心した。


「残念だったね」


 そんなエンジの表情を読んでか読まずか、ハーレイがエンジと並んで歩きながら言った。


「残念? なにがだ」


 なんのことを言っているのか分からなかったエンジは率直に聞いた。


「え、だってほら、仕留めきれなかったじゃん」


「……は?」


「さすがは佐々木くんだね、あの一瞬で違和感を感じたんだろうね。すぐに半身をスレスレで躱して傷を最小限にしたんだ」

 武蔵が去ったのを見計らって、たこせんべいを食べ終えた神雷がトレードマークのマフラーで口元を拭きながら口を開く。


「……で、誰に敗けた。あの学校でお前と戦えるのは限られているはずだ」


「言いたくねぇ」


「ふむ。そうか。ならば答えなくてもいい。そいつは2年か、3年か」


「聞いてんじゃねェか」


「どっちだ」


「……」


「まさか1年か。……1年でお前を負かすほどの力を持つ生徒など……」


 小太郎はすでにゲームオーバーになった携帯ゲームの画面を眺めながら、プレイしている振りを続けた。


「帆村 エンジくらいしかいないぞ」


「!?」


 その名前に小太郎は硬直する。当然ながら神雷はその挙動を見逃さなかった。


「ふん、なるほど……。そうか、伝承使いとやったか。それは仕方がない」


「なにが仕方ないだ!」


「だが正々堂々と勝負をしたのならば、どこをどう転んだところで五分なはずだ。俺が読み違えたか?」

「!?」


 小太郎の頭に千代誘拐が巡る。正々堂々、それを自ら放棄したのは小太郎の方だった。

 そもそも正々堂々の死合が出来ないからこその罠だったはず。


 気づけば最終的には自分が一番正々堂々から逃げていたことになる。

 その事実に気付いた時から、小太郎は自らの心とせめぎ合っていた。その小さな小さな穴を神雷に言い当てられたようで小太郎は、なんとも例えがたい気持ちになってしまう。


「敗ける要素があるとすれば……刃通力か」


【刃通力】という言葉に小太郎は反応した、という反射的に神雷の顔を見てしまった。


「そうだ! なんなんだあの刃通力ってのは!?」


「なんだと言われれば……その名の通り【刃を通す力】のことだ。士道学苑では確か3年の最初で学ぶ、士道では基本の技術でもある」


「なんでそれを俺に教えてくれなかったンだよ神雷ィ!」


「簡単なことだ。紋刀機関で決められているからだ。“刃通力は学苑以外では教えてはならない”とな」


「はぁ?! だったらあいつはなんで……」


「そんなもの自己申告しなければ教えたことも教わったことも分かる訳がないだろう。ただ、帆村エンジに関してはそれに限ったことじゃない」


「それってどういう……」


 神雷は後ろ腰に差した紋刀を見せた。

「……伝承だよ。伝承使いはなにからなにまで特例づくめだ」


 神雷もまた伝承使いであるために、その特例づくめの意味を深く理解していた様子だった。紋刀を見せるその表情がそれを物語っている。


「それも特例でパスって……そりゃいくらなんでも特別扱いすぎじゃねェか!」


「そうだ」


 あまりにもあっさりと認めた神雷に対して、小太郎は一瞬返事を探した。


「この何万本、何十万本、何百万本とある紋刀の中で、たったの12本しか存在しない特別な紋刀なんだ特別扱いにもなるだろう。

 千年代紋の初代鍛冶師が残した特別な力を宿した紋刀、これを持っている人間ならばなぜこれが特別であらねばならないのか、否が応でも知ることとなる」


「勿体ぶりやがって……特別な力って……」


「特別は特別だ。お前がもし、いつか伝承使いと死合をするときその意味を知ることになるだろう」


「そんなもん、俺が薙ぎ払ってやらァ」


「実際、炎灯齊には敗けたではないか」


「……う。そ、それで……刃通力ってのはなんだ」


「ふむ、それはだな……」


 神雷は迅轟齊を再び腰に直すと、部屋の窓際に立った。


「それは……?」

 ごくり、と唾を飲む小太郎。

「今度にしてくれ」


「うォイ!!」


 神雷は小太郎に背を向けるとポケットから目玉焼き乗せのたこせんを取り出してまた食べ始めた。一体ポケットの中はどうなっているのだろうか。


「まあそう焦るな。今回のようなことがない限り、三代目炎灯齊も刃通力なんて力は使わないだろう」


「そうじゃなくってよォ」


「分かっている。少しでも早くそれを知りたいのだろう? だが、名門燕塾の八代目が人より早いスタートラインに立って学ぶつもりか。

 お前のような人間は、特別なのに特別扱いされず頂点を取るから帝王になるのではないのか」


「……ぐ」


「それを理解した上で、【炎灯齊に勝ちたいからみんなより早く刃通力を教えてくれ】というのなら教えてやる」


 小太郎はそこまで言われるとまた口を【へ】の字にして黙ってしまった。


「察しがよくて助かるよ。まあ燕塾は報酬がいいからな、どうしてもいうのなら教えてやろう」


「……もういいよ!」


「そうか。しかし折角刃通力の存在を知ったのだ。使い方は教えんが、ヒントならやろう」


 小太郎は神雷の言葉に喰らいつくように睨み見た。

「ヒ、ヒント! それならまァ聞いてやるぜ!」


 見栄を張っても現金なものである。小太郎は表情を明るくさせて聞いた。

 神雷は背後の小太郎を向かず、軽く顔を横に向かせたまま話す。


「刃通ポリポリ力とはポリポリ、その名のパリポリ、通モリモリ」


「食ってから話せ!」


 神雷はややイラついたようすで眉を細めながらたこせんを食べ干した。


「んぐ、もぐ。 ……刃通力とは、その名の通り【刃に通す力】を意味する。

 そうだな、言い換えるなら【刀を使いこなす技術】といったところか」


「刀を使いこなす技術?」


「そうだ。紋刀は戯刀と違って、それぞれの形状が違ったり、重さが違ったり……まぁ他にもあるが……とにかく、ひとつひとつに個性がある。その個性を士に落とし込む技術だ」


 そこまで聞くと小太郎はエンジに斬られた時の記憶をおぼろげに思い出した。

 あの時、自らの血と一緒に……確か【炎】が噴き出したように見えた。


「……刀から炎を出したりするアレか?」


「ほぉ……その傷を見た時からなんとなく気になっていたが……炎灯齊を抜いたか」


「事故みたいな抜き方だったがな」


「……ふ、なるほど。それで斬られたのか。合点がいった」


 神雷が微かに笑みを含んだのに、小太郎は言ってしまったという表情を隠そうと首を横にそむけた。

「確かに、それも紋刀の個性だな。だが残念ながらそれは刃通力とは違う。関係のないものでもないがな。

 刃通力は、その刀の個性を身体に落とし込む……と言ったな?

 つまり、身体的に変化を促す技術だ。例えば、動作の速度が速くなったり、跳躍力が格段に上がったり、珍しいものでいえば痛みがなくなるなどがあり、身体的能力の変化や精神的能力の変化がある。

 また、この技術を戯刀で用いた場合、疑似的な刃を纏わせることもできる。致命的な殺傷能力までは解放しないがな」


「……そんな能力が……。ん、つうかそれって【技術】なのか? それを【能力】っていうんじゃないのか?」


「バカを言うな。刃通力はあくまで人間が実現可能な範囲でしか変化をきたさない。聞くがお前は頑張って刃から炎を出すことができるのか」


「……」


「ならば炎灯齊はどうなのだ。という顔をしているな。よかろうそれについても少し教えてやる。あれこそが伝承が特別扱いされる所以。十二本刀のみに許された能力だ。

 人間がいくらがんばったところで、風を起こせるか? 炎を吐けるか? 重力を支配できるのか? ……わかるな」


 ようやく意味を理解できた小太郎はただ黙って神雷を見た。


「紋刀を持つ者は、必ず紋刀を持つ資格があるのか、資質があるのかを試される。それの最終関門的な意味合いを持つのが【刃通力】だ。これを会得しない人間には士道のライセンスは下りない」


「……その使い方は教えてくれないんだよな」


「言ったはずだ。求めるなら教えてやる。だが、そうでないならばヒントをやる、とな」

 

 小太郎は笑った。

「ふん、じゃあそのヒントとやらをとっとと話せ」


「言うじゃないか。ではヒントをやろう。

 『お前の紋句はなんだ?』だ」


「はぁ!? なんだそりゃ」


「抜刀紋句はただ言うだけのものじゃない、ということだ。その本質は想うこと。想いの強さが刃に通ったとき、力を発揮する。

 ……炎灯齊がどの程度の刃通力を扱ったのかは知らんが、おそらく使いこなすほどではないはずだ。俺が見た様子では、とても到達しているようには見えなかったからな。

 大方、発動までに時間がかかったり著しく体力を消耗したりしていたんじゃないか?」


 そういえばエンジはあの時、戦いの最中に目を閉じたな……。神雷の言うことに思い当たる節があり、今になって疑問が晴れてゆく。ただ知らなかっただけの自分が歯痒くなった。


「でもよ、帆村は紋句を知らなかったんだぜ。なのに紋句を想うって、矛盾してないか」


「紋句を知らなくとも、きっと強いなにかの想いがあったのだろう。そうでなければ紋句を知らずに刃通力を扱うなど不可能だ。強烈な想いは、どんなものであっても到達する点は同じ。

 その点に到達するのに近道なのが紋句というだけだ。そういう意味ではお前も見習ったほうがいい」


「は!? あいつを見習うだァ! 笑えねェ!」


 分かりやすく不機嫌を表情に宿した小太郎は、ギリリと歯ぎしりした。


「腐るな。それほど困難なことと覚えておけ。紋句を知っていても出来る人間とそうでない人間がいるんだ。誰の教えかは知らないが、紋句を知らなかった三代目炎灯齊が刃通力を会得したということは、お前が思うよりも奴は強いということだ」


「ヒントは終わりだ。大サービスで大目に喋ってやったぞ、報酬を弾むように武蔵に言っておいてくれ」


「……ふん」


 小太郎が鼻を鳴らすのを聞かずに神雷は部屋を出た。

 一人になった部屋で小太郎は、エンジに斬られた胸の傷を包帯の上からなぞった。


「帆村……エンジ……」


 湧き上がる感情に戸惑いながらも、その名を噛みしめた小太郎はこの謹慎中に自らが何をすべきかを強く心に命じるのだった。


 ここは人里離れた山奥、青いテントをポツンと目立たせて爺とエンジは互いに刀を持ち構えている。


「炎灯齊家臣としての使命は、現在千代が受け継いでおりますので護煙丸を持ってませんのでな。戯刀でのお相手お許しくだされ」


 表情を険しくしつつも口元に笑みを残し、爺は向かうエンジに語り掛けた。


「戯刀のことなんかより、俺の髪を返してくれ」


 目を赤く腫らしたエンジは、先ほどまで泣き明かしたことを物語っていた。

 エンジの頭はタオルを巻いている。なにかあったのだろうか。


「なにかあったのだろうか、じゃねぇぇぇ! わかってんだろ、わかってんだろ! お前らわかってんだろ! 俺の頭になにがあったかを!」


 おおう、こちらに火の粉が降るなどと考えもしなかったので、一瞬動揺してしまった。どうやら強い怨念の力で、私の声が聞こえてしまったようだ。


「坊、誰と話しておられるのですかな? 爺はここですぞ」


 爺がそういったかと思うと、その手に持った戯刀はすでにエンジの動きを捉えていた。


「んげっ!」


 反射的にエンジは炎灯齊でその太刀を受け止めた。


「えらく余裕ですな、爺の相手はそんなに退屈ですかな?」


 ギリギリと鍔迫り合いをしながら睨み合う。


「相変わらず素早いジジイだな……」


 

「ええ、仰る通り。爺はすっかり衰えました」


 力勝負の鍔迫り合いを一方的に離脱したかと思うと、半歩左後ろに下がり屈しつつエンジの足元に戯刀を振りぬいた。


「うおっ!」


 間一髪その場で飛び、それを避ける。


「刃通力を通しておりますからな、戯刀といえども当たったら軽く斬れますぞ」


「戯刀の意味ないじゃねぇか!」


 エンジは炎灯齊を脇の土に突き刺すと、その上に乗った。そうして回転しながら爺に向かって飛ぶ。


「ほほう、毎度のことながら独創的な立ち回りをなさる」


 爺を飛び越して着地すると、周りに生えた木を蹴り三角飛びで爺をかく乱しようと飛び回った。


「しかしまぁ……」


 爺は飛び回るエンジを目で追うこともせずに、その場に構えた。


 エンジは突き刺した炎灯齊に向かって飛ぶ。離れておいて、わざわざまた取りに行くのかと思わせておいて、突き刺さった炎灯齊をも三角飛びの道具にして爺に向かってミサイルのように突進する。


「爺も舐められたもんですな」


 ガッ!

「ん、がぁっ!」


 突進するエンジのうなじ辺りを手刀で一突きし、刀の柄で腹を撃った。

 だが寸でで受け身をとり、土につま先で円を描き体勢を立て直す。


「爺相手に炎灯齊を握っては分が悪いと踏んだからこそ、敢えての立ち回りですな。半分正解、半分不正解といったところですかな」


 爺が間合いを詰めてくる。エンジはゆっくりと後ずさりをすることでしか距離を保つことが出来ない。


 それは、すでに爺の太刀の間合いに入っているからである。

 先ほどまでは間合いの外だったために、かく乱するためのトリッキーな動きをしたが、今は爺の間合いに入っているため、下手に三角飛びをしたらすぐに叩き落されてしまう。


 だからこその後退、その戦法しかエンジには選択肢がなかった。


「半分……不正解……?」


「そうですとも。爺が言わずともお分かりでしょう。士ともあろうものが、命ともいえる刀を手放すとはなにごとですかっ!」


 ドッ


「う……げほっ……!」


 なにが起こったか分からないエンジと、そんなエンジの腹を戯刀の背で打つ爺。


「戦闘に於いて、以下に武器を持たないことが致命的か。武器を持たずして相手を倒すことなど……あの男でもない限り不可能でしょう」


 苦痛に表情を歪めるが、【あの男】というワードに反応し眼つきが変わる。

「な……んだ……と!」


 爺の股の隙間を滑り、炎灯齊の元に立つ。左手で打たれた腹をさすり右手で柄を握った。


「じゃあ、望み通りやってやるよ……」


 エンジは目を閉じた。そして一呼吸し、


「刃通力……」


「させませんぞ!」


 咄嗟に目を開くと、目の前には戯刀を腰に構えた爺が間合いに踏み込んできていた。


「ちぃ!」


 なんとか半身を逸らし躱す、次の太刀に備えて炎灯齊を大きく振りぬきつつも距離を保とうとした。

 だが爺の追撃は容赦なくエンジを襲う。

 ギン、ギン、と炎灯齊と爺の戯刀がぶつかり合う音が山の空に響く。


「刃通力とはそもそも臨戦態勢に入った時点で五臓六腑に走らせておかなければならないもの。そのスイッチのコントロールが出来ないのなら、それは会得したとはいいませんぞ、坊!」


「ぐぅ……! うるせ……!」


 ガッ、また爺の太刀がエンジを捉える。


「これが真剣なら、坊は一度……死んでいますぞ」


 戯刀の斬撃を食らった左肩からは少量の血が流れていた。

「だぁぁあらぁあああ!」


 力任せに炎灯齊を回転させる。誰も俺に近づくなとでも言っているようにも見えた。


 ギィィン……ッ!


 その音と共に、炎灯齊を振り回すぶんぶんという風切音が静寂に染まった。


「士道とは、力ではありませんぞ……坊。士道とは、己を殺し弱きを守るものぞ」


 巨大な炎灯齊をフルスイングでぶん回していたのを、爺は細い戯刀一本で真正面から止めた。

 そして、炎灯齊と刃を当てたままエンジの元へと距離を詰めつつ刃を走らせ、その切っ先は、一瞬にてエンジの喉元に突きつけられていた。


「本日二回目の死、ですな」


 エンジの冷や汗が爺の構える戯刀に落ち、勝負は決した。



「……とまぁ、そんな感じで一週間お送りしますけども」


「なんだそのお笑い芸人みたいな締めは」


 空は茜色に染まり、爺が持ってきた芋を焼きながらテントを背に話していた。

 爺は、袈裟姿ではなくジャージ(赤)。エンジはというと、ジャージ(緑)。とにかくジャージだ。


「……坊。抜いたのですな」


「……抜きたかったわけじゃねえよ」


「分かっておりますとも」


 爺はメガネを拭きながら、穏やかな表情だった。だけども何故かエンジにはその顔は悲しそうにも見えた。


「どうでしたかな? 感想は」


「……嫌な気分だった」


「ほう、嫌な気分ですか」


 エンジは、芋を焼いている焚き火を側に落ちていた木の枝つつき、芋の焼き加減を見る。まだ固いと判断したのか、アルミにくるまれた芋を更に奥へと入れ込んだ。


「抜くつもりもなかったし、斬るつもりもなかった。

 ……まず、炎灯齊の中身が細身の剣だなんて思ってもみなかったから、その軽さに気持ち悪さがあった。そして、その軽さのおかげで抜刀した瞬間、力の加減が出来なくて小太郎を斬っちまった。

 あれが小太郎だったから良かったけど、もしも違う奴なら……多分、胴が二つに割れていたと思う。あの時の……人を斬った感触が嫌だった」

 爺は、薪を足しながら、炎のオレンジ色の光に照らされるエンジを愛おしそうに眺め、目を細めて言う。


「初代が坊に伝えたくなかった紋句。その真意が分かりますかな」


「……どうかな」


 パチパチという気が燃えて弾ける音が、二人の空間を静寂にしなかった。

 爺が芋を一つ取り出し、硬さを確かめると、二つに割って一つをエンジに差し出す。

 

「刃を抜かなければ守れないものなど、本当は必要ないのです。ですが、帆村家は炎灯齊を伝承してしまった。その宿命があの紋句に詰まっておるのです。

 一子相伝とはいえ、二代目がああいうことになってしまっただけに、初代は坊に対してえらく頭を悩ませておったのですぞ。伝承と、孫とどちらが大事なのか」


 エンジは芋をひと齧りし、頬張りながら爺を一瞬見るとまた焚き火の火を見詰めて言った。


「今ではじいちゃんには感謝してるんだ。俺はあの時、じいちゃんが紋句を教えてくれなかったから炎灯齊を使いこなすことができた。

 俺にとっての炎灯齊は、抜刀しない、あの姿が真の姿だ。人を斬るもんじゃねぇ。

 あの男……センエツを倒したら、俺はもう炎灯齊を握らないつもりなんだ」


「それですぞ、坊」


「……?」


「初代がなによりも気にかけておったのは、坊が二代目に憎しみを募らせ、そのために炎灯齊を扱うのではないかと」


『今のお前が今のままならば、その紋句は絶対、お前が口にすることはない』


 初代炎灯齊がエンジに放った言葉。炎灯齊を握る度に何度も思い出した。

 エンジが紋句を必要としなくなった後も、この言葉だけはいつも頭から離れなかったのだ。

「小太郎に言われたんだ。人を殺す覚悟もねえのに紋刀なんて持つなって。爺はどう思う?」


「そうですな。それこそが真理かと思いますぞ」


「爺までそんなこというのか」


「坊の言うことは甘い戯言。そういった意味ではその小太郎とやらに同意しますな。ただし、信念というものは他人が与えるものでもなし、己が決めたことを信じることを言います。

 坊の信念が甘い戯言になるかどうかは、これからの坊次第ではないですかな?」


「さすが坊さん、それっぽいこと言う」


「なにを言いますか坊!? ご自分の頭をちゃんと見られましたかな? すっかり爺と同じ坊主ですぞ」


「言わやんといて、言わやんといてー!」


 エンジはほくほくのさつまいもを口いっぱいに頬張ると、空を見上げた。

 すっかりと星たちが月の周りで踊っている。


「俺の信念……か」


 爺は、さつまいもを一口頬張ると、残りをエンジに差し出して「食べなされ」と言った。

 エンジが「なんで?」という顔で爺を見ると、


「今日はよう食って寝なされ。紋句を知った今、坊にはようやく【刃通力】をちゃんと会得する資格が出来たということですぞ。この一瞬間で、きちんと習得なされよ。

 そうすれば、きっと坊の信念がなんであるか、しっかりと輪郭が出来ているはずですぞ」


「でも、俺炎灯齊は抜かねーよ。これからも」

「抜刀せずとも、守れるものはおありでしょう」


 千代とハーレイが頭に浮かぶ。

 恥ずかしくなり、慌てて頭の中の千代とハーレイを打ち消す。


「大体、抜刀紋句が恥ずかしすぎんだ! あんな恥ずかしいセリフ、人前で二度と言えるかよ!」


「あれを恥ずかしいと取りますか……。まだまだ青いですな、坊は」


「うっせ! んぐ、ほぐ、ごふぃほーはが!(ごちそうさま!)」


 そういってエンジはテントに戻り、寝袋にくるまった。

「やれやれ……困ったものですな」


 そうつぶやくと爺は先ほどのエンジと同じく夜空を見上げると感嘆の溜息を吐いた。


「たまには山にも来るもんですな。星がこんなにもはっきりと見えるとは……」


 爺の目からは一筋の涙がこぼれ落ちた。それを拭くこともせず、エンジには聞こえないように小さな声でもう一つ呟いた。



「ついに始まってしもうたか……。運命か宿命か、どちらにせよ……残酷なものよ……」


 爺の涙の軌道をなぞるように、一筋の流れ星が空に走った。


 数日後、学苑では身体基礎向上の授業が行われていた。難しく語られているが、簡単にいえが【体育】の時間である。


 エンジとハーレイの在席する壱年火組は、グラウンドで体力測定が行われていた。

 100m走と、走り幅跳び、鉄棒など。


 丁度、100m走のタイムを計っている教師の目の前を生徒が横切ったところだ。


「……12秒02」


 信じられないといった様子で教師が、今走り終えて膝に手を置き、肩で息をする生徒を見た。


「はぁ……はぁ……」


 金髪の髪がよく晴れた日に当たり、キラキラと反射している。その生徒とは北川ハーレイ。言わずもがなこの記録は学苑の現在籍生徒の中でもトップだ。


「お前、すごいぞ」

 

 驚いた顔で、ハーレイに教師が話しかけるがハーレイは穏やかに笑って


「いえ、非公式のタイムですから……実際はもっと遅いですよ」


 と柔らかく謙遜した。


 しかし、続いて走り幅跳びや走り高跳び、鉄棒などといった力を測定するもの以外の種目の記録もことごとくトップを飾っていった。

 誰もが息を飲み見守るばかりだったが、その姿を見守っている生徒達は口を揃えてこういった。


「なんであんなに運動神経いいのに、士道だけはからっきしなんだ?」


 そう、ハーレイの身体能力は外国人の血が入っているためか群を抜いていた。

 だがこと士道に於いては、一般生徒と比べて中の下、かなり下位のランキングにいた。


 それを世間の目を眩ませるためのポーズだと唱える生徒もいたが、ハーレイは至って真面目に士道に取り組んできた。

 実際、これまでも士道を覗くスポーツは誰よりも優秀、頭脳も明晰で成績も学年内でもトップだった。


 一見パーフェクトに見えるハーレイの唯一苦手とするのが士道なのだ。

 ……にも関わらず、その苦手な士道にとりつかれたかのように、彼は一途に士道に取り組んでいる。

 その報われなさを憐れむ人間もいれば、笑う人間もいた。


 ハーレイは、常にそんな目で見られながら生きてきたのだ。


 生まれ育った国さえ違えば、間違いなく誰からも人気者になっていたであろうその少年はただひたむきに、士道と向き合った。

 愚直なまでに真っ直ぐと。


 それを誰も理解が出来なかったし、しようともしない。


 ハーレイはいつもたった一人、孤独だった。

 彼の孤独な戦いは、まだまだ続くはずだった。


 ……が、エンジと千代に出会った。


 それがこの先の彼にとってどう関わっていくのか。まだ誰も知らない。


「ハーーーレイ様ぁーーー!」


 千代が呼ぶ声。


 隣の体育館では千代のいる壱年林組が室内測定を行っていた。その合間でハーレイを見つけたようだ。


「千代。……エンジはまだ山にいるの?」


 千代は水筒から温かいお茶を出してハーレイに勧めた。


「ありがとう……て、熱いねこれ。千代らしいけど」


 ハーレイは春とはいえ涼しいとは言えない空の下で温かい煎茶を飲み笑った。


「ええ、えんとーさいさまはまだ山で修業をしていらっしゃいます。帰ってくればきっと正義超人並にガチムチマッチョになっておられることでしょう……うっとり」


「気持ち悪いねそりゃ。それにしても充分強いはずなのに、それでもまだ修行とかするんだね、エンジは」


「あのお方は猪突猛進ですから。強くなると決めたらひたすらそればかりなのでございます。……まあ、もっとも今回は私の父様が無理矢理連れられたようですが」


 千代は縁側で茶を飲むおばあさんのように、ゆったりと構えている。


「彼のような天才は、凡才のことを考えてくれないからね……」


「なにか仰いましたか?」


「ううん、早く復苑しないかなー。退屈で仕方ないよ」


「左様にございますね、ふふふ」

 爺と刃通力をより自分のものにするための修行を行うエンジ。


 刃通力を独学で会得しようと特訓に明け暮れる小太郎。



 強者たちが強者にならんとその身を削り精進している間、ハーレイはいつもと同じように士道の練習を毎日行っている。


 誰も知らない。


 これを学苑に入苑する遥か前よりハーレイが行っていることを。


 食事と入浴、就寝以外の時間を全てそれに費やしていることを。


 なのに報われないハーレイの心の闇を、まだ誰も知らない……。












【士道ノ五へつづく】

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