第5話(前)

◆伝承十二本刀 所有者名簿




 1.子=旋扇齊(風):音澄 蓮


 2.丑=鋼鐡齊(土):牛尾 金太郎


 3.寅=迅轟齊(風・雷):風馬 神雷


 4.卯=飛天齊(土):赤目 まこと


 5.辰=龍伐齊(水):竜己 諒


 6.巳=鞭塵齊(木):観津智 さとり


 7.午=雷電齊(雷):馬場 トシキ


 8.申=炎灯齊(火):帆村エンジ


 9.未=流慈齊(水):羊飼 澪


 10.酉=鳳凰齊(火):朱雀 翁輔


 11.戌=咆咬齊(木・土):犬成 ゲン


 12.亥=貫角齊(雷):猪刈 十四郎

 風間神雷は暗い部屋の一角で弱い灯を点すスタンドライトの下、その名簿に目を通していた。手元にはたこせんと、テーブルに置かれた煎茶。


 煎茶から漂う湯気が神雷の顔をゆらゆらと歪ませ、そこにいる神雷を蜃気楼かノイズか曖昧にしているが、神雷は確かにここに存在している。


「伝承十二本……所有者が確定しているのは6件だと聞いていたが……。帝國政府め、何故蓑に伏すか」


 視界が暗いのでここがどこなのかは分からないが、明らかに神雷は不正に侵入して件の名簿を見ているようだった。


「学苑に《3人》も【伝承使い】が入苑するとはおかしいと思っていた。誰がこんなにも分かりやすい罠を仕掛けたというのだ。……なんてな、分かりきっているというのに」


 神雷は煎茶を一啜りすると、その名簿を持っていたカメラで写真に収めた。


「いや、これはメッセージだととるべきか。帝國からあの男に向けたサインか……よもやこれをただの偶然だとは言うまい。」


 神雷は名簿をテーブルに置くと、もう一つ置かれていたファイルを開いた。

 彼の目線を追ってみると、それは年度別の出来事が記されており、特に大きく扱われたものに関しては、新聞などの記事の切り抜きが貼り付けてあった。


「俺の睨んだ通り事が運ぶとすれば……必ず奴は卒苑式に現れるはずだな」


 神雷が見つめる先の記事には、『刀狩に新勢力現る! その名は【無銘屋】』大きく見出しが躍り、写真には一人の男の後ろ姿が映っていた。


「会えるのを楽しみにしているよ。……千人殺し」


 神雷はそう言うと静かにファイルを閉じた。

 エンジ達が入苑して、一年が経った。


 晴れて2年に昇級したエンジや千代、それにハーレイ達。


 彼らにとって初めての学苑生活。そして、寮生活。


 あらゆる初体験の中、切磋琢磨しお互いを磨き続け1年はあっと言う間に過ぎ去っていった。

 案の条、小太郎との一件以来エンジと小太郎は執拗に距離を離されているが、エンジも小太郎もまた自らの未熟をあの一件で思い知ったために、それについて騒ぎ立てることはなかった。

 だが、そんな中でも二人の関係性は相も変わらず、険悪なものであるのには違いない。二人は卒苑までには決着をつけたいと思っていた。

 爺によってつるつるのぴかぴかのスキンヘッドに処されたエンジは約3か月をかけて元の髪型を再生させ、同時に刃通力を更に自らのものにすることに成功。

 独学で刃通力を学んでいた小太郎はというと……これは今後のお楽しみということにしておこう。


 さて、1年経った彼らの様子を覗き見る前に、この学苑における仕組みを一つ説明しておこう。

 士道学苑では、学年を跨いだ行事は皆無であり交流を持つことも基本的には禁じられている。その理由は、まず学苑生活を通して帝國が推し進めている【鎖国】を身体で覚えてもらうことにある。 

 どういうことかというと、毎年学年ごとの仕上がりに応じて、その年の教師によって学ぶ内容が変化するのだ。

 《士道学苑》である以上、当然だが士道について学ぶのだが、教科書やマニュアルに頼ったものではなく、あくまで受動的なものなのだ。

 最低限のノルマや試験はあるが、それらを学ぶ内容はその年の学年によって全く違う。生徒達はまず、自分たちが学んでいる内容が流出しないように秘密保持に努めなければならないのだ。帝國に魂を捧げる士道刀士たる者、自らの命ともいえる士道の心を外に漏らしてはならない。

 これは1年、2年、3年全ての学年に於いて同義であり、学年ごとに生徒達は授業の内容を漏らさないよう他学年の生徒とほとんど交流も持たされず、合同での授業もない。

 紋刀でも特に希少とされる伝承十二本刀の内一本を所有するエンジは、1年生(現在は2年生だが)の間では有名人だが、3年や2年にはその情報は行き渡っておらず(この情報もまた秘密保持の一つとして定義されている)、実際学苑に何人伝承使いが存在していてもそれを知る術はないのだ。

 しかしそれはあくまで生徒側での話である。

 教師や講師はその情報を共有していて、冒頭で神雷がつぶやいた「3人」というのはそういったところからきているのだ。

 さて、エンジがその3人の内の一人だとするのならば、他の2人は何年生にいるのだろう。可能性としては既に2年生と3年生の2択ということになるが……。

 それでは正解の場面をご覧いただこう……というわけにはいかないが、ここからは展開を見守って頂きたい。 


 エンジと小太郎の一件からちょうど1年後ということなので、新入生の入苑式が終わってひと月くらいが経過した……5月頃。

 場所は、エンジ達のいる2年校舎……ではなく、一年上の3年校舎である。

 クラスは学年を問わず風組、林組、火組、山組の4つのコミュニティで分けられており、それぞれを○年風組、○年火組と呼んでいる。

 ――3年山組。


 朝礼が始まる前の教室は、生徒同士の話し声で騒がしい。

 ふざけて鞘を当てる生徒や、黒板に落書きをする生徒、何人かで集まり話に花を咲かせる生徒。

 その中で青龍刀の形状をした派手な装飾が成された紋刀を肩に抱いた、ひょろりと痩せ薄青いレンズのサングラスをかけた、癖のある長い髪の毛を一つに束ねている男子生徒がなにかに気付いたように天井を睨んだ。


「……ん、これぁ……」


 そのいつもと少し違う様子に気づいた緑色のメッシュを入れた前髪の長い男子生徒がつられて天井を見る。


「なんだ? なんかあるのか、諒」


 諒と呼ばれたひょろ男は紋刀の鞘と柄の間に挟んだ爪楊枝を歯に挟むと、口元を緩めて、ひゃっはっはっと可笑しそうに笑い、言うのだった。


「いやあね、どうも今年もこいつが騒ぐんじゃ」


 クリームパンを小さくちぎっては口に運び、じれったくなるくらいにゆっくりちびちびと朝食を取っている、諒の向かいに座っている出っ歯で目の下にクマのある生徒がガラガラの声で「それって、やっぱり伝承使いが1年に入ったってこと?」と諒に尋ねる。


「確証はねぇがね、まあ十中八九その可能性が高いぜよ」


 天井から諒に目線を落とした緑メッシュの生徒は、持っていた紙パックのピーチジュースをネズミの鳴くような音を立てて吸い干す。


「去年もそう言って調べたら《申》の伝承がいたんだよな。ってことは3年連続学苑に伝承使いが入ったってことか? どうなってんだよ気持ち悪い」

 諒は抱いた紋刀の鞘の付け根部分にある【辰】の紋章を流し見しながら、しーしーと爪楊枝を刺した歯の隙間から音を立てるともう一度ひゃっはっはっと声を上げて笑った。


「面白いこともあるもんじゃのう、そいつらが士道に入るなら盛り上がるがじゃ! 大歓迎ぜよ、ひゃっはっはっ!」


 実に楽しそうに笑い声を上げる諒につられて、緑のメッシュと出っ歯も声を出さずに笑った。




 ――2年火組


「……マジか」


 エンジは炎灯齊を握り、呆れたように言った。


「どうしたの? エンジ」


 そんなエンジに何事があったのかとハーレイが顔を覗き込み尋ねた。


「伝承使いだよ。多分、一年に入ってきたんだろ。……ったく、なんで入苑式直後じゃなくて今なんだ」


 エンジは面倒そうに話すが、ハーレイはその話に前のめりで食いついた。当然である、何万本とある紋刀の中でたったの十二本しかない伝承が、エンジと神雷を含め、さらに学苑に増えたというのだから。帝國の国民……特に士道に関わっている人間にはたまらないことなのである。


「え! 今年の1年にも伝承使いが入ったってこと!? すごいじゃん!!」


「あー……まぁ、確率的にはすごいのかもな。なんてったって学苑に《3本》だからな」


「そうだよね! 百虎(神雷)と炎灯齊、そして新入生……生きている内に伝承に3本も出会えるだなんて思ってもみなかったよ!」


 興奮げに話すハーレイの顔を見詰めて黙っているエンジ。

 その物言わぬ視線に気づいたハーレイは、怪訝な顔でエンジを見た。


「な、なに? なんか変なこと言った?!」


「ん、あ、いやな……、神雷を入れていいなら4本なんだ」


 エンジの放った言葉の意味が理解出来ずにハーレイは眉を上下させて固まっている。

 必死で自分なりの回答を探している様子だった。


「え、だって神雷と新入生とエンジで3人でしょ?」


「そうだけどよ、多分3年にも一人いる」


「えーーーーー!!」


 ハーレイらしからぬ大声に教室中の生徒が二人に注目した。こういう好奇の目に敏感なハーレイはすぐに肩をすぼめると、周囲に気を払いながら小声でエンジに聞く。


「そんな、なんで言ってくれなかったんだよ!」


「言ってくれなかったとか言われても、聞かれなかったしな……」


 困ったようにエンジは話す。その反応にハーレイは呆れた顔で溜息を吐き、次に続けた。


「……エンジ、あのね。伝承使いってのはキミが思っているよりもずっと貴重な存在なんだよ。半分はその行方すらも不明だって話だし。普通の士なら大騒ぎだ……よ」


 言葉の最後の方でなにかにひっかかったのか、ハーレイの言葉が少し詰まった。


「あのさ……伝承同士って、近くにいると分かるの?」


 そう、先ほどの諒にせよエンジにせよ、実際会ったわけでもないのに伝承の存在に気付いている。これにはやはり伝承ならではの特殊能力があるのでは、とハーレイは思ったのだ。


「ああ……まぁな。その代わり刃通力に通じていないと共鳴しないっぽいけどな。入苑式で神雷を見たときに初めて共鳴したんだけどさ、その後もちょいちょいこいつが共鳴すんだよ。それでおかしいなーと思って爺に聞いてみたら、どうやら伝承同士は近い距離にあると呼び合う性質にあるらしい。ま、俺にはどーでもいいけどな」


「よくないよ!」


 再び大声で突っ込むハーレイに注目する生徒達。


「お前、今日はえらく前に出るよな。イメチェンか?」


「うぅ~! もういいよ、また後でちゃんと聞くからね」


「いいけど、こんな話聞いてなにが楽しいんだ?」


 チャイムと共に教師が入室したのでこの会話は中断された。ハーレイはあからさまに消化不良だというような顔つきをして離れた席についた。


「えーじゃあ、今日は士歴2の3章からな、帆村、読んでくれ」


「教科書忘れました!(スチャッ)」


「はい廊下ね」


「スチャッ!」

 ――一方、1年林組の教室。



 教壇でメガネをかけた教師が生徒達を見渡してコホン、と一つ咳払いをした。

 

 教師の横には、髪を二つに括り縦長に束ねた女生徒が後ろに手を組んで教師と同じように自分に注目している生徒達を見渡しニコニコと笑顔を振りまいている。

 その独特な髪型は、まるで絵で描くウサギの耳のようで見る者によっては可愛らしく、またはおかしくも見えた。

 だが、誰もがそのウサギの耳のような髪型に目を奪われた後、もう一つ普通とは違うところに気が付いた。それに気付いたものはみんな、耳のことなど吹き飛ぶほどの衝撃を受け、口が半開きになっている。


「え~……ご家庭の都合でキミたちよりもひと月ほど遅れて入苑してきた生徒を紹介する」


 メガネ教師は彼女を紹介する前に、入苑よりも遅れて入ったその女生徒の事情について説明した。しかしそんなことよりも生徒達はまことの目ばかりに気を取られている。


「本来、学苑に於いて都合で入苑時期が遅れる……なんてことはあってはならないし、認められてもいない。しかし、彼女は特別扱いになるのでひと月遅れての入苑を許可された。

 ここまで話せばもう分かるね?」


 誰かがそのことに気付き、ひそひそと話し始める前に、教師は先にその疑問を解消すべく先に話した。


「では紹介しよう、【赤目 まこと】くんだ。 赤目くん、自己紹介を」


 教師に促されて一歩前に出た女生徒は、甲高く可愛らしい声で「はい」と返事をし、一つ大きく息を吸った。

「みんな、よろしくね! 赤目まことっていいます! ピッチピチの15歳、身長164㎝、スリーサイズは83・55・81のDカップで体重は内緒!

 好きなタイプはスネイプの小村卓也で、あ……でも肉体的に好きなのはイグジッドのHAROかなァ~……あの胸板が、どうもたまらなくて。

 処女でキスもまだなんでイケメンの人、まことは狙い目っすよ!」


「赤目くん、もういいよ」


「いやいや、まだ大丈夫です! チャームポイントはこの真っ赤な目!」


 赤目まことは、名は体を表すを地で行くかのように本来黒いはずの赤目を指差してにこりとアヒル口をにっこりと釣り上げた。

 そう、彼女の耳のような髪よりもインパクトがあったのはこの赤い目である。


「みんなこれ不思議でしょ? でもかわいいでしょ? これはねー赤目家には代々受け継ぐお目々なんだよー。

 なんでこんな目なのかというと……ジャーン! これ! 実はまことは伝承使いなんだよねー!」


 白い小ぶりな脇差のようなサイズの刀を取り出し生徒達に見せびらかした。伝承というのにはあまりにも小さい紋刀だったが、鞘には【卯】の紋がしっかりと刻まれていた。


「赤目くん、『いい加減にしなさい』という意味で言ったんだ! 早く席につきなさい!」


「え、マジで!? もしかして入苑早々、まこと怒られちゃってんの?! げげー」


「早く、席につきなさい! ほら、あそこに空いている席があるだろう!?」


 苛立ちメガネの高さを調整しつつ、メガネ教師は声をやや荒らげて一つだけ空いている中央付近の席を指差した。

「はぁい!」


 若干スキップをするような足取りで指名された席に着くと、右左前後をキョロキョロと見渡して周囲の生徒の顔を見た。


「あ! ねぇねぇ、キミ、かっこいいね! まことの処女もらっちゃう?」


 右隣の男子生徒に肩を寄せると伏し目がちに覗き込む。

 唐突にとんでもないことを言われた男子生徒は、明らかに動揺した様子で「え、え、しょ、処女!?」と返事を詰まらせている。


 その表情を楽しそうに見てまことは「あ、でも」と付け足した。


「条件はまことよりも強いこと! これ、絶対条件ね」


 と鞘を当てた。


「赤目まこと!」


「すんません!」


 その様子にもう一発怒声が飛ぶ。反射的にまことは謝った。


「思春期なもんでつい……」


「それは自分で言うもんじゃない!」


 まことは手に持った伝承【卯】・飛天齊から伝わる微量な振動を感じアヒル口で笑った。


「なにこれこの振動はじめて!? もしかしてこれって、他にも伝承使いがいるってこと? もしそうならチョーテンション上がるんですけど」


 そう呟くとクスクスと声を殺した。

 学苑では、寮生活が始まっている。

 ここ士道学苑の寮生活のシステムは、月曜から金曜日が義務生活とされ規則として全生徒の団体生活が強要される。

 しかし、土曜日と日曜日の週末の二日間は選択日とされ、自宅で週末を過ごすか、または寮で過ごすかを選択できるという生徒と家族に対する配慮ともとれるシステムだ。

 これはあくまで実家側の承諾と学苑の許可が認定されている生徒に限り、素行の悪い生徒や、単位等が足りていない生徒に関してはこの全てではない。

 また入苑式から2週間(新入生は1か月)は、準備期間としてそれぞれの学年生徒に帰宅することを許されている。

 この間は学苑の機能も最小限とされており、一年間で唯一の長期休暇となる。この期間中に生徒は故郷に帰ったり、羽を伸ばしたりするのだ。

 そういう訳でほんの1週間ほどまえまでエンジ達も休暇に入っていたわけだが、ご想像の通りエンジは爺に強制的に修行を課せられ、千代はそのお供。 

 小太郎は優雅なバカンスを満喫しつつもそこでの特訓も忘れず、神雷に指南を受けた。


ではハーレイはどうしていたのか?


 ハーレイも相変わらず、特訓していた。故郷には帰らず、休暇中はずっと学苑寮に滞在し、休暇の間睡眠時間も削り、ただただ寡黙に士道の特訓を繰り返していた。


 

 ハーレイには身寄りがない。


 幼い頃、母は蒸発し行方知らず。父親の存在など知ることもなかった。気が付いた頃からハーレイはずっと一人だった。

 彼が育った環境もまた、そういった孤児を保護する施設であった。

 理由は様々だが、そこには訳アリの子供たちが在籍し、その中の一人としてハーレイは育った。訳アリの孤児たちは、明らかに自分たちと違う目の色髪の色のハーレイを親に捨てられた苛立ちの捌け口にし、ハーレイは訳も分からずそういった虐めに耐えてきた。

 施設の保護員たちも、一人金髪で日本人ではないハーレイを執拗に避け続けた。


 ハーレイはずっと一人きりだった。


 穏やかな性格で、なにをされてもじっと耐えてきたハーレイだからこそ、学苑での周囲の目に耐えることも出来たのだろう。

 彼が育った施設では、みんな士道に夢中になった。

 憧れの的であるスター的存在・風馬 神雷を始め、捨てられた子供たちが強さを求めるのは必然的であった。

 もちろん、ハーレイも例外ではなく、テレビの画面に映る士道の士に強い憧れを抱いたものだ。

 だが神は残酷だった。

 彼に士道センスだけを与えなかったのだ。


 

 外国人の血が入ったものが士道をやっているなど前人未到のことだった。そんな人間は今までいなかったからだ。

 だからこそハーレイは異様に目立ったし、士道のセンスだけがなかったハーレイの立ち回りを誰もが嘲笑った。

 士道でさえなければ、ハーレイは他の分野で活躍できたかもしれない。彼の見た目が外国人であっても。だが彼は士道を選んだ。

 何故か。

 答えは簡単だった。自分を虐げた国の国技で、周りを見返したかったからだ。見た目は違っても、魂は帝國国家日本にあり……と。

 この国で生まれ育った彼にはこの国以外に故郷はない。スウェーデンの血はあっても、かの地になんの馴染みもないのだ。

 だが彼が士道にストイックに取り組めば取り組むほどに、士道は彼から離れていく。

 そんな中、初めてできた親友エンジ。

 エンジの存在は彼の心を癒すことはできたが、仲が親密になればなるほどハーレイと士道との距離が離れていく感覚。決定的な違いがエンジとハーレイの間にあることを、この時の二人はまだ知らない。

 ガリガリガリガリガリガリ


 その音が聞こえると、誰もが道を開けるようになった。

 この一年で、すっかりエンジは学年での顔になったのだ。エンジの横にはいつも千代がおり、ハーレイがいる。千代はともかくハーレイをよく思わない人間は増えていった。


『弱いから強いやつにひっついている』

『媚びた外国人風情が』


 その様子はハーレイに対して、更に残酷な評判をつける。

 ……ただ、友達であるだけなのに。それすらも許されないのか。

 エンジはハーレイにとって羨望の象徴でもあった。炎灯齊を持って戦ったときのあの圧倒的な姿がハーレイを強く惹きつけたのだ。

 彼の求める強さがここにある、と。だから他人から何を言われても一番近くでエンジを見たかった。もちろん、友情の延長線上で。

 だが本音の奥底ではエンジといる一番の理由、それはなにを差し置いてもやはり友達だからだ。それをなによりの誇りにも思っていた。


「ハーレイ様、今日の特訓……千代も混ざってもよろしゅうございますか?」


 千代も友達として、ハーレイをいつも気にかけている。ハーレイにとっては彼女の存在も計り知れないほどに大きい。


「ああ、迷惑でないならお願いしようかな」

 千代は満面の笑みでにっこりと笑うと、エンジにぴったりと着き


「えんとーさいさまぁ、今日一緒に特訓しましょおよ~お」


「嫌だ。寝る。以上」


「そんなこと言わずに、一緒に強くなりましょうよ!」


「うっさい、お前みたいなマユゲチビと一緒にやって強くなれるか」


「まぁあああああ!」


 ゴギン!


「痛ってぇぇえええ! ゴギン?? ゴギンって言った!? それお前爺の奴じゃねえか! っつうか主に暴力振るう? ねぇ、ねぇってば」


「これが現代の主従の在り方です! 時代は変わるのです!」


 エンジは「わかった、わかったよ」と手のひらを見せて制止するジェスチャーを取った。その手のひらの前で千代はふふん、と鼻息を吐く。しかし、その手のひらの中指を曲げ親指がその中指を押さえる形に変形し……


 バチン!


「ンッマァアァアア!!」


 頭を激しく後ろに仰け反らせた千代は断末魔を上げた。俗にいうデコピンである。


「してやったり!」


 エンジはガリガリと音を立ててその場から全力で逃げ去っていった。

「うぅ……三代目炎灯齊……許すまじ……許すまじ……」


 おでこをさすり、涙を流しながら千代は般若の形相でその後を追いかけた。その様子を微笑ましく見守っているハーレイの耳にひそひそと話し声が聞こえた。


『恥ずかしくねーのかよあいつ』

『マジで士道学苑から消えてほしいよ』

『さぞ気持ちいいんだろうね、伝承使いの友達気取りは』

『あんなもん絶対、帆村の御情けだろ? 分かってないのがマジで痛いわ』


 ハーレイは、ひそひそと話す声に向き直ると腰に差した仮紋刀を構えた。


「僕のことをどう言おうが自由だけどね、士道の士ならば剣で僕をねじ伏せたらどうかな。もちろん、真剣【死合】でね」


 ハーレイが睨むと群れた羊が散らばっていった。


「命を奪う覚悟も、失う覚悟もないのに……なぜ僕だけが」


 ギリッと歯を食いしばるハーレイの目の前に、散っていった生徒達の中から腕組みをしてハーレイを睨む小太郎が現れた。


「全く同感だぜェ。北川ハーレイ」


「……小太郎くん」


「おォおォ、気安く呼んでくれんじゃねーか」

「すっかり大人しくなったね」


 ハーレイは小太郎を前に構えを維持しつつも、睨み返した。


「言うようになったじゃねェか北川ハーレイ、こりゃ俺への挑発かァ?」


「……。 それで、同感というのはなにかな」


 小太郎は腕組みしたまま、戦意がないことをアピールすると少し口元を緩める。


「なにかもなにも、そのまんまの意味だよ。射し合いの覚悟もねェくせになんとなく士道を志すカスどもにゃ、お前をあーだこーだ言う権利なんかねェよなァ」


 小太郎が仕掛ける気がないのを悟ると、ハーレイは構えた刀を下し小太郎の話を聞いた。


「俺はお前が嫌いだしよォ、この学苑にお前がいること自体腸が煮えくり返りそうだ。

 けどよォ、それを言っていいのは俺だけだと思うンだよなァ。

 俺にはお前が言う斬る覚悟も切られる覚悟もある。っていうか実際斬られたしな。

 この痛みを分かる人間にしか紋刀ってのは手を出しちゃいけねェんだ」


「何が言いたいんだい」


「まァ、焦んな。知ってると思うがあの一件以来、俺と帆村の距離を離させようと委員会が画策しやがる。……それはいい、俺もアホじゃァねェんだ。奴との決着は時期じゃねェ。その時は勝手に来るだろうしなァ。それよりも……奴、帆村はなんであれ以来抜刀しねェ?」


 小太郎の口元から笑みが消えた。

「さあね、僕にだってそんなことはわからないよ。

 ……ただ、本人は『抜刀するのは嫌いだ』って言ってたから、好みの問題じゃないのかい?」


「ざけんな! 好みだァ? あいつが抜刀出来るんならと思って宿敵認定してやったのによォ、あれ以来授業ですら抜いてねェなんて笑えねェぞ!」


 小太郎はやや言葉に荒ぶりを含めてハーレイに詰め寄る。ハーレイも他の生徒に比べれば背が高い方だが、それよりもまだ身長が高い小太郎は上からハーレイを睨みつけて凄んだ。


「そこについては僕も同意見さ、小太郎くん。 エンジは抜刀する行為を嫌がっている。

 いくら特例扱いだからとは言え、紋句を知った以上は抜刀しての訓練は必要だ。

 でも彼はそれすらも拒否し、相も変わらず巨大な鞘を納めたままで戦っている。

 それはきっと……斬られる覚悟はあっても斬る《勇気》がないんだろう」


 小太郎は意外そうな表情に変わると、近い距離で睨みつけているハーレイの目を見て本心で言っているのだと悟った。


「……意外だな。お前がそんな風に思っていたなんて」


「僕ならあの時、間違いなくキミに止めを刺していた」


 ハーレイがその言葉を言うと、二人は睨み合いながらわずかな沈黙がのしかかった。


「……ほォ、なるほどそりゃ真理だ。お前、勿体ねェな。そこらの奴よりもよっぽど士魂あるぜ」


「キミから褒められるとはね。ありがたく受け取っておくよ」


 小太郎は一歩引き、ハーレイと少し距離を空けた。ハーレイはまだ小太郎を見ているが、睨みつけるとは少し変わっていた。



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