第12話




 その扉を開けると、いつもの面々が馬鹿ヅラ下げて、酒を呑んだり干した肉を食いちぎったりして、ダミ声や高い声が不協和音のように空間を漂っていた。


 わざわざ耳を澄ませてまで、彼らの会話を聞きたくはないが、耳に入ってしまう。

誰も彼もがくだらない下世話な話や、誰が一番強いかという最強論を講じ、広い大部屋を狭く思わせるほど、犇めき合う愚か者たちで満ちている。


 扉を開けた本人はと言うと、うんざりするほど同じ光景を毎夜毎夜繰り返す愚か者たちに溜息を撒き、その中の1人の元へと迷わずに歩いてゆく。


 その人物が横切るとはしゃいでいた輩たちが一瞬止まり、好奇の目でその尻を目で追いかけ黄色いというにはあまりにも濁った歓声をあげその登場に歓迎する。


 彼らが舐める視線で追う尻を私も追ってみる。なるほど確かにこれは安産型……失敬、その尻の持ち主が向かった先には、我々も目馴染みのある1人の男がカツオの燻製を喰らい焼酎を飲んでいた。


「いくらお尋ねもんじゃからっちゅうても、こう毎日毎日乾きもんばっか食うちょるとさすがにフラストレーションも溜まるぜよ。 お前さんもそう思わんか」


 独特の土佐弁を操るこの男……竜巳 諒は目の前で立ち止まりなにかを言いたそうにしているその人物に声をかけた。


「そんなことよりも、ここに居る男たちの視線のせいで食欲が削がれるよ」


「そりゃあ……お前さんの恰好にも問題があるぜよ」


 短く刈ったベリーショートの髪。白いタンクトップは腹を隠さずどちらかというとスポーツブラの形状に近い。露出した腰回りはというと見事なくびれとしっかりと割れた腹筋。これまた丈の極端に短い短パンからは二本の筋肉質だがしなやかな脚が伸び、視線の終着にはデザインよりも動きやすさを重視したであろう底がスプリングの形をしたスニーカーを履いている。

 女性らしいといえばどうなのか分からないが、これだけ露出をしていれば男であらば誰であっても一目は見るであろう出で立ちである。

「それはそうと


 よく日に焼けた褐色の肌が艶やかに光を跳ね返し、鋭い眼光が諒を見詰める。


「とんでもないところに潜伏しているな。ここまで来るのにも一苦労だったぞ」


「そうじゃろう。ジョニーの一件で完全にわしの顔が割れてしもちょぅたからのう。しかも、肝心なジョニー・神雷の暗殺にも失敗したとあっちゃあ他の刀狩からも舐められてしもうちょう……立つ瀬がないってもんぜよ」


「ふん。そんな顔には見えないがな」


 諒は彼女の返した言葉に声を上げて笑うと、一息息を吸いジョッキに入れた焼酎をグビリと喉に流した。


「まあどこまで真剣に聞くかはお前さんの自由じゃあ。勢力を立て直すまでは時間も必要じゃし、今回の失敗は情けないが事実には変わりないぜよ。汚名返上と行きたいところじゃが今は時期じゃない」


 諒が彼女にまあ座れや、と近くのテーブルを勧め、座ったのを見届けると「おおそうじゃ」と枕を置き


「卒苑おめっとうさん。わしのおらん学苑生活はさぞ寂しかったじゃろう」


「伝承持ちということ以外特に目立ちもしなかったお前がいなくなったところで学苑生活はなにも変わらなかったよ。お前が刀狩だったって話ですらほんの1,2週間もすればすっかり熱は冷めたからな」


「なんじゃあ、そりゃあ寂しいのう。人当たりは良かったはずじゃがのう」


 女は「なにをわざとらしい」とおどけてみせる諒にぴしゃりと札を張った。

「それでこんなところにまで呼び出しておいて、なにを望んでいる」


「はっはっはっ! 【こんなところ】までわざわざ話を聞きに来たっちゅうことはそれなりのスケベ心があったっちっrくぁQゅうことじゃろう?

 望んでいるのはわしじゃのうて、お前さんじゃろうが。筆頭三年生・珠城 桐乃(たまききりの)」


 心の中を見透かされたからなのだろうか、女【桐乃】は登場してから初めて鼻を鳴らして微かに笑った。


「望んでいるのはオレ……か。あながち間違ってはいないかもしれないな。退屈しない仕事だろうな?」


「そりゃあとびっきりの材料を用意しちょるぜよ。あとはお前さんの好きなように料理しちょればええ。ほら、誰かうさんくさい料理人がテレビで言っちょるじゃろう? 『料理は楽しんで作りましょう』と」


「料理など興味はない。いいだろう……とにかく、【これ】を持って帰ればいいのだな? そしてその手段になにをしてもかまわない……」


「察しが良くて助かるぜよ」


 桐乃のテーブルには一枚の写真が置かれていた。そこには一本の紋刀が映っており、その刀がなんなのか、桐乃にはすでに分かっていた。


「これを欲しがるとは酔狂な」


「どうもそれを千人殺しが狙っちょるって情報があってのう。それなら先に頂こうっちゅうわけじゃ。これを依頼するのにお前さん以上の適任はおらんからのう」


 胸の間に写真を挟み立ち上がる桐乃は諒を見下し「で、報酬は?」と端的に聞いた。

「そうだな……この飛行艇が二隻買えるくらいの金と……こいつでどうじゃ?」


 ゴト、とテーブルに手首に装着するタイプのブレスレットのような機器を置いた。


「これは……」


 そこまでで言葉が詰まる桐乃は、にやりと口角を上げると「いい話だ」と素直な感想を述べた。それは同時にこの仕事を受けるという意味も内包していたのは言うまでもない。


「うちと【ヒデヨシ】くらいしかまだこいつを持ってない。まぁ……お前さんが普通の人生を歩もうとしているのなら不要の産物じゃろうが」


「お前も人が悪い。普通の人生? ……そうだな、士としては至極まっとうな道を往くつもりだ。多くの刀を操る士の匠になる……という道をな」


 きゅうりのスライスをジョッキに入れ、箸でカラカラとかき混ぜながら諒は「そいつぁ今持って行っていいぜよ」と言った。


「……いいのか」


 少し驚いた表情を見せる桐乃を見ずジョッキに焼酎を足す諒は言う。


「これからパートナーになるかも知れん重要な上客じゃからのう。信頼関係は必要じゃろう? これはそのせめてもの意思表示ぜよ」


「面白い」


 ブレスレットを取ると、踵を返しまた引き締まった尻の左右をうねらせてその場から桐乃は去った。その尻を愚か者たちがまた追っていたのは言わずもがなである。


「いいんですか頭。いくらキレ者だからって言っても所詮卒苑したての士でしょう」


 桐乃が去ったのを確認してからキツネ面を頭の後ろにかけた緑メッシュの男が諒に小声で聞いてきた。

 諒は箸できゅうりのスライスをジョッキの底に押し込み、カツオの燻製に生姜を乗せて頬張る。頬を膨らませ咀嚼している間、キツネ男は黙って諒が次に言う言葉を待っていた。

 やがて喉を鳴らして燻製を焼酎で流し込んだ諒はにたりと笑いキツネ男に向けて、


「なにを言っちょる? 珠城の本性はぶっ飛んどるぜよ。ああ見えて手段を選ばん女じゃ。敵にすりゃ面倒じゃが、味方にすりゃ頼りになる典型的な危険人物ぜよ」


 キツネ男は諒の話を黙って聞きつつも桐乃が去った後の扉を見詰めた。


「珠城 桐乃……」


 桐乃のことを学苑で数回見かけた程度のキツネ男は、諒の言う彼女の潜在能力を疑問視しながらも疑いを含む言葉を返すことはなかった。



「珠城 桐乃……ですか」


 学苑の校長室ではエンジ問題の解決に燃える杜永やしろがその名を反芻していた。


「そう、前年度の筆頭生徒だよ」


 棒立ちで手に持った写真を見詰めるやしろの前には校長の机に肘をかけてニコニコと笑う校長がいた。


「その前年の筆頭生徒がどうしたのですか?」


 顔を隠した写真をずらし、覗いた瞳を校長に見せた。

 やしろの目に映った校長は完全に胸を凝視していたがすかさずやしろの顔を見上げ、ニコニコと変わらない笑顔で迎えた。


「(すっげーおっぱいだな)今回の乱れ太鼓のサプライズゲストとして呼ぼうかと思ってるんだよね。前年度の筆頭生徒としてさ、ちょっと現三年生に喝を入れる意味でもいいと思うんだよね」


「ですが、もしも珠城桐乃が勝ってしまったらどうされるんですか?」


「(すっげーおっぱいだな)それはそれで今期の筆頭三年生と擁立しないだけだよ」


 やしろは目を見開き手に持った桐乃の写真を腰に振り下ろして「そんなのダメでしょう!」と大きな声で言い、校長はビリビリと声の波動を上半身に受けた。


「……お、落ち着いてよ杜永先生。ほら、今回の三年生ってさ帆村くんや佐々木くんを始め、やんちゃな生徒が結構目立ってるじゃない?

 今のところ頭ひとつ帆村くんが突出して目立ってるけど、梶君とか緋陀里君も結構有名人だろう? 前年はおとなしいと思ってたのに、まさかの刀狩が生徒にいたけどね」


 校長の言葉を受けて、写真を持っていないほうの手で少し納得したようにメガネの位置を直すと、やしろは分厚い唇をぺろりと舐めて唇を噛んだ。


「(すっげーエロさだな)どうかな? ボクの意図は理解してくれたかな」


「まぁ……確かに。彼らにはそのくらいのほうがいいかもしれませんが……」


「理解が良いね。さすが才色兼備持ち合わせた杜永先生だ。それにもしも珠城くんが勝ち上がったとしてもそれはそれで今回の三年生の力量を計る上でもいいデータ収集になるだろう?」


「……わかりました。ではそのようにさせて頂きます」


「ありがとう。期待してるよ杜永先生。(すっげーおっぱいだな)」


 やしろは「失礼します」と一声残すと校長室を去った。

 やしろが去った後、校長は両手の手のひら組みその上に顎を乗せると真剣な面持ちで物思いに耽る。この乱れ太鼓に珠城 桐乃を呼び出すことによほどの理由があるのかその表情はこれまで見せたどの顔よりも鋭く、権力者であることを覗かせている。


「……それにしても……すっげーおっぱいだったな……」


 全てに於いて前言を撤回したいと思う。



 

「珠城 桐乃? ああ、去年の筆頭生徒ですね」


 白衣を着たぽっちゃり系教師が汗ばんだ脇の下をウェットティッシュで拭きながらやしろの問いに答えた。


「そうです。今回の乱れ太鼓にゲストとして呼ぶらしいんですが」


「おお、そりゃいいですね。この新3年には丁度いいですよ」


 ぽっちゃり系教師の隣の席に座っていた、白髪を混じらせたベテラン教師っぽい教師がぽっちゃり系教師の話に乗った。


「みなさん同じことを仰るんですね。私はあくまで現3年は現3年でするのが一番自然なスタイルだと思うのですが……」


 やしろはほうじ茶の入った湯呑で茶を啜り近くにあった砂糖をまぶした醤油おかきを乾いた音で砕いた。


「だけど校長のいうことも分かるので、甘んじて納得をしたんですが」


「それを納得というんですかねー」


 ぽっちゃり系教師がハフハフと苦しそうに笑う。それにしてもどこからこんなにも汗が噴き出してくるのだろう。


「あれ? 杜永先生って学苑(ここ)に着任してどのくらいでしたっけ」


「私ですか? 今年で3年目ですが」

 

 ベテラン教師が「ああそうか」と一人で勝手に納得した素振りを見せ、なにに納得しているのか分からずやしろはもう一つおかきを口に放り込んだ。

「乱れ太鼓に前年筆頭生徒がゲストで参戦するのは別に異例って訳じゃいないんですよ」


「え?! そうなんですか」


 やしろは噛み砕こうとしたおかきを口から零してしまい慌てて手で救おうとするが、おかきは掌でトランポリンのように跳ねてやしろをからかっているように踊って落ちた。


「ああ、そっかぁ。杜永先生は知らないんだねー。4年前の乱れ太鼓には伝承使いの生徒が筆頭生徒OBとして参加したし、02年度なんてゲストが優勝しちゃってその年の上半期筆頭生徒は結局2番目に勝った生徒だったから、なんか盛り下がっちゃったんだよねぇ」


 なにがおかしいのか、一向に噴き出す汗が減りそうにないぽっちゃり系教師が、自分の机に置いたカルピスの原液をラッパ飲みし、やしろを絶句させた。


「しっかし、前年の珠城……でしかな? あれはすごい生徒でしたよ」


 ベテラン教師の含みのある物言いに引っかかったやしろはそこを聞かないわけにはいかなかった。


「私は顧問業に就いてませんでしたし、新一年の副担任を務めていましたから……。残念ながら珠城という生徒についてはほとんど知らないのですが、どういった風にすごかったのでしょう?」


 ベテラン教師がバインダーに挟んだ名簿を眺めペンの逆さの頭をこんこんと叩き、やしろを見ずに珠城 桐乃についてこう答えた。


「まず、長い学苑の歴史の中で乱れ太鼓を制した唯一の女子生徒だということ。着任して間もない杜永先生でもお分かりかと思いますが、女性が士道に参入するようになってしばらく経ったとは言えまだまだこの学苑に於いて男子生徒の割り合いが圧倒的に多い。

 しかも3年生の乱れ太鼓と言えば最も野蛮で危ない行事。そもそも女子生徒はあまり参加しないもんなんです。その中で彼女の実力は目を見張るものがありましたね」


「そんなに……ですか? ですが筆頭生徒という情報以外で彼女の名前をあまり聞きませんが……」

「そりゃあまあ士道の成績は良かったことは良かったがそこまで突出してなかったからですよ」


 やしろは眉を左右で別の方向を向け、疑問符を頭の上に浮かばせてなにか気に掛ける素振りを見せる。


「しかし、それなのになぜ乱れ太鼓で……」


「彼女の気性によるもんでしょうな。珠城はある特殊な悪癖を持ってましてね……」


「悪癖……ですか」


「どうも筋金入りのサディストみたいでね……。自分が優位になっている状況になると、歯止めが効かなくなるんです。士道ではあまり一方的な展開になったりしませんし、いくらサディストになるからといっても士道の性質上仕合にそれが反映されにくいですからね。

 ……まぁ、仮にそれが死合となればどうなのかわかりませんが……」


「サディストって……そんな、まだ十代後半でしょう」


「学苑の入苑資格は20歳までだからね。卒苑する最高年齢は23歳ということになる。珠城は入苑当初は確か19歳だったかな? だから今は22歳なはずだよ」


 ベテラン教師は老眼鏡をかけて名簿の名前を眉間にしわ寄せ見詰めつつ時々「ううむ……」と唸り


「22歳と言えばもう成熟した大人だろう? その成熟した大人が持つサディスティックな一面というのは……そりゃもう恐ろしいよ。映像記録が残っているはずだから後で見てみたらどうですか」


「そうしてみます……」


 手の中で冷めてゆく湯呑を感じながらやしろは珠城のイメージを作れずにいた。

 視聴覚室の隣の部屋は、映像資料保管庫となっていて直接視聴覚室ともつながっているため、お互いの部屋を行き来することが出来る。

 だが保管庫には視聴覚室の鍵一つだけで入ることは出来ないので、二つの部屋を両方利用する場合二つの鍵がいるのだ。


「……あら、もしかして視聴覚室の鍵もいるの?」


 私が説明した事をやしろは映像保管庫と視聴覚室が繋がるドアのノブを捻り、押しても引いても開く気配のないことで気付いた。

 やしろは開かないドアノブを持ちながらもう一度職員室に戻り視聴覚室の鍵を取りに戻ろうと思ったが、まずは昨年の乱れ太鼓のテープを見つけてからにしようと思った。


 劣化する恐れを回避するためか、映像保管庫には窓が無く、蛍光灯のスイッチを入れても妙に薄暗かった。

 それに付け加えて空気も悪く、埃っぽい。この部屋に長時間いれば体調を悪くするのは必至である。


「ええっと……乱れ太鼓……乱れ太鼓……あ、これね」


 無骨な印象のする薄い緑色の資料棚にはびっしりとディスクやVHSに納められた学苑内の行事などの映像記録が立て並べられている。やしろはツイているのかすぐに【乱れ太鼓】のタグがついたコーナーを見つけた。


「去年のだから……13年度よね……」


 人差し指を並んだディスクたちにカチカチとぶつけながらひとつひとつ年号を確認してゆく。

 古くは1930年からあり、その情報量の厖大さに感嘆する。だが、室内の空気の悪さが感動を不快感で相殺していった。

 心の中でやしろはこの部屋から早く出たい気持ちを繰り返し募らせ、それは彼女がハンカチで押さえた口元が語っているようでもあった。


「おかしいわね。13年度のディスクだけがない……」


 眉を八の字に歪ませながら、やしろは何度も11年度と12年度の間を人差し指で何度もなぞった。

 念のため他のカテゴリーも探してはみたが少なくとも並んでいる資料のインデックスに彼女の求める名前はない。


「もしかしてどこかのケースに間違って入ってるとか……さすがにひとつひとつ開けてみるほどのことでもないし」


 ほんの数十秒だが彼女は考えた。彼女の生真面目ともいえる直線的な性格が、そうは言っても中身を確認したほうがいいのではないかと自問させた。

 それでもただ去年の乱れ太鼓の資料を見るだけの為にそこまでするのもどうか。という声も内からあがる。そんな心の中で巻き起こる複数の助言を振り切り、彼女は保管庫の外に出、鍵を閉めるとその場を後にした。


「…………」

 そしてたった今やしろがいた保管庫のすぐ隣、真っ暗な視聴覚室でやしろの動向を伺う一つの影があった。やしろが出て行った後もしばらくその場に留まりながら様子を伺い、彼女が保管庫にいないことを確信する。再び視聴覚室の影は手元でカチャカチャと細かい動きを数十秒させたかと思うと、やしろが出ていく際に電気を消した映像資料室へと入ってゆく。

 暗闇で姿がはっきりと確認できないが、その影の人物はどうやら一人であることは分かった。何本かの資料ディスクを、持っていたカバンに入れると視聴覚室を退室した。



「あれ、視聴覚室のカギ……無い……誰もいなかったはずだけど」


 職員室の各教室のカギを下げた壁を見上げて、自分の持っていた映像保管庫のカギの隣に下げてあったはずの視聴覚室のカギがなかった。

 無い、ということは誰かが使っていたはず……。だがやしろはさきほどの教室で不審な人物どころかあやしい物音すらも聞いていない。


「まさか……ね」


 やしろは自分に言い聞かせるように小さな独り言をつぶやくのだった。


暗闇の視聴覚室で蠢く影の手にはやしろがまさに今探していた映像資料が持たれていた。

 インデックスには【13年度乱れ太鼓】と記載されている。


「やれやれ……自分の記録を集めるのにも一苦労だな」


 微かにブラインドから差す光がその顔を照らした。その影とは珠城 桐乃だった。

 

 しばらくして桐乃は学苑から離れたとある廃墟となった工場跡で盗んできたディスクを見詰め、表情を変えることもなく想いに耽っていた。


「ゲストに出るというのに、自分の記録を盗むとは……我ながらくだらない仕事だ」


「まあまあ、仕方がないじゃないですか」


 桐乃の背後、コンテナやパレットが乱雑に散らばる奥から独り言だと思われた桐乃の呟きに答える声がした。


「その記録は他でもない貴方を【商品】として売り出すための宣伝材料です。まあ怪しまれてもあれですからコピーを取ったらまた返してもらいますが」


「だからゲストで出ると言っている。その時までにはコピーくらい終わっているだろ」


「さあ? あれはあれで非常にデリケートな作業ですからぁ~」


「逸らすな。いくらオレがアナログな人間とはいえ、それがどんなものかということくらい分かる」


「おやあ、これはまた失礼しましたねぇ」


 桐乃は無言で背後の男にディスクを放り投げると、その空間に消えた。

 地面にぶつかる音がしないということは、ディスクをきちんとキャッチしたということだろう。


「ほんっっっきで、おっしゃっておられるのですか!?」


 千代のドアップで始まるこの教室には今日も今日とてエンジとハーレイの3人である。


「なんだよ……悪ィかよ!」


 千代の威圧的な態度に些かムッとしながらエンジは後ろ手に頭を持ち、机に脚を乗せた。

 

「行儀が悪うございます! えんとーさいさま! ……悪いと言えば先に待ちます【乱れ太鼓】、炎灯齊以外の刀では全く持って無能の塊で在らせられるえんとーさいさまがあのような行事に参加なされたとして、一体どのような成果をご期待なられますか!?

 戯刀での腕前でしたらこの千代よりも劣るという体たらくでありますのに、なぜになぜにわざわざ……」


「い、いやそれ以前に学苑の行事だから……」


 苦笑いでハーレイが横から入った。


「大体、お前は俺の家臣じゃねえのかよ! さっきから聞いてりゃ無理だ無理だってうるせー!」


「なにを仰いますか! 人聞きが悪うございます! 千代めは無理とは申しておりません! 《無謀だ》と申しておるのです!」


「だー! 悪くなってりゃー!!」


 たまらずエンジは机をひっくり返す。教室内がまた「わー帆村がまた暴れてるぞー!」と騒ぐ。すっかりこのところこの光景が日常になってしまった。


「さっきも言ったけど、参加するしないっていうより学苑の伝統行事なんだからさあんまり難しいこと考えずに楽しくやろうよ……ね?」


 ハーレイが柔らかい笑顔で目と目で火花を散らす二人を諭すように言った。


「なに言ってやがる。俺はすんご~~く楽しみにしてるぜ。『エンジは炎灯齊なしではうんこ』っていう世の中の意識を今回の乱れ太鼓で一掃してやろうって寸法だぁ。どうだまいったか」


 千代とおでことをぶつけて超至近距離で睨み合いながらエンジはにったりと悪そうな顔で笑った。


「ほう……左様でございますか。えんとーさい様はお忘れになられたのでしょうか?

 一年の初頭にクラス全員からまったくいいところもなく打ちのめされたあの苦い思い出……。えんとーさい様が進んで敗北されるのは結構ですが、貴方様の両肩には炎殲院の重い歴史が乗っていることをお忘れになられますと千代、困ります」


「あ、あのさ~……」


 ハーレイが呆れながら二人を止めようとした時、『ガチャ』と紋刀の柄を握る音。そして次の瞬間、炎灯齊が風を薙ぎ払う音を立て千代の居た場を横切る。

 千代は得意のアクロバットな動きで、華麗に宙返りで着地し、人差し指をチッチッチッと動かし挑戦的な表情でエンジを見る。


「学ばないお人ですね……千代はそんな不意打ちではやられはしませんよ!!」


 エンジは千代を睨みながら「お前も学ばねえやつだ」と返す。


「何を仰るのかと思えば……そんな挑発に千代は乗りませんよ! 千代はこう見えても学業には自信があるのです! 学ばないとえんとーさいさまに言われてもへのカッパなのです!」


「そうか。じゃあ、お前はわざとパンツをみんなに見せてんだな。正気でやってるってそこまで自身満々に言うんなら痴女ってわけだ。痴女。痴女家臣」


「ぱ、パンツ?」


 

 千代は回想した!


 千代はさっき宙返りをした!


 スカートが愉快なほどめくれていた!


 昨日買ったお尻にしろくまさんがプリントしてあるシマシマのパンツがみんなに見られた!


「…………」


 千代はごくりと生唾を呑み込み、ゆっくりとハーレイを向いた。


「に、にこ……」


 ハーレイは気まずそうに笑った! それが全てを物語っていた!


「そ、そうですとも……わ、わたくしめはわざと昨日買ったくまさんのパンツを見せてやったのです……そうですとも……わざと……」


「声小っちゃ」


「まあああああああああああああああああああああああああああ」


 いつぞやのデジャブのようなやりとりの最後はいつも千代が泣きながら走り去る。

 なんだかんだで千代はエンジには敵わないようだ。


「それにしても……本気なの? いや、っていうか行事だし出るのは当たり前なんだけど」


 ハーレイが二人が散らかした机と椅子を元に戻しながら、少し心配そうにエンジに尋ねた。

「……なんだよ。ハーレイまで馬鹿にすんのか?」


 更にムッとした顔で、エンジは自分が散らかした机を起こしてハーレイに言い返すが、ハーレイはその返事に笑いながら言う。


「だって、炎灯齊じゃないエンジってすっごい弱いじゃんか」


 隠していても仕方がない……とハーレイは率直な感想を述べた。


「だからだよ」


「え?」


「別に戯刀で人より強くなる必要はねぇし、その気もあんまねー。けどよ、ちょっと楽しんでみんのもいいかもなって……」


「苦手な戯刀を使う乱れ太鼓を楽しもう……と」


「まあな。今まではちょっと難しく考え過ぎてたんだ。だから頑なに炎灯齊以外を持とうとしなかったけどよ……なんつーか、一回くらい気楽に刀持ってもいいんじゃねーかって。

 っつーか、そんな気持ちで遊べるのってさこの学苑に居る間だけじゃね?」


「……まあね」


 一通り片付け終わり、教室にいつもの喧騒が戻ってきた。誰もがエンジと千代のいつもの光景に慣れていて、すぐに日常をリセットする。だからエンジとハーレイの会話にもあまり興味を示さない。


 その孤立した状態にエンジもハーレイも昔から慣れ過ぎていた。こんなにも人がひしめいている空間なのに、まるでエンジとハーレイの二人しかいないような……。


 いつか千代がハーレイに言ったように、外見や性格は違えど彼らは根本的な部分で似ているのだろう。だが……

「刀を気楽に……ね。羨ましいよ」


「ん、なんだって?」


 ハーレイはエンジの言葉に笑いもせず、ただ俯き加減で闇を背負っていた。


「エンジはいいよね……いくら戯刀が下手だと言っても炎灯齊さえあれば全てを補ってもまだお釣りがくる。それに比べて僕は……」


 いつもと違う様子にエンジは戸惑った。ハーレイがねちねちとネガティブなことを言っていることよりも、ハーレイに纏わりつく得体の知れない気配に戸惑ったのだ。


「この手……この指……誰よりも僕は……」


 ハーレイは両手の手のひらを開け、見詰めた。

 彼の手のひらはその外見からは想像も突かないほどボロボロだった。切り傷やたこ、テーピングした親指、刀を握り過ぎてほんの少し変形した手。

 それはハーレイがこの学苑の誰よりも刀を振ってきたことを証明していた。


「ハーレイ……?」


 様子のおかしいハーレイの背中越しに覗き込むエンジは、ハーレイが見つめていた彼の両手を初めてまじまじと見た。


「すっげ……! これもしかして士道の……」


 ハーレイは答えない。むしろ内心「なにをいまさら……そんなことすらも君は気付かないのか」と呟いていた。


「羨ましいぜ、この手」


 予想もしないエンジの言葉にハーレイは現実に引き戻された。


「え……なんて……」

「羨ましいって言ってんだ。こんなにボロボロになってもまだ続けられる……夢中になれるもんがあってさ」


 エンジはハーレイの手のひらを見詰めて少し寂しそうに言った。


「イヤミかい? 僕がどれだけ刀を振るっても、何百回何千回何万回振っても君のたった一振りの斬撃に敵わない」


 珍しくハーレイはエンジに向かって直球的に意見を言う。その表情はいつもの優しい顔ではなく、眉間に皺を寄せエンジから目を逸らす……まさに嫉妬に燃ゆる男の顔だった。


「お前、本気でそう思ってんのか?」


 意外そうな顔でエンジは顔を見上げた。こちらも珍しく目を真ん丸にして心底驚きに表情を任している、といった顔だ。


「本気でって……どういう意味だよ」


「俺のはなぁ、消えたオヤジへの憎しみがガソリンなんだ。炎灯齊(こいつ)をここまで扱えるようになったのだって、ただひたすらにおやじを倒すため。

 あのヤローが昔使っていたこの炎灯齊で、この俺があのヤロー……センエツをブチのめすのが目的なんだ。それ以外になんもねー。士道に入ろうとも思ってないしな。

 けどよ、お前のは違うだろ。士道が好きだからやってんだよな?

 誰よりも努力すんのも、誰よりも強くなろうとすんのも、全部お前はお前自身の為にやってんだ。それって俺からしたらすっげーことなんだよ。

 まぁ……今はまだよわっちいかもしれねーけど、絶対にその指のタコはお前を裏切らねえって!」


 エンジは珍しく長く喋ると、自分が言ってしまった内容にハッとしハーレイから顔を背ける。そしてすかさず「まあ今のは全部嘘だけどな!」とハッキリと分かりやすい照れ隠しをするのだった。

「士道……が好き……か」


 ハーレイのほうはと言うと、エンジから自分がそんな風に思われていたことが意外であり、光栄とも思った。エンジと違い、人への感謝の気持ちをストレートに出すタイプのハーレイはたった今まで自分を侵していた醜い嫉妬心を恥じつつ、


「ありがとう、エンジ。キミと友達で居れることが僕の誇りだ」


 と真っ直ぐな眼差しで言った。


「ぶほっ! だだだ、だから全部嘘なんだって! もうほんと! 俺ってモテたいがために炎灯齊をね、練習……」


「照れてるんだね」


「ぶほっ!」


 ハーレイは自分の中から湧き上がってきそうになる黒い黒いナニかを抑えるには、やはりエンジと一緒にいることがなによりなのだと信じた。


「そういうわけでよ、ハーレイ」


 頭の頂上から照れ煙をモクつかせて、エンジは改まってハーレイを見た。


「乱れ太鼓まで俺に戯刀の稽古つけてくれ!」


「……ん、ああ戯刀? うん、いいよ………………って、ええええっっっ!!」


 見事なノリ突込みを見せるハーレイは椅子ごと後ずさりをしてクラスの注目を浴びた。

 すぐに周りからの視線に気づき、静かに椅子を引いてエンジの元に戻ると、


「そ、そんな……僕がエンジを教えることなんてあるわけないだろ!?」


「なんでだ?」


「なんでってそりゃあエンジのほうが士道も長いし、僕みたいな学年でも下から数えた方が早い落ちこぼれ士にわざわざ教えてもらおうなんて……そんな、なんて恐れ多い!」


「よくわかんねーけど、そんなに自分を安く見んなよ。俺が戯刀で強くなるにはお前以外にはありえねーんだ。その両手見て決めた」


「だから! 僕はこんなにボロボロの手になるまで練習しても誰にも勝てないの! 分かる? そんな僕に教わるくらいならそれこそ千代に教えてもらったほうが絶対いいって!」


 3年生の士道才覚実績順位ではハーレイは合格ラインぎりぎりの400位、千代は208位である。3年生の生徒総数は500名ほどであるから、いかにハーレイが下位であるかが伺えよう。


「あー千代はないな。絶対ない。お前さ、なんかすっげぇ自信なさげだけど、そんな風に思わないほうがいいぞ。強くなんのも弱くなんのもキッカケだからな。お前みたく真面目にやってる奴には必ずどっかでそのキッカケがくるもんだ。それよりも俺が欲しいのはお前の考える戦略や動き、そして戯刀の扱い方。……なぁ、頼むよハーレイ、教えてくれよぉ~ん」


 エンジは急にごろにゃんごろにゃんと(口で)言いはじめハーレイに媚を売っ(ているつもり)た。

 心底そのリアクションが気持ち悪いと思いつつハーレイは、本意ではないもののそこまで頼まれて断れるような性格でもなかった。

 であるから、当然返事は……


「わかった……わかったよ。どうなっても知らないよ!?」


 となるわけだ。


「……上等ォ!」


 エンジが自分の目の高さに拳を上げ、やれやれ、と言った様子のハーレイがエンジの出した拳に自分の拳をぶつけた。

 そんなやりとりの翌日、ハーレイはエンジとの戯刀演習の準備の為、士道道具を借りようと放課後、体育館へと足を向けた。

 1年生の当初はずっとこの体育館で1人鍛錬を積んでいたが、次第にその場所も奪われ2年生にも近くなると彼の練習場は人知れない公園になった。


 寮にいる時はエンジがいたので、それほど孤独感は感じなかったがこうして外に出、まして夜の闇の中とあっては彼をより一層濃い闇へと誘う。孤独はそんな闇の濃度を濃くするのに必要な【材料】なのだ。


 ハーレイは元々、夜が好きなのではない。夜しか自分が目立たずにいれる場所がなかったのだ。この帝國の隅々まで、自分を敵だと思っているのではないか?


 彼が生まれてここまでの18年間、一体何度……いや、何万回思い続けただろう。

 それが性質の悪い思い込みであれば良かった。


 だがハーレイの前に帆村エンジが現れた。強くて、ただ強くて……だけど自分とよく似た色を持っている。ただし、エンジのそれは自分と同じ【闇色の黒】ではなかった。


 すこし蒼さを含んだ、言うなれば【藍色】エンジの色は似ているようでも【闇】とは程遠い色だと思った。


 ハーレイは孤独だった。


 その点では同じ二人だったが、違うのはただ一点。


 強者か弱者か。


 それだけ。たったそれだけなのに、色の本質は全く異質なものとして二人を分かつ。

 ただ、それに二人が気づくのは、もっと後の事であった。

 ハーレイが体育館に入ると、友人たちと一緒にバスケットボールに興じている井村が目に入った。体育館の入口にハーレイが立っていると、井村のほうもすぐその影に気付き、そしてそれがハーレイだということにも。


 井村とハーレイ。


 2人の脳裏にほぼ同時と言っていい瞬間、あの時の映像が視点こそ違うものの、蘇る。


 そして湧き上がる感情も、二人の間では温度差を生んだ。



 ドッ



 井村の胸にバスケットボールが当たり、井村は後ろによろけると尻餅をついた。


「おいなにやってんだよ!」


 それまで一緒に遊んでいた井村の友人がへたり腰の井村に怒声を投げ、行先を見失い転げるボールを追った。


「井村くん」


 井村の目の前に手が差し伸べられ、その手は『この手に捕まって立ちなよ』と無言のフレンドシップを強いてきた。当然、井村はその手を弾き差し伸べた人物と距離を取った。


「あれ? こいつ……確かハレー彗星?」


「ぎゃはは、違ぇって! カレーライスだって! ほら、頭もションベン色だしよ」


 下品な笑いはカエルがゲコゲコと輪唱するように井村には聞こえ、自分の状況も鑑みながら実に不愉快になる。

「ハーフってか? その綺麗な顔見てるとこっちは胸糞悪いんだわ」


「そうなんだよ、こいつこんなにみんなに嫌われまくってるってのに、女子からは人気あるんだぜ? なぁんか、ナマイキっていうか……身の丈弁えてみろっつーか……なァ!」


 小気味の良くもない、ボールが人にぶつかる鈍い音。直後に床に落ち跳ねる音。


 それらはバスケットボールが思い切りハーレイの肩に当てられたことを差した。


「聞けば士道の腕は小学生の部の低学年レベルらしいぜ?」


 ほんの数日前まではこの男たちと同じ輪の中でハーレイを虐げていたはずの井村は、ただ俯き小さく「やめろ、やめろ」と呟くのを繰り返していた。


「じゃあ、こんなのは当然受け止められないよな!」


 バスケットボールを追った1人がボールを野球投げで、背を向けているハーレイ目がけて思い切り投げた。


 鈍い音とボールの跳ねる音、そしてハーレイが倒れる様を期待していた二人の目に意外な光景があった。


 ハーレイは片手で大きなバスケットボールを受け止めていたのだ。それも、顔面に直撃するスレスレで。


「……はぁ?」


 士道の腕が悪い=運動神経が悪いと軽率な判断をしていた二人には到底今の状況を客観的に見ることなどできない。なぜならば、彼らは愚かな大衆のごくごく一部であるからだ。

 では、ずっとここでふるふるとその身を動かすことすら憚れない井村はどうか。


 彼も同じく愚かな大衆であるといえよう。彼を支配するその恐怖感は次第に井村自身を劣等感に染めてゆく。

 だがしかし、何故であろうか。


 ハーレイにはそんな井村の畏怖の念が手に取るように分かったのだ。

 それはハーレイ自身がなにより驚いたことであるが、まずはこの目の前の愚か者をどうにかせねばならない。


「井村」


 ハーレイは井村を呼び捨てで一言呼んだ。


「……へ?」


 いつもとはまるで違う低い声のハーレイに井村は恐縮しきりっぱなしであった。


 ――人とは、得体のしれないものに得体のしれない恐怖を抱くものである。


 今の井村はまさにそれを体現するかのようにハーレイの一言一句に敏感になっていた。

 井村本人も、こんなにもハーレイに対して自分が恐怖を抱いているなどと自覚していない。だからこそこの恐怖の正体が彼自身にも理解できていないのだ。


 それだからこその【得体の知れない者】なのだろう。

 井村からすれば、ハーレイは【外国人の血が入った気に食わない奴】が、【紋刀を問答無用で抜く得体の知れない化物】に豹変したことになる。


 ……アナフィラキシーショックというアレルギー症状を御存じであろうか。

 近年では特に蜂によるアナフィラキシーショックが有名であるが、簡単に言えばこうだ。


 一度強い刺激を受けた動物は、再び同じ刺激を受けた時、一度目の衝撃を身体が覚えているためフラッシュバックのようなその記憶の衝撃により失神、最悪の場合死に至ることもある。


 井村を例えるのなら、まさにそのアナフィラキシーショックといったところか。

 あの時に受けた衝撃が、井村の潜在本能に【恐怖】として刷り込まれたため、ハーレイに逆らえないで居る……と説明しておこう。

「いいものを見せてやろう」


 ハーレイの碧く澄んだ翡翠のような瞳からは輝きが消え、邪悪な笑みだけが彼がハーレイであることを忘れさせる。


「ボクをいじめたことは、それでチャラにしてあげるからね……」


 ハーレイは井村の耳元でなにかを指示した。井村はそれを聞くと


「村尾! 谷田!」


 と二人の友人の名前らしき名を呼び、井村を注視する二人に対してこう続けた。


「こ、ここ、このクソ外国人、超生意気だから人目つかねー場所でしっかり分からせてやろうぜ!」


 2人は井村の提案に顔を見合わせて笑うと「グッドアイディアじゃあ~ん」とハイタッチを求め、そのままハーレイの肩に手を回した。


「まあ、そういうわけだから仲良くやろうぜ? カレー王子」


 手に持ったバスケットボールを片手のままゴールポケットに投げると、見事にゴールの網をくぐる。


「……なんだ?」


「まぐれですよ。それより……仲良くなるにはどうすれば?」


 今からハーレイに対してすることを想像し、胸を躍らせる二人は「まあまあ」と笑い、その笑いに対し笑いで返すハーレイ。そして、それを最後尾で見詰める井村の顔には笑顔を構成するただひとつのパースすらもはまっていなかった。

 ――翌日。


 エンジが寮から苑に投苑すると、一年生から三年生まで普段ならばいっしょにいるはずもない生徒達がわらわらと波を作っていた。

 その波は、正面の大門から既に溢れんばかりに犇めき合っており、時折飛び跳ねて少しでも先にある光景を見ようとする生徒や肩車で様子を伺う生徒もいた。


「えんとーさいさま! なぜ毎朝毎朝この千代めを放って行くのですか! 千代はえんとーさいさまの目ヤニを見ながら『嗚呼……昨日の晩もぐっすりとお眠りになられたのですね……うっとり』としながら投苑……はれれ? なんでしょうか、この人だかりは」


 遅れてやってきた千代が大門の前で立っているエンジの見つめる先で犇めく人混みに首を傾げた。


「わっかんねーけどよ、これじゃあ苑に入れねー」


 他の生徒みたく飛び跳ねたり高いところに登ったりして千代はその先になにがあるのかを確認しようとするが、一向に分からない。


「んうぅ~むむぅ~!」


 千代は先が見えない歯痒さに地団駄を踏み悔しがったが、エンジの方はと言うと一向に開かない道に不機嫌の色が滲み出てくる。


「あ、エンジ先輩ぃ~」


 その時、聞いた声がエンジの背中を叩き、千代は敏感にその声を察知すると敵意をむき出しにした瞳で声のした方向をエンジと共に向いた。


「こっちですよこっちー」


 声のした方角は、正面から少し右に向いたパンジーの植え込みの奥からであった。

 よく見るとぴょんぴょんと黒く長いうさぎの耳が飛び出している。


「まことか」


「はいな~! 貴方の今晩の(性的な意味での)オカズ、赤目まことでございますよ~」


 黒いウサギの耳は、まことの特徴的な髪型であった。

 人混みを縫ってエンジの前に飛び出すと、元気に飛び跳ねてお辞儀をした。


「ハィいいぃい!」


 その時、まことの首元に紋刀の鞘が襲い掛かった。


「うきゃっ!」


 まことを襲うそれを得意の跳躍で躱すとまことを襲った当人である千代がチィッと舌打ちを打つ。


「性的な意味だとか、オカズだとか……ふしだらな事ばかり言い放ち、えんとーさいさまを惑わす不埒な女畜めぇ……! えんとーさいさまが好きなオカズは千代の作る切り干し大根とちくわ煮、それにひじきと枝豆の炊き込みご飯だと決まっております!」


「……にゃあ~、言ってる意味がよくわかんないけどまことはそんなチンチクリンさんにはもう興味ないっすよ?」


「ち、チンチクリン!?」「ち、チンチクリン!?」


 エンジと千代は同時に叫んだ。

「そう! まことの処女を捧げる……いや、女を捧げるのは北川先輩だけだと決めてるっす! そうっす! まことはマジっす!」


 まことは自分の胸を揉みつつ指を噛んだ。まことが艶っぽい顔を作っていると子供がこまつき自転車で前を通り、まことのつま先を轢いた。


「痛ス!」


 エンジと千代はその画を見て爆笑した。いや、してやったのだ。


「ぎゃはははははは!」


「まははははははは!」




 ……………………



「で、なにがあったんだ」


 千代とまことが一戦交えた後、エンジは改めてこの人だかりの訳を聞いた。

 エンジ達が学苑についてからすでに十数分、状況は変わらないままであった。


「そうなんす、これがまたとんでもない事件が起こったみたいで」


「……事件? 赤目、さっさと話すです」


「(あれ、なんでこの人まことにだけ呼び捨てなんだろう)あ、ああ……三年の村尾先輩と谷田先輩が辻斬りにあったらしいんす」


「辻斬りぃ!?」

「ええ、明らかに紋刀で斬られたと見られる傷で、体育館裏に倒れていたところを今朝、部活練習に来た生徒が見つけたって……。

 幸い命に別状はないらしいんですけど、傷は結構深いみたいで卒苑までに復学は難しいらしいんです」


「村尾さんと谷田さんと言えば、山組の……確かお二人ともごく普通の生徒だったと記憶しておりますが」


 千代は自分が知っている村尾と谷田の情報をエンジに捧げ、エンジは明らかに機嫌の悪そうな顔でそれを聞いた。


「つまり簡単に抜いて人を斬る馬鹿が現れたってことか」


「そう言ってはあれですけどー……まーざっぱに言えばそういうことになります」


 更にまことは手を口に当て「ここだけの話なんすけどね」と付け加えた上で続ける。


「二人を斬った犯人っていうのがうちの生徒の可能性があるそうなんです」


「はあ!?」


 予想外のまことの話に思わずエンジは大きな声を出した。その声に反応した数人が一瞬エンジ達を見たが、エンジ達がすぐに目を逸らしたためまたすぐに喧騒に戻った。


「ちょっとエンジ先輩声が大きいですよ! やっぱイク時も声が大きいんで……」


「ちゃいっ!」


 千代の喉潰しが命中しまことは「ぐぇっ」と短い悲鳴を上げた。

「それで?」


「……うぅ、苦じい……。それでですね、帝國警察が学苑を一時封鎖しているんです。どうやら中では犯人捜しが始まっているって……」


 そこまで聞いてエンジは、目だけ空を見て首をひねらせた。


「そうか。……でもお前、よくそこまで詳しいこと知ってるな」


 まことは飛天齊を見せ、ウインクし「まぁ赤目家の秘術ってことで」と濁した。


「へぇ~、伝承使いはそんな伝統的な体術もあるんだね。興味あるな」


 急にエンジ達の会話に割って入ってきたのはハーレイだった。


「うきゃあっ! ハ、ハーレイ様!」


「ハ、ハーレイ様……?」


 言われた本人が驚くまことのとんでもトークがさく裂した。


「おう、ハーレイ」


「おはよう、エンジ。千代」


「おはようございますハーレイ様」


「ほらぁ、千代先輩だってハーレイ様って言ってるじゃないですかぁ~あ。なにがおかしいっていうんですかあ? ハ・ア・レ・イ・さ・ま・ん」


 と言いながら襟元を広げてまことはハーレイにブラ紐を見せる。


「見たくないですか? まことの汚れを知らないあれ、見たくないですか!?」

「おい、どうにかしてやれよ」


「む、無茶言わないでよ……」


 クネクネと腰を捻らせまことはセックスアピールをするが、ハーレイはただ苦笑いをしつつムーンウォークでスルーするのだった。


「静かにしろ! これから苑を開門する! 通常の授業予定より30分ほど遅れたがいつも通り授業を始める。速やかに自らの教室に行け! わかったな!」


 角田教師が群がる生徒達に向けてそう指示し、閉じられた肩の高さほどの内門を重い鉄を引き摺る錆びた音と共に開いた。群れはすぐに散り瞬く間にいつもの風景に戻りつつあった。


「ハーレイ、お前今日は遅いんだな」


 流れる生徒達の波に乗り下駄箱に向かいながらエンジはいつもより遅い投苑のハーレイに聞いた。


「少し鍛錬を張り切り過ぎてね……今日からエンジと修練すると思うとついつい」


「俺と修練じゃねーだろ。俺に教えてくれるんだろ?!」


「そ、そうか。そうだね……うう、やめてくれよそう改めて言われると緊張するじゃないか」


 ハーレイは頬を赤く染めて恥ずかしそうに照れ笑いを見せた。エンジはそんなハーレイの肩をコツンと叩くと「頼むぜ、先生」そう言って笑った。


「それにしても……」


「うん?」


「村尾と谷田を斬ったって奴……絶対に許せねぇ……」

 ハーレイは意外そうな顔で驚くと、


「仲が良かったの?」


 と聞いた。


「いいや、話したことなんて多分一度もねぇ」


「だったらどうして」


「そういうこっちゃねーだろ!? 辻斬りってことは戦意のない奴を斬ったってことだろ? 俺はいっぱしに士道を語ろうだなんて思っちゃねーが……なんつーかそういうのはズルだろ。それに紋刀は人殺しの道具じゃねぇ……」


「そうだね……許せないね」


 エンジの後ろで同調するハーレイの顔が笑っていたことは誰も知るところではなかった。


 そしてその日の放課後、井村が村尾と谷田の辻斬り事件の犯人だとして帝國警察に連行された――。




「そういったわけで、今年の乱れ太鼓には去年の筆頭3年生であった珠城 桐乃が特等枠として参加することが決定した!」


角田教師の説明には熱が込もっていたが肝心の生徒たちには事の意味が理解できないでいた。

それもそのはず、学苑では基本的に1年生、2年生、3年生はそれぞれ卒円まで交流することはない。そのため、角田教師がいくら鼻息を荒くして暑苦しく語ったところで当の生徒たちがピンと来るはずもないのだ。

しかし悲しいかな角田教師はゲストに桐乃が来るという情報の前に彼女がどのような人物かの説明を省いたため(というか完全に失念していた)、そのサプライズさが伝えきれない。

だが角田教師はそんな自分と生徒たちとの温度差に気づく素振りも見せず、まるでジョニー来日時のテンションでさも凄まじい人物が来る体で続ける。


「珠城桐乃が来るということは、わかっているだろうが場が荒れるということだ! 前回の乱れ太鼓も記憶に新しいがあれがこんなにも短い感覚で再び見られる日が来るとは ......」


「あの、先生......」


「なんだね御輿くん!?」


「(なんだねじゃねーって)あ、はい......その、そもそもその珠城桐乃って誰なんですか?」


「!!」


角田教師は稲妻に打たれる古典的なリアクションで固まって見せた。そのリアクションは『え、マジで知らないの?!』的なニュアンスを全身から放出しており、それを見たすべての生徒をイラッとさせた。


「お、お前たち......知らずに聞いていたのか......」


――イラッ


おっと、失礼。私がついイラッしてしまった。


「いいだろう。では、珠城桐乃が如何に優秀な生徒であったかを説明しよう」


(っていうか、なんで角田が去年の3年のことそんなに知ってんだ? あいつって1年からずっと俺たちの担任だよな)


ところどころでひそひそと聞こえる声をハーレイは笑いつつ聞いていた。


「珠城桐乃は前年の筆頭3年生だ!」


「いや......だからそれはさっき聞いて......」


「まあ待て、それだけが言いたいことじゃない。お前たちが3年生になった一番最初に話したと思うが、筆頭三年生はこの乱れ太鼓でその年の最優秀生徒に贈られる称号だ。

珠城桐乃はな、筆頭3年生を女生徒で初めてこれを務めている。この意味がわかるか」


にやりと暑苦しい含み笑いで更に生徒たちの心をイラッとさせながらも角田教師は尋ねた。


「全生徒を制した……ということですか」


「そうだ。この長い学苑の歴史上でも女生徒が筆頭3年生を務めたことなど一人としていない」


教室中が一気にざわつき、興奮と困惑が飽和してゆく。その光景を見て角田教師は久しぶりにやりがいを感じるのであった。


「......んで、尊敬する教師であるこの俺が熱を込めて弁を振るっているというのに、ぬぁ~でお前はそこで寝れるかなぁ~」


角田教師の怒りに満ちた瞳を教室中の生徒が追うと、その先には我らが炎灯齊様がお眠り遊ばせていた。

角田教師の「せいっ!」という掛け声で手に持った戯刀が一直線に飛び、机にへばりつくようにヨダレの湖の中で眠るエンジの脳天に突き刺さった。


「ぇすぷれっそ!!」


あまりの激痛に意味不明の言葉を叫び飛び上がるエンジを見て、教室中は暖かい笑顔に包まれたのであった。

「じゃあ、まず構えの基礎からやろうか」


 放課後、ハーレイがいつも利用している公園でエンジは指南を受けていた。

 赤のジャージの上下でエンジは戯刀を両手に握り、切っ先を正面に向け瞳を目に見えぬ敵を見据えるのだった。


「……う~ん、ちょっと違うんだよね」


 そんなエンジの構えを見てハーレイは顎に手をあてて唸る。


「ち、違うって何が……」


 ハーレイにそう尋ねるエンジは既にいつもの強気の様子ではない。

 マユゲこそいつもどおりVの字をキープしているが、瞳の色はどうにも難しい色を放っている。

 おわかりだろうか、今のエンジの瞳には【自信】という色が消え失せかけているのである。


「多分さ、エンジは標準形状の刀を持つ時も炎灯齊を持つ時の癖が抜けてないんだと思うんだよね。だからここ、ほらこんなに力が入ってる」


 そう言ってハーレイはカチカチの堅いポーズで構えるエンジの両肩から首にかけたところをポンポン、と手のひらで叩いた。


「ほら、炎灯齊なんかより全然軽いだろ? 無意識にあの巨大な刀を連想してしまっているから苦手意識が出るんだと思う」


 ハーレイが「振ってみて」と促し、言われた通りにエンジは頭上高く振りかぶり戯刀を振り下ろす。エンジが振り下ろした戯刀をすれすれで躱し、ハーレイはエンジの懐へ距離を縮めたかと思うと、自分の持っていた戯刀をエンジの首元に振り抜く。


「……ッ!?」


 ハーレイが振り抜いたかのように見えたその刃は、エンジの首すれすれでピタリと止まっていた。止まった刃を間近に周辺の皮膚がそれに恐怖を抱いたのか、毛穴が開き汗がたらりと音もなく滴る。


「いつものエンジならこんなカウンターを許すはずない。しかも絶対に今の見えていたはずだろ?」


「……お、おう……」

 少し気まずそうな表情でエンジは戯刀を振り下ろしたままの恰好で固まり、ハーレイは抜いた戯刀を鞘に納めてエンジに「もう一度構えからやろうか」と促した。


「だからわかんないんだよね……。なんで戯刀になるだけでこんなにも苦手意識が出るのか」


 炎灯齊から戯刀に持ち替えただけでこんなにもポテンシャルが低次元になってしまうエンジを見て、改めてハーレイは首を傾げた。

 エンジという人物を知らずにこの描写だけを目撃した人は、「なんて弱いトゲトゲ坊や」と思うこと請け合いで……おっと、トゲトゲの視線が痛いのでここまでにしておこう。


「なんか理由あるの? エンジ」


 エンジはハーレイの問いに対して、無言という返事で返した。


「……あるんだ。そっか、いや別に聞きたいわけじゃないけどね」


 少しバツの悪そうな顔で弱く笑うハーレイは、エンジの肩や腰、足を軽くたたき『力を抜くように』と意思表示をする。

 エンジはハーレイの指南に極力素直に従おうと力を抜こうとするが、肩を抜こうとすれば足が、足を抜こうとすれば肩が、といった具合に力を均等に抜く芸当にてこずっていた。


「不器用……だね」


 教えているのがハーレイでなければ恐らく『わざとやっているだろう』と叱られているレベルの不器用さだった。エンジがハーレイを指定したのは、どうやらただ友人であるから。という理由だけではなかったようである。


「炎灯齊を持ち歩くとき、普段は刃通力を使っていないんだ。だからシンプルに腕力であれを持っている」


 特訓が始まって1時間が過ぎた頃、エンジはようやく自分から口を開いた。

 滝のような汗を流し同じ基礎運動を繰り返すエンジの言葉を、危うくハーレイは聞き逃すところだった。


「刃通力……。本格的に授業で習ってないから、正直それがどういうものかよく分かっていないけど……それってつまり炎灯齊を軽く感じさせる力って解釈でいいのかな?」


「ああ、そう考えてもらっていい。刃通力ってのは自分の持つ紋刀の形状や性格で能力そのものが変わる。俺の場合はデカい炎灯齊を自在に操れる【重力】、炎灯齊を使って戦うときはこいつを使って戦っているんだ」


 生真面目なハーレイは慌てて自分のカバンからメモとペンを取り出し、エンジの言った言葉を書き留めた。

 エンジはそれを横目で見て、ほんの少し口元を緩めるとハーレイが描き終えるのを無言で待っていた。

「ああ、ごめんどうぞ続けて」


 そんなエンジの配慮に気が付いたハーレイはそう言ってエンジの話の続きを勧めた。


「千代の話だと、一般の士が刃通力を学ぶのは3年生の中期からだと聞いているから俺はズルしてるようなもんだ。悪いな、俺がお前より強いってのは多分刃通力のせいだよ」


 ハーレイは「そんなことないよ。エンジのは実力さ」と言おうとしたが、エンジが放ったその言葉自体がハーレイに対しての敬意なのだと悟り、喉元まで上がったそれを呑み込んだ。


「元々俺はさ、母ちゃん似なんだ。昔から士道は苦手だった」


 エンジの口から『母ちゃん』という言葉を初めて聞いたハーレイはそれにつられて自分もおぼろげな母親の面影を想った。彼らは気付かなかったが、その時の2人はどちらも同じ目をしていた。


「反対に俺のオヤ……いや、帆村センエツは帆村の家始まって以来の天才だと言われた。奴からはいつも「お前は士道に向いていない」と言われてたよ。センエツが家を出て、そんな呪いの言葉から解放されたと思ったら今度はじいちゃんまでも「士道の士になるな」ときたもんだ。……つーか、センエツがいなけりゃ俺は素直にじいちゃんの言うこと聞いてたかもしんねーな」


 ハーレイは、エンジと父センエツとの確執を知っていた。そして、センエツという人物が今なんと呼ばれている人物なのかも。

 ハーレイの憧れる強いエンジよりも更に強いセンエツという男。その男の下に居れば、もしかしたら自分も士として強くなれるのかもしれない。


 そんなことを考えるたびになんと馬鹿げたことかとハーレイは自分を責めた。エンジの独白の中、ハーレイはまたその自責を繰り返したのは言うまでもない。


「俺がガキんときにセンエツがいなくなって、そんでじいちゃんも俺を士にさせたくなくて一切士道を教えなかった。だけど、俺は炎灯齊を毎日十何時間も振り続けて、ただただ奴と出会った時に一撃ぶっ飛ばしてやるためにがむしゃらにやった。

 道場破りみたいなこともしたし、荒れてたときもあったが……おかげで俺は炎灯齊を抜かなくても戦えるようなった。けど、これ(戯刀)に関してはからっきしでさ、だってこれって抜く(抜刀)じゃん!? 俺、戦うときだって抜かねーし、形も大きさも違い過ぎるしさぁ! 使えるわけねーじゃん!」


 話の終盤で、自らの怒りなのか、それとも開き直りか、いやいや単なる逆恨みだろう。

 ともかくそんな感情に染まりボルテージの上がったエンジをどうどうと落ち着かせようと背中を擦るハーレイは、あははと楽しそうに笑った。


 だがハーレイはエンジの話を聞いていて一つ疑問に思うことがあった。フーフーと鼻息を荒らげて一心不乱に戯刀を振り続け「敗けねー! 敗けねー!」と叫ぶ野獣にそれを聞くのは勇気が必要だったが、思い切ってそれを聞いてみた。


「あのさ、それで炎灯齊以外を使えないって理屈はわかったんだけど……『刃通力』は一体誰に教わったの?」


 エンジの話の中で、周囲の人間が誰一人として彼の士道入りを良く思っていなかったことは理解出来たが、それならばそんな彼に対し一体誰が『刃通力』を伝授したというのだろう。


 小太郎やハーレイがその存在すら知らなかったように、本来ならば刃通力は学苑にて学ぶもの。例外的にエンジのような伝承使いは家系で伝承されるケースもあるが、エンジの独白で彼に伝承する意思を持つ人間がいなかったことは容易に伺える。

 ではなぜエンジは学苑に入苑する前から刃通力を使用できたのか?

 ハーレイの疑問がそこに行きつくのは当然なのかもしれなかった。


「千代だよ」


「千代!?」


 予想外の答えにハーレイは驚いた。単純にキャラクターの問題もあるが、それよりも千代がエンジに刃通力を教えたというのなら、千代はエンジよりも以前に刃通力を扱えたことになる。正直、千代の戦闘は見たことはないが、とてもエンジよりも、もしくは同じ程の士道レベルを持っているとは到底思えなかったからである。


「千代って……刃通力を使えるってこと?!」


「ん、ああ。超下手くそだけどな……まあ実践レベルじゃねえ」


「でも千代がエンジに教えたってことは、エンジよりも先に使えたってことだよね」


「んー? ……そう言われりゃそうだな。けど、あいつが俺に教えた時と今とあいつの刃通力レベルはなんにも成長してねーよ」


「いや、そこが重要なんじゃなくて……!」


「あー! そんなもんどうでもいいからもっと教えてくれよ! 乱れ太鼓で俺はあいつらを見返して筆頭3年生になんなきゃなんねーんだよ!」


 ふおー! と目を炎マークにしてエンジはハーレイを嗾(けしか)け、襲いくるエンジの戯刀ラッシュを余裕で避けまくるハーレイ。


「わー! わかったわかったわかったよー!」


 エンジの戯刀ラッシュを払おうと垂直に振り上げたハーレイの戯刀がエンジのアゴにクリーンヒットし、一瞬全ての時が止まった。


「……エンジ? ご、ごめ……」


 ハーレイが「ごめん」と言った「ん」の時にはエンジはエンジは後ろに倒れ失神していた。


「わー! エンジ、エンジー!」










【士道ノ拾参へ続く】

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