第7話

「それでは抜刀訓練を始める! ……とその前に、絶対に守らなければならない項目を言っておく!

 まず、第一に抜刀した者はセーフガードをすぐに紋刀の刃につけること!」


 角田教師がそう指導すると、各々が手に持ったごく細いゴムのホースのようなものを見詰めた。

 これは抜刀訓練用の安全装置のようなもので、抜刀した紋刀の刃につけることで紋刀の殺傷能力を著しく低下させるのだ。


「いいか! 訓練用に抜刀アラームは解除してある。つまり、訓練中に抜いた紋刀は認識されないということだ!

 分かると思うが、これは紋刀を扱う上に於いて非常に危険なことである!

 だから絶対にそのセーフガードを付けること!」


 セーフガードを付けようと柄を握る数名の生徒に気付き、角田教師は「コラァ!」と今日一番の怒声で威嚇する。


「誰が今つけろって言った!? 抜刀は全員一斉に行う! 間違えてもフライングして紋句を詠わないように!」


 角田教師が生徒達を見渡し、全員が自分の話をちゃんと聞いていることを確認すると話を続けた。


「そして次に! 絶対にニュートラルの状態で仕合うこと! この中でももしも刃通力を扱えるものが居ても、絶対に発動させるな! いいか、これは命に関わることだからな!」


「刃通力ってなんですかー?」


 手を上げて刃通力について質問する生徒。角田教師はその生徒を指差し、


「それは三年で習う! 二年生の一年間はとにかく抜刀した状態に慣れること! それに集中するんだ!」

 語尾にいちいち『!』がつくほどうるさく角田教師は指導する。

 それもそのはずだった。今日は二年生で初めての抜刀訓練。最初を押さえていなければ、その後の1年間、生徒達はずっとそれを引き摺ることもあり得る。

 そうなれば学苑の教育体制が疑われることにもなりかねないのだ。

 当然、言わずもがなそう言った状況に陥った場合、責任を問われるのは二年生を受け持つ筆頭教師である角田教師……ということになる。


「そして最後に勝負がついた場合、必要以上に相手に追撃しないこと! お前たちが卒苑して社会に出た時、もしかしたら誰かと死合に発展することがあるかもしれん!

 だが、勘違いはするな! 死合とは命の奪い合いではない! 

 士魂と士魂の崇高なぶつかり合いである!

 そのため、死合の回数は帝國政府紋刀機関によって各紋刀毎にカウントされる。

 必要以上に死合の回数が多い所有者は、所有者に相応しいかどうかを審議され、最悪の場合紋刀の剥奪もありえる!

 それほどまでにお前たちの扱うその刀は、危険で、それ以上に崇高なものであるということを忘れるな!」


 生徒達はその迫力に圧されつつ、腹の底から「はい!」と答えた。

 その中には、エンジの姿はなかったが、ハーレイや千代の姿は見えた。


「それではこの掲示板に書かれた通りの組に分かれ、仕合の配置に立て!

 もう一度言うが、抜刀したらすぐにセーフガードをつけること! いいな!」


 再三の呼びかけに誰もがそれの必要性を感じ取る。


「では構え! 柄を握り抜刀に備えろ! そして、自らの抜刀紋句を心にて想え!

 堅く目を瞑り、そして開眼するとともに紋句を詠え!

 ……いいか! では目を閉じろ! 俺が『開眼』と言ったら目を開け、そして次に『紋句詠唱』の声で紋句を詠え!」


 ぞろぞろと生徒達は掲示板に貼られた配置につき、ペアを組むと角田教師の指示通りに全員が目を堅く閉じた。

「全員、自分の中の自分に抜刀紋句を投げかけろ! そして、『刀を抜く』ことの意味を考えるんだ!」


 広い体育館が静まり返る。『しーん』という音が今にも聞こえてきそうなほどの沈黙だ。

 その中で、角田教師の大きく息を吸い込む音だけが誰の耳にも届き、次の瞬間


「開眼!」


 暗闇から解き放たれたハーレイの目の前には、紛れもなく『敵』の姿が写っていた。尤もそれは、敵でもなんでもなく、ペアを組んだ相手なのだが。

 ハーレイの憎悪にも近い感情を込めたその目に、ペアの相手が一瞬怯んだような表情を見せたが、すぐにハーレイを睨み返した。


「抜刀紋句、詠唱!!」


『仁義抜刀!』


 ハーレイは学苑から貸し出されている、借り紋刀共通の紋句を詠った。


 だが次の瞬間、刀を抜いていたのは相手であった。相手も借り紋刀だったためにハーレイと同じ紋句だったが……、同じく抜刀しなくてはならないはずのハーレイの刀は、鞘に収まったままだった。


「お、おい……なにやってんだ北川……真面目にやれよ」


「……何故だ……なんでっ!?」


 ガチ、ガチ、という音だけが空しく鳴り、ハーレイの紋刀は鞘から抜刀されることはなかった。


「早く抜けよ! 次いけないじゃんか!」


「じ、仁義抜刀……! 仁義抜刀!」

「ん、どうした? 北川、早く抜刀しろ」


 少し離れたところから角田教師が異変に気づき、ハーレイに声を掛けた。


「そ、それが……! くそ、くそぉっ!!」


 角田教師は「他の生徒はセーフガードを付けて、疑似仕合を始めてくれ」とハーレイ達以外の生徒に指示をすると、ハーレイの元に近寄ってきた。


「抜刀できないのか?! おかしいな……なんでだ?」


「仁義……抜刀! くそっ!」


 一心不乱に抜刀を試みるハーレイを気にしつつ、あまり前例のない出来事に角田教師は少しではあるが動揺していた。


(継紋刀で紋句が違っていた……ということはよくあることだが、紋句が共通の借り紋刀が紋句詠唱で抜けないなんて聞いたことないぞ……)


「落ち着け北川! もう一度目を閉じて心を静めろ、そして心の中でもう一度確かめるように紋句は詠え! いいな!」


「……はい」


 角田教師に従い、焦りを隠せないでいたハーレイは深呼吸をして自分を落ち着かせた。


「いいか、……準備が出来たら言え。俺が開眼の声を掛けてやる」


「……はい。…………お願いします」


「よぉし、落ち着けよ……開眼!」


 ハーレイが瞳を強く開けたのを確認すると角田教師は「抜刀紋句、詠唱!」と力強く号令をかけた。

『わしゃあ無敵じゃ!』


 鞘から放たれた士気がそれを見ていたエンジ達にも風圧のように伝わった。


「……ッ!?」


 初めて感じるその感覚にエンジは少し気圧され、思わず片方の瞼に皺を作る。無理もない、伝承の抜刀である。

 神雷との一戦を経験してなければ、確実にそのプレッシャーに負けていたかもしれない。


「よっしゃあ、始めようや! 赤目!」


 目の前に立つは赤目まこと、余裕しゃくしゃくといった様子の諒とは対照的に緊張した様子だった。


「……地味に伝承相手にするのって初めてなんだよね……」


 まことはふう、と大きく息を吐く。そして、強く諒を睨み


『飛天開眼!』


 紋句を詠った。そしてそれをエンジと神雷は見守っている。


ハーレイ達が初めての抜刀訓練に入っている同じ頃、エンジ達はジョニー・バレット来日に向けた訓練合宿を開始していたのだった。


「お前は特にこの二人の立ち合いを見ておけ。二人は抜刀により伝承に付与された能力を解放出来る。普通の仕合とは訳が違うというわけだ。

 同じ伝承を持つが抜刀出来ないお前は、実質的には他の紋刀使い達と変わらん。

 だが、その独特の形状と、刃通力をケツイまで到達した精神力。それらはこの二人と比べても引けをとらないはず。独学でケツイまで辿り着ける人間などそうはいないぞ」

 珍しくあの神雷が褒めているというのに、エンジの顔は浮かない。しかしそれには理由があった。


「あのさ、前も言ってたけど『ケツイ』ってなんなんだよ」


「……お前がそれを知り、それを扱うのは本来ならば早過ぎるのだがな。というよりも学苑を卒業した連中の中でも、ケツイに辿り着けるのはごくわずかだろう。

 そうだな、簡単にいうなら刃通力が紋刀を扱う上で身体能力を上げるのなら、ケツイは紋刀の性質を変えるというものだ」


「性質?」


「そうだ。変えるというよりも引き出すと言った方が正しいかもしれんな……」


 ギィン! という刃がぶつかりあう音で、会話を中断されたエンジは反射的にまことと諒を見た。

 地面を引き摺る音を連続的に鳴らし、後ろに弾き飛ばされた二人は、次の太刀に備え再び睨み合っている。


「……伝承の場合、紋刀自体に特殊能力が付与されている為、刃通力を発動した時点で能力が発動される。つまりこの二人はまだ刃通力を発動していないことになるな。お互い様子見といったところか……」


 神雷はそう言うと、戦っている最中の二人に向かって歩み寄っていく。


「お、おい! なにを……」


「丁度いいから見せてやろう。真剣勝負というものの一端を」


 突然諒とまことの間に立ち塞がった神雷に、二人ともなにが起こっているのか分かっていない。無論、それはエンジに関しても同じだった。


「赤目まこと、竜巳諒。仕合の最中に悪いが、教えておいてやる」

「な、なんじゃぁ!?」


「じ、神雷先生?」


『無双風雷』


 ジャキ、という音がしたかと思うと既に神雷は刀を抜いていた。


「様子見で刃通力を温存するなど……」


 風迅で諒に向かって斬撃を飛ばし、それを回避するのに諒は高く飛んだ。

 だが次の瞬間、神雷はまことを間合いに捉えた。


「えっ?!」


「愚の骨頂」

 

 雷迅を振り抜き歪な炸裂音を轟かせると、まことは電撃を浴びた。


「っきゃぁあああ!」


「お前たち三人に言っておく。切り札とは出し惜しみするものじゃない」


「!!」


 空に逃げたが為に逃げ場がない諒に向かって、神雷は空中の諒に対し連続斬撃を飛ばす。


「ぐぅあ!」


「でなければ……」

 カチン、と鞘に刀を仕舞うと神雷はエンジの元へ戻ってきつつ


「命を落とすだけだ」


 と言い捨てた。


「というわけだ。刃通力で伝承を抜刀すれば能力を行使できるが、ケツイとはその紋刀の潜在能力を引き出す技術。納刀状態で能力解放が可能とは、お前との戦いで初めて知ったがな」


 斬られたはずのまことと諒は、思ったよりもすぐに起き上った。斬られたはずの箇所にはなにも傷はなく、それが神雷の峰打ちによるものだと理解するのに時間はかからなかった。


「そういった訳でお前たちの課題がはっきりした。竜巳諒と赤目まことは刃通力をもっと自分のものにすること。帆村エンジはケツイの会得だ」


 3人に背中で話し、神雷はゆっくりと振り返ると諒とまことに向かってさらに続ける。


「先に言っておくぞ、竜巳諒と赤目まこと。お前たち二人はケツイについては触れるな。あくまで刃通力だけに専念しろ」


「はあ!? どういうことじゃ? あれだけわしらの前でケツイとかいうもんが大層たまげた代物みちょーに言っておいて、それを帆村以外気にするなとはどういう了見ぜよ!」


「正直そのケツイって奴まで、40日間で辿り着けるとは思わないけど……でも、まこともそんなのないって思います!」


 神雷は二人をじっと見つめる……いや、睨んだ。その眼力に黙らざるを得ない二人は神雷を見上げることしかできない。


「禁じられた技術だからだ。ケツイを会得すると大変なことになる」


「禁じられた技術ぅ!?」


 神雷の眼力によるプレッシャーに耐えながらも諒が不満げに食い下がる。


「このケツイには、ある“バグ”を引き起こす作用がある。悪意のある物がそのバグを利用すれば、帝國全体を揺るがしかねない事態を引き起こすだろう。抜刀しないという覚悟を持つ帆村だから教える技術だ。大丈夫だよ、ケツイを扱える刀狩(悪者)など聞いたことがない。よって、お前たちには必要がない」


 神雷は再び3人に背を向けると、その場を去った。


「今日はこの後、基礎技術鍛錬と刃通力を磨け。夕食時にまた来る」


 と残して。






「それにしてもまるで子供扱いじゃ! 悔しいが格が違うぜよ!」


「夜も強いのかな……」


「お前、なにを言ってるんじゃ……?」


 まことの妄想キャラをまだいまいち掴めていない諒は、まことの言動にいちいち戸惑っているようだった。無理はない、エンジのように最終的には“無視する”という境地に達するまで、ただただ振り回されるしかないのだ。


「それはそうとして……帆村、一体ケツイっちゅうんはどういうもんじゃ? 刃通力の先にある技術だと言われてもいまいちピンと来んぜよ」


 やはり気になっていたのか諒はメガネの高さを手のひらで直し、エンジにそれを尋ねた。


「さぁな。実んとこ俺自身も神雷の言う【ケツイ】ってもんがなんなのかよく分かってねぇ。刃通力ですらちゃんとコントロールできてるか怪しいもんなんだがな」


 爺との特訓で、確かに刃通力をコントロールできるようになったエンジだったが、刃通力を学苑で学ぶのは三年に進級してからだと聞いていただけに、実践での刃通力レベルを計り知れないでいた。

爺と神雷を除く刃通力使いと会うのは、このまことと諒が初めてだったこともあり、普段の自信家な面が珍しく隠れていたのだ。


「っていうか、刃通力の先にある禁術なんてそんなオカルトなものあるのかな。情報が無さ過ぎて……。そもそも刃通力とケツイの違いも分からないし」


「特例尽くしのわしら伝承使いじゃ。待遇や条件、教えられる範囲も特例なら、今回みたいに扱いも特例っちゅうわけじゃのう。まったく面倒極まりないわい」


 諒は愚痴を散らばせると、ふぅっとため息を一つついて立ちあがった。

「じゃがまぁ……折角のアラーム解除付きの合宿ぜよ。この機会に抜刀訓練しまくるってのは悪くないことなんかもしれんのう!」


 諒がにんまりと笑うのを見て感化されたのか、続いてまことがぴょんとうさぎのようなバネで飛び上がり、ストレッチを始めた。


「竜巳先輩の言うことは尤もだね! よしっ、まことも折角だから飛天齊を極めちゃおう!!」


 そう言って臨戦態勢に入る二人の間にエンジが割って入った。

 しかし、二人はそれを待っていたかのようにニンマリ笑うとエンジが次に話す言葉を待った。


「お二人さん、お楽しみのところ悪いけどよ。今日は俺も暴れてねーからストレス溜まってんだわ。ここはひとつ乱戦を提案しとくけど……どうだ」


 ブオンと、空をぶった斬る音を響かせて炎灯齊を一太刀振り諒とまことを交互に睨んだ。


「まことの欲求不満を満たせる甲斐性がエンジ先輩にあるのかにゃ?」


 まことは白い短刀型の紋刀・飛天齊をエンジに突き出すと唇を一周舐めた。


「噂じゃが、お前さんは抜刀せんらしいのう。ケツイかなんか知らんが、そんなんでまともにわしと張り合えるんか……見物じゃ」


 龍伐齊を肩に担ぎ大きく足を開くと、諒はエンジを挑発した。


「丁度、挨拶しなきゃなって思ってたんだ。……これで手間が省けるぜ!」


『わしゃあ無敵じゃ!』『飛天開眼!』


「行ッくぜぇぇえ!」

「……ケツイ、か。やってくれるぜ帆村の野郎ォ」


 体育館の舞台袖で彼らの様子を見ていた影が少し悔しそうな口調で言った。


「なにが奴をそこまで駆り立てるのかは知らんが、危うい存在なのは確かだな」


 その影の隣には先ほど去ったはずの神雷が同じく乱戦する3人を見守っている。神雷はたこせんを取り出すと、パリポリと食べ始めた。


「おい、神雷! 音立てんじゃねェ」


「大丈夫だ。奴らはそれどころではない。ところで誤解しているようポリなのパリで言ポリパリっておパリ」


「食ってから喋れ!」


 不機嫌そうに神雷はたこせんを食べ終えると、影対して改めて言いかけたことを話した。


「……誤解しているようなので言っておくが、【ケツイ】は決して【刃通力】より優れた技術ではないということを覚えておけ」


「なんだと?」


「【ケツイ】は確かに強力な技術だが、それは諸刃の剣だ。そんなものが存在するのにも関わらずここまで情報が露出しないというのには、それなりに訳があるということだ。

 今回、俺が三代目炎灯齊にそれを教えるのも、奴が抜刀を嫌い、抜刀を拒否しているからに他ならない。抜刀する人間にあれを教えると、身を滅ぼしかねないからな」


「どういうことだ」


「お伽噺はお伽噺のままでいたほうが夢がある。ということだ」


「訳わかんねェ」

「ともかく、刃通力とケツイを強さとして比べるな。どちらが勝っているかは状況次第で変わる。それは士道だけではないことくらいお前にも分かるだろう」


「慰めじゃねェことを信じるぜ」


「俺がその類の気休めを言うような人間かどうかは、お前がよく知っているはずだ。しかし、……そうだな。気休めをお前にかけるのなら、この学苑でお前が誰よりも刃通力を使いこなしていると言える。あの炎灯齊以上にな」


「ふん。だがおれはケツイに到達してねェ」


「再度言うが、刃通力の到達点はケツイじゃない。派生した道の一つの終着点にしか過ぎん」


「……」


「さぁ、お前もそろそろ戻れ。退屈かもしれんが大事な授業だぞ、抜刀訓練は」


 無言で影はその場から去って行った。それを目で追う神雷は2枚目のたこせんを取り出すと一口頬張り、再び3人を見た。


「ケツイや刃通力の心配より、ジョニー・バレットの来日で何も起こらないことを祈った方がいい」


 ――Xデーに向けてカウントダウンが始まった。


 エンジ達3人はXデーになにが起こるのかなど、知る由もない……。

 3回、ノックはドアの向こうの人物を尋ねた。


 しかし、その3回ともが無言を貫かれ反応さえない。


「……バレット。開けますよ」


 こんなこともあろうかと部屋のスペアキーを預かっていた少年は、ドアの向こうの部屋に居ると思われるバレット……ジョニー・バレットに一方的に断りを入れると、鍵穴にキーを差し込んだ。


「ヘイ! ちょっと待つんだシェリー!」


 今まで散々反応のなかったバレットの慌てた声が、ドアを開けようとするシェリーなる少年に掛けられる。


「なにを言っているんですか。もう充分に待ちましたよ」


 構わずにノブを回して部屋に足を踏み入れると、バスルームとクローゼットルームに挟まれた通路の奥から、衣擦れの音が聞こえ、その中でカチャカチャと金属音が近づいてくる。


「おーシェリー! どうしたんだオイ、チキンでも食いたくなったか? 悪いが今日はフィッシュの気分……」


「失礼」


 シェリーを奥の部屋に入らせまいと現れたジョニーは、裸にGパン姿であった。余程急いだかのような形跡を、カチャカチャとぶらついたベルトが物語っている。

 そんなジョニーを片手で押しのけると、マッシュルームみたくつるりと丸いシルバーブロンドの髪に赤のタイを首に巻き、くるぶしまで行かないパンツにサスペンダー姿のシェリーが奥へと強引に入った。


「お、おい! そうだ気が変わった! 丁度俺もフライドチキンが食いたいと思ってたんだよ、やっぱり俺達はシンクロしてると思わないか? なぁおい、だからそこから先には行くな」


 ジョニーが必死にシェリーの足を止めようとあれこれとしたためるが、そんなことはお構いなしにシェリーはズカズカと奥に足を進めていった。

 たまらずジョニーは駆け足でシェリーの目の前に立ちはだかると


「美味いチキンを出すレストランがある! あのデカいモモを見たらさすがのお前もたまげるぜ!」


「……生憎ボクはベジタリアンですので、折角のお誘いですがお断りします」


「お、おい! シェリ……」


 シェリーが立ちはだかったジョニーの大きく開いた足の間を素早くすり抜けると、ジョニーが散々見せたくなかった大きなダブルベッドの前で立ち止まった。


「シット……」


 観念したジョニーの漏れる声を後頭部で聞き流し、シェリーは怒りと呆れの混じった複雑な眼差しでベッドのそれを見詰めていた。


「彼女とは縁を切ったのでは? 言い訳は聞きますよ」


「……弁護士を呼んでくれ」


 参ったと表すようにジョニーはクシャクシャと前髪を掻いた。


「弁護士よりもどちらかといえばパパラッチをこの部屋に招待してはどうでしょう。貴女はどう思いますか? ナオン・リーディア」

 シェリーの複雑な感情が入り混じった瞳が睨んでいたのは、裸にシーツを纏ったのみでシェリーのことを微笑みながら見つめる女性だった。 

 纏っているシーツからは首から肩にかけて彼女の白く美しい肌が覗いており、このベッドの上でジョニーと彼女がダンスナイトに興じていたことは想像に難しくない。

 だがナオンはというと、シェリーによって不意にダンスを中断せざるを得なかったのにも関わらず、その表情は涼しいものであった。


「そうね……パパラッチに撮られたら、スキャンダラスに扱ってくれるかしら?」


 ナオンはベッド横の灰皿置きからタバコの箱を取ると、一本咥え火をつけた。

 そしておいしそうに大きくそれを吸い込むと、蜘蛛が糸を吐くように美しく煙を吐き出す。


「ええ、盛大に祀り上げてくれますよ。『淫売スターモデル、死神ジョニーを色仕掛け』ってね」


「うふふ、そのマガジンは売れそうね」


 皮肉をたっぷりと塗り込んだダーツ針を投げたつもりのシェリーだったが、一枚上手のナオンはその針を避けようともせず、それが当たらないことを事前に知っていたかのように平静と笑って見せた。


「ジョニー!」


 駆け引きでは勝てないと悟ったシェリーは背後で居づらそうに頭を掻いているジョニーを大きな声で呼び、突然呼ばれたジョニーは肩で返事をした。


「そのレストランのサラダの味は?」


「え?」


 予想していなかったシェリーの言葉に戸惑うジョニーにシェリーは精いっぱい明るい声で続けた。


「チキンのおいしいレストランで、たっぷり言い訳を聞きましょう」


「オ、オーライ……」


 足元に落ちていたシャツとテンガロンハットをジョニーに投げつけ、シェリーはジョニーの背中を乱暴に押す。


「シェリー。貴女も女性なんだから、もっとおしとやかにしなきゃダメよ」


「ご心配頂き恐縮です。では」


 引きつった笑いでシェリーはジョニーを部屋の外に押し出し、場を去った。

 その様子をナオンは最後までくすくすと笑い、長いパーマの掛かった赤紫色の長い髪を指で遊びながら見ていた。


「ああ、俺はこのチキンステーキとそうだな……このポテトのスープ、それにパテだ。

 シェリーはなににする!?」


 レストランに着きテーブルに着いたジョニーは明らかに不機嫌なシェリーの顔色を伺いながらオーバーにおどけてみせた。


「私は結構です」


「おいおいそう言うなよ! ここのサラダは美味いんだぜ、なぁボーイ?」


「ありがとうございます」


「結構です」


「~~……っ! じゃあ、このチーズサラダのジェノバ風をくれ。ほら、チップだ」


 ボーイが礼を言ってテーブルを去ると、ジョニーは被ったテンガロンハットのツバ先を持ちシェリーにかける言葉に困った。


「おいシェリー……機嫌直せよ、俺が悪かったから」


「貴方が悪い? 当たり前です」


「う……、そ、それになんか話があってわざわざホテルに来たんだろ!?」


 ボディランゲージを交えてジョニーは陽気に機嫌を取ろうと努めるが、シェリーの機嫌は直りそうになかった。


「よりによってナオン・リーディアを部屋に招き入れるとは……。分かってるんですか!?

 あの女のせいで貴方は一度痛い目に合っているはずです!」


「いや、まぁ……けど、あれはイイ女なんだ」

 しまった! と口を手で押さえたが既に遅かったらしく、シェリーはグラスの水を一気に飲み干す。


「ジョニー……貴方の下半身にはどうやら人格がないらしいですね。この際です、潔癖をオーディエンスにアピールするためにも、その節操のないモノを切除されてはいかがです? 私の知り合いに優秀な整形外科医が居ますので、すぐに連絡しておきましょう」


 シェリーがサスペンダーと一体型になっているホルスターから小型のピストルを出した。


「お、おい!」

 

 焦ってシェリーを止めようと手を伸ばすが、シェリーはジョニーの伸ばした手を椅子で引いて避けると、ピストルの握り上部のスイッチを簡単に操作した。

 ピピ、という電子音が鳴りマガジンに向け「サンホルチア大学病院 整形外科」と声をだしてコールした。


「や、やめろ! メ、メッセンジャーを解け! わ、悪かった! もうナオンとは関わらない! 頼む! この通りだ!」


 ジョニーが神に祈るように掌を組んで頭を下げる。それを細目で数秒見詰めると、シェリーはピストルをホルスターに仕舞った。


「……デザートも奢ってもらいますよ」


「好きなだけ食ってくれ」


 帝國の紋刀と同じシステムの流れを組む【GUNMAN】にも、紋刀でいう【コトダマ】と同じ通話ツールが組み込まれている。それが【メッセンジャー】というわけだ。

 ジョニーがシェリーの行為に焦りを見せたのは、発砲する危険ではなく、下半身が不能になるかもしれないという恐怖からであった。

「やれやれ……お前には勝てないよシェリー」


 運ばれてきたチキンをナイフで切り、豪快に頬張るジョニーは少し疲れた様子で、シェリーに観念を示した。


「約束は守ってもらいますよ。もうナオン・リーディアと接触しないでください」


「……オーライ」


 今更だが、少年だと思っていたシェリーという人物はどうやら少年ではなく少女であるらしい。

 なるほど、それならばベッドの上で、スタイリッシュでセクシーな美女を見て余計に反感を持ったのであろう。彼女も一人の女性として勝てないと……失礼、ここまでしておく。


「では本題に入りますが、来日のスケジュールに関してです。……聞きますが、ジョニー、ちゃんとトレーニングはしていますか」


「トレーニング? やってるさ! 今日も腰の筋肉をだな」


 ギラリと光るシェリーの目に気付き、ゴホンと咳払いし今の発言をなかったことにする。


「……ジョニー。貴方はサムライ・風馬 神雷を甘くみているのではないですか?」


「おいおいよせよ。そんなはずないだろ?!」


「はぐらかさないでください! 分かっているのですか?! 帝國の最終日に予定されている風馬 神雷とのエキシビジョンマッチ、スケジュールが決まっている中でこの試合だけは勝敗についてミーティングされていません。つまり、真剣勝負(セメント)だってことです」


「だったら尚のこと心配には及ばないぜ。セメントなら間違いなく俺の方が上だ。お互い手加減の上で……ってことなら手加減の下手な俺には分が悪いかも知れないがな」

 ポテトのスープをカチャカチャとスプーンと皿の底をぶつけ、すするジョニーはシェリーの心配を一笑した。


「斬撃を飛ばすサムライだそうだが、飛び道具で勝負するならカザマに勝ち目はない。接近戦になれば確かにカザマが有利だろうが、カザマは俺に近づけない。

 俺がビッグマウスだと思うなら、きっとカザマも同じさ。自分が敗けるはずがないと思っている。だから俺と同じくトレーニングなんてしていない。だろ? シェリー」


「残念ながら私の元にはそこまでの情報は入ってきていません」


 ジョニーの自信を見て、それ以上追いかけるのをやめたシェリーは、手に持った青いバッグから何枚かの紙を出し、それをジョニーが見えるようにテーブルの中央へ差し出した。


「では、信じるとしましょう。ですがお忘れなく……たかがサプライズマッチと言ってもアメリカの誇りを背負っていることを。負けは許されませんよ」


「オーライ」


 シェリーの差し出した紙には来日スケジュールの日程が書かれてあった。


「いいですか、まず空港に着いたら……」

「ジョニー・バレットが空港に着いたらまずお前たち3人が花束を持って彼を迎える。そして、次にそれを手渡しカメラマンや記者たちが写真をとり、その後は帝國庁へ出向き総裁と会談。この行程を見て分かるように最初に注意せねばならないのは……三代目炎灯齊」


「そ、総裁に面会するときっす!」


「……ほう、なぜそう思う」


「そりゃジョニーが帝國の最高責任者である総裁に出会ったら、きっとそのGUNMANの銃で総裁を蜂の巣にですね……」


「そうか。もういい炎灯齊、今日のメニュー1時間追加だ」


「ご無体な!」


 完全に頭の悪さを露呈したエンジから目を離すと、神雷は次に諒を指した。


「竜巳、お前はわかるか」


「そうじゃねぇ、まず空港に着いて飛行機から降りるところかじゃ?」


「正解」


 神雷はホワイトボードに描いたへたくそな飛行機の絵を指し棒で指し、


「竜巳が言った通り、まず最初に狙われるポイントはここだ。だからこそここでお前たちと会わせる。歓迎と見せかけてな」


 そして次に神雷は飛行機の下に描いた棒人間に矢印で、『総裁』と書いた幼児が小学校低学年の子供が描きそうな絵を指す。(字は上手い)

「次に空港から帝國庁までの道中が危険だ。ご丁寧なことに帝國庁までの道を封鎖し、この日の為にパレードをするそうだ。地元球団が優勝した時の……あんな感じになると思ってくれていい。我が国では銃火器の取締りを徹底しているが、大きな刀狩組織になると少数ながら所持しているらしい。遠距離からの奇襲となれば銃を使用することは充分に考えられる。油断は禁物だ」


「帝國庁についたら総裁の命を守るんだな!」


 神雷が明らかにイラッとした反応をしたのを見逃さなかったのか、神雷からカミナリが落ちる前に竜巳が「阿呆!」と叫ぶ。


「あぁ!?」


「あぁ!? やないわ! なんで友好深めに来とるジョニーが俺ら日本人に囲まれてる中で総裁を手にかけるんじゃ! っちゅうかそもそも俺らが護るんはジョニーじゃ。

 帝國総裁やないじゃろうが」


「……あ」


 竜巳にそこまで言われると、エンジは納得したのかニッコリと一度笑って『どうぞどうぞ』と話を続けるよう神雷にジェスチャーで促した。


「そう、その通り。空港に着くのが15時、そして帝國庁着が17:30だ。その後、都内ミッチュラン2つ星を獲得した和食レストランで食事を取り、20:00からは番組収録。

 お前たちは学苑の記録部としてドキュメンタリー映画を撮る名目でホテルまでの行動を共にする。ホテルでジョニーと別れるが、別れた振りをしてお前たちは彼の一つ下のフロアの部屋で待機しろ。なにかあったらいつでも出られるようにな」


「あの……」


 まことが挙手し、神雷は発言を許可する。


「この間、神雷先生は一緒にいてくれるんですか?」

 まことの質問に神雷は「そこが重要なところだ」と前置きし、ホワイトボードをくるりと返し、裏面を見せた。


「ジョニーサイドが護衛を拒否しているということもあり、どうやら当日の俺の動向を監視しているらしい。その為、俺は3日目のエキシビジョンマッチまでの間、普段と同じように振る舞わなくてはならない。

 ジョニーの安全確保を放棄している体だが、もし実際に安全を脅かすことになった場合、どんな報復をしてくるか分からない国だ。本来、護衛は俺が適任なのだろうが、エキシビジョンまではお前たちだけが護衛になる」


「それってつまり……こういうこと?」


 まことが信じたくないと言った様子でひくひくと口角を痙攣させ笑うが、目は笑っていない。


「……神雷は護衛任務に参加しない……?」


 一言一言確かめるかのように諒が言う。


「そんなん無理だって! いくらなんでもまことたち3人だよ!?」


 気が動転しているのかまことが大きな声で神雷に詰める。


「その為の合宿訓練だ」


「そう……だけど……!」


 力が抜けたまことはそのまま椅子に座り込んでしまった。


「気休めになるか分からんが、ジョニー・バレットの力も信用しておけ。

 もしも銃による狙撃に遭った場合、銃撃に関しては奴の方が専売特許だ。護衛がいらないと行ってくるくらいだからよほど腕に自信があるのだろう。銃の扱いに慣れている帝國日本人がその点で奴に勝てはしないだろうからな」


 それを聞いたまことは、ふぅ……とため息を吐いた。この溜息は安心からくるものか、それとも不安に駆られたからか。


「そして二日目のスケジュールだが、士道学苑の視察と相撲観戦、そしてメディアの取材、ステーキハウスで昼食……14:00からはアイドルグループTKK12と対談、帝國スポーツ競技場でGUNMANのデモンストレーション。夜は権力者たちとの接待……。

 最終日となる三日目はエキシビジョンに備えて日中はフリー。ホテル内のジムを借り切っているのでそこでトレーニングをするのだと考えられるな。

 そして、18:30よりエキシビジョンマッチ。お前たちのゴールはここまでだと思ってくれていい」


 3日間のスケジュールを聞いて3人は揃って溜息を吐く。


「以前も言ったが、刀狩が襲撃する可能性は五分よりも低い。そして、ジョニー本人の能力も高い。危険性については低いと言っていい。

 だが、それよりもお前たちが気を付けなければいけないのは、【お前たち3人が実は護衛】だということをジョニーに悟られてはいけないということだ。

 もしも早い段階で、これがジョニーにバレればこちらからガードを付けることは現実的に厳しくなる。あくまでお前たちは士道学苑の記録部で、ジョニーのファンであると思わせること」


「……簡単に言ってくれるぜ」


 呻くようにエンジが言う。その声に神雷は少しだけ片側の口角を上げると


「なので、今から演技の特訓も追加だ」


「…………えええええええ~~~っ!!」

☆☆☆



 神雷からスケジュールの詳細を伝えられた時点で合宿開始から既に20日が経過していた。

 それぞれの訓練の進捗は次の通りだ。


「竜巳 諒……刃通力の発動とコントロール、諸々の管理は問題ない。問題ないが……赤目 まことに比べると幾分か劣るな。

 だが、それを補って余りある技力、精神力、スタミナで総合点では当初の想定通り他の2人よりも頭ひとつ突出している。


 次に赤目 まこと。技術面、精神面、スタミナ……どれも及第点ではありながら、やはりそこは一年生レベル。一年レベルに於いての上の上といったところか。

 だが赤目 まことは3人中トップクラスの刃通力を操る能力がある。天性のものか、鍛錬によるものか分からないが、とにかく赤目 まことの場合は刃通力の存在だけで他の劣る部分をカバーしている。彼女の持つ伝承の能力とも相性がいいのあり、少なくとも手練れの相手と仕合っても致命傷を負うことはないだろう。


 そして、問題児……三代目炎灯齊こと帆村 エンジ。

 3人中、技術点は最低。いや、技術点だけで言うなら学苑の2・3年生の中でもかなり低レベルだろう。刃通力の扱いについては竜巳 諒と同等かもしくは少し上程度……。伝承使いにも関わらず抜刀出来ないという致命傷を持つが、それを【ケツイ】でカバー出来るかがカギ……。奴のポテンシャルはそれらを覆しうるものがある」


 私の代わりに進捗の説明を読み上げてくれたのは、士道学苑校長東 東。

 苑刀・石州來來を背に飾り、幾つものトロフィーや盾が飾られている校長室の椅子で、人知れず神雷が作成した報告書に目を通していた。


「なるほどなるほど……。まぁ、上手くやっているみたいだね~……。

 ただ、この帆村 エンジくんがある意味で便りの綱ってことかぁ。


 彼らには悪いけど、かなり高い確率で刀狩の襲撃があると思うからね。

 早いところ、この帆村 エンジくんには【ケツイ】を習得してもらわないと……」


 そう言って校長は机に置かれた青汁ジュースを飲み干し「まずっ」とこぼした。

 ――合宿39日目。



 炎殲院の夜は暗い。


 広い敷地の為、辺りを照らす灯の数は限られており、寺を囲む雑木林に一歩踏み入ると一面が闇。幼い頃からエンジや千代は夜に出歩くことなど滅多になかった。

 それどころか、エンジも千代も寺を空け外泊することもほとんどないため、寺に暮らす爺の弟子、爺、千代、エンジの誰か一人でも欠けると急に寺は広く寂しくなる。


 そんな慣れない寂しい夜も39回目を迎え、ジョニー来日を2日後に控えた夜。

 千代は暗い中庭に出ると、羽織ったブランケットを肩にかけ空を見上げた。


 エンジが合宿に出て既にひと月以上が経ち、落ち着かない夜もいつか慣れると思ったが千代がエンジのいない夜に慣れることはなかった。


 いつもいるのが当たり前過ぎて、それが急にいなくなるとその人の存在の大きさがよく分かる。エンジがいつかこの寺を出る時、またこんな気持ちになるのだろうか……。


 星を見上げた千代は、考えたくもない未来を思い、憂う。


 いつか主である三代目炎灯齊は妻を取り、自分の元から離れる。やがてエンジの元に生まれた子の目付として自分が……。

 自分も子を身篭って、そのまだ見ぬ子をエンジの子の臣下として付けなくてはならない……。そんなことも思い浮かばないほど、千代にはその未来が来ることが憂鬱であった。


 エンジのいない夜が続くたびに、考えないようにしていたはずのビジョンが思い浮かび、エンジのいない夜を重ねる度に、ビジョンを思う時間が長くなった。


「えんとーさいさま……」


 ようやく口を開いた千代だったが、その言葉はやはり主であるエンジの名だった。

 寂しいと言いたくても言う相手がいない時、年頃の少女はどうやって消化不良の気持ちを納めるのだろうか。


「えんとーさいさま……赤目まこと……」


 おや? 赤目まことの名前は関係ないと思うが。


「あるデータによると、帝國青年男子の一般的な初体験は平均17歳~18歳……一方で女子は16歳~17歳……。ぐ、ぐぎぎ……」


 なるほど寂しいというわけではなさそうだ。ただただ、赤目まことと同じ建物で泊まることに嫉妬と怒りと憎しみを燃やしているだけのようである……。


「これ、千代よ」


 私が失望しかけた絶妙なタイミングで千代に爺が話しかけた。


「……父様」


「坊を想っているのだな。分かるぞ千代」


 なんでもお見通しだと思っていたが爺は娘の嫉妬に気付くことはなかった。……シット。

 千代が夜空を見上げ、爺がその視線を追ったのと同じころ、当のエンジはというと特訓もラストスパートに入り、その身を磨いていた。

 諒とまことは、同じメニューで刃通力と抜刀しての仕合訓練。そして最終的な作戦のシミュレートだ。

 ――2日後にジョニー来日を控えたエンジは、特別訓練と称したケツイの訓練に明け暮れていた。


 諒とまこととは全くの別メニュー。7日前までは、訓練の時間を除いては宿舎で彼らと合流し、食事などを共にしていたが今は完全に隔離されての訓練となっていた。


 諒とまことは前述の通り、抜刀・刃通力・実践仕合の鍛錬及び訓練を行っていたが、エンジはそれには全く参加せず、ただ一つのことだけを行っていた。


 それはイメージの具現化。


 本来の姿である炎灯齊は鞘から抜く度に炎を吹き出し、太刀を振るう度に烈火をまき散らす。達人の域に達すると、大気中の塵や埃に引火し、辺り一面を焼き払うことすらも容易いという。


 知っての通り、エンジは抜刀しない。当然だが、抜刀しない刀ではそういった無尽蔵な炎を生み出すことなどは不可能だ。


 ただし、ケツイによってその片鱗を引き出すことが可能。……しかしこれはあくまで神雷の仮説によるものであって、確信はない。


 3人の中で唯一ケツイの境地に辿り着いているエンジにのみ、実践訓練を全て無視してでもその微かな望みに賭けていたのだ。


 それに必要だと思われる訓練が彼の課せられた【イメージの具現化】である。

 これはつまり【炎灯齊の持つ烈火を具現化する】ための訓練で、己の最大の敵をイメージで具現化し、それと闘うというものだ。


 バカバカしいスピリチュアルなものだと一笑する者もいると思うが、それはあくまで一般の人間において、である。

 先ほども述べた通り、エンジには【ケツイ】の素質がある。思いの強さを物理的な強さに返還するケツイであれば、イメージを具現化した敵を生み出すことが出来る。

 炎を引き出すことが出来るはず……というのは神雷の憶測から来るものだが、イメージを具現化した敵と対峙するのは、実際のケツイの訓練に於いては実在するものであった。


 神雷本人も言っていた通り、ケツイ自体が禁じられた技術であるがためにその訓練方法を知る者も極端に少なく、当然ながら教科書にも載らない。私達の住む現代日本と違い、インターネットの自由も制限されている帝國ではそれについて一般国民がその存在を知ること自体が、途方もなくあり得ないことでもあるのだ。


 エンジの最初の5日間はイメージの具現化どころか、精神力が持たずになにもしていなくとも一日に何度も倒れていた。


 ――ケツイとは刃通力の派生した一つの到達点である。


 だからして、精神力を身体的能力にトレースする刃通力を必ず経由するため、著しく精神力を消耗し、同時にそれをケツイまで昇華させるため肉体的にも非常に消耗する。 

 これを一日に18時間以上繰り返す。倒れては起き上がり、起き上がってはまた倒れる。


 この繰り返しはエンジに限ったことではなく地獄のような日々であった。


 だが、エンジは6日目にしてようやくイメージを具現化することに成功する。きっかけは至って単純なものだった。祖父である初代炎灯齊が、父センエツに敗れたあの寒い夜を思い返し、なにも出来ずに震えるだけだった無力な自分。


 その無力な自分が力を持ち、友が出来た。誰よりも自分を案ずる臣下も離れることもなく側にいる。なのに、自分は守ることが出来なかった。

 佐々木小太郎との一戦。あれが小太郎ではなく、刀狩だったら?


 間違いなく千代とハーレイは殺されていた。だがもしも最初から抜刀できてたら?


 間違いなく相手を殺していた。

 自分自身の覚悟が甘かったのだ。ぬるい、ぬる過ぎた。


 あの日よりエンジは自分の無力さを再び感じることとなった。抜刀すれば殺してしまう。抜刀しなければ殺されてしまう。


 守るための力。


 それは結局なによりもシンプルな結論へと落ち着くのだ。


 抜刀せずにもっと、もっと強く成ればいい。抜刀なんぞしなくとも、守れる力を得ればいい。単純ながら意思の強さがなければ成し得ない。

 なぜならば、今のエンジは紋句を知らず抜刀できない士ではないからだ。

 今のエンジは、【抜刀しない士】であるから、その覚悟と決意がエンジを刃通力からケツイへと導いたのではないだろうか。


 彼の最大の敵、倒さなければならない敵、そして、その敵はなによりも目標である。


 帆村 センエツ――。


 エンジが具現化する最大の敵はそれであった。


 守るための力、それはセンエツを超えセンエツを倒すだけの力。


 それさえ成し遂げることが出来ればエンジは炎灯齊を置く覚悟が出来ていた。

 士を退き、ただの人として生きてゆく。


 ……そう、若いながらエンジはそこまで考えていた。


 だが、彼は気付いていない。その思想こそが士道に身を投じる士として最も相反するものだということ。まわりくどい言い方をしないのであれば、士なのに士に成りたくないという意味だ。


 死する覚悟はあれど、死を与える覚悟はない。


 この鉄よりも固い決意と覚悟は、この先エンジを苦しめることになるとも知らず。

 エンジは真っ暗な道場にいた。


 たった一つのかすかな光すらもささない。漆黒の闇。

 暗いのではない。それこそが闇、闇なのだ。

 

 目が慣れることなどない闇の中で、手には炎灯齊。目の前には自らが具現化したセンエツがぼんやりと陽炎のように立っていた。


 幼い記憶の中でおぼろげに覚えていた父の姿。

 それなのに目の前に対峙する父の幻影は、最大の敵を冠するに相応しくあらゆるものを凌駕する鬼迫を放っていた。

 父が握る刀は、自分と同じ炎灯齊。ただし、父が持つのは抜いた炎灯齊である。


 近づけば一太刀にて黒焦げた塵に還り、離れれば刃通力によって極限まで高めた脚力により間合いを詰められる。まさに死角なし。

 神雷から言われているのは『イメージを具現化すること』だけであった。


 だが、エンジは自らがそれを具現化してその真の意味を理解する。

 【この敵を屠ること】、これこそがケツイの習得条件だと。


 センエツを軸に円を描くようにじりじりとつま先を鳴らし、ほんのわずかな隙を探す。

 探しながらも自らも隙を作らないように集中力を高める。


 センエツの幻影は、エンジのケツイによる幻影なので具現化を持続させるための別の精神力も安定させなければならない。不安定になった瞬間、センエツの幻影は消えてしまうからだ。


 神雷からこの訓練を聞かされたとき、バカバカしさを感じていたエンジだが、この訓練の困難さを身をもって感じていた。

 イメージを具現化させた敵と戦う、たったそれだけのように聞こえるが、これを成し遂げるだけでありとあらゆる力を要求される。

 精神力だけではなく、戦うのだから肉体的な力も酷使する。


「!?」


 一時も目を離さないでいたエンジだったが、そんなエンジをあざ笑うかのようにセンエツの幻影はエンジの目の前に間合いを詰めた。


 それを目で追うのが出来なかったことを悔いる暇を与えず、センエツは烈火をまき散らし弧を描き太刀を振るった。


 センエツの振るった炎灯齊は、エンジの股を通り左肩へと抜けた。

 エンジ自身が斬られた感覚に襲われた直後、センエツの幻影は消滅した。


「……くそ……! 1235戦1235敗……」


 お分かりだろうか。センエツの具現化に成功してから、エンジは一度たりとも勝利していないのだ。


「……ップハッ! はぁ……はぁ……」


 精神的にも肉体的にも消耗しているエンジは、暗闇の床に大の字で倒れこみ額から後頭部にかけて流れてゆく汗の軌道を感じている。

 はぁはぁという息切れは、すぐにぜぇぜぇという激しいものに変わり次の具現化に向け回復するのを待つ。


「しんどい……っ、マジでこれはキツイ……」


 絶対に守る……この言葉は、なによりも重くエンジにのしかかった。

 

 ――抜刀するためだけにこの言葉を言わなくてはならないのならば、死んだ方がマシだ。

 だから死ぬほどの修行をして、絶対にものにしてやる。


 このバカでかい出刃包丁を!


 エンジの覚悟は確実に、その領域へとエンジを近づけていく。その手応えは、微かだがエンジの手のひらにも確かに残り香を残していた。

『飛天開眼!!』


 抜刀と同時にまことの姿が消えた。


「毎度のことじゃが、まっことこのスピードにはたまげたもんぜよ」


 レンズの奥の瞳を配らせながら諒は素直に感嘆を詠った。


 諒の左背後上空、完全に死角を捉えたまことの刃が諒に襲い掛かる。

 気配を察知した諒は、まことが自分に接触するかしないかのギリギリの間合いで


『わしゃあ無敵じゃ!』


 と紋句を詠った。


「くぅっ!」


 諒の抜刀と共に衝撃波がまことの軽い体を跳ね返した。


「やっぱりずるいよ竜巳先輩の伝承能力!」


 跳ね返された身体を空中で3回転させ、まことは猫のように着地した。


「なにを言うておるんじゃ、わしから言わせりゃ赤目のが反則ぜよ」


 龍伐齊の能力は抜刀時の衝撃波放出。そして斬撃時の強制的な氷結付与。足元を凍らせて可動範囲を広げたり、水滴を針として斬撃と共に射出したりと相手の自由を奪うことに長けた能力だ。

 一方まことの伝承はというと……


「こっちはただでさえリーチが短いってのに、あ……でも初めての相手はやっぱり短いほうが痛くないのかな」

「お前は正真正銘の変態じゃのう」


 まことは頭上のなにもない空間を斬りつけるとその反動を利用し前宙返りしたかと思うと、斬った空間を蹴った。

 信じがたい光景だが、どうやらまことの持つ飛天齊は斬った箇所に無条件で着地点を発生させる能力を持つようだ。

 まことは空間を蹴ったかと思うと、ミサイルのような速さで諒の元へと襲い掛かる。


「まことは女だよ! 女がエロくてなにが悪いー!!」


 どこかで聞いたフレーズの台詞を叫び空中から諒に斬りかかったまことの太刀は、諒の龍伐齊を捉え、ギィンと激しい衝突音を響かせた。

 だがまことはその場で軽業師の様にまた宙返りすると飛天齊で斬りつけた諒の龍伐齊めがけ蹴りつけた。


「おおう!? そんなことも出来るんか!」


 そう、接触した刀に於いても飛天齊の着地点付与に例外はない。まことの飛天齊は着地点の設置数が増えれば増えるほど縦横無尽に飛び回ることができる。

 あらゆる方角、死角よりロケットのように襲い掛かるまことの戦法は敵の立場からすればたまったものではない。


「しっかし……これはどうじゃ!」


 腰に下げた鞘の口を外に向け、自らの周りに振り回す。すると鞘の口から大量の水があふれ出し、霧状に彼の周りを覆った。


「龍源氷結!」


 諒の扱う龍伐齊は、水の能力を司る伝承だ。氷結の能力と水を操る能力を持ち、その鞘には常にそのための水が溢れている。


 霧状になった水が一気に氷り、突進してくるまことを傷つけながら勢いを殺してゆく。


「ええーー!」


 当然、その状態に驚きつつも身を守ろうと両手で頭を守る姿勢をとる。

 霧状になった氷は超速で突っ込むまことの肌を微量ながら傷つけた。


「痛いのはいやー」


 どっちの意味で言っているのかは深読みしないでおこう。

 諒はそんなまことをしっかりと掴むと、龍伐齊を構えた。


「覚悟するぜよ!」


 諒の渾身の太刀がまことの首元を襲う。


「あわわ……」


 それを寸止めで止めると、龍伐齊を鞘に戻した。

 掴んだまことをゆっくりと地面に下すと、「わしの勝ちじゃな」とニッカリと諒は笑った。


「んもー! 竜巳先輩に勝てない!」


「はっはっはっ! わしとええ勝負したけりゃあと2年、辛抱強く修行することじゃ!」


 飛天齊を納刀し、唇を尖らせるまことに諒は健闘を湛えつつも、この能力の希少さを羨む。


「しっかし、特殊な能力じゃのう。空間に着地点を設置するっちゅうのは、女子じゃなけりゃ無理ぜよ。

 もしも遠距離から銃をもつ敵が現れても、その能力さえありゃあ一瞬で追い付けるし、使い勝手が重宝しそうぜよ」


「いやあ、慣れるまでは目が回って大変でしたけどねー!」


 まこともその言葉を素直に受け、笑った。

「……しっかし、赤目よ。お前はどう思わんや」


 諒はスポーツドリンクを入れた水筒の口からストローを出し、それを飲みながらまことに聞いた。


「え、胸が小さいほうが感じるって話ですか」


「お前は頭がおかしいんか。そうじゃなくのう、刀狩の話じゃ」


 まことはカバンからビスケットを取り出しそれを食べながら少し眉を下げ、不安げな表情を見せ、少し言いにくそうに答える。


「……そりゃ、出来れば現れないでほしいですし、神雷先生も五分五分だって言ってましたけど……」


「そうじゃなくて赤目はどう見てるんじゃ」


「うーん……正直、五分五分じゃないと思います。八割くらいの確率じゃないかと」


「やっぱ、お前もそう思うか。実はわしも同意見じゃ」


 諒が水筒の蓋を締め、持っていたタオルでメガネのレンズを拭く。だが、顔はレンズを向かず天井を眺めていた。


「なぁんか腑に落ちんことが多すぎるんじゃ。確かにジョニーが拒んでおるんかもしれんが、学苑の生徒に任せることじゃないじゃろう? いくらわしらが強かったとしても、無銘の手練れ士なんぞ腐るほどおるわい」


「……確かに。それに伝承使い=強い、って確証ないですもんね」


「そう。わしらが選ばれた理由と、もう一つ気になるんじゃ」


 まことがビスケットを一枚食べ終わる頃、諒は呟く。


「なぜ禁術であるケツイを帆村にだけ教えてるんじゃ……」

 エンジが1人で鍛錬を続けている小屋のような道場。


 外から見ても明かりなどない。


 そんな闇に溶け込む道場の窓が、内側から一瞬オレンジ色に光った。

 それは本当に一瞬だったため、瞬きのタイミングが合えば確実に見落としていたほどの刹那であった。


 道場の中では、さきほどと同じように大の字で倒れ込むエンジの姿があった。

 はぁはぁからぜぇぜぇと、また同じように息を荒くしながら、エンジは呼吸を苦しく感じながらでも笑った。


「はぁ……はぁ……やっと……1562戦 1561敗 1勝……」














【士道ノ捌へ続く】

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