第10話

「……へぇ、お前が」


 エンジが諒とのコトダマを閉じた直後、突然自分に目がけて投げられた苦無のような物体を避け、傍の鉄柵によろけた。

 同時にエンジが進もうとしていた方角、足元を踏み出そうとしたまさにその場に、それが金属をめり込ませる甲高い音を鳴かせて突き刺さった。


 それを苦無であると視認したエンジは、間違いなく自分の正面からそれが飛んできたのを知ると、正面の先を睨んだ。暗闇に乗じて姿を見せない《何者か》は、一方的にエンジを確認したのか、意味深な言葉を投げかけたのだ。


「誰だ、てめぇ」


「誰だもなにも、お前たちが心待ちにしていた刀狩りだぜぇ?」


 やけに嬉しそうな声は相変わらず姿を眩ましたまま話し、エンジの琴線に触れる。


「待ってねぇ!」


 エンジはまた苦無が飛んでくるかもしれないのにも関わらず、闇の中から自分を除いている【それ】に向かって突進していった。


「くきゃっ! 聞いてた通り猪突猛進なタイプだねぇ! 親子でもこんなにも似ないもんかぁ?」


 その言葉にエンジの挙動が止まり、今にも振り回そうかという炎灯齊を腰の位置で勢いを殺した。


「親子……だと」


「なんだ? 違うのか? お前、【千人殺し】の息子だろ?」


「お前……【あいつ】の仲間か……!」


 闇の奥の住人はカッカッカッと不快なトーンで空笑いを靡(なび)かせ、真剣なエンジを小馬鹿にする。


「てめぇ! なに笑ってやがる!」


「カッカッカッ! 冗談じゃねぇ! あんな刀狩の【面汚し】と同じにすんじゃねえ!」


 明らかにエンジの父・センエツを知っているように思わせぶるその人物は、可笑しいのか不快なのか、聞いている者を混乱させるイントネーションで謡ってみせた。


「うるっせえ! わけわかんねーこと言ってんな! 姿現せよブサイク野郎が!」


「くきゃっ! ガキがガキくせえ挑発をしてんぜぇ!? この沸点の低さも全然似てね~えなぁ? お前、橋の下から拾われてきたんじゃねーの」


「時間稼ぎしてるつもりかよ。ぶっ倒してやるから出てこい!」


「悪ィな。時間稼ぎっていうよりも、今お前に神雷に連絡させると面倒なんでね。なーに、将来有望なおガキ様の命を易々と頂戴しちゃうほど腐っちゃねーからよ。安心しなぁ」


 暗闇の奥からバチバチと静電気が走るような細かな電撃音が鳴った。そして、二つの何かが床に落ちる音。ゆっくりと姿を現せたのは、キツネの面をかぶった細身の男。

 手には二本の紋刀が握られ、チラチラと弱い光を吸っては反射している。

 キツネの面は白いが、その他は上から下まで真っ黒な服で統一されており、暗闇に同化していたのはこの服の影響が大きいと思われた。


「二刀流か。けど神雷よか全然迫力ねえな」


 炎灯齊をいつものように片手で握り構えたエンジは、挑発とも取れる発言だが、神雷と実際手合せをしたエンジだからこそ分かる素直な感想を言った。

「くきゃっ! カッカッ! そうだな、こりゃ自分の刀じゃあねえからな。そう思うのも無理はねえ!」


 腕をクロスさせて徐々に暗闇からその姿をはっきりとさせてゆく。


「刃通力は人並み程度……ってとこか。在学中のおぼっちゃまにしちゃまあまあだな」


 巨大な炎灯齊を片手で容易に構えるエンジを見て、キツネ面の男は容易にエンジの本質を見破ってみせた。


「よろしい。人生の先輩として一つアドバイスをしてあげよう。そんな巨大なエモノ持ってんなら、こんな悪所で戦うもんじゃねえよ」


 キツネ男は「なぜかというと……」と発しながら前傾姿勢で、エンジに目がけ距離を詰めにかかった。その展開も戦いの中の予測していたエンジは、避けるでも受けるでもなく炎灯齊を盾にしたまま自らも前方へと突進、得意の力押しを相手に強いろうと目論んだのだ。


 だが構えていた炎灯齊に斬撃の振動が襲うことはなく、拍子の抜けた手応えなしの炎灯齊は更に前に進ませるしかなかった。小太郎戦や神雷戦の時、こんな時は空中から襲ってくる可能性が高いはずと高を括り、頭上を見るがそれも的が外れた。


「外れだよ。炎灯齊のぼっちゃん」


 恐ろしく近い距離でその男の声がした。真横を振り返ると19センチほどのパイプで形成された鉄柵に足を絡ませて立ち、エンジを小馬鹿にするように手に持った刀を振った。


「なっ! サルかよ!」


「見ての通りキツネだよ!」


 器用に絡ませた足元はしっかりとキツネ男を安定させ、両手に持った刀の一方をエンジに振り抜いてもぐらりともしない。

 キツネ男の一閃を頭を低くして避け、反撃に炎灯齊を振るおうとするが狭くてその巨体を振るうことが出来なかった。


「馬鹿だねぇ。井の中の蛙って知ってる? くきゃっ、カカ!」


「うぉ! ……くっ!」


 こんなところでは戦えない。エンジは自分が有利になる……せめて炎灯齊を振るうことの出来るスペースを目で探すが見つからない。


「無駄無駄ぁ~。ここはリサーチ済みだから見つからないよ?」


 ガギンと金音を鳴らし、二の太刀を振り下ろすがエンジはなんとかそれも回避に成功した。だがそれは、確実にこの状況を楽しんでいるキツネ男の慢心からくる隙であり、何度も避けられるイメージが出来ないのも事実。絶体絶命のピンチを感じたエンジは奥歯を噛み締めながら、現状を打破出来る策を探していた。


 忍者のような軽業師顔負けの身のこなしで、さも自分にはハンデはないと言いたげなキツネ男は、面はキツネだが身体はサルや猫のそれに近い。


「予想通り予想外に弱いねぇ! テンション上がっちゃうぜぇ」


 十字に両の刀を振り抜き、ついにエンジはよけきれずに直撃ではないにせよ、その斬撃を受けてしまった。


「があっ!」


「……くきゃっ! しかし声はいいねぇ~! ゾクッときたぁ」

 キツネの男は、狭い足場なのにも関わらず猫のような身のこなしで、空中で宙返りをしたり、重力を操作しているかのように細い鉄柵に飛び移り、周りの暗闇をも味方につけ的として特定させない。

 キツネ男の斬撃を受けたエンジはすぐに体勢を立て直し、キツネ男を目で追おうとするが、中々定まらなかった。


「てめぇ! ざけんな! じっとしやがれ!!」


「カッカカ! 悪いね、俺は落ち着きがないのが珠に傷なんだ。お前が体勢を立て直すのを待ってやったのでチャラにしてくれや」


「……ぐぅ」


 薄々エンジも気付いていた。


 先ほどキツネ男から受けた斬撃により、一瞬ではあるものの構えを乱した際、少しの隙を作ってしまったのだ。

 直感的にエンジはその隙に気付き『まずい』と思ったが、キツネ男はその隙を突かなかった。それはエンジの隙を見逃したからではない。

 ……手加減をしたということの証明であることに他ならなかった。


「貸し1な」


 エンジは笑みを浮かべて余裕であるとアピールしつつも、内心は的を絞れない自分自身に焦っていた。

 ガキッという無機質な金属音が天井から聞こえたのを反射的に首で追う、しかし天井も同じく暗く目視しづらいので、そこに奴がいるのか確信が持てない。


 瞬間、エンジの頬にわずかな風の動きを感じた。

 狭く暗い足場に、刃がぶつかる破裂音にも似た激突音を辺りの壁に反響させて、あちらこちらにまき散らす。

 エンジは炎灯齊を自らの顔面すれすれに構え、ふるふると小刻みに腕を振るわしていた。遠目から見ても自分に向けて押す力に対して抗っているのが分かる。

 空から襲ってくると思っていたキツネ男が正面から襲い掛かってきたのを寸前で止めたのだ。


「くきゃっ! よく正面から受け止めたなぁ?! 士道のセンスはまあまあってところか!」


 キツネ男はギシギシと二本の刀で炎灯齊を押し負かそうと、さらに力を込めた。力で負けるわけにはいかないエンジは、咄嗟に攻撃を受け止めた為に満足な体勢ではなかった。

 つまりエンジには充分な力でそれを押し返すことが出来ないでいたのだ。


「ぐぎぎ……!」


「受け止めたはいいがその体勢じゃあ俺が押し勝つのは時間の問題かい? ……いやぁ楽しいねぇ……勝敗の決まった綱引きは!」


「るせぇ……!!」


 歯を食いしばりながらジリジリと圧されはじめ、嫌な汗がエンジの額を伝う。キツネ男の刃が顔に近づいてくるのを睨み、エンジはその刀についている紋が二本とも違うことに気付いた。


「……?! てめぇ、なんだこりゃ? なんで紋の違う二本の刀を持ってやがる」


 頭に浮かんだ疑問を戦闘中で尚且つ自分が不利な状況なのについ口走る。キツネの面で表情は分からなかったが、彼が笑っていることだけは分かった。


「紋刀だよな。……なんで紋句詠ってねぇのに抜けたんだ!? それに紋の違う刀を二本持ってるってことは……」


 エンジはそこまで言うと、考えたくもないある恐ろしい仮説が浮かんだ。

「まさか……片方は他人の紋刀なのか……」


 自らの推察が恐ろしいと思いながらも、そうであってほしくないと心で願ったエンジにキツネ男は勿体付けることもなくあっさりと言い放った。


「片方? 冗談キツイぜぇ、両方だよ、両方!」


 キツネ男が自らの紋刀の背に一撃を重ね、エンジは炎灯齊ごと後ろに飛ばされるが、宙でバランスを立て直し、膝を曲げキツネ男を再び睨む。

 しかし目の前で起こっている、信じられない出来事のせいでその強気な眼差しに僅かだが動揺が映った。


『どうした三代目炎灯齊! 今どこにいる!』


 突然神雷からのコトダマが入り、神雷の落ち着かない声が聞こえてきた。その声を不審に思う暇もなくエンジはコトダマの向こうの神雷に「諒のところへ行ってくれ!」と叫んだ。キツネ男はエンジが神雷と会話しているのに勘付いたのか、「チッ」と舌を鳴らして両手の紋刀を観音開きに構えると今にも飛び掛かってきそうな体勢になった。

 エンジはそんなキツネ男に凝視しつつも神雷からの返事を待っている。

 ……というよりもこの一触触発の状況で神雷との会話と死合いを同時に出来るほど器用ではなかった。


『なにがあった!? また抜刀のアラームが鳴ったぞ! しかも同時に二本だ!』


「その二本を持った奴が目の前にいるんだよ! たった今諒も襲われているはずだ! 早く行ってやってくれ!」


『わかった。お前はどこにいる?! どこで戦っている!?』


「俺は心配いらねぇ! それより気が散るから喋らねぇでくれ!」


『……わかった。だが一つだけ聞け。危ない時は《ケツイ》を発動しろ。出し惜しみはするな』

 神雷はそう言い残し、コトダマを切った。

 コトダマの通信が切れた時、キツネ男はまさにエンジに凶刃の先を向け高く飛んだところだった。


「神雷に知られたんならとっとと終わらせなきゃな! 悪いが遊びを終わらせたのはお前だぞ。悪く思うな!」


 キツネ男は二本の紋刀を胸の前で十字に構えると、エンジの喉元を目がけて重力に任せてその身体を黒く巨大な矢へと変えた。


「出し惜しみはしねぇぞ、オイ!」


 エンジは叫び、目を閉じた。


「馬鹿か! 言ってることとやってることがリンクしてねーよ!」


 戦闘中に目を閉じるという自殺行為とも取れる行為は秒数にして1秒もなかった。

 エンジは閉じた瞳を再び開け、これまでとは明らかに違う眼つきでキツネ男を見据える。


「……!」


 再び開いたエンジの目は、闘志が燃えるでも敗北をイメージした絶望でもない、無の境地の佇む地蔵の如く、静かに……ただ静かだった。

 あまりにも彼らしくない細く開けた静かな眼差しにキツネ男は言い知れぬ畏怖めいたプレッシャーを感じたが、ここまでの絶対的優勢がそのプレッシャーが、なにかエンジの中で湾曲した気持ちから来るものだと誤解させたのだ。


「くっきゃぁああっ!!」


 威嚇するように叫ぶキツネ男が振り抜く刃を避けることもせず、ただ一度大きく炎灯齊を旋回させた。

 炎灯齊が起こした風でキツネ男の軌道が狂い、強い風を耐える為に自分の正面を、身を丸めて防御しつつもやや後ろに押されながらも着地した。

 着地したキツネ男はやけに熱のこもった場内に気付き、辺りを見るが別段なんの変化もない。ただ、妙に熱いのだ。


「なにしたぁ?」


「一火性(いっかせい)口上」


「はあ?」


「火跳扇(かちょうせん)!」


 そう叫びエンジが先ほどとは逆方向に炎灯齊を振るった。すると振るった軌道に炎がチチチと音を立てる火花と共に巻き起こり、それらがキツネ男を襲ったのだ。


「……これは伝承の能力!?」


 肩や腹、足に付着した火を手で払い鎮火させながらキツネ男は驚いているような、半分息を飲みながら喋るような調子で発した。


「まさか、抜刀もせずに能力を引き出せるのかこのガキ!」


「ヒソヒソヒソヒソとうるせぇ蛾だぜ。すぐに塵にしてやんよ」


「ちぃっ!」


 心の中で「なんて目してやがるッ!」と叫びキツネ男は両手に持った刀をチャキン、と持ち直し、自身の戦闘意思が消えていないことをエンジにアピールしてみせる。


 しかし、キツネ男が思ったように、明らかにエンジの様子は激変していた。

 エンジを知る者がこの表情を見れば、誰もが我が目を疑うであろう。

『皆さん、TKK12のスペシャルライブは如何でしたでしょうか!?

 それではお待ちかねのあの男の登場です!


 風馬ぁ~神雷ぃ~い!!』


「なに!?」


 エンジは会場から響き渡るアナウンスに驚愕した。こんな状況下なのにも関わらず、対戦を強行しようとする運営に正気を疑った。


『三代目炎灯齊! すまん、どうしても外せない。最悪の場合闘技場上でジョニーの身を守れるのは俺だけだ。仕合の中止は来場した観客達をパニックと混乱に陥れるだけになる。

 奴らが狙っていたのはこのタイミングだったらしい。……しかし、どうやってこの厳重なセキュリティ網を潜り抜けて会場に潜んでいた……?』


「自分クイズはいい! 中止できねえんならとっとと行け。ジョニーは任せた」


 ガリガリガリと炎灯齊をブレーキにしてエンジは突然の衝撃に耐え、その殺気づいた眼を猛攻の手を鎮めるつもりもないキツネ男に向け、更に炎灯齊による炎を撒いた。

 辺りを熱風風呂のように熱を上昇させると、次第にキツネ男の動きにも荒が出始めたようにエンジは思った。


「動きが悪いな。キツネ」


「確かにケツイって奴ぁ危険だねぇ……。けど、まだまだ恐れるほどのもんじゃねぇさ」


 キツネ男は脇から苦無を投げつけ、辺りの鉄柵や網状の床に突き刺した。エンジを捉えた何本かは炎灯齊の鉄壁の楯によって勢いを殺され、地面に散らばり落ちる。


「ちょっと痛い目見てもらうぜぇ!」

「炎殲碌ノ口上……(えんせんろくのこうじょう)」


 襲い掛かるキツネ男を前にエンジは炎灯齊を逆手に持ち替え、腰を深く落とした。


「迎撃とは舐められたねぇ! この短時間でも俺との力量差は理解出来たと思うがねぇ!」


 くきゃっ! と喉を鳴らしてキツネ男が容赦なくエンジを直線上に捉える。この軌道、この助走、そして二本の紋刀。

 これらの素材を如何様に料理しようがエンジが無傷でおれるはずがない。 

 避ける・逃げるという選択肢はあっても、迎撃という選択はありえないと思えた。

 いくら伝承十二本刀を持ってしても、それは打ち消すことの出来ない絶対的な未来予知である。キツネ男は幾度と潜り抜けた修羅場から、その勘と状況計算によって絶対的な自信があったのだ。


 そしてそれは実際、現実のものとなる。


 ずん、と音のない音を連想させ、キツネ男の持つ紋刀がエンジの左手にめり込んだ。

 その手応えに邪悪な笑みが仮面の外に漏れてくるようだった。……が、


「く、くきゃ……っ!?」


 キツネ男は刀から自らの腕に伝わる異変にすぐ気付いた。

 エンジの左腕には確かに刀がめり込んでいる。めり込んではいるが、それは斬撃ではなく打撃によるめり込みであるようだった。

 その想像しがたい画にキツネ男は絶句し、なんとかその状況を理解しようと思考をフル回転させる。だが、そんな暇を与えるほどエンジはお人好しではなかった。


「菊咲(きくさき)!」


 ドカン! という凄まじい爆発音が二人の居る空間を包み込み、ドームが爆発したのかと錯覚するほどの衝撃が辺りを震わせた。

 キツネ男の腹に炎の玉が直撃し、それがキツネ男の身体ごと吹き飛ばした。

 

「がっは……っ!?」


 なにが起きたのか分からないキツネ男を吹き飛ばし、その途中でバァンと破裂音と共に幾つもの火の星が舞う。キツネ男はその二度目の衝撃によってきりもみ旋回で成す術もなく地面を舐めた。キツネ男が倒れ、少し遅れて二つの乾いた音が爆発の余韻を残しつつ静寂のグラデーションを描く空間に反響する。

 エンジは逆手に持った炎灯齊を正面に突き出し、まるで空手の正拳突きをしている格好で静止したまま、肩を揺らして息を切らしていた。


「ハア……ハア……」


 炎殲伝承……それは帆村家が代々伝える独自の剣術。炎灯齊の為に初代炎灯齊が作り上げ、二代目炎灯齊センエツが完成させた流派である。

 しかしこの炎殲伝承は抜刀していることが前提となっているため、巨大な納鞘状態では技自体が成立しない。だが、エンジはケツイによって非抜刀時でも炎灯齊の火焔能力を引き出すことが出来たため、披露することができたのだ。(しかしそれでは完全な形ではない為、エンジの場合そのほとんどが《改》という扱いになる)


「勝った……のか?」


 エンジが一歩踏み出すと、左手に激痛が走った。ケツイと刃通力によって極限まで肉体の強度が増していた為、あの一撃でも斬られることはなかったが、骨に響くほどのダメージを食らっていたのだった。

 エンジは痛みを押さえながらキツネ男の元へと歩み寄り、男が動かないことを確認しにゆく。大の字に倒れたキツネ男の仮面は粉々に割れ、素顔が露出していた。近づくにつれそれに気付いたエンジは、近くに紋刀が落ちていないことを確かめると、キツネ男の上からその顔を覗き込み、戦っていた男がどんな奴だったのかを拝んでやった。


「……思ってたより若いな」

 割れた仮面から露わになったキツネ男の素顔は、どう控えめに見てもエンジと同年代くらいの顔立ちであった。

 緑のメッシュを入れた髪が個性を出しており、気を失い眠っているその顔はと言うと面に負けじ劣らずのつり目で、熟練の大人を想像していたエンジは肩透かしな印象を受けた。


「そうだ! 諒だ!」


 息を休める暇なくエンジは諒の元へ向かおうと身体の向きを変え、駆けだそうと一歩踏み出す。だが、その一歩踏み込んだ振動がつま先から脳天を駆け抜ける。


「う、うが……」


 その場で膝を尽きそうになるが脇の鉄柵に捕まり辛うじて立ち留まる。エンジの足はガクガクと震え、少し息切れもしていた。よく見れば、その表情も先ほどまでの落ち着き払ったそれではなく、いつもの皆が知るエンジだ。


「やりすぎ……か! くっそぉ、これしきぃ~!!」


 エンジが身につけた【ケツイ】の弱点は急激な体力の消耗。キツネ男を撃退した代償が逸るエンジの気持ちとは裏腹にのしかかり、その歩みに重りをくくりつけ彼の焦りの邪魔をする。エンジはそれを認めずただ前進のみを考え一歩を踏み出すことに全霊をかけた。


「くっそぉ……動けぇ……!」


 自由に動かない身体にじれったさを募らせ、それでもエンジはゆっくりとだが足を踏み出す。これではとても諒の元に駆けつけることなど出来なさそうだ。

 それでもエンジは額に冷たい汗を滴らせ、ピンチに陥っている諒を思いただ前に歩くことだけを考えていた。


「無理すんな」


 その時、前方のエンジが目指すこの部屋の出口から何者かの声がした。

「!? 誰だ!」


 炎灯齊をよろよろとした足で構え、エンジはその人物に声を上げて尋ねる。

 ふらふらとした安定しない歩みで何者かが暗闇から現れた。

 出てきた男は、前歯が綺麗に2本出たネズミのような顔をした男だった。この男もまた妙に若い。キツネ男と同じくらいだろうか。


「何者だおま……」


 エンジが「何者だお前」と言い終わる前に、そのネズミ顔の男は急に膝から力を失くし崩れた。操り人形が糸を切られたように、頼りない体勢で倒れ込んだネズミの男は、倒れたままでぴくりとも動かない。


「……はあ?!」


 状況の呑み込めないエンジはただ、倒れたその男を眺めるしかない。


「安心するぜよ。わしじゃあ」


 倒れたネズミ男の背後の闇から諒が現れた。エンジは「諒!」と叫ぶと、その場にへたり込み大きな安堵の溜息とともに「よかった……」と言った。


「なんじゃ? わしがやられた思うとったんか? カッカッカッ、舐められたもんじゃのう! わしゃあ伝承使いぜよ?」


 足元に寝転がるネズミの男を蹴飛ばし、諒はエンジに向けて自らの二の腕をポンポンと叩き【腕が違う】とジェスチャーを見せた。


「……けっ、今回は認めてやるよ」


 エンジも少し笑い、諒の無事を心の中で喜んだ。

「しっかりと吐いてもらったけぇ、あとは神雷に報告するだけじゃ」


 カチャリと紋刀を鳴らし、諒は膝をつくエンジに手を差し伸べた。


「けど神雷はもうすぐ仕合が始まる。報告は難しいんじゃねえのか。……それにまことをやった奴がもう一人いるはずだ」


 エンジは諒の差し伸べた手を掴み、反動をつけて立ち上がる。


「そうじゃぁ、仕合場に行ってわしらから直接それを報告せにゃあ間に合わんぜよ。それに赤目をやった奴が何をしでかすかもわからんきに。とにかく急がんといかんぜよ帆村」


 諒がそこまで言った直後、突然銃声が轟きエンジと諒はなんらかの衝撃によって引き離された。


「くっ……!」


 会話の流れからエンジはまことを襲撃した刀狩の残党かと思い、銃声のした方向を睨む。そして睨んだ先から目を離すことなく「諒! 無事か!?」と諒の安否を気遣った。


「ああ、わしゃあ大丈夫ぜよ……」


 諒の声を聞いて少し安心したエンジの右腕に鋭い痛みが走った。片目を細め、痛みに顔を歪ませたエンジは痛みが走る右腕を見る。すると右手首から肘にかけてなにかに斬られたような傷があった。疑うまでもなく痛みの主はこの傷だ。傷自体は深くはなかったが、それよりもエンジには妙に思うところがあった。


「It has done it fairly. You are a terrorist is never」


「英語だと!? 刀狩じゃねぇのか!?」


 予想もしていない言葉にエンジは少しではあるが動揺を隠せないでいた。しかし、その声はどこか知っているものでもあったのだ。

「……」


「諒! 誰だか知らねえがいくぜ!」


「……そうじゃな」


 エンジが力を振り絞って両手で炎灯齊を握り、正面を睨み諒はエンジとの共闘の為にエンジに近づく。


「Get away from that person! Enji!」


 暗闇から聞こえた言葉の中から【Enji(エンジ)】という名を聞き逃さなかったエンジは直感的に横に大きく飛び退き、その場を瞬時に離れた。

 エンジがその場を離れるのが早いか、飛び退いた場あった鉄柵が真っ二つに分かれる。その断面から、確実にそれは刃物によるものだと分かる。


「なにしやがる! いや、それよりも……どういうことだ!」


 エンジの目には紋刀を振ったままで冷たく見下ろす諒。


「シェリー! どうこうことだよ! なんでお前が……」


 諒はエンジが言い終えるのを待たず二の太刀に足を踏み込む。炎灯齊を地面に強く突き立て、その反動を利用して斬撃を辛うじて避ける。更に追撃を重ねようとする諒だったが、銃声が再び響き一瞬諒の自由が奪われた。

 英語で話す人物の声からそれがシェリーだと確信したエンジだったが、諒の追撃を躱すことに精いっぱいで、頭を整理することが出来ない。


 今、ここには諒がいて、諒は俺に斬りかかってきて、シェリーが諒を止めて……


 といった現実を理解はしているものの、それらを繋げるものが何一つもエンジには分からなかった。ただ闇雲に避け続け、現実に起こっている【分かっている事柄】のみを頭の中で反芻させるだけしか出来なかったのだ。

「Since when on earth? Do you approached with the intention from the beginning that you mean」


 シェリーと見られる人物は、執拗に英語で話しかける。エンジ達が話せないことも聞き取れないことも知っていて何故わざわざ英語で話すのか。

 もしかしてシェリーも追い込まれている状況なので、混乱している……。

 その為咄嗟に日本語が出てこないのではないだろうか。

 そんな思考が横切るもこれまでのシェリーの立ち振る舞いを見る限り、とてもそんなことで彼女が平静を失うとは思えない。

 それはエンジの中でも同じらしく、余計にそれが彼の頭を混乱させた。


「...... From the beginning. Everything, and a whole」


「!?」


 シェリーの声ではない、男の声が英語でシェリーの問いかけに答えた。

 その声が諒であることは間違いなかった。

 それは……シェリーの中のある疑念を確信に変えるのに充分な材料。


「やっぱり、最初から私たちの言葉が分かってたんデスね……。タツミ」


 ようやくシェリーがエンジの分かる言葉で話し、その姿を見せた。


「シェ、シェリー!」


 思わず叫んだエンジの視線の先を追いかけると、そこには至る所から血を滲ませ、服もぼろぼろになり、額から血を流す……まさに満身創痍のシェリーの姿だった。

 足を引き摺りながらも懸命に銃口を諒に向けている。


「エンジ! 早くジョニーの元へ!」


「馬鹿言え! そんな姿のお前を放って……がっ!」


 シェリーを気遣った言葉の途中で自らの苦痛に染まった声が遮った。

 エンジの足に紋刀が突き刺さり、刃の先はそのまま足を貫通して地面に突き立たせ、エンジの自由を封じている。


「じゃかあしいのう。そこで指咥えて見とけ」


「ぐぅあ……」


 痛みに声を漏らしつつも、敵意に染めた瞳で諒を睨みつける。エンジの全身から赤い湯気で放出する幻覚が見えそうなほどの怒りがその場に充満した。


「……おお、やっぱりすごいもんじゃのう。ケツイっちゅうのは……、どういうもんかと思っとったが……腐っても千人殺しの子じゃのう」


「諒ォ……!」


 諒はエンジを無視してシェリーに歩み寄ってゆく。


「それにしてもGUNMANのプレイヤーとは言え、非戦闘員じゃと思って加減しちょったが……。あの場で殺すべきじゃったのう。なぁ、シェリー」


 倒れているネズミ男の傍らからネズミ男の物と思われる紋刀を拾い、その柄を握る。

 よく見ればエンジのももに刺さった刀も紋刀ではあるが諒の持つ龍伐齊ではなかった。


「てめぇ、龍伐齊はどうした」


「そう! それじゃあ!」


 急に諒はエンジを向くと反応した。そして立ち止まり話し始める。

「龍伐齊なら間違いなく殺すのも簡単なことじゃったんじゃがのう……。【アレを抜く】とわしじゃと特定されるじゃろ?

 いくらアラームが解除されちょるとはいえ、抜刀履歴は残るからのう……。

 じゃが、ええこともあるんじゃあ。あれには位置測位システムが内蔵されちょるからわしのポジションに置いてくればいい感じにアリバイ作りにもなるけえのう。

 そこの殺し損ねたアメリカのションベン臭いガキに思ったよかダメージ与えられんかったんも、自分の紋刀(もん)じゃなかったからぜよ」


 身振り手振りを踏まえて諒はいつもと同じ調子で話した。ただ一つ違うのは、話している内容。耳を覆いたくなる内容であった。


「赤目を龍伐齊以外の安い紋刀で斬れるか不安じゃったがのう。この一か月間の訓練合宿のおかげで奴の戦法は知っちょったけぇ、思ったより簡単に殺ることが出来たぜよ」


「……なっ!?」


 諒は表情を変えず、いつもの飄々とした様子でエンジを見ると、「ま、なんでも経験が物を言うもんぜよ。帆村も気をつけえよ」と言った。


「まこともてめぇが……絶対ぇ、許せねぇ……」


「許さんか? それはそれは怖いのう、復讐とかする気けぇのう? じゃあ今のうちに息の根止めておいたほうがええなぁ?」


 言葉とは逆に、諒はシェリーに向き直るとシェリーに向かって再び歩み始めた。


「ここで時間稼ぎされて逃げられたら元も子もないからのう……。この後の神雷、ジョニーの暗殺に支障が出るきに」


 バチバチと静電気が走るような音が鳴り、諒の手に持った紋刀が鞘から抜かれる。

「抜刀……だと!」


 目を疑う光景。

 紋刀は所持資格者が原則一人につき一本ずつ与えられ、その紋刀は本人の声で詠唱した紋句でしか抜刀出来ないシステムになっている。しかも、紋刀をなんらかの形で失くした者は生涯紋刀を手にすることは出来ない。


 つまり、自分の物ではない紋刀を紋句も詠わずに抜刀するのは根本的に有り得ないのだ。その有り得ない光景をエンジの目の前で見せた諒は、それがさも当たり前のことのように普通にやってのけた。


『抜刀アラームがあがっている』


『所有者に心当たりはあるか』


 神雷が言っていたことを思い出す。そうか、そういうことだったのか……。

 それを理解したところでエンジにはなにも出来ない。


「うがぁあああああっ!!」


 自分の足に刺さった刀の刃を両手で掴み引き抜こうと全力をあげ、刃にはエンジの指から流れた血が滴る。シェリーは迫りくる諒に対し、GUNを撃つが戦闘向きのGUNではないシェリーのそれは繰り返す度に虚しさが募った。


「神雷! 神雷――――!!」


 血まみれの手で足に刺さった刀を引き抜くがシェリーの元には到底間に合わない。手元から離れた炎灯齊でコトダマを開くこともできない。


 エンジはただ叫ぶしかできなかった。

 シェリーの応戦空しく、諒に擦り傷程度しか負わすことが出来ない。

 しかも諒はシェリーの攻撃がどれも自分にとって致命傷になり得ないことを理解しており、避けることすらもしない。

 その堂々とした姿がシェリーの戦意を必要以上に折る。


「ジョニー……」


 諒の間合い内に入ってしまったシェリーを見下し、刀を高く振り上げた諒はキラリと弱い光を集めて反射させるそれをシェリーの首筋へと狙いを定めた。


「ジョニーー!!」


 自分の死をイメージしたのか、いつも気丈に振る舞うシェリーはその瞬間一人の少女に戻り、ただ目を瞑って泣きながらその名を叫んだ。

 それはエンジの足から刀が抜け、彼女の元へ駆けつけようとするも間に合わないと悟った彼が神雷の名を叫んだのと同じタイミングであった。


「Sherry goodbye……」


 諒が容赦なくその凶刃を振り下ろそうとしたその時だった。



 耳をつんざくような炸裂音と斬撃音。そして足元を激しく揺らす衝撃。そこに居た誰もが地震かなにかの天災かと思いその場にしがみつくしか出来なかった。

 炸裂音と斬撃音は静まることは無く、地面の至るとこから光を漏らす。

 エンジ達が居る場、その床は光を漏らしながら次々とヒビが入ってゆき、ついには轟音の大合唱と共に崩れ落ちた。


「な、なんじゃこりゃあ~!!」


「うわああっ!!」

 瓦礫と共に真っ逆さまに落下するエンジと諒、それにシェリー。

 エンジと諒は訳が分からず落下していたが、死を覚悟したシェリーは気を失っていた。

 落下中、エンジはそれに気付きシェリーに近づこうとするが空中であるのと、体の自由が効かないこと、そして一緒に落下する瓦礫のせいで思うようにシェリーへと近づけない。


「くっそぉ! こんな終わり方アリかよ!!」


 全ての力を指先に集め、シェリーに向けて手を伸ばすエンジはそう叫ぶしかなかった。


「アリかナシかで言えば、ナシだな」


 耳元で神雷の言葉が聞こえたかと思うと、その瞬間なにかの力で自分の身体が持ちあがられる感覚に包まれた。そして、エンジは瓦礫とは別の場所へと運ばれてゆく。


「うおおおおおお!!」


 なにが起きているのか分からずエンジはただ叫ぶしかできなかった。




『さあ皆さんご覧ください! 我らを脅かす刀狩の一派がこの会場であろうことか士道のスター風馬 神雷とアメリカの至宝ジョニー・バレットを暗殺しようと画策したのです!

 その愚かな徒党が瓦礫と共に落ちてきました! この神聖なるステージへ!!』


 エンジが戦っていたのは神雷対ジョニーのエキシビジョンマッチが行われる予定だったステージの直上であったため、全ての来場客はその様子をライブで見ており、大歓声が上がる中で彼らは落下していた。

 全ての瓦礫が落ち、そことは少し離れた安全な場所で神雷はエンジを下ろした。


「すまないな、三代目炎灯齊。危険な目に合わせた」


 神雷は珍しくエンジを気遣った。だがエンジはそんな神雷に目を合わさず俯いたままだった。


「俺はなにも出来なかった……。シェリーもまことも誰も助けられなかった……」


 悔しそうに唇を噛み締めるエンジに神雷は「なにを言っている?」と答えた。

 まことのこと、シェリーのこと、そして諒のことをなにも言えずにいたエンジの耳にガリガリガリと思い鉄の塊を引き摺る音が聞こえ、反射的にその音の方向を向く。


「これ……ほんっと重いっすね……。エンジ先輩、よくこんなの軽く振りまわせますねぇ」


「まこと!」


 エンジは自らの目を疑った。そこには諒に襲撃されたはずのまことが胸に包帯を巻いた姿で、一緒に落下した炎灯齊を引き摺りながら笑う姿。


「へへ……戦ってる時、なぁ~んか見覚えのある戦い方だなーって思ってたんです。だから致命傷をなんとか避けれたみたいで……。

 気づいたのが遅くてやられちゃいましたけど……。あ、やられるってのは犯られるって意味じゃなくて」


「まこと!!」


 エンジはまことの下ネタを全部聞く前にその身体を抱きしめた。


「うきゃきゃきゃきゃきゃ!?!?!?! え、エンジ先輩!?」


 動揺し顔を真っ赤にするまことのことなど気にもせずエンジは、まことの背中をバンバンと叩き、彼女の安否に心から安堵した。

 その様子を観客席から殺意を持って見つめる人間がいることに気付くこともなく……。

 シェリーが目を覚ますと、白いテンガロンハットを被ったすこし少しタレ目のプリンスが自分を抱きかかえていた。これが天国だというのならこれほど贅沢なことはない。

 彼女はキリスト信者ではあるが、敬虔な信者……という訳ではない。

 幼い頃に何度か教会で歌を歌ったことのある程度のものだ。

 そんな彼女が無条件に神を、天国の存在を信じてしまうほどにそれは彼女にとって贅沢で素敵な光景だったのだ。


「素敵……ジョニーがこんなにも私の近くにいるなんて」


「……ヘイプリンセス。お具合はどうだい? お目覚めにはティーと三段重ねのパンケーキ、食後にはとびっきり甘いキャラメルの掛かったポップコーンなんてどうだ?」


「言うことないわ。ずっと私の側にいてね……私のジョニー」


「OK。願わくばプリンセス、貴方のキスを先払いの報酬としてもらっても?」


 シェリーは朦朧とする視界の中で、愛するジョニーの首に手を回すとジョニーの頬にキスをし、幸せそうに彼を数秒見詰め笑うと、糸が切れた人形のように再び気を失った。

 シェリーを救護班の人間に渡すとジョニーはモンローとヘプバーンをぐるんと数回回転させながら構えると、落ち着き払った表情で言った。


「お前らツイてないな。今日の俺は最強だぜ? なんてったって勝利の女神からキス(A kiss from the goddess of victory)をもらっちまったからな。

 あの世でチャップマンやオズワルドに自慢しな。モンロー、ヘプバーン今日は地獄が満員になりそうだぜ!」

 神雷とジョニーは空を見上げた。

 ドーナツ型に屋根が開いているこの帝國ドームは、唯一空からの刺客が文字通り死角だ。(ギャグではない)

 競技場と言う顔の為、そもそも空に対しての迎撃態勢などは念頭に入れていない。その為、これほど強化した防衛体制の中でも空からの襲撃は虚弱であった。(ただし、最低限の防衛ラインは張っている)


 それを最初から分かっていたのか、急に雲行きが怪しくなり雷鳴が鳴り始めた灰色の空から1艇の飛行艇が現れた。


「まさか本当に空から来るとはな」


 神雷はジョニーを見た。それに気付いたジョニーは神雷を見つけ返し、にやりとおかしそうに笑った。


「そうか。楽しみなんだな、奇遇だが……俺もそうだ。英語は苦手なんだが……。

 Let's fight together(一緒に戦ってくれ)」


 ジョニーはそれを聞いてヘプバーンのリボルバーをぐるんと大きく回し、笑った。しかしその目は口元の笑みとは逆に闘争心に燃えていた。

 後ろでそれを見ているエンジを一瞬振り返ると、飛行艇を見上げて銃を向けて大声で叫んだ。


「ブッタオス!」


『つ、ついに刀狩の飛行艇がこのドームに降り立とうとしています!

 迎撃するのは我らが英雄二人! このドームは戦場になると思われます!

 来場のお客様はどうぞ避難ください! 私はこのままこの歴史的事件をしっかりと目に焼き付け、最後まで実況致します! それで死ぬことになったとしても本望であります!』


 熱を帯びたアナウンスが合図のように飛行艇からはバラバラと何人もの構成員が空から舞い降りようとしていた。

 アナウンサーが言った通り、この様子だけ見ればここが戦場になるのは避けられそうにない。だが、観客の中で誰一人としてドームから避難しようとする者はしなかった。

「サム・ガン!」


「サム・ガン!」


「サム・ガン!」


 誰かがポツリと言ったのをきっかけに神雷とジョニーに向けてサムガンコールが巻き起こり、それは小さな滴から大きな渦となり、そのうねりは風に乗って上昇し嵐の如く巻き起こった。


「サムガン! サムガン! サムガン!」


 サムガン……サムライ×ガンマンを敬称したそれを合言葉のように合唱する観客とサムガンコールの中で次々と降り立つ刀狩の構成員たち。

 瓦礫の中から諒が現れると、正面50メートルほど先に待ち構える神雷とジョニーの2人に対し睨みを返す。さすがにこの二人の前ではヘラヘラと笑うことは出来なかった。

 少しでも隙を作れば【死】が彼の背を押すからだ。


「我ら帝國を作り直す刀狩【ノブナガ】! 全ての元凶はこの帝國の根幹にあり! 故にその根を根こそぎ引き抜き、新しい秩序の種を撒く!

 正義は我らにあり、売国奴の士道屋に売名の薄汚い外国人! ……わしらを止めることができるかいのう?」


 諒が右手の手のひらを開いた状態で高く腕を上げた。

 それに吸い寄せられるように彼の愛刀・龍伐齊が降ってくる。この事態を受けて近くにいた部下が諒に向けて投げたのだ。


「全く……俺は自分を恥じるよ。まさか学苑トップの実力を持つ伝承使いのお前が刀狩だとはね。自分への罰ゲームは全てが終わった後にしよう。まだ若いお前とやるのは不本意だが、宣言する。お前は今、俺が殺す」


 神雷は大きく息を吸い込むと、ゆっくりと吐きだし一言ずつ確かめるように言った。

『無・双・風・雷ッ!』


 左手からは電撃を放ち、右手からは竜巻を巻き起こす、戦神・風馬 神雷がその存在を無二であると全身から放つ。それは刃通力の範疇からは大きく離れるほどの気迫とオーラだった。


「はっ! 言ってくれるのう! 計画は大きくずれはしたがあなぁ、最終的にお前ら2人を葬り去ればなんの問題もないんじゃい!

 こっちの兵力は140じゃあっ! 所詮二人きりの士とガンマンがこの軍勢に勝てるか!? それにここに伝承使いのわしがおる……! 意味が分からんほど阿呆じゃないじゃろう!」


 諒が背に飛行艇を背負いつつそう謡い、二人を威嚇する。

 そのあまりにも許しがたい姿に、自分を責めながらエンジは立ち上がろうとする。


「ちょ! エンジ先輩、無理だって! まことだって戦える状態じゃないんだから、エンジ先輩はもっとだよ!」


 まことがすかさずエンジを庇い止めようとするがエンジは聞く耳を持たなかった。

 足を引き摺り、腕を押さえ、炎灯齊を引き摺りながら懸命に構えようと努めるが、腕が上がらない。


「うるせえっ! お前は黙ってろ! こうなったら四の五の言ってられねぇ……!

 抜刀してやる!!」


「抜刀して状況がそんなに変わるの!? もっと冷静に考えてよ!」


「うるせえって言ってんだ! お前は逃げろ!」


 エンジは2度と抜かないと決めた炎灯齊の柄を握り、その言葉……紋句を詠おうと息を吸った。だが、その言葉を言うのにやはり覚悟と決意が足りない。


 ……ばっかやろう! そんなこと気にしてる場合じゃねぇのに……!

 エンジが意を決して紋句を詠おうとした時、強い衝撃がエンジの首筋を叩いた。

 驚きつつも倒れるエンジを抱きかかえるまことの目に映ったのは、長い髪をカチューシャで留めた学苑の有名人だった。


「ゴラァ! 俺を差し置いて勝手に抜刀しようとしてんじゃねぇぞォ!」


「あ、いや気絶してますけど……」


「ん、ああ……じゃあ、起きたら言っといて」


「は、はい」


 言わずともお分かりだろうその人物は、神雷に言った。


「神雷!」


神雷先生だ」


「……神雷先生! アラームを解除してくれ! 俺も戦う!」


「愚かな。そんな危険なこと、お前にさせられるわけがあるまい。だが、何故かアラームはもう解除している。いいか、お前は決して戦うな。抜いてもアラームならない上に、実践を経験するのにはこの上ないシチュエーションだが、抜くんじゃないぞ?」


「はあ~い」


 小太郎はそういうと……「バラすんじゃねえェ!」、ごほん、その人物はそう言うと諒と刀狩達に向かって睨みを利かせると不敵に笑う。


「悪いがこのサルをぶった斬るのはおれの天命でねぇ。お前たちにはここで舞台を降りてもらうぜェ。

 聞け! 俺の名は大剣豪佐々木小太郎! 俺にぶった斬られた奴は地獄に閻魔に自慢しな! 戦いが終わった後にゃァ俺の前に……」

『全てがひれ伏す!』


ジャキンと金属の解除音が鳴り小太郎の紋刀『燕尾閃』の鍔がTの字の溝を開け抜刀可能を知らせた。

 それと同時に斬りかかってきたノブナガの構成員を立て続けに2人斬り捨て、さらに畳みかけるように飛び掛かってきた3人の構成員に対し、対空ではなく同じく自身も高く飛んだ。


「ほう……早速お披露目か」

 

 神雷が自分たちより前に出て第一陣を飾る弟子に対して言葉を放った。


「おゥよ! 出し惜しみしてられるかぁ!」


 斬撃と同時に血しぶきを舞い散らせながら空中で燕尾閃と共に横向きに旋回する。その光景は実に美しく、これが士道の仕合であったならば間違いなく歓声の的になることは疑いなかった。


「燕反し(ツバメガエシ)!」


 エンジに敗北したあの日をきっかけに約1年間、ほぼ独学で刃通力を修業した小太郎はその稀有と形容しても過言ではないほどに才能を開花させ、爆発的な速さで刃通力をある一定の到達点にまで辿り着いたのだ。

 それは師である神雷ですら驚嘆する水準であった。


「……特に対多で威力は発揮するな」


 立て続けに襲い掛かる輩はまたも3人。燕反しの反動で背を向けたままの小太郎に好機刹那とばかりにその背に斬りかかった。


「裏燕ェ!」


「ぐげぇっ!」「ばはあっっ!」


 なんと小太郎は対空状態のままで燕反しを逆回転で放った。まったく予想外の攻撃に成す術もなく吹き飛ばされる。


「……7人!」


 小太郎の背後から忍び寄る影が2つ。小太郎は機嫌を良くしてそれに気付いていない。


「nice! Boy!」


 瞬間的に吹き飛ぶ輩。銃口から硝煙をくゆらせジョニーがテンガロンのツバから覗く口元をニヤつかせた。


「Hey! Jinrai!」


 神雷がジョニーの言葉に頷き紋刀・風迅、雷迅から火花を散らせながらジョニーへと真っ直ぐ走り寄る。

「師匠! それはマズいって!」


 小太郎は神雷がジョニーに謀反を起こしたのかと焦った。


「ああ、ジョニー。分かってるさ」


 神雷はジョニーの目の前でジョニーを飛び越すと、ジョニーはそれまで神雷に向けていたはずの銃口から弾丸を撃ちだした。凄まじい破裂音と共に神雷の背後を狙った徒党の自由を奪う。一方ジョニーを飛び越して彼の背後に回った神雷はこれまたジョニーの背後を狙った構成員十数名に対し、風迅での飛ぶ斬撃で迎撃し、更に後続の連中に対し雷迅の電撃を乗せた斬撃をお見舞いし、ジョニーと同じく自由を奪った。


「lucky 7」


 ジョニーがそう宣言すると空に向かってモンローを立て続けに6発空砲を放った。先ほど小太郎を救うのに一発放ったので本来ならばまた6分の1の確率に戻るはずだが、ジョニーは何の躊躇もなく6発空に鳴らした。

 そう、これはジョニーの能力の一端である。彼の闘志にスイッチが入った時、モンローは【6分の1のランダム】ではなくなる。確実に【7発目に弾丸を発砲】出来るのだ。


 ジョニーと神雷は背中合わせにぐるりと回転し、ジョニーは神雷が雷撃で身動きを封じられた敵を。

 神雷はジョニーがヘプバーンで捕縛した敵をそれぞれ薙ぎ払う。


 デモンストレーションで見せたそれとはケタの違う光弾を放ちさながら強い勢いのボールに弾き飛ばされたボーリングのピンのように敵は四方に飛ばされた。

 神雷は刃通力を一瞬のみ全開放させ、風迅の風に乗って敵の中心へと瞬時に潜り込んだ。2対の紋刀を十字に構え、「電光石火!」と唸り、その場に雷鳴を混じらせた竜巻を出現させた。その上昇する嵐に巻き込まれ共に上昇する敵は風に運ばれつつも無数の斬撃を叩きこまれる。


「うへぇ……バケモンかよこの二人……」


 自分が一瞬にして蹴散らしたのは7人だったのに対し、この二人は一瞬で軽く30~40ほどの敵を薙ぎ払ったのだ。


 ガチンガチンと撃鉄を打つ音を6回鳴らし、ジョニーは「next please」と笑う。神雷はただ静かに立ち、マフラーを口元に巻き直す。


『ぅおおおっっっと!! ご覧頂いたでしょうか! この圧倒的な強さ! 西のジョニー・バレットに東の風馬 神雷! この二人を倒せるものなどこの世に存在するのでしょーか!!』


 興奮気味にアナウンサーががなるのを背に神雷は静かに諒を見た。その目は張り詰めた水面のそれのように静かでそれでいて少しの波紋すらも許されないような緊張感をも相手に強いる。そんな冷たい殺意に染まった瞳であった。


「兵力140、と言ったな。今ここで片付けたのが50弱というところか……残りは90ほどと見るが。……竜巳、本当にそれで大丈夫なのか?」


 黙って見つめる諒は表情を変えることは無かったが、額に光る一筋の汗が、彼が決して平常心ではないことを表している。


「噂通りのバケモノっぷりじゃのぉ……。じゃがぁ安心せえ、こんなこともあろうかと思ってのぉ……第二陣ちゅうもんを用意しちょる。ほれ、見てみぃ」


 諒の背後には更にもう1艇、飛行艇が現れそこからもさらに構成員が降りたとうとしている。


「それにしても物騒じゃのう。いくら空からの強襲に弱いからっちゅうて、迎撃の砲弾も用意せんとは。それほどまでに平和国家をアピールしたいんか?」


 神雷は黙って諒が自慢げに話す内容を聞いている。


「追加の兵力は200.正直ひとつひとつの戦闘力は大したことぁないが、全員が抜刀した紋刀を装備しちょる。お前さんらほどのバケモンでも絶対的な物量で来られちゃひとたまりもないじゃろう?」


 挑戦的にジョニーと神雷を見下すように睨み、諒はここからさきの絶望的な戦いの展望を語った。


「さあ? 世の中には千人殺しの異名を持つ士もいることだしな。わからんぞ」


 そんな会話をしている間にも次々と輩は襲ってくる。ジョニー、神雷、小太郎はそれらを迎撃しつつ諒の動向に注視していた。


「千人殺しぃ……? かっかっかっ、風馬 神雷ともあろうモンがあんなハッタリを信じちょるっちゅうんか!? やっぱり【スポーツ選手】っちゅうもんは脳みそも筋肉でできちょるっちゅうのはほんまのようじゃな!

 普通に考えてみぃ。たったの250の兵力にあの風馬 神雷ですらも屈するっちゅうじゃあ! 千人を斬り捨てたなんてもんは噂に尾ひれはひれがついて鶏が火の鳥に祭り上げられただけのもんぜよ!」

「ほう信用しないのか。しかし、この目で見た事柄ではない以上お前のいうことにも一理ある。それに圧倒的物量には屈する……その考えにも賛同するよ」


「ほお! 賛同してくれるんか! そりゃあめでたいのぉ~! じゃあせいぜいその賢い頭で絶望しながら死ぬぜよ! 風馬 神雷! ジョニー・バレット!」


「ゴォラ! 俺もいるってんだァ!」


 諒は小太郎を無視して迫りくる200の兵力をバックに勝利を確信した優越感に浸った顔つきを見せる。


「これでこの愚かな帝國国家に鉄槌を食らわせる狼煙が上がるぜよ! お前さんらはあの世で指を咥えてみておくがいいぜよ!!」






「……神雷だ。帝國ドーム全域の抜刀アラームを解除。ならびに抜刀許可を発令する。すぐアラームを鳴らしてくれ」


 神雷はコトダマを開きどこかに通信でそう伝えた。


「?! 神雷、お前さん……どこになにを話しちょる」


『会場にご来場の皆さん……いや、【士】諸君! たった今からアラームを解除、そして抜刀の許可を通達する! あ、一歩でもここから外でたらアラームなるし違反になるから気をつけてね!』


 小太郎はこの声に聞き覚えがあるな……とさっきから思っていた。学苑でよく聞くような……。


『抜刀許可が下りました。紋句詠唱での抜刀を条件付きで許可します』


 諒の持つ龍伐齊のコトダマからアナウンスが喚く。事態が理解出来ず諒は辺りをキョロキョロと見渡した。

 諒の見渡す景色は一斉に立ち上がり、『ウオォォオオオオ』と巨大なうねりを上げる観衆の姿であった。

 

「このドームには5万の観客が動員している。もしも、その5万人が【すべて士道の士】だったらどうする?」


 ようやく事態を理解し始めた諒は顔色がみるみるうちに青ざめ、血の気の引いたその顔でもまだ殺意と敵意に満ちた瞳を神雷に向けていた。


「貴様(きさん)……!」


「しかもこの群衆は誰一人としてこの場から逃げることはしなかった。ただの一人もだ!

 俺は誇らしく思う。これがお前たち刀狩が敵に回した国だ!」


 

 ギリギリと歯ぎしりをし、口元からは悔しさを表すかのように一筋の血が滲んでいた。

 そんな諒を更に追い詰めるように神雷は続ける。


「先ほども言ったが、圧倒的物量の前ではどんな単体の強さも無力だ。空への対処が弱い? 当然だ。……そっちの兵力は250と言ったか? こちらの兵力は……50000だ!」


「ぐぬぅぅううううううううう!!!!」


 あまりの屈辱に諒が吼えた。暗くなった空に突き刺さるほどの虚しさを孕ませて、真っ直ぐに突き刺さる。


「竜巳、お前を殺そうと思っていたが、幸い赤目も炎灯齊も誰も命を失っていないからな。ここで退くならば大目に見てやろう」


 ジョニーはテンガロンで顔を伏せながら神雷の元へと戻りホルスターにモンローとヘプバーンを仕舞った。小太郎も遅れてやってくると燕尾閃を鞘に納める。


「さぁ、どうする? 今死ぬか。後で死ぬか」


 メガネのレンズ越しでもはっきりと分かるほど目を真っ赤にしてこちらを睨む諒は、フー、フー、と荒い呼吸を必死で落ち着かそうと肩を上下に揺らす。


「ちなみに中間報告なんだけどよ。お前んとこの兵力……残り80だぜ」


 小太郎はところどころ傷があり、戦いの激しさが見た目からわかるが一方のジョニーはまるで汚れた形跡はない。あまりに敵単体との戦力差があるからか、シェリーの件の怒りも随分と落ち着いている様子だった。


「風馬ぁ……神雷ぃ……ッ!」


「呼んだか?」


 諒はゆっくりと後ずさりし、そのままステージの外へと落ちた。


「お、おい!」


 小太郎がそれに焦り後を追おうとするが、ジョニーはそれを制した。


 理由が分からず文句を言いかけた小太郎の目の前に、たった今落ちたはずの諒がロープに捕まりゆっくりと上昇してゆく姿が映った。

 飛空艇から垂らされた脱出のためのロープのようだ。


「お前さんら……今ここで死んでおけば良かったと思うほどの後悔を覚悟しちょれ……必ずわしら【ノブナガ】はこの帝國に鉄槌を喰らわせ、帝國政府を支配者の座から引きずり降ろしてやるけぇ!」

「お、おィ! 逃げちまうぜェ! 本当に逃がしていいのかよ神雷!」


「神雷先生だ」


「じ、神雷先生!」


「このままやっても勝てるはずないだろう」


「はぁあ!? だって五万の兵力……」


「五万人も士をここに結集させられるわけないだろう」


「あァ?! じゃァ抜刀許可って……」


「嘘だ。ちなみにかなりの数の人間が逃げた」


「オ、オイィイ!」


「ハッタリも実力の内だ。お前もよくあの状況で残り的の残り兵力が80だなんて嘘つけたな」


「いや……あれは、ああ云えば多分あのメガネ野郎が愉快な反応してくれんじゃねーかって思ってつい」


「いい性格だ」


「バッカ、褒めてんじゃねェよ!」


 小太郎はとても嬉しそうな顔で否定した。


「good fight ジョニー」


 神雷はジョニーに握手を求め、ジョニーも素直にそれに応えるように堅く神雷の手を握った。


「……確かに。お前とならもしも二人で異世界に放り出されたとしてもなんとかなりそうだ」


「sure」


 手を離した二人は拳を作り、お互いの拳をゴツン、と鳴らし笑った。



 ……さて、ここは誰の夢の中だろうか。


 白く靄のかかった空と、揺れる草花。耳を澄ませば聞こえる風が木々たちを横切っていく音と、川の流れる音。誰かが作ったものなどひとつもない美しい景色。

 目を開けると想像通りの景色が広がった。目を瞑ってみる景色と、目を開けて見る景色が完全に同調(シンクロ)したのは初めての経験だった。

 この夢を見ている人物の視界を借りてはいるものの登場人物が一切登場しないので、この夢を見ている人物が誰か分からない。そんな心配を余所に彼は起き上がりゆっくりと川辺へと歩く。


 彼は思った。ここ、来たことがあるな……と。


「エンジ」


 女性の声に彼は振り返った。

 そうか、これは帆村エンジの夢の中だったのだ。


「母ちゃん?」


「エンジー」


 振り返ったエンジの顔は今よりもずっと幼かった。


 ギザギザな眉はそのままだが、今とは似ても似つかないほど弱気な困り眉、鋭い一重まぶたも面影はあるが、強気な印象は全くなかった。


 それも当然かもしれない。


 見た目だけで判断するのならば、このエンジは5歳ほどの幼児であったからだ。


「母ちゃん……? 母ちゃあん」


 トボトボとエンジは声のするほうに歩きだす。幼い足が一歩、また一歩と進むたびに川辺の砂利が雪を踏み鳴らしたような音を立てた。

 不安な様子で目に涙をためながら幼いエンジはただ母の声のする方へと歩いてゆく。


「エンジ、こっちよ」


「母ちゃーん、どこー?! 母ちゃーん!」


 エンジが今にも泣きそうになっているその時だった。


 突如なにか巨大なものがエンジの背後に降り立ち、その影が彼の身体から太陽の光を奪ったのだ。


「……!???」


 なにが起こったのか分からず怖々と後ろを振り返ると、そこには炎灯齊が聳え立っていた……。


「えん……とうさ……い?」


「エンジー、どこにいるのー?」


「母ちゃん! こっちだよ! 怖い、怖いよぅ……! えんとうさいが……」


 ザッ、という音と共に突然炎灯齊が地面から引き抜かれた。

「エンジ」


「え、えんとうさいが喋った……!」


 エンジが見上げると宙に浮いた炎灯齊がぐるりと大きく回転し、更に大きな人影がエンジを見下している。


「……と、父ちゃん……」


 逆光になって見えなかったが、それはエンジがよく知る人物。帆村センエツであった。


「母ちゃん、父ちゃんが……」


 センエツは黙ってエンジを見下しながら、ただそこに立つばかり。


「母ちゃん……、母ちゃん!」


 さっきまで自分を読んでいたはずの母の声はセンエツの登場をきっかけに全くしなくなった。この空間はまさにエンジとセンエツ、二人きりの世界であった。


「エンジ、お前……炎灯齊を抜いたらしいな」


 ようやく口を開いたセンエツの言葉の意味が分からず、エンジはただ唇を噛み締め泣いてしまわないよう掌に力を込め、ズボンの裾を握っていた。


「だがお前にあの言葉が言えるのか? これからもずっと、あの言葉が」


「……」


「お前には士として絶対的に足りないものがある。それがなんだかわかるか」


 センエツはゆっくりと炎灯齊を高く振り上げ、今にもエンジの頭めがけて振り下ろさん様子だった。エンジは恐怖と威圧感に押しつぶされそうになりながら、ただ振り上げられた炎灯齊を見詰めるしか出来ない。


「この刀を抜くということは、あの言葉に決意(ケツイ)を持ったということ。ならば、貴様はこの瞬間からこの俺の敵だということだ」


「……ふざけんな」


「なに?」


 振り上げた炎灯齊をただ不安げな顔で見詰めていただけだったはずのエンジは、いつのまにかいつもの強気な眼差しで顔の見えない父を睨みつけていた。決して穴の開くことの無い厚い鉄板を、その眼差しで射抜こうと抗う一匹の野獣がそこに居たのだ。


「俺は抜かねえ。誰と戦っても! あんたと死合うその時までな!」


「……ほう」


 センエツの振り上げた炎灯齊目がけてエンジは飛び上がりその柄を掴んだ。


「よこしやがれ! 【これ】はもう俺のモンだ! 俺は抜かずにこいつの力を引き出して全ての敵に打ち勝ってやる!」


「なるほど……」


「それにあんたはもう俺のオヤジでも先代の炎灯齊でもねぇ……あんたは人斬り・千人殺しだ!!」

『むにゅり』


「あふッ……!」


 そのマシュマロの感触があまりにもイメージしたものと違い過ぎて、エンジは何度かその手触りを確かめようとグーとパーを繰り返してみた。


「あッ、あッ、そんな……う、上手いぃ……」


 このわざとらしく下手なスケベ声には聞き覚えがあった。(こんなにも露骨なのは初めて聞いたが)


「お前……なにしてる」


「あッ、はふん……あ、エンジ先輩。起きました? もう、なんだか炎灯齊を探してたみたいですけど……そこはまことの、お・っ・ぱ・い」


 エンジの右手は不自然なほどまことの両手に固定され、その手のひらは彼女の右胸をがっちりと掴んでいた。なるほど、これがマシュマロの正体であったか。(うらやましい)


「あんまり繰り返し揉み揉みするもんだから思わずまこともエンジ先輩の握りを確かめてしまいそうになっちゃいましたよ」


 そう言ってまことはエンジの天然紋刀に手を伸ばす。


「て、てめぇ! なにしやが……」


 慌ててエンジがその手を払おうと上半身を起こそうとするが、激痛とだるさで思うように動かない。


「痛って……!」


「さようなら私の操……じゅるり」


 サクッ


「うきゃ?」


 だらだらだらだら。


「うきゃきゃ?」


 まことの頭に紋刀が綺麗に刺さっていた。

 そこから驚いて言葉も出ないほどの量の血がだらだらと垂れている。


「うっきゃーーー!」


 まことは自分の頭に起こった異変に気づき手足をばたつかせながら辺りを飛び跳ねた。


「混乱に乗じて怨敵を抹殺! その為であるのならば私は悪にもなりましょうぞ! 殿!」


 目を血走らせて悪魔の形相で千代が現れた。

 まことの頭に刺さっている刀はよく見れば千代の持つ紋刀『護煙丸』だ。


「……抜刀したの?」


「左様。好都合なことに現在この帝國ドーム内では抜刀アラームが解除されていると知りましてね……。あのアバ……(ピー)女を屠殺するには絶好の好機と思いましてここに馳せ参じたわけでございます……ふへへ」


 千代は目の前で行われたエンジへの淫行と、一か月半もの期間エンジと会うことの出来なかったフラストレーションの為、すっかり人格崩壊していた。

「ちょっと千代! これはやりすぎだって!」


 まことの惨たらしい姿にハーレイが慌てて駆けつけ、まことに刺さった刀を抜いてやる。


「大丈夫? ごめんね、僕の友達が。いつもはとてもいい子なんだけど、エンジのことになると見境つかなくなっちゃって……」


 そう言いながらハーレイはだくだくと血を流すまことの頭を持っていたタオルで拭いた。


「ずっきゅん!」


「?」


 まことはハーレイの両肩を掴むと、真っ直ぐハーレイを見詰め真剣な面持ちで言った。


「まことの処女、もらって……」


 倒れた。


「あ……あはは……」






 ハーレイは横たわるエンジの元へ駆けつけると、肩を抱いて上半身を起こしてやった。

 エンジは「痛てて……」と苦痛の声を漏らしながらも素直にハーレイに身を任せる。

 なんとか落ち着いた千代と、ハーレイの顔を見てエンジはほっとしたように笑った。


「どうなった? って聞かないの?」


 ハーレイがそう尋ねるとエンジは辛うじて動かすことの出来る首から上で天井を見上げた。どうやらここは帝國ドーム内の医務室のようだった。


「ここにお前らがいて、それで俺が生きてるってことは……神雷とジョニーがやってくれたんだろ?」


「左様でございます。えんとーさいさま」


「千代、心配かけたな」


「いえ……」


 千代は顔を伏せているが、その声は鼻声だった。


「ハーレイ、しばらく遊んでやれなくて悪いな」


「僕は子供かよ」


 ハーレイはエンジがなによりも一番落ち着く笑顔で答えた。


「千代」


 エンジがなにか言いたそうに千代の名を呼び、ほんの少しの間を空けて千代は涙目で笑ってエンジに言った。


「えんとーさいさま、おかえりなさいませ」


 エンジの言いたかったことを察したハーレイも続いて「おかえりエンジ」と笑う。


 そしてそんな二人を見てエンジは少し照れた様子でこう返事を返す。





「……ただいま」





「そうですか……まさか竜巳くんがねぇ」


 神雷と共に事後処理に追われる業者たちの作業を見下している学苑校長は缶抹茶を飲みながらため息を吐いた。


「不覚でした。全て私の責任です」


「またまたぁ~そんなの言いっこなしだよ神雷ちゃーん。……まぁ、実は薄々気づいてた上でってんなら問題あるけどねぇ」


「……またそんな意地悪を」


 そう言いながらも神雷は校長の目を見ることは無かった。真偽はともかくジョニーの来日した三日間が実質的に終わった。その安堵を許す間もなくこの事態は次なる課題を帝國政府にもたらしたと言っていいだろう。


「それはそうとして……まさか実行に移すとは思ってなかったねぇ。刀狩の連中」


「ええ、しかも今回首謀したのは竜巳が率いる【ノブナガ】。いくら竜巳が優秀な男であってもあの年で刀狩を率いているなんてことは無いでしょう。

 つまりその上がいる。それは同時に何を意味するか……」


「刀狩っていう組織内に伝承使いがいる。それが証明されちゃったね」


「はい……。刀狩の大半は金銭目的での紋刀の回収。抜刀そのものに特に意味を持たせなかったはず。それが強制的に紋刀を抜刀させる技術を持ち、本来であるならば敵であるはずの士が組織に参入している。刀狩の中で生態系が狂い始めているのは確かです」


「……だよねぇ。それに今回の一番の問題は襲撃してきた刀狩が【ノブナガ】だったこと。これはちょっとマズいよ」


 神雷と校長は同じことを考えているようだった。それを示唆しているのか、二人は真っ直ぐ同じ場所を見詰めている。その視線の先には、ノブナガの構成員が捨てて行った大量の紋刀。


「【無銘屋】じゃなかったことがなによりも誤算……。何故【ノブナガ】だったんだろうねぇ……」


「さあ。しかし、必ずどこかのタイミングで【彼】は私達の前に姿を現すでしょう。……恐らく最悪の状況で」


「……千人殺し。帆村センエツ」




 全てが終わったはずのドームのドーナツ型の天井から、始まりを思わせる少し寒い尖った風が誰の肌を傷つけることもなく吹いていた……。

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