第2話(後)
「……じゃあ、やるか」
ひとしきり笑い転げた後、エンジはパチンと両ももを叩いた。
「……? なにをだい?」
その言葉が何を意味しているのか分からないハーレイから絆創膏を受け取りエンジは頬に貼る。
「やられたらやり返すんだよ! ったりめぇだろ」
エンジが先に立ち上がり、ハーレイに手を差し伸べた。
盛大に敗北した直後とは思えない、にんまりと何か企んでいるようなお馴染みの笑みを浮かべた。
「やり返すなんて……よくないよ」
ハーレイもいつもの様に自信なさげな顔で返す。返す、が……
「やり返したことがねぇだけだろ。俺が教えてやんよ、やり返し方ってやつをな」
エンジはあっさりそれを却下すると伸ばした手をもう一度グイ、と差し出した。
「ほら、早くつかまれ」
「まったく、キミってやつは……」
ハーレイはため息の一つ後に伸ばした手を力強く掴んだ。
「僕を悪者にする気なんだね」
「ああ、大悪党にしてやるよ。ハーレイ!」
立ち上がったハーレイはもう一度エンジと笑った。
乱戦から数時間が過ぎた。教室はがやがやといつも通りの喧騒で温度が上がっている。
ガリガリガリガリガリガリ……
「お、炎灯齊様のおかえりだぜ」
「仕返しとかしないよな?」
「大丈夫だって、授業の一環だし、先生の指示だったんだし。本人たちも了承済みだったろ? あれで仕返しなんてされたら、それこそ狂ってるって」
「だよな」
ガララ、と大きな音を立ててエンジが教室に戻ってきた。
顔はバンソウコとガーゼだらけだ。同じような姿のハーレイが遅れて教室に入る。
「……」
教室は静まり返っている。エンジとハーレイに皆、目が離せないでいる。
「どうしたんだよ、なんか言えよ。気分いいんだろ? 俺らをボコボコに出来て」
「ははは……まいったねエンジ。ボコボコだったもんね」
はっはっはっ、と乾いた笑いを撒く二人。
「そ、そうだな。まさか炎灯齊様ともあろうお方が伝承刀がなければあんなにダメダメだなんて思ってもみなかったぜ」
一人の生徒がエンジの誘いに乗って語る。
「あんなに早くダウンするとか、ある意味すげーよな」
また一人調子に乗る。
「あたしみたいな新紋刀志望の女流士に、伝承使いをやっつけることできるなんて光栄だったわ」
「そうかそうかーはははー」
エンジは棒読み調で笑う。そのびくともしない感じに生徒達は気持ち悪さを覚えた。
どこか異様な空気感が漂う教室は何故か一瞬、静寂に包まれる。
『ガチャリ』
そして唐突に響いた施錠音。生徒達は一斉に音の主へと首を振った。
そこには教室の片方のドアの前でニッコリと笑うハーレイがいた。
誰もが「いまの音はなんだ?」と思った。
何人かの勘のいい生徒が、片方のドアで微笑むハーレイを見て、もう片方のドアに目を移した。
教室には二つしかドアがない。後は窓だ。残念ながらここは2階。実質、出入口はこの二つのドアしかない。その二つしかないドアが二人の男によって占領されている。
何人かの勘のいい生徒の内、さらに勘のいい生徒数人の顔が青ざめてゆく。
「お、おい……帆村……なにするつもりだ……」
「ん、おいハーレイ。なにするつもりだって言ってる奴いるけど」
「あー、そうなの?」
ハーレイは、腰に差した戯刀を抜くとニッコリ笑った。いつもハーレイをバカにしていた生徒達は、その表情に思わず息をのむ。ゆっくりとドアの前で構えるハーレイ。
「すまないね、ここは死守させてもらうよ」
「ハーレイ、言ってやれ!」
うすうす状況が掴めてきた生徒と、なにが起こっているかまるで分っていない生徒。
様々な気持ちの渦が占拠する教室、その空気を割るようにハーレイは一言、大きな声でその言葉を放つ。
「仕返しだ!」
「お前ら、生きて帰れると思うなよ!」
エンジは炎灯齊をぐるんっ、と一回転させると構えた。
「しょ、正気かよ! 授業だろありゃあ!」
動転した生徒の一人が叫ぶ。
「士に正気を問うたぁ腐ってんな! 正気な人間が真剣で斬り合えるか!」
「死合う覚悟ないなら今からでも入苑取り消すんだね! ……ただし」
エンジが目の前の生徒数人を一太刀にて薙ぎ払う。その光景に、女生徒数人が悲鳴を上げた。
「俺たちを突破してからにするんだな!」
エンジのその一言で教室内はパニックになった。
意を決めた数人の生徒が戯刀を振りかざしてエンジに襲い掛かる。
「てめぇら、そういやいじめてくれったっけなぁ、お礼しとかねーと……な!」
巨大な炎灯齊に成す術もなく吹き飛ばされる生徒。その影響で、机やカバンが散乱する。
もう片方のドアに逃げようとする生徒をハーレイが迎え撃つ。
「悪いね! ここは死守するって言っただろう!」
ハーレイは苦戦しつつも、応戦する。
「なんだよこいつ、さっきより強ぇぞ!」
ハーレイの豹変ぶりに戸惑う生徒。
「当然だ。僕は今最高に楽しんでるからね!」
教室は大乱闘の様相を呈した。
この混乱の渦にたった二人、笑っている男。
エンジとハーレイ、二人で掴んだ初の勝利であった。
町にどっしりと佇む寺があった。
その寺は築300年を裕に超えており、その町で知らぬものはいない。
過去の戦争時に負った傷にも耐え、威厳ある風格は来る者に言い知れぬ威圧感と、そして底知れぬ安心感を与えた。
古く傷ついた柱、幾度も補修を繰り返した瓦屋根。それらは奥に居座る神像の跪き、道を通す。
その神像の名は焔慈炎像(ほむらじえんぞう)といった。
伝えによればそれは、炎を司る戦神であり、全ての敵を一振りの業火によって焼き払ったという。炎が舞う空襲に耐え、尚も100年あまりその場に勇厳に立ちそびえるこの寺は、300年も昔にある僧が【炎殲院】と名付けた。
そして80年も前に初めて精錬された十二本の刀を託され、現在の三代目でそれは100年目を迎えるであろう。
その刀の名を【伝承十二本刀・申(さる)・炎灯齊】といった。
それを継ぐ者の名もまた【炎灯齊】と言った。
つまりこの炎殲院の居間においていびきをかいて眠るこの少年が三代目ということだ。
「坊! 起きなさい!」
そしてその彼に投げかけれらる怒声にも近い男の声。
「坊! 坊!」
「焼肉……牛丼……肉じゃが……肉肉肉」
「またわかりやすい夢を見ておるな……このガキンチョは」
一呼吸つくと、男の右手は拳を力いっぱいに結んだ。
「肉……肉じゅうはち……むにゃ」
「起きなさい! 坊!」
『ゴギンッ』
「……ッッてェェエエエエ!!!」
突然の痛みと衝撃に飛び起きるのは、三代目炎灯齊・帆村エンジ。
さきほど学苑から帰宅し、そのまま昼寝をしていたのだ。
「なに……すんだよ、爺!」
真っ赤に腫らした額を両手で押さえ、涙目にながらエンジはゲンコツ制裁を下したの主に叫んだ。
「じゃかましいですぞ、坊! 学苑から戻られてすぐに眠られるとはなにごとですかな?! おぉ?」
爺と呼ばれた男を見ると、真っ白い髪の毛を坊主にし、頭の毛とは対照的に長く整えたこれまた白髪の髭を蓄えた、槐色(えんじいろ)の袈裟(けさ)を着た年配の男性だった。
「いっつもいっつもうっせーな! 疲れてんだからちょっとくらい眠っても……」
準備はいいだろうか。……せーの、
『ゴギン』
「ッッッッッてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええええ」
再び額を抑えて転げまわる。
「大げさですぞ坊! 埃が舞うので畳の上で転がるのは止めてくれますかな」
「いてぇ~……! 爺、今の音聞いたかよ!? 『ゴギン』だぞ『ゴギン』!!
ゲンコツでそんな音聞いたことあるかよ!!」
「それはそれは、爺、初めての体験ですな。学友達に自慢してもよいですぞ」
「ほんっとに親子揃ってそっくりだな!」
「照れますぞ」
さて、ここでエンジが言う【親子】というワードの意味を説明せねばなるまい。
この年配の男性の名は【神楽 煙宗司(かぐら そうじ)】。
お分かりになる方もおられるだろう。
この【神楽】の姓と、発音しない【煙】の字。
そう、千代の父であり炎殲院の現住職でもある神楽家の当主である。
「……して、坊。千代はどこに行ったのですかな」
「千代ぉ? さぁ、しらねーよ」
せーの
『ゴギンッ!』
「あっきゃああああ!! なんで殴んだなんで!」
「知らないとはどういうことですかな!? うら若きわしのカワイイ娘を知らぬとは!」
「なんだよ! なんで俺があいつと行き帰りしなきゃなんねぇんだよ! 家臣かしんねーけど、一緒に住んでんだから別に問題ないだろうが!」
涙目で精いっぱい抗うエンジ。
どうやら“爺”は彼の天敵でもあるらしい。
「よくありませんぞ、坊! 家臣とはいえ、若く美しい少女である我が娘! いつなにがあるか分からないこの世の中において、置いて帰るとは……おや、爺は今上手いこといいましたな」
胡坐をかいて頭をさすりながらエンジは爺を見上げると恨めしそうに目を釣り上げて言った。
「だったらコトダマすりゃいいじゃねぇか。持ってんだろ護煙丸」
護煙丸とは、千代が持つ神楽家の継紋刀の銘であり、コトダマとは紋刀の紋に組み込まれた通話ツールの名称である。分かりやすく例えるなら携帯電話が紋刀に内蔵されていると思っていただければよい。
この世界には携帯電話という概念はなく、戯刀・紋刀に内蔵されているのだ。固定電話はあるので、電話からコトダマに発信することが出来、その逆も然りだ。
「当然、護煙丸は持っているはずだが何度かけても出ないのですじゃ。爺、心配」
「どっかでたこ焼きでも食ってんだろ? ……心配しすぎだって」
そういいつつもエンジは時計に目をやる。
(確かに……もう帰ってないとおかしいよな)
「ともかく、爺は心配なのです。とっとと探しに行ってくだされ!」
「ええ~」
「ええじゃない! 早く行く!」
爺は鬼の形相でエンジに捜索を促し、じゃらじゃらと数珠を鳴らす。
「ちゃんと理解していますかな、坊! 入苑者は入苑式よりひと月は準備期間として普段通り自宅に帰宅し、通苑しますがそれを超えたらそこからは全苑生徒は寮生活になるのですぞ!?
そんな限られた自宅で過ごせる期間に、あの子が帰らないわけがない」
エンジは面倒臭そうに膝に掌を乗せ、ゆっくりと立ち上がると不本意そうな溜息を突き、座敷内に漂わせる。
ガッチャン、と炎灯齊を担ぐと渋々といった様子で爺の前から去っていった。
「……まったく、守らなければならないのは炎灯齊ではなく千代なんですぞ……」
去ってゆくエンジの背中を見送りながら爺はぼやくように独り言を言った時、じゃら、とまた数珠が鳴った。
――一方、ここは学苑内のとある部室。
分かりやすく現在は使われていない部室で、悪党のアジトにするにはもってこいの物件である。
さて、それでは悪党のアジトの中に入り、誰が一体悪人なのか様子を窺ってみよう。
「けけけ、こいつ本当に小学生みたいでやんすな!」
「きゃきゃきゃ、嬲り甲斐がありそうでゾクゾクするでゲスよ!」
部室内に分かりやすい悪党の声がこだまする。分かりやすい展開で非常にありがたい。
そして、その話し声を追ってみると、紐で縛られた千代が眠っていた。
「これで炎灯齊もバッチリあの世逝きでやんすな!」
「炎灯齊をやっちまった後は、このガキを好きにしてもいいでゲスよな~!」
悪党の姿を確認してみると、あごがやや発達した子分Aとガリガリで目をキョロキョロさせている子分B。
どこかで見たことのある顔ではあるが、この後の展開において重要なキャラになることはまず無い顔立ちである。
「あのよォ……無理にキャラ作らねェでいいんだぜお前ら」
子分ABの後ろで体育マットに跳び箱にもたれかかっている小太郎が二人に呆れたように言った。やはりキャラだったか……。
現段階で悪役として登場するのは、小太郎以外にないと思った方も多いだろう。ご名答である。
「いや、雰囲気が出ると思いまして……げへへ」
「もういいっちゅうねん!」
頼んでもないのに続ける漫才に小太郎は、
「……はァ」
大きくため息をついた。
邪魔なエンジとハーレイを排除するためとはいえ、本意でない作戦を憂いているのだ。
「っつうか小太郎さん、最初ノリノリだったのになんで急にノリ気じゃないみたいな空気だしてんすか!」
それを見通したのか子分Aが困ったように言った。
「しばられた小学生を見てると急に罪悪感が沸いてきたんだよ! 悪ィか!」
小太郎が逆ギレ風味に言うと、その言葉につられて二人がもう一度眠っている千代を見る。
「んまぁ……確かに……」
「せめてイイ女だったら……いや、普通の女でもいい。こいつの外見は俺たちの卑怯心を揺さぶる……」
なにを言っているのだこの男は。
「ん……」
その時、微かに声を出し、千代が意識を戻した。
状況が理解出来ずに半目であたりをきょろきょろと見渡す。
視界に小太郎らを捉えると、一度にっこりと笑った。
「よ、よォ……」
そして体の自由が聞かないことに気付き、自分の体を見た。
紐で縛られた自分を見て、千代は少し固まった。
「あの……燕塾八代目……」
「お、おう」
「これ、もしかして私めは攫われたのでございますか?」
「ま、まァそうだな」
「そうですかぁ……」
にっこり(千代)
にっこり(小太郎、子分AB)
「まぁああああああああああああ!!!」
素晴らしかな千代の絶叫(川柳である)
「おおゥい! 口押さえろ口!」
小太郎の命令に慌てて千代の口封じにゆく子分AB。
「へ、へい!」
「まぁあああああああ……むごっ、もごご!」
叫ぶ千代の口を押える子分ABの横で、千代の護煙丸が受信を知らせる光を点滅させていた。
―――
「……っかしいな、マジであのチビでねぇぞ……」
ガリガリと炎灯齊を引き摺りながらエンジは、今日の授業でついたバンソウコを撫でた。
【士道ノ三 へと続く】
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