第3話(前)

 その年の冬はとても寒かった。


 乾いた寒気は、肌を凍らし、生命の伊吹を足元から奪うように、冷淡に凍える風を送っていた。

 しかし、空を見上げれば息が止まるほど美しい漆黒の夜空と、漆黒の空を闇にしない星の光、なによりもその存在を唯一のものとして世界を支配するまん丸い月が愚かな地上の生物を見下ろしていた。

 人間は、精いっぱい抗い、細々と暖を確保して生き永らえている。


「冬とは、そうあるべきだ」


 父は、いつか幼いエンジに言った。


「だが時代は若者によって変わる。世代が変わる中で受け継がなければならないものなど、少ないものだ」


 祖父は、父と対峙し、同じくエンジに話した。


「父ちゃん! じいちゃん! なにやってんだよぉ!」


 父と祖父は、紋刀を構えたまま睨み合っていた。そう、これはまごうことなき死合である。親子が死合うという悲劇。親が子を、子が親を斬らねばならない茶番。

 幼いエンジの目にはこの時の光景が焼き付いていた。


「どうしてもこの家を出てゆくというのか、センエツ」


「貴方に語る口はもうない」


 後になって知るが、この時父が構えていたのは戯刀だった。

 祖父が構えていたのは、炎灯齊。だが炎灯齊は抜刀状態であった。

「わしに炎灯齊を抜かせるな」


「抜かなければ後悔する。戯刀と言えども、刃通力(じんつうりき)を持ってすれば斬れぬことはない」


 ただならぬ威圧感と緊張感、キンキンに冷えた寒風さえも二人の発する緊張感に凍ってしまいそうであった。


「エンジ、見るな」


 祖父は言う。


「エンジ、よく見ておけ」


 父が言う。


「大馬鹿者めが、炎灯齊の名を捨てでも刀狩りになるか!」


 ガチャ、という炎灯齊が鳴る音。そして、刀身を覆っていた炎灯齊の鞘が地に落ちた。


「俺が大馬鹿かどうかは、近い未来に世間が決める。……それまで生きていられるかな? 親父殿。……いや、初代炎灯齊」


 ガチガチと歯と歯がぶつかり合う音。

 震えるエンジは、寒さと恐怖で言葉を発せられない。発することは許されない。

「よかろう……ならばたった今からお前のことは息子とも家族とも思わん。

 士道と日ノ本を脅かす脅威として、死合を受けよう!」


「ようやく俺を敵と認めたな、炎灯齊。俺の道を阻む最初の関所よ!」


 エンジが覚えているのはここまでだった。

 再び目を覚ました時、隣には横たわる祖父の姿があった。肩から脇腹に向けて白い包帯を窮屈そうに巻き付けた姿で。

 それは即ち祖父が敗北したという証拠であった。

 祖父は敗北(まけ)た。


 眠り続ける祖父を看病する母を、起きていることを気付かれないように薄めを開けて見ていた。母は祖父の額に乗せたタオルを変えながら泣いていた。

 エンジを起こさないように、声を殺して。エンジもまた、母のその姿を見て、声を殺して泣いた。

 どれだけの時間が経ったか、祖父はすっかり元気になった。ただ、あの日の死合で利き腕の自由を失った。士としての生命を絶たれたのだ。


「いいかエンジ、お前は士道の士になるな」


 そしてある春の日、神像を祀る間で祖父はエンジに向かって士になるなと諭した。


「……え、なんで!?」


 伝承を持つ家系として炎灯齊を継ぐのはエンジの宿命であった。

 国としてそれを義務としているからだ。


 それは9つにもなったエンジにも理解するところであった。


「お前は炎灯齊を持たず、千代と共におればよい。来るべき時がくれば、炎灯齊は帝國政府に返還すればいいだけだ」


 祖父は淡々とエンジに告げるばかりだった。

 だが、エンジには祖父のその話に乗るわけにはいかなかった。


「いやだ! 絶対にいやだ! 俺はじいちゃんをそんな目に合わせたセンエツをやっつけるんだ!」


 畳を拳で打ち、前のめりで祖父に詰め寄る。

 その瞳を見詰め、悲しそうに祖父はため息をついた。


「そうか。では、お前に紋句を教えるわけにはいかんな」


「そ、そんな……なんで!」


 思いがけない祖父の言葉にエンジは言葉を詰まらせ、目を見開いた。

 信じられない気持ちが彼の体を縛り付け身動きを封じる。


「お前の目がセンエツに似ているからだ。エンジ」


「なんだって! 似てない! 似てたまるか!」


 祖父から憎む父親に似ていると指摘され、更に感情を沸騰させ蓋からあふれさせる。


「ともかく、お前には抜刀紋句は教えん」


 ギリギリと音を立てて歯を食いしばるエンジは、もう一度畳をおもいきり打つ。


「……じゃあいいよ! 自分で探し当ててやるよ!」


 半ば絶叫にも近い大声でエンジは祖父に謳った。


「お前には絶対探し当てられんよ」


 エンジとは対極的に覚めた表情で祖父は言う。

「今のお前が、今のままならば、その言葉(紋句)は絶対に口にすることはない」


「じゃあ俺は抜かずに闘ってやる! 誰よりも、あいつよりもじいちゃんよりも!

 紋句なんてなくたって、絶対に強くなってやるからな!」


 エンジが叫び、その場を立ち去ろうとしたその時、突然エンジは倒れこむ。


「……! どうしたエンジ」


 何事かと祖父が駆け寄ると、エンジは脂汗をだらだらと額から垂れ流し、苦しそうにうめいた。


「あ、足しびれた……!」


 ずこーーーーっっ!

「……とまぁ、そんな感じでずこーーーー! と初代様はずっこけられたのです」


「あ、あいつにそんな過去が……」


 千代は得意げに子分Aと子分B、子分C(合流した)に話した。


「小太郎さぁ~~ん、あのチビにもっと優しくしやりましょうよ~」


 子分たちはすっかり千代の話に感情を持っていかれ、滝のような涙と鼻水でぐじゅぐじゅにしている。


「いっじょにおやじをたおじまじょーよーう!」


 同じく子分B


「ゥおおォい! 感化されてンじゃねェよ、馬鹿どもが!」


 不機嫌そうに小太郎は燕尾閃でA,B,Cの頭を小突く。

 しかし、よく見ると小太郎の目頭も赤くはれていた。


「俺はお涙ちょうだいの話にはびくともしねェーんだよ! ……ぐず」


 小太郎が鼻を擦り、子分たちが感動の涙と違う、痛みによる涙を流していると、千代が手を縛られたままゆっくりと立ち上がった。

「な、なにするつもりだてめェ……」


 千代の行動に小太郎はやや構えて低い声で威嚇する。


「そう、あの時よりえんとーさいさまは血の滲むような特訓の毎日、寝る時も遊ぶ時も、エロ本をお楽しみの時でさえも!

 伝承・炎灯齊を片時も離さず、そうして刃通力を会得され……巨大で思い炎灯齊を魔法少女のステッキのように軽々と扱えるようになったのです!!」


 キラキラとした背景を背負って千代は恍惚な表情でミュージカルのように語った。


「……刃通力だァ……?」


「おや、燕塾八代目、刃通力を御存じでない?」


 小太郎の反応にキラキラの背景を消して千代はそのままずいっと小太郎に近づいた。

 急に顔が近くなった小太郎は目頭と違う赤色を頬に灯す。


「そうですか……。確かにアマチュアの士道では刃通力を学びませんね。妙な知識を持っていると、学苑で学んだときに統制がとれないということもあり、伝承使い以外の士は学苑で学ぶことを鉄則としているんでしたっけ」


 千代が思い出したように話続ける。その内容を聞いて小太郎は、自分の知らないことをエンジが知っているという事実に無性に腹が立ってきた。


「なんだァ、そりゃ贔屓ってやつじゃねェのかァ」

「ご存じでしょう燕塾八代目。伝承使いは【特例】づくめなのです」


「んなことが言い訳になるかァアアア!」


「んまっ」


 詰め寄った千代を押し返しながら立ち上がる小太郎の勢いに、両手の自由が効かない千代は体勢を崩して後ろに転んだ。


『ガン』


「痛いですことっ!」


「ん?」


 後ろに倒れた拍子に椅子の足に額をぶつけたのだ。子分たちは千代に駆け寄る。


「小太郎さぁ~~ん、まさか女子供に手を上げるなんて……」


「い、いや違っ……」


 慌てて弁明しようとするが、足元が悪くすぐに近寄れない。


「小太郎さん……」


「小太郎……さん」


 子分たちの目が痛い。違うという言い訳を言える雰囲気ではなさそうだ。


「すげーっす!」


「へ?」


「そんなに卑怯だと思いませんでした!」


「な、なにが」


「自分たちの悪行がいかにハンパなものだったのか、よくわかりました!」


「お……おう」


「小太郎さん、魔王っすね! ほんっとワルっす! かっけーっす!」


 小太郎はなにがなんだかわからないままに魔王にされ、子分たちに崇拝されていた。


「あの~……バンソウコを……」


 その様子に口を挟みづらかった千代は、ぶつけた額の傷口から血が出ているのを申告する。


「うおー! 女子に流血!」


「すっげーよ! 悪党だよ! 人間のクズだよ!」


「佐々木・魔王・小太郎の生誕祭だー!」


「い、いやお前らバンソウコウと薬……」


 彼らのアジトから『わっしょい、わっしょい』とはしゃぐ声がにぎやかにこだましていた。

 空を切る音が鳴り、それは空によって消される。


 それを待たずにもう一度空を切り、さらに地を鳴らす重い音。


 体育館にハーレイの姿があった。


 空を切る音は、彼が戯刀を振る音。


 重い音は、彼が踏み込む際に鳴らした足音であった。


 刀の柄を持ち替え、背後に向かい一歩踏み込み前に突く。


 ひと拍置き、体勢を低く構えるとぐるりと前足を軸にして体ごと回転すると、螺旋を描き刃を旋回させた。


「両利きだったのかお前」


 一人、練習に励むハーレイに声を掛ける人影。


「なんだい、帰ったんじゃなかったのか。エンジ」


 声のした背後を振り返ると、体育館の開放しっぱなしの入口にエンジが立っていた。


「ああ、帰って昼寝してたんだけどよー、なんか千代が帰ってないらしくって。そんで探しに来たってわけ。

 お前なんかしんねーか?」


 ハーレイは、体育館の壁に寄せたカバンからタオルを出して、額の汗を拭きながら


「……知らないね。てっきり二人一緒だと思ってたけど……コトダマは?」


「つながんねー」


「そうか……心配だね。僕も一緒に探すのを手伝うよ」


「お、さっすがハーレイ。もつべきものは友達だね」


「調子がいいなぁ、エンジは」


 ハーレイは短く笑うと肩にカバンを背負うとエンジに近寄った。

 スポーツドリンクの入った水筒を飲み、一呼吸置くと二人でグランドの脇へと出た。


「事故とかじゃなければいいけど」


「どうせどっかで食い意地張ってるだけだと思うんだけどな」


「だったらいいんだけどね。それなら僕たちも交じろうよ。」


 ははは、と笑ってハーレイは会話に乗るが、ドリンクをさらに一口飲むと「でもそれならコトダマは通じるはずだもんね」と真面目な表情に変わった。


「……」

 

 エンジは楽観的ななにかを言い返そうとしたが、言葉を飲み込んで黙る。

「じゃあ、僕は部室側を探すから、エンジは校舎側を探そうよ」


「おう」


 エンジはハーレイのリーダーシップぶりに感心しながら、素直に指示に従って校舎側に向かった。


「あ、ハーレイ」


「なんだい」


「……悪ぃな。頼むわ」


「むず痒いよ」


 ハーレイは笑うと、グランドの奥にある部室側へと小走りで向かった。




 グランドの奥にある長屋のような形をしたコンクリートの部室群。8つほどの部活動の為の物置や更衣室となっている。

 士道学苑は、もちろん士道のための学苑であるが、士道を目指す者の中には卓越した身体センスを持つものも少なくない。なのでオリエンテーションとしての部活動も士道教育の一環として採用されているのだ。

 しかし、学苑の性質が性質だけに部活動は他の学校制度に比べてさほど盛んではなく、8つの部室の内、実に2つの部室が現在使用していない。

 こうなれば悪党の恰好の巣になるのも頷けるだろう。


 そんな悪の巣窟にハーレイが千代を探しにやってきた。

 学苑における部活動について、そこまでの知識がないのにも関わらず一発目にここを探しにくるあたり、彼の洞察力の良さと、運の無さがうかがえる。

 ハーレイは、部室群の端から順に中の様子を窺って行った。

 中を窺うとは言っても締め切っている部室は、耳を当てて音を聞くくらいしか手段がない。一室ごとにノックして回ることも考えたが、既に放課後で空も暗くなり始めた頃。あたりが静かなのもあり、その手段に躊躇していた。


 ちなみに、悪の巣窟はハーレイが尋ねている端から4番目の部室だ。

「……なにも聞こえないな」


 部室のドアに耳を当てて聞くが、中からはなにも聞こえない。ハーレイは2番目の部室の前に移動すると同じようにドアに耳を当てる。


「……ここも、か」


 ハーレイは内心、こんな部室を調べてもいるはずがないと高を括っていた。

 それもそのはず、千代がいないのは心配だが仮に誘拐だったとしても、まさかこんな部室にいるだなんてことは思ってもいないからだ。そもそも同級生が犯人であると誰が想像するだろう。


「さすがにこんなところにはいるわけないか」


 というわけでハーレイ自身の口からもそれは飛び出す。無理はないと言えよう。


『ガチャ』


 ハーレイが3つ目の部室に耳を当てようとした時、隣の部室から小太郎が出てきた。


「……あ」


「てめェ……北川ハーレイ!」


 

 ハーレイの姿に反応した小太郎は、ハーレイに正面を向き睨みを効かせる。


「なんの用だァ、てめェ。見逃して欲しけりゃ、とっとと消えろ!」


「ああ……ごめん。佐々木くん、聞いてもいいかな?」


「お前、俺の話聞いてやがったかァ?」


 不快感をあらわにした表情で見下すように頭を後ろにもたげて圧をかける。


「いや、神楽さんがいないらしいんだけど、どこかで……」


「神楽ァ?」


 小太郎がしらばっくれようとしたその時、太鼓を叩いたような音が小太郎が出てきた部室の奥から鳴った。


「……コトダマの音?」


 その瞬間、小太郎が『チッ』と舌を鳴らしたのをハーレイは見逃さなかった。


「まさか……っ!」


 小太郎を押しのけてハーレイは部室へと押し入る。


 そこにはコトダマの着信を知らせる太鼓の音を鳴り響かせる護煙丸と、その横に横たわる千代の姿だった。


「千代!」


「やァっぱり、気に食わねェ。順番が違ぇーんだ! てめェは炎灯齊の後でいいんだよォ!!」


 小太郎の燕尾閃がハーレイを襲った。

「ちーよちよちよちよちよちーよ、ちーよちよちよちよちよちーよ、ちーよちよちよちよちよちーよ、ちよちよちーよちよー」


 妙なメロディに千代の名を乗せながらエンジは暗くなり始めた苑内を歩いた。

 普段ならば全寮制の学苑内、誰かしらいてもおかしくはないが、全校生徒は入苑式から1週間は帰宅することが許される期間。つまり怖ろしく人の気配がないのだ。


 薄暗い苑舎を陽気な鼻歌で闊歩するエンジの姿を見て、とても真面目に捜索しているようには見えないが、我々は彼についてゆくしかない。エンジはいつものようにガリガリと炎灯齊を引き摺っていなかった。


 というのも、静まり返っている苑内では炎灯齊を引き摺る音はうるさすぎて、すぐに宿直の職員が飛んできそうだったからだ。


「ちーよちよちよちよちよちーよ、ちーよちよちよちよちよちーよ、ちーよちよちよちよちよちーよ、ちよちよちーよちよー」


 ならこの歌はいいのかという疑問は残るが、彼にとっての捜索がこれであると言われたら返す言葉がないのである。


「ちーよちよちよちよちよちーよ、ちーよちよちよ……ん」


 丁度エンジが保健室の前を過ぎようとした時、保健室で物音がした。


「えー……と、バンソウコバンソウコ……と」


「なにやってんだお前」


「いやぁ、うちの親分が女子を容赦なくぼっこぼこに流血させやがったんでさぁ……って、帆村ぁ!?」


 振り返る子分とバッチリ目が合った。

 ――一方、部室。


「なんだ、炎灯齊の野郎も来てやがるのか。そりゃ手間が省けて助かるぜェ」


 うつ伏せで倒れるハーレイの背中に腰を下ろし、小太郎は燕尾閃を肩に乗せて言った。


「お前はまた別の手段で追放してやろうと思ってたんだがァ……丁度良かったわ」


 カカカ、と笑いながら小太郎はハーレイの上で皮肉たっぷりの口調で放った。


「うぅ……くそ……」


 ハーレイはうつ伏せになりながらグランドの砂を握りしめ、悔しさの吐息をつく。


「コトダマで呼び出そうと思ってたんだがァ、ちょいとあのチビ女に不慮の事故があってなァ……予定が狂ったんだわ」


 そういって小太郎は鞘のままの燕尾閃をハーレイの肩に振り下ろす。


「ガ、はぁッ……!」


「それにしても、お前……弱いねェ……あくびが出るわ」


 それを眺める千代はバンダナで猿ぐつわをされているので言葉を発することができない。


「んー! んー!」


 しかしその様子を見る限りでは、どうやら怒っているらしい。


 桜色の頬が耳たぶまで真っ赤になっているのでまず間違いないだろう。

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