第15話

「ええっ!?」


 ハーレイの叫び声はギャラリーを含めた周りの生徒達を注目させる鈴となった。

 一方ハーレイを驚かせた張本人であるエンジはハーレイの耳元で耳打ちした手をそのままににやりといつもにも増した企みスマイルを見せたのだった。


「ちょ、……そんなそれじゃエンジが……」


「馬鹿野郎、んなことよりこの方が100万倍重要だってんだ。それに……この決勝には《アイツ》がいる」


「そうだけどさぁ……」


「だからどのみちそっちでは俺は無理だ。だからよ、この際だから俺は全力でやるぜ! だから任せたぜ、ハーレイ」


 不安げにあたふたとするハーレイを面白がるでもなくエンジは真っ直ぐに見据えると笑みを崩さなかった。

 心の底からハーレイを信頼している……そんな顔だ。


「……わかったよ頑張ってみる」


「ああ? 頑張ってみるだ? 違うだろハーレイ、言えよ」


 エンジの言葉と何かを期待する表情に、ハーレイはすぐに彼が何を求めんとするかが分かった。だからこそ、ハーレイはその言葉を言う。普段の彼ならば決して口に出さないであろう言葉。


「絶対……やってやるさ」


「乗った!」


 エンジが拳を作り自らの頭の高さまで上げ、ハーレイはエンジの作った拳に自分の拳をぶつけ意思で応えた。

 ぷっくりと膨らんだ丸い丘が立ちあがった拍子にぷるると揺れた。

 張りのあるその尻に思わず手を伸ばす魔の手、その手が今にもそれに触れんとした時『パチン』という破裂音がテント内に響いた。


「煉獄さん! いい加減にしなさい!」


 やしろが般若の形相ではたいた手を摘まみ上げ魔の手の主を厳しく叱咤し、当の煉獄二郎はという真っ赤な顔色でぶひぶひ言いながら何故か喜んでいる。


「本当にこれは会議ものの大問題ですよ! 来賓及び学苑の長である校長までがこんな重要行事で酒盛りをし、あまつさえ酔っぱらうだなんて!」


 これが世に言う【ぐうの音も出ない正論】という奴である。


「ぐう」


 あ、ぐうが出た。


「しかも女子生徒の局部に触れようとするだなんて、普段の煉獄さんなら有り得ない行為じゃないですか。イメージ狂いますよ……ほんともう」


 神楽和尚はおろろーんおろろーんと泣いているばかりで、煉獄二郎は見ての通りの暴走っぷり、校長はというと……


「いやぁ~杜永先生! これが私も困っているんですよ、酒で酔うことなんてこれでも士の端くれなんでねぇ~有り得ないんですが、どうやらこれは鬼毒酒みたいでね……誰かが僕らの飲み物に仕込んだんじゃないかって、あたしゃ思う訳ですよ!」


 とキレのあるポーズで敬礼をする。

 校長の言葉を聞いてやしろは少し物思いに耽り、確かに3Gのこんな姿はこれまで見たこともない上、他の二人はともかくとしてもいくら校長と言えど酒盛りを許すはずもない。……そう思った。

「じゃあ誰が校長たちにお酒を……? なんのメリットがあって?」


 そう独り言をつぶやいたやしろの尻を鷲掴みにした煉獄二郎の左頬に、彼女の拳がめり込み旧校舎まで吹っ飛んだ少し前、映像保管庫に再び自らの記録を返却した桐乃がグラウンドに戻った。


「くっ、わざわざ優勝を持ち帰れとは意地の悪い男め」


 グラウンド中央に鎮座する太鼓を見詰め、ストレッチを始める桐乃の目には徐々に闘争心が点り始める。元々参加する気の無かったはずの乱れ太鼓だったが、竜巳の追加条件により必ず【優勝】の冠を持ち帰らねばならなくなった。

 決勝直前の離脱の為に校長達3Gに酒を仕込んだのも何を隠そう彼女の仕業だ。

 わざわざ大枚を叩いてこの為に無味無臭の【鬼毒酒】という強烈な酒を用意したが、結局参加するのであればムダ金を使ったに過ぎない。


「まぁいい……優勝を持ち帰ってたんまり報酬を請求してやる。もう二度とこの俺を舐められないようにするにはこの舞台も必要と思ってやろう」


 すぅー……、と息を吸い込むと吸った息を腹筋で止め、ゆっくりと舌と口天で狭めた隙間から息を吐く。

 しゅうぅぅぅ……とバルーンが小さな傷から空気を逃がすような音。長く長く続くそれは終盤に差し掛かるにつれ、桐乃の見事に割れた腹筋をくっきりと浮かび上がらせる。彼女が如何に無駄のない理想的な体なのかを体現していた。


 闘争心を宿したままの瞳は、その色を濃く残したまま狩る側の悦の色をも混ぜ合わせ、口元にはこれからの快感に打たれる笑みが浮かんだ。


「やだ……《スイッチ》入れると疲れちゃうから参加したくなかったのにねぇ……」


 ふしゅぅぅ……その漏れる音はやがて熱い湯気に変わり周囲に熱を帯びさせたのだった。

 テントの中では、煉獄二郎はロープで縛られたまま鼻血を流し、神楽和尚の泣き上戸もやや落ち着いたところであった。

 校長は栄養ドリンクの瓶に細いストローを差して啜っている。


「それにしても……珠城くんのアレをまた拝むことが出来るなんてねー。オファーして良かったよ」


 校長はいよいよ始まろうとする決勝の舞台を眺めながら放送機器に肘を乗せて呟いた。


「アレ、ですか?」


 結局桐乃の映像記録を見ることが出来なかったやしろは以前聞いた彼女の話を思い出した。


「……なんかサディストだとか伺いましたが」


「そうそう。ほら、今時そういうのってさ【ドS】とか【ドM】とかって言うじゃない? けど彼女はそういうのとは大分違うんだよ。ドSじゃなくて、サディスト。ああいうタイプはあまりお目にかかれないよー」


 校長はいてて、と頭を押さえると(すっげー乳だな)とやしろのせり出した胸を横目で見て思った。


「それはどういう意味なのでしょうか」


「百聞は一見に如かずってね。見れば分かるよ……と言いたいところだけど、去年がすごかったからねぇ。ねぇれんちゃん(煉獄二郎)」


 ロープで縛られた煉獄二郎は、徐々に取り戻しつつある血色の顔で校長の投げかけに対し「左様!」とやや無理した様子で答え、グラウンドの太鼓を見た。


「乱れ太鼓、あの大太鼓を作った者としてあの太鼓が壊れるまで……またはこの煉獄二郎が往生するまでこの学苑行事を見届けようと毎年この来賓席にて参加しておるが……、かの珠城桐乃ほど鼓舞を無視し優勝したのは後にも先にもおらなんではなかろうか」


「鼓舞カウントを無視……ですか?」


「そう、珠城くんはね去年の乱れ太鼓の決勝で鼓舞した回数はたったの70回」


 やしろは校長の口にした回数に目を見開き、反射的に両の掌を結んで言った。「な、70回!?」と校長が言った回数をそのまま反芻する。


「少なくないですか?! 今回の緋陀里くん戦以外の下位回数ですら50回は行くんですよ!?」


「少ないよねぇ~。この少なさは彼女の性格……そう、サディストたるところが大いに起因するんだよね。満足するまでやっちゃうからさ」


「やっちゃうって……」


 信じられないといった様子でやしろはまじまじと太鼓を見詰め、この決勝が自分の思っているよりも修羅場になるのではないかと予感するのであった。

『さぁ~~て泣いても笑ってもこの決勝で最後ですよ~~! 各言うこのわたくし赤目まこともハーレイ先輩の必勝を祈願してさっきトイレでオ……ちょっと、言わせてよ! モチベーション上がるから! もう、なによー!!』


 ほんの少しの間大人しいマイクパフォーマンスをしていたまことは、ハーレイが決勝に残ったのが余程嬉しいのか、また例の卑猥トークをブチかまそうとした。だが察知した教師や役員たちに食い止められているのが、スピーカーから分かった。


「トイレでオ……なんだと思う?」


 そんな中でまことが何を発しようとしたのか分からないエンジはハーレイに尋ねるがハーレイは「ははは」と苦笑いするしかない。

 エンジ達から離れた外野席では千代が怒りを燃やし、旗を振ってエンジの勝利をアピールしつつ、(こんなことならばこの私がアナウンスに立候補すべきだった)と心から悔いるのであった。


『……けっ! ケチくせー大人達め! わかりましたわかりましたわかりまーした!

 ちゃんとやりますよちゃんと! いいじゃない別に誰でオナ……はいはい! もう、それじゃ皆さん準備いいですかー!? 

 全力で鼓舞してくださいねー、それじゃ……情ケ無用!』


 情ケ無用の声を合図にしていたかのようにエンジは両手の平を組み、四股立ちで腰を深く落とすと股よりも低く組んだ掌を構えた。

 しかもエンジは太鼓を正面に構えず、太鼓に背を向けている。

 ハーレイはエンジが構えたのを確認すると、クラウチングスタートの体勢で上半身をピューマのように前傾させエンジの構えた手を強く睨む。


 そして二人はほぼ同時に頷いた。

『始めぇええええ!!』


 18/20が雄叫びを上げて最後の乱れ太鼓の頂点に立とうと猛進する中、ハーレイはエンジに向けて全力で駆けてゆくと、エンジの組んだ両手のひらに強く踏み込んだ。


「刃通力……全・開ッ!!」

 

 ハーレイの踏み込みを掌に感じたと同時にエンジは刀も持たないのに刃通力を解放し、そのまま力のまま後方の太鼓に向けてハーレイをぶん投げた!

 踏み込みをバネにし、エンジをジャンプ台にしたハーレイはグラウンドの誰よりも速く、遠く飛ぶのだった。


「見たか! これぞハーレイロケット!!」


 後ろに仰け反った反動でそのまま倒れこむエンジは自慢げに叫ぶ。


「へぇ~刃通力を人間相手に使うなんて前代未聞だね」


 テントで校長が興味深そうに言うと、神楽和尚が「いや……お恥ずかしい」とバツの悪そうに頭を掻いた。


「いやいや、そうじゃないよ。【普通は刀にしか刃通力が通じる訳がない】んだよね。若しくは戯刀のように刀の形をしているか、それとも本当に刀なのか……。

 ともかくとして理論的に不可能なんだけど、あの子の精神力ってことなのかな」


「確かに……刃通力をあのように利用するなどとは。考えたこともありませんぞ」


 校長のほめ言葉を素直に受け止めつつもふぅ、とため息をつき答える神楽和尚の目にはエンジの言うさながら【ロケット】のように真っ直ぐ飛んでゆくハーレイが映っていた。


「やれやれ、あの子も坊の巻き添えというわけですな」

「ぃよっしゃあ! ハーレイに続くぜ!」


 戯刀を抜き、鞘を捨てるとエンジは一直線に飛んでゆくハーレイに続いてゆく。


「帆村エンジだ! 奴を仕留めろ!!」


 数人の生徒達がエンジの行く手を阻むように構え、迎撃の体勢を取るがエンジはそれらの生徒の顔も見ずに戯刀を一つ大きく振る。


「がっあぁ!」


「うわあ!」


「エキストラは吹っ飛んでろ!」


 行く手阻むも空しく彼らの出番は吹き飛ばされ視界から消えるという退場で終わった。


「オラオラァッ! 誰にもハーレイの邪魔はさせねーぞ!」


 全速力でエンジはワンテンポ遅れてスタートした分を取り戻すかのように戦場を駆けてゆく。

 はてさて、状況が飲み込めない御仁もおられると思うので説明しておくと……。


――決勝戦前


「ええっ!?」


「な? いい作戦だろ? 俺はお前を優勝させることに全力を注ぐからよ。だからお前神雷の記録を塗り替えろ」


急な提案にハーレイは恐々とする。先ほどの対戦もエンジとチームを組んだが、あれは緋陀里という問題児が居たため組んだいわば一過性のもの。流石に決勝ともなると全力で優勝を狙いにくると思っていたハーレイは、エンジの提案に意外性と驚愕を共存させた……まぁつまりすごくびっくりしたということだ。


「あのよ、考えたんだ。このまま俺が優勝狙ってももちろんそれはそれで面白いんだけどよ、それよりも神雷の記録を塗り替えられそうだってのは絶対お前にしか実現できないことだと思うんだよ。

俺はよくわかんねーけど、あいつ(神雷)の記録を塗り替えるってそれってすっげーことだと思うだ。もしもどんな障害も無くひたすら太鼓叩き続けたとしても、俺にはあいつの記録は越えられねー。それにこの決勝で絶対に【ヤツ】が俺を狙ってくる。

多分その時ヤツは太鼓なんか関係なしで俺を狙ってくだろう。そうなりゃ正直俺も太鼓どころじゃねぇし、それで優勝できたとしてもショボイ鼓舞回数しかでねーと思うんだよな。そこでこう思うことにしたんだ。

 《俺とハーレイのチームで爪痕残してやろう》ってな。

 まーあくまでやるかやらねーかはお前の自由だぜ、ハーレイ? ……どーする」


「ほんっと勝手なことばかり言ってくれるね……」


 といった感じである。お分かりになったかと思うがどうだろうか。

そういったわけでエンジはハーレイを《絶対的優勝者》にするため、ハーレイを邪魔する連中を一掃するために走るのだ。

 だが、そろそろエンジの言う【ヤツ】が登場する頃ではあるまいか。


「ォォォ……」


「!」


 ズン、という重い音と砂埃を巻き上げ竜巻がエンジを襲う。その凄まじい勢いを避けきれないエンジは片手に持った戯刀を両手で支え、竜巻を受け止めた。

 だが予想に反し竜巻を受け止めた際に放った音は『ギン!』という金属が衝突する音であり、この物語では日常的に聞く……そう、刃と刃がぶちあたる音である。


「派手に現れてんじゃん、佐々木ぃ!」


「てめーこそ勝手に目立ってんじゃねェぞ帆村ァ!」


 竜巻でなく人であり、それが佐々木小太郎であることは一目瞭然であった。竜巻だと錯覚するほどの刃通力を纏い、敵意剥き出しでエンジに襲い掛かってきたのだ。


「太鼓叩きの御遊戯にゃハナッから眼中にねェ! ここまで上がってきたのは全部テメェをこの手でぶっ倒すためだけだァ!」


「……けっ、相変わらず語尾がうぜぇ奴だな佐々木! 言っとくけど戯刀だからって言い訳は通じねーぞ? えぇオラァ!」


 至近距離での鍔迫り合いからお互い間合いを離すと小太郎の子分たちが駆けてきた。


「おうお前ェら、あのスウェーデン野郎を食い止めろ! 手段選ぶな!」


「アイアイサー!」


 3人の子分がエンジの脇を駆け抜けてゆこうとするが、エンジは構えた戯刀を背に構え飛び上がると連中に斬りかかる。

「行かさねーよ!」


 エンジの振り下ろした一撃で子分Bが「ぎゃ!」とわかりやすい悲鳴を上げて倒れ込む。そしてエンジの2撃目が子分Aの脇腹を捉えた時、


『ギィン!』


「やらせねーよ!」


 小太郎の刃がエンジの2撃目を止めた。小太郎とエンジの力み合いの中、命からがら子分BとAがエンジの脇を抜けていく。


「……ちっ!」


「俺はよォ、好きなもんから喰うタイプなんだよ。分かるかチビ!」


「だったら……さっさと食あたり起こして寝込ませてやんよ!」


 エンジが体勢を向き直し小太郎に構えた。


「命の取り合いじゃねェのが気に喰わねェが……まぁ余興にしちゃおもしれェ! 覚悟しろ帆村ァ!」


 小太郎は燕尾閃を持つ時と同じ構えで尺の短い戯刀を構えると臨戦態勢を整え、ハーレイに教えてもらった通りの模範的な構えで迎撃の覚悟を取った。


「行くぜェ!」


「おおっ!」


 一方ハーレイはというと誰よりも先頭に降り立ち、大太鼓のすぐそばまで来ていた。


「百虎の記録が300前半だったはず……だったら僕はそれを上回る数を叩かなきゃなんないってことか……。簡単じゃないな」


 太鼓に向けて走る彼の背中を数人の生徒が追ってくる。


「連中はきっと僕を狙ってくるだろう。……だが僕は彼らを捌き切れるか?」


 走りながらそんな不安がハーレイを襲ったが、引き返すわけにはいかない。エンジのおかげで先頭に躍り出ることが出来、このままだと間違いなく誰よりも先に太鼓に辿り着くはずだ。

 だが、太鼓を独り占めできるのはほんの一瞬。すぐに後続からやってくる数人の生徒に的にされるに違いない。その場合、太鼓を叩きながらどう彼らを躱せばいいのだろうか。士道の能力が著しく欠けているハーレイにとってはたった一人を相手にするのにも危ういというのに、それが数人になった時どうなってしまうだろう。

 1回戦の時はハーレイを侮っていた生徒の隙を突くことが出来たが、2回連続で最多鼓舞数を誇る今のハーレイを侮って襲い掛かる生徒は、少なくともこの決勝にはいるように思えなかった。


 だが彼にはただ一つ、エンジがからもらったアドバイスがあったのだ。今はそれを頼りに挑むしかない。ハーレイは不安を一太刀にて振り払うと叩き台まで辿り着いた。


「ハァッ!!」


 ドン、ドン、と太鼓の叩く音。叩く度にリズムが早くなってゆくのを聞きながら3Gは誰が先頭でそこに辿り着いたのかを察した。


「ほう! まさかあのこかな!?」


 煉獄二郎が興奮気味に叫び、校長も興味深そうに目を細めて見ている。

「やっぱり北川だ! クソが、外国人風情に優勝させるかぁ!」


 次に太鼓に辿り着いた生徒がハーレイを確認すると、一直線にハーレイが叩く叩き台へと向かう。


(やっぱりあっち側には行ってくれないか)


 そうは思いつつも手を止められないハーレイは太鼓を叩き続けるが生徒はすぐにハーレイの元に辿り着いた。


「死んじまえよド金髪があ!」


 勢いよく襲い掛かるが、ハーレイは生徒の攻撃を叩きながら避けた。


「はぁ?!」


 ほとんど自分を見ていないのに攻撃を躱されたことに理解が出来ない生徒は素直にそれを声に出し、一撃目を避けられたのがなにかの間違いだと確かめるために、二撃目を振るうがそれもまた躱される。生徒の苛立ちはこのたったの二撃で頂点に達し、あからさまな憤りを表情に宿らせた。


「おい! みんなこっちだ、こっちに北川がいるぜ!」


 後続の生徒達に呼びかけ、多数にてハーレイを仕留めようと考えた彼はにやりと叩き続けるハーレイの背中を見やると、他の生徒達が着くのを待った。

 その冷笑を背中で感じながらハーレイはこの場にまもなく結集する敵のことと、もう一つ悩みの種を抱えていた。


(まずいな、彼らが集まって僕を邪魔することも充分頭が痛いけど……この調子で叩き続けても300を越えられるかどうかわかんないぞ……)

 説明しよう。ハーレイが危惧している点はこういうことだ。

 神雷が記録を樹立した際、元々二刀流だということも手伝い、更に常人離れした身体能力にて叩きだした。

 ハーレイも身体能力だけで言うのならば充分常人離れしてはいるが、士道の能力で言えば神雷のほうが格段上である。

 単純に彼の記録を超えるといっても並大抵のことではないのだ。


 その上ハーレイのような頭の良い男には分かってしまう。今の自分のリズムで達成できるおおよその回数が。そういったことからハーレイは気付いてしまったのだ、自分の限界と神雷の記録が釣り合わない、と。


「おーおー、叩いてる叩いてる調子に乗って外国人が。やっちゃっていいの?」


 ハーレイの頭を悩ませる回数の前に、もう一つの問題がやってきた。ハーレイは鼓舞カウントをアップさせつつも目を閉じて精神を集中させる。


「四人もいりゃ楽勝だろ。いいか? 太鼓叩くのなんざこの金髪野郎がくたばってからでいいからよ、まずこいつをやっちまおうぜ」


「おおよ! この乱れ太鼓でいいところ見せられなくて溜まってたんだよな」


 そう言ってハーレイの背後に集まった四人の生徒は一心不乱に太鼓を乱打する無防備な背中に向けて構えた。


「油断すんなよ。どんな手品使ってんのか知らねーけど単体の斬撃は避けられちまうからな出来るだけ同時にやるぜ」


「ははは、りょーかい」


 せーの、の合図を持たず四人は戯刀を振りかぶり同時にハーレイの背中へと振り下ろした。

 ガガガ!


 複数のなにかを弾くような衝撃的な音が四人の振り下ろした戯刀を跳ね返した。

 なにが起こったのか分からず、振り下ろしたはずの手が頭上でバンザイをしているのをただ見詰めて四人はキョロキョロとしている。


「……は?」


 一人が我に返り、再び戯刀の握りを持ち直して呆けている他の生徒に叱咤した。


「おいボヤっとすんな! なんかのまぐれだって!」


 ガガ!


「アァ!?」


 結果は同じだった。ハーレイの背中に斬撃を喰らわせようとすると手に持った戯刀が跳ね返る。だがハーレイはというと相変わらず自分たちに背を向けたまま一心不乱に太鼓を叩いていた。


「は、波状攻撃だ! 同時にやらずに止めることなくいけぇ!」


 一人目が襲いかかり、二人目が間をずらせて中段を狙い、三人目が下段を振り抜こうと身体を低く構え、四人目は大きく飛び上がり戯刀に体重を乗せてハーレイに襲い掛かる。


 まず一人目がこれまでと同じように戯刀を弾かれ、二人目が中断の脇腹を目がけた攻撃をした時同じ弾かれ方をされ後方へ後ずさったが、三人目が攻撃を繰り出した時にようやうハーレイの行っていることの全貌がくっきりと見えた。

 攻撃された時、ハーレイ身体ごと軸を回転させ叩いた反動を遠心力に変換させてまるで扇風器の羽根のような円を描く動きで攻撃を弾いたのだった。


「ならこれは重たくて弾けねーだろ!」


 上空から体重を乗せて襲い掛かる攻撃には弾かずにさきほどまで見せた体捌きで躱す。

 実に理に適っている動きであった。


 迎撃せず、戦わず、ただ目的だけを達するための戦術。……いや、これは戦略といえた。

 これこそがエンジのアドバイスの賜物だったのだ。




「ハーレイ、お前太鼓まで行って叩き始めたら頑張ってこう思え。『これはスポーツだ』ってな。士道が苦手なのに士道以外のことは誰よりも得意だってんならそれを逆手にとってみろ。それが士道でも仕合でも、なんなら持っているそれが刀だとも思うな! だったら結構いけんじゃね?」


 エンジは笑いながら半ば冗談のように言っていたが、計らずともそれこそがハーレイにとっての突破口となった。この乱れ太鼓の最中でハーレイは痛烈にそれを感じ、それが正解であると確信したのだ。

 つまりハーレイはこの決勝を仕合でも戯刀を使った模擬的な乱戦・乱闘ではなく、『太鼓を叩くただのスポーツ』だと思い込むことで障害となるものに対抗する術を手に入れたのである。


 単純なようではあるが、ハーレイを本質的なレベルでよく理解しているエンジでしかその助言は出来なかったし、それを信じ抜くことが出来なければ行動に移せなかったハーレイの、【チーム】でしか成し遂げられなかった一つの形でもあるのだ。


 だが、その一つの形の中でハーレイはもう一つの発見をする。

(これは……イケルかもしれない)


 馬鹿の一つ覚えのように襲い掛かる四人の生徒は弾き飛ばされては襲い掛かり、襲い掛かっては弾かれるの繰り返しだった。その度に円を描く動線で太鼓を叩いていたハーレイは、この【円の動き】にあるヒントを掴んだ。


「……やってみるさ!」


 そう小さく叫ぶとハーレイは四人の内誰も攻撃をしなくとも迎撃の円を描き始め、それは全てを弾き飛ばす、そこに留まるサイクロンのようなすさまじいものだった。

 そのサイクロンの中では8の字を描き両足を交互に軸にしながら回転し、太鼓を叩いた瞬間に手を離し、もう片方の手ですかさず次の打撃を成立させそれを繰り返す。

 両利きの腕を持つハーレイならではの乱打法だったがこれにハーレイは確信を得るのだった。


「エンジ……見えたよ! これだ!」


 小さいが手の付けられない嵐を目の当たりにした生徒達四人はそれを見てハーレイを止めることが出来ないことを悟った。


「ちぃ……! おい、逆側の太鼓いくぞ! こいつを抜けば問題ねー!」


「お、おう!」


「早く行くぞ!!」


 四人がその場から離れたことで、そこはハーレイの独り舞台になるのだった。

 小太郎の耳がぴくりと動いた。少し向こうの方から声がした気がしたからだ。だが戦いの最中、しかも念願のエンジ戦だ。どんなことがあろうと邪魔など入ってはいけない。


 小太郎の心情を余所にもう一度声がした。今度ははっきりとその声が何を言っているのか聞き取ることが出来た。それは「小太郎さん」という声である。


 その直後、二人の間合いの中に突然人が飛んできた。それは先に行ったはずの小太郎の変わり果てた姿の子分Bだった。


「なッ!? なんだァ!」


 小太郎とエンジはそれが誰かを理解すると、子分Bが飛んできた方向を反射的に見る。


「ねぇ、知ってる? 乱れ太鼓のルール」


 砂煙で隠れた上半身だったが、歩き近寄ってくるそのしなるように筋肉質な美しい足でそれが誰か悟った。


「珠城……桐乃か!」


「なんでだ、お前シードの前回優勝者だろ? わざわざ俺らに構ってる必要あんのかよ」


 姿が見えないとは思ったが、どうせハーレイと対の太鼓で競っているものだとばかり思っていた二人は、その人物の登場に驚きを隠せないでいた。


「そんなことより私の話を聞いてよ。聞いて得するわよ」


 桐乃は普段の男言葉ではなく、普通の女性が話すような口調でまるで別人のようにエンジ達へ問いかけた。

「そうなんだよね。あんまり前例がないからみんな意外と知らないんだけどさ、乱れ太鼓のルールにこんなのがあるんだ。

 【戦線離脱したもの鼓舞カウントは無効になる】ってね。

 よくよく考えたら普通のことなんだけど、伝統的にあまりそういう例がなくてね。だから去年は異例だったんだよ」


 校長がテントでやしろに向け、去年の珠城について話している。


「……え、じゃあ去年の珠城桐乃の70回っていうのは」


「珠城桐乃70回、昴純一210回、高亀明178回、星純子190回」


「……?」


 校長はにやにやしながら楽しそうに言った。


「これ、全部去年の決勝での鼓舞回数ね。珠城くん以外のレコーダーは珠城くんにけちょんけちょんにされちゃったってわけさ」


 やしろは今まさに目の前でエンジ達に襲い掛からんとする桐乃を見詰めて息を呑んだ。

 70回で優勝出来たのは、自分以外の高得点生徒を無理矢理リタイアさせたから……ということだったのだ。


「だからなんだってんだ!」


「去年筆頭になったっていうただの自慢かァゴルァ!」


 近寄ってくる桐乃の片手には子分Aが頭を掴まれ、だらんと力なくぶら下がっていた。


「残念ながら4人に突破されちゃった。あ、あの金髪の子を合わせたら5人か。でも去年はもっと沢山の生徒に抜かれたから全然余裕ね」


「テメェ! 俺の部下を離しやがれェ!」


 斬りかかる小太郎に対し桐乃は子分Aを盾にし、小太郎の動きを封じると子分の身体から顔を半分覗かせるとにったりと粘着質な笑みを浮かべる。


「どれだけ鼓舞回数を稼いでも、ここで脱落しちゃったら全部無効。私の今回の目標はね、鼓舞回数2回で優勝すること」


 そういった桐乃の背後には先を走っていた10名ほどの他の生徒が倒れている光景であった。


「な……にィ?!」


「一人でやったのか!?」


「私は士道よりね、肉弾が好きなの。だってさ……直接手に伝わってくるじゃない? 骨の折れる感触とか、筋肉が裂ける感覚と、あ、あと口とか目とか鼻から流れる血のぬるぬるした感じとか……さぁ」


「変態かよ……」


 ごくりとエンジが息を呑むと、ゴキンという生生しい音が響き小太郎と同時に桐乃の方を向く。

「ぎゃあああああああ!!!」


 桐乃が盾にしていた子分が余りの痛みに正気を取り戻し絶叫を上げた。


「て、て……めェ、折りやがったな……!」


 小太郎が額に脂汗を流して苦しそうに言った。それは桐乃に対する恐怖ではなく自分自身でも抑えきれないマグマのような怒りからである。


「ぶち殺す!!」


 戯刀を背に振りかぶり桐乃に襲い掛かる小太郎の斬撃を桐乃は素手で受け止めた。


「はァ!?」


 有り得ない状況に一瞬戸惑った隙を見逃さなかった桐乃は受け止めた戯刀を掴み、そのまま小太郎を戯刀ごと放り投げた。


 だが次の瞬間、桐乃の頭上に切っ先を真下に構えたエンジが戯刀に全体重を乗せ飛び込む、がそれも素手でキャッチされ半回転の遠心力と共に投げ飛ばされた。


「ぐあああっ!」


「きゃっはははははは!!」


 二人を投げ飛ばした桐乃は突然甲高い声を上げて笑った。


「楽し~~~~~!」


 大口を開けて口から涎を零しながら、エンジが最初に倒した子分を全体重をかけて腹を踏みにじる。

「ぐえええっっっ……!」


「やめろこのヤラァアアアアア!」


「本気出すと疲れるのよ! だから普段は刀振り回してるだけでいいこの学苑では正体隠せたのに、この乱れ太鼓って別に刀で戦わなくいいじゃない? だからバレちゃったのよねぇ~」


「テメェのクソ自慢は聞いてねェよ!」


 小太郎は子分を踏みにじられ、骨を折られたことに我を忘れていた。エンジが何度か正気に戻そうと大声で名を呼ぶが小太郎には聞こえていない。

 桐乃は小太郎の斬撃を受けながら傷一つつかない。その理屈も理由も分からずただ小太郎は桐乃を斬りつけるしかなかった。


「かゆいのよねぇ……」


「ぐぅ!?」


 正気を失っているからか小太郎はらしくないミスを犯した。斬撃が効かないことを分かっているのに彼女の懐に入り込んでしまったのだ。結果、小太郎はしっかりと桐乃に捕まってしまった。


「優勝してこいって言われたんだけど、正直さ……スイッチ入っちゃうとどうでもよくなっちゃうんだよねぇ……。だから今年は呼ばれちゃったけど、出来るだけ参加したくなかったのよ。だってさ、だってさ? こうやって強いつもりでいるだけの傲慢な男を捕まえると……」


 両手でしっかりと抱きしめられた小太郎はなんとか脱出しようと全身をくねらせるが、底なし沼で動けば動くほどに沈むが如く、暴れるほどに桐乃の両手でキツく締め付けられてゆく。

「ど~~でもよくなっちゃうんだよねぇ~~~??」


 バキバキと小太郎の全身から乾いた音が合唱し始め、たまらず小太郎も絶叫するしかなかった。


「ぅおらあっ!」


 その時、エンジのドロップキックが桐乃の後頭部にめり込み、その衝撃で桐乃は両手の力が咄嗟に緩み小太郎は苦痛の中一瞬の隙を突き脱出に成功した。


「……痛ってェ~~……!」


「佐々木、全身骨折したかよ?」


「く、一生の不覚だぜェ、テメェに貸し作るなんざ」


「ふん」


 ゆっくりと桐乃はエンジの足がめり込んだ後頭部辺りを片手で押さえながら体勢を戻した。


「おい、帆村ァ。どういうこったアリャ」


 苛立った様子の小太郎は、自分の攻撃では何の効力も無かったのにエンジが放ったただのドロップキックでは体勢を崩した桐乃に対し疑問を抱いたのだ。


「さぁ……単純に戯刀ダメなら肉弾戦って思っただけだ」


 桐乃は半ば白目をむきながら恍惚な表情でまたにったりと笑った。


「ああ~……殺したい殺してあげる殺されるの嬉しいでしょでしょでしょ?」


 3Gはテントからその様子を見ながら誰もが息を呑んでいた。隣でそわそわしながらそれを見守っているやしろもまた同じであった。


「こ、校長……いいんですか? これは中断したほうが……」


「なに言ってんの杜永先生。去年はもっと酷かったんだから。何人だっけ……入院」


「確か30人だったかな」


 普段となんら変わらない様子で煉獄二郎と校長は言い放った。


「なにがあっても止めない。これが売り文句の行事だからね。怪我人くらいじゃ止められないよ~。それにしてもいいねぇ、やっぱり珠城くんのあの豹変ぶり」


「ゾックゾクしますなぁ~」


「そんな呑気な……」


 そわそわするやしろと楽しそうに観戦する校長と煉獄二郎だったが、ただ一人神楽和尚だけは興味深げに桐乃を見詰めていた。


「珍しい刃通力ですな」


 その言葉に喰いついた校長は神楽和尚の肩を抱き桐乃を指差して興奮気味に語る。


「そうなんだよー神楽和尚! 中々いないだろーあんな刃通力の使い方する士! 思いついても普通やんないよ?!」


「それは……あの、どういう?」


 やしろが校長の言葉に反応し、彼の言う本質を尋ねた。

「あら、わかんない? 珠城くんはねほとんど手ぶら(一応鼓舞の為の戯刀は腰から下げている)なんだけど、ああ見えて常に刃通力発動してんだよね。

 すっごい不器用で荒々しい、とても上手いとは言えない刃通力なんだけどさ」


「刃通力をですか……? しかし刃通力は刀に対して通す身体能力の増幅を促す技術なはずです。彼女が斬撃を受け付けないのとなんの関係が…………あ!」


 自分で言っている内になにかに引っかかったやしろは思わず開いた口を手で隠した。


「そう、そういうことだよ杜永先生。彼女は自分の刀に刃通力を通していない。

 《相手が斬撃してくる刀に刃通力を通している》いるんだよね。

 普通は自分の刀を扱う上で個人の個性だとか能力、癖なんかを反映させて攻撃する為の身体能力に変換するんだけどね、彼女は斬撃を受けるためだけに刃通力を使っている。

 いやーもう一回言うけど、思いついても普通やんないよあれ」


 と可笑しそうに校長は笑うのだった。


「し、信じられない……サディストって、もしかして相手を捕まえる目的だけのためにそんな刃通力にしてるってことよね……?」


「怖っ」


 3Gが同時に言った。きっと本心だろう。


 そういった訳で珠城桐乃と対峙しているエンジと小太郎は絶体絶命だということである。

 だがだからといって退くわけには行かない。

 エンジが敗ければハーレイが血祭りにあげられるのは必至であるし、小太郎が敗れれば子分をやられた上に自分もやられたとあればプライドが許さないだろう。


 それ以上にこの二人が敗北をよしとするわけが無かった。


「佐々木……」


「けっ、気にくわねーぜ」


 エンジも小太郎も実に不機嫌そうな顔でお互いの顔を見合わせると「ふん!」とそっぽを向いた。


「ほらほら時間無くなっちゃうじゃない。こっちから行くからちゃんと沢山痛がってね……」


 桐乃が踏み込んだと同時にエンジを間合いに捉えねっとりとして高圧的な笑みがエンジの目から脳に通じ戦慄させる。


「オラァ!」


 桐乃の腕が今まさにエンジを捕えようと振った時、エンジの身体は桐乃が振った腕とは逆サイドに引っ張られ難を逃れた。


「捕まったら終わりだろォがよ! テメェの息の根を止めンのは俺だってェの!」


 エンジの危機を救ったのは誰であろう小太郎であった。

 小太郎はエンジの身体を後方に投げると自分は燕塾の構えを取った。


「ちっ、本当なら燕尾閃でなきゃ本来の10分の1にもなんねェんだがなァ」


 桐乃はエンジを取り逃がしたのにも関わらず笑みを崩さず、むしろ更に恍惚とした様子で小太郎に身体を向かせる。


「分かってんだろォな! 帆村ァ!」


「るっせ! いちいち上から言うんじゃねェよ!」


 刃通力にて斬撃による体勢極限まで上げている桐乃には戯刀での攻撃は無駄というしか他なかった。だが、小太郎はというとそんなことは重々承知の上でその構えを取り、桐乃の来襲を待つのだ。


「いちいちかわいい坊や達ねッ!」


 ――来たッ!


 小太郎が今だと思うタイミングよりもワンテンポ早く、いつもの感覚よりももっと早い感覚で小太郎はその技を放った。


「巨燕反し!(おおつばめがえし)」


 小太郎の放った大技は桐乃に命中したものの、桐乃はほんの一瞬動きを止めただけで前進を止めない。


「きゃはっきゃはっきゃはっ! 捕まえるよ! 骨をボキボキやっちゃうよ! 内臓を破裂させるよ! 鼓膜も破っちゃうよ! 爪も剥がすし髪の毛も引き抜いちゃうからッ!」


 桐乃の腕が小太郎の頭を掴みにかかった!

「!?」


 視界がぐらつき急に見えているものが低くなった。

 このぐらついた視界の主はかの珠城桐乃であった。彼女の身になんらかの事故が起こったのだ。


「やっぱそう上手くは出来てねーわな」


 エンジは空中に浮いていた。いや、違う今まさに着地するところでありたまたま目撃した今が地に向かうまでの滞空時間であったらしい。

 空中に浮くエンジの右足はサッカーボールをシュートした直後の様に高く蹴り上げており、それがもしサッカーボールでなくても恐らくはボールのようななにかを蹴ったであろうことは容易に想像が出来た。


 そしてエンジのすぐ後ろに片膝を着き小太郎の頭を掴み損ねる桐乃の姿があった。

 もうお分かりだろう。エンジが蹴飛ばしたのは桐乃の後頭部である。


「ケッ、10分の1たぁ笑わせる。これじゃ100分の1だァ」


 小太郎が鞘に刀身を納めると同時にエンジが着地した。


「やっぱそんなに上手いように出来てるわけねーわな。打撃も斬撃も両方耐えられるたぁそりゃ都合が良すぎらぁ」


 説明せねばなるまい。


 斬撃をほぼ無効化する桐乃が乱れ太鼓でのみ活躍できたのには理由がある。

 それは乱れ太鼓の競技ルールに【戯刀のみを使用】とあることだ。


 珠城桐乃であっても抜刀した紋刀は耐えられない。(ちなみに彼女の紋刀もアーマー系なので互いに紋刀同士の仕合であればちゃんと戦える)

 だが刃のほぼほぼない戯刀が相手であればその刃通力により傷一つつかないでいれる。これはもちろん彼女のサディスティックな性格から生まれたものだが、カッターナイフや包丁などの一般的に流通している刃物も無効化する女性にとっては便利なものでもあるのだ。

 一見、弱点などないように思えるこのアーマー系の刃通力だが実は斬撃には強いが物理的な打撃には弱いという思わぬ弱点がある。


 彼女が自らの肉体を鍛えに鍛えぬいているのはそんなウィークポイントを隠すためでもあるのだ。彼女のストイックな鍛錬の賜物であるその肉体は、彼女が狙った通りちょっとやそっとの攻撃や打撃ではびくともしない。

 彼女自身弱点である自覚があるから常にいつ攻撃されても良いように戦いの中では特に集中しているのだ。


 ただこの戦いの中で天性のセンスを持つ二人の若き士は気付いてしまったのだ。

【打撃と斬撃をほぼ同時に行えばどちらかが手薄になる】のではないかと。


 それは奇しくもさきほどエンジが見舞ったドロップキックにヒントが隠されていた。

 今まで戯刀での斬撃ではびくともしなかった桐乃があの攻撃にだけ一瞬怯んだのだ。

 それでもほんの一瞬、即座に体勢を立て直したにも関わらず二人は見逃さなかった。


 さらにエンジの普段の戦い方も今回の場合良い方に廻ったと言える。元々エンジの戦法といえば紋刀に頼り切らないトリッキーなものだ。だから彼にとっては肉弾攻撃ですらも日常の一部であったのである。

 小太郎の大技【巨燕反し】は、戯刀の刀としての精度を一撃の中に極限まで上げるために放った。これによりほんの一瞬でも動きが止まればその瞬間に全身が弱点になるのではないかと踏んだのである。 終わり。

「てなわけでさぁどーする。あんたにゃもう勝ち目はねーぜ」


 エンジが桐乃の目の前に立ち未だ眩暈が回復していない彼女の頭を見下した。小太郎は鞘に納めた戯刀の握りに手をあてがいいつでも抜ける状態を保っている。


「こんな……馬鹿なこと、こんな一撃でこの私が……」


「いや気持ちは分かるけどよ、大体悪役って敗ける時そういう感じになるじゃん?」


 そう言ってエンジは桐乃の肩を踏みつけて踏んだ足のふとももに肘を乗せて更に続ける。


「どうだ屈辱的か? こんな思いを今まで散々させて来たんだなんなら唾でも吐いてやろーか」


 ぐりぐりと肩を踏みにじりエンジは桐乃を嘲笑した。その姿を小太郎はただ黙って見ていたが、なにか複雑な表情をしている。


「紋刀なら勝てたか? お? それとも俺ら一人ずつならいけたか? あ?」


 余りにもいつもと違う態度のエンジに小太郎の表情には多少の困惑と苛立ち、そして不快感が滲んだ。


(これ以上なんか言いやがったら俺が出るか)


 という小太郎の声が聞こえてくるほどにエンジの姿は威圧的で挑発的、そして短絡的に映ったのだ。


「そうだよ。俺ら一人ずつなら敗けてた。確実にな」


 エンジがそう言い終えた瞬間、踏まれるがままだった桐乃が急に立ち上がりエンジの顔を掴み上げた。


「きゃはははははは! なにを偉そうに、一人ずつなら勝てた? 当たり前でしょ!」


「テメェ!」


 小太郎が鞘を抜いて再び桐乃に斬りかかろうとしたとき、頭を掴まれたままのエンジが小太郎に手を出して制止した。


「待て、佐々木!」


「あァ!?」


 エンジは顔面を持ち上げられながら自らも手を伸ばし、届くギリギリだったが珠城桐乃の顔面も掌で掴み「へへへ」と笑った。


「なんのつもり?」


 にやにやとしながら状況を楽しんでいる桐乃はまだ完全には回復していないのかまだ足元がふらついていた。


「情けねーよ。タイマンでやってテメェみたいなニューハーフ野郎に二人がかりでなきゃ勝てねえんならよ、最後に力比べに付き合ってくれや」


「テメェなに言ってやがる頭おかしイんじゃねェか!?」


 小太郎が構わず桐乃に向かおうとするがエンジは「来んなっつってんだろうが!」と再び止め、小太郎は渋々その場に留まり悪態を吐いた。


「私と力比べ? 笑わせるわ、死にたいと思っているM男を虐めても虐め甲斐がないのよね。でもいいわ生意気だからその頭、ザクロみたいにぶっ潰してあげる」


 ――帆村の頭が割れる前にコイツをどうにしかする。


 悪態をつきつつも小太郎はその機会を伺っていた。

 とはいっても斬撃が効かない相手である。最悪はなんらかの手段で紋刀を用意しなければ……などと小太郎らしからぬことを考えていたその時だった。


「……ぅぐぅぅうううううああああああああっっ!」


 その悲痛な悲鳴に振り返ると浮いていたはずのエンジは地面に立っており顔面から桐乃の手は剥がれていた。逆にエンジの手に顔面を掴まれた桐乃がひざまづき必死でエンジの腕を解こうとしている。


「うぎゃああああああああああああ」


 思わぬ光景に小太郎は固まった。


「…………なんだ。鈍ったかのかと思ったけど、まだまだ本調子じゃねーか」


 エンジの掌の中で桐乃は白目を剥き口から泡を吹いて倒れ込んでしまった。


「な……にぃ……」


「なにって……なにが不思議なんだよ。俺は刃通力使えるようになるまでずっとあの刀(炎灯齊)をデフォルトの重さで扱ってきたんだぜ。腕力で女如きに敗けるはずねー。

 でもちょっと不安になったんだよ。鈍っちまったんじゃねーかって。でも大丈夫だった」


 エンジは桐乃から手を離すとプラプラと手首をしならせ、グラウンドに差した戯刀を引き抜いた。


「ハーレイは……大丈夫みたいだな。よし、じゃあやるか佐々木!」


 少し呆気にとられていたが小太郎はすぐに笑みを取り戻すと足元に転がっていた桐乃を蹴飛ばして場所を確保する。


「ふん、てめェはやっぱそうでなくっちゃ張り合いがねェな!」

『そこまでぇぇええええ!!!』


「えええええええ!?」

「えええええええ!?」


 ようやく決着を付けられると互いが思った瞬間だった。無情なアナウンスが乱れ太鼓決勝の終わりを告げ、エンジと小太郎はこのコントのようなタイミングに二人で叫びのハーモニーを美しく奏でるのであった。


 すかさずエンジと小太郎は太鼓に向く。叩き台には四人の生徒が肩で息をしているのと逆サイドの太鼓には……ハーレイが倒れていた。


「ハーレイ!」


 エンジが駆け寄り叩き台に上ると横たわるハーレイがおり、その上半身抱き起すとハーレイを揺さぶる。


「おい、ハーレイ! どうしたってんだハーレイ!」


 エンジにされるがままに揺さぶられるハーレイの腕が彼を揺さぶる手を掴みゆっくりとその瞳を開けた。


「……ハーレイ」


「エンジ、頼むからそっとしててくれよ……全体力使い果たしたんだからさ……」


「え? 誰かにやられたんじゃないの?」


「もうちょっと外傷とかよく見てよ、怪我してないだろ……?」


 エンジは見た。それはもう舐めるように見た。なんならハーレイの上着もめくって白い肌を拝んだ。「ちょ、エンジ!」

「怪我してねぇ。あれ? お前弱いじゃん、襲われたら死ぬタイプじゃん」


「ほんとすっごい性格してるよね」


 時間いっぱいひたすら太鼓を叩き続けたハーレイは、満身創痍で終了のアナウンスとともに床に倒れ込んだだけだったのだ。これでハーレイファンも安心である。


「……で、どうなんだハーレイ。いったか?」


 ハーレイは無言で口元を緩めると、エンジにだけ見えるように右手の親指を上げた。



『それでは最終鼓舞回数を発表致します!』


 最終鼓舞回数……つまりこの回数が一番高い者が優勝に直結する。

 しかしこの決勝を観戦していた者ならば誰が優勝したのかは言わずもがなであると言えよう。それよりも皆が注目しているのはその鼓舞回数である。


 結局のところ神雷の記録を破ったのか、それとも越えられなかったのか。


『…………乱れ太鼓決勝、最高鼓舞回数……』


 誰もが息を呑みその発表を待ちわびる。


『…………うわぁああん』


「泣いた!」


 聞いていた聴衆がほぼ全員突っ込んだ。

 アナウンスを担当しているまことが急に泣いたからである。だがその涙の訳はどちらの意味なのであろうか。

『う、う……し、失礼しました……、それでは改めて……発表しまぁす……。


 さ、最高鼓舞回数…………』


 エンジがハーレイを抱き起こし、小太郎は子分たちを集めて救護班を呼んでいる。

 桐乃は先ほどのまま失神しているし、千代は旗を抱きしめ目を閉じて聞いていた。



『563回! 優勝は火組、北川ハーレイ~~~!!!!』



「う……」




 うおおおおおおおおおおおおお~~~~~~っっっっ!!!




 とてつもなく大きなうねりの大歓声。その名前の人物が歴代史上最大鼓舞回数を大きく大きく塗り替え、そして金髪のその少年が学苑の伝統行事で優勝したのである。

 それはつまり『前期筆頭三年生』の証明。その証明の意味するところとは、士道学苑本年度を代表する生徒ということである!



「ぃやったぁぁああああ! ハーーーレイイイ!!!!」



 エンジはさきほどの倍以上の力でハーレイの肩を揺さぶり歓喜の喜びを表現し、ハーレイはぐわんぐわんと上半身を揺らされながら信じられない様子で自分に向かって歓声を上げる人々をただ放心したように眺めていた。


 ことの重要性にピンと来ていないのだ。

『ここで同時に今年度前半期筆頭三年生が決まりましたぁあ! 北川ハーレイ先輩が筆頭三年生に任命されまぁああす!』


 ガタン! というマイクを落とす音がスピーカーから響きテントからまことが口をタコの形にして走ってくる。


「……エ、エンジ! 逃げて! 赤目さんが来るっ!」


「お? あ、ああ……あれはまずい顔だな……逃げるぞ、立てるか?」


「ごめん無理」


「ずこーーー!」


 グラウンドから「ハーレイせんぱああああああい」という声を背中で聞きエンジは新筆頭三年生を背中に背負うと全力で逃げてゆくのだった。

 それはちょっとした……いや、士道学苑に於いては一大事件となった。

 日本国籍の金髪でハーフの少年が國家認定士道学苑の代表生徒に選ばれたのだ。

 筆頭三年生という立場は、表向きにはただの名前と名誉だけだと言われているが実際のところは学苑の関係する行事ごとでは、ほとんどの挨拶や激励の言葉などは生徒代表として筆頭三年生が任命される。

 つまりはそれほど多くないとはいえ、メディアに露出が一番高くなるのがこの立場の生徒なのだ。


 そんな伝統の制度に乗っ取った生徒が士道のからっきしダメなハーフ士が任命されたのである。それは事件にならないほうがおかしい。

 そういったことの重大さにエンジが気づいたのは、乱れ太鼓が終わって数日も経った頃だった。



「いや~ハーレイくん? えらい場所に行ってしまわれたね。これじゃ僕達もう気軽に離せないジャマイカ」


「……エンジ、怒るよ」


 結果、エンジが取った行動は『からかう』ことであった。それは毎日からかってはハーレイがキレる寸前までいじりにいじり倒すのであった。(性格上ハーレイがキレることはないが)


 ハーレイが筆頭三年生になったのをきっかけに周囲からの目も変わりつつあった。

 早速の行事で答辞を述べたハーレイの堂々とした態度と、知的な物腰が金髪で日本人離れした顔つきであるのを差し引いてもこれほど筆頭として相応しい人材はないと認めさせたのだ。


 

 しかし、中にはそんなハーレイを良く思わない人間もいた。緋陀里弾もその一人であった。


「なんかの間違いでYO、筆頭になったクソハーフ野郎がYO ちやほやされて調子に乗っちゃって超笑えるんじゃNE?」


 元々浮いていた感のある緋陀里は、今や時の人であるハーレイを批判すればするほど周囲の人間を遠ざけてゆく。それを分かっていても止められない苛立ちは、筆頭三年生になったハーレイに向けて尖った尖った感情がハーレイを刺し貫けと緋陀里を命令する。

 そしてそのどろどろとした黒い感情は、彼をある行動へと駆り立てるのだった。


 そのある行動とは……。



「ハーレイ、一緒に部屋帰ろッゼ! キュピーン」


「悪いねエンジ、来週の四拾六会の答辞をまた任されてるから、原稿を仕上げなくちゃいけなくてさ」


「ちぇーなんだよ。じゃ、また明日な」


「ああ、悪いねエンジ」


 ハーレイが一人になったのを見計らい、緋陀里は仲間達と彼を襲うことを決めた。緋陀里はハーレイにちょっと痛い目に合ってもらい、再び自分たちを恐れるように仕向けたかった。ハーレイを侮り、策士だったはずの彼が特になんの策も練らずに起こした短絡的な強襲。

 策を練らずに仲間と共にハーレイを囲んだ緋陀里は笑っていた。なぜならハーレイの士道の腕がどのレベルなのかを知っていたからである。


 エンジと離れ、数分後の人気のない旧校舎側通路でハーレイは緋陀里達に権力者伝統の校舎裏へと連れていかれた。ニヤニヤと笑う緋陀里の表情は『今からスッキリ出来る』という期待感で満ちていたのだ。

 だがハーレイは乱れ太鼓の一件である技術をマスターしていた。

 士道……仕合をスポーツだと思い込むことで自分の身体能力を引き出すのである。

 さらにそれとは別の、とある欲求もハーレイを蝕んでいた。だからこそ、この緋陀里の強襲に対しハーレイは満面の笑みで迎えたのである。


 数人の男が襲い掛かってきたとき、ハーレイは手ぶらでいることによってそれをスポーツであると思い込み、驚異的な体捌きで彼らをすり抜け眩いスピードで緋陀里の目の前の距離へと滑り込んだ。

 そして緋陀里が股にぶら下げた彼の紋刀を奪うとそれをうっとりと眺め、「いいね。継紋?」と聞いた。予想外の出来事に狼狽えた彼らは奪われた紋刀を取り戻そうと彼を捕まえようと躍起になるがハーレイは捕まらない。


 彼らがハーレイを捕えようと走れば走るほど体力は底をついてゆき、ついにはハーレイを除く全員が肩で息をするようになった。ここまでほんの15分間ほどの出来事である。

 ぜぇぜぇと各自動きを止める連中を見ながらハーレイは普段よりも少しだけ高めのトーンで緋陀里らに次のように言い放った。


「あのさ、僕は緋陀里くんたちのような人たちがすごく必要なんだよね。なぜかっていうと、君らが消えたところで目立たないだろ? ああ、違うよ。事件としては一大事になるけれど、絶対に僕と結びつかないってところ。

 なぜなら僕は士道がからきしだからね。知ってるだろ? だからこうやって痛い目に合わせようと訳だよね。だからさ、君たちが死んでも僕は疑われないのさ。

 こうやって【自分の紋刀で死んだりしたら】余計に、ね」



 ハーレイがなにを言っているのか、緋陀里達が理解出来た頃……全てが手遅れとなった。





 数日後、旧校舎裏で緋陀里を含む数人が変わり果てた姿で発見された。


――それは士道学苑で語り継がれる大事件となった。




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