第17話

「第6回 ゾクゾク肝試し大会~~!」



 真っ暗の男子部屋に木霊する竹の声。その声と共に部屋の電気が明るく部屋を照らした。

 外見も中身もボロボロなのになぜかこの寺には水道もガスも電気も通っていて、意外と住むには快適な建物だったのだ。


 ともかく、突然のタイトルコールにすっかり就寝していた男子たちは皆一様に両目を『3』の形にして竹に注目した。


「おうゾウリムシども、やっぱり修学旅行の醍醐味っちゅうたらいつもと違う夜やろ! そういうわけで賽雲寺プレゼンツ、真夜中のゾクゾク肝試し大会やっちゅうわけや!」


 その説明を聞いても生徒達は「なに言ってんだ」やら「んなことで起こすなよ」とか「いらねーよ」という不満を声に出して挙げた。


「わかるわかる。不服やろう不服やろう。なんてったって今はまさかの午前2時!草木も眠る丑三つ時っちゅうやつや! しかも夜風の沁みるこの季節、なんもこない寒い時に肝試しなんて……って思ってるやろ! それがAHOやっちゅうとんじゃ!」


 ここでまたも生徒達からの「なんか急に一人でキレだした」「誰もなにも突っ込んでないのに一人ノリ突っ込みしてる。さすが関西人」などという声が漏れていた。


「お前ら女風呂も覗くこともできん腰抜け&腑抜けチェリーボーイどもに俺ら賽雲寺からの心の籠ったプレゼントやっちゅうてるのがわからんか?

 ……つまり、この肝試しはなぁ……女子も参加!」


 少しの間。沈黙。ざわつき。


「おおおおお~~~~!」


 たちまち男子たちの目は『3』から『0』になるのであった。

 ――一方女子部屋。


「肝試し……ですか」


「はい。そうおす」


「今何時でしょう」


「午前さんまわらはった2時でおすなぁ」


「マジっすか」


「マジおす」


 やしろと梅の押し問答は男子のハイテンションさに比べて実に静かなものであった。

 常識を疑うやしろの問いと、言葉は優しいのに一歩も退く気のない梅の回答。


「……そういうわけでみなさん、今から肝試しだそうです」


「いやーー!」


 悲鳴。この悲鳴はなにを意味するのであろうか。

 人ならぬものに対する恐怖か、それとも野生に帰す男子たちに対しての拒絶か。

 とりあえず後者の確率が絶望を軽く一足飛びで飛び越えるほど高いのだけは確かである。


 ――境内。


「えんとーさいさま、えんとーさいさま」


「すやすやぴー……すやすやぴー……うう、すきやき……しゃぶしゃぶ……」


「エンジ! 起きてエンジ!」


「……ハッ、トムヤムクン!」


 謎の言葉を発して飛び起きたエンジの視界にはハーレイと千代の姿があった。

 二人とも苑用のジャージを着込んでいる。


「おのれ千代ぉ……お前はこの主である帆村エンジになんという仕打ちを……」


 エンジは血の涙を出し憎悪で真っ赤に燃えた瞳で千代を睨み、千代は「か弱い女子を守ろうともせずあまつさえ嘲笑なさるからです。千代は驚くほどに反省しておりません」と真っ直ぐ汚れのない瞳でエンジを見詰めて言い放った。


「え? マジで? 本気で言ってるのこの子……家臣って知ってる?」


 困惑するエンジをどうどうと背中を叩きながらハーレイは「それよりもなんでエンジはこんな寒いところでタオルにくるまって寝ていたの?」と尋ねた。


「駒……を盗まれて駒ってるんだ」


「ぷぷぷ、面白うございますえんとーさいさま!」


 ギャグだと思った千代はエンジを持ち上げる意味で乗ったが、エンジの涙を乗せた足刀が千代のみぞおちにめり込んだ。


「まあああああっっ!」

「ちょ、ちょっとエンジ千代に暴力ダメだよ!」


「これは躾なりよぉー! ウリィー!」


 泡を吹いて失神する千代を横目にエンジはハーレイに向かって「昼間は褒めてやったのに、お前らは本当に冷たい奴らだぜ……。普通気付くだろすぐ、俺がいないことに……ぐすん」


 ハーレイははは、と乾いた笑いでそれを流すと突然開催されることなった肝試し大会についてエンジに説明した。


「肝試し大会!? ア、ボクオナカイタイカラモウチョット寝ルカラ!」


 急に片言になるエンジを見てハーレイは「エンジ?」と一言呼びかけ、(そういえば……)と夕方、エンジが住職の驚かしに立ったまま気絶したのを思い出した。


「……もしかしてエンジ、怖がり?」


「バ、バカイッテンジャナイヨ! オレハ13代目炎殲院当主デ3代目炎灯齊ダゼ! オバケクンダリニビビルワケナイジャン!」


「おーろろろろぉーん!」


「ぎゃあああああああ!」


 千代が口に泡を携えたまま白目でエンジの懐から急に現れたかと思うとエンジは断末魔を上げて気絶した。


「……昔から怪談や都市伝説の類の話になるとそわそわしてすぐに部屋に帰るなー……とは思うてございましたが、まさかこれほどまでに妖しの類に弱いとは……。

 ハーレイ様、このことは……」


「分かってるよ千代。このことは誰にも言わないから」


「いえ、そうではございません。このことは千代とハーレイ様だけの秘密にしておきつつも……ことあるごとにこれで言うことを聞かせてやりましょうぞ……うふふのふ」


 うふふのふ、と笑った千代はとても良い悪顔で笑った。

 ハーレイはそんな千代に対しても優しい笑顔で乗ると、気絶したエンジの身体を抱き起こすと


「それよりもまた気絶してるエンジを起こさなきゃ。一人だけ参加しないとかまた後でうるさいからさ」


「左様でございますね。いつも申し訳ございません、ハーレイ様」


「なに言ってんだよ、当然だろ? 友達なんだから」


 軽く頬をぺちぺちと叩くとエンジはすぐに目を覚ました。


「……お、俺のことはいいからお前たちは先に行け……」


「無理だね」


 きっぱりと断られたエンジは声を殺して泣いた。

 時刻は真夜中の深夜の午前二時を半分ほど過ぎた頃。


 当然ながらそこは漆黒の闇で、限られた数の提灯を渡された生徒達は慣れない暗闇の山道を、提灯という時代錯誤な明かりにて竹に続いた。


「そういうわけやからみんな適当にペア組んでや。ペア組みは自由や、その代り出発までにペア組まれんかった奴はこっちが勝手に組ませてもらうで」


 先頭を歩く竹は提灯を揺らしながら先へ先へと進んでゆく。


「ちょ、ちょっと待って……!」


 生徒達のそんな声も聞こえる中、最後尾で生徒がはぐれないように歩いている梅が「大丈夫ですぅ。うちがちゃんといてますぇ」


 数人の男子が暗闇の中ほっこりした。


「千代はエンジと組むよね?」


 ハーレイはあたかもそれが当然のように千代に対して尋ねる。

 だが千代は頬を膨らませて「なにを仰るのですが! これも精神修行の一環です! えんとーさいさまには千代から離れてご立派になってもらわねばなりません!」


「……ってことはエンジとは組まないということ? じゃ、じゃあ僕と……」


「よろしくお願いしますハーレイ様」


 ハーレイが言い終えるのを待たず千代はハーレイとペアを組む意思表示をした。

「くそ、一体誰とペアを組めばいいんだ!」


 一方、友達が多そうで少ないエンジはキョロキョロとペアになってくれそうな生徒を探す。


 だがどいつもこいつもすぐ男女でペアを組みたがるため、誰も自分と組もうとしない。


「女女女ってこいつら……それでも帝國男子かよ!」


 俗に言う負け惜しみという奴である。


「ゴルァ! てめェら俺に黙ってなに勝手にペア組んでやがんだァ!」


 おやおや。この男も同じなようだ。


「いやぁ……すみません小太郎さん。やっぱり修学旅行は女子とエ……じゃない、楽しい思い出を作らないと」


「なんだとォ!」


「大丈夫ですって、小太郎さんほどのイケメンならすぐにペア組めますから!」


 そういって子分たちは女子とペアを組み暗い夜道を2ステップで歩いてゆく。


「……」


 エンジはそれを黙って見ていた。


「……ん?」


 その視線に小太郎が気づく。

「ふんっ!」


 目が合った瞬間、二人は同じタイミングで顔を背けた。



「では肝試しはここの墓場でやります~」


 そこから10分ほど歩いた地点で竹は立ち止まり、生徒達に向き直る。

 竹が立ち止まったそこは古ぼけた墓場で、しばらく誰も手入れをしていないのかどの墓石もコケの緑と土の茶色で汚れており、それがより一層の不気味さを醸し出していた。


「この先、真っ直ぐ進んでいくと突き当りにお地蔵さんがあります~。そこの地蔵っちゅうのはまぁこの墓場全体を守る神様っちゅうことやから、日頃のご愛顧に感謝して御供え物を置いて来てもらいたいっちゅうわけですわ」


 話を聞く生徒達からは「ご愛顧って……」と突っ込みが入り、それに竹は嬉しそうに笑った。


「じゃあ、一組目行ってみよー!」


 と最初のペアに対し竹は発破をかけ、出発させた。


 最初のペアは子分Aと風組の女子だった。

 鼻の下を伸ばしてエロいハプニングに期待していた子分Aだったが、いざ墓場に足を踏み入れて見るとそのエロい妄想は吹き飛び、ただただ不安と恐怖ばかりその背にのしかかった。


「……だ、大丈夫だよ、僕が守ってあげるから……ね」


「う、うん……」


 だが怖いのは女子も同じ。自然にジャージの裾を掴む手の力が強くなる。

 

 その時、脇に茂る雑木林から物音がした。


「うわああ!」


「にゃあ」


 というお約束である。ずばり猫だ。


「ち、違うよ? 猫がね、ほら、猫の背中に悪霊がね? いて……その」


「早く行こうよこのドビビリ野郎」


「はい」


 と、形勢逆転するのだった。


 そして真っ暗な墓場を弱々しい提灯の明かりで進んでゆくと、竹の言っていた通り地蔵がひっそりと佇んでいた。


「これか……」


 地蔵の近くまで来て二人は言葉を失った。


「え……」


 その地蔵は……。




―――――



「じゃあ、次いこか!」


 竹がテンション高めに次のペアを促すともう5組目となる生徒のペアは不安げに竹に聞いた。


「あの……さっきから肝試しに言ったペアが一組も帰ってこないんですけど……」


「ああ、それはな。幽霊に取り憑かれて死んだからや」


「ええっ!」


 女子が白目を剥きそうになるのを社交ダンスのそれのように受け止める男子。


「……ってのは嘘で、この肝試しのルートは往復ってわけやないねん。奥までいったら出口があって、みんなそれぞれそこから寺に帰ってるっちゅう寸法や。みんな終わるまで待ってたら朝なるやろ? ナイス配慮、賽雲寺! ってなわけ」


「なるほど……」


 納得した5組目のペアはそのまま墓場へと消えて行った。

「兄さまも相変わらず行儀のええ趣味しておすなぁ~」


 竹の隣で梅がニコニコと笑いながら言い、それを聞いた竹がドヤ顔で笑う。


「かっかか、この肝試しは肝試しちゅうよりも《運試し》やからな。最初に誰とペア組んだかで運命が決まんねん。せやから明日の朝は見所やぞ~」


「まあ楽しそうなお顔でおすなぁ~」


「かっかか」


 そんな兄妹の会話も知らず次々と肝試しという名の罠へ生徒達は誘われていくのだった。




「次の奴、いっちゃいなよ!」


 竹が次の組に指示すると、これまでスムーズに進んでいたはずのサイクルが急に途絶えた。


「……ん、なんやなんで止まっとんねん」


 怪訝しく思い次の組に並んでいるチームを見て見ると……


「ささ佐々木ぃ、先に行けってお前」


 笑っているつもりなのか、無理に口元を釣り上げているせいで不自然な表情になっているエンジと


「うるうるうるせェな、くそチビサルがよォ、キーキーうるせェから、しょーがなくテメェを先に、行かせてやんよ」


 機械のようにカクカクと融通の利かない動きでエンジを先に行かせようとする小太郎がいた。

 説明が必要かわからないが、ひとまず簡単に状況を解説しておこう。


 小太郎はああ見えて実は女子のことが苦手である。そしてエンジのような小さな男(器含め)にわざわざ寄ってくる女子はいないため、お互い男子のペアを求めたがそんなもの好きはいなかったというわけだ。終わり。


「いいから先行けって! 俺は早く帰って寝たいんだっての!」


「だったらとっととテメェが先行け! 俺様がなんでテメェみてェなサルに背中を見せなきゃなんねェんだ!」


 あと補足するならば……二人ともオバケが怖いらしい。


「なんでもええからはよいけや! 揃いも揃って金玉の小さいやっちゃの」


「あぁ!?」


 竹の挑発した言葉に二人仲良く反応すると今までの衝突が嘘のように二人は全力ダッシュで墓場へと向かってゆく。


「背中見せねーんじゃねーのか物干し竿!」


「るせェ! テメェなんぞより俺の方が根性あるのはたりめェだろ! 黙って小刻みに震えながらついてきやがれ!」


 ……なんというか単細胞というのは、もしかしたら人生を渡って行くことにおいて幸せなことなのかもしれない。

 しかし二人の全力ダッシュのおかげでチェックポイントである地蔵の祠にはあっという間に到着した。

 エンジの「お、あれか!」という声に更に二人は踏み込む足に力が入り、我先にとデッドヒートを繰り広げる。

 

「悪ィが俺がもらったァ!」


 ほんの少しの差、エンジよりも体を前に出した小太郎はそのままエンジを抜き去りタッチの差で地蔵の前まで辿り着き、スタート時に竹から受け取った供え物を地蔵の足元に置いた。


「だぁっしゃァ! 楽勝だぜェ、所詮テメェはでかい紋刀振り回してるだけのエテ公だってこった!」


 小太郎がそれこそ鬼の首を取ったかのように声も高らかに勝利宣言をしているのに、エンジはそれに対してなんの反応も示さず、ただ小太郎の後ろにある地蔵を見詰めていた。


「……なんだァ? 帆村、テメェなに見てやがる?」


 エンジのただならぬ様子に小太郎はいつもの憎まれ口が詰まる。エンジの目線を追って恐る恐る地蔵に振り返るとそこにはなんの変哲もない地蔵が佇んでいるだけであった。


 ――首から上がないことを除いては。


「パヒャアアアアアアア!」


 おおう、なんという悲鳴だ。


「逃げろォォオオ!!」


 小太郎とエンジは揃って来た道を戻ろうと走った!

『駒取り始め!』


 その時、唐突に二人の紋刀にコトダマが通電した。


「は?」


「あん?」


 逃げ足止めてコトダマを聞き返す。


『だからもう日付跨いでるやろ。そこの二人で駒取り始めろっちゅうことや。馴れ合いたいんやったらええんやで無理にここで駒取りしやんでも。まぁ~その場合は仲良く駒の守り合いしたらええんちゃうかな? にっこり』


 と言いたいことだけ言って竹はコトダマを切った。


「……」


「……」


 睨み合うエンジと小太郎。


「このペア……死ぬほど気に食わねェと思ったが……やっぱり俺に運は向いてきているみたいだなァ!」


 小太郎がここまでの恐怖に染まった表情を一変させ、戦意を瞳に宿らせてゆく。


「そうこなくっちゃな。最近こいつぶんまわしてねーから、鈍ってたんだわ。助かるぜ、雑魚がそばにいてよ」


 お得意の挑発を詠うエンジもさきほどまでの恐怖におののいた表情を欠片も残さず消した。

「助けて……」



「おお? 今更命乞いかよ、失望させてくれんねェ!」


「あ? 助けを乞うたのはお前だろデクノボウ! 吐いた唾しらばっくれんじゃねえぞ!」


 変な空気が二人の間に流れる。

 お互いが考えていることはこうだ。『あれ? こいつが言ったんじゃないの? じゃあ誰が助けてって言ったの? ねぇねぇ』



「ねぇ……助けて……」


 女の声。俺達楽しい男二人ペア。


「うぎゃあああああああ!」


「おおおおおおおおおお!」


 戦意ゼロ。


 とにかく全力で逃げ出す二人は声のした方向とは逆方向へと逃げ去っていった……。


「スタート地点に戻っていかやんように脅かし役してたけど……あの二人が一番怖がりはったなぁ……」


 茂みの奥で「助けて」の主である梅がすっかり闇に消えてしまったエンジと小太郎を見て興味深そうに呟いた。

 夜空に響く野郎二人の絶叫が星に消える頃、最後の順番になってしまったハーレイと千代が星空に消えてゆく叫びを目で追っていた。


「あの声……エンジと佐々木君……だね」


「情けのうございます、炎殲院13代目頭首ともあろうお方がオバケのひとつやふたつであのような声を上げるとは……。初代や父様が聞かれたらどのようなお顔をされるか……。

 ああ嘆かわしい」


 意外そうな顔でハーレイは千代の顔を見ると、なにか言いたげなハーレイの表情に気付いたのか千代はハーレイの手を掴むと先陣を切った。


「さあ、もう朝も近うございます! とっとと終わらせてとっとと明日のために英気を養うのです!」


「そうだね」


 掌から伝わる温もりを感じてハーレイはほんの少しの幸せを感じ、手を引かれるままに千代についてゆく。ついてゆく……が


「どうしたのです? ハーレイ様」


 急に立ち止まり千代の手の感触をまじまじと確かめているハーレイは眉間にわずかに皺を寄せるとなにか思いに耽っているようであった。


「おうおう、イチャついてんと最後のチーム行けや! 早うしやんと朝なんかアッチュー間にきよんで!」


 竹の背中を蹴飛ばすような檄に二人は「は、はいぃ!」と墓場のコースを進まされるのであった。

(なんだろうこの感触……。今までの誰とも違う不思議な手の感触だった……)


 ハーレイの心の声は千代に届くことは無かったが、そんな違和感を杞憂であると払いのけるように千代は揚々と先を進んでゆく。

 大袈裟にぶんぶんと振る腕がハーレイに頼もしさを感じさせ、本来ならば男子が引っ張っていくべきだろうこの状況をもう少しだけ楽しんでいたいと思わせた。


「それにしても意外だね」


「意外? なにがでございましょう」


 ずんずんと前を進んでゆく千代にハーレイは正直な感想を述べた。


「いや、エンジがあの調子だからさ、千代もてっきりオバケや妖怪の類は苦手なのかと思って。平気なの?」


「左様でございますね。千代はこう見えても《りありすと》でございます。幽霊や宇宙人の類は怖くはございません」


「じゃあ、やっぱり千代にして正解だ。幽霊を信じないリアリストが側に居れば頼もしいや」


 ハーレイが暗闇の中でも変わらず柔らかい笑顔を投げかけると千代も見えているのかいないのか、同じように笑い次のように言った。


「信じていない訳ではございません。むしろ目に見えないものはほとんど信じています。ですが怖い……というのとは少し違うのでございます」


「なんだか難しいね」


 それはハーレイにとって良い意味での回答だ。千代もきっとそれを分かっていてあえて相槌を打たなかったのかもしれない。

 ハーレイと千代が目的の地蔵前に辿り着こうという時、キリキリという妙な音を耳が捉えた。その音はブリキのおもちゃを動かすためにネジを巻くような……そんな針金が軋むような音。


「地味だけど怖い仕掛けだね」


 ハーレイは特に恐怖を感じていないのに空気を読んでそう言った。千代も「えんとーさいさまだったら今頃足が震えてまともに立てない状態になってしまうような仕掛けでございます」と笑った。


 肝試しの最中冗談を交えながら談笑しているのは今回のチームの中でもハーレイ組だけであった。肝試しに相応しい肝の据わった二人だと褒めたいところだが……



『キリキリキリ』



 二人の耳に残るねじまきの音は妙に長い間鳴り続けている。

 クリア条件である地蔵に御供え物を供えた後も二人は立ち止まりその音の出所を目と耳で探るがどこからか掴めない。


「肝試しが始まった頃から梅さんの姿が見えないから、おそらく梅さんの仕業だろうね。ここは怖がってあげたほうがいいのかな」


「……」


 ハーレイの問いかけ千代は反応せず、ただキリキリという音に耳を澄ましている。


「……いえ、ハーレイ様。これは恐らく紋刀の章を解体・組立する際に使用するねじ回しの音でございます。この独特なねじまき音は間違いございません」


 気のせいだろうといいかけた言葉を飲み込み、ハーレイは真剣な表情に顔つきを変えた。千代がこの状況でそんな冗談を言うような人間ではないことを熟知していたからである。


 つまり、この時ハーレイが感じたのは『不測の事態が起こる予感』であった。


『おーう! お二人さん、ここで一丁駒の奪いやってや! ……といいたいところやけど、自分ら同じクラスの王将と角やもんなー。運のええやっちゃで、各自でぼちぼち寺に帰ってやー。出口は地蔵の前やし』


「!?」


「……コトダマ……ッ!」


 竹からのコトダマは息を殺して周囲を伺っていた二人にとって致命的な事態であり、同時にそばに居る『ナニカ』に居所を知らせることをも意味したのだ。


『キリ……』


「音が止まった……!?」


 暗闇。足場の悪い墓場。そして得体の知れない気配。


 幽霊や妖怪、もしくは宇宙人の類であったほうが余程安心出来る。むしろその方が話のネタにもなりありがたいとさえハーレイは思った。

 何故ならここに居るのが『得体の知れない物』であるよりも『得体の知れない生きている人間』であるほうが数段危険だとハーレイは悟ったからである。


 それでなくとも巷では真夜中を狙った無差別的な辻斬り騒ぎも起こっているのだ。

 ハーレイは自らの思う最悪の予想が裏切られることだけを切に願った。

「ハーレイ様……」


「しっ、声を出しちゃいけない」


 ハーレイは全神経を集中させ、その音の方角を探る。千代がいるこの状況では場を離れるにも迂闊に動いては逆に危険だった。

 願わくば学苑生徒の悪趣味ないたずらで会って欲しい……、だが筆頭三年生になってから更に好奇の的に晒されている今のハーレイに、そんな酔狂なことをする生徒の存在など考えられなかった。そうすると《なにかに巻き込まれかけている》と考えるのが妥当である。


(せめて千代さえいなければ……)


 我々の知る、エンジと仲の良いハーレイであれば士道がまるで駄目なのでむしろ千代の方が手練れであると考えられる。

 だがハーレイはその音の主が例え誰であろうとも千代に戦わせようだなんて微塵も思いはしなかった。それは……ハーレイの中で目覚めつつある、いやもう目覚めてしまったある力からくる自信であった。


「この千代も微力ながらこの護煙丸にてハーレイ様の力になりますゆえ……」


「ああ……ありがとう、その時は是非お願いするよ」


 心を読んでいるわけではないが、千代はハーレイの思考とシンクロするかのように絶好のタイミングでそんな言葉を放った。


 止まったままのキリキリという音。


 向こうも様子を伺っているに違いないということだけは分かっていた。もう一度あの音が聞こえ始めればもしかすると離脱のチャンスなのかもしれない。

『なんで……こんなにわてはツイとらんのかいの』


「!?」


 ハーレイの期待も空しくキリキリという糸巻音は再開することなく、代わりに恐れていた《得体の知れない誰か》の声。一体こんなところで何をしているのか、何のためにいるのか、そして何故自分から話しかけてきたのか。そのどんな疑問にも瞬時に一つの答えがハーレイの脳内で終着する。どの答えも『不明』だがどの問いも結論は同じ。

《危険》、つまりはこの状況は危険だという決定的な絶対事項であった。


「誰だ、一体なにをしている!?」


 ハーレイが闇に問いかけると闇の中から「くっくっくっ」と噛み殺した笑いが漂い、その笑いの主は次のように言った。


「ふぅん……わざと喋らせてわての位置を探ろうってかい。全く頭の良いガキだね」


 ガキ、というフレーズに一瞬ハーレイの頬が反応し、辺りの闇を見渡しながら息を止めた。


(ガキ……? なぜ僕が若いと分かった……もしかして肝試しをしていることを知っていたということか?)


 もしもこの得体の知れない男が肝試しの最中からハーレイ達に気付いていたとすれば、わざわざ聞こえるようにあの糸巻音を鳴らしていたことになる。つまりそれは《見つけてくれ》と言っているようなもの……。

 だが先に行った生徒達が騒いだ様子もないし、順番を待っていた広場でも撫髪兄妹に変わった様子もなかった。

 最も自然に考えるのであれば、この男は《ハーレイの順番が来た時にやってきた》という線である。


――それとこんな時間に妙な仕掛けをするような人間にハーレイは心当たりがあった。

 

 しかもそれは一人ではない。そしてハーレイはその名前も姿も知らない。

 ハーレイの心当たりの人物とは人物にあらず、……組織だ。


「刀狩……」


 ハーレイの脂汗と共に漏れた言葉。千代の耳に届かないほどの小声で呟いたハーレイはとにかく千代だけでもこの場から離れさせなければと考えた。


(でもどうやって!?)


 焦るハーレイと突破口の見えない思考の迷宮。刻一刻と時の針は進むばかりだが、その体感的な速度は今まで生きていたどの瞬間よりもゆっくりと流れていくように感じた。


 コトダマで助けを呼びたいが下手な真似は死を招く。向こうからはこちらの位置が分かっているかも知れないのに、ハーレイと千代は動くことすらも赦されない状況。


「ハーレイ様……生徒のいたずら……なんて可能性は?」


「可能性はゼロじゃないけど、書き起こせば悲しくなるほどに《0》を多く書かなければならないくらいに低いね」


 先ほどの男は先ほどに笑ったきり発言をしない。ハーレイの意図が知れていたからだ。喋れば自分の位置を特定されてしまう。如何に格下が相手であろうとも闇で生きるその影は油断などしないのだ。


(完全に気配がない……。いるのかいないのかすら曖昧だ。これが奴の技によるものだったとしたら何一つとして勝ち目なんてない……)

「へぇ仮紋かぁ……なるほど、士道学苑のガキってわけね」


 間近くで突然聞こえた声にハーレイは千代を庇いながら振り向いた。


「……なッ!」


「いい感じの集中力、なるほどそりゃあいつも身動き出来ない訳だ」


(いつ現れた!)


 ハーレイの声にならない内なる声。言葉さえ出ない衝撃に背後の千代をどうにか守ることに精いっぱいのハーレイだった。


「ハーレイ様……私はやはりたたか……」


「いいから僕に任せて! 二人で戦うよりもどっちかが助けを呼ぶ方がいい!」


「し、しかし……」


 目の前から聞こえた声の主かと思われる人影が闇の中からうっすらとその輪郭を現してきた。二人と距離が近くなればなるほど、髪を逆立て紫のマスクで口を覆った妙な装束の男がぼんやりと見えてくる。


「こっちも二人という訳だ。なぁ、坊ちゃん」


 その男は何本も紋刀を持ち背中や腰にいたるところに刀の鞘をぶら下げている。


「安心しろ、お前のようなガキに拡声麒は使わん。勿体ないからな、代わりにこの改造した戯刀で殺してやる」


 殺すという言葉に千代がびくん、と反応した。この状況でも一声たりとも発しないのは流石士道刀士であり、エンジに仕えた従者である。

「千代、僕が奴と刃を合わせた一撃目を合図に竹たちの場所へ走って戻るんだ」


「し、しかしそれではハーレイ様……」


「士に恥をかかせないでくれ、これでも僕は士道学苑三年生筆頭だ」


 千代に悪気はない。悪気はない、がついそう言い放つハーレイの実力を天秤にかけてしまう。ただでさえ誰よりも劣るほどの士道センスを持つハーレイだ、自分が彼を放って逃げてしまえば確実に敗北し、その命を落としてしまう。

 もしもそうなれば千代は取り返しようもない後悔の渦に生涯悩まされることになるだろう。


「できません! この場を離れることなど……」


「(違う、逃げるんじゃなくコトダマでエンジを呼んで欲しいんだ! 僕一人では絶対に殺されてしまう……だがこれをスポーツと思っておけば逃げ回って時間稼ぎくらいは出来る)」


 小声で千代に耳打ちし、千代はようやくハーレイの言葉の意図を理解した。同時に千代は激しく自分を責めた。なぜなら頭の良いハーレイがわざわざ勝ち目のない戦いをここで担うわけもないからだ。


「か、かしこまりました……。ハーレイ様、絶対に戦おうなどとしないでください」


「僕の弱さは知っているだろ? 自殺するほど満足する人生は送っていないさ」


 緊張の中精一杯の笑顔で千代を安心させようとするハーレイの心意気に千代は強く頷き、その時を待った。

「ほっほう、これはまたお約束な。女を逃がす為に自分が戦うとは熱血漫画にありがちな展開だな。だが知っているか? こんな展開で大概犠牲になるのは楯になろうとした本人なんだぜ」


 刀狩が襲い掛かる。暗闇なのも手伝い、その速度はこれまでハーレイが体験した仕合いの中でもトップのものだった。だが、


「百虎ほどではないね、刀狩さん」


 とてつもない速度で間合いを詰める男をひらりと半身を逸らし躱すと完全にその姿を捉えているように目で追った。


(このガキ、まさか俺の動きが見えているのか)


 暗闇の中で確かにハーレイは笑った。


「千代! 危ない!」


 ハーレイはそう叫んだ直後、千代は糸が切れた人形のように体中の力を失い地面に吸い込まれる。千代の上半身が地面にぶつかる寸前で抱き止めるとゆっくりと千代を場の橋へと寝かせた。


「……ガキ、どういうつもりだ?」


「ひとつ、教えておくよ。刀狩さん」


 ゆっくりと立ち上がるとハーレイはガシャン、と音を鳴らして腰から下げていた仮紋刀を地面に下した。そして、ゆらりゆらりと男に近づいてゆく。


「なにを教えてくれるんだ? お前の呆気ない死に様か? 格好つけて救おうとした女が如何に無残に殺されるからか? それとも両方か?」


 刃を付けた戯刀を構える男、余裕があるように笑ってはいるがその内心は穏やかではなかった。それもそのはず、彼にとって余りにもハーレイの行動が理解不能であったからrだ。千代を逃がすのかと思わせておいて、ハーレイは確かにその手で千代の首を打ち気絶させた。助けを呼びに行かせるつもりだったはずなのに、だ。


 そしてもう一つ、置いた仮紋刀。今のような緊急時にあれを抜きさえすればたちまち抜刀アラームが鳴る。さらに仮紋刀ともなれば同行している教師たちに最優先で通告される。つまり、普通ならば紋刀を抜くことがなによりも優先して行うことなのだ。

 だがハーレイは抜くどころかその紋刀を地に置き、助けを呼ぼうとした千代を気絶させた。以上の要点に於いてハーレイの行動が理解不能であったのだ。

 どれだけレベルの低いものが相手であっても、その行動理由が余りにも不明瞭だった場合、どんなに手練れであっても不審に思う。簡単に言えば、気味が悪いのだ。


「僕にとってこの奇襲は仕合にも死合いにもならない、午後のストレッチのようなもの。思い込みの力がすごいんだって、親友が教えてくれてね」


「!?」


 ハーレイの言葉が空気が違う色へ一瞬にして染まる。今の色は……紫、恐怖と不可解の象徴である。

「出てこないならこないでいいけど……、でもこれで分かっただろう? 僕が彼女を逃がさなかったのはもう一人の存在に気付いていたからさ。彼女が一人になったその瞬間に……っていうせこい算段というわけだよね。

 ところでさ、君たちがここでなにかしていたのは偶然? それとも誰かの……指示かな」


 ハーレイの両手には二本の刀が握られていた。


 それを見て男は咄嗟に自分の身体を確認し、あることに気付いた。


「き、貴様ぁ……」


「第一線で悪行に精を出している刀狩っていうのも案外この程度のものかぁ。でもツイてたよ、初めての遭遇の相手がいきなりラスボスじゃなく、雑魚で」



「雑魚はてめーだぁああ!」



 激昂した言葉と共に上空からハーレイに襲い掛かったのは対峙する男ではなく、初めて現れる鳥の装飾をところどころに施した男だった。ハーレイはその奇襲攻撃をまた最小限の体捌きで躱すとその男のがら空きになった背中を蹴り、前のめりに倒したかと思うと男の顔面すれすれに持った紋刀を突き立てた。


「拡声……き? それはなんだい?」


「黙れガキ!」


 改造戯刀を持ってハーレイに向かって一直線に向かってくる。


「ふぅん、教えてくれなくてもいいけど」


 ハーレイは極端に体を低くし男の突進を、金髪を揺らしながら避けた。

 ハーレイを通り過ぎ再び体の正面を向き直した男だったが、なにやら様子がおかしい。


 彼の様子がおかしいことに我々が気付くか気付かないか刹那の時、ハーレイの踏み台と化していた鳥男が自らの背中を踏むハーレイの足を両手で掴むと嬉々とした語調で叫んだ。


「ハマー! こいつの動きは封じたぁ! わてがこいつの自由を奪っている間にやってまいねぇ!」


「……」


 ハマーと呼ばれた男は彼の勝利宣言ともとれる言葉に反応を示さず、縦一文字に血柱を走らし自らの作った血の水溜りに溺れ落ちた。


「は?」


 ハーレイは夢中で足を掴む男の顔を覗き込むと愉快そうに微笑んだ。


「拡声麒とかいうもののこと、教えてくれなくてもいいけど……切り札を出し惜しみすると死んじゃうよ。って言いたかったんだけど、なんか彼死んじゃったみたいだね」


「……ッッ!?!?」


 足を掴んでいた両手を離すと、男は掴まえられたゴキブリのようにじたばたと抗い彼の足から逃れようとするが、そのコミカルな動作も空しくその場から解放されない。


「だけど思い込みの力ってのは偉大だけどさ、刀を構えるとどれだけ思い込んでも身体が仕合だと認識するらしくってね、本意じゃないんだけどこんな【殺し方】しかできないんだよ」


「はっ……?! こ、殺す……」


 不自由な体勢で覗き込むハーレイを見上げると、男の眼には月を背に影となったそれが金色の死神にしか見えなかった。

 そして次に男が見たのは、さっき殺された仲間から奪った二本の内一本の紋刀をバチバチという音を鳴らせて紋句も詠わずいとも容易く刀身を抜くハーレイの姿。


「だからさ、キミを解放して刀を構えられでもしたら僕はたちまち弱者に逆戻りしちゃうんだ。それにこの力を見て紋刀を抜かれでもしたらアラームでおおごとになるからね、生きて言いふらされても困るし……」


「や、やめて……」


 口の中の唾が無くなりカラカラになった喉から絞り出した声は先ほどまでハーレイを侮っていた男の声ではなかった。明らかに捕食される側……強者に踏みにじられる弱者の様相。


「ごめんね、喋り過ぎたよ。なんてったって誰も聴いてくれないし、言えないからさ……僕が《他人の紋刀を紋句も詠わずに解放できる》なんてさ」


「やめっ……ぎゃひっ……ぃ!」



――夜に静寂が戻り、風が屍の髪を揺らしていた。




――!?



 覚醒する意識、千代が気付くとそこは寺の室内であった。

 男子と女子とが分けられた女子部屋……なんの変哲もない、朝。状況が理解出来ない千代に女生徒の一人が話しかけてきた。


「千代~! いつまで寝てるの? もうみんな朝ごはんに行っちゃうよ!」


「朝……ごはん……でございますか……すぐ、行きますです」


 後半妙な言葉にしつつ千代はジャージのまま広間へ移動した。何事もない朝の風景、始めての場所なのでそう言った意味ではいつもの朝……という訳ではないが、昨日の肝試しでの出来事がなかったことかのように時間はなにも変わったこともなく過ぎてゆく。


「おはよう千代」


 ハーレイが千代の肩を叩き朝の挨拶を言った。


「ハーレイ様! あ、あの……昨日」


 ハーレイが人差し指を口元に立て「しっ」と合図をした。


「どうにか逃げることが出来たけど、みんなに言うと混乱するから……僕たちだけの秘密ってことで留めておいてくれないかな」


 ハーレイが見せた真剣な表情に、昨日の襲撃が現実のものだと千代は気付いた。その後不覚にも意識を失った自分を恥じつつも、なにがあったのかはわからないが状況を突破したハーレイに対し千代は深いお辞儀をするのだった。

 さて、ここで皆々様方に知っておいてもらいたい豆知識がある。


 昨晩の刀狩の徒党の一人がハーレイに向けて構えた改造戯刀。当然ながら改造戯刀は刀政機関にて堅く禁じられており、もしもこの禁を破った場合思い罰が課せられる。


 では刃をつけた改造戯刀と、紋刀とはどんな違いがあるのか?


 もちろん強度の面であったり、殺傷能力の違いこそあれどそこを差し引けば抜刀に制約のかかる紋刀よりも使い勝手がいいと思われがちだ。


 一番わかりやすく決定的な違いは、ずばり【刃通力】の通り方である。


 戯刀に於いても刃通力を通すことは可能だが、その限界には大きく制約が掛かっている。また紋刀は形状や持ち主、紋刀の紋によって発動する刃通力が変化する。一方の戯刀は誰が刃通力を走らせても同じ能力しか発動しない。しかも発動する能力とは【身体能力の総合的な向上】である。


 つまりはちょっと運動神経と反射神経が良くなる……という程度なのだ。

 熟練者になれば、刃通力によって改造せずとも士気による刃を纏わせることも出来るが、そもそもそんな悪意をもった人間が皆伝クラスまで登りつめることはない。(帝國政府の認可も必要なため)


 ちょっとおどすくらいならば改造戯刀は抜刀アラームもならず使い勝手はいいが、実際の斬り合いでは頼りないものなのである。


 ハーレイに対し、あの男が紋刀を抜いていたらどんな局面になっていたか……もはや誰も知るところではない……。

「寺! 寺! 寺フォーマーず! 京都と言えば寺でおすなぁ」


 朝から元気全開なのは竹ではなく住職であった。……寺フォーマーず?

 ともかくとしてこの場は賽雲寺の境内にて生徒達が出発に向けて集められているところであった。誰もが住職の脇に梅も竹も居ないことに不信感を抱いていたが、それを質問するとすべからくして憂き目に遭うと思い黙った。


「昨日の夜は素敵な悪霊に出会いおしたか? それとも下心で組んだかわいいアンチクショウと駒の奪い合いを致しやしたかぇ? ふぉっふぉっ、それでよいそれでよい」


 住職の言葉通り、昨晩の肝試しでのチーム分けにおいて下心で別クラスの女子と組んだ男子の過半数は逆に女子から駒を奪われるといった愉快な結果が出ていた。


「駒を失った阿呆も心配しやんといてや、次の狼煙ん時に誰かから奪うたらええだけやしな」


 住職はもう一度わざとらしくふぉっふぉっふぉっと笑うと、次の行先である伏見稲荷大社を差すマップを差した。(マップの紙を広げているのは角田教師と畑山教師である)


「今から皆さんには伏見稲荷大社に行って外国人支持ナンバーワンの寺が如何にして歴史の重きを持ってはるんか、ということを体験しつつも学んでもらいます。

 ただここの土地は広いんでな、日中はここで過ごしてもらうかと思っとりますぇ。で、現地には竹とわしのカワイイ孫娘、梅がもう待っとるはずや。そこでいつ狼煙あがるやわからん駒取りにドキドキしつつも京都観光を楽しんでおくれやす」


 一同は嫌な予感を全身で感じながらもやしろの号令でそれぞれバスへと乗り込んだ。

「俺にとっちゃ神社での駒取りより道中のバスのほうがよっぽど試練だぜェ……」


 ゴクリと生唾を呑み込み、バスの乗り口で覚悟を決めかねている小太郎の後ろから子分たちが彼を横切っては次々と乗り込んでゆく。


「お、おいお前ェら! なに俺を差し置いて先々乗り込んでだァ!」


 小太郎の呼びかけに子分たちは力なく振り返り、口角を片方だけひくつかせながら自嘲気味に笑った。


「……な、なんだァ」


「すみませんねぇ小太郎さん……僕たちは今小太郎さんに構っていられる精神状況じゃないんでげすよ……」


 急に語尾に「げす」をつけ語った子分Aはそれだけ言うと奥へと消えてゆき、次に子分Bが


「いやぁね? 別に僕ぁ手を繋げたらラッキーくらいで考えてただけなんす。そんなキスだとかお尻触るとか……そんな大それたことを期待してたわけじゃないんす。でもね、あんな急に豹変しなくてもいいでやんすか」


 次は「やんす」が飛び出した。


「もう女は信用しないざます」


 おお、教育ママ。


 小太郎が子分たちの言っていることを何一つ理解出来ないまま子分たちはどんよりとしたオーラでもってバスの座席に座るのだった。

 でんっ!


 とコミカルな効果音が飛び出しそうなほどその神社は生徒達の度胆を抜いた。

 巨大な鳥居が彼らを迎え、そしてそれをくぐり抜けると赤と白のコントラストが綺麗で神々しい本殿が現れる。今の感性では生まれることのなさそうな美しい曲線をえがいた大きな屋根瓦が信仰するものを見下し、優しく笑むようであった。


「……応仁2年(1468)の兵火により、境内の殿舎堂塔の全てが焼亡し、やがて仮殿の復興があったようですが、その後に諸国へ勧進が行われようやく明応8年(1499)に再興され……」


 やしろが大きな声で本殿の説明をしているがもはや誰も聞いていない。


「重軽石(おもかるいし)だってさ! いってみようぜ!」


「千本鳥居いこーよ!」


「おいどんは稲荷寿司を食べごわす」


 様々なはしゃぐ声に埋もれる小太郎の残骸はぴくりとも動かない。昨日の悪夢を忘れ去りたい子分たちは小太郎を見なかったことにしてはしゃぐことにした。


「ええーんとぉおーさいさまぁあ~~~!」


 はしゃぎにはしゃぎまわる生徒の中でもぶっちぎりにそのテンションを主張するのは我らが暴走従者・神楽煙千代である。


「ご覧くださいまし!この見事な鳥居の数と幻想的な赤いトンネル! 千代は……千代はこのような神聖な場所にえんとーさいさまとご一緒出来てうれしゅうござ」


「なぬっ! こっからさきは食い物ないのか?! おいハーレイ、確か本殿までの間にそばとかうどんとかの店あったよな! っくぅ~~~! おい眉毛のオバケ、なんでそういうことをきっちりちゃっかりと調べおかねーんだ!

 お前の大事な主がこんなにも土地の名物を思い出と共に胃に収めたいとしているのに!」


「どの口が言うかァアァ!」


 護煙丸の鞘の先端がエンジの左目に根本までめり込んだ。

 あ、その時の音はめりめりめりぶちぶちぶち、……である。


「光が……光がぁあああ!」


 激痛にのたうち回るエンジを転がしながら千代とハーレイは千本鳥居をくぐってゆく。


「千代、この3年でとっても強くなったね……」


 ハーレイが汗を一筋額から流し笑うと、千代は頬を少し赤く染めつつも「いやん、ハーレイ様そこまでお褒めになりますと千代は赤面してしまいますゆえ……」転がるエンジからは「許すまじ……許すまじ……」と呪いの歌が聞こえていた。


「それにしても本当にすごい数の鳥居だね」


「約一万基の鳥居があるということでございます。長さにするとおよそ4キロにも渡る長さだそうでございますよ」

「4キロ!? そんなにこの神社って大きいの?」


「左様でございますとも、……しかし敷地面積についてはこの千代、不覚にも失念しおりました。こんな時は神社の人に聞くのが一番でございましょう」


 千本鳥居を抜けたところにあった奉拝所で掃き掃除をしていた白い袴の老人の背中に千代が「すみません」と言葉の賽銭を放った。


「どきどき……」


 あれ、今この人「どきどき」って言った? みたいな妙な空気が3人の中で漂い(エンジは転がっているが)、一瞬の沈黙がその場に鎮座した。


「どきどき……」


 あれ、また言った? 今度こそやっぱ「どきどき」って言ったよね?! というこれまた妙な空気が再度3人の間に流れ、ハーレイがその背中に「ドキドキ……とは」と問いかけた。


「どきどき駒取りゲェエエエム!」


「のわあっっ!!?」


 白い背中はほうきと塵取りを放り投げると被っていた白髪頭のカツラを地面に叩きつけた。そうその人物は神社の関係者に変装した撫髪竹だったのだ。


 竹の声に千代たちの近くにいた生徒達も一斉に身構えた。


「歴史的文化財を傷つけたりしないように気を付けて駒取りに励んでください! あ、もし仮に神社のもの壊したら重いペナルティを課すのでよろしく。

 士道の士とは、守るべきもののみを守る技量を持ってして士である! っちゅうわけでよろしゅー……はじめっ!」


 唐突な狼煙を受けたこの場に居たのは数えて8人。

 エンジ・ハーレイ・千代の3人を除けば二人組が1つと3人組がもう一組だ。


「うわ、帆村たちかよ……」


「でもあいつらのとこのあのチビ女、王将持ってるぜ」


 どうやらこの場の8人で王将を所有しているのは千代だけだったようだ。その事実を前にエンジ達を除いた5人の視線が一斉に千代へと集まる。


「……ど、どうも……」


 恐々と縮こまる千代の両肩を守る衛兵の如しハーレイとエンジが敵たちの前に立ちはだかった。


「これはラッキーだねエンジ」


「ああ、こちとら駒が喉から足が出るほど欲しかったとこなんだ! てめぇら王将獲れると思うな、それよりも自分の駒を死守しやがれ!」


「……エンジ、喉から出るのは《手》だよ」


「う」


「悪いね、力不足は自覚しているつもりだけど、これでも一応筆頭三年生だから早々と駒を奪われるわけにはいかないんでね。全力で行かせてもらうよ」


 フェンシングの構えに似た構えで左手にもった仮紋刀を目の高さに上げると敵の攻撃に備えた。


「すげぇなその構え」


「フェンシングはれっきとしたスポーツだからね」


「なるほど、お前にしかできねー思い込みだな」


「思い込みだって直接言われちゃうと集中力悪くなっちゃうんだけど」


「悪ィ」


 エンジはいつもの大刀・炎灯齊を構えると楽しそうに笑った。


「オバケの居ない昼間なら思う存分やれるぜ! おら、文句があるならかかってきやがれ!」


 間に挟まれた千代は小さく「お二人ともがんばれー」と言うだけに留めていた。

「王将はもらったぁああ!」


「この旅行を甘い思い出にするのよぉーーー!」


「野宿と徒歩で帰るのだけは回避してやる!」


 おおっ、お前らその迫力をなんで乱れ太鼓の時に出さねーんだよ! と心の中で叫ぶエンジは、その心の叫びに反して実際の迎撃に関しては冷静だった。恐らくこの3人組は駒取りの狼煙が上がったら同時攻撃で相手に対して強制的な防御の徹底を強いるという戦法を算段したのであろう。その戦法は概ね正しい。こと今回のような亜流な取組に於いては……だが、相手の出方も見ずにとりあえず攻撃というのは、彼らにとって愚肢としか言えなかった。


 曲がりなりにも相手は伝承使いであるエンジ、そして筆頭三年生の北川ハーレイである。その同時攻撃に於いても、彼らの息が乱されることは無い。


「オラ、ハーレイ行くぞ!」


「ああエンジ」


 エンジはハーレイに同調を求めると、ぶんっと風なき空を叩き斬る音を立てて炎灯齊を振り回した。それと同時にギギギンと、襲い掛かる彼らの手が空になり、三本の紋刀が宙に舞った。一瞬にして自らの手が空になった三人の先頭に居た生徒の喉元に、ハーレイの仮紋刀の先端がピタリと止まっている。


「チェックメイト……だね」


「わああああっっ! やっぱ勝てる訳ねーー!」


 逃げてゆく他の二人を無視して、エンジ達は3枚の駒を手に入れたのだった。



 駒を奪われた三人は肩を落として千本鳥居をくぐって行った。ちょっと可哀想……な背中である。



【士道ノ十八へ続く】

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