第18話

 ――伏見稲荷大社・清滝エリア


 

「ぅうォらァア!」


「ぎゃぴーん!」


 小太郎は荒れていた。いつも後ろに従えている子分どもは自分が車酔いから覚めるとどこにもいなかったからだ。肝試しでは女に現を抜かし、そうかと思えば恩人であり兄貴分でもあるはずのこの俺サマをたった一人にするなんてェ、ヴォオイ! 爆発的に許せねェぜヲイ! ……と思わず私も彼の口調が移ってしまうほどの熱を放出していた。

 目に入った生徒は手あたり次第ぶっ飛ばし、駒を奪取する小太郎の腰には中々の数の駒がぶら下がっていた。


「どう見積もっても200苑くらいはあるだろォ……あの恩知らずどもめ、絶対ェに恩情なんぞ恵んでやらねェからなチクショウ……!」


 なんだかんだで寂しいようである。


「こんなときに限ってあのサル野郎ともバッティングしねェし……仕合(や)り甲斐がなくて仕方ねェや」


 物干し竿を肩で担ぐと小太郎は稲荷を頬張りながら次のポイントへと歩いていった。

『ピンポンパンポン、ピンポンパンポン。帝國士道学苑の皆々様方、お世話になっております。うちは撫髪うめどすぇ。竹兄さんから「なんやチマチマめんどいからもっと派手にやったれや」とのお言葉賜りまして、このコトダマを狼煙(のろし)としてサーチオブデストロイ、つまり会敵爆殺っちゅうことで皆さん駒取りに精を出しておくれやす。ピンポンパンポン、ピンポンパンポン』


 梅のアナウンスが三年生と教師全員にアナウンスされたのを受け、生徒達はこぞって間合いを取ると近くの生徒と睨み合った。誰も彼もみんなすっかり戦闘モードに入っている。

 そしてコトダマからアナウンスされた時、三ノ峰では風組の梶ヒロとエンジが対峙していたのだった。


「ふざけた頭は飾りかぁ? なんか悩みでもあんのかツッパリがよ!」


「ふざけてはないがお前の言う通り少々こだわりがあってな。どれだけ挑発されようが俺がそれに乗ることはない」


「っかーそんな派手なリーゼントぶちかましておいて硬派キャラかよ……やりにくいっつーんだよ」


 千本鳥居を抜け、奉拝所での駒取りのあと更に歩みを進めたエンジ達は三ノ峰で運がいいのか悪いのか、梶ヒロに出会ってしまった。そしてそれとほぼ同時に会敵即殺の令。


「ツイてねーなてめーも」


「ツイてるのさ、炎灯齊」


 乱れ太鼓の舞台でこの二人は対戦していないこともあって、特に梶のほうは一方的にエンジに対して対抗心を抱いていた。それがここにきてようやく報われたということなのだ。

「筆頭三年生の座はそこの優等生にかすめ取られてしまったが、僕が一番手合わせ願いたかったのはキミでね、意地でも戦ってもらうよ」


 相変わらずのリーゼントに改造した制服、傷だらけの顔で梶は言った。……エンジの言う通り悪い意味でのギャップが凄い。


「抜刀できねェのに俺とやろうってのか? 舐められたもんだな、知らねーんだったら教えてやるよ。俺はこの炎灯齊を……」


「抜かない方が強い……そういいたいんだろ? 知ってる」


 エンジはフゥ、とため息を吐くと後ろで何事も無いように神社観光を楽しんでいる千代とハーレイにほんのちょっとだけイラっとした。


「ちょっとくらいこの俺の戦いを気にしろっての」


「ごちゃごちゃ抜かすな炎灯齊ィ!」


 一瞬、千代たちに気を取られた好きに先手を打ったのは梶だった。


「うわっ、ズリぃ!」


 咄嗟にエンジが炎灯齊の大きな面を盾にした。


「……ずるい?」


 梶は立ち止まり「俺はずるいか?」と真顔でエンジに聞いたのだ。


「ずる……ってか真面目か!」


 ノリ突込みのノリでエンジは炎灯齊を振り回すとなんとそれは梶に当たってしまった。

「ふ、不覚……!」


 まともに戦えずに力尽きた梶を見下すエンジに千代が「なんと卑怯な勝ち方か……えんとーさいさま……」とわなわなと震えていた。


「ず、ずるいってのはこういうのを言うんだ! 分かったらもうするなよケガリーゼント!」


 動かない。ただの屍のようだ。



「あ、居た王将持ちのチビだ!」


 どこからともなく生徒が叫ぶ声が聞こえ、一同が振り返るとほぼほぼ一クラス分くらいの生徒の群れが千代たちを目がけて突進してくる。三人は思わず漫画さながらに目玉を飛び出させ、「えええええええ!」と口を揃えて叫んでは凄まじいスピードで逃げてゆくのだった……。


「ハーレイ! 俺ら今駒何苑くらいだ!?」


「梶君の駒取り損ねちゃったからね! ……えっと、180苑かな」


「ぐふふのふ、中々儲けてじゃん……! これでリッチなホテルゲットだな……!」


「(欲の権化……)」


 お得意の企みスマイルでエンジはある方向を指差して叫んだ。


「あそこの階段まで行ったら迎撃すんぞ! 道幅狭けりゃ駒取り放題だっつーの!」


 エンジが指差したのは人が二人ほどしか通れない細い石階段だった。

 ハーレイはいつものようにやれやれ、と苦笑いで頷くとエンジの案に乗った。

「おっす、オラエンジ! いっちょ皆殺しにすっかぁ!」


 階段を30段ほど昇ったところでエンジは迫りくる生徒達に向き直りとても悪い笑顔で出迎えた。


「は……」


 その瞬間先頭の何人かはエンジの戦略に気付き後を引き返そうと後ろを振り返るが自分に続く多数の生徒達をみて退路が無いのを瞬時に察した。


「謀られたぁああーーー!」


「多に無で攻め入ってきやがったくせになにいってやがる!」


 今日の炎灯齊はとても調子が良いようで、一振りで5人ずつ吹き飛ばして言った。


「一振りなんぼだ、ハーレイ」


「どんなに少なく見積もっても50苑だけど、確率的に言えば80苑から100苑てところかな」


 筆頭三年生らしいキラリとした笑顔でハーレイは冷静に言ってのけた。


「んぎゃーー、筆頭三年生がなんでこんな獣についてやがんだ!」


 飛ばされながら生徒の誰かが叫び、それにハーレイはいつもの爽やかな笑顔で「ん、そりゃあ優れた者の優れた能力を見出すのも僕の仕事だと思っているからね。今回はたまたまエンジだっただけだよ。ふふ」と笑った。


「ふふ、じゃねええええ!」


 炎灯齊が振り回されるたびに雨あられのように駒が降りそそぎ、エンジは「ぎゃははははは!」と狂ったように笑うのだった。

 一方千代はというと王将を持っていることもあり、ハーレイとエンジ達よりも先に清滝へと向かっていた。


「はぁ……はぁ……知ってはいましたがこんなにも広いなんて……」


 時刻は午後を大きく周りおやつの時間も近くなっていた。


「もう少し逃げ切れば少なくとも伏見稲荷大社でのオリエンテーリングは終わるはず……それまで耐えて頑張らないと……」


 小さな体を息切れで揺らし、山間にも差し掛かるその場所は心なしか酸素も薄い気になってしまう。


「ですが……それはそうとして……」


 千代は清滝へと向かう最中の橋の上で立ち止まり、その絶景に息を呑んだ。

 息切れしていた荒い呼吸は、次第に景色の息遣いを感じるように肌を敏感にしてゆく。


「美しい……」


 足元を流れる清流も、それを取り囲む木々も至る所に見ゆる赤い鳥居に社。千代はその全てを自らに取り込むように大きく空気を吸った。


「すー……」


 その時、千代の脳裏の片隅から妙な記憶が顔を覗かせた。


「……?」


 ほんの一瞬、瞬く間だったが千代の知らない記憶が彼女の思考を横切ったのだ。

 だがあまりにも唐突で一瞬の記憶、思い出そうとしても再びそれが浮かぶことは無かった。

「今のは一体……??」


 千代の頭によぎったのは、エンジと二人でここからの景色を眺めた記憶。 

 だが千代はこの場所に訪れたのも、京都の土地に来たのも今回が初めてだったはずだった。それに、記憶の中、一緒にいたエンジはエンジに似ているが、どこか違う他人のようにも思え、だが全くの別人かといえばそうは思えない。なんとも不思議な感覚。


「えんとーさいさまとラブラブ……?」


 そんな謎めいた展開もぶち壊してくれる妄想脳で千代はたちまちエンジとのいちゃいちゃモードに切り替わった。


「え、えんとーさいさま……ちょっと、そんな私の肩に埃などついて……あ、そんな手を握るなんて、ふ……不純です……あ、えんとーさいさま……千代をそんなに見つめられては困ります……。え? フォークダンスですか……は、恥ずかしいですわ、えんとーさいさまとそんな……フォークダンスだなんて……、あ、わかりました。上手くステップが踏めるかわかりませんが……ご、ごめんなさい! ついえんとーさいさまの足を踏んで……あ、そんな……平気だなんて……う、う」


 やたらと「あ……」とか「そんな……」とか言っているが頭の中はまことと違ってエロのエの字もないほど純粋な妄想なようだ。フォークダンスって……。


 そんな頃、小太郎はあることを閃いていた。清滝から下りながら会う敵会う敵を物干し竿でフルボッコにしてきた小太郎だったが、ことごとく王将に当たらないことに業を煮やしていた時のこと。


「そうか! 王将を俺サマが持ってりゃ俺サマが狙われるんだな!? ……ってことはもういちいち俺サマから敵を探さなくてもいいじゃねェか!」


 わかりやすく小太郎の頭の上で電球がパァッと光る。それに同調するように表情も途端に明るくなった。


「そうかそうすりゃァ俺サマが敵を探さなくてもあっちから来てくれるんだなァ!」


 自らのアイディアに興奮しているのか小太郎は同じことを2回言う。


「そうと決まりゃ王将探しだオラァ! ……そういやちょっと待て、確か帆村んとこのチビ女、確か王将持ってやがったなァ……」


 エンジが小太郎の真裏の場所でとっても悪い顔で生徒をなぎ倒していたのと同調したように、小太郎もとっても悪い顔でよからぬことを考えていたのだった。


「くくく……こりゃァ俄然面白くなってきやがったなァ……」


 腰から下げた駒をカラカラとうるさく鳴らし、小太郎は清滝の方角へと戻って行った。

 直感的に小太郎は、ここまできた中で出会わなかったエンジ達が自分と違うルートで山頂を目指していると思ったからであった。当然、そうなれば清滝方面へと自分が行けば鉢合わせするはず、そしてそこには必ず千代がいると踏んだのだった。


「魔王・佐々木小太郎! 今から行くから待ってやがれェ~!」


「ハーレイ、幾らになった!?」


「……すごいよエンジ、450苑もある」


 ハーレイは駒を数えながらその額に思わず震え、それを聞いたエンジは肩を揺らしてなにやら怪しげに笑い始める。


「ふ、ふはは……ふはははぁ~」


 エンジがおかしくなった! と一瞬疑ったハーレイだったがよくよく考えてみれば元々感覚が人よりもおかしい男だったことを思い出し、なんとか声には出さずにおれた。


「喜べハーレイェ!」


「ハーレイェ!?」


 エンジは目を赤く光らせて鬼のような形相でさも愉快そうに笑う。


「上手い飯! 綺麗な部屋! 広い風呂! そしてふわふわの布団! 高級宿とはそういうものじゃないのかねハーレイェ君!」


「……ま、まぁきっとそう、だね……」


 エンジは更に両手を大きく広げて見せるとハーレイェに演説するように高らかに謳った。


「昨日の夜……境内に取り残された俺は寒かった……寂しかった……ひもじかった……。この屈辱を相殺出来るとすれば今夜! とてもいい思いをするしかないのだよ!」


 涙声であの辛い夜を思い出しながら語るエンジは、涙が溢れまいと耐えるように瞳を瞑った。


「そ、そういえば昨日エンジは野宿だったね……(駒を早々盗まれるからだろ)」


 

 ハーレイが数えていた駒を奪い「ええいどけーい! これはこの俺が持っておく! お前らは信用ならん!」と言った。


 ハーレイは自分の分の駒だけを貰うと「いいよ。エンジは昨日不幸だったからね。全部持っていておくれよ」と笑って駒を引き渡す。


「は、ハーレイ……お前……」


 涙ぐむエンジはハーレイにおもむろに近づき、一歩歩くごとに駒が大量に引きずられガラガラと本当にうるさい。


「な、なにかな……?」


「俺が帝國総裁になったらお前は副総裁にしてやっから!」


「あ、ありがとう……(副総裁ってポジションはそもそもないけど)」


 欲に目がくらんで既に正気を失っているっぽいエンジを見限ったハーレイは「あ! 千代のところにいかなくちゃ!」と走ってエンジから離れるのだった。

「俺はよォ……古き良き男尊女卑を推奨してんだ」


「はい……です」


 小太郎の目の前には千代が居た。

 彼が清滝に戻ってきたタイミングと、千代が清滝に辿り着いたタイミングがほぼ同時。

 つまりは小太郎の思惑が的中した運びとなり、本来ならばここで歓喜の小躍りでもひとつ披露しなければいけないくらいの小太郎は、我々の予想に反して苦い顔をしていた。


「つまり……だ。俺はお前の持っている王将をだな……その……」


「……」


 歯切れの悪い言葉を前にいつ仕掛けてくるかわからない小太郎の一挙一動に千代は腰を少し落とし、迎撃に備えて構えた。だが小太郎はそんな千代を前にしても「だからだな」だとか「つまり」やら「その……」などを繰り返して一向に話が進展しない!


「燕塾八代目!」


「な、なんだァ!」


「貴方は一体さっきから何を言っているのですか!? 私めの所有する王将の駒を奪いに来たのではないのでございますかっ?!」


「そそそ、そうだァ! お前から王将の駒をだなァ……その」


「その、じゃない!」


「は、はい!」


 何故か先にキレたのは千代だった。

 小太郎が千代に対してこんなにも煮え切らないような、歯切れの悪い台詞を繰り返すのには理由がある。……というかここまで読み進めた方々ならお分りだろう。彼は千代に対して負い目があるからだ。負い目とはもちろん例の誘拐事件。


 あの事件は小太郎史上最も卑劣で卑怯、それでいて醜い敗北であった。悪い思い出以上に、かの件で多大な迷惑をかけたこの小さな少女に対し小太郎は居心地の悪さを、白いシャツに零した醤油沁みのように気まずく感じていたのだ。それが如実に態度に現れたのがこの態度……というわけである。


「私も士の端くれ! ここで会敵したとあらば例え燕塾八代目と言えども勝負する覚悟はございます! さあ! さあさあ!」


「見た目に依らず好戦的だなてめェ……」


 ジリリと砂利を踏み距離を詰める千代と、何故かその歩幅に合わせただけの距離を後ずさりする小太郎。さっきの閃きは一体なんだったのだ。


(くっそぅ……珠城みたいなゴリゴリの変態士ならともかく、こんなチビ女……それだけじゃなく俺が鼻血を出させた女……うう、幾らゲームとはいえこりゃ仕合ったら相当俺の顔は泥塗れ……いや、反吐塗れになっちまうぜェ……)


 意外と神経質である。A型だろうか。


「さあ! さあさあ! 千代の屍を乗り越えるか……それとも千代の剣の肥やしになるか……決めやんや!」


 興奮してアドレナリンがどっくどくに分泌されまくっている千代の目は、瞳孔が開ききっており如何に彼女が精神的に追い詰められた結果、暴走しているのを物語る。

「ぐぅ……! これで許しておいてやらァ!」


 王将を狙って千代と一戦するつもりだったはずの小太郎はあらゆるプレッシャーに屈し、所有する駒を全て置いてその場を逃げるように離れて行った。瞬く間に小さくなってゆくその後ろ姿は、長い髪が揺れるのも手伝い、さながら馬の尻のようでもあった……。


「……まあ……」


 千代が口癖を一言短く言った残像を残すように、その場に置かれた大量の駒はカラリと山から何個かが崩れた。


「千代ぉ~!」


ハーレイが御膳谷奉拝所から手を振って小走りで駆けてきたかと思うと、小太郎が置いていった大量の駒を見つけ思わず彼らしくない「わあっ!」という叫び声を上げた。


「ちょ、ちょっとこれなに!? すごい量だよ」


「はあ……なぜか命拾いしたみたいでございまして……」


 半ば放心状態の千代とハーレイは無言で駒の山を見詰めていた――。

 また一人エンジの一振りにて空の彼方へと消えてゆく。


 3年生にもなるとエンジの強さは生徒達の間でも噂にはなっていたが、如何せん鞘を纏ったままで戦う戦闘スタイル。間違っても抜刀される心配がないので記念にエンジに挑戦しようという生徒達も多かった。誰もが戯刀やエンジさながら、鞘のままで刀を振りエンジに挑むが大概の生徒は京都の空に消え、星となるのだった。


『記念に一戦やっておこう』


 というノリでエンジに戦いを挑む生徒が後を絶たないのもこのためであるようだ。


「ふははははぁ~!! この次期帝國総裁帆村エンジ様がお前らと直々に手合わせをやってやろーってんだ! 幸せに思いやがれ国民ども~!」


 そんな感じでエンジが調子に乗りまくるのも無理はないとも……言えるのか?

 元々乗せられやすい性格のエンジであったが、どこぞのゲームのように多数の敵を薙ぎ払う快感にいつものエンジ以上にこの日は調子に乗っていたのだ。


「ぷぎゃー!」


 記念仕合のつもりでエンジに吹き飛ばされる生徒の中で、とあるメガネ女子が炎灯齊の先端に当たり、比較的近くに飛ばされた。彼が飛ばされたのはエンジの背後から数メートル離れた場所。

「た、助かった……」


 メガネくんはずれたメガネを直し、その時に触れた指先の感触でレンズが片方取れかけていたのに気付いた。レンズをフレームに押し込み、力を入れるとすぐにパキンと音を立てて直ったが、それでも少しぐらついている。


「うう、帆村エンジめ……。この僕のイケてる眼鏡を……」(普通の眼鏡である)


 涙目で自分など相手にならないという自覚が氷水となってメガネくんの肩に浴びせかかる。近くに落ちた自らの紋刀を拾い上げた拳がわなわなと震え、彼自身の中に溢れかえる劣等感や嫉妬が彼を見る誰もに印象付けるようだ。


「どうにかして奴を……奴をどうにかしてやりたいっ!」


 嬉々として自由に暴れまわるエンジの背中を睨み悔しさに唇を噛んだ彼の目にとある落し物が目に入った。


「え!? これ……」


 メガネくんは何度も目をこすって《それ》を見た。


「……!?!」


 メガネくんが《それ》を錯覚ではないと確信したのと同じく、彼のメガネのレンズがパキン、と転がり落ちたのだった。

『いやいやいやいやいやいや、皆さん調子はどないでっか? 駒、奪ってる? 奪われてる? そんなわけで伏見稲荷大社でのオリエンは終了! 盛り上がってるとこやと思うけど、みんなバスに帰ってきてや~』


 コトダマから竹のアナウンス。誰もがそのアナウンスを聞き、胸を撫で下ろしようやく終わったことに安堵の表情を浮かべた。当然、誰よりもほくほく顔のエンジは奪った大量の駒を……うぬ? 


 奪った大量の駒をエンジは…………うぬぬ?


「あれ!? 確か腰のここに……あれ、あら?」


 切符を失くしたサラリーマンのようにエンジは滑稽なアクションでもって腰からぶらさげていたはずの大量の駒を探す。


「ない! ないぞ! どっかで落としたか?」


 正解。


 実は先ほどメガネくんが見つけたのは調子に乗って無我夢中になっていたエンジが落とした大量の駒。テンションMAXで気持ちよくなっていたエンジには落としたことすら気づいていなかったのである。

 更にツイていないのは、終盤に差し掛かるかけてエンジは駒を奪うこともせず、ただただ襲い掛かる生徒たちを無双するのに気持ちよくなっていたこと。これにより新しく奪った駒もない。……ということは?

「うっそぉ~ん! 金子すげーじゃん!」


 金子と呼ばれたメガネのレンズが片方取れた生徒はバスの前でクラスメイトに話し駆けられた。


「なにが?」


 なにが? とか言っているが金子は呼び止めたクラスメイトがなにを差しているのかをちゃんとわかっていた。そう、敢えて分からないふりをしたというわけだ。


「この駒だって! すっげー数だな! どうしたんだよ、奪ったのか?」


「……ふふん、まさか。君だって私の実力くらい知っているだろ? ラッキーな落し物があったのさ」


「っへー! いいなぁ! 俺なんてあの帆村に駒奪われちまって……」


「帆村エンジに? じゃあ、これをあげるよ」


 そういって金子は駒を奪われたらしい生徒に駒を渡した。


「え、いいのか?」


「もちろん! 帆村エンジの敵は僕の味方だからね!」


 レンズのあるほうのメガネがキラーンと光り、金子はとても良い笑顔で笑った。

「……ふ~ん。それで、あれだけあった駒を失くしたんだ。自分の分もまとめて」


 珍しくちょっと機嫌の悪そうなハーレイ。


「まぁ分不相応というものがございますし、此度はえんとーさいさまの不遜の至る所……と言っても足りないほどでございましょう」


 憐れむどころかなぜか態度の大きい千代。しかし、それを言われているはずのエンジ本人の姿が見えない……一体どこにいるのであろうか。


「ぃ、ぃゃ……ぁ」


 やけに小さな声が聞こえるがどこから聞こえるのか分からない。よくよく目を凝らして見るが……あ、いた。


「どうする? 千代」


 ハーレイがやれやれ、といった顔で千代を見た。千代はと言うとふふん、と鼻を鳴らし正面を見ると「野宿ですね!」と力強く言った。


「そ、……そんなぁ~」


 千代の正面にはいたたまれない気持ちですっかり小さくなったエンジが正座していた。

 あまりの情けなさに第三者が目を凝らさなければ見えないほどにエンジは小さくなっていたのだ。


「か、家臣だろ千代! そんな酷いこと……」


「酷いこと? なにを仰いますかえんとーさいさま! わたくしとえんとーさいさまのどちらが酷いのか、キチンとご理解しておいでですか?」

 小さいエンジを喰ってしまうのではないかと思うほど千代は、前のめりで威嚇するように言った。


「ぅ」


 鬼の形相の千代にエンジは更に小さくなり、バスの椅子にある肘掛の隙間に隠れようとするがそれも叶わなかった。


「あれだけの大見得を切っておきながらこの様……。敵を倒すだけが士ではございませんことはえんとーさいさまもお分りのはずです! 家臣だろ……と仰いましたね……。

 いいですかえんとーさいさま! これは家臣であり、貴方様に忠誠を誓うからこそ言っているのです! 頭を冷やしなさい、と!!」


「ひぃぃ~すまんこってす、すまんこってす……なにとぞ勘弁を……」


 エンジは反論もままならず泣いた。縋るようにハーレイを見上げると、ハーレイは文庫本を読んでいた。


「は、はあれいさま……」


 三代目炎灯齊、二日連続の野宿 決定。

「士道学苑三年生の皆様、お疲れ様でおす。それでは二日目の宿泊先を分けて行きたいと思いますので、それぞれ持っている駒を苑に計算しておくれやす」


 梅がはんなりと可愛げのある挨拶で駒の計算を促した。生徒達はそれを聞くと各自がそれぞれ自分の駒を数え、早見表に従い計算してゆく。


「それでは皆さんこの用紙に苑の計算結果を記入してうちにおくれやす」


 配られて来た紙にエンジはペンを持つ手を、ぷるぷると震わせながら千代とハーレイを見た。親友のハーレイと家臣の千代のことだ、あれだけ厳しく非難されても最後にはきっと駒を譲ってくれるはず、そう思ったのである。


 ハーレイ→文庫本。

 千代→イヤホンで音楽。


「ぐぬぬ……この屈辱忘れぬ……忘れぬ……」


《所持苑》と書かれた空欄にエンジは震えでへなへなに崩れた数字の《0》を書き、泣いた。


「ではバスは次の停留場所で止まって、その時に所持苑数でバスの乗り分けしますので、お見知り置きよろしゅうに」


 

 停留所に止まると、風林火山と振り分けられた4台のバスがあった。

 そして全ての生徒が降り立った時、それは風林火山ではなく宿泊先別のバスになるのだ!


「えーまず100苑以上持つ人はこっち! スーパーVIPなホテルへごあんなーい!」


 さすがに駒を100苑以上も所持する生徒は少ないようだ。ちらほらと入っていく影を見詰める生徒達は、羨望のそれに染まっていた。


「えんとーさいさまぁー」


 その影の中ににこにこと笑って手を振る千代と、ハーレイの姿があった。


「……なん……だ、と……!?」


 余りの衝撃に絶句するエンジ。少し失禁したようだ。


「なんでお前らが100苑以上も駒持ってんだ! おい!」


「あ、ちなみに王将持っている人は無条件でVIPなんでおす。言い忘れてましたぁ」


 梅がぺろっと舌を出して笑った。


「次に50以上100苑未満の方はこっち~」


 バスには【まあまあの旅館】とあった。こちらにはまあまあの数の生徒が乗り込んでゆく。

「で、10苑以上50未満の人」


 バスは【賽雲寺】とあった。大量の溜め息と同時に生徒達は入ってゆく。


「0の人~」


 バスには【野宿】と……


「死にたい! 俺は死にたいぞ!」


 エンジは乱心した。無理もない、彼は初日も野宿しているのだ。


「……」


 そんな乱心するエンジを背後から静かに見下す瞳。一体これは誰だろうか、シルエットを見るとどうやら背の高い男のようだが……。


「さ、佐々木!」


「お前を追ってわざわざこっちに来てやったぜェ……」


「な……んだ……と!」


 そのシルエットとは小太郎であった。今なにか「お前を追って」とかカッコイイこと聞こえたような気がするが、私の気のせいだろうか。


「佐々木君、何かをエンジに言ってるみたいだけど……」


「ハーレイ様、黙っておいたほうが身のためでございます。兎にも角にも私達は、おいしい料理、広いお風呂、ふわふわのベッドに景色のいい部屋でえんとーさいさまの成長をお祈りいたしましょう……」


 千代は涙目で言った。ハーレイは特にコメントを出さずにただただ笑ってやり過ごすのみであった。

~プチ番外編~


「杜永先生! ここは危険です、獣と化した生徒達が杜永先生の魅力的な肉体を目当てに襲ってきますので、この角田角男の背に隠れて……!」


「マァステキ! 角田先生超カッコイイデスワ!」


 角田教師のイメージトレーニングはバッチリであった。生徒がいつ杜永やしろに襲い掛かってきても良いように尾行し、常に一定の距離を保って彼女を見守ってきた。

 生徒がやしろに襲い掛かってきたらこうして撃退し、信頼と好感度を劇的に上げて行こうという邪心……あ、いや親切心で発案した戦略である。


 やしろがいくら士道教師界内で実力者だとはいえ、生徒相手に……しかも一度に複数の生徒に奇襲でもされたらきっと分が悪いであとうと踏み、そのシチュエーションを待ちつつ彼女をストーキン……あ、いや追っていたのだ。


 そしてその肝心のやしろはというと、パトロールのように大社内を巡回し、生徒達のトラブルや違反などがないように見張っているようである。


「真面目なその姿と歩くたびに揺れる、その悩ましげな大きなメロン二つ……。あなたのことは常にこの角田が見ていますよ……」


 心なしかハァハァと荒い息遣いが聞こえてくるような気がする。きっと気がするだけだ。そうに違いない。


「角田先生、頼リニナルワ! 抱イテ! 超結婚シテ!」


 シミュレーションだけは脳内で完璧にこなす角田は、やしろが角田に対して行うであろうシチュエーション攻略に余念がない。そんなことよりもなぜ角田が、助けたやしろがこんな返しをすると思っているのか? というのが根本的な問題である。

 まあ、どなた様方々もこの後どのような展開になろうとも、角田教師のシミュレーションがどう作用するのかお察し頂けると思うが……。


「杜永先生!」


 角田が待ち望んだシチュエーションは唐突に来た。奇しくも角田教師がさらなるシミュレーションを脳内で展開していたその時である。


「今だ!」


 やしろの正面から数人の生徒達が襲い掛かるのを見て角田教師は、やしろの豊満な肉体が供え物のように捧げられるその時を夢見て、颯爽と出てゆく!


「ぐぁう!」


 なんかみっともない悲鳴を上げたのは、今飛び出したはずの角田教師であった。


「このストーカー教師!」


 殴打を連想させる鈍い音を連発させながら、やしろを襲撃したはずの生徒達が角田教師をリンチにしている。


「な、なにをするお前ら! こんなことしてただじゃ……」


「うるさいこの犯罪者!」


「性犯罪者!」


 なんとも不名誉な罵倒を浴びながら角田教師は失神するまで攻撃され続け、遠くの方でやしろの声が微かに聞こえる中、気が遠くなってゆくのだった。


「ちょ、角田先生! みんな違うのよ、角田先生は私と一対一の仕合をしたくてきっと、頃合いを見計らっていたのよ……だから、ストーカーとは……」


 角田教師よ……合掌。

――京都・最終日



「ぶぇへぇっくしょん!!」


 盛大なくしゃみと一緒にバスを降りたエンジの両目には大きなクマと、くしゃくしゃについた頭の寝癖が目立っていた。昨夜の野宿を思わせるとても憐れな格好である。


「ウォゲェェエ……!」


 この嘔吐の声の主は……言わずもがなであろう。佐々木小太郎である。野宿の洗礼を受けた生徒は小太郎とエンジだけだった。普通に計算してみるとどうしてもおかしいような気がするが、これも物語を面白おかしくする展開であるとお察し頂き……


「ぶえっくしゅっ!」


 ……である。


「さあさあ! 皆さん名残惜しくも本日が最終日でっせ! 今日も今日とて京都を満喫してってや!」


 竹のテンションの高いアナウンスもすっかりみんな聞き慣れたものになっていたが、この男が喋りはじめる時と言うのはいつもろくなことがない。それゆえに竹はこの2日間でバッチリ嫌われ者になっていた。


「昨日の宿はどないやったかな~? ええとか泊まった人と、普通の人と、……野宿の人がおったと思うけど~……ん?」


 竹は笑いを堪えてそこだけ空気の違うエンジと小太郎を見た。梅がすかさず「お兄、あんまりいじわるしはったらあきまへんぇ」とはんなり制するが、当の本人たちはすっかり疲弊して全く反応していない。


「ハーレイ様、昨日のお宿はそれはもう素晴らしゅうございましたね!」


「あ、ああ……そうだね……」


 エンジ達にわざと聞こえるように千代は大きな声でハーレイに話しかけ、ハーレイはエンジ達を横目にしながら気が気でない。


「(ちょっと千代……煽り過ぎじゃない?)」


「よいのです! 炎殲院13代目頭首であり三代目炎灯齊ともあろうお方が、欲に目が眩み破滅する体たらく! 宿など勿体のうございましょう!」


 力ない表情でエンジが二人に振り向き、それに気付いたハーレイが指を口に当て千代にボディランゲージで訴えた。


「ちらり」


 げっそりとしたエンジを見ると千代はすぐに顔を戻し「それにしても昨日のエビとお肉おいしゅうございましたね~ハーレイ様」とまたわざとらしく言った。

 おろろーん、おろろーん、というエンジの泣き声と、げろろーん、げろろーん、という小太郎の悲しい嘔吐の音が彼らの切なさにスパイスを加えていたのだった……。


「さぁて! 最終日である今日はこの八坂神社にて行うで! 最終日やからな、特別ルールや!」


 特別ルールというワードに生徒達は皆ぴくりと反応し竹を見た。竹は朱色と白のコントラストが綺麗な門を背に両手の拳を握り大きく頭上に上げると高らかに宣言する。


「ここで適応する特別ルールとはじゃじゃん! ずばり、『王将争奪ゲーム』! わーどんどんどんパフパフパフ」


 誰もがざわつく中、ハーレイだけがただ一人「やっぱりか……」と呟いた。


「やっぱりと言いますと……?」


 その呟きを聞き逃さなかった千代がハーレイに呟いた言葉の意味を問う。ハーレイは千代の顔を見ると


「初日の寺で撫髪竹くんが言ったろ? 最後は王将の所持数で帰りの手段が変わるって。つまり最初から最終戦として王将だけを奪い合うクラス対抗戦をやるんじゃないかって思ってたんだ」


「なるほど……さすがハーレイ様、お賢うございます……」


 ご、ごくり、と生唾を飲む千代は数秒して「ということは……」まで言ってハーレイを恐る恐る覗き込んだ。


「千代が狙い撃ちされることになるね」


 と苦笑いで答える。

「まああああああっっ!!」


 千代はすかさずエンジに向き直ると「えんとーさいさまぁ~ん」とにこやかに笑顔を振りまいた、が。エンジは黒いオーラを纏い顎をしゃくれさせ、眉を釣り上げた……好戦的な表情で千代を見詰めていた。


「あ、あのぉ~……千代はぁ、その……心からですね、えんとーさいさまを……ですね。心配していたからこそ、昨日は……」


「元気があればなんでも出来る! さあ、行ってこーい!」


「ご、ご……ご無体な!」


 エンジの恨みを買っていた千代はすっかりエンジという絶対的な守護神を失ってしまったのだ。つまりどういうことかというと……


「絶対絶命……だね」というわけである。


「みんなどうやら説明しやんでも分かってきたみたいやなー! よしよし、そういうこっちゃ! 要は自分んとこのクラスの王将守れっちゅうこっちゃ!

 ってわけでここで誰が王将持っとるか発表するぞー!

 風組、神楽煙千代! 林組、八乙女 春樹! 火組、東芝 亜実! 山組、筒井 茂道!」


「あ……あの~ハーレイ様? これってその……」


 ハーレイはとても言いづらそうに苦笑いで千代を見ながら、左頬を指で掻いた。


「うん……その、クラスが違うからここからは千代と行動出来ない……っていうか……」


 みるみる内に千代の顔から血の気が引いてゆく。それはそうだ。

「おやおや? これはこれは麗しい千代ちゃんではありませんか? どうしたのですかぁ? そんな青い顔なさって……生理ですか?」


 エンジが嬉しそうにニヤニヤと笑い、千代の周りを後ろに手を組み歩きまわる。


「主を二晩も野宿させたのですからねぇ~……もしかしたら、痛い目に合うかも知れませんねぇ~? お・ち・よ・さ・ん」


「うう……許すまじ、許すまじ三代目炎灯齊……」


 うひょひょひょひょと奇声を上げ、ハーレイの手を引きその場を離れてゆくエンジと一人残される千代。千代が如何に自決するかを真剣に考え始めていると、数人の生徒達が千代の周りを囲んだ。


「な……なんでございましょう……ち、千代は王将持っておりますが人から恨まれることなど……」


 生徒達の中から梶ヒロが割って入ってきたかと思うと、千代の前で立ち止まり見下ろしている。


「……あ、あの……」


「神楽煙千代。これより俺達風組は、全力でお前を死守する。安心しろ!」


 梶の瞳には闘志が燃えているのが千代の目にも分かった。そう、王将を持っている千代を風組の生徒が守ろうとするのは至極当然なのだ。

 更にもう一つ付け加えるのであれば、梶ヒロは先の伏見稲荷大社でエンジに対し湧き上がる敵意を持っていた。それゆえ真っ先に千代の持つ王将を狙いに来るであろうエンジに真っ向から立ち向かおうという魂胆なのだ。


「わ、わたしは……みんなに支えられて生きているのですね……ぐっすん」


 まぁそこまではみんな想っていない。

「うう……寺寺寺寺……バス乗りゃ寺、バス降りりゃ寺……この三日間寺ばっかりじゃねェかァ……くっそぉ……」


 小太郎は野宿+バス酔いで地獄の真っ只中に居た。彼にとってはどの乗り物で帰ろうが地獄なので今回の王将争奪は余り気分が乗らない。しかも元々寺のような、宮殿のような、浮世離れした実家を持つ小太郎にとって、京都の寺や神社に他の生徒ほど感動を感じなかったのだ。そうなってくると駒に執着がない小太郎の目的は……。





「おい、ハーレイ! うちの王将持ちって誰だ?」


「東芝さんだよ」


「……?」


「わ、わかんないの?! 三年間同じクラスだったのに!?」


 ハーレイは境内で数人の生徒に守られながら移動している髪を二つ括りにしたメガネをかけた女子を指差した。


「……あ、ああ……なんか見たことある気が……する? いつ会ったっけな……」


「毎日会ってるだろ! ……っとに、少しは他人に興味持ちなよ」


 エンジはバツの悪そうにえへへとかわいく笑うと、「で、どっちにする? 護るか攻めるか」とハーレイに問いかけた。


 ハーレイは意外そうにエンジを数秒見詰めると、いつものように笑い納得したように頷く。

「なんだよ? なんかおかしなこと言ったか?」


「違うよ、キミは戦いになると急に頭がキレるんだな……って思ってね。だからいつも驚かされる、けどすぐにキミはそういう奴だったと思い出して僕は納得するのさ」


 エンジはハーレイの返事に短く鼻を鳴らすと、「じゃあ俺は攻めでいくわ。それが多分今一番いいだろ?」そう言って炎灯齊の先端で地面に曲線を描き肩に担いだ。


「ああ、そうだね。存分に暴れてきなよ! ……あ」


「なんだよ、調子狂うな」


「千代の王将は奪わないでね」


 途端にエンジは唇を尖らせると「当然だ! あいつは最後に目にもの見せてやらぁ!」と息巻き、飛び出してゆくのだった。


「あ! エンジ、そう言う意味じゃ……ああ、行ってしまった」


 ハーレイは腰に手を当てて溜息を吐くと、王将を持つ東芝の元へと歩いた。



 

 エンジが本殿へ辿り着くとちょっとした乱戦になっていた。

 ところどころに逃げ惑う一般の観光客たちに紛れ、戯刀や鞘のままの紋刀を振るう生徒達。それらの背にでんと構える本殿……その絵面は奇妙としか形容しがたいものだ。


『おうおうお前ら! 他の参拝客の人らに迷惑かけんなよ! 無条件で歩いて帰らすぞ!』


 エンジがまさに今飛び込んでゆこうとした矢先、竹からのコトダマが飛んできた。


「なにぃ~~!」


 同時に王将の側にいたハーレイは、その意図を理解した。


「そうか……、乱戦を煽っておいて乱戦を抑制し御する……。物は壊してはいけないし暴れてもいけない。これは中々面白いな……」


 などとハーレイが面白がっているのもエンジは知る由もない。


「暴れるなって……じゃあどうすりゃいいんだよ! 王将を奪うには力ずくしかねーだろ!」


 地団駄を踏むエンジは燻っていた。さっきはハーレイに戦いの中では頭がキレると褒められたところなのに、これではキレるどころかただキレているだけだ。お、今日の私は調子が良いみたいである。


「頭脳戦ってわけだなァ……帆村ァ」


 どこからか聞こえる声にエンジは大きなため息を吐いた。

 何故ならこの声は飽きるほどに聞いた、あの男の声だからだ。


「てめェ! なにいきなりため息ついてやがる!」


 当然、その主は佐々木小太郎。もはや説明の必要もあるまい。

「この3日間でどれだけお前の顔ばっかり拝んでると思ってやがる。昨日も小太郎、一昨日も小太郎、小太郎小太郎小太郎……ってお前は金太郎飴かよ」


「てめェにファーストネーム呼び捨てにされる筋合いはねェぞ! いい加減顔を見飽きたのは俺だって同じだってなァ! ……そういうわけでお互いにとってもい~い提案だがよォ……」


 小太郎は怒ったかと思えば、言葉の最後には不敵な笑みを浮かべていた。

 明らかにこれはなにかよからぬことを考えている顔……ん、なんだかんだでこの二人は似ている。俗にいう同属嫌悪という奴だろうか。


「提案だ? どうせくっだらねー提案だろ。だってお前馬鹿だもんな」


「馬鹿に馬鹿って言われる筋合いはねェぞゴラァ! ……いいか、お互い顔が見飽きたってんなら解決する方法は簡単ってわけだ。つまァ~り、どっちかが薄汚ェ顔を消せばいいわけだ。姿ごとなァ!」


 言葉を言い終わるのが待てないとアクションで体現する小太郎は、エンジに向かって燕尾閃を肩で担ぐように真っ直ぐ飛びかかる。奇襲にも関わらず、エンジは小太郎の顔を見た時から予見していたかと言わんばかりに動じることなく、その場で迎撃の構えを取った。


 そう、小太郎は王将争奪戦に端から参加する気がない。つまりその目的がなくなった時点から小太郎の最優先の目的はエンジと戦うことになったのだ。


「馬鹿の考えることはわかりやすくて助かるぜ!」


 エンジが正面に炎灯齊を構え、小太郎の一撃目に備えると小太郎は片方の口角を釣り上げて笑うと、

「奇抜な戦法がてめェの専売特許だと思うな!」


 エンジの目の前で急停止したかと思うと小太郎はエンジから向かって右側に飛び退いた。


「あん!?」


 急に敵を見失ったエンジが咄嗟に目で追おうとすると、首を振った反対側から小太郎の笑い声をとらえる。


「どこ見てンだ! ヴォケ!」


「!」


 振り向いたエンジが辛うじて視界の端でとらえたのは二つに割れた切っ先。正確には鞘の先端だ。エンジの網膜が思考に追いついたのがほんの刹那遅かったのか、片方の瞼を掠め毛細血管が切ったそこからは血が噴き出した。


「ぐぅ……っ!」


「はっ! 鞘付き一撃掠めるかよ。これじゃ真剣死合したら俺の圧倒的勝利だな! 雑魚キャラに転落たぁ景気いいなぁ!? お、帆村ァア!」


 珍しく分が悪いエンジは小太郎の挑発に無言で睨み返す。


「……おお!? 見れる目つきになったなぁ……! もしかして最近俺様と慣れあってるつもりだったかァ!? おお」


 だが小太郎は無言のままでにやりと口元を緩めるエンジを見逃さなかった。

 次の瞬間、小太郎に襲い掛かる巨大な炎灯齊の影を捉え、小太郎はすぐに左に飛び退いた。だが小太郎の左頬に強烈な痛みが走り、その衝撃に首を振るがすぐに立て直し、正面に立つ痛みの主を睨むと口の端から血を滲ませ小太郎もまた笑う。


「でたらめな戦いは健在……ってかぁ?」



「馬鹿言ってんな、一年の時よりも炎灯齊を大事に扱ってるよ」


 小太郎の頬を襲ったのはエンジの拳であった。炎灯齊を囮にし、生の拳を見舞う。エンジならではの戦法である。


「ったく、こっちは王将ぶん獲ってファーストクラスで帰ろうって思ってんのによ、なんでこの期に及んでお前の相手なんざしなきゃなんねーんだ」


「うるせェぞサルが。キーキー喚いてねェでとっととかかってこいやァ!」


 またも先手を打つのは小太郎だった、その姿はまるで「俺はずっとこれを待っていた」とでも言いたげなほど活き活きとしていたのだ。


「悪ぃがサルなのは家系なんでね! 相性悪かったって諦めろ!」


 踵で落ちた炎灯齊を蹴り上げ、柄を掴むとエンジは迫りくる小太郎に向かって自身も真っ直ぐ向かっていく。


「……ッ!?」


 意外な動きだったが、一瞬で小太郎は気を立て直し、エンジに向かってゆく。

 二人は凄まじい速度で距離を詰め、衝撃で周囲の空気が揺れるほどの斬撃をぶつけた。


「いいねぇ……この感じ……たまんねェわ」


 ぶるぶると燕尾閃から伝わる振動を感じながら小太郎は戦いの興奮を心地の良いものにしていた。

二人の戦いは激しさを極め、勝敗の付かないまま陽が落ちていく。


「だぁああああっっ!」


「うぉらぁあああっっ!」


 二人ともとっくに体力は限界を迎えているはずだったが、気力かそれとも意地か士気を落とすことなく、二人の士は刃を合わせ……ん? おお、これはこれは……大変である。


「はぁ、はぁ……」


 肩で息をしながらも小太郎の出方を伺い、オレンジ色の空が彼らの影を伸ばし孤高の戦いを演出している……が、だ。彼らはまだ気づいていない。この私が気付いている《あること》に……。


「ふぅ、ふぅ…………ん?」


 お、小太郎が気付いたようである。


「おい、帆村ァ……」


「なんだよ、降参か」


「アホかテメェは! 死んでもするか! ……そうじゃなくてよォ、なんで誰もいねェんだ」


「はあ?」


 小太郎の言っている意味が分からないエンジは辺りをキョロキョロと見渡してみる。夕日に照らされた境内には少しの観光客と、ほうきを掃いている関係者らしき中年男性のみであった。

 二人は紋刀を構えながら、他の生徒がいないか見渡してみるが、悲しいかな学苑生徒特有の緑の学ランも、セピア色の女子制服も見当たらなかった。


「…………」


「…………」


 無言が場を支配し、シャッシャッという竹ほうきを掃く音だけが空しく境内を歩き回る。


「おい、みんなは……?」


「俺が知るか……」


 不安が体中を支配した二人は、すかさず構えを時走った。


「おおーい、誰かーー! 士道学苑のみなさぁああん!!」


「ヴォオイ! 子分どもォォオ、どこだゴラァ!! 主置いてどこ行ったんだァアアア!」


 八坂神社中を二人の声が駆けずり回ったが、どこにもバスも生徒も見当たりはしなかった。



「ぅおおおおおおおおいいぃ~!」

「いやぁ~、最後にはやっぱり平和的解決が一番やねぇ~! 今回の駒取り合戦っちゅうのは、謂わば精神修行の一環やからね。今回の決着が一番正しいっちゅうこっちゃ」


 バスの中で竹が今回の総括を始めていた。傍で控えめに笑っている妹の梅も付け加えるように、


「王将を奪うこと自体にそこまで意味はありまへんのんで、それに気付かはったみなさんは本に優秀おすなぁ。結論が「誰の王将も奪わない」となれば、誰かが業を背負うことなくみんなで仲良く帰れおすからなぁ~」


 ――説明しよう。


 エンジと小太郎がガチンコ勝負をしている最中、各クラスの王将争奪戦はハーレイの一言で終息することになった。


「筆頭三年生として提案だけど、折角の修学旅行なんだからみんな奪い合いなんてせずに仲良く帰らないか? 確かに王将を奪えば飛行機や新幹線でぬくぬくと帰れるけど、逆に言えば普通に観光して奪い合いをせずに終われば何事も無く終わるんだ。このままだと京都まで来てただ戦っただけで終わってしまうよ」


 この実に的を得た正論に戦いに夢中の二人以外は大いに賛同し、そこからは誰もが正気に戻って八坂神社をキャッキャッと周り、バスに帰ると彼らを残して出発したのだった。

 ……では、なぜエンジと小太郎の二人は取り残されたままだったのだろうか。


「言うたやろ。これは精神修行やって。あの二人は戦うことに夢中で北川ハーレイの言葉すら耳に届かんかった未熟者や。そういう奴はちょっとキッツーイ罰を受けてもらわんとあかんやろ~……けっけっけっ」


 ということである。けっけっけっ。


「それにしても今回の修学旅行……エンジはろくなことなかったなぁ……。同情しちゃうよ」


 文庫本を手に、代わる代わる景色を変えてゆく窓の外を眺めながら、ハーレイはエンジを想って代わりに憂いた。

――岡山県 某所


「おい、小太郎! どこだここは!」


「うっせェ! 呼び捨てすんなって言ってんだろうが……ここは……岡山だ」


「岡山か……岡山なら帝都(東京)はもうすぐだよな?」


「お前は脳みそもサルかよ! 帝都に住んでりゃ岡山なんざ隣みたいなもんだって知ってるだろ!」


「し……知ってるに決まってんだろ! ほら、看板に広島って書いてあるぜ! 広島までいきゃ着いたも同然だな。意外と京都から帝都なんて楽勝だぜ」


「何言ってやがるテメェは。肩で息して説得力ねェぜ」


「馬鹿か物干し野郎。わざと体に負荷かけて冷えねぇようにしてんだよ!」


「嘘つきやがれ、オラとっとと歩けゴラァ!」


「うるっせぇな! お前の方が遅いだろうが!」


 歩きながら帝都を目指す二人を星空が見おろし、月が彼らを笑っていた。


 ……ちなみに岡山は帝都から真逆方向である。負けず嫌いが二人揃えば無知すらも認めず、取り返しのつかないことになるものである。かしこ。




 ひとまずこれで京都修学旅行編は了とさせていただく。





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